ラヴィニアは逃げられない

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37話

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 黄金の長い髪や混じり気のない白髪はどこへ消えたのか……。皇帝に似た顔立ちと同じ黒髪と空色の瞳は、どこをどう見てもロディオンとプリムローズがフラム大公の子ではないと証明している。今まで散々嫌がらせをされてきたがたった一日で人間はこうも変わるのかとある意味で戦慄した。


「メル。言いたい事があるなら早く言いなさい」
「こんな姿を見たら、言いたかった言葉も全部吹き飛びますよ」
「そうか。ラヴィニアちゃん、どうする?」


 じっとフラム大公一家を見つめていたラヴィニアは、淡々とした口調のヴァシリオスに問われるとほんの少し迷う素振りを見せた。メルにも言われて昨夜寝る前からずっと考えていた。好き勝手言われていたのだ、最後の最後くらい言い返したいと。けれど、愛する家族と思っていた相手が実際は血の繋がりのない他人だと知らされ、人生のどん底に落ちた彼等を直に見たせいで用意していた数々の言葉は消し飛んだ。
 緩く首を振ると「そうか」とヴァシリオスが零し、虚ろな目で宙を見つめる大公夫人に近付いた。


「夫人。そう絶望しないで。大公と違って貴女や陛下は、実の子供達と暮らせるのですから」
「……」


 ヴァシリオスの嫌味すら最早大公夫人の耳には届いていない。時折「わた……私はただ……、真実の愛を……貫いただけなのに……」と何度も繰り返し呟く始末。
 真実の愛の下りで憔悴していた大公は激怒し、声を荒げ夫人の腕を掴み殴り掛かろうとした。

 それをロディオンが止めた。


「父上! どうか、母上に乱暴は……!」
「離せ! 私に触れるな! 私を父と呼ぶな、この裏切者!!」
「っ!!」


 敬愛する大公に突き飛ばされたロディオンは受け身を取れず、そのまま床とぶつかってしまう。上体を起こして大公を見上げる表情は傷付き、泣きそうな面持ちをしていた。体に流れる血が大公の物でなかろうと見目が皇帝と同じだろうとロディオンにとっての父は大公ただ一人。貴族牢に連れて来られてからもずっとロディオンは叫び続けた。ロディオンにとっての父は大公一人だけだと。

 しかし、妻の長年の裏切りと皇帝との不貞は大公にとって許せるものでない。我が子と信じて疑わなかった愛する息子と溺愛する娘が実の子ではないと知り、長年大切にしてきた宝物が消え去ってしまった。大公に残されたのは長年の妻の不貞に気付かず、他人の子を大事に育てた馬鹿な男の名。ヴァシリオスの言葉通りに進むならフラム大公家も無くなる。
 ロディオンの魔獣無断討伐の罪を全て被せられた挙句、奴隷と成り果て鉱山へと送られる予定である。平民ですらいられない。平民にしてもすぐに野垂れ死ぬだけなら、有効に使おうとヴァシリオスが鉱山送りへの選択肢を議会に出した。長年の横暴に嫌気がさしていた貴族は多く、承認されるだろう。

 大公の怒気が含まれた目がロディオンから未だ同じ言葉を繰り返す夫人に移り、大股で近付き腕を掴み上げた。腕の痛みさえ感じなくなった夫人は壊れた仕掛け人形の如く、同じ言葉を繰り返すのみ。勢いよく振り上げた大公の手が夫人の頬を打ち、遠くへ飛ばされてしまうと夫人の声は止まった。
「父上!!」悲痛な声を上げるロディオンへ忌々しいと睨む目がいく。


「お前も!! そこの阿婆擦れも!! 全員死んでしまえ!! わ、私の人生を返せー!!」
「人間、落ちるところまで行くととことん落ちて行くようだ。大公、そこまでにしなさい。罪を更に重ねたいですか?」
「どうせ貴様の事だ! この私を鉱山送りへするのは決定事項なのだろう? 今更、罪の一つや二つ、増えたところで同じだ!」
「労働するだけの方が幸いなのでは? 罪を増やせば増やすほど、労働だけでは済まなくなりますぞ」
「っ」


