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勝手にしなさいよ
しおりを挟む――物語には強制力がある。
将来の為に、大好きな家族の為に、屋敷を支える使用人達の為に、物語通りの末路は断固お断り。余所へ行ってください。
頑張った。出来る限りの事は全て。
だが……それでも……――
「ヴァイオレット・スカイローズ!今日この場を以て、君との婚約を破棄する!罪もないメリッサを元庶民だからと苛め、更には命までも奪おうとした君の悪行は許されない!よって――」
筋書き通りの結末からは逃れられない。
無実の罪を着せられ、目出度い場のど真ん中で断罪真っ只中のヴァイオレットは、これまでの自身の努力が水の泡になろうと、いつぞや婚約者が語った言葉を信じていた自分自身を殴りたい衝動に駆られようと、もっとヒロインの行動に注視すべきだったと己を叱責しようと、心中こう思うのである――。
(勝手にしなさいよ)
と
◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇
鏡に映る自分の容姿に一人の少女は、何度目かも知れぬ深い絶望を味わった。
紫がかった銀髪に血の様に赤い瞳の少女の名をヴァイオレット・スカイローズ。スカイローズ公爵家の長女にして四番目の子供。先の子供が全員男子だった為、待望の女の子の誕生に家族全員が喜び、ヴァイオレットと名付けた末の娘と妹を蝶よ花よと愛でた。
――しかし。ヴァイオレットにはある秘密があった。
「もう十歳か……」
本日、数を数えるのも馬鹿らしくなる位の溜め息をまた吐いた。
ヴァイオレットには、俗にいう前世の記憶というものがあった。赤ん坊の頃から。
「下手に取り返しがつかなくなる年齢で思い出すよりずっとマシだけど……よりにもよって何でヴァイオレット……」
前世のヴァイオレットが好んで読んでいた少女漫画に登場するキャラクターに転生していたのだ。主人公の女の子に婚約者である第一王子の心を奪われ、嫉妬に狂った挙げ句、主人公を苛め、最後には命までも奪おうとした悪役令嬢――。
それが漫画の世界のヴァイオレットであり、最後には全ての罪を王子の誕生日パーティーにて露呈され、処刑される。
「漫画を読んでる時は、ヴァイオレットは胸糞な女かと悪印象しかなかったのに、いざ自分がヴァイオレットになるとそうも言ってられないわね」
何せ、人生が掛かっているのだから。
ヴァイオレットは赤ん坊の頃に決意した。絶対に第一王子と婚約しない、性格の悪い令嬢にはならない、我儘は程々に、使用人とは仲良く、ヒロインとは絶対に関わらないと。
明日は王子の十歳の誕生日パーティーが王城にて開催される。そこで、ヴァイオレットは王子の婚約者として大々的に発表される。しかし、婚約者になるなど真っ平御免なヴァイオレットはパーティーに出席するつもりは毛頭ない。
「優しいお父様とお母様を困らせるのは心が痛むけど、私の将来の為にも何としてでも……!」
そう強くヴァイオレットが鼻息を荒くして、おーっ!と侍女に見られれば奇怪なものを見るような目で見られること確実なポーズを取った。
――翌日。
遠い昔から、王家に仕える公爵家として、王子の誕生日に出席しない筈がないスカイローズ夫妻にヴァイオレットは激しく嫌々と抵抗した。誕生日パーティーへ行くことに。
「嫌です行かないです絶対行かないですどうしても行けと言うのなら私は今ここで死にます!!」
「どうしたの可愛いヴァイオレット。ヨーデル第一王子殿下の誕生日パーティーに、私達スカイローズ公爵家が出席しないわけにはいかないのです」
「そうだぞヴァイオレット。ヴァイオレットの我儘を聞いてあげたいがこれだけは無理なんだ。どうか、一緒に行ってくれないか?」
「嫌なものは嫌です!私が行かなくても兄上様達がいるではありませんか!」
「王妃様がヴァイオレットを是非にとのお達しなんだ。頼む。我慢してくれたら、ヴァイオレットの大好きな苺をたくさん食べさせてあげるから」
「ぐう!い、苺で釣ろうとしてもそうはいきません!」
一瞬、大好物の苺を餌にされ釣られかけるも、将来安泰という確固たる信念を持つヴァイオレットには通用しない。
パーティーの時間が迫っている。どうにかヴァイオレットに来てほしい両親と行きたくない娘の攻防戦は――……
「わあーい!アルスお兄様大好きです!」
「ヴァイオレットの願いを叶えるのは、兄として当然だよ」
次男のアルフォンスが「父上、母上。ヴァイオレットはあまり体が丈夫な子ではありません。パーティー中に体調を崩して倒れてしまえば、それこそ王子殿下や王の顔に泥を塗るとは思いませんか?」と説得した。アルフォンスの言葉に耳を傾け、無理強いをしてすまないと謝る両親にやはり良心が痛んだものの、絶対に譲れないのでヴァイオレットは気にしていないと首を振った。
屋敷に残ったヴァイオレットは、寝るまでアルフォンスに絵本を読んでもらった。
――翌朝。
朝からヴァイオレットの機嫌は最悪だった。何故なら、昨夜、誕生日パーティーから帰宅した父が「ヴァイオレット!お前とヨーデル殿下との婚約が決まったぞ!」と高らかに宣言したからだ。身に雷が落ちたかのような衝撃を受けたヴァイオレットは、倒れそうになった身体を根性で立たせ思い切り叫んだ。
