ラヴィニアは逃げられない

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11話

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 テーブルに突っ伏して十日間ずっと泣いている黒髪の男性。慰めるのは修道院の院長を務めるサミュエル。肩を叩いて励ましの言葉を掛けてやるが失恋した男性の涙はまだまだ止まらない。


「いい加減泣き止みなさいよ。元から変装魔法を使ってる時点で訳アリ満載な子だったのだから」
「あ、あの時っダリアの部屋に入って一緒にいたら、メルに奪われずにすんだのに……!!」
「奪われるって……。元々彼女はメル=シルバースの婚約者で、彼は消えた婚約者をずっと探してただけだってば」
「理由があってメルの前からいなくなったんだろう!? ダリアは」
「ダリアじゃなくてラヴィニア=キングレイ侯爵令嬢ね」


 甥っ子の初恋はたった一か月で終わってしまった。叔父として可哀想だとは思うが相手が悪かった。
 十日前、いなくなった婚約者を迎えにメル=シルバースはサミュエルが管理を任されている修道院を訪れた。先代から何でもかんでも受け入れる体制となった名ばかり修道院に未来のシルバース公爵が一体何用で来たのかと、最初は理由を知らなかったので大層驚いた。入所した子を一人引き取りたいという手紙だけが届けられた。それが婚約者だと誰が思うか。
 キングレイ侯爵家の家庭環境は複雑と言っていい。一目惚れをして妻にした女性が娘を出産後儚くなるのは侯爵とて予期していなかったろう。
 普通は亡き妻が遺した娘を大事に育てるものだが、妻を殺したと逆に憎しみを募らせてしまい。娘の育児は全て乳母と使用人達へ丸投げ。喪が明けると目を付けていた女性と再婚。翌年娘を儲けた。その間、侯爵が父親としての義務を果たしていたかといえばそんな話は聞かない。
 ラヴィニアを息子の婚約者にする気でいたシルバース夫人は侯爵の再婚後、即ラヴィニアを息子の婚約者としてシルバース家に引き取ろうとしていた。世間体を気にした侯爵夫妻が頑なにラヴィニアを渡そうとしなかったとか。
 六歳になったら絶対に息子と顔合わせをさせるという約束を強引に取り付けた後、二人の気が合ったのもあり顔合わせ後ラヴィニアは定期的にシルバース家に預けられる事となった。

 帝都から離れた位置に暮らすサミュエルでさえ、ラヴィニアとメルの仲の良さは聞いていた。周りの令嬢達は二人の破談を願っていたようだがシルバース公爵と元皇女の血を引くせいか、絶妙な加減で二人の大層面倒くさい性質を受け継いだメルは決して離そうとしなかった。
 夜会に出る時は常にピッタリくっ付き、二人が一人になるのは友人との会話に花を咲かせる時くらい。

 ラヴィニアを正規に引き取る手続きを踏んでいる最中、偶には連絡を入れてねとお願いしたのにこの十日間ラヴィニアからの連絡は何もない。無論メルも。メルの瞳に濃い翳りがあった。余程の出来事が二人の間にあったのだろうが聞かない方が身の為。


「ううっ……! なんでメルなんだ……!」
「まだ泣いてたの? ほらほら、可愛い女の子は沢山いるんだから諦めなって」


 立場的にずっと変装したまま修道院で生活するのは難しい。もしもメルが迎えに来ないで甥っ子がラヴィニアに告白をして受け入れてもらえたとしても、二人が夫婦と認められる可能性は低い。甥っ子の地位がそうさせている。
 実際は出奔したキングレイ家の長女だから、話せば両親を納得させられたかもしれないが。

 もう暫くは失恋した甥っ子を慰めないといけないか……サミュエルは机が濡れているのを見るとタオルを取りに行ったのだった。







 〇●〇●〇●


 心地良い陽光に照らされた外で。庭園に置かれた長椅子に座って散歩の休憩をしているラヴィニアとメル。メルに連れられて早十日経過した。メルは偶に宮を出るが基本はずっとラヴィニアの側にいる。読書をしたり、小公爵としての仕事をしたり、と色々。ラヴィニアは刺繍をしている時もあれば、メルと同じで読書をしている時もある。基本は刺繍をしていた。メルの好きな兎の刺繍を今作っている最中。完成するのに時間はまだまだ掛かる。

 無理矢理抱かれた翌日は何もされなかったが二日後の夜は抱かれた。初めての時にあった痛みは全くなくて、体が蕩けてしまいそうな甘い快楽だけを与えられた。何度もメルの名前を呼んで、体に抱き付いて、手を握った。心臓に触れられる度に感度が増す理由もまだ聞かされていない。メル曰く、二度とラヴィニアが逃げられなくなる魔法らしい。


 ――逃げる気力なんて……もうないよ……


 抱かれるのは夜だが気紛れで昼に抱かれる時もあった。何度もメルに抱かれてしまうと側を離れたい気持ちは消えていく。プリムローズとしたあのキスの話はまだ聞けていない。プリムローズの話を出すと不機嫌になってしまう。


