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連載―私はお父様とパパ様がいれば幸せです―
婚約解消2
しおりを挟む時間の流れというのは、個人によって様々だ。ある者は一瞬だと言い、ある者は永遠の長さと言い。今、この場にいる者達の時間感覚はどんな感想が返ってこようか。顔を青褪め、言葉を無くしたミカエリスを射抜く冷徹な紫水晶の瞳。隣にいる皇后も口を開閉するだけで声を発しない。アーレントはホワイトゲート公爵一家を見た。公爵は皇帝の右腕と名高く、今回の婚約解消と婚約を予め話してあったので諦念が混ざった顔だ。夫人は今にも卒倒しそうで、娘マーガレットはアーレントの言葉の意味を知ると――立ち尽くすミカエリスに抱き付いていった。
「やったわ、ミカ! やっと皇帝陛下が私を皇太子妃にすると認めてくれたわ! 皇后様やお母様がメアリー様より私が皇太子妃になるべきだとずっと言っていたのに、皇帝陛下だけ反対でしたものね! これでずっと私達一緒にいられるわ!」
この場で、この瞬間欣快しているのはマーガレットのみ。公爵夫人は「や、やめなさいマーガレット……!」と止めるが声が小さいせいと有頂天になっているマーガレットには届いていない。また、誰かが耐えきれず吹き出した。誰かと確認しなくても発生源がアタナシウスであるのは明白。一瞥したらティミトリスは更に呆れ果てた目でマーガレットとミカエリスを見ていた。ガシガシと頭を掻いたティミトリスの目がアーレントに変えられた。
「そうなのか?」と問われ、肩を竦めた。
「そうみたいだな。私は一度も聞いたことがないし、反対した覚えもないがな」
「あっ……そ……そ、れは……っ」
漸く喋れるようになっても言葉遣いが拙い皇后は真っ青な顔。美姫と名高い容姿が台無しだ。
「わた、わたくしは、ただ、皇太子を立てずシルバニアだから傲慢なメアリーさんに危機感を持ってほしくて、ただっ」
「ただ?」
「ただっ、ただっ、自分の将来の地位を脅かすマーガレットさんがいたら、メアリーさんも皇太子妃になる自覚を持つと」
「馬鹿らしい」
心底馬鹿らしいと零せば皇后は死人間近な相貌から険しい形相に変えた。
「だ、大体! 陛下、貴方が悪いのです!」
「私?」
「そうです! シルバニアの力を皇室に迎え入れるまたとない機会だというのに、大昔からの約束を守って頑なに譲らない頭の硬い貴方が悪い! 永遠の血と強大な魔力を皇室が持てば、帝国は更なる繁栄を!!」
「それこそ馬鹿らしい。当時の皇帝が何故フラヴィウス=フォン=シルバニアとの約束を後世にも絶対に守れと残したと思う? 永遠の皇帝も永遠の繁栄も存在しない、必要ない。その時代に合った者が皇帝となり、繁栄を築いていけとフラヴィウスは言ったのだ」
「ですから、永遠の繁栄を何故願わないのです!!」
「シルバニアの血を引く者は不老であるが不死ではない。頭を潰せば、心臓を貫けば死ぬ。歳を取らない以外は私達と同じ人間。人外の力を持っているがシルバニアとて、何時何が起きるか分からん。不確定要素を多く持つ永遠など、それは永遠とは呼べない」
アーレントとて最初は永遠に生き続けるアタナシウスやティミトリスが羨ましかった。尽きない時間を持てば、大好きな魔法の研究がずっと続けられる。先人達が叡智を振り絞っても解読出来なかった古代式魔法陣の解読、未知なる魔法の開発、魔法が好きな少年だったアーレントは皇族籍から抜ければ自分も不老になれるかと一度二人に問うた。毎朝押し掛けては魔法の教えを乞う五月蝿い子供だったアーレントを二人は叱る事も喜ぶ事もなく、淡々と述べた。
“自分だけ、時間に取り残される孤独と苦痛をお前は耐えられるか?”……と。
意味を考え、答えを導き出したアーレントは以降不老になりたいという考えは捨て去った。限られた時間、普通の人間として生きていく道に立った。語った時の二人の姿は不老の呪いを持つシルバニアそのものだった。