「いーやーよぉおおおおおおお!!!」
誰が好き好んで将来自分を断罪する男の婚約者にならないといけないのか。断固拒否するヴァイオレットにたじたじな両親。兄達も何事かと集まった。
「うむ……しかし。王家との婚約となると公爵家が破棄を申し出るのは出来ないな」と長男ロクシス。
「父上が断れないのは仕方ないにしてもどうするか」と次男アルフォンス。
「ヴァイオレットに無理強いはしたくないが、こればかりはどうしようもないよ」と三男ヴィオル。
三男の名前が女の子の名前なのは、生まれた時父が女の子だったらこれにしようと決めていた名前を間違えて書いて出生届を出してしまった為。ヴィオル本人は、女性寄りの美人顔なので特に気にはしていない。
普段は妹に激甘な兄達でも、王家との婚約となると断るのは難しいと顔を険しくする。自分を大事にしてくれる兄達と両親をこれ以上困らせるのは嫌なヴァイオレットは、内心大泣きしながらもヨーデルとの婚約を了承した。
昼。ヨーデルが多数の従者を引き連れてスカイローズ公爵邸に現れた。
夜を思わせる黒髪に海よりも深い青い瞳。将来絶対に美少年となるのが確定している王子の容姿は、幼少の頃から既に規格外である。
互いに挨拶と自己紹介を済ませるとヴァイオレットが突然切り出した。
「ヨーデル殿下」
「婚約者となったのですから、殿下は不要です。ヨーデルとお呼びください」
「いいえ。第一王子殿下であらせられる貴方様に呼び捨ては出来ませんわ。それより、ヨーデル殿下。此度の婚約、殿下が嫌になれば何時でも破棄なさってくださいませ」
「え」
「私は、何時でも婚約破棄して頂いて構いません」
今日会ったばかりの、しかも王族に第一王子に向かって遠回しに婚約破棄を勧めるヴァイオレットに、ヨーデルの従者やヴァイオレットの両親は顔を青くする。ヨーデルも、何故彼女がそんな事を言い出すのか分からないでいた。
「……ヴァイオレット嬢は、私が嫌いですか?」
「いいえ。滅相も御座いません。ただ、私のような未熟者は殿下の婚約者には相応しくないというだけです。我がスカイローズ家から破棄は出来ませんので、殿下から何時でも婚約破棄を王に進言してください」
「……」
恵まれた容姿、王家に生まれた第一王子という身分から、今までぞんざいな扱いを受けてこなかったヨーデルにはヴァイオレットの対応はあまりにも衝撃的だった。
それからは特に会話らしい会話もなく、初対面の日は終わった。
両親はヴァイオレットを叱ろうとするも、あれだけ嫌がっていたヨーデルとの婚約を了承したのに怒られるなんてとヴァイオレットは盛大に泣き出した。無論、娘を泣かせたかった訳ではない両親はあたふたと、兄達はヴァイオレットを必死で慰めた。
「ふうー……お父様やお母様には申し訳ないけど、長生きをする為には王子との婚約は何としてでも白紙に戻したいのよ。これからは王子に嫌われる態度をしないとね。あ、でも、家に迷惑は掛けない程度に」
また翌日。王妃教育が始まったのだが、王妃になるつもりはないヴァイオレットは授業をほっぽりだし、三男のヴィオルと庭でのんびりとお昼寝をしていた。気温も寒すぎず暑すぎずな丁度良いので昼寝には持ってこいなのだ。
さらに翌日。今日は王妃教育を受けてもらおうと家庭教師は、予定の時間よりも早くヴァイオレットの部屋を訪れるのだが、行動を読んでいたヴァイオレットは長男ロクシスと共に屋敷の屋根上で日向ぼっこをしていた。
そのまた翌日。今度は朝からヴァイオレットの部屋の前で待機していた家庭教師だが、今日も王妃教育は出来なかった。前日に、次男アルフォンスの部屋にヴァイオレットが泊まっていたから。
徹底的に王妃教育から逃げる娘を公爵が叱ってないのかと言うと――
「はあ……なあ、アーシャ。私はヴァイオレットを怒るに怒れないのだよ」
「ええ。分かっていますわアスラ」
「普段の家庭教師との勉強はしているし、マナーレッスンもダンスレッスンも食事のマナーも完璧に熟している。王妃教育だけ、徹底的に嫌がってるが他が完璧なんだよ。だから怒るに怒れない……」
「ヴァイオレットが言うように、これはもうヨーデル王子殿下から、婚約を破棄してもらうしかほかないわ」
「ヨーデル王子殿下は、毎日のように屋敷へ訪れているがヴァイオレットに避けられて最近は元気が全くないみたいなんだ」
「傷が浅い内に王にお願いしてみては?」
「何度かしてみたが、どうしてもヨーデル王子殿下の婚約者はヴァイオレットではないと駄目だと言い張るのだ」
スカイローズ公爵家は、公爵と言えどあまり権力や財に興味がなく、気付いたら爵位を王国から授けられ、気付いたら公爵家になっていた。そんな家である。
ヴァイオレットがヨーデルとの婚約が決まって半年が経った。
今まで一度も王妃教育を受けていないヴァイオレット。毎週のように訪れては、ヴァイオレットに様々な土産を渡すヨーデル。
花、宝石、ドレス…等。
しかし、ヴァイオレットは全て受け取りを拒否している。いつか婚約破棄をしてくるであろう相手から、贈り物等受け取ってはいられない。
突き返す度にヨーデルの美しい顔が悲しそうになるが、そんな顔をするのも今の内だと心の中で舌を出す。ヒロインと出会えば、彼はヒロインを好きになる。
