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28話
しおりを挟む掌サイズの小さなうさぎのぬいぐるみ。年季が入り、所々糸が解れ色も褪せているぬいぐるみを成人しても大切な宝物として扱う自分を見たら、あいつはどんな顔をするか。皇太子の自分にうさぎのぬいぐるみを贈ったのが大切にしている婚約者だと知っているあいつは決して良い顔をしない。無下に扱われたと知っても同じ顔をする。大切にしたら、したで同じ顔をする。面倒なやつ、と毒を吐いても同じ言葉を返される。
うさぎのぬいぐるみを小さなバケットに置いた。
何度あいつに――メルになりたいと思ったか。
何度メルよりも早く出会えていたらと思ったか。
皇太子の立場に居ても手に入らないものがあると知りたくなかった。
皇帝に話をしてもらえば、権力欲の強いキングレイ侯爵はあっさりとメルとの婚約から皇太子との婚約に乗り換えてくれると思ったのに、皇帝すら恐れるシルバース公爵の邪魔によって不可能となった。
『諦めなさい皇太子殿下。人間、諦めることも人生において大切な選択肢の一つだ。君にとっては不幸でも、その他大勢にとっては不幸じゃない。一の不幸と九の幸福、どちらが大切か聡明な君なら分かるだろう?』
尤もらしいことを言っておきながら、メルが彼女を気に入ったから、夫人が彼女の亡くなった母親の友人だから何もしたくないだけのくせに。
怪物と恐れられるシルバース公爵は貼り付けた微笑みを浮かべるだけだった。
「――エドアルト殿下!!」
「どうした」
幼い頃から仕える従者が血相を変えて部屋に飛び込んできた。礼儀を欠く行動は滅多にしない従者の慌てぶりから余程のことが起きているのだとエドアルトに緊張が走った。速やかに報告をと求めたエドアルトが聞かされたのは、謁見の間でシルバース夫妻、フラム大公家、皇帝、メルとラヴィニアが集まっていること……と紡がれた直後エドアルトは謁見の間へと駆けた。
●〇●〇●〇
プリムローズの有り得ない発言に今までずっと彼女の味方だったフラム大公夫妻やロディオンまでも固まった。エドアルトの心配は大事な妹分を思ってのこと。当然だと口にしたプリムローズは無反応な家族に首を傾げた。
「どうしたの? お母様、お父様、お兄様まで」
「プ、プリム、エドアルト殿下がプリムの心配を当たり前と思うというのは……?」
「? だってエド兄様はわたくしを愛していらっしゃるじゃない」
「ええ、そうね、プリムを妹同然に可愛がってくださっているわ」
「何を言ってるのお母様。エド兄様はわたくしを女として愛してくださっているのよ」
当たり前だと言わんばかりに断言したプリムローズの言葉に疑問を持つラヴィニア。プリムローズがエドアルトに大切にされているとはラヴィニアも知っている。何度もプリムローズ関連で嫌な目に遭ってきたので。あくまで彼の場合は体の弱いプリムローズを心配し、可愛がっているだけで異性として見ているかは微妙なところだった。以前までならそうは思わなかったのに、宮で生活をしてから気付いたエドアルトのプリムローズを見る目は、困った妹を大切にする兄としての目。それ以上の目は向けていなかった。メルとの婚約解消を勧められるのも可愛い妹分の為。
「エドアルトがそう言っていたのか?」とロディオン。
「いいえ。言葉にしなくても分かるわ。エド兄様は他の令嬢を差し置いてもわたくしを常に守り大切にしてくださいましたの」
「え、ええ、ええ。皇太子殿下はお前を大切にしてくれているわ。プリムは殿下にとって大切な妹のような子だもの」
「妹のような、ね……」
低く、冷たい小さな声を拾ったラヴィニアはこっそりとヴァシリオスを盗み見た。呆れと苦笑を混ぜた銀瞳がフラム大公夫人とプリムローズ、皇帝を交互に見ていた。最初の時の台詞といい、あの三人にはヴァシリオスだけが把握している秘密があるみたいだ。メルをこっそりと呼ぶとメルも気付いていたようで。「……多分、俺が想像している通りなら父上の言葉は……」と囁き声でメルが最後まで言い切る前にプリムローズの「メル!!」大きな声が遮った。
「ラヴィニア様を見ないでわたくしを見てよ!!」
「俺よりもエドアルトの方がお前を幸せにしてくれるんじゃないのか? 他の令嬢を差し置いてでもお前を優先するエドアルトなら傷付けるような真似はしない」
