上 下
12 / 44

惨めになっていく

しおりを挟む
 

(ク、クイーン様ったら……!)


 額にキスを落として去って行ったクイーンの行動に照れるなと言う方が無理であった。第一、男性にそんな事をされたのは父シトロンや兄メルローくらいなもの。
 絶世の美貌と言われる美女ですら、クイーンの前に立つと霞む。それだけ、彼の容姿は人間離れし過ぎている。教室にいる生徒達からの視線が凄いが今は気にしないでいられるのは、ある意味でクイーンのお陰なのが悔しい。

 机に両肘を立て、手に顔を乗せた。チラリと周囲をみるとヒンメルやメーラはいない。どうせ、2人っきりになっているのだろう。
 自分の事を棚に上げて、クイーンと親しげにするラフレーズに冷たく当たるヒンメル。事情があるにせよ、もうヒンメルに期待したくない。期待すればするだけ、自分が惨めな敗者となっていくから。


(……はあ……)


 ラフレーズが王国の忠臣と名高いベリーシュ家の令嬢なのと母親が隣国の王女だった事もあってか、気軽に話せる友人が少ない。時には公爵家と同等の力を発揮するベリーシュ伯爵家に恐怖を抱く貴族は多い。伯爵が大切にしている娘に何かあれば、責任の矛先は自分に向くと恐れられ、気軽に話し掛けてくれる人がいない。
 悲しいながらも、ヒンメル関係でこれは助かっていた。
 ヒンメルがメーラと恋人になり始めた当初の視線の数は凄まじかったから……。

 無言で下を向いて机を眺めているだけでも時間は過ぎていき――。
 時刻は昼になった。
 昼食は家からお弁当を持参するか、食堂で食べるかのどちらか。平民出身の生徒が買いやすいようにと、お手頃な値段のメニューもあるので毎日食堂は生徒で溢れ返っている。

 食堂には、毎日一緒にヒンメルとメーラがテラス席で食事をしている。その為、ラフレーズは室内で摂っていた。婚約の誓約魔術を解除し、クイーンと恋人になったのだから、もう彼等を気にして食事をしなくてもいいのではと思う。


(今日はテラスで頂きましょう)


 何より、外で食べると美しい花々を眺めながら食事が出来る。また、何時精霊に異変が起こるか分からない今、すぐに向かえる外がいい。
 席を立ったラフレーズは「ラフレーズ」横から飛ばされた声に体を強張らせた。視線を向けた先にはヒンメルが立っていて。


「……」


 人を視線で殺したいのかと言いたくなる鋭い眼光をラフレーズへと向けていた。婚約の誓約魔術を解除したから、彼が近くにいると気付けなかった。
 睨んでくるだけで何も言ってこないヒンメルと負けじと睨み返すラフレーズ。生徒達は何が起きるのかとハラハラとした気持ちで静観する。


「……?」


 ラフレーズが睨み返すと何故かショックを受けたような面持ちをしたヒンメルに内心首を傾げ、いつまで経っても何も言ってこない。早く行かないと昼休みが終わってしまう。


「殿下。ご用がなければ失礼しますわ」


 軽く頭を下げて横を過ぎた掛けた時、ヒンメルの手が上がった。
 しかし、上がっただけで何もしてこなかった。
 結局、ヒンメルがどの様な理由でラフレーズに声を掛けたのかは本人以外知る者はいず。


「何だったのかしら……」


 ラフレーズは考えてみるも、どうせクイーン絡みだと解釈する。今朝、教室まで送り届けてくれたクイーンが額にキスをしてきたのを他の生徒から耳にしてまた怒りに来たのかも知れない。……自分はメーラと親密になっているくせに、とどうしても思ってしまう。
 食堂に到着したラフレーズは今日のランチを頼み、料理を受け取ると席を探した。テラスは満席だった。が、幸いにも食堂内は隅の方だが席は空いていた。そこに座った直後、誰かが前に座った。誰だろうと顔を上げて呆然とした。
 前に座ったのは、教室で何を言いに来たのか不明なヒンメルだった。

