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妖精隠し
しおりを挟む誰からにも愛されるって、ある意味大変だなあと思う。二十四時間、身内にも他人にも愛想よく振る舞い、例え嫌いな相手にも同じ振る舞いを強いられる。但し、本人の性格によっては苦に感じない人もいる。私の姉がそうである。二歳年上の姉アリエッタは天性の愛され体質で、本人も誰かに愛されるのが当たり前だと享受する人。母親譲りの長いふんわりとしたプラチナブロンドにサファイアブルーの瞳の美貌の少女。同性である私でも綺麗だと思える。反対に、妹の私はというと、父方祖母と同じ銀色のロングヘアーと黒色の瞳。全体的に祖母に似ている。
地味な色合いの妹と天使の如く清らかで愛くるしい姉。両親も、使用人も、周囲の人々も皆――そんな姉に夢中である。
生まれ持っての性格のせいか、一心に愛情を注がれる姉を今では羨ましいと思わない。幼少の頃は両親に構われる姉が羨ましかった。親の気を引こうと嘘を言ったり困らせてばかりの私を彼等が見限るのは時間の問題だった。気付くと私の周囲には誰もいなかった。世話をしてくれる筈の使用人でさえ、主人に愛されていない娘の世話までするのは面倒だと陰口を叩く始末。
着る服も、食事も与えられるので完全なる放置という訳ではないが、そこに関心があるのではない。いるから世話をしているだけ。そんな感じ。
屋敷の裏庭でひっそりと本を読むのが私の日課。勉強すら、全て自分でしている。家庭教師を付けるという考えすら彼等にはないのだろう。誰に言葉を、文字を、知識を学べば良かったのか。初めはとても戸惑ったが――
「アーシェ」
ふわりと舞った香水の香りと背中に感じる温もり。ただ一人、私の名を呼んでくれる人。そして、言葉、文字、知識を与えてくれた唯一の人。
「フロー」
青みがかった銀色の髪を首から尻尾のように垂らし、私を見つめる深緑色の瞳が優しげに細められる。
「今日もこんな所でお勉強?」
「ううん。今日は物語を読んでいるの」
「楽しい?」
「本はいいわよ。時間を潰すのに最適だもの。それに、この家は無駄に偉いから」
「そうだね。アーシェの家は公爵家だもんね。今日もアーシェの姉君は充実した日を送っているようだ」
「四六時中愛想を振舞う姉はすごいと思う。私だったら、絶対に疲れるもの」
「生まれ持っての本人の性質だね。誰もが真似を出来ることじゃない」
彼はフローディン。私が4歳の頃、今のように庭で1人いる所を急に声を掛けてきた。
『一人で何をしているの?』
『だれ?』
ずっと屋敷の中で過ごす私に異性の容姿の良し悪しはあまり分からない。でも、フローは姉以上に綺麗な人に見えてしまう。青みがかった銀髪を首から尻尾みたいに垂らしているのは可愛いけど、長い睫毛に縁取られた深緑色の瞳はとっても綺麗。いつも、私を優しげに見つめて来るから余計そう見えるのかも。
フローが何者で、何故あの日私の前に現れたか――。聞いても彼は答えない。優しい瞳で見つめるだけ。その内私も聞かなくなった。正規の手続きを経て公爵邸に入っている訳でもなさそうだしね。
本をフローが閉じ、頭にフローの顎が乗った。
「ねえ、ぼくに構ってよ」
「フローはそればっかりね。普段は何をしている人なの?」
「うん? アーシェに会いに来る事だけを考えてる」
「答えになってない。じゃあ、何処に住んでるの?」
「内緒」
「12年の付き合いになるのに?」
「うん。ああ、アーシェももう16歳なんだね。この国は、令嬢は16歳から結婚が可能になるんだっけ」
「そうだよ。私には縁のない話だけどね」
