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どこにもいない

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 手遅れだと首を振ったら漸くシュヴァルツも諦めを見せ始めた。項垂れたまま立ち上がり、顔を上げようとしない。ただ気の毒とは思わない。ずっと彼自身が決めて進んできた道だ。

 もう一度セラティーナは告げた。


「シュヴァルツ様。きっと、私とシュヴァルツ様の婚約は破棄されます。今度こそ、貴方が想う方と結ばれるかと」
「君は……私を想ってはいなかったのか……?」


 婚約が結ばれた最初の頃は何度も歩み寄る努力をしてきた。認めはしてもそこに愛があったかと問われると微妙だった。前世セアラだった時から愛する男性はフェレス一人だけ。きっと、前世を覚えていなかったら今よりもずっと悲惨な状況にいただろう。それこそ、シュヴァルツに愛を求めるくらいに。
 転生させてくれたフェレスに感謝している。今のセラティーナがあるのは、前世の記憶を持っているからこそ。


「貴方の婚約者であろうとはしました。シュヴァルツ様は私の婚約者であろうとした事はありますか?」
「……」
「ないですよね。貴方の側にいたのは、置いたのは、常にルチア様でしたから」


 シュヴァルツがその気でないのならセラティーナがどれだけ努力しようと言葉を投げかけようと無駄で終わる。いつか王国を出て行き、帝国に行くとぼんやりと決めていた時から誰に何を言われようとシュヴァルツに何も言わなくなった。最低限、婚約者の務めさえ果たしていれば良いと結論を出した。
 せめてシュヴァルツがセラティーナのように最低限でも婚約者としての役割を果たしていれば、もう少し穏便な婚約解消を取る道もあった。


「もういいでしょう。さ、お帰りくださいませ」


 これ以上の話は無意味。素っ気なく帰る様告げると傷付いた面持ちを見せられ、困ったと眉を八の字に曲げた。こうやって突き放すと傷付くのは今までそんな扱いを受けて来なかったからで、小さく息を吐いたセラティーナはそっとナディアに目配せをした。視線の意味に気付いたナディアが頷いたのでセラティーナは背を向けた。ハッとなったシュヴァルツが縋る声で呼んで来るがナディアや他の使用人達が止める。
 シュヴァルツの声が聞こえなくなるまで邸内の奥へ行き、やっと声が届かなくなると足を止めた。


「ふう……」


 時間にしては十分程度過ぎただけなのに疲れが押し寄せた。私室に戻る前に厨房に寄って料理長に薬草茶を頼もう、と踵を返すと「お姉様?」と書庫室からエルサが出て来た。後ろにいる召使が押すカートには十冊程の本が積まれていた。


「どうされたのですか?」
「シュヴァルツ様が訪ねて来てね。今ナディア達に帰ってもらうよう頼んでいる最中よ」
「え? グリージョ様が?」


 先触れもなく、朝早くから来るのは非常識だと憤慨するエルサに苦笑しながらカートに積まれた本に目をやった。商売や経済に関する資料や王国の地理、他には恋愛小説があった。何故? と訊くと休憩時間用の本だと返された。


「グリージョ様と聖女様の考えはわたくしでは分かりません。恋愛小説を読めば、あの二人の考えが分るのではないかと思って」
「恋愛小説でもなんでも都合よく書かれているとは思えないけど」


 現実味のある内容もあれば、夢全開の内容もあると言われるとセラティーナからは何も言えなくなる。エルサと別れ、厨房へ足を運ぶと前を通った料理人に料理長を呼ぶよう頼んだ。


「お嬢様!」


 すぐにやって来た年齢が六十くらいの男性が料理長のフリード。渋い声と綺麗に逆三角に生えている髭が特徴的。


「手が空いてからでいいから薬草茶を作ってほしいの。疲れが取れる効果の薬草を使って」
「すぐに作ります! そこで待っていてください!」


 セラティーナが止める前に素早く中に戻り、手際よく薬草を取り出したフリード。先代公爵の時代から仕えており、専属料理人をする前は確か王宮魔法使いだったと聞く。任務の際に足を負傷し、日常生活では支障が無くても戦場では役に立たないと判断されて魔法使いを辞めたと聞く。元々料理の腕が良く、その頃新しい料理人を探していた祖父にフリードの上司が彼を紹介したのがプラティーヌ家の料理人になった切っ掛けだと昔話してくれた。


「お嬢様! はい、ご希望の薬草茶です」
「ありがとう」


 トレイに載せられたマグカップには出来立ての薬草茶が淹れられていた。濃い緑色は味をも表現しており、口に含めば容易に想像される苦味に大抵の人は好んで飲もうとしない。


「お嬢様が元気でいられるようにお呪いを掛けてあるので飲んだらすぐに元気になりますよ」
「まあ、ありがとう。料理長の料理は何でも美味しいから、お呪いがなくても元気になるわ」
「ありがとうございます」


 フリードから受け取ったトレイを持ってセラティーナは厨房を出た。


「旦那様はどうして態と嫌な人間の振りをするのか……」


 料理にお呪いを掛けているのは薬草茶に限った話じゃない。離乳食が始まってからずっとセラティーナの食べる料理には全てお呪いが掛けられていた。どんな状況でもめげない強い精神力と何が起きても取り敢えず健康な体であるようにと願いを込めて。
 公爵夫人が癇癪を起したら大抵セラティーナは食事抜きにされる。そんな時もこっそりと皆が食べているのと同じ食事をナディアに届けさせるのもフリードの仕事だ。

 全て公爵であるジグルドの命令だった。陰ながら全力でセラティーナを守ってくれと生後半年が経過した辺りで頭を下げられた。


「……ファラお嬢様が理由か……」


 領地の墓地に埋まる棺の中が空っぽだと知るのは、ジグルドとフリードの二人だけ……。

 ファラが実は生きているのか、本当に死んでしまっているのかは誰にも分からない……。


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