「私はミカエリスには最初から伝えていた。無論、皇后よ、そなたにもな。皇族はシルバニアとの約束を守る義務がある。メアリーとの婚約は時が来たら解消になる。代わりの相手を見つけておけと」
「っ……」
一部が待ち望んだシルバニアの娘の誕生は、強欲な彼等の欲望を満たす格好の餌だった。皇后もミカエリスの更なる地位の盤石とシルバニアの血を皇室に入れるまたとない機会に必死だった。アーレントと双子公爵が折れて二人の婚約を認めても、仮の婚約にし、メアリー以外に皇太子妃になれる娘を見つけておけと告げられていた。ミカエリスも同様だ。
紫水晶の瞳をミカエリスへ向けた。目が合うとビクリと肩が跳ねた。
「ミカエリスよ、異議はないな」
「っ、いいえ! 承諾出来ません!」
「ミカ?」
相思相愛と名高いマーガレットは自分同様ミカエリスも喜ぶと思っていたのだろう、逆に反対をしたミカエリスへ困惑とする。双子公爵の近くまで来たミカエリスは彼等を指差した。
「皇太子妃になるのはメアリーだ! あんた達は俺が気に食わないからメアリーを俺から遠ざけているだけだろう!?」
「ねえミカ、どうしてメアリー様なの? 私が皇太子妃になるのは嫌なの?」
「メグ、今は黙っててくれ。メアリーが皇太子妃になるのが帝国の為だ」
微かに痛みが出てきた頭に手を置き、段々と殺気を膨らませていくアタナシウスとティミトリスの静止係として玉座から降りたアーレントはミカエリスと向き合った。母親に濃く似たので父親が皇弟だとバレなかったのだろう。後、ちゃんと皇族特有の銀髪も原因。ただ、憎々しげにアーレントへ眼をぶつける姿は皇弟と瓜二つ。皇帝の地位に座りたかったのは皇弟の方だった。皇位継承権と実力からアーレントが皇帝になれと父から指名されたのだ。皇帝の決定は絶対、逆らう意志は最初からなかった。
「ミカエリスよ、お前は私の言い付け通りマーガレットという代わりの婚約者を自ら見つけた。私からこれ以上何も言う事はない」
「代わりって……ねえ、ミカ、どういう事? 説明して」
突き放され、聞き捨てならない台詞がアーレントから紡がれたマーガレットは泣きそうな顔でミカエリスに答えを求めた。憎々しげにアーレントを睨め付けるミカエリス、ではなくホワイトゲート公爵が代わりに答えた。
「マーガレット。シルバニア公女と皇太子殿下の婚約は、あくまでも仮のものだったのだ。時が来たら婚約は解消。殿下にはメアリー様ではない、他の相手を見つけておけと皇帝陛下は命じていたんだ」
「なら、私はメアリー様の代わりなんかじゃないわ! ミカが選んでくれたもの!」
必死にメアリーの代わりではないと訴えるマーガレット。ねえ! とミカエリスの腕に縋るも「……メグ。今は黙っていてくれ」と口を閉ざされた。ショックを受けたマーガレットは力無く腕を下ろし、俯いてしまった。アーレントと再び見合った。
「父上、貴方は以前俺にこう言いましたね? 婚約者の義務を果たしてないのは俺の方だと」
「言ったな」
「俺は何度でも言う。果たしてないのはメアリーだ」
定期的な贈り物は返事も使用もせず、誘いの手紙にも何も反応せず、催促の手紙を送ってもそれすらも無視をするメアリーのどこが婚約者の義務を果たしているのか。疑うなら皇太子の予算から全て出ているから請求書が残っているとミカエリスは言う。
紫水晶の瞳がアタナシウスとティミトリスへ向けられた。ミカエリスも二人に向いた。
微笑みを崩さないアタナシウスが口を開く前にティミトリスがあっけらかんと言い放った。
「俺やアタナシウスが全部処分した。それがなんだって言うんだ」
「っ!!」
「なんてことを!!」
色濃く浮かんだ憎しみの眼。力強く唇を噛み締めたミカエリスへ非難の声をティミトリスへ放ちながら皇后が駆け寄った。
「ミカエリスが心を込めて贈ったプレゼントを全て処分? 何様のつもりよ!」
「メアリーが使ってるか使ってないかが気になるなら、押し掛けて確認したら良かったじゃないか。昔、俺達に魔法を教えろと押し掛けてきたアーレントみたいに」
「そんなはしたない真似、正統な皇位継承者であるミカエリスにさせる筈ないでしょう!!」