今日も今日とて、ヨーデルはスカイローズ公爵邸を訪れ、ヴァイオレットにプレゼントを渡した。いつものように突き返してやろうとしたが今日は初めての食べ物だった。それも――。
「ヴァイオレット嬢は、苺が好きだと聞きました。今年収穫したもののなかで、最高品質を誇る苺です。どうか、お納めください」
「あ、う……」
「勿論、不要であれば廃棄します」
「い、いえ!有り難く、頂戴致します!」
食べ物に罪はない。今までの贈り物にも罪はないが。
苺を出してくるとは思ってもみなかった。ヨーデルの言う通り、ヴァイオレットは大の苺好き。王都では、苺は貴重で高価な果物なので市場には滅多には出回らない。貴族でも伯爵家以上の地位がないと簡単には手に入らない。
恐る恐る、苺を詰めた木箱を受け取った。満面の笑みを浮かべるヨーデルの周囲に花が咲いて見えるのは気のせいか。
「良かった。初めて、私の贈り物を受け取って下さいましたね」
「こ、今回だけですわ」
「これからは苺をお届けに参ります」
「ぐう……」
苺を餌にされれば、断るという選択肢がなくなる。
宣言通り、ヨーデルは毎週苺を持参してスカイローズ公爵邸を訪れるようになった。土産の苺と美味しいお茶でおもてなしをするしかないヴァイオレットは、毎週この時間だけ冷や汗をだらだらと流す。
だが、ヨーデルと色々と話していく内にヴァイオレットの警戒心が徐々に薄まり始めた。
そして、ある結論へと至った。
「恋愛感情を持てなくても、友人として接するのもありじゃない?」
婚約者は嫌だが、友人としてならヨーデルはとても頼もしく一緒にいて楽しい。
「よし!ヨーデル殿下とは、お友達感覚で接していこう!」
おー!と片手を上げて固く決意したヴァイオレットであった。
◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇
――物語には、強制力がある。
これまで、破滅の未来を回避する為に、様々な事を頑張った。
家族や使用人に過度な我儘は言わない。
第一王子と婚約を結ばない。
派手に目立たず地味にひっそり過ごす。
最重要事項であるヒロインとは極力接触を避ける、又は間に第三者を入れてやり取りをする。
まず最初の我儘は言わない。これに関してはクリアしている。ただ、あまりにも我儘を言わないから却って家族を心配させてしまったので偶に苺を食べたい位の我儘を言う。
次の第一王子との婚約は結ばない。漫画では、ヴァイオレットがヨーデル王子殿下と婚約するのは彼の十歳の誕生日を祝うパーティーの席で。だが、前世の記憶を赤ん坊の頃から所持しているヴァイオレットは、次男アルフォンスの力も借りてパーティーの出席を回避した。これでヨーデルとの婚約はなくなると喜んだのも束の間――父アスラが屋敷へ帰宅した際、泣きながらヴァイオレットとヨーデルの婚約が決まったと告げた。これに絶叫したのは言うまでもない。
三番目については、何だかんだで公爵の地位を賜ったスカイローズ家。地味にひっそりは無理だが、服装だけでも地味にしようと奮闘した。しかし、娘のファッションセンスを許さない母によって、全て無駄に終わった……。
最後の項目について。これについては、まだ先の話である。
ヴァイオレットやヨーデルがヒロインと出会うのは十五歳になると入学する貴族の学校。今のヴァイオレットの年齢は十四歳。婚約が決まって早四年。ヒロインが登場するまで後一年。長いようで短い一年の間に、まだまだ準備が必要だとヴァイオレットは今日も奔走するのであった。
何に?勿論、毎週のように苺を持参して訪れるヨーデルをどうにかする為に、である。
「ノートはこれ、羽ペンはこれくらいあれば足りる、インクは予備用で多めに、それから……」
私室のテーブルで羽ペンを走らせるのは、スカイローズ公爵家令嬢ヴァイオレット・スカイローズ。紫がかった銀髪を左右で耳の下に縛り、紙に来年の入学までに揃える物を書いていく。気合の入った貴族の家では、一年以上前から入学準備をする所もある。スカイローズ家は割とのほほんとしており、三男ヴィオルが入学する際には、入学準備は二週間前に済ませる程。ヴァイオレットのように一年も前から準備をした子はいない。
コンコン
ノックをされた扉に向かって「どうぞー」と叫んだ。失礼します、と入ったのはヴァイオレットに仕えて五年の侍女リーリエ。赤い髪に金色の瞳が特徴の女性。
「お嬢様、お茶の時間になりましたので、本日のデザートを持って参りました」
「ありがとう。そこのテーブルに置いてて」
部屋の真中に位置するソファーの前のガラス製のテーブルに、本日のデザートであるクッキーと紅茶をそっと置いた。リーリエはヴァイオレットが机に向かって何をしているのかが気になったらしく、お嬢様と呼んでから疑問を口にした。
「先程から何を熱心に書かれているのですか?」
「来年の入学に必要な物を書いているのよ」
「今からご準備を?」
「驚く事でもないでしょう?家によっては、今から入学準備をする家だってあるもの」
「え、ええ。存じております。ただ、今までの坊ちゃま達を見ていたら、お嬢様があまりにも早いので」
「ああ……うん……気持ちは分かるわ」