 淡々とした口調ながらも声色には圧倒的な威圧が込められており、勢いの良かった大公も口を閉ざすしかなくなる。貴族牢の前で待機していた見張りを呼んだヴァシリオスが怪我をした夫人の手当てを命じる。些細な事から暴力を振るう大公の為、見張り番は治癒魔法を使える者が選ばれた。
 慣れた手付きで事務的に夫人の手当てをする見張りを後目に、メルやラヴィニアにフラム大公一家へ言いたい言葉がないなら帰るぞとヴァシリオスが発した直後。


「……メル?」


 ずっとシーツに包まっていたプリムローズの小さな声が聞こえた。シーツの隙間から出ている空色の瞳がメルを捉えるとシーツから出てメルの許へ駆け出した。メルに抱き付く一歩手前でラヴィニアがメルの腕を引き、飛び付く勢いで突進したプリムローズは盛大に前へ転んだ。
 今日限り会わない相手と言えど、自分以外の異性にメルに触れられてほしくない。急に引っ張った事に謝ると「気にしないで良い」と腰を抱かれ頭の天辺を口付けられる。


「う、ううっ、ぁあああああ……」


 転んだまま起き上がらないプリムローズは泣き出し、小さな体を丸め手で顔を覆う。容姿が変わっても華奢な体から発せられる儚げな雰囲気は消えておらず、直接手を出していなくても悪い気分になってしまった。
 今後、大公を除いた三人は皇帝共々幽閉される予定。本物の家族四人死ぬまで仲良く暮らせばいいとはヴァシリオスの台詞。彼からすれば、頼りなく、不貞を行っても自分で対処する頭はなく他人に頼ってばかりの皇帝に愛想が尽きていた。愛する妻の名を騙るのを皇帝がプリムローズに許可した段階で見限ったに違いない。
 プリムローズが泣いたら真っ先に駆け付け、相手を排除してきた大公は「ふん! 阿婆擦れの血を引いているだけはあるな。お前がシルバース公爵令息に裸で抱き付いたというのも頷けるわ!」と吐き捨て、妹を溺愛しているロディオンは虚ろな目で宙を見上げる夫人の側から離れない。

 家族に溺愛されていたプリムローズの側には、今は誰もいない。

 外から慌ただしい足音が近付いて来るのをラヴィニアの耳が感知した。メルも同様で扉に目を向けたら、息を切らしたエドアルトが現れた。恐らく父——皇帝の姿を見て、此処の場所を言われ急ぎ駆け付けたのだろう。貴族牢内に広がる異様な空気に絶句するエドアルトの腰にプリムローズが抱き付いた。


「エド兄様っ!」
「プリム……」


 皇帝と同じ色の髪を複雑な表情を浮かべながら撫でるエドアルドの手付きは、容姿が変わる前と変わらない。優しく、労わる様に撫でられプリムローズは涙に濡れた相貌でエドアルトを見上げた。


「わたくしエド兄様でいい!」
「何を」
「エド兄様の妃になるわ、エド兄様はわたくしを愛しているのだから皇太子妃にしてくれるでしょう?」
「……」


 拒絶されないと信じ切っている空色の瞳がエドアルト一心に注がれる。予想外過ぎる言葉にプリムローズ以外の面々は言葉を失った。既に大公家の取り潰しは免れず、また、プリムローズ自身皇帝の実子と証明されてしまった上大公令嬢ではなくなる。仮に大公令嬢のままでいられても皇太子妃にはなれない。

 絶句するエドアルトを嬉々とした表情から不満げなものに変わった。


「何故何も言って下さらないのですっ、エド兄様はわたくしを愛しているのでしょう?」
「プリム、そういう問題じゃない」
「そういう問題とは? もしかしてあれですか? エド兄様には愛する女性がいるとはわたくしも存じています」


 エドアルトに愛する女性がいた? 初耳な言葉にラヴィニアはメルを見上げた。てっきり、メルも知らないのだと思っていたのに、プリムローズを強く睨みつけていた。まるで余計な事を言ったとばかりに。


「プリム止めろ」
「大体、エド兄様が悪いのではないですか! 皇太子なら、相手に婚約者がいようと皇帝の命令として無理矢理エド兄様の婚約者にしてしまえば良かったのにっ! そうしたら、わたくしはメルの婚約者になれていたのに!」
「え?」


