ラヴィニアは逃げられない

文字の大きさ
上 下
16 / 44

16話

しおりを挟む

 

 皇太子と街で鉢合わせた翌日。
 朝食を終えるとシルバース夫人に呼び出されたメルは一旦屋敷へと帰った。脱走防止の魔法が建物内に掛けられているのでラヴィニアはメルが戻るまで外に出られない。
 一人で外に出ても此処は城。出歩きたいとも考えない。
 メルの為に刺しているうさぎの刺繍を完成させようと部屋に戻って没頭した。

 ――長い時間集中して刺し続けていると不意に世話をしてくれている侍女が「ラヴィニア様」と発した。完成間近まで近付いた刺繍を一旦膝に置いて腕を伸ばした。何か所から骨が鳴るのを聞く辺り、自分で思う程時間は進んでいたようだ。時計を見せられると三時間は経過していた。


「一度休憩なされては?」
「そうね。ありがとう」


 お茶の用意をしに侍女が部屋から出て行くと一人残り、メルの帰りが遅いことに首を傾げた。遅くても昼までには戻ると言っていたから、昼食までは待とう。

 扉をノックされ侍女が戻ったのだと見ないで返事をした。ら、強く扉を開けられて一驚して振り向き――更に驚く羽目になった。


「こ、皇太子殿下!?」


 新しい暗号になった今宮に入れるのはメルとシルバース夫人、極僅かな関係者のみ。皇帝や皇太子には伝えないとしていたのに、彼が入って来れたのは関係者の誰かが流しているからだと判明。
 昨日は変装魔法で髪と瞳の色を変えていたが目の前にいる皇太子は元の色をしている。
 冷徹な紫水晶の瞳は言葉を間違えればラヴィニアを殺さんばかりに鋭く、青みがかった黒髪は皇帝と同じ。一寸癖があるのはメルと同じ。シルバース夫人と皇帝は同腹の兄妹。メルと皇太子はどこか似ている。
 けれどメルがエドアルトのような感情をラヴィニアに向けることは決してない。

 急なエドアルトの登場に固まってしまうも、ハッとなり、臣下の礼を執ろうとすると「要らん」と制され、下げかけた頭を止めた。恐る恐る見上げれば「皇太子殿下!?」とお茶の用意を持ってきた侍女が居る筈のないエドアルトがいて大層驚いていた。
 一体誰が暗号を教え、一体エドアルトは何を目的に此処へ来たのか。


「メルはいないらしいな」
「……シルバース夫人に呼ばれて屋敷に戻りました」
「そうか。メルがいないのなら丁度良い。キングレイ侯爵令嬢、君やメルのせいでプリムは二日経っても泣いたままで部屋から出て来ないと大公夫妻は憤慨されている。彼等は正式にキングレイ侯爵とシルバース公爵に抗議すると息巻いている」
「……」
「父親に嫌われていると言えど君だって侯爵家の者だ。皇室と繋がりが深い大公家を敵に回したくはないだろう?」
「私は既に実家とは縁が切れております。仮に切れていなかったとしても、あの三人がどうなろうと何も思いません」


 家族としての思い入れがあるのならまだしも、何もないのだ。目の前で傷付けられても動揺はしても助けたいと思うまでにはいかない。案外冷酷な人間だったのだと知り内心苦笑する。
 関係が非常に微妙でも家族を囮にすればメルと離れると予想したらしいが当てが外れ、冷徹な相貌に険しさが追加された。
 メルを巡ってプリムローズとエドアルトとは決して相容れない。


「プリムが可哀想だとは思わないのか? 幼い頃は病弱でずっと外に出られなかったあの子は、遊び相手としてやって来たメルに恋をしたんだ」


 それならラヴィニアだって同じだ。シルバース夫人が迎えに来てラヴィニアをシルバース家まで送り、そこで未来の旦那様だと紹介されたメルを一目見て恋に落ちた。メルが何時からラヴィニアを好きかは知らない。ラヴィニアがメルを好きになったのはその時からだ。


「メルが心変わりをして私からプリムローズ様を選ぶと言うなら、潔く身を引きます。ただ、そうでないのならメルと一緒にいたいんです」
「……」


 まただ。メルを選ぶ言葉を紡ぐとエドアルトの紫水晶の瞳は冷徹さを増していく。あと一言間違えれば本気で襲い掛かってきそうなほどに。


「……だ……そうまでして……ルなんだ……」
「?」


 何かを呟いているのは聞こえるが声が小さくて途切れ途切れでしか拾えない。再びエドアルトの目がラヴィニアに向く。


「プリムと違って可愛げがない君をメルはどこがいいのだかな」
「……」


 何となくだが、ある予想が浮かび上がった。プリムローズを持ち出すエドアルトにメルの話を出した途端目の色を変える姿に。忌々し気に言葉にしたエドアルトの声には、どこか悋気めいたものが含まれている。
 もしかすると。


「……まあいい、さ。また来る」


 帰ろうと踵を返したエドアルトだが、あ、と声を出すとまた前を向いて。くるんと左人差し指で空中に円を描いた。光る輪から薄いピンク色の瓶がエドアルトの掌に落下した。昨日街で出会った時、彼が手に持っていたクッキーが入っていた瓶だ。可愛いうさぎの形をしたクッキーはなく、代わりに北の大地でしか生息しないペンギン型のクッキーを購入した。動物によって瓶の色は違うらしく、ペンギン型は薄い青だった。