 ヒンメルの前に置かれている料理はラフレーズと同じ今日のランチ。


「……何のつもりですか。いつもはメーラ様と仲良くテラスで食べているくせに」


 自分が出せる最大限の冷たい声をと意識したら、自分でも吃驚する声色が発せられた。内心驚いていると知らないヒンメルは、教室で向けていた眼光のままラフレーズと向かい合う。


「僕の勝手だ。ラフレーズには関係ない」


 この台詞は何度も聞いてきた。
 メーラと恋人になり始めた頃にラフレーズはヒンメルに訴えた。メーラと別れてほしいと。その度に上記の台詞を紡ぎ、ラフレーズを傷付けてきたのはヒンメルだ。

 トレーを持ったラフレーズは席から立ち上がった。


「待て、何処へ行く!」
「どこで食べようが私の勝手です。殿下には関係ありません!」
「っ!」


 自分の放った台詞をそのまま返され、憎々しげにラフレーズを見上げてくる空色の瞳には絶望感しかない。移動しようとしたらヒンメルが腕を掴んだ。何を言うでもなく、座れと目で責めていた。


「メーラ様にはこんな乱暴な真似はしませんのにね……ああ、それとも、隣国との関係強化の為に無理矢理結ばされた嫌いな婚約者より、恋人を大事にするのは当然なのですね殿下にとっては」
「今は関係ないだろう」
「関係ありますわ」


 大声は出していなくても、2人は元から目立つ存在。去ろうとするラフレーズをヒンメルが無理矢理留めておこうとする光景にしか見えない。周囲の視線や耳は2人に集中し、ラフレーズが紡いだ隣国からの下りでギョッとした生徒は何人もいた。
 トレーを片手で持ち、ヒンメルに掴まれている腕を振り払おうとしてもヒンメルの力が強く放せない。
 険悪な空気が流れ始めた頃、砂糖菓子のように甘い声がヒンメルを呼んだ。


「ああ、殿下、探したではありませんか」


 魅力的な赤い髪を靡かせ、蜂蜜色の瞳を光らせてヒンメルに駆けたのはメーラ。両手には今日のランチが載ったトレーを持って。ヒンメルに引き止められるラフレーズを睨むも、すぐにヒンメルの横にトレーを置いてヒンメルの腕に抱き付いた。


「殿下、ラフレーズ様が嫌がっているではありませんか。その手をお放しください」
「君は引っ込んでてくれメーラ。僕はラフレーズに用があるんだ」
「殿下……!」


 冷たく突き放されたメーラはショックを受けたように顔を青ざめさせ、涙を流し始めた。「あ……」と拙いと抱いたのか、ヒンメルはラフレーズの腕を掴んでいた手を放してメーラへ向いた。


「……」


 一気にヒンメルに対する好意が消えていく。引き止め、メーラの存在を横に置いてでも何かあるのだと一瞬動き掛けた体はすぐに止まった。メーラの肩を掴み、慰めるヒンメルを見る自分の目はきっと冷えている。

 今までにない以上に冷えている。
 途端、急激に自分が惨めになってきた。
 此処にいたくない。
 でも、絶対に失態を見せてなるものかとラフレーズは自分の心に言い聞かせる。動く気配を感じたヒンメルが待てと言ってくるが――


「どうぞ、メーラ様といつものように楽しくお食べください。私は此処よりもずっと良い場所でお昼を頂きます」
「! 待て、それはおじ上のことか!」


 一言もクイーンの名を出していないのに。何でもかんでもクイーンと連想させ過ぎな気がしてならない。背後から飛んでくるヒンメルの声が聞こえない振りをし、食堂からテラスへと逃げたラフレーズは偶然空いていたテーブル席に座った。