 エドアルトの愛する人から何故メルの婚約者という言葉が出るのか訝しく思うとプリムローズの瞳がキッとラヴィニアを睨みつけた。


「ラヴィニア様がさっさとメルと婚約解消してくれていたら、わたくしはメルと愛し合えたのに! エド兄様がラヴィニア様を好きと知った時は、こんなオレンジ頭のどこが良いかわたくしはエド兄様の感性を疑ったけれどね!」


 ラヴィニアを馬鹿にしつつ、エドアルトさえも罵倒するプリムローズ。エドアルトに関しては無意識だろう。
 言葉を失うラヴィニアはそっとエドアルトを見ると紫色の瞳と目が合った。気まずげに瞳を逸らされたのは……プリムローズが言っているのが事実だと物語る。
 好かれていた? 会う度にメルと婚約を解消しろと迫られ、メルと仲睦まじくすればするほど強く睨まれていたのは、大切にしているプリムローズを傷付けたからではなく自分を好きだったから……? 考えれば考える程、頭が混乱してくる。

 記憶を探ってもエドアルトに好かれるような場面は一切ない。初めて会ったのだって、シルバース夫人が主催のお茶会に参加した十四歳の時。お忍びで参加したエドアルトにプリムローズの件で初対面から嫌われていた。挨拶をしただけでメルから離れろと零度の声で言われ、側にメルがいなくなるとメルをプリムローズに譲れと迫られた。
 初対面がこれだったせいで二度目に会った時からエドアルトは苦手な人物その一となってしまっていた。

 腰を抱くメルの手に力が込められ、顔を見上げたら「……薄々は知ってた。あいつがラヴィニアを好きなのは」と呟かれ、知らないのは自分だけだったと知る。


「皇太子殿下がラヴィニアちゃんをどう思おうと、仮にメルと会う前に会っていようと彼女を皇太子妃にするのは叶いませんよ」


 空気の流れを変えたのはヴァシリオスの台詞。全員の視線がどういう意味かと訴え、余裕の態度を崩さないヴァシリオスはやはり淡々とした口調で続けた。


「仮にラヴィニアちゃんが皇太子妃になったとしてだ、キングレイ侯爵家には皇太子妃を疎む父親と後妻とその娘しかいない。そんな身内だと恥を晒すのは時間の問題。爆弾を抱えた皇太子妃は此方から御免なんですよ」
「父上っ」
「うるさいぞメル。まだ話の途中だ。高位貴族の令嬢なら、誰でも良いという訳じゃないのさ。皇太子妃になるということは」


 自身の息子との婚約に関して寛容なのは、自分の手で好きに出来るからだと発する。嫌いな相手、特にキングレイ侯爵相手には飛び切り美しく親し気に接するマリアベルだが内心ストレスを溜め込んでいる。何時暴発しても良いぐらいに。ラヴィニアがメルの側にいるのなら、そろそろ処理を考えているとヴァシリオスは紡ぐ。口調がずっと淡々しているから却って恐怖心が増す。
 処理とはつまり……肯定も否定も示せないラヴィニアは複雑な気持ちを抱くも「公爵様」とメルの側から離れてヴァシリオスの側へ。


「君でも身内に情があるのだね」
「いえ……正直、お義母様とプリシラがどうなろうと私は特に何も思いません。ただ、お父様に会わせてほしいです。最後に一度、お父様に会って本当は私の事をどう思っているか知りたい」
「好きにしたまえ。すぐにはしない」
「ありがとうございます」


 いなくなってから愛していると叫び、抜け殻同然になった父の行動全てがラヴィニアにしたら意味不明なものばかり。プリシラにしていたように抱き上げてもらった事も遊んでもらった事も、具合が悪くなっても一度も心配をしてもらった事がない。誕生日プレゼントにしても一度もラヴィニアの為に贈られた事はない。キングレイ家の長女として必要だからと毎年普段の倍の嫌味と共に贈られてきた。

 最後に会って今更父親の振りをする父の真意が知りたい。

  

  

 ——同じ頃、キングレイ侯爵邸。ラヴィニアがいなくなってから、抜け殻となり酒に溺れ部屋に閉じこもるキングレイ侯爵の髪はボサボサで頬は痩せ、目元には濃い隈が浮かんでいた。


「テレサ……すまない……! ラヴィニアが、ラヴィニアがまだ戻らないんだっ」
「私なりに愛していたんだ、……だがラヴィニアは私達を困らせてばかりだから厳しくし過ぎたのかもしれない……」

  
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