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4話
しおりを挟む――メルとお別れをし、キングレイ家を出奔してもうすぐ一か月。帝都から東へ馬車で十日程進んだ先にある誰でも受け入れると有名な修道院で働くラヴィニア。生き生きとして洗濯物を干す彼女が元侯爵令嬢だと知る者はいない。
この世界では魔法が存在する。帝国では貴族に生まれる者が魔力を持つ。ラヴィニアもある。幸いにも魔法の才能はあるらしく、シルバース家を出て馭者に街で買い物をして帰ると嘘を告げると平民が主に使用する店で地味目で動きやすいワンピースを購入。着ていたドレスは鞄に詰め、次に質屋で用意していた宝石類、脱いだドレスを売って修道院までの路銀とした。
髪と目の色を魔法で焦げ茶に変色させて街の馬車で修道院へ向かった。多くはないが知り合いに会いに行ったり、働き口を探して向かう人がいるのだとかでラヴィニアが告げても馭者は驚かなかった。
オレンジの髪と青の瞳。特にオレンジの頭は目立つ。髪も瞳も顔立ちも亡き母にそっくりだから、父は最愛の妻の命を奪ったラヴィニアを憎んでいるのだ。
侯爵家には手紙を残してきた。
『母を殺した娘と嫌っている女が消えてお父様も満足でしょう。お望み通り、消えてあげます。あなた達に関わるのも、メルに関わるのも疲れました。どうぞお元気で。ラヴィニア』
可愛げの欠片もない手紙。ラヴィニアを毛嫌いする父だ、泣いて喜んでくれるだろう。後妻と異母妹もラヴィニアを嫌っている。邪魔者がいなくなって、落ち込む人は誰もいない。
皆喜ぶだろう。
「メル……」
最後までプリムローズとの関係を否定し続け、信じてほしいと訴えたメル。彼だって、あそこまで拒絶されればラヴィニアを諦め、自分の気持ちに気付いてプリムローズと結ばれるだろう。
「っ……」
傷付くのはラヴィニアだけ。
それでいいのだ。
「ダリア!」
遠くでラヴィニアの偽名を呼ぶ声が。袖で涙を拭って振り向くと芥子色の短髪を揺らして青年が走ってくる。ラヴィニアの前まで来ると額に巻いていたタオルを取り汗を拭った。彼はハリー。半年前から修道院で働く職員。院長の知り合いで現在はラヴィニアの世話係を担当している。
「洗濯物を干すのはもう終わった?」
「うん。後はシーツを一枚干すだけ」
「僕がやるよ。背が低いダリアじゃ大変だろう」
「干せるわよ!」
失礼だと怒ってもハリーの揶揄いが含まれた笑いは消えなかった。身長差があるせいでよく頭をポンポンと撫でられる。
小さい子扱いするなと怒ってもハリーは止めない。面白がって髪をくしゃくしゃ撫でてくる。
「本気で怒るわよ!?」
「はは! ごめんって。ダリアは可愛いな」
「知ってる!」
「そこは謙遜しろよ……」
褒めてくれているのなら素直に受け取る。
ずっと可愛いと言ってほしい、思ってほしい人には二度と会えない。
メルの代わりをさせている気は全くないが言われて悪い気はしない。
「今日は大事な客人が来るって院長が言っててさ。その間、僕と散歩でも行かない?」
「良いわよ。でも、大事な客人って?」
「何日か前に先触れが来て院長大層慌てたよ。修道院に寄付してくれている貴族なら慌てはしないから、予想外な相手なんだろう」
「そうなのね」
「ま、僕等には関係ないさ」
新たな貴族が修道院を援助するのなら皆大歓迎だ。身寄りのない子供や訳アリで預けられている子供、他に行き場がない女性が多い。少しでも彼等の生活を楽にするには貴族の援助は欠かせない。幸いにも帝国には慈善事業に積極的な貴族がいるお陰で此処以外の修道院や孤児院の運営は破綻せずに済んでいる。
「な、なあ、ダリア」
最後のシーツを物干し竿に干して洗濯物は無くなった。籠を持ち中へ戻ろうとラヴィニアが声を掛ける前に、緊張した声と面持ちのハリーに口を閉ざした。
「ダリアはその……恋人とかいた……?」
「……ううん。いない」
恋人じゃなく、婚約者だった。