姉には幼少の頃から婚約者がいる。この国の第一王子。定期的に姉に会いに来ているらしいが、私は一度も会った事がない。普段から、屋敷の離れで暮らしているから会う必要もないか。フローが人の頭に頬擦りをする。花の香りがするとうっとりとした声で言われ、頬に熱が集中する。離れに世話係はいないが、最低限の設備だけは整っている。実を言うと、私の身の回りの物や食事は全てフローが用意してくれている。使用人達に完全に放置されてはいないと言ったが、殆どが小さなパン一個だったり水だけだったりする。
洗髪剤はフローがくれた花の香りがする物。容器も桃色の可愛い瓶でお気に入り。
「ねえ、フロー」
「うん?」
「両親や姉もだけど、誰も思わないのかしら。私がどうやって生活しているのか」
「ふふ。ねえ、アーシェ。愛の反対は無関心なんだ。関心がないから、好きにも嫌いにもならない。彼等はアーシェに何一つ関心がない。きっと、アーシェがいなくなっても気にしないよ。そんな存在がどうやって生活をしているか、なんて彼等が気にすると思う?」
「……思わない」
「でしょう? なら、アーシェも気にしない。アーシェはぼくだけを気にしていれば良いんだよ」
綺麗な顔して言っている言葉はかなり酷い。家族に対し、愛を求めるのはとうの昔に諦めたと言えどやっぱりきつい。が、寂しいと感じない。私にはフローがいる。フローの深緑色の瞳が妖艶に揺れる。
「……フロー?」
「うん? なあに」
「今、昼」
「そうだね。後、外だね」
「……夜まで待って」
「寝室まで運んであげるから、今シよう」
「ええ……」
欲情した深緑色の瞳に見下ろされ、嫌な予感がしたが的中してしまった。15歳になった時から毎日フローに抱かれる様になった。真綿に優しく包み込むように触れてくれるが、如何せん回数が多い。私が無理と訴えてもフローは止めてくれない。時間も朝もあれば、夜もある。要はフローがシたくなったらする。
本は取り上げられ、軽々と私をお姫様抱っこをして離れにある寝室まで運んだ。本はぽいっと床に捨て、大きい寝台に寝かされた。
私の上に覆い被さったフローの唇が額に、頬に、鼻頭に、最後に唇に触れる。啄むキスを繰り返していると舌を入れる深いキスになった。フローの手はドレスを丁寧に脱がしていく。
「ん……んう……」
「ん……アーシェ……」
「ふ……ろー……」
「どうしよう、可愛いよアーシェ」
「私の事、そう言うのフローだけだよ……」
「うん。ぼくだけで十分だ。君はぼくの大事な…………だから」
大事なからフローの声を聞き取れなかった。何て言ったの? と聞いても内緒とまた口付けられた。キスは深さと激しさが増し、ドレスも完全に脱がされ生まれたままの姿にされた。
「ぼくの可愛いアーシェ。ぼくに溺れる声を聞かせて?」
◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇
――昼間から行われた行為が終わった頃には、外の姿はすっかりと変わってしまっていた。青空は深く濃い夜空へと変化していた。
今日のフローは何時にも増して回数が多かった。後、ちょっと激しかった。終わった後、事後処理をして私の隣に寝そべるフローの手が私の銀髪を撫でていた。
「アーシェの銀髪は何時見ても綺麗だね」
「フローが手入れしてくれているから。私一人だったら、毎日ボサボサだったよ」
「ふふ。本当に酷いね、この屋敷の住民は。普通は最低限の世話はするものだけどね」
「主人に愛されていない私に愛想を振り撒いても無駄って分かってるからよ。仕事を増やしたくないのもあると思う」
「疑問に思わないのも変な話だ。掃除も、身の回りの世話もしに来ないのに、離れが荒れない事に誰も何も思わない」
「……私自身に原因があるのよ」
「アーシェに?」