両親からの遺伝だからか、子供達皆のんびり屋さんで兄妹喧嘩は一度もない。仲が悪いより断然良い。両親の怒った姿も見てたことがないとヴァイオレットは、ふと思った。厨房からデザートのクッキーを盗み食いしたり、父アスラの椅子にもふもふクッションを置いて驚かせたり等、色々と悪戯をしているが怒られた事がないとヴァイオレットは気付くのだが、単に怒るような悪戯をしていないだけである。
ずっと家族穏やかで暮らしたい――。
そう思えば思うほど、早くヨーデルとの婚約を解消したい。又は、早く学校に入学してヨーデルとヒロインがくっつけばいい。悪役令嬢がいるのは漫画の世界だけ、この世界にヒロインに嫌がらせをして最後には命まで奪おうとする悪役令嬢ヴァイオレットはいない。いるのは、家族と平穏に暮らしたい公爵家令嬢のヴァイオレット。
羽ペンを置き、休憩時間に入ろうと席を立った。テーブルにはクッキーと紅茶が。今日のクッキーはシナモン味。ソファーに座り、早速お茶を始めた。
――おやつの時間を終え、紙に必要事項を粗方書き終え、屋敷内を歩くヴァイオレットが向かうのは客室。今日は、ヨーデルが遊びに来る日だったのをすっかりと忘れていた。扉をノックし、中からの声に従いドアノブを回した。
「ご機嫌麗しゅう。ヨーデル王子殿下」
「やあ。お邪魔してるよ、ヴァイオレット。今日は王都で人気な苺タルトを持って来たんだ。いつも普通の苺じゃ飽きると思ってね」
「お心遣いに感謝致します」
「君は何時になったら、私を呼び捨てで呼んでくれるのかな」
「私などが恐れ多いですわ。婚約者の身といえど、殿下は王族、私は貴族。この差は埋められません」
婚約者という立場を無しにしても、殿下より名前で呼びに拘るヨーデルは今日もまた駄目だったと眉を八の字にした。ヴァイオレットが言うことも正しい。貴族は身分社会。相手より下の爵位の者が上の者を呼び捨てにする事は出来ない。こうしたプライベートな空間なら、咎める者はいない。四年経った今でも他人行儀な呼び方を続けるヴァイオレットの態度は、一体どうしたら軟化してくれるのか。王妃教育は婚約成立から一年後に漸く受けてくれた。しかし、ヨーデルが考えるのはそればかり。
「私は全然構わないのに」
「殿下が宜しくても周りが許しません。侍女にお茶を持って来させましょう」
「いや。今日は、苺タルトを渡しに来ただけだから遠慮しておくよ。そういえば、学校の入学準備は何時始めるの?」
「もう始めております」
「ヴァイオレットは早いんだね。スカイローズ公爵家の令息達は、皆ギリギリで準備をする習慣があるみたいだから、意外だね」
「あ……そ、そうですね」
兄達ののんびり気質が王族にも伝わっていたのかと思うと妙に恥ずかしい。のんびり気質は兄達だけでなく、そもそもが遺伝元の両親からだとヴァイオレットは忘れている。
帰るヨーデルを見送ったヴァイオレットは頂いた苺タルトを侍女に渡し、自分は部屋に戻り準備の続きをするのであった。
◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇
――一年後。
無事、貴族の子が通う王立ノイシュタイン学校に入学したヴァイオレットは、三男ヴィオルを校門前で待っていた。スカイローズ家の兄弟は、歳が一つずつ違う。一番上の長男ロクシスが18歳、次男アルフォンスが17歳、三男ヴィオルが16歳、そして末っ子ヴァイオレットは15歳。最高学年のアルフォンスは、今年卒業した兄ロクシスの後を継ぎ、生徒会役員としての仕事がある為一緒には帰れないので先に帰っててと伝言を預かった。
今日は新入生の入学式なので全校生徒授業がない。
「ヴィオル兄様まだかしら」
そういえば、図書室で借りている本を返さないと、と言っていたのを思い出す。
「図書室に……いえ、入れ違いになってもあれだから待っていようかしら」
気温も温かく、外で待ってても風邪は引かないしね、と自己完結。
流れゆく雲をぼおーと見上げた。
耳に女子生徒達の黄色い声が届いた。興味本位で視線を向ければ、ヴァイオレットの婚約者であるヨーデルと騎士団長のご子息が談笑しながら廊下を歩いていた。二人とも、身分としてもあるが見目が非常に整っている為、早々に女子生徒達の憧れの的になった。ヨーデルに気付かれては、と視線を再び空へ変えた。何度も見ても雲はゆっくりと動いていた。
「良かった!ヴァイオレットを見つけられて」
遠くにいた筈のヨーデルが気付くとヴァイオレットの目の前にいた。驚いて、さっき彼がいた方を見るもいるのは女子生徒の集団だけ。……視線に嫉妬が込められているのは気のせいだと思いたい。
「ご入学おめでとうございます、ヨーデル殿下」
「それは君もだろうヴァイオレット。今年の目標がぼくにはあるんだ。学生生活で、君が私を呼び捨てになってくれるように頑張らないと」
「お戯れを」
「戯れじゃないよ。ヴァイオレット。私達は政治的思惑で婚約を結ばれたけど、貴族や王族にとってそれは当たり前の話なんだ。ゼロの状態でも何時か愛が芽生える事だってある。無論、家族としての愛情が生まれる事も。冷たい仮面夫婦よりも、私は暖かくて愛情のある関係を君と築きたい」
「……」
「すぐにとは言わない。ただ、少しずつでいいから、私に歩み寄ってほしい」
目の前にいるのはどのヨーデルなのか。
未来でヴァイオレットを断罪するヨーデル?
