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35話
しおりを挟む今までフラム大公夫妻の特徴を色濃く受け継いだ見目のロディオンとプリムローズ。魔法監査室に入れられた途端、皇族の特徴たる黒髪と空色の瞳に変わった。顔立ちだってそう。呆然とするフラム大公と兄妹、悲鳴を上げ続ける大公夫人と皇帝。二つの反応を見て満足したヴァシリオスがわざとらしい咳払いをして、彼等の視線を集めた。
「さて。時間が勿体ない。手短に終わらせよう」
未だ事態を飲み込めないフラム大公と兄妹。先に口を開いたのは大公の方だった。
「これは……これは……どういうことだ……?」
喉の奥から絞り出した掠れた声はロディオンとプリムローズの見目が変わった事実を受け入れられないと否定している訳でも、受け入れている訳でもない。唯々、呆然としている、思考が現実に追い付いていない声色だった。
「どういうことも何も。見た通りですよ」
どんな時だって我が子を慈しみ、愛していた瞳が虚ろな眼で兄妹に向けられる。大公の瞳には嘘偽りない、本来の二人の姿が映し出されているだけだとヴァシリオスは淡々とした口調で話した。
「ロディオン殿とプリムローズ様は、どちらも大公の種の子ではないのですよ」
「ヴァシリオス!!」
この部屋に放り込まれた時点で言い逃れは不可能なのに、尚も真実の露呈を恐れている皇帝にヴァシリオスは冷たく嗤う。
「陛下、お静かに。今は説明の最中です。貴方にも後でお話を伺います」
「た、頼む、ど、どうかっ」
「黙っていてください」
「さて」と皇帝に鋭い視線をやって無理矢理黙らせるとヴァシリオスは改めてフラム大公に向いた。
「大公、気の毒ではあるが貴方の目に映る二人の姿が本来の二人だ」
「嘘だ」
「そもそもね、大公。貴方は幼少期厄介な感染症に罹っていますね? その感染症は男児が罹ると六十パーセントの確率で生殖機能を失う。治療が早ければ早いほど確率は下がるが……大公は薬嫌いな少年だったようですね」
「嘘だ……」
当時の大公夫妻やお抱え医師が薬を勧めても頑なに薬を飲もうとせず、己の自己免疫力を信じ自然治癒に身を任せた。だが、結局高熱が七日も続き、薬に頼らないとならなくなった。薬を投与されていればもっと早く、生殖機能を失わずに済んだかもしれないのに――と。ヴァシリオスは薄く嗤うだけ。
「貴方の生殖機能が限りなく無いに等しいと知っていたのは当時の大公夫妻と医師のみ。夫人がロディオン殿、プリムローズ様を身籠った時は奇跡だと泣いて喜んでいたそうですね」
ヴァシリオスの言葉はフラム大公には届いていない。
最愛の妻、愛する我が子、幸福な家庭を築き、誰よりも幸せでこれからもその幸福は崩れないと信じていた。のに。可哀想に、と可哀想とは微塵も抱いていないヴァシリオスはガクリと項垂れたフラム大公から未だ呆然とするロディオンとプリムローズに目をやった。
「さてさて、今度はロディオン殿とプリムローズ様の番だね」
ゆっくりと二人の許へ近付くも二人もまたフラム大公と同じで反応がない。
「ど、どういう……ことなんだ……なんで私やプリムが……」
「現実を受け入れられないのは無理もないが何度も同じ説明をするのは好きじゃない」
もう一度言おう、とヴァシリオスは二人がフラム大公の子ではなく、皇帝の子だと告げた。成人前から夫人に惚れていた皇帝は熱心に彼女を口説き、その時はまだ婚約者がいなかった夫人は皇帝の恋人となった。時間は流れ、フラム大公との婚約が決まっても二人は別れなかった。正式に大公と夫婦になった後も密かに逢瀬を重ね、軈て妊娠が発覚した。
「大公の子種が限りなく子を成せない状態と知っていた先代夫妻は、貴女に大層感謝したそうだね夫人」
「あ……あっ……」
「まあ、そんな事実を知らなかった貴女はそこの皇帝に泣き付き、皇帝は皇帝で私に泣き付いた」
馬鹿しかいない、と淡々とした口調で吐き捨てられた言葉に怒気さえ夫人も皇帝も抱けない。絶望に染まった相貌のまま、頭を抱え蹲るか、顔を両手で覆って泣くだけ。
当然皇帝に泣き付かれてもヴァシリオスは自業自得だと切り捨てた。万が億でも有り得ないが、もしも手を貸していたら何れ露見し妻のマリアベルに軽蔑され離縁を迫られたであろう。最愛の妻に離縁を要求される事態など絶対に起こさないのがこの男だ。
「宮廷医師と大公家お抱え医師を抱き込み、多額の口止め料を支払いロディオン殿とプリムローズ様の見目が君達夫妻に似るよう妊娠中に魔法を掛けた。少々下衆だが、胎児にはあまり影響がないのが利点だ。浮気の証拠隠滅にはうってつけの魔法。ああ、二人の見目を変えた魔法使いも直に逮捕されるでしょう。そうなったらどうなるか……今からしっかり考えておくことです」
