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私が馬鹿だった
しおりを挟む不意に意識が浮上し、目を開けた。窓から差し込む陽光が今を朝だと報せる。もう朝なのか。上体を起こして暫し動かない。眠気が消えたかな、のタイミングで侍女が入った。朝の行動はまず洗顔から始まる。
王都で流行りの洗顔料を使い、そこからスキンケアをし、化粧台の前に座って侍女に髪を梳いてもらう。
「今日はどのような髪形に?」
「そうねえ……」
グレン様と最初の最後の思い出になるのだ。今日くらい、自分の好きな髪形にさせてもらおう。左側の髪を一房三つ編みにしてもらい、桃色のリボンで縛った。桃色は私の亡き母が好きだった色だとお義母様が教えてくれた。
妖精も来ると言っていたがどの様に来るかまでは分からないので、現地に着いてからの楽しみにしよう。
グレン様が贈ってくれたドレスは朝食を食べ終えてからにした。
髪のセットを終えて食堂に向かいましょうと侍女に声を掛けた時、慌てた様子でお姉様がやって来た。普段冷静なお姉様が珍しい。余程の事だと身構えると信じられない話を聞かされた。急いで私の衣装部屋に向かうと、数人の侍女が何かを囲って呆然と見ている。部屋に通してもらい、私も呆然となった。
「これってグレン様が贈ってくれたドレスですよね……」
「ええ……」
隣に来たお姉様に確認をすると頷かれてしまった。心のどこかでは違ってほしいと願った。薄い紫色のドレスはフリルとリボンが付いて少々子供っぽいが私の好みに合わせて作られていてとても可愛い。……のに、肝心のドレスに茶色い染みがあった。微かに香るのは珈琲。
「誰かが意図的に珈琲を掛けたのね」
「一体誰が……」
「……推測でしかないからまだ言えないけど、心当たりならある」
「え」
難しい顔をするお姉様に相手の名を訊ねるも、首を振られた。ただ、私にも考えれば分かる人だと。
「取り敢えず、替えのドレスにしましょう。元々着ていく予定のドレスってあった?」
「あ、は、はい。ワンピースを着ていこうと」
当初着る予定だったワンピースを見せた。それはお義母様がお出掛けの際に着たらいいと少し前にプレゼントしてくれた。イエローの長袖のワンピースで、スカート部分に白い花の刺繍、袖や裾にはレースがある。靴や鞄はドレスに合わせてデザインされており、他の物では浮いてしまう。
誰がやったにせよ、このドレスはもう使えない。グレン様が迎えに着たら真っ先に謝ろう。
「雲行きが怪しくて嫌な予感がします」
「同感。グレン様怒るでしょうがきちんと理由を話すのよ」
「はい」
まあ、怒るだろうな……。
――朝食を終え、暫くゆっくりしているとグレン様は迎えに来てくれた。案の定、私が贈ったドレスを着ていない事に苛立たせてしまった。顔を険しくし、ドレスの理由を聞かれたので包み隠さず話した。信じてもらえないといけないから、侍女にお願いして珈琲を掛けられたドレスを見せた。顔を顰めたグレン様に心当たりはありますか、と訊ねた。
「そんなもの、あるわけないだろう」
「そうですか……」
お姉様はあるみたいだから、もう一度聞いてみよう。私が考えたら分かる相手というのも気になる。
「……そのワンピースは?」
「お義母様がプレゼントしてくださいました」
「……そうか。行こう」
すっと手を差し出された。
態度も声も冷たいのに、こうしたエスコート等はいつもする。変に律儀な方だ。グレン様の手を取ってシュタイン公爵家の家紋が刻まれた馬車に乗り込んだ。普段なら向かい同士で座るのに今日に限って隣に座った。
「どうしたのです?」と不思議に思っても「……何だっていいだろう」と素っ気なく返され、グレン様は窓を見たまま此方を見ようとしない。
理由は不明にせよ、折角贈ったドレスが台無しになった事に腹を立てているのだろう。
気まずい馬車内。忘れていた事があると思い出した私はグレン様を呼んだ、チラリと此方を見たグレン様にお礼を述べた。
「ありがとうございます。あのドレス、とても可愛らしいデザインで着てみたかったです」
「…………気に入ったのなら良かった」
窓を見たままで愛想ない返事。機嫌が悪いのは仕方ないにしても、少しくらいこっちを見てくれてもいいのに。思い出作りはやっぱり難しいのかもしれない。
会話は続かず、無言のまま馬車は広場に到着した。先に降りたグレン様の手を取って降りる。周りには恋人達や家族連れが大勢いて、多数の露店が既に開店しており様々な店に行列が出来上がっていた。
「どこか行きたい場所はあるか?」
「それなら――」
「グレンじゃない!」
この声は……!
嫌な予感がしてならない。外れてほしい予想は普通に当たった。三人の護衛を引き連れたクリスタベル殿下がお忍びの姿で私達の許に。ご挨拶申し上げると愛らしい相貌が珍しいと私とグレン様を見ていた。
「グレンやロリーナ様も来ていたのね。てっきり、別々で来るものだと思っていたわ」
「婚約者なんだ、一緒に来て当たり前だろう」
……それも今日まで。
改めて思い知った。グレン様はやっぱりクリスタベル殿下が好きなのだと。慈しみのある瞳や親しげな声色。殿下といる姿は様になっており、私は場違いな場所にいると錯覚してしまう。
二人話に夢中になり私の事なんて眼中にない。護衛の騎士から突き刺さる視線が痛い。邪魔だと言われてるみたいで居たたまれない。
どうせいなくなったってクリスタベル殿下に夢中なグレン様は気付かない……そっと離れようとすると「ロリーナ」……気付かれた。
「待て、何処へ行く」
「グレン様と殿下の邪魔をしては悪いので私はお店を見て回りますわ」
「全く、可愛いげないな君は」
カチンときた私は短気なんだろうか。
「そうですね。私は全然可愛くありません。なので婚約解消のお話はこのまま進めさせて頂きます!」
「な、そんな勝手認められると思うのか!?」
「拒否しているのはグレン様だけですから。どうぞ、可愛いげのない私は二度とグレン様の前に姿を見せませんので!」
キョトンとするクリスタベル殿下や周章するグレン様を置いて人混みに紛れた。
ちょっとでも期待した私が馬鹿だったのだ。でもこれで婚約解消の話をお父様に進めてもらえる。
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