それとも、今のままヴァイオレットを愛してくれるヨーデル?
「殿下……殿下のお気持ち、しかと受け取りました。私は今でも殿下の婚約者に相応しくないと思っております。ですが、殿下の隣に立つに相応しい婚約者になるよう精進します」
答えはまだ見えない。
不透明な未来よりも、今を大事にしないと何処かで後悔する。ヴァイオレットは最上級のカーテシーを披露し、初めて真っ直ぐと自身の婚約者を見上げた。
「ありがとう。ヴァイオレット」
初めて自分を真っ直ぐと見つめてくれた赤い瞳。魅惑的な赤に引き込まれるようにヨーデルの右腕が上がりかけた時、遠い方からヴァイオレットを呼ぶ兄ヴィオルの声が届く。中途半端に上げた腕を下ろし、また明日と告げて立ち去ったヨーデルと入れ替わるようにヴィオルがヴァイオレットの所へ到着した。
「殿下と何か話してたの?」
「大した事じゃないわ。さあ、帰りましょうヴィオル兄様」
「大した事だよ。殿下嫌いのヴァイオレットが珍しく殿下と長話してたんだから」
「……見てましたわね」
道理で遅い筈だと、人知れず嘆息したヴァイオレットだった。
それからというもの、ベタベタとまではいかないまでもヴァイオレットとヨーデルの関係はゆっくりだが確実に進んでいった。月に一度送られてくるヨーデルからの手紙は週に一度の頻度へと変わり、お茶会の誘いも積極的に受けるようになった。贈り物に関しては、やはり高価な宝石やドレスは受け取りを拒否られると熟知されている為、相も変わらず苺のまま。ただ、偶に他の果物になることも屡。
「ヴァイオレット。今日はこれを君にプレゼントするよ」
「これは?」
「遠い東の国で作られたスイーツでね。砂糖で出来ているみたいなんだ」
「とても綺麗ですわ」
ある日の贈り物は、星の形をした色とりどりの小さな砂糖菓子だった。名前はコンペイトウというらしい。瓶の蓋を開け、中から一粒を指の間に挟み、口に放り込む。途端に砂糖の甘さと味付けされた果実の甘みが広がり、味わった事のない美味しさにヴァイオレットは感動した。
「美味しい……!」
「良かった。気に入ってくれたみたいだね」
「ですが、遠い異国のスイーツはとても高価な物では……?」
「いや、城と馴染みが深い商会からのプレゼントでね。是非食べて感想を聞かせてくれと頼まれたんだ。母上は甘い物に目がないから」
「成る程」
「ヴァイオレットが喜んでくれて嬉しいよ。また、珍しいスイーツがあれば持ってくるよ」
「ありがとうございます」
このままいけば、物語とは別の未来がある。
そう信じていたのに。
「はあ~」
「長い溜息だね」
「長くもなります」
「ヴァイオレットの気持ち分かるよ。同性でもアレはないと目を疑うよ」
学院の昼――。
友達がいない訳ではないものの、三男のヴィオルと昼食を取るのが多いヴァイオレットは今庭園のベンチに座って、公爵家お抱えのシェフが作ったお弁当を食べている。日課の日記を書いていたヴィオルとお弁当を食べていたヴァイオレット二人の視線の先には、昔と比べて距離が格段に縮んで喜んでいたヨーデルと見慣れない女子生徒。ヴァイオレットは誰だか知っている。物語のヒロインであり、悪役令嬢ヴァイオレットに執拗なまでの虐めを受けるも、最後にはヴァイオレットの婚約者ヨーデルと結ばれるメリッサ・ヴォーデガード。ヴォーデガード伯爵が平民に生ませた子で母親が亡くなったのと同時に伯爵が引き取ったのだとか。
「……」
――物語の強制力には、敵わないのね
あの日のヨーデルの告白に感銘を受け、少しずつ彼に歩み寄り、愛ではなくても親愛の情が確実に形成したヴァイオレットの心に鋭利な刃物が今か今かと動き出すのを待っている。
傍から見たら、仲睦まじい男女のカップル。あれがヨーデルでなかったら、どれだけ良かったか。また長い溜息を吐いてヴィオル兄様に指摘される。
「また出てる」
「無意識の内に出てしまうのです。ねえ、ヴィオル兄様が書いてるその日記一度読んでみたいわ」
「だーめ。内緒」
「けち」
「けちって……。令嬢がそんな言葉使うものじゃありません」
「はーい」
日数はどんどんと過ぎていく。日に日にヨーデルとメリッサの仲は良くなっていく反面、ヴァイオレットの心は曇っていく。週に一度の手紙も贈り物も続いているのに心は晴れない。もうすぐヨーデルの16歳を誕生日パーティが開催される。漫画では、目出度いその日に悪役ヴァイオレットの罪は白日の下に晒され、罪人として罰せられる。
「あの、ヴァイオレット様」
遠慮がちにヴァイオレットに声を掛けてきたのは、よく世間話をする伯爵家の令嬢。この国の王子であり、婚約者であるヴァイオレットの身を案じている者の一人である。続きを発しようとした令嬢にヴァイオレットは無理に貼り付けた笑みを浮かべた。
「心配無用です。私は大丈夫です」
「し、しかし……」
「あなたのお心遣いに感謝するわ」
少なくても心を許せる友人はいる。優しくて誰よりも自分を愛してくれる両親や3人の兄、使用人達がいる。