その婚約者は自分じゃない別の人が好き。
「そっか……!」
いないと言われて喜んだハリーは緊張は解けないまま「僕と付き合ってほしいんだっ」と告げられる。
ラヴィニアが口を開き掛けた時「おーい、ダリアー」と別の声が呼ぶ。
「呼ばれてる。返事は後でいい?」
「も、もちろん!」
「場所が決まってたらその時聞かせてね!」
「場所…………?」
駆け出したラヴィニアは呆然と残ったハリーを気にせず呼ぶ声の許へ駆けた。
「どうしたの?」
「今日の昼食に使うチーズが切れているのを料理人が今気付いてな。悪いが買ってきてくれないか? 洗濯物を干し終わってからでいいから」
「ついさっき終わったから行ってくるわ。いつもの店に行けば良いのね?」
「助かる。これ、チーズのお金」
手作りの巾着を渡され、チーズの種類と個数が書かれた紙を渡されたラヴィニアはそのまま行くことに。修道院を出た辺りでハリーが追い掛けて来て一緒に買い物へ。買うのはチーズだけだが荷物持ちになりたいのだとか。
「大きいのは買わないのよ?」
「それでも行きたいの」
「ふーん?」
「帰りにちょっとだけ寄り道していい? 子供たちにおやつでも買って帰ってやりたいんだ」
「少しだけなら」
大人よりも身寄りのない赤子や子供の数の方が多い。子供達は将来困らないようにと数字の計算、文字の読み書きを教えられている。裕福な家の娘だったという設定のラヴィニアも子供達に教える立場にあり、更に女の子には刺繍を教えている。
刺繍は得意中の得意。メルに喜んでもらいたくて、褒めてほしくて、指が血だらけになっても針を持ち続けた。血を滲ませる努力をしたお陰か、社交界でも指折りの刺繍の腕前を持つ。身寄りのない子供達に刺繍を教える日が来るとは思いもしなかったが誰かに教えて喜ばれる楽しさが身に染みる。
ハリーが寄り道をしたい場所の近くには布を扱う店がある。ラヴィニアもハリーがおかしを買っている間、自分も布を買う事とした。
会話をしながら歩いていると目的のチーズを売る店に着く。店内に入り、店主に目的のチーズを告げ、包んでもらい、代金を払ってチーズを受け取り店を出た。稀に買えない日があるので今日は買えて良かった。
「よし! チビ達のおやつを買うか。ダリアも選ぼう」
「ごめん。近くのお店で布を買うわ。終わったら待ってて」
「そっか……」
心なしか落ち込んでしまったハリーを不思議に思いながら、ラヴィニアは目的の店へ足を向けた。トボトボとハリーがお菓子の店へ向かっているとは知らず。
――ラヴィニアとハリーが買い物へ行っている頃。修道院の表玄関に一台の馬車が停車した。訪問者を待っていた院長は馬車から降りた男性に向けて華やかに笑んだ。
「ようこそ、シルバース公爵令息殿。長旅ご苦労だったね」
「……長いと言う程じゃない」
「十日を短いか長いかと感じるのは人それぞれさ。中に入ろう。シルバース家の跡取りたる君が修道院にいる子を引き取りたいと申し出るなんて吃驚だよ。気に入った子でもいるのかい?」
「ああ……」
彼――メルは濃い翳りを纏った空色の眼で上機嫌な顔を崩さない院長へ放った。
「俺の婚約者だよ」
……。
「え」
婚約者? 確か、と院長は記憶の棚を探る。メル=シルバースの婚約者と言えば、キングレイ侯爵家の長女ラヴィニア。約一月前から行方知れずになっていると甥っ子が言っていた。今月修道院に入った子は子供大人問わず全部で五名。ラヴィニア=キングレイは前侯爵夫人とそっくりで院長も顔を知っており見たら絶対に分かる。分からないということは、魔法である程度印象を変えているのだろう。今月入って同じ年頃の女性と限定すれば、一人しかいない。
非常に生き生きとした様子で生活を楽しんでいるあの子が侯爵令嬢……そして、見るからに訳アリな様子のメル。二人の間に何かあったのは明白。
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