幼少の頃の私は、両親の関心を自分に向けようと必死だった。態と目の前で転んで怪我をしたり、風邪を引いたと仮病を使ったり、これが欲しいあれが欲しいと我儘を言ったり。元から、姉みたいな可愛さがない地味な私に興味がない両親には、それらが原因で嫌われてしまった。以降は何をしても一切の反応も示して貰えず、離れまで追いやられた。姉についてはどうとも思わない。羨ましいな、と思っただけ。というか、姉は私の存在を知っているのだろうか。言葉を交わした記憶も、会った記憶すらほぼない。
フローがいてくれなかったら、今頃私はどうなっていただろうか。
「アーシェ」
不意にフローに名前を呼ばれた。なに、と返事をしたらキスをされた。触れるだけの優しいキス。
「ぼくと一緒にいる時に余計な事は考えてはいけない」
「考えてないわ」
「いいや、ぼくはアーシェの事なら何だって分かるんだよ? 幼い頃の自分を思い出していたね?」
「う……うん」
バレてた……。
「君にとっては不幸かもしれないよ? でも、ぼくがいる。ぼくがいるから、アーシェは一人じゃないよ」
「うん。フローがいるから、こうやって生きていけるもの」
「素直な子は好きだよ」
ふふ、と微笑するとじゃれる様にキスの雨を降らせるフローの唇を甘んじて受けた。触れられるだけで身に一杯の幸福が貯まる。もっと欲しいよ。幸福という名の海に溺れて、二度と這い上がれなくしてよフロー。そうすれば、より一層私は貴方無しではいられなくなる。
フローの首に両腕を回して抱き付いた。フローも私を抱き締めてくれた。互いの舌を絡ませ、キスを続けた。
◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇
――一ヶ月後。
相変わらずな日々を送るわたしと相変わらず何処からやって来るのか不明なフローは、離れの庭でのんびりと日光浴をしていた。程良い気温にお日様に当たって日光浴……最高だ。幸せだ。隣にはフローがいるから、尚の事良し。手を握ってお互いに凭れる。深緑色の瞳と目が合った。
「ふふ」
「なあに。ぼくの顔に何か付いてる?」
「ううん。フローと何でもない時間を過ごすのが幸せで笑っちゃったの」
「そう。良かった。ぼくも幸せだよ。ねえアーシェ。アーシェは“妖精”って知ってる?」
「知ってるよ」
寧ろ、この国で妖精を知らない人はいない。
妖精とは、魔力を持った人智を越えた超越的存在。人間では決して扱えない魔法を駆使する妖精を人間は恐れている。人間離れした美貌と身体能力を持つが、妖精の姿を知る者は人間の世界にはいないのだとか。それは、彼等が圧倒的力を有しているから。無力に等しい人間の前には殆ど姿を見せない。
但し、稀にこんな事件が起こる。
「なら、“妖精隠し”も知っているね?」
「うん。確か、人間の女の子を妖精が誘拐するんだよね」
稀に妖精が人間の少女を誘拐する事件が起こる。誘拐される少女は大体決まっている。権力があり、見目麗しく、生娘な少女だけ。誘拐された現場には、決まって妖精の手紙が残される。
[この人間は貰い受ける。飽きたらまた人間界に戻してやる]
そう書かれた手紙の通り、数年後誘拐された少女はその家に突然戻される。……でも、全部が生気を失った酷い状態なのだとか。
高位貴族の容姿が美しい娘を持つ家は毎日怯えている。何時、何処で自分の娘が妖精に拐われるか分からないから。あの両親も多分例外ではない。姉を外へ決して出そうとしない上、身辺には常に厳重な警備体制を敷いている。窮屈な生活を強制させる代わりに何でもお願いを聞いてもいる。
婚約者の第一王子が定期的に姉を訪ねるのも姉の無事を確認する為っぽいね。
「アーシェは妖精が怖い?」
「そりゃあ、怖いわ。無理矢理誘拐されて、人間の世界に戻されても酷い状態になるもの。出来れば、会いたくない」
「そうだね。普通はそうだ。でも、知ってた? 中には、時間を掛けて人間の少女を自分好みの子にする妖精もいるんだよ」
……ん? どうしてフローはそんな話を知っているの?