――私はメリッサを虐めてない。況してや、一度も会話をしていないし、顔を合わせた事もない。
ヨーデルがメリッサに心移りしたのは残念だが漫画通りの悲惨な結末は迎えない。芽生えかけていた小さな恋心を元の奥底へ押しやり、気分転換に本でも読もうとヴァイオレットは図書室へ向かった。スカイローズ公爵家にも本は沢山あるが貴族の通う学校とあって、膨大な本の量に軽く目眩を起こした。頭を使う本を求めるヴァイオレットは推理小説のフロアへ足を踏み入れた。本棚からこれだと直感が訴える本を3冊取った。司書に貸し出しの手続きをしてもらおうと受付コーナーの方へ体を向けた。気配もなくいたヨーデルがいて出そうになった悲鳴を喉元で飲み込んだ。
「ヨーデル殿下ではありませんか。吃驚しました」
「ヴァイオレットの姿を見かけたので、つい。ヴァイオレットのお眼鏡にあう本はありましたか?」
「ええ。幾つか。殿下はどの様な本をお探しで?」
言葉はすらすらと出てくるのに心中穏やかではない。早く何処かへ行ってほしい。静かに願っても目の前の王子には届かない。
「ヴァイオレットに読んでほしい本を選んでいました」
「え」
そう言ってヨーデルに差し出されたのは『嘘偽りを使ってでも貴女を愛する』と金糸で刺繍された一冊の黒い本。
「どういったお話なのですか?」
「主人公が、愛する恋人を守る為に、誰にも、恋人にも告げずに、嘘偽りで塗られた関係を他の女性と持つ、という話です。主人公が関係を持った女性は、恋人を害そうとしている悪人であり、主人公はその悪人から恋人を守る為に自身の身を嘘偽りで塗り固めるのです。例え、愛する恋人に嫌われる事になろうと。最後は主人公の誤解が解ける訳ですが騙されていた事実に変わりはありません。自分を拒絶する恋人を最後に主人公は閉じ込めてしまう。そんなお話です」
「……そんな怖い話を私に読めと?」
「是非、読んで感想を聞かせてください」
「は、はい」
「絶対ですよ?」
「は、はいっ!」
見目麗しいヨーデルの笑みに迫力と若干の恐怖を感じたのは何故か。どうしてそんなドロドロと激しい物語を勧めるのか。貴族の夫人ならば好きそうだが若い令嬢には刺激が強すぎる。断れず本を受け取ったヴァイオレットに満足げに頷いたヨーデルは去って行った。この時の事を、本の内容をきちんと覚えていれば少なくともマシな未来になったのではないかと――後のヴァイオレットは後悔するのであった。
◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇
――ヨーデル第一王子殿下の16歳の誕生日を祝うパーティ会場内
本来ならヨーデルのエスコートを受けるヴァイオレットの隣に肝心の相手がいない。周囲の貴族がヒソヒソと話をする。晒し者に遭っているみたいで居心地最悪。早く帰りたいと心から願うヴァイオレット。学校では相も変わらず、あの二人の仲は良くて、もうスカイローズ公爵家の令嬢とは婚約を解消したのではないか実しやかに噂される始末。
――分かってたじゃない。何時かはこうなると。
所詮自分はヒロインに害をなす悪役令嬢ヴァイオレット。クラスが離れているのもあり、会話も接触もなかった相手にどう危害を加えるのかと聞き返したくなる。メリッサが虐めを受けているという話は聞いていない。ヴァイオレットに虐められた可哀想な令嬢ではない、純粋にメリッサを好いたヨーデルを非難する資格はない。少なくとも、ヴァイオレットはそう思っている。
王子の誕生日だというのにスカイローズ公爵家からの出席者は婚約者であるヴァイオレット以外いない。また、ヨーデルの両親である国王夫妻はタイミング悪く体調を崩されてしまい本日の目出度いパーティーは欠席なのだとか。
会場のざわめきが強くなった。王国の第一王子殿下が婚約者のスカイローズ公爵家令嬢ではなく、ヴォーデガード伯爵家に養子として引き取られたメリッサを隣に連れているから。
パーティーに相応しいオーケストラが奏でられる目出度いの場のど真ん中で対峙するヴァイオレットとヨーデルとメリッサに参加者の視線が集中した。
怯えたような瞳を向けるメリッサを疑問に思いつつ、王族に向ける最上級のカーテシーをヨーデルに披露したヴァイオレット。名前を呼ばれ、垂れていた頭を上げた。赤い瞳に映るヨーデルとメリッサ。
何もしなくても、物語はヴァイオレットを悪に仕立て、表舞台から退場させる。逆らう気もないヴァイオレットは淡々と受け入れるだけ。
――ん?なにか変だわ
ヴァイオレットの予想なら、顔を上げた先にいるヨーデルの表情は嫌悪と非難の色が浮かべられ、隣のメリッサは零れ落ちそうになる涙を堪えヴァイオレットを強く睨みつける。……筈が、メリッサは思った通り。しかし、ヨーデルは違う。
海よりもお深い青い瞳が愛おしげにヴァイオレットを見つめている。ヴァイオレットが大量の疑問符を飛ばす中、ヨーデルがメリッサの体を強く抱き寄せ大きく口を開いた。