「はあ……」


 結局ヒンメルの目的は分からずじまい。


「……」


 時間が過ぎたのもあって、人が少なくなっている。


「っ……」


 とことん惨めになっていく。ヒンメルのことは諦めようとしているのに、心とは一筋縄ではいかないらしく、簡単には消えてくれない。
 込み上げてくる涙に抗えず、俯いたラフレーズの耳に「精霊が慌てて呼んでると思ったら」とクイーンの声が届いた。慌てて顔を上げたら、苦笑しているクイーンがラフレーズの隣に座っていて、彼の後ろには大きな白い鳥の精霊クエールが立っていた。
 少々息を切らしているのを見ると、クエールがクイーンを呼んでくれたみたいだ。

 クイーンの名前を紡いだら、涙が落ちていく。安心してしまった。強い味方が側に来てくれたから。
 クイーンの大きな手がラフレーズの頬に触れた。


「何があった」
「あ、いえ……ごめんなさい、ご心配を」
「いい。話してみろ」


 王城で隠れて泣いていた所を見つけてくれた時も、こんな風にクイーンは接してくれた。ラフレーズが精霊を友達として大切にする一方、精霊にとっても数少ない自分達が見えるラフレーズは大切な存在。ラフレーズに何かあれば精霊はいつもクイーンを呼ぶ。
 涙が止まらないまま、昼休みが始まってからの話をした。

 聞き終えたクイーンは「あの馬鹿が……」と呆れた。


しおりを挟む
感想 48

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約者は自称サバサバ系の幼馴染に随分とご執心らしい

冬月光輝
恋愛
「ジーナとはそんな関係じゃないから、昔から男友達と同じ感覚で付き合ってるんだ」 婚約者で侯爵家の嫡男であるニッグには幼馴染のジーナがいる。 ジーナとニッグは私の前でも仲睦まじく、肩を組んだり、お互いにボディタッチをしたり、していたので私はそれに苦言を呈していた。 しかし、ニッグは彼女とは仲は良いがあくまでも友人で同性の友人と同じ感覚だと譲らない。 「あはは、私とニッグ? ないない、それはないわよ。私もこんな性格だから女として見られてなくて」 ジーナもジーナでニッグとの関係を否定しており、全ては私の邪推だと笑われてしまった。 しかし、ある日のこと見てしまう。 二人がキスをしているところを。 そのとき、私の中で何かが壊れた……。

寡黙な貴方は今も彼女を想う

MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。 ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。 シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。 言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。 ※設定はゆるいです。 ※溺愛タグ追加しました。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

姉の所為で全てを失いそうです。だから、その前に全て終わらせようと思います。もちろん断罪ショーで。

しげむろ ゆうき
恋愛
 姉の策略により、なんでも私の所為にされてしまう。そしてみんなからどんどんと信用を失っていくが、唯一、私が得意としてるもので信じてくれなかった人達と姉を断罪する話。 全12話

【完結】都合のいい女ではありませんので

風見ゆうみ
恋愛
アルミラ・レイドック侯爵令嬢には伯爵家の次男のオズック・エルモードという婚約者がいた。 わたしと彼は、現在、遠距離恋愛中だった。 サプライズでオズック様に会いに出かけたわたしは彼がわたしの親友と寄り添っているところを見てしまう。 「アルミラはオレにとっては都合のいい女でしかない」 レイドック侯爵家にはわたししか子供がいない。 オズック様は侯爵という爵位が目的で婿養子になり、彼がレイドック侯爵になれば、わたしを捨てるつもりなのだという。 親友と恋人の会話を聞いたわたしは彼らに制裁を加えることにした。 ※独特の異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。

妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます

冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。 そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。 しかも相手は妹のレナ。 最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。 夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。 最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。 それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。 「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」 確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。 言われるがままに、隣国へ向かった私。 その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。 ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。 ※ざまぁパートは第16話〜です

別に要りませんけど?

ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」 そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。 「……別に要りませんけど?」 ※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。 ※なろうでも掲載中

【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。

千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。 だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。 いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……? と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。

処理中です...