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8 放浪当主の接触
しおりを挟む夜会まで後2日――
今日は朝からナスカと重要な会議があるからと不在なヨハン。1人部屋にいても、時間を持て余してしまうエウフェミアは書庫室から数冊の本を見繕い、ヨハンが作ってくれた第2王子妃専用の庭園で読むことにした。一面芝生に覆われ、心地好い風が吹く庭園はエウフェミアのお気に入りの場所でもある。
芝生の上に腰を下ろし、本を横に置いた。先ずはどれを読もうか吟味していると「おや、第2王子妃殿じゃないか」と低音の美声が届いた。驚いて声のした方を見ると、長身の銀髪の男性がキリッとした深緑色の瞳をエウフェミアへ向けていた。
エウフェミアは彼が誰だか知っていた。手の指を数える程度にしか会っていないが一度会っただけで忘れられない。
魔王を補佐する『五大公爵家』の中で、放浪当主と名高いシャルル=オーラ=シルヴァだ。始祖の魔王の忠臣イグナイト家当主ガルディオスと同じく古参の当主。
「し、シルヴァ公爵様」
エウフェミアは慌てて立とうとした。シルヴァは手で制した。
「畏まらなくていい。私は堅苦しいのが苦手でね。公の場じゃないから、普通にしてくれて構わない」
「は、はい」
「ヨハン殿下は?」
「ナスカ殿下と重要な会議をしていると」
「成る程。あれか」
「シルヴァ公爵様はご存知なのですか?」
重要と付けるくらいだ。どんな議題の会議かは教えてもらえなかった。
「ある程度はね。まあ、君が心配する必要はない。あの2人に任せておきなさい」
「はい……」
「所で、ヨハン殿下がいない時はいつも此処にいるのかい?」
「はい。此処は、ヨハンが私の為に作ってくれた庭園なので」
「そうか」
エウフェミアは密かに気になっていたことを訊ねてみた。
「あの、シルヴァ公爵様」
「何かな」
「公爵様は、その、ご結婚されないのですか?」
「う、ううむ」
『五大公爵家』の当主で唯一、独身のままなのがシルヴァ。他の4家は既に結婚し子供がいる。1400年以上生き続け、更に古参の当主と名高いシルヴァが独身の理由をエウフェミアは知らない。余程の訳があると思っていた。
シルヴァは言い難そうに言葉を選ぶ。軈て、諦めたように口を開いた。
「なに……これについては、ずーっと前からガルディオス殿に言われ続けてはいるのだが、私は1つの場所に留まるのが苦手でね。魔界や人間界を歩き回っているのは知っているね?」
「はい」
「私は少々厄介な体質でね。ずっと1つの場所に留まっていると凄まじいストレスを感じるんだ。魔界や屋敷には間隔を開けないよう戻るようにはしているが、体質だけはどうにもならない。私が妻を娶らないのは、私の我儘に付き合わせる訳にもいかないからだよ。場所によっては危険な所もあるからね。かと言って、ずっと魔界の公爵邸で帰りを待たせる訳にもいかない」
シャルルなりに相手を気遣って妻を娶らない。貴族の女性は、基本家にいて屋敷を切り盛りする。逆に、シャルルのように常に主が不在な屋敷ならその女性の実力を発揮する良い場面ではないだろうか。が、エウフェミアは思っても口にはしない。シャルルも恐らくそれを分かってる。
分かってても、折角夫婦となったのだから一緒にいたいと思うもの。
「時にエウフェミア殿。君のお父上の件だがね」
「え」
唐突に父アロンの話を切り出され目を開いた。アクアディーネ家に帰って来いと手紙を出しているのに、全く帰って来ないエウフェミアに痺れを切らして格上の相手に愚痴ったのか?
