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38話
しおりを挟む重たい雰囲気のまま、貴族牢を後にした。扉が閉められてもメルを呼び続けるプリムローズの声が小さく届く。防音性はどうなっているんだと言いたげな半眼でメルは扉を睨みつつ、遅れて部屋から出たエドアルトへ言葉を投げかけた。
「……プリムローズだけは助けるのか?」
異母妹と知っていたであろうエドアルトにとってこの問いはどんなものかとメルは解しており、どの様な返答をされるか興味があった。暫し無言を貫いたエドアルトは徐に口を開くと「しない」ときっぱりと言い放った。
「父上と大公夫人の不貞は、皇后である母上さえ気付いていなかった。今、長年の裏切りを知らされた母上は私を早急に皇帝の地位に就かせる事で父上を見捨てようとしている。彼等は幽閉されても無事では済まないだろう」
当時の政治状況を顧みて最も宮廷で権力を有していた侯爵家の令嬢が選ばれ、現在は皇后となり長年頼りないながらも国の為、民の為にと尽くす皇帝を支えてきた。燃える恋心はなくても、穏やかで幸せな家庭を築いていると信じていただけに皇后のショックは計り知れない。ヴァシリオスに執務室へ放り込まれた後、皇后に使いを送りヴァシリオスの説得を頼まれたとエドアルトから教えられる。貼り付けた微笑を崩さないヴァシリオスでさえ、苦笑し呆れ果てて緩く首を振った。
「最後の別れになる可能性もある。時間が許される限り、存分に会うといい」
「いや……フラム大公家とは、二度と会わない。プリムにもだ」
今まで妹分として可愛がってきたプリムローズを見捨てる選択を取ったエドアルトを冷たいとは思わない。冷たく紡いだ横顔は為政者のそれ。
内心は別としても。
ラヴィニアはエドアルトを直視出来ず、視線を下にして彼等の会話を聞いていた。エドアルトの好きな人が自分というのがイマイチ信じられない。素振りすらなかったから余計に。
「帰ろう、ラヴィニア」と言うメルの声に顔を上げ、言葉を発する前に手を掴まれ歩き出したメルの後を必死に着いて行く。
「メル、待って」
「いいから、早く帰ろう」
「でも」
そっとエドアルトへ振り向く。
紫色の瞳はラヴィニアを何か言いたげに見ていたが、視線が合うと逸らされてしまった。
「……」
聞かない方が良いのか、単にメルが聞きたくないだけなのか。
きっと、両方なのだろう……。
姿が遠くなっていくラヴィニアを寂しげに見つめ続けていれば、憎たらしい男が「殿下」と呼ぶ。
「あの場で私が言ったのは本心ですよ。皇太子妃になる者が爆弾持ちだと後々面倒が起きるのは必須。そうならない為に貴方には諦めてもらいました」
「ふん……以前言っていた台詞と違うな」
息子のメルがラヴィニアを気に入ったから婚約解消はさせないと過去にヴァシリオスから言われていた。
「まあ……それもありますよ。マリアベルはラヴィニアちゃんが娘になるのを楽しみにしていますから」
「結局は叔母上だろう。もしも、叔母上が気に入らなければメルが彼女を好きでも婚約を解消させていただろう」
「私もそこまで非情ではありませんよ。メルにだって情はあります」
どうだか、と言葉の代わりに溜め息を吐いた。目の前にいるのは偏愛が過ぎる人の皮を被った怪物。実子でさえ、愛する妻に害が及ぶと知れば問答無用で始末する筈。情があると言えど、マリアベルと比べたら月と蟻の差が生じる。
「……私はもう行く。これから忙しくなるからな」
「ええ」
一礼をしたヴァシリオスが転移魔法を発動する直前、くるりと貴族牢の扉を見ていたエドアルトに振り返った。
「そういえば、昔貴方が皇太子だと気付かず、助けてくれたお礼として渡されたウサギの人形はまだ持っているのですか?」
「……うるさい」
「余計な事を言うなら、変装魔法など使わずに参加すれば良かったのです。主催者はマリアベルだったのですから」
では、と今度こそヴァシリオスは消えた。
「……」
十歳の時、マリアベルにお茶会に招待されたエドアルトは変装魔法を使って参加した。マリアベルから了解は取っており、皇太子の姿だと見られない高位貴族の子供の振る舞いを観察した。我先にと群がる令嬢はおらず、媚を売って来る令息もおらず、一人ポツンといられた為快適だったのを覚えている。代わりに主催者の一人息子であるメルに令嬢達は集まろうとしていたが、メルが愛想の良い笑みで対応しているのを見て、他人のあしらい方をもう覚え始めていると感心しつつも妙にそわそわしていたのを覚えている。
人の多い場所から移ろうと会場から離れ、客人用に用意された休憩室を利用するべく邸内へ向かった先で出会った。オレンジ色の頭を抱えて蹲るラヴィニアに。今は変装しているから声を掛けても面倒にはならないだろうと踏み、そっと声を掛けたら——潤んだ濃い青の瞳に真っ直ぐと見つめられ、次の言葉が消えてしまった。この年齢になるとお妃候補を選ぶ名目で多数の令嬢達と会って来た。皆、皇太子妃の座を欲する欲望に濡れた瞳でエドアルトに迫り、自分こそが皇太子妃に相応しいと主張していた。身分でしか相手を見ない者ばかりだと冷えていた時期に泣いて動けなくなっていたラヴィニアと会ってしまった。
理由を訊ねたら、客室で休憩しようと向かっている途中で頭に虫が付いてしまい、怖くて動けなくなってしまったのだとか。彼女の言っていた虫はテントウムシでエドアルトが指を差し出すと指先に乗り、空へ向かって放つと飛んで行った。テントウムシくらいでと呆れつつ、虫が苦手ならこんなものかと冷静に抱く。虫は頭からいなくなったと伝えると恐る恐る顔を上げ、何度も確認をされ若干の苛立ちを抱きつつ、いないと言い切った。
瞳は濡れたままとは言え、これ以上泣き出す気配はなく、エドアルトは安堵するように息を吐いた。
『あ……ありがとうございます!』
袖で涙を拭い、頬を赤らめてお礼を述べて笑顔を見せた彼女がエドアルトには可愛く見え、頬が熱くなったのをまだ覚えている。
『……虫が駄目なようだな』
『遠くから見るだけなら平気なんですが近くで見たり触ったりは出来なくて……』
令嬢ならそれが普通だろうと返してくるりと来た道を戻ろうとするエドアルトは呼び止められ、お礼にと小さなウサギの人形を差し出された。
『魔法具のお店で買った、お呪いが掛けられたウサギの人形です。私がお守りとして持っていますが助けてくれたお礼に』
『たかが虫を取っただけで?』
『私にとってはどうしようもなかったから』
下心のない、純粋にお礼として渡されたウサギの人形を手に取った。キラキラと輝く青い瞳は見た事もないくらい綺麗で透き通っていた。
頭を下げ、エドアルトの前から去った彼女の名を城に戻って皇帝に聞き、婚約者にしたいと申し出たら……既にメルの婚約者であると言われてしまった。
「……メルよりも早くに会えていたら……」
そうしたら、メルに向けるように隣で笑ってくれていただろうか……。
無関心でいようと心掛けてもメルと仲睦まじくするラヴィニアを見る度、どうしようもない感情が湧き出てしまい、プリムローズの事もあって冷たく当たってしまった。
プリムローズは今後貴族社会から消える。
もう……ラヴィニアやメルに態々接触する必要も消える。
「……あの人形もいい加減捨てないとな……」
等と言いながら、結局捨てられない。
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