部下からの報せを待つ必要もない。信頼を寄せる部下ニコライが今捕獲に向かっている。捕まえるのは時間の問題。予想していたより、ずっと静かな面々の反応に少々白けたヴァシリオスだが、会話を遮られるよりかはマシかと自身を納得させ、外で待機させている部下を入れようと合図を出し掛けた。その時、突然大公が叫び声を上げ、顔を両手で覆って泣いていた夫人に掴みかかった。
「ふざけるなこの阿婆擦れ!! 今まで私を騙していたのか!! 皇帝と二人で、私を種なしだと!!」
「ち、違います旦那様っ!! 決して馬鹿にはしていません!! ただ、ただ私は、私の真実の愛は陛下に捧げていたから……!」
「何が真実の愛だ! 結婚式の際、神の前で誓った言葉は嘘だったのか!?」
「いいえ! いいえ!! 私は旦那様の事も愛していました! ただ……! ただ……陛下を忘れられなくて……っ!!」
フラム大公の怒りは尤もで、その怒りに油を注ぎより威力を増幅させる夫人も夫人だ。皇帝と大公の間に挟まれ、どちらを取るか悩み、どちらとも離れられず、大公夫人のまま皇帝の恋人を続けた。宮廷魔法使いを使って密かに夫人を城に呼び出しては甘い夜を過ごしたらしいと報告書には綴られており、そっくりそのまま読み上げるとより大公の怒りは強くなった。夫人の髪を鷲掴み振り回す大公を皇帝が止めるも、夫人を投げられ二人倒れた。
「お父様!!」
「私を父と呼ぶな!! この汚物め!!」
「なっ、あ、あんまりではありませんか父上!」
「貴様もだ!! 貴様等二人とも、二度と私を父と呼ぶな!! 自分の子ではない、赤の他人の子に莫大な金を掛けて育てていただと……? ふ、ふざけるな……私の、私の時間を返せぇ……!!」
怒りと興奮で目が充血し、荒く息を吐ていた大公は血反吐を吐きそうな低い声を絞り出し、多量な憎悪が込められた瞳を愛する妻へ向けた。大公と目が合った夫人は「ひいっ!」と悲鳴を上げ皇帝の後ろに隠れた。夫人を隠したまま皇帝が落ち着くよう大公に言葉を向けても逆効果だ。
やれやれ、と肩を竦めたヴァシリオスは部下を部屋に入れ、大公を部屋から連れ出すよう素早く指示を出した。大公一人を四人がかりで外へ連れ出すと室内は静かになった。
「うるさいのが消えた。これで少しは話がしやすくなった。陛下、この件は公にさせてもらいますよ」
「そんな事をしたら、皇族の威信が地に堕ちるではないか!」
「それが? 元より、信頼を消すような真似をしたのは他でもない――貴方自身ですよ、陛下」
「そ、それは」
自身でも自覚はあるようで言葉を詰まらせた皇帝に無感情な銀瞳をやりながら、大声を上げて泣き出したプリムローズも部屋から出すよう部下に指示を飛ばした。泣いて暴れても相手は華奢な令嬢。二人で十分だった。プリムローズがいなくなるとヴァシリオスは話を再開させた。
「皇族の信用を失墜させない方法は……あるにはありますよ」
「本当か!?」
「ええ。但し」
貴方には即生前退位をしてもらいますが。
美しき男が放った言葉は皇帝にとって人生のどん底に突き落とされる絶望の言葉だった。
更に夫人にも視線をやるとビクリと大袈裟に震えられた。
「夫人。貴女も只では済みません。それ以前に、フラム大公家には表舞台から退いてもらいます」
「ど……どういう意味でしょう……?」
「直接的に言うと――フラム大公家はお取り潰し。帝国から、大公家が消えるのですよ」
「なっ」
「それとね、夫人。貴女の御実家にも既に報せは届いているでしょう。実家に戻っても貴女の味方はいない」
「――」
反論しようと開き掛けた口は、ヴァシリオスが紡いだ言葉によって固く閉ざされた。ゆっくりと垂れた首を暫し見つめた後、青白い顔のままピクリともしないロディオンを意外そうに見つめた。
大公とプリムローズの次にうるさいだろうと予想していたのに、実際はショックが大きすぎて静かだった。
「嘘だ……嘘だ嘘だ……私とプリムが、……父上の子では……ないなんて……」
瞳孔が開いた目がぎょろりと夫人に向けられた。甲高い悲鳴を上げた夫人は愛する息子の視線から逃れようとただただ皇帝の背に隠れるだけ。その態度が今が現実なのだと鮮明に突き付ける。
ロディオンが力無く倒れた。「嘘だ…………嘘に…………」最後まで現実と認めたくないのか、倒れても同じ言葉を呟く。
「ロディオン殿も連れて行け」
残っていた部下にロディオンも運ぶよう命じると素早く部屋から連れ出した。
最後に残ったのはヴァシリオスと皇帝と夫人だけ。
「陛下」
「ひっ」
常々情けない男だと呆れていたが悲鳴までも情けない。
「そう怖がらず。愛する女性と愛する我が子達とは、死ぬまで一緒に暮らせるよう手配をしますからご安心を」
帝国の化け物と名高い男の瞳は一度も笑う事はなかった。
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