疑問が顔に出ていたのか、可愛いと頬にキスをしたフローがとんでもない事を言い出した。
「例えば、ぼく、とかね」
「え……」
「ふふ……可愛いアーシェ。ぼくは、君が生まれた時から目を付けていたんだ。ぼく達妖精に似た髪の色、純粋な黒い瞳が――無性に欲しくなった」
「……」
何も言えない。
でも、不思議と納得出来てしまう。
フローはいつも突然現れて、突然姿を消す。
私のお世話をしてくれるけど、離れに来ない使用人も両親も誰一人疑問に思わない。私がどうやって生活をしているか、離れが荒れていない訳を。……それ以前に、私が生きている事すら覚えているかなレベルである。
私はとある疑問をフローに問うた。
「フロー。私が……両親や使用人に無視をされるのは……フローのせいなの?」
フローは私が欲しいと言った。妖精で、魔法が使えるフローなら、彼等の私に対する関心を消せる。
「そうだと言ったら?」
ああ……やっぱり。普通は怒りを覚えるのだろうけど、全然ない。
「悪いと思ってる?」
「いいや? 全然。だって、妖精世界に連れ帰った時、ずっと人間界に帰りたい帰りたいって泣かれるのも困るからね。でもね、アーシェ。ぼくはアーシェに惜しみ無い愛情を注いできたつもりだよ。妖精世界に連れ帰っても、今の様に大事にすると誓おう」
私を妖精の世界へ連れ去る為に両親や使用人達からの関心を奪ったフロー。悪気もなく微笑むその顔に、やはり怒りも殺意も沸かない。12年間フローに身も心も愛され続け、貪り続けた私はフローがいなくなると生きていけない。そうなる様に仕向けたのもフロー。
「アーシェ……」
「んん……フロー……」
優しい口付けが降ってきた。キスだけで溢れんばかりの愛情が注がれる。酷い人、ううん、酷い妖精だと思う。私を手に入れる為に本来愛してくれる筈だった人達からの関心を奪い、自分無しでは生きれなくした。長いキスを終えるとフローは額をこつんと合わせた。
「“妖精世界”に行ったら、すぐに結婚式を挙げよう。アーシェには、真っ白なドレスが似合う」
「んう。なら、装飾品はフローの瞳の色と同じのがいい」
「ふふ。いいよ。人間の男は、大事な女性には自分の目や髪の色と同じ贈り物をするんだっけ」
自分の色を相手に贈るのは、相手が自分の物だと主張する為。妖精には、そんな習慣ないのかな。フローに思った疑問をそのまま訊ねると「ないね」と返された。ないんだ。
「妖精は、気に入った相手に印を付けるんだ」
「印?」
「そう。アーシェにも、結婚式を挙げたら付けてあげるよ。印を付けるとね、付けた妖精以外には触れられなくなる。自分だけの物。アーシェはどんな印がいい?」
「フローの好きにして。あ、でも、色はフローの瞳の色と一緒がいい」
「可愛いなあ、アーシェ。明日にでも“妖精世界”に連れて帰るよ。住む場所の心配はしなくてもいいよ。ずっと前から、準備はしていたから。ああ、早く明日になってほしいよアーシェ」
「んっ!」
喜びに浸るフローから受けた熱烈なキス。受け止めても勢いは無くならず、抱かれはしなかったがキスだけで私は感じまくりです……。
……“妖精世界”、か。どんな所、なのかな。フローの様子からして、稀に誘拐され戻される少女達と違って大切にはしてくれそうだけど、心の何処かではちょっと不安を抱いていた。キスをされながら、明日からの不安を考えていたらフローが拗ねた声色を発した。
「アーシェ……ぼくだけを考えて。他の妖精の様にぼくはアーシェを酷くしない。永遠に幸せにするから、不安にならないで。ぼくの可愛いアーシェ。――愛しているよ」
初めて囁かれた愛の台詞。何度も可愛いと誉めてくれても愛の言葉だけはくれなかった。欲しいと強く願った事はないけど、フローの声で愛していると言われた瞬間――言葉では表現出来ない喜びが私の胸に生まれた。
