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ゆっくりでいい➅
しおりを挟む屋敷に戻った私は丁度部屋から出てきたお姉様と会い、一緒に庭でお茶をしましょうと誘われ再び外へ出た。陛下とベルローズ公爵様の話が長引いていたのは、やはり王位を退きたくない陛下の粘りがあったからで。なるべく穏便に事を済ませたかったらしいベルローズ公爵様は、最後話が長引き面倒になったからと半ば脅迫に近い形で五日後王太子夫妻が新婚旅行から戻ったら手続きを始めると合意を取った。どの様な手段を用いたか不明だが、ベルローズ公爵様の清々しい笑みを見たカリアス様は「お気の毒に、陛下……」と遠い目をしていたので私は何も言わなかった。
王城であった話をお姉様に話し終えると「はあ……」と深い溜め息を吐かれた。
「グレン様と王女殿下にはお気の毒だけど、これで良かったのよ」
「お気の毒?」
「ああ、こっちの話。ロリーナはカリアス様との婚約を受けたのね」
「はい。グレン様のように好きになれるかはまだ分かりません……」
「無理に好きになる必要はないわ。カリアス様はカリアス様で好きになっていけばいいのよ」
カリアス様はカリアス様で、か。お姉様の言う通りだ。同じように好きになる必要はないんだ。
そう思うと心が軽くなった。
「ロリーナがグレン様の頬を引っ叩く場面は見て見たかったわ」
「あの時はあまりに腹が立ってしまって……けど、後悔はありません」
「それでいいのよ」
庭で準備されたテーブル席に座り、私達が好物としているお茶と菓子が並べられていく。どの菓子を食べようかと選んでいると邸内から騒ぎ声が届いた。何だろうと顔を向けると数人の使用人に体を押さえられた侍女がお姉様の前に突き出された。彼女は……いつも私がお姉様といると不満げに睨んでくる侍女だ。
彼女が何をしたのかとお姉様を見れば、涼し気に紅茶を啜っている。侍女を一瞥するなりティーカップをソーサーに置いた。
「さっさとカラー侯爵家の敷地内から追い出してちょうだい」
「お、お待ちください! セレーネ様どうか、ご慈悲を……!」
「あら? わたくしの可愛い妹のドレスを台無しにした王女の駒はよく吠えること」
「え!?」
ドレスを台無しに……という言葉で、『花祭り』当日私が着ていく筈だったグレン様から贈られたドレスが浮かぶ。珈琲が掛けられたあのドレスは染み抜きをしても微かな茶色が残り結局使い物にならなくなった。デザインが私好みで着てみたかったドレスを彼女が……? それも王女の駒とはどういう事なのだろう。お姉様に訊ねると、彼女は最初から王女の指示によりカラー侯爵家の侍女として入ったそうな。
「お父様は知り合いの家のご令嬢だからと雇ったのだけど、実際は王女の取り巻きの一人でグレン様と婚約したロリーナの情報を定期的に送っては、王女が話を捏造してグレン様に聞かせ続けていたの。この前のドレスは彼女が独断でやった事みたいだけど」
「そんな……」
「お前達、連れて行きなさい。それと彼女の家には既にお父様から連絡が行っているわ」
既に実家に話がいっていると知った侍女はこの世の終わりのような顔になり、引き摺られていくと大きな声でお姉様に慈悲を求める。が、変わらず涼しい顔で紅茶を啜るだけのお姉様は一瞥すら寄越さなかった。侍女の声が消えると菓子に手を伸ばした。しっとりとした食感のクッキーはお姉様の好物で、私は固めの食感がサクサクとしているのが好きだ。お互いお気に入りのクッキーを選んだところで執事がやって来て。
「セレーネお嬢様、件の者を馬車に入れました」
「ありがとう。これでロリーナに下らない嫌がらせをする者はいなくなるわね」
「お姉様、ありがとうございます」
「いいのよ。ふう、これで安心出来るわね」
グレン様との婚約もなくなり、私に悪意を持つ侍女もいなくなった。肩の力を抜いたお姉様と目が合う。
「カリアス様に綺麗なドレスをおねだりしちゃいなさいな、きっと張り切って用意してくれるわ」
「い、いえ、そういう訳には。まだきちんと婚約したわけではありませんし」
「どうせ、すぐに調うわ」
お姉様の言う通り、私とカリアス様の婚約は王太子夫妻が戻った三日後に成立した。その頃には、クリスタベル殿下とグレン様の婚約が成立していた。虫に追われ、異性に追われ、心身共に休めない王女殿下は王家が所有する田舎の領地で療養することになったと発表された。婚約者であるグレン様も共に向かった。王女の不幸を嘆いてばかりで公務に身が入らない為、王妃殿下も田舎の領地で療養が決まった。王太子夫妻がいれば安心だと、国王陛下は近々退位が決まり、領地へ行く事が決まった。