「ヴァイオレット・スカイローズ!今日この場を以て、君との婚約を破棄する!罪もないメリッサを元庶民だからと苛め、更には命までも奪おうとした君の悪行は許されない!」
「……」
会場が水に打たれたようにシン……と静まり返る。オーケストラの演奏だけが会場内の空気を紙一重で保っていた。
――漫画通り。……よね?可笑しくない?その次に殿下は、私を死刑にすると宣言するのよ?それがないのと、私を見る目が明らか可笑しい。
(覚えのない)罪でヴァイオレットに婚約破棄を言い渡したヨーデルの青い瞳は、相も変わらずヴァイオレットを愛おしげに見つめている。台詞と顔がマッチしないのだ。疑問に思いながらもヴァイオレットは悪役を演じようと反論した。
「ヨーデル王子殿下。証拠は御座いますのでしょうか?私がその……顔も家名の知らない令嬢を虐めたという証拠が。それに学校でその生徒が虐めを受けている等という話は聞いたことがありません」
「ひ、酷いです!ヴァイオレット様は、取り巻きの方々に命じて私を虐めるよう指示をしたのではありませんか!噂にならないのは、公爵家の力を使って揉み消したからです!」
「メリッサ、様と仰有いましたね?確かに我がスカイローズ家は、王国より公爵の地位を授けられた家です。しかしながら、例え公爵といえど噂というものは簡単には消せません。人の口は案外軽い。どこで化けの皮が剥がれるか解りませんもの。後、取り巻きという存在は私にはいません」
決していない訳ではないのだがヴァイオレットは友人が少ない。三男のヴィオルと昼食を取る以外、基本一人で図書室や庭園や人の来ない裏庭にいるので。身分の高い者でも、人の噂を完全に消し去る事は不可能だ。人間の中で人の不幸が好きな貴族のお喋りが美味しい話を啜らない筈がない。
「ヴァイオレット」
「何でしょうか殿下」
「どうあっても認めないのかい?」
「認めるも何も私は何もしていません」
「それはヴァイオレット様が取り巻きに命じて、自分の手は汚していないからよ……!貴女は自分の手ではなく、他人の手を汚させて私を虐めたのよ!」
「あのね……」
もう素でいいと判断したヴァイオレットが面倒臭そうに悲劇のヒロイン気取りのメリッサを捉えた。
「仮に私がその取り巻きを使って貴女を虐めてメリットがあるのかしら?」
「なっ」
「そうじゃない?どこの貴族か知らない令嬢を虐めて私は何がしたいの?どうしたいの?余程の暇人か加虐思考の持ち主ならいざ知れず、生憎と私は暇人でもないし特殊な性癖もないわ。教えて頂戴よ」
「そ、それは、私がヨーデル様と親しくしているからっ」
「それこそどうでもいいわよ」
周囲のざわめきが一層強くなった。ヨーデルの面持ちも初めて別のものに変わった。
「どうでも……いい?」
「そうよ。貴女と殿下が親しくしようとどうでもいいわよ。私と殿下は家と国によって結ばれた婚約者。そこにお互いの感情はないわ。これで解ったでしょう?私が貴女を虐めるメリットが何処にもないと。それでも私に虐められたと訴えるなら、確固たる証拠を持って来なさい。ないのなら、こんな下らない茶番に付き合ってられないわ」
「……」
メリッサはそれ以上何も言ってこなかった。否、言えないのだ。ヴァイオレットの求める証拠が存在しないのだから。
メリッサがヨーデルに訴えたヴァイオレットによる虐めは全て虚言だったのだから。全ては、未来の国王たる第一王子の婚約者の座をヴァイオレットから奪い取り、自分がその輝かしい席に座る為の。
時に自分でバケツの水を被り、時に自分で自分の制服をナイフで裂き、時に自分で自分の頬を叩いて、恰かも誰かに嫌がらせや暴力を振るわれたように見せ掛けてその度にヨーデルに泣き付いた。自分を虐める集団の背後には、貴方の婚約者ヴァイオレットがいると。最初は信じてくれなかったヨーデルも、毎日のように虐めを受けるメリッサの言葉を段々と信じ今日この場を使ってヴァイオレットに罪を認めさせると約束してくれたのだ。
思いもよらないヴァイオレットの反撃に唇を噛み締め、悔しげに睨んでくるメリッサなど怖く感じるわけもなく、次に固まったまま微動だにしないヨーデルへ目をやった。
「王子殿下」
「……何かな」
「先程の婚約破棄をお受け致します」
「……そう」
「……殿下は何を以て、メリッサ様を虐めていたのが私だと思ったのでしょうか?殿下は証拠を持っているのですか?」
「そうだね……私は持ってるよ」
「!」
予想外なヨーデルの発言が周囲の貴族、ヴァイオレットとメリッサに爆弾を投下した。チラリとメリッサを見てもメリッサも知らなかったのか、驚愕の眼差しでヨーデルを見上げていた。口元には勝利を確信した笑みが浮かべられている……。
由緒正しきスカイローズ公爵家の令嬢が本当に他家の令嬢を虐めていたのか?疑惑が愈々確信へと変わり始め、貴族達から初めて非難の視線を浴びせられる。メリッサをそっと離し、ヴァイオレットの目前で立ち止まったヨーデルが懐から数枚の紙を出した。三つに折り畳まれた紙を広げると――会場中に見せつけるように大きく掲げた。