「だとよ」
アーレント自身はしたないとは思っていなかったが双子からは毎回五月蝿いと鬱陶しがられた。
やれやれと苦笑いをしたアタナシウスは「いくつか訂正しよう」と介入した。
「ティッティは全て処分と言ってるけど、実際は招待状や手紙を処分しただけでドレスはメアリーに着せたよ。まあ、夜会やパーティーみたいな大勢が参加する場所ではないけどね」
「なんだと?」
「じ……フラヴィウスに会いに行く時は着ていたよ。ねえ皇太子、君のセンスは悪くなかった。でも、メアリーは夜会等に参加する時はシルバニア家の一員として、君の婚約者として相応しくありたいからドレスはいつも気合の入った青を基調としていた。青は僕達の瞳の色と同じだからね」
「……」
どの場所でもそうだった。メアリーは必ず深い青のあるドレスを着ていた。嘘偽りなく本心からミカエリスのドレスセンスを褒めているが、使用する状況にはメアリー本人が合わないと決めて着なかったのだ。アーレントがドレスの贈り主が誰か伝えていたのかと問うと「言ってないよ」と普通に返された。
ミカエリスからのドレスだとメアリーが知れば、使う以外の選択肢はないからだ。選ばせてはいたが選ばれなかっただけだったのだ。
最初は憤怒の相貌を見せていたミカエリスもメアリーの気持ちを聞かされ落ち着きを取り戻し、悔やむ色を浮かべた。
ポツリと「……ドレス以外にも首飾りや髪飾りも贈った」と紡ぐとアタナシウスとティミトリスは顔を見合わせた。
「君から届いていたのはドレスや手紙だけ。その他の物は届いてないよ」
「嘘だ! 確かに俺は……」
「こんなんで嘘を言ってどうする。事実届いてない」
「……」
ふむ、とアーレントは額に人差し指を当てた。二人からもミカエリスからも嘘は感じられない。ホワイトゲート公爵に視線を投げかけると承知したと頷かれた。
呆然とするミカエリスは食ってかかる元気をなくし、項垂れた。
婚約解消の場はこれで解散。これ以上語る事もない。
「これ以上言う言葉はない。公爵よ、明日からマーガレットに皇太子妃教育を始める。住居を皇太子妃に移す準備を戻り次第始めろ」
「承知しました陛下」
「ま――」
ずっと顔を青くしていた公爵夫人が何かを言いかけるも公爵に視線だけで黙らされ何も言えず。放心していたマーガレットは涙を流し始めた夫人に手を引かれるが動こうとしない。
「メグ……、帰りましょう。帰って準備をしましょう」
「……は、私はミカに愛されているから皇太子妃になれるのよね? そうだよね? お母様」
「そ、そうよ。あなたが皇太子妃になるのが私や皇后様の夢だったのよ」
「ミカは? ミカはどう思っているの?」
ミカエリスに気持ちを問うマーガレット。可憐で愛らしい面は涙で濡れている。項垂れていたミカエリスは顔を上げて空色の瞳を見つめた。
「……ああ……メグが皇太子妃になるんだ」
「!! ミカ……!!」
マーガレットにとって待ち望んだ言葉。泣きながらも笑顔を取り戻したマーガレットは夫人に支えられて謁見の間を後にした。
昏い表情で下を見つめるミカエリスは身動ぎもしない。「……は……メアリーが……」と小さな声で何かを紡ぐだけ。
メアリーを好いていたのは事実でも、皇后や周囲の言葉を鵜呑みにし、皇太子の地位を盤石なものにする道具の認識を強めてしまったせいで迎えた結末。シルバニアの娘ではなく、メアリー個人を見ていたら後悔だらけの終わりは来なかった。二人が互いを想い合えば、アーレントも二人を説得した。が、回帰前の行いと最後があるので説得しても二人は意志を変えず、メアリーを嫁がせなかった。
「陛下!」と甲高い声を荒げた皇后が詰め寄ってくる。
「ミカエリスが可哀想だと思わないのですか!?」
「なんだ、お前や公爵夫人はメアリーではなく、マーガレットを皇太子妃にしたかったではないか。望みが叶った。不満を覚える必要があるか?」
「ありますわ! シルバニアの力を自由に使う為にも、帝国の更なる繁栄の為にも、メアリーさんを皇太子妃にしないといけなかった!