陛下の退位に反対した貴族は王妃殿下の生家やほんの一部の貴族のみ、他多数の貴族は賛成した。賛成の筆頭がベルローズ公爵家やカラー侯爵家、おまけにシュタイン公爵家がいたので反対派は黙るしかなかった。
跡取りであるグレン様を手放したシュタイン家は、公爵の弟の伯爵の息子が養子になり跡を継ぐこととなった。年齢は六歳。これから跡取り教育を始めるのなら十分な年齢だ。
私はカリアス様と一年の婚約期間を経て結婚する事が決まった。顔馴染みとはいえ、私はグレン様の従兄、カリアス様は従弟の婚約者としてしか会っていなかったのでお互いを知ると言う期間が必要だとお父様がベルローズ公爵様を説得してくださった。カリアス様やカレンデュラ様は今すぐにでも私が嫁いで来ても問題はないと仰って下さったが念には念をであるし、お父様の配慮は嬉しかった。顔には滅多に出さないがお父様がお姉様同様に私を大事にして下さっている気持ちは伝わっている。お義母様も私に遠慮している部分は多いが、嫁入り道具や花嫁衣裳、更にカリアス様との話をいつも聞いてくださる。
お姉様とロードナイト殿下の結婚式は半年後と決まった。新たな国王の即位で忙しそうに駆け回りながらも、落ち着くタイミングを見計らっての日取りとなる。
「なんだか、上手く事が運び過ぎて少し怖いくらい……」
「そうかな? 僕は回るように回っているだけとしか思ってないな」
今日はベルローズ公爵家でカリアス様とお茶をする約束をしており、訪問するとカリアス様が出迎えて下さった。カレンデュラ様は公爵様と留守のようで、私が来たら渡してほしいと頼まれていた絵画をカリアス様に渡された。
「綺麗……」
描かれているのは羽が生えた小さな妖精達が持っている壺の水を与えられ、優雅に踊る私に似た女性。もしかして……と呟くと「君の亡くなった母君だよ」とカリアス様が告げた。
自由に、優雅に踊る母を描いたのはなんとカレンデュラ様本人。絵を描くのが得意なのは初めて知った。カリアス様もこの絵を描いた人を聞いて初めて知ったほど。隠していたつもりはなく、暇な時は筆を持っていると言われたらしいがカレンデュラ様が筆を握っている所を一度も見ていないのだとか。
もう何十年も前に描いたそうだが、私にとったら生まれて初めて見た実の母。義母が成長するにつれ母に似ていく私を複雑な目で見ていた理由が解った。それだけそっくりなのだ。瞳の色はお父様譲りでも他は亡き母と同じ。
「頂いても良いのですか?」
「勿論。君に渡してほしいと頼まれたものだから」
「ありがとうございます! ずっと、大切にします!」
「そう言ってもらえて僕も嬉しいよ」
亡き母が描かれた絵画は一旦使用人に預かってもらい、私達はサロンへと向かった。
「ロードナイト殿下から王女殿下やグレンの話を聞いた?」
「いえ、殿下は気を遣ってクリスタベル殿下やグレン様の話が私の耳に入らないよう配慮してくださっています」
「そうか……」
あの二人に何があろうともう私には無関係だ。君が気にしないのなら、僕も言わないとはカリアス様の台詞。
ふと、ある事が浮かんだ。
「グレン様は私を気にしているとか、ですか……?」
「ああ。王家が所有する領地に行くなり、君に会わせてほしいと先王陛下夫妻や護衛の騎士達に叫び出してね。王女殿下も領地に着いた途端、大量の虫に追われた挙句、グレンがそんな感じだから発狂して部屋から一歩も出て来れなくなった」
「……」
……聞かない方が良かった?
グレン様にどんな心境の変化があったによせ、私とはもう無関係。
私はカリアス様と一緒にいてとても幸せなのでお構いなくと手紙を出したくなった。クリスタベル殿下についてはお気の毒としか言いようがない。妖精のミツバチさん達のハチミツの効果はもう暫く消えそうにない。消えてもその時殿下の精神が保っていられるか不明とのこと。
「グレン様も時が過ぎれば、落ち着きを取り戻して以前のようにクリスタベル殿下の事を見続ける筈です」
「そうなるといいね。さあ、僕達もこれからの事を話そう」
「はい、カリアス様」
グレン様、貴方は貴方で幸せになってください。
私は私で、幸せになりますから――。
〇●〇●〇●
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