「ここに――そこなメリッサ・ヴォーデガード伯爵令嬢がヴァイオレットに無実の罪を着せようと工作した絵が!!」
「……へ?」
間抜けな声を出した自分は悪くないと――……ヴァイオレットは、ヨーデルが掲げた紙――絵を見上げたのだった。
――呆然としたままの状態で会場を連れ出されたヴァイオレットは、城の客室へと入れられ寝台に座らされた。誰に?ヨーデル以外いない。
「すまなかったねヴァイオレット」
ヴァイオレットの隣に腰掛けたヨーデルが状況を全く読めていないヴァイオレットを抱き締めた。
「え、ええ……と……」
「混乱するのも分かる。本当にすまない。でも、ああしなければメリッサは君に危害を加えていた。大切な君を傷つけられる訳にはいかないからね」
「あ、あのー」
「嘘とは言え、君に婚約破棄を宣言するのは嫌だった。ヴィオルも私に酷い作戦を提案したものだ。メリッサからヴァイオレットを守りたいなら、メリッサの甘言に惑わされ恋に現を抜かし婚約者を放る間抜けな王子を演じろだなんて。結果的にメリッサにされていたという虐めは全て嘘だとヴィオルと私は確実な証拠を得られたが」
「……」
要約すると、元々ヨーデルはメリッサをどうとも思っておらず。しかし、ヨーデルの婚約者の座を狙ったメリッサがヴァイオレットを悪者に仕立てあげようとしているとヴィオルから情報を得て、向こうからの接触を態と受け入れた。それからはヴァイオレットに虐められたと偽りの言葉と涙でヨーデルの気を引こうと必死なメリッサの相手をし、その合間に大切なヴァイオレットとの逢瀬や手紙のやり取りを楽しみつつ、ヴィオルから得た情報を二人で整理していたのだとか。会場にスカイローズ公爵が出席しなかったのは、やっと出来た溺愛する娘と妹の冤罪を聞かされた公爵と二人の兄達の怒りを最小限に抑えるため。今でもヴィオルは3人を屋敷から出さないように奮闘しているのだとか。次に王と王妃だが、二人が体調を崩しているのは本当の話。最近の夜は冷えるからと窓を閉めて寝ているのに昨日に限って窓を閉め忘れたのだとか。絶対ヨーデルの仕業だろうとヴァイオレットは確信する。
「私の可愛いヴァイオレット……やっぱり、私には君しかいない。君にあの本を渡しておいて正解だった。君はあの本の通りに動いてくれた」
「?」
――本?なん……あ。思い出した。殿下が絶対に読んでと言ったあの本。タイトルは『嘘偽りを使ってでも貴女を愛する』だ……った……って……待って……
今頃になってヨーデルがあの本を強く勧めた理由を理解した。
そして、体から大きく力が抜けてしまう。抱き締められているので倒れる心配はない。
――殿下が婚約破棄を告げておきながら私を非難しなかったのも、瞳の色が優しかったのも、全てが芝居だったからね……
ヨーデルはメリッサからヴァイオレットを守る為にあの本の主人公と同じ行動を起こした。主人公の愛する人と同じ気持ちをヴァイオレットがヨーデルに抱いていたと聞かれれば返答に困るがその結末まで同じになっては堪らない。誤解が解けても、主人公に騙されていた恋人は主人公を拒み、拒まれた主人公は恋人を閉じ込め一方的に愛しつづけた。「ヴァイオレット」と耳元で甘く囁いたヨーデルに押し倒された。顔を真っ赤にする暇もないヴァイオレットが慌てて「殿下っ」と体を押そうとするも。
「愛していますよヴァイオレット。私の愛しい人。君は私を受け入れてくれるでしょう?本のような主人公の愚かな恋人と違って」
「嘘と言えど大勢の人の前で婚約破棄を宣言した自覚はありますかっ?」
「ありますよ。でも、全ては愛しい君の為ですよヴァイオレット。……それにね、私はもう限界なんです。やっと君が私を真っ直ぐとその赤い瞳で見てくれた日から……。婚約者のままでは君に手を出せない。だから、一旦婚約を破棄して愛妾にすればいいと思い付きました。愛妾なら君を思う存分に愛することができる。ああっ、私の愛しいヴァイオレット……愛していますよ……」
言っている台詞が滅茶苦茶なのを自分を押し倒している男は理解しているのだろうかと、狂気にも似た悦な瞳で見下ろされたまま口付けを受け、次いでにドレスを脱がしていくヨーデルに軽く現実逃避をしたヴァイオレットは思うのである。
あの少女漫画にこんな展開はない。
ヴァイオレットは断罪される。前世の記憶を取り戻し、必死に破滅の未来を回避しようと奮闘したヴァイオレットはあのパーティーでの断罪で、どれだけ頑張っても物語の強制力からは逃げられないと悟った。
だが、もしも。悪役令嬢が悪役ではなく、主人公が主人公ではない場合、物語はどう動くのか?
もう1つの可能性も視野に入れ行動していれば、少なくともこれから毎日あの小説の恋人のように閉じ込められることはなくても、重たくて大きすぎる愛情を一心に受ける羽目にはならなかった。
ヨーデルとメリッサ、二人に対し――勝手にしなさいよ、という気持ちは遥か彼方へと吹き飛んでいった。
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