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嫁入り②
しおりを挟む貴族の結婚というのはかなりの期間を要した準備が必要だと聞いていたが、レインリリーが婚約者のクレオンに嫁入りすると決まったのは先週。無論準備等何もしていない。その辺りは父親が何かしらの準備だけはしてくれているだろうと、ひよこ豆くらいに期待はしていいのだろうか。
目の前に立ったクレオンに取り敢えず挨拶だけはした。心の籠っていない棒読みではあるがしなかったら近くにいる父親がうるさい。案の定、麗しいクレオンの眉間には更なる皺が寄った。若い内から皺を寄せていると癖になって治らない、肌にくっきりと皺が残るぞと言いたい。不老でも外見維持にはアーラスと競って力を入れていた。
「遅れた理由を聞いても?」
「さあ、私がクレオン様が来たと知ったのはこの部屋に入ってからなので」
「何故此処に?」
「お父様にお願いがあって来ただけです」
「お前のお願いなど知るか。クレオン様を待たせおって」
「ですから、私がクレオン様が来たと知ったのはこの部屋に入ってからです。誰も報せに来てはいないですよ」
本当なのにクレオンも父も信じない。父はいい。嫌っている娘の言葉は一から百まで否定しないと気が済まない人だから。クレオンに至っては、ニコルや後妻エヴァが社交界でばら撒く噂をすっかり信じ込んでおりレインリリーを嫌っている。知らないと言ってもクレオンはまるで信じていない。
「何故その様な嘘を? 確かに侍女が君を呼んで来ると言ったのを僕は見た」
「見た、だけでしょう? その後、確実に私の部屋に来ていた場面までは見ていないでしょう?」
「……」
黙る、という事はそういう事で。婚約者の家だからと、侍女の後を追う者もいないか。
「もういいレインリリー」
話を無理矢理終わらせたい父は五日後嫁入りする際に必要な書類にサインしろと迫った。
ほんの一瞬で詠唱を唱え、書類にサインする文字に魔法を込めた。レインリリーが書き終えると書類はクレオンが持って行った。婚姻届けなのは間違いない。相手の欄にクレオンの名前もあった。
途中、執事が父に呼びに来る。父が退室するとクレオンは「これも」声を掛けた。
次に差し出された書類にも名前を書けとクレオンに言われた。それは離縁状。今度はレインリリーが眉間に皺を寄せた。
「これは?」
「見て分からないか?」
「分かっても意味が分からないので。婚姻届けを書いてすぐ離縁状とは?」
「僕は君と本物の夫婦になるつもりはない。君を愛する事はない。決してな」
有難い台詞だ。
レインリリーもクレオンを愛する気は全くない。
この政略結婚は両者の祖父が友人で、生まれた孫が男女だったら絶対に婚約させるという昔ながらの約束で結ばれたもの。とはいえ、レインリリーがクレオンに会ったのはニコルが来て半年後。初めて会った時は今ほど嫌われてはいなかったとは言え、お前を好きになるかという気持ちだけは伝わった。
「白い結婚をするつもりだ。三年経てば離縁する。三年間で身の振り方を考えるんだな」
「離縁されて帰る家もない貴族の娘を支援もなく外に放り出すのですか? 随分冷たいこと」
「ノーバート公爵夫人である間は好きにしてくれて構わない。買い物も好きな物があれば買えばいい。ただ、限度は守れ」
「分かりました」
レインリリーが大人しくクリスティ家にいるのも、クレオンと婚約したままでいるのもノーバート家お抱えの大商人が目当てだった。
「ただし、愛人は作るな。子供でも孕まれてもかなわん」
「そんなふしだらな真似はしません」
はっと鼻で嗤われた。
「君は見目が良ければ誰にでも体を許す女だと社交界では評判なのに?」
大層悪い評判だ。
どうせ、言い触らしているのはニコルやエヴァ。他に心当たりは、と言われるとクレオンを慕うご令嬢方くらいか。
「とにかく、三年間は公爵夫人として生活出来るんだ。寛大な僕に感謝してほしいくらいだ」
態とレインリリーの体にぶつかって出て行ったクレオン。よめろき倒れそうになったレインリリーは寸でのところで倒れずに済んだ。
「はあ」
君を愛する気はない、か。
レインリリーからも言いたい台詞だ。
父親が戻る前に部屋を出たレインリリーは、私室に戻り、未だ咳をして蹲っているクララを見つけた。側にニコルはいない。
レインリリーが戻るまでの光景を目に映した。止まらない咳をするクララを最初は心配していたニコルも、段々病気なのではと気味悪がり逃げて行った。誰かに医者を呼ぶよう手配する娘じゃない。ニコルは丁度鉢合わせたクレオンに頬を赤らめアピールをしている最中だった。
部屋に入ろうとクララの横を通り過ぎる間際、ドレスの裾を掴まれた。見下ろすと苦し気に咳をし続けるクララに助けを求められた。
はあ、と溜息を吐いた。
「ニコルと一緒になって散々馬鹿にしていた女に助けを求めるなんて厚顔無恥ね。邪魔よ」
クララの手を退け部屋に入った。嗚咽混じりに咳を続けるクララの魔法を解くとびっくりするくらい静かとなった。
「はあ」
三度目の溜め息を吐いたレインリリーは鞄一つに大事な物だけを詰め込んだ。
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