婚約者から愛妾になりました

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侵入者

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「……」


 魔界の夜空は美しい。何万もの小さな星に埋め尽くされた紺色のキャンパスには、女王の如く君臨する満月が鎮座している。満月の向こうには悪魔の天敵、天使の住む天界が存在する。
 魔王が健在であれば、余程のことがない限り魔界が襲撃されることはない。
 1人、フィロンの寝室で夜空を見上げるメリルは、今頃夜会でイレーネといるフィロンのことを考える。

 今夜は、王太子を任じられたフィロンと新たな婚約者イレーネの公の場での婚約発表。幼少期からの婚約者だったメリルがフィロンの愛妾として側に置かれている説明もされる予定だ。始祖の魔王の血縁たるラウネル公爵家の娘が愛妾に……と、嘲笑する者もいるだろう。実際、魔力を失ったのにも関わらず婚約者であり続けたメリルを快く思わない者は大勢いる。
 そんな中でも、他人嫌いなフィロンの為と魔力が戻る可能性を視野に入れて婚約関係が継続されたのは魔王エルメスの鶴の一声のお陰。また、父の力も大きい。
 母はメリルを生んだと同時に亡くなった。妻の忘れ形見であるメリルを、目に入れても痛くない程可愛がってくれた。婚約者でなくなり、愛妾としてフィロンの側に居続ける娘を父がどう思っているか……。

 フィロンに頼めば、父になら会わせてくれるだろうが確認する勇気がメリルにはなかった。

 フィロンが戻るまでに情けない顔を見られないよう、顔を洗ってシャキッとしようと洗面場へ行った。
 金色の蛇口を捻ると清潔な水が流れてきた。
 両手で水を溜め、顔を洗う。
 幾度か同じ行動を繰り返した後、蛇口を捻って水を止めた。仕舞われているタオルを取って顔を拭いていく。


「いい香り……」


 タオルを洗う際、薔薇の香りがする洗剤が使用されているようで。薔薇の甘い香りに包まれ頬を赤くした。
 薔薇はフィロンの好きな花だから。本人からも、よく同じ花の香りがする。


「……」


 いつも、フィロンの香りに包まれながら抱かれ、眠る時も絶えない。フィロンが側にいるような気がして、ついタオルを抱き締めた。ふわふわしていて触り心地が抜群である。


「フィロン様……」


 恥ずかしさと同時に顔の体温が上がった。こんな顔をフィロンに見られては、何を言われるか分かったものじゃない。夜会は暫く終わらない筈。フィロンが戻る頃には、きっと顔の火照りも収まっている。それまでに気持ちを落ち着かせようと寝室に戻った。

 時だった。


「!」
「っ、やっぱりいたわね」


 常時フィロンの結界によって守られているこの部屋には、フィロンが認めた相手以外入れなくなっている。
 今夜の夜会のメインであるイレーネが何故いるのか。

 緩く巻かれた金色の髪に合わせたドレスは、胸と背中を大胆に開きながらも下品な感じはなく、己が妖艶さを最大限引き出していた。桃色の瞳に睨まれたメリルは「イ、イレーネ様……」と相手の名前を紡ぐので精一杯だった。


「魔力無しの欠陥品のくせに、どうやって殿下の気を引いたのよ!」
「な、何もしていませんっ。殿下が側に置いて、下さっているだけです」
「あの他人嫌いな殿下があなたみたいな役立たずを側に置くわけないじゃない。……ああでも……」


 大きな瞳を細め、観察するように見られ震える。


「元は高魔力保持者だったものね……身体で殿下を籠絡したのかしら」
「そんなこと、していませんっ、殿下は誘惑に引っ掛かる方じゃないです……!」
「いくら他人嫌いとはいえ、殿下だって男性よ。普通に性欲だってある筈よ。欠陥品でも、身体だけは良いあなたのお願いを聞き入れて下さったのでしょう。本当に、忌々しい……!」


 ぎりり、と歯を噛み締めたイレーネの憎しみの眼をぶつけられながらも、メリルは逃げもせずタオルを抱き締める力を強めた。


「イレーネ様っ、それより、どうやってこの部屋に入ったのですか? 殿下が貼った結界があった筈です」
「ええ、苦労したわ。我が家の優秀な魔法士が内密でも結界を解くのに相当な時間を有したもの。でも間に合って良かった。夜会に出席しないといけない今日を逃すと、次のチャンスは当分先になってしまうもの」


 妖しさを増した桃色の瞳と口元に浮かぶ笑み。嫌な予感しか抱かないメリルは、イレーネが近付く度に同じ分後ろへ下がった。


「知ってた? あなた、欠陥品と言われながら社交界では、殿方達の間では人気者だったのよ?」
「そ、それは、私がラウネル公爵家の娘だから、ですっ」
「それもあるけど、元高魔力保持者だけあって相応の容姿をしているし、おまけに、公爵の過保護で殆ど屋敷から出ないあなたは箱入り娘と言っても過言ではないわ。そんなあなたを自分のモノにしたいって方は大勢いるの。私の言っている意味、分かる?」


 分かりたくもない。後ろへ下がっていたメリルだったが、遂に壁に当たってしまった。
 前はイレーネが、後ろは壁が。
 左右に逃げても魔法が使えるイレーネからは逃げられない。
 精一杯の抵抗として睨み付けても、魔力を失った自分では何も出来ないと知られているのでイレーネの余裕が崩れることはない。

 すると、指を鳴らしたイレーネの合図と共に寝室に見知らぬ男が入って来た。
 身形を見れば、今夜の夜会に出席しているだろう服装である。


「約束通り、この娘はあげるわ。好きにしなさい」
「!?」


 イレーネの信じられない発言に瞠目した。イレーネの言葉を受け、男がメリルへ距離を縮めた。前も後ろもダメなら、と左へ逃げた。
 あっという間に腕を捕まれ床に投げられた。受け身も取れず、痛みに顔を歪めていると身体を仰向けにされ両手を床に押し付けられた。