ミカエリス! 大体、貴方も少しは考えて行動をしないといけなかった! メアリーさんが図に乗らせないようにしろとは言っても、誰がマーガレットに本気になりなさいと言いました!?」
頭痛が更に酷くなったのは気のせいじゃない。幼少期から散々メアリーを思い通りにする術を叩きつけ、他人には紳士的に接しろと言い続けた本人が状況が悪くなって責任転嫁をし出した。ミカエリスはあんなりな母親の言い分に反論もせず、俯いたまま。
皇太子妃教育でメアリーを限界まで追い詰め、双子の逆鱗に触れてからはマーガレットや周囲を使ってメアリーを牽制してきた皇后。このまま、此処にいさせては何れマーガレットにも牙を剥く。アタナシウスに視線を投げられ、アーレントは肯定した。
「皇后よ。お前がこれ以上いては、次期皇太子妃候補に危険が及ぶやもしれん。折角だ、暫く辺境の地で療養するといい」
「な……何を仰います。わたくしは、どこも悪くな」
「あいつは辺境に飛ばされてから特定の相手と付き合わず、真摯に領地運営を熟している。そろそろ私もお前達二人を会わせても良いと考えていた」
「お、お待ちを、どうかお待ちを!!」
この場に残るのはミカエリスの出生を知る極限られた面子のみ。死人のような顔でアーレントに縋る皇后。外套を掴まれ、手を強引に離した。
「以上だ。公爵は皇后を辺境へ送り届ける手配を」
「はい」
「ミカエリス。お前も部屋に戻るといい。明日から、マーガレットは皇太子妃宮に移り住む。部屋の準備は元からされている。細かな手配はお前からマーガレットに確認をしておけ」
「……け、最後に一つだけ、メアリーと会わせてくれませんか?」
「駄目だ。もうお前とメアリーは婚約者ではない。他人だ。それと呼び捨ても許さん。これからはシルバニア公女と呼ぶように」
「…………」
深い絶望と後悔が重ねられたミカエリスの相貌に哀れみを抱くが、同情はしない。本気でメアリーを選びたかったなら周囲の声に耳を傾けず、マーガレットを遠ざけ、メアリーだけを見ていれば良かったのだ。
出来ていれば回帰前に起きた悲劇は起きなかったか……と、心中で嘆息した。
公爵に指示をされた騎士達が皇后を外へ連れ出して行く途中「わたくしは皇后なのよ!!? 帝国の為にと思って今まで怖い思いをしながらも――!!」と叫んでいたが、転送魔法が発動すると聞こえなくなった。
アタナシウスとティミトリスの近くに立ったアーレントは一つ溜息を吐いた。
「これでいいか」
「うん、十分だよ。でも、ホワイトゲート嬢を城に住まわせるのはどうしてなの?」
「メアリーと違って時間が限られている。城と公爵邸の往復をなくして時間の節約をする」
「そう。まあ、ここから先は僕達には無関係だから思い出したらまた教えて」
「あのな……」
張り詰めていた空気もなくなり、体が軽くなると態度も軽くなる。ティミトリスが大きな欠伸をし、戻ると一言言うなり二人は瞬時にいなくなった。魔法を無詠唱、それも瞬間移動を使用。超一流と名の付く魔法使いでも行使可能かどうか。
未だ残っているホワイトゲート公爵がミカエリスに話し掛け、やっと謁見の間を出て行った。
最後に残ったのはアーレントとホワイトゲート公爵のみ。
「デイビット」
「はい」
「マーガレットは皇太子妃になれる器か?」
「これから次第、でしょう」
「そうか。呉々も壊れないよう見張っておけ。メアリーと比較することも、されることもないよう」
「勿論です」
今日の婚約解消の件、メアリーにはあの二人が伝える。何時呼ばれるかきっと気を張っていただろうメアリーを思うと悪い事をしたと抱くも、この場にいなくて良かったとも思う。
今度、メアリーの好きなケーキを土産にシルバニア公爵邸を訪れよう。
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