「メル」


 用事もないのに呼んでしまった。
 メルの唇が頬に触れた。ちゅ、ちゅ、と数度口付けられるとメルの両頬を手で包みお返しのキスをした。物足りなさそうな顔をされるもすぐに笑みを見せ「ラヴィニア」と引き寄せられる。


「明日は街へ行かないか?」
「街に?」
「ああ。買い物をしよう。欲しい物があれば何でも言って」
「欲しい物……」


 言われてパッと思い浮かぶ物はない。何もないと言う前にキスをされた。
 十日前までは嫌で仕方なかったキスも最近になって受け入れるようになった。ラヴィニアから積極的にキスをする時もあった。プリムローズとのキスを忘れてほしくて。自分が見た光景を忘れたくて。
 その度にメルは嬉し気に笑うのだ。


「今すぐにじゃなくてもいい。街に行ってから考えよう」
「うん」
「そろそろ部屋に戻る?」
「もう少しだけ外にいるよ。メルは戻っていいよ」
「俺もいる。一人でいたってつまらない」


 もう一度キスをしてメルの腕の中に収められた。小さい頃は同じ体格だったのに大人になると小さいラヴィニアの体は簡単に捕まってしまう。
 背に手を回すと抱き締める力が増した。ラヴィニアの小さな手ではメルの大きな背を回せない。優しくて甘い香水の香りとメルの温もりに安心してうとうととしてきた。


「眠いなら寝て。ベッドに運んであげる」
「ううん……まだ寝ない。メルとこうしていたいの」
「分かった。好きな時に寝て。ラヴィニアが寝たら俺も一緒に寝る」
「うん……」


 今のラヴィニアの心残りはメルに放った酷い言葉の数々を謝罪出来ていない事。タイミングは沢山あったのにいざメルを前にすると謝罪なのに責める言葉が出そうで怖くなった。メルも気配を察しているのか、泣きそうな顔で何かを言いたそうにする度に「いい。ラヴィニアの口から二度とプリムローズの名前は聞きたくない」と言わせてくれない。
 メルとプリムローズは幼馴染で実はラヴィニアよりもプリムローズがメルの婚約者になると言われていた。が、蓋を開けてみたら婚約者になったのはラヴィニア。プリムローズには未だ婚約者はいない。
 大公夫妻は幼い頃病弱で何時死んでもおかしくなかったプリムローズを溺愛しており、愛娘の恋敵であるラヴィニアを嫌っている。家族にも嫌われ、格上の大公夫妻にも嫌われ、嫌っている人の方が多いのではと錯覚してしまう。
 大公夫妻の相手は主にシルバース公爵と夫人が担当している。夫人は大公夫妻とプリムローズをとても嫌っている。自分の父、キングレイ侯爵といい勝負だ。
 夫人は嫌いな相手には特別優しくなると昔メルが教えてくれた。大公夫妻やプリムローズへの態度は父をも上回る。


「シルバース夫人に……」
「うん?」
「夫人に手紙を書きたいの。一緒に便箋を選んでくれる?」
「選ぶのはいいが母上に手紙を書きたいのは何故?」
「何も言わずキングレイ家を出奔した私を夫人だって本音では呆れているわ。未だに連絡の一つも寄越さないから余計」
「俺からラヴィニアの話は母上にしている。修道院での生活を心配していた。貴族として育てられた君が平民の生活を送れていていたのかと」
「それは」


 途端、空に波紋が広がる。突然の変異に吃驚しメルに抱き付くと強い力で抱き締められた。


「何、これ」
「俺達がいる宮に入るには許された者にしか教えていない暗号がある。それを解除しないで進むと侵入者防止の結界魔法が発動し、中にいる俺達にも報せてくれるんだ」
「誰が来たの?」

「メル様」


 タイミングよく現れた侍女が訪問者の名前を告げた。


「プリムローズ様がメル様にお会いしたいと先程から門の前にいらっしゃいます」
「っ」


 プリムローズの名前を聞いた瞬間、一月半前の光景が鮮明に蘇り、思わずメルから離れようとするも……逃がさないときつく腕に力を込められ動けない。痛いくらい抱き締めてくるメルに抗議しても侍女との話を続けられた。


「いないと言って追い返せ」
「何度もそう言っているのですが絶対にメル様に会うまで帰らないと」
「はあ……。……昔のままずっと体が弱いままだったら良いものを……」


 至極面倒くさそうに呟いたメルの相貌は見たことがない程嫌そうなものだった。見上げていると体を横抱きにされ中へ戻って行く。
 私室に入り、寝室に連れて行かれ寝台の上に寝かされた。これからプリムローズの許へ行く気でいるメルを行かせたくない。メルに抱き付いて行かせなくしたものの、引き寄せられるがまま、メルは隣に寝転んで抱き締めてくる。


「こういうことだ。俺の名前を出してもいいから追い返せ」
「承知しました」


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