私を欲した妖精のせいで、本来得る筈だった愛を得られなかった代わりに。
「さあ、アーシェ。行こう」
「うん」
深く、決して逃げられない愛の檻に私を閉じ込めた妖精に永遠に愛される事となった。
フローに負の感情を一切抱いていない私は気付かなかった。
フローの手を取り、“妖精世界”に足を踏み入れた時――……歪に口端を吊り上げ嗤うフローに……。
○●○●○●
――“妖精世界”の王子である僕が人間の少女アーシェを花嫁として連れ帰り、直ぐに盛大な結婚式を挙げた。16年前、生まれたばかりのアーシェの清廉な魂を欲し目を付け、見守っている内にその身すらも欲しくなった。姉にばかり構う両親の関心を引こうと悪戯ばかりする様になったのを好機に、公爵家全体にアーシェへの関心を無くす魔法を掛けた。困った子と苦笑していたアーシェの両親の中から、もう一人の娘への愛と関心は消え去った。使用人達もまた、主人に愛されない出来損ないの娘の世話をするのを嫌がり、最低限も怪しい世話しかしなくなった。当然、そんな状態が続けばアーシェは死んでしまう。
「ふふ。16歳になるまで、待った甲斐があったよ」
アーシェを連れ帰ってから既に二ヶ月は経った。“人間界”であるアーシェの生家は二ヶ月前から大騒ぎとなっている。
ぼくが12年前かけた魔法は、アーシェを連れ帰った際に解いた。ぼくが掛けたのは、アーシェの存在に関心を無くすだけの魔法。妖精にしたら、難しくもなく魔力量が多ければ広範囲に渡って掛けられる。彼等はきっと驚いた事だろうね。4歳の頃からその存在を無理矢理消され、今になって膨大な情報量が頭に流れ込み慌ててアーシェの姿を確認しに屋敷の離れへ向かった。無人となった部屋には何もない。ぼくが与えたアーシェの服も髪飾りも本も……何もかも持って来たからね。
公爵夫妻には感謝している。可愛いアーシェを生んでくれてありがとう。お陰でぼくはアーシェを妻にし、アーシェも家族に愛されない代わりにぼくに惜しみ無い愛を貰って幸せになった。君達は、可愛い最初の娘が残った。
「んっ……フロー……」
「アーシェ……今日は眠りなさい。疲れたでしょう?」
「私が疲れたのは、フローのせいだよ」
「そうだね。ぼくのせいだね。なら、お詫びに眠りの魔法を掛けてあげるよ。いい夢を見るんだ」
ついさっきまで抱いていたアーシェの身体を綺麗にして、風邪を引かないよう服を着させた。微睡むアーシェの額にキスをし、安眠出来る眠りの魔法をかけた。安心した寝息を立てるアーシェの銀髪を一撫でして寝台から降りた。上下するアーシェの心臓には、ぼくの物である印を付けた。“妖精世界”に連れ帰る前にアーシェが希望した通り、色はぼくの瞳の色。姿は無数の荊に縛られた天使の絵。悪趣味と口を尖らせていたアーシェは可愛かった。仕方ないじゃないか。妖精は悪趣味なんだから。
“人間世界”で気に入った娘がいれば無理矢理連れて帰り、精神が崩壊するまで愛でた後は再び“人間世界”へ戻す。中には面倒臭がって奴隷へ落とす者もいる。ぼくみたいに、生まれたばかりの赤子に惚れて長い年月を掛けて外堀を埋める真似をする物好きはない。面倒だからね。妖精は面倒臭がりだから。
寝室のバルコニーに出た。深海を映す夜空は揺れ、光はない。ああ、“人間世界”で見た満月は綺麗だったな。此処に満月はない。星もない。光がない夜空。向こうも綺麗で好きだけど、故郷の夜空が好きだな。アーシェは怖いと言うけど何時か慣れるよ。永遠にぼくと生き続けるのだから。
