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その瞳に映すのは3
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カップを高く持ち上げたミエーレは一気にカフェモカを飲み干した。生クリームの残骸が底に残った。上唇についた生クリームを舌で舐め取る仕草は、蛇が獲物を捉え舌舐めずりをする残酷性は一切無く、年相応に見えない妖艶さがあるだけだった。
今のシェリはどのような表情をしているのか。きっと酷い顔をしている。あからさまな敵意をレーヴに投げ付けられ、彼は悪くないと心に言い聞かせても人とは容易にできてない。
ガラガラと今までのレーヴへの好意が崩れ落ちていく。
彼は“転換の魔法”による被害者。
シェリにあった好意を強制的にアデリッサへと向けられただけ。
わかっている。わかっている。わかっている。わかっている。わかっている。
呪文みたいに何度唱えても、わからない。
迷子になった幼児を見る優しさが含まれた碧眼が離さない。カップを置いたミエーレが熱々のスープを被って蹲るアデリッサと彼女の両肩に手を置いて容態を確認するレーヴの前に立った。
「殿下。今はナイジェル嬢を医務室へ連れて行くのが最優先だ。火傷をしている場合がある」
「しかしっ」
「それに、だ。殿下は今冷静な判断を下せない。だったら、ナイジェル嬢を治療した後で合流しよう。勿論、シェリも居させる。それでいい?」
「っ……分かった」
ミエーレの言い分にまだ噛み付きたいであろうレーヴだが、このまま放っておくとアデリッサの火傷が進行する。医務室へ行き、適切な治療を施すのが最優先。レーヴは制服の上着を脱ぐとアデリッサに掛けた。背中と膝裏に手を回すと抱き上げた。
去り際、シェリを一際強い憎しみの瞳で睨みつけた後……小走りで去って行った。
周囲の目はアデリッサを抱き抱えたレーヴが消えてもシェリに注がれる。
「ミエーレ……」
悲しみも、悔しさも、怒りも、何もない、ただ発しただけの声でミエーレを呼んだ。
「さっきのお誘い……やっぱり……受けても良いかしら?」
「……いいよ。行こう。パンは?」
「残すわ……」
「ふーん」
給仕を呼んでテーブルの片付けを頼むとぼんやりとしたシェリを立たせ、手を引いて食堂を出た。この後、どのような囁きがされるかは。
容易に思いつく。
ミエーレに連れられたのは図書室。昼休憩終了までまだ少し時間があるので人のいる数は多い。入り口から最も遠い本棚に行き、誰も居ないのを確認してシェリを床に座らせた。汚いと言われようが布越しなのだからさして問題はない。
本棚を背凭れにして天井を仰いだ。
魔法の力によって光る照明。本が読みやすいようにとオレンジがかった光。
その内、午後の授業開始の鐘が鳴る。扉の開け閉めの音が激しく、途端消滅。
人の気配が消えた。シェリとミエーレ以外、誰もいない。
シェリは先程受けたレーヴの憎しみに染まった青の宝石眼を思い出す。何度も何度も何度も、何度も“転換の魔法”のせいだと言い聞かせても人の心は脆弱で指で突いたら呆気なく壊れる。ドミノ倒しと一緒だ。
「“転換の魔法”に解除方法はない。ミエーレはそう言ったわね……」
「事実だ」
「そうね……もう……殿下は、あのままでも良いのではと思うの」
「“魅了の魔法”と違って禁忌魔法には指定されていないから、正式に罰するのは難しい。けど、掛けた相手が王子ということ。この点は突ける。おれも殿下はアデリッサと仲良く乳繰り合っていたら良いけど、王国側としては罰もなしに野放しは無理」
そこで、とミエーレは欠伸を間に入れて続けた。
「ヴェルデが件の従者の元の主に今日接触する。彼の結果次第だが……従者には軽い罰、アデリッサにはキツーい罰を与えられる。ナイジェル公爵家にも相応の処分は下るだろう」
「公爵本人は知っているのよね」
オーンジュ公爵と犬猿の仲と評されるナイジェル公爵。娘には激甘でも貴族としては優秀で周囲の信頼も篤い。嫌っていても、時にはオーンジュ公爵と協力して国を守ってきた。公私混同は決してしない。シェリも、嫌っている男の娘とは言え、彼は感情を娘相手にまで向けない。1人の公爵令嬢として接してくる。
愛娘のやらかしを聞いた時のナイジェル公爵が不憫でならない。
「アデリッサにナイジェル公爵の性格がちょっとでも受け継がれていたら……」
「そりゃあ難しいかもな。実はこれ、父上が言っていたのだけど。アデリッサは……」
新しい高機能玩具を親に買ってもらい、友達に見せつける愉快な色を隠さないでアデリッサの秘密を暴露してくれたミエーレに引きつつも、そう……とだけ返した。
不意にミエーレの碧眼がシェリを捉えて離さない。首を傾げれば「ちょっとは落ち着いた?」と問われた。
