殿下が好きなのは私だった

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婚約破棄を告げられた

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 長年の婚約者ノアールと恋敵が隠れて口付けを交わしている光景を目の当たりにしてから、何時かはこうなると覚悟していた。
 王太子の部屋に通された先には、隣同士隙間なくくっ付いて座るノアールとビアンカがいた。本来なら、ノアールの隣に座るのは婚約者であるリシェル。対面で座らされた。


「リシェル。君との婚約は破棄された」


 覚悟していた。していても、心の衝撃と苦しみは襲い掛かった。ノアールにもビアンカにも感情を見せてなるものかと冷静に、冷静にと己を鼓舞するリシェルは視線を逸らさずノアールだけを見つめた。


「理由をお聞きしても?」
「知れたこと。お前よりも魔力の高いビアンカが次期魔王である俺の妻になるに相応しいからだ」
「……そうですか」


 悪魔が生きる世界――魔界。
 魔王の一人息子であり、膨大な魔力を保有するノアールの婚約者にリシェルが選ばれたのは魔力量の高さからだった。名門貴族ベルンシュタイン家の一人娘を次期魔王に嫁がせるのは、父リゼルが大反対したが魔王の補佐官を務める父は魔王に泣き付かれ相当渋々に受け入れた。
 魔界の王妃は強い魔力を持つ子を生むのが最も大事な役割。故に、日々の魔力量の増量や魔力濃度の向上、更に社交界を生き抜いていく為の術を徹底的に叩きこまれた。

 厳しい訓練に教育に何度泣きそうになったか。魔王城だろうが屋敷でだろうが泣けば父に知られて即婚約を解消されてしまう。
 初めてノアールと出会った時、リシェルは彼に恋をしてしまった。魔界の住民は魔力が強いほど美しい容姿を持つ。膨大な魔力を持って生まれたノアールも例外ではない。

 魔族の至高の色と崇拝される漆黒の髪と青味を帯びた鮮やかな今紫の瞳の美しい少年だった。父の重過ぎる愛情のせいで殆どを屋敷で過ごしてきたリシェルが他人と、まして上位の魔族と会うのは初めてだった。緊張と混乱から動けなくなったリシェルを気遣い、子供ながらにエスコートをしてくれたノアールにすっかりと心を奪われてしまった。


「殿下、嬉しいですわ。あなた様と一緒になれるなんて」
「俺もだよ、ビアンカ」


 初めは仲良く出来ていた。
 それがいつから、婚約破棄をされる程嫌われてしまったのか。

 リシェルには心当たりがない。
 段々とノアールが距離を取って、リシェルに冷たくなっていった。
 駄目な部分があるなら改善すると何度訴えてもノアールは耳を傾けてくれなかった。それどころか、憎しみの籠った目で睨まれた。

 以来、顔を合わせても睨まれ続けた。

 たおやかな声でノアールを呼び、額にキスをされるビアンカも。
 愛おしげにビアンカを見つめ、愛していると告げるノアールも。

 どちらも見ていたくない。

 小さく息を吐いたリシェルに鋭い眼光を寄越すノアールに苦笑したくなった。邪魔をしたつもりはない。しかし、彼にしたらいるだけでもう邪魔なのだろう。婚約破棄を告げた時点で彼にとってリシェルは邪魔以外何者でもない。


「承知致しました、殿下」
「そうか。分かったなら、さっさと出て行け」
「……」


 吐き捨てられた台詞が最後まで耐えようとした涙を無理矢理引き出そうとする。絶対に、絶対に、泣いてやるか。

 心とは正反対の――晴れ晴れとした笑みを見せてやった。


「…………」


 瞠目し、唖然とするノアール。内心首を傾げながらも、リシェルは紡いだ。


「さようなら」


 部屋を出て扉を閉めた瞬間――リシェルはあっという間に魔王城からベルンシュタイン邸に移動した。正確には移動させられた。

 ノアールからの呼び出しに心当たりがあったらしい父リゼルが要件が終わったらすぐに屋敷へ戻るよう条件付き転移魔法をリシェルに付与していた。

 今から部屋に戻って存分に泣こう……としたかったが無理であった。屋敷に着いて早々ノアールよりも圧倒的美貌の男性がリシェルを強く抱き締めた。甘い香水の香りを嗅いだだけで安心感から涙が溢れた。


「お帰りリシェル。辛かったね」
「うん……っ、パパ。私、殿下が、ノアール殿下が、大好きだった。でも、振られちゃったっ」
「リシェルの魅力が分からない馬鹿は放っておきなさい。魔王バカからのしつこい要請を仕方なく受けてやっただけなのをあのノアール大バカは何を勘違いしたのかね。安心しなさい、ちゃんとパパが魔王バカに始末をつけさせるから。すぐに終わらせるから、一緒に人間界へ旅行に行こう」
「補佐官の仕事はいいの……?」
「うん。いいんだよ。あの魔王バカ息子大バカのせいでおれの可愛いリシェルが傷付いたんだ。仕事を放棄するぐらいどうってことない。おれの仕事もあの魔王バカがしたらいい」


 上司を大事にせず、溜まっていく仕事に少しでも遅れが生じると痛めつける補佐官は魔界中探しても父だけである。現在の魔王は相応しい魔力を保有しているものの、情けなさが目立つ。本来なら娘と仲良く領地で暮らそうとしていたリゼルを泣き落としで首都に留まらせた。

 良い子、良い子、と頭を撫でられるリシェルはリゼルが気が済むまでこのままでいた。

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