冷や汗を流すエウフェミアにシャルルは苦笑した。
「何を想像しているが知らないが君が考えていることじゃない」
「ほ、本当ですか?」
「本当だ。私が聞きたいのは、君にアクアディーネ家に戻る意思があるかどうかだ。ああ、ずっとじゃない。一時帰宅のようなものだ」
「……」
やはりあの手紙関連だった。
何故シャルルが気にするのか疑問だが、帰る気のないエウフェミアは首を振った。
「……いいえ、私にとっては、お母様との思い出がある家ですが、今の私には必要のない家です。それに此処にはヨハンがいますから」
「そうか。なら、君の腹違いの妹君についてはどう思っている?」
「ティアラはとても良い子でした。彼女が本心では私をどう思っていたかは分かりませんが仲は良かったと思います」
「成る程……。いや、ありがとう。やはりこういうことは、本人の意思確認が必要だからね」
「あの、父が何か公爵様に迷惑を掛けましたか?」
「君は気にしなくていい。おや、君の迎え人が来たようだよ」
「え」
あれ、とシャルルが指指した方向からナスカと重要会議をしていたヨハンが歩いて来ていた。エウフェミアを視界に入れると甘い美貌を蕩けんばかりに綻ばせた。
側にシャルルがいると知ると不機嫌そうに顔を歪めた。
「どうしておじじがいる」
「なに。ちょっとした確認だよ」
「フェミーに余計な話をしたのか?」
「してないしてない。だからそう殺気立つな。そうだ、もう1つ話がある。特に君にだ、ヨハン殿下」
「なんだ」
「ナスカ殿下にも伝えておいてほしいんだが……陛下の一番お気に入りの愛人が子を孕んだ」
魔界の王子は正妃の子であるナスカと愛人の子であるヨハンだけ。それ以降は生まれていない。魔王の一番お気に入りの愛人、というのはヨハンの母親じゃない。全く別の愛人だ。
「は……」
「まあ、だからなんだ、という話ではないが一応伝えておこうと思ってね」
「何やってんだか」
「話を先に聞いたノワール公爵が愛人を診察した。魔力の低い女の子だそうだ」
「……まあ、それなら余計な継承者争いは起きんな」
「今はナスカ殿下が立太子しているからね。余程のことが起きなければ、順当にいけば彼が次の魔王だ」
魔王の女性好きにはほとほと困ったものだ、とシャルルは肩を竦めた。
シャルルはエウフェミアとヨハンに一礼すると庭園を去って行った。
後ろ姿が見えなくなるまで眺めていたエウフェミアの隣に座ったヨハンは、華奢な肩を抱いて自分に引き寄せた。動作が少々乱暴で小さく悲鳴を上げた。
「ヨハン……?」
不安げにヨハンを見上げたエウフェミア。ヨハンは少し苛ついた紫水晶でエウフェミアを見下ろしていた。
「で、どうしてフェミーとおじじが一緒にいた?」
「本を読もうとしたら、シルヴァ公爵様が来たの」
「どんな話をした?」
ヨハンに隠し事をして、後でバレてお仕置きされるのはエウフェミアだ。
包み隠さず話した。
ふむ、と顎に手を当てて思案するヨハン。
「……成る程。ってことは、イグナイトのおじじも関わって、更に始祖のじいさんが戻っている今だから……」
「……?」
独り言を呟くヨハンを不思議そうに見上げていると、視線に気付かれ額にそっとキスを落とされた。
「フェミーは気にしなくていい」
「う、うん。あ、ナスカ殿下との会議終わったの?」
「ああ。終わって、フェミーと遊ぼうと思って此処に来た」
「あ、遊ぼうって、もうすぐ夜会だから夜以外は……」
「フェミー……フェミーとはずっと遊んでいたいんだ。俺の気持ち、分かるよな?」
甘い声色、視線、表情。
腰に回された手から伝わる甘い快楽。上下に撫でるように触られ、ぴくぴく体が反応してしまう。自分の体を恨めしい。
恥ずかしげにヨハンの胸に顔を埋めたエウフェミア。それが了承の意だと知っているヨハンは、嬉々とした様子で今から貪る愛しい体を抱き上げ寝室へと向かったのだった。
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