ぼくは夜空に手を伸ばして魔力を放った。大きく揺れた夜空に向こうの世界が映し出された。プラチナブロンドのふんわりとした長い髪にサファイアブルーの瞳の少女が暗い憂鬱とした表情でアーシェのいた部屋でぼんやりとしていた。彼女はアーシェの姉アリエッタ。誰からも愛される少女。きっと彼女は、自分こそが妖精に連れ去られると思って生きて来たんだろう。現に姿と気配を消して本邸の様子を見に行く時、常に怯えていた。婚約者の王子が側にいても。
妹の存在を思い出してからずっとああだ。アリエッタの中にも妹を想う気持ちはあった。当時は悪戯ばかりをするお転婆な妹という感情。転んで膝を怪我したアーシェを「もう、お転婆さんなんだから」と苦笑して手当てをしてあげていた。アーシェも姉に手当てをしてもらって喜んでいた。
今となっては過去の記憶。アーシェの記憶に姉に怪我をして手当てをしてもらった記憶はない。何故なら、不要だからさ。ぼくを見てくれるように家族との良い思い出は全部消した。
呆然とするアリエッタに言ってあげたい。
「誰か一言でも、君を連れ去ると言ったのかな」
お詫びとして書き置きを残しておいた。そこにはこう書いた。
[ぼくの為にアーシェを生んでくれてありがとう。お詫びとして、君達にかけたアーシェに関心がなくなる魔法は解いてあげた。また、君達の一番の可愛い愛娘が妖精に目を付けられない様に“守護”を付加してあげた。これでその娘は妖精に拐かされる心配はない。安心して暮らすといい。――“妖精世界”第一王子フローディン=イヴ=アストラル――]
親切に置き手紙を残す必要も、態々アリエッタに“守護”を付加する必要もなかった。他の妖精にはちょっと恨めしい眼を向けられた。アリエッタに目を付けていた妖精は大勢いた。ただ、その妹にご執心なぼくの怒りを買うのは嫌だったみたいで、ぼくがアーシェを連れ去ってからアリエッタを頂戴しようと画策していたらしい。
はは、馬鹿だよねえ。
「うん?」
映像が変わった。次は、ベッドに伏せて酷く痩せこけた公爵夫人の姿が映った。側には公爵がいる。彼も夫人並に窶れていた。愛情を持っていたのに妖精のぼくによってアーシェへの愛情を奪われ、終いには“妖精隠し”に遭わせてしまった。額に両手を当て懺悔する姿は実に滑稽だ。魔法で踊らされ、愛していたもう一人の娘を気付かない間に連れ去られてしまった。
使用人達は戸惑った事だろう。ずっと放置していた娘の存在を急に思い出した挙げ句、廃人同然となった公爵夫妻と娘に。
公爵夫妻にも、アリエッタにも罪悪感はない。アーシェには少なからずある。得る筈だった両親からの愛を、姉からの愛をぼくのせいで受けられなかった可愛そうなアーシェ。
でも、君も分かってるでしょう? 愛されなかった分、ぼくがどれだけ深く君を愛しているか。
部屋に戻り、規則正しい寝息を立てて眠るアーシェのお腹に手を当てた。まだぺったんこで中に命は宿っていない。父と母には、早く子を作れと急かされている。長い間好き放題やらせてやったのだから、早く王位を継いで子を作れ、と。王位を継ぐのはまだ先だ。折角の新婚なのに、早々に王位を継いだらアーシェといちゃつけない。子供だってそうだ。まだまだアーシェを独占していたい。子供が出来たら、暫くアーシェを抱けなくなる上に世話にかかりきりになってぼくとの時間が減ってしまう。
嫌だ。
「ぼくだけのアーシェ。妖精に気に入られてしまった為に連れ去られてしまった可哀想なアーシェ。永遠に愛してあげるから、ぼくだけを見て生きてね」
「ん……フロー……」
夢の中でもぼくを呼んでくれるなんて嬉しいな。手を伸ばして迷子の子の困った顔をしたアーシェの手を握ったら、安堵した表情になりぼくの名を紡いだ。
ねえ、アーシェ。
――明日は何をして過ごそうか?
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