あ……と声を出したシェリはふわりと微笑んだ。
「……ええ。ちょっとだけ」
「そっか」
「本当の本当に、殿下は諦めるわ。でも、アデリッサにはきっちりと落とし前をつけたい」
「はは。その調子調子。じゃあ、ヴェルデの報告を待とうか」
今のシェリはどのような表情をしているのか。きっと酷い顔をしている。あからさまな敵意をレーヴに投げ付けられ、彼は悪くないと心に言い聞かせても人とは容易にできてない。
ガラガラと今までのレーヴへの好意が崩れ落ちていく。
彼は“転換の魔法”による被害者。
シェリにあった好意を強制的にアデリッサへと向けられただけ。
わかっている。わかっている。わかっている。わかっている。わかっている。
呪文みたいに何度唱えても、わからない。
迷子になった幼児を見る優しさが含まれた碧眼が離さない。カップを置いたミエーレが熱々のスープを被って蹲るアデリッサと彼女の両肩に手を置いて容態を確認するレーヴの前に立った。
「殿下。今はナイジェル嬢を医務室へ連れて行くのが最優先だ。火傷をしている場合がある」
「しかしっ」
「それに、だ。殿下は今冷静な判断を下せない。だったら、ナイジェル嬢を治療した後で合流しよう。勿論、シェリも居させる。それでいい?」
「っ……分かった」
ミエーレの言い分にまだ噛み付きたいであろうレーヴだが、このまま放っておくとアデリッサの火傷が進行する。医務室へ行き、適切な治療を施すのが最優先。レーヴは制服の上着を脱ぐとアデリッサに掛けた。背中と膝裏に手を回すと抱き上げた。
去り際、シェリを一際強い憎しみの瞳で睨みつけた後……小走りで去って行った。
周囲の目はアデリッサを抱き抱えたレーヴが消えてもシェリに注がれる。
「ミエーレ……」
悲しみも、悔しさも、怒りも、何もない、ただ発しただけの声でミエーレを呼んだ。
「さっきのお誘い……やっぱり……受けても良いかしら?」
「……いいよ。行こう。パンは?」
「残すわ……」
「ふーん」
給仕を呼んでテーブルの片付けを頼むとぼんやりとしたシェリを立たせ、手を引いて食堂を出た。この後、どのような囁きがされるかは。
容易に思いつく。
ミエーレに連れられたのは図書室。昼休憩終了までまだ少し時間があるので人のいる数は多い。入り口から最も遠い本棚に行き、誰も居ないのを確認してシェリを床に座らせた。汚いと言われようが布越しなのだからさして問題はない。
本棚を背凭れにして天井を仰いだ。
魔法の力によって光る照明。本が読みやすいようにとオレンジがかった光。
その内、午後の授業開始の鐘が鳴る。扉の開け閉めの音が激しく、途端消滅。
人の気配が消えた。シェリとミエーレ以外、誰もいない。
シェリは先程受けたレーヴの憎しみに染まった青の宝石眼を思い出す。何度も何度も何度も、何度も“転換の魔法”のせいだと言い聞かせても人の心は脆弱で指で突いたら呆気なく壊れる。ドミノ倒しと一緒だ。
「“転換の魔法”に解除方法はない。ミエーレはそう言ったわね……」
「事実だ」
「そうね……もう……殿下は、あのままでも良いのではと思うの」
「“魅了の魔法”と違って禁忌魔法には指定されていないから、正式に罰するのは難しい。けど、掛けた相手が王子ということ。この点は突ける。おれも殿下はアデリッサと仲良く乳繰り合っていたら良いけど、王国側としては罰もなしに野放しは無理」
そこで、とミエーレは欠伸を間に入れて続けた。
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「公爵本人は知っているのよね」
オーンジュ公爵と犬猿の仲と評されるナイジェル公爵。娘には激甘でも貴族としては優秀で周囲の信頼も篤い。嫌っていても、時にはオーンジュ公爵と協力して国を守ってきた。公私混同は決してしない。シェリも、嫌っている男の娘とは言え、彼は感情を娘相手にまで向けない。1人の公爵令嬢として接してくる。
愛娘のやらかしを聞いた時のナイジェル公爵が不憫でならない。
「アデリッサにナイジェル公爵の性格がちょっとでも受け継がれていたら……」
「そりゃあ難しいかもな。実はこれ、父上が言っていたのだけど。アデリッサは……」
新しい高機能玩具を親に買ってもらい、友達に見せつける愉快な色を隠さないでアデリッサの秘密を暴露してくれたミエーレに引きつつも、そう……とだけ返した。
不意にミエーレの碧眼がシェリを捉えて離さない。首を傾げれば「ちょっとは落ち着いた?」と問われた。
あ……と声を出したシェリはふわりと微笑んだ。
「……ええ。ちょっとだけ」
「そっか」
「本当の本当に、殿下は諦めるわ。でも、アデリッサにはきっちりと落とし前をつけたい」
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