「ほ、本当に良いのですかっ? もし殿下に知られれば」
「知られはしないわ。それに、もし仮に知られても他人の手が付けられた女を側に置く程、殿下は優しくないでしょう」
「離して……」


 恐怖が勝っているせいでメリルが発せられたのは、か細い抵抗の声だけ。焦りを見せながらも、男の拘束が緩むことはなかった。
 片手で両手を捕まれ、空いた手に宿した小さな炎でドレスの前部分が燃やされていく。
 下腹部まで焼くと左右に開かれた。
 メリルの晒された素肌を目にしたイレーネが憎々しげに見下ろす。
 首、胸、腹にあるフィロンが付けた赤い印に目が集中していた。


「魔力のない欠陥品のくせに……殿下の側にいること自体間違いなのよ! ……でも、あなたが殿下の側にいられるのも今日まで。私は部屋を出ているから、たっぷりと楽しんでちょうだいな」
「い、いや……ぁ……!」


 憎悪も嫉妬もない、令嬢の美しい微笑みを最後に浮かべたイレーネは扉の方へ歩いて行く。
 このままだと本気で知らない男に犯されてしまう。力一杯身体を動かそうとするも、両手は男に封じられ、更に腰の辺りに馬乗りにされ全く動けない。
 大声を出したくても、怖くて出来ない。


「いや、いやっ」
「この、大人しくしろ」


 じっとしないメリルに苛立ちが募っているのだろう。胸を強く揉みながら男は腕の拘束を解こうともがくメリルへ怒鳴った。ビクッと跳ねた身体は急に動きを止めた。代わりに、小刻みに震え出した。


「あまり大きな声を出さないで。誰かに気付かれたらどうするの」
「申し訳ありません。でもこれでやっとこの女は大人しくなりました。欠陥品のくせに手こずらせやがって」
「っ、ううっ、痛いっ」


 胸を引き千切るばかりの力で揉まれ、強い痛みがメリルを襲う。フィロンはこんな風に触れない。優しく、時に意地悪に触れ、眠る時はよく顔を埋めている。そんなフィロンの髪を梳くのが最近のメリルの楽しみだった。
 夜会は夜通し行われる。フィロンが戻る前に、この男に犯される可能性がきっと高い。

 イレーネの言った通り、自分以外に抱かれた自分をフィロンは許しはしない。そもそも、ずっと嫌い続けてきた相手を愛妾として側に置く理由を知らない。フィロンに聞いても機嫌を悪くされるだけ。
 上から男の興奮した吐息が顔にかかり気持ち悪さしかない。
 フィロンには、何をされても甘い快楽しか感じないのに……。

 相手がフィロンだから、全部許されることだったのに――


「…………へえ? 随分、楽しそうなことしてるね」


 胸を揉まれ、更に男の舌で突起を舐められた時だった。
 男性にしては、少し高い声の主が寝台に腰掛けて室内にいる3人を見回した。
 部屋を出ようとしていたイレーネは一瞬にして顔を青ざめ、慌ててこうべを垂れた。

 青みがかった銀髪、長い睫毛に覆われた紺碧の瞳。
 冷たい美貌のフィロンとは正反対の、甘い美貌のフィロンに似た青年は酷薄は微笑を見せ付けた。


「仮にも兄上の婚約者であるイレーネあなたがこんな馬鹿な気を起こすなんて。アールズ公爵家は、兄上とラウネル公爵家を敵に回したいと見ます」
「違いますわ! ネーヴェ殿下っ、わ、私はこの欠陥品に身を持って教えて差し上げただけですわ!」
「何をですか?」


 青年――ネーヴェは、怪訝な顔でイレーネを見やるが、ぷっ、と吹き出した。


「いや、いいです。聞いてもぼくの予想通りの言葉が出るだけでしょうから。所で、君は何時までメリル様の上に乗っかっているつもりですか?」


 メリルは先程まで感じていた恐怖と絶望が和らぐのを感じた。ネーヴェが来てくれたお陰だ。
 ネーヴェが左手を翳した。淡く発光すると男が吹き飛ばされた。壁に衝突し、耳を塞ぎたくなる衝撃音が発生した。

 念道力サイコキネシスで前方から圧迫されている男から骨が折れ、砕ける音が響く。短い悲鳴を上げ腰を抜かしたイレーネが座り込んだ。


「メリル様。ああ、可哀想に。手が真っ赤だ」


 男が吹き飛んだお陰で漸く身動きが取れるようになったメリルはネーヴェに起こされ、白い外套を掛けられた。晒された前を隠そうと手を上げたのでネーヴェに見つかった。


「ネーヴェ殿下……殿下は?」
「兄上はまだ夜会の場に。兄上に見つかると厄介極まりないので、申し訳ありませんが内密に処理させて頂きますよ」


「――…………ほう? 何を内密にするんだ? ネーヴェ」


 フィロンの耳に入れば、当然イレーネや男はタダでは済まないし、メリルもある意味同じ。胸を弄られただけとは言え、他の男に触られたのだ。フィロンが知れば、お情けで側に置いている自分などすぐに追い出されてしまうだろう。

 また、イレーネはフィロンの今の婚約者であり、アールズ公爵家の令嬢である。フィロンに見つかり、始末されることがあればアールズ公爵家も黙ってはいない。
 ネーヴェの考えと気持ちを汲み取ったメリルだったが、既に時遅く……。

 この場を見てはいけない人物が温度の消えた紺碧の瞳で実弟を睨み付けていた。


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