「嫌よ! エド兄様はメルに似てるけどメルじゃないもの! メルに似ているだけのエド兄様じゃあ、わたくしは嬉しくないもの!!」
更にあんまりな言葉の数々にラヴィニアは唖然とした。皇帝と元皇女であるマリアベルは同腹の兄妹。従兄弟の二人が似ているとはラヴィニアも知っている。ただ、髪の色や癖が似ているだけでそっくりとは言い難い。メルじゃないエドアルトは不要だと言わんばかりの物言いに、あまり良い気持ちはないラヴィニアさえも不快感が大きい。
思わず声を出しそうになるがヴァシリオスの皇帝を呼ぶ声に出せなかった。
聞いただけで背筋が凍える冷徹な声色は自分の感情が向くままに話すプリムローズをも黙らせた。
「これ以上の話し合いは時間の無駄になるようだ。ロディオン殿の違法な魔獣狩の件、魔法騎士団にお任せくださいますね?」
疑問形でありながらヴァシリオスの中では既に決定事項となっているとは皇帝も悟っており、首を縦に振るしかなかった。ロディオンが異議申し立てを唱えるがヴァシリオスは冷たい微笑みを浮かべ。
「ならば尚のこと、魔法騎士団の調査を受けるべきだ。魔法騎士は正義の誓約に則り決して不正は働かない。彼等が行った調査で無実だと証明されるならば誠心誠意謝罪をしよう。それでどうかな?」
「言ったな!? 今の言葉取り消しは出来んぞ!」
「構わんよ。ではね、私達はそろそろ帰るよ」
言うが早いか、実行するのが早いか。
ラヴィニアが気付いた時には謁見の間から見慣れたシルバース公爵家のサロンにいた。目を何度も開閉させていれば隣のメルが「ラヴィニア」と意識を向けさせた。
「大丈夫? 吃驚しただろう」
「う、うん、いきなり過ぎて」
「俺は慣れたからいいけど……父上、唐突過ぎるのでは?」
自分達がいるのなら、あっという間に転移させた張本人だっている。ヴァシリオスは優雅にマリアベルをエスコートをして戻った。
息子からの辛辣な声でもヴァシリオスの平静は崩れなかった。
「そう怒るなメル。あのままいれば、更に時間を無駄にするだけだったんだ」
「集めたのは貴方でしょう」
「あそこまで話が通じない相手とは思わなんだ。やれやれ、陛下の甘さもどうにかしてほしいものだ」
「謁見の間から出たのなら聞いていいですか? 陛下とフラム大公夫人とプリムローズにはどんな関係があるのですか?」
「お前は気付いているんだろう?」
答えを求められたメルは躊躇なく放った。
「プリムローズは……大公夫人と皇帝の娘ですか?」
「正解。ロディオン殿も陛下と夫人の子だ」
「なっ」
ヴァシリオスが追加で出した事実はメルも想定しなかったようで、言葉を失ったが急に聞かされたラヴィニアは瞠目した。
プリムローズに甘すぎる理由が解ったにしてもロディオンまで同じとは至らない。大公自身気が付いているかと言えば、全然気付いていないかと。
「まあ……初めて知った。何時知ったの?」とマリアベルに問われたヴァシリオスは愛おし気に銀色の瞳を和らげた。
「最初からさ。大公夫人がロディオン殿を宿している時から陛下に相談されていたんだ」
「相談って……」
「まあ……自分でどうにかしろと突っ撥ねたがね」
「当たり前よ。貴方が手を貸していたら離縁よ離縁」
「愛しい奥さん。私が君に嫌われる真似をすると思うかい?」
「退屈凌ぎでしても変じゃないわ」
「厳しいね相変わらず」
ヴァシリオス曰く、皇帝と大公夫人は昔からの恋人で夫人が現大公との婚約が決まっても密かに関係を続けてきた。互いが皇帝、大公夫人になっても変わらず。
何度も逢瀬を続けている内に夫人はロディオンを身籠ってしまった。見目が夫人にそっくりだった為、疑われることはなくても二人目まで不貞で作ってしまうとは思いもしなかったとヴァシリオスは語った。
「大公は気付いてない……ですよね」途中まで言っておきながら、気付いていたら今頃フラム大公家は幸せな家庭環境ではいられないと気付いたラヴィニアは最後の方で声が小さくなった。
「ああ。大公が鈍感なお陰だよ」
「何をやっているのよお兄様……っ」
兄の不貞を聞かされたマリアベルは頭を抱えるもヴァシリオスは気にするなと肩を抱いた。
――もしかして、皇太子殿下がプリムローズ様を大切にしていながら皇太子妃候補に入れなかった本当の理由って……
異母兄妹だとエドアルトは知っていたからでは? と一つの予想を持ったラヴィニアだった。
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