 瓶を浮遊させラヴィニアの前へ寄越し、瓶とエドアルトを交互に見比べていると「さっさと手を出せ」と言われ言われるがまま両手を出した。クッキー瓶はラヴィニアの掌にそっと置かれた。
 殿下、とラヴィニアが呼び止めてもエドアルトは何も言わず部屋を出て行った。


「これ……どうしたら良いんだろう……」


 エドアルトが可愛いうさぎのクッキーが入った薄い桃色の瓶を寄越した理由は何だろうか。心当たりは……と考えた時、一つの答えを見つけた気がした。
 エドアルトと入れ替わるように侍女が慌てて入って来た。


「ラヴィニア様、ご無事でしたか!」
「え、ええ」
「皇太子殿下に何かされましたか?」
「何もされてないよ。ただ、これを貰って」


 ラヴィニアは瓶を見せ付けた。どうするべきか困っていると告げると侍女は非常に言い難そうに言葉にしてくれた。


「ひょっとすると……メル様からプリムローズ様に贈らせたいのではないでしょうか」
「やっぱり……そう思う?」
「はい……」


 誰かに言われてしまうとより可能性が大きくなる。
 メルにプリムローズへ贈らせることで泣き止ませ、元気付けたいのだ。

 誤解させる真似をすれば却ってプリムローズの執着は増す一方。

 メルはまだ戻っていないのを確認し、皇太子が来たのは伏せてほしいと侍女に頼んだ。他に皇太子が来ていたのを目撃した者がいるのならば彼等にも口止めを要求した。


「しかしメル様が」
「皇太子殿下が来たと知ったらメルはとても心配すると思うの」


 また、あまり仲が良くなさそうな二人だ。メルはエドアルトの許へ行き喧嘩に発展する可能性も否めない。


「こちらの瓶はどうしますか?」
「うーん……」


 昨日購入したのは一つ。二つ、それもエドアルトが持っていたのと同じ物があれば疑いの目を向けられる。
 暫し逡巡するも腹を括って侍女に「皇太子殿下からの贈り物としてフラム大公家に届けて」と託した。
 勝手に皇太子の名前を使って贈り物等重罪で露見すればタダでは済まない。


「良いのですか? それならメル様に話された方が」
「話せないよ。皇太子殿下が来たなんて知ったらメルを心配させてしまうもの」


 要らぬ心配を掛けさせたくないから内緒にしておきたい。お願いと侍女に頼み込んだラヴィニアの耳に今いてほしくない人の声が届き短い悲鳴を上げた。慌てて見ると扉付近にメルが立っていた。眉間に皺を寄せて不機嫌な様子を隠そうともしないでラヴィニアに近付く。侍女から瓶を奪うと下がらせ二人きりになる。


「メ、メル、――んうっ」


 瓶を数秒睨んだ後、弁解しようと口を開き掛けたラヴィニアは口付けられた。持っていた瓶は浮遊させ、後頭部と腰に手を回され、体が蕩けてしまいそうな甘いキスを長くされた。

 終わった頃にはラヴィニアはメルに抱き付くことで立っていられた。蒸気した顔で見上げていれば近くのソファーに移動させられ、メルの膝上に座らされた。


「……さっきの話全部聞いた。エドアルトが来たんだって? 俺に隠そうとしないで」
「ご……ごめ、ん。何も無かったから、メルに心配を掛けたくなくて」
「だとしても。後から知る方が心配になる」
「ごめん……」


「いいよ」と額に優しく唇が触れた。さっきの甘い快楽を与えながら拒否権を根こそぎ奪ったキスと程遠い。


「あのクッキーをエドアルトの名を使ってプリムローズに贈るのは賛成。何時迄も泣かれると大公夫妻や長男がうるさい」
「私が言ってしまったけど殿下の名前を使って大丈夫かな……」
「大丈夫さ。エドアルトの贈り物ならプリムローズは喜んで受け取り、エドアルトもそれでプリムローズの機嫌が直るなら何も言ってこないさ」
「……なんとなくだけど皇太子殿下はメルに嫉妬していると思うの」
「俺に?」


 自分の中で浮かんだ予想を話すと無い話じゃないとメルは頷いてくれた。


「プリムローズ様を好きな殿下からしたら、プリムローズ様に好かれるメルや傷付ける対象でしかない私が憎いのは当然なのよ」
「エドアルトが……か。浮ついた話が一切ないのはプリムローズが関係しているとは薄々感じてはいたが……」


 そう考えるとエドアルトの行動や言動には説明がつく。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

義兄の執愛

真木
恋愛
陽花は姉の結婚と引き換えに、義兄に囲われることになる。 教え込むように執拗に抱き、甘く愛をささやく義兄に、陽花の心は砕けていき……。 悪の華のような義兄×中性的な義妹の歪んだ愛。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。ユリウスに一目で恋に落ちたマリナは彼の幸せを願い、ゲームとは全く違う行動をとることにした。するとマリナが思っていたのとは違う展開になってしまった。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる

奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。 だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。 「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」  どう尋ねる兄の真意は……

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...