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1話

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 春の陽光が注ぐ空の下で長椅子に座り、一輪の薔薇から花弁を一枚一枚取っては「する、しない」を繰り返して呟く女性がいた。「しない」と呟くと最後の花弁が落ちた。毛先にかけて青くなるピンク色の髪を後ろに流し、茎を膝に置いて落ち込むアマビリスは何度目かになるか数えていない溜め息を吐いた。


「諦めるしかないか」


 しょんぼりとする空色の瞳にも諦めしか映っていない。


 ――アマビリスには好きな人がいる。片思いを始めて十年は経過しているが一度も気持ちを伝えられていない上、一生片思いで終わりそうとなっている。


「よしっ」


 両手で頬を叩き、己に喝を入れたアマビリスは長椅子から立ち上がると邸内に戻り、急ぎ足で玄関ホールへと行く。横を通り過ぎる使用人達から怪訝な視線を貰うも気にしてはいられない。


「あ! お姉様」


 急ぐアマビリスを呼び止めたのは異母妹のリンダ。ふんわりとした薄い金色の頭には空色のリボンが結ばれており、紫色の瞳が何処へ行くの? と不思議がっていた。リンダのすぐ後ろには――アマビリスが片思いしている相手がいた。

 ――やっぱりお似合いね……

 心がずきずきと痛むが此処から去ってしまえばそんな痛みとも、もうおさらばだ。


「ついさっきアルマン様がいらっしゃいましたのでお茶をしようとお姉様を誘いに探しておりました」
「ありがとうリンダ。けど、ごめんなさい。急用が出来てしまったから私は不参加でお願い」
「え? 何方へ?」


 不思議がるリンダの後ろにいるアルマンからの視線は、どんな時でもアマビリスを責める。青みがかった銀色の髪と同じ色の瞳は氷のように冷たく、何時だってアマビリスを温かく映してくれない。愛する女性――リンダを煩わせるから、だろうか。


「ちょっとね。夕刻には戻るから」
「え、でも、アルマン様は……」
「第二皇子殿下のおもてなし、頼んだわよリンダ。殿下、申し訳ありませんが私は忙しいのでこれで失礼します」


 アルマンはこの国の第二皇子。華麗に礼を見せ、呼び止めるリンダの声に応えず外に出た。アマビリスの母は、アマビリスが六歳の時に病で亡くなった。喪が明けるとすぐに父は別邸で囲っていた愛人と娘を本邸に迎え入れ籍を入れた。元々両親は政略結婚でお互いを愛してはおらずとも良き夫婦であろうとはしていた。娘のアマビリスに対しても親としての情は持っていた。棺の前で静かに涙を流し、頭を下げていた父の姿を見て多少なりとも母に情があるのだとその時に知る。喪が明けぬ内に愛人と娘を連れて来るより幾分かマシかと己を納得させ、新しい家族だと紹介された時は淡々と挨拶をした。

 新しく母となったエリアナは平民であるが裕福な家の娘だったらしく、貴族世界のマナーを最低限解していた。妹になると紹介されたリンダとは二歳差。天真爛漫で明るいリンダと継母と父を見ているとお似合いの家族だと見てしまい、そこに自分の居場所はないと悟った。衝突せず、ぎこちないながらも何とか家族という枠から外れない程度で生活を送る事二年。八歳になると皇后陛下主催のお茶会にアマビリスは招待された。両親共に伯爵家以上の子供が条件の為、平民の母を持つリンダは参加不可だった。
 リンダは綺麗なドレスを着て皇族に会えるアマビリスを羨ましがっていたが継母に注意を受けると不満を言わなくなり、見る者を穏やかにさせる笑顔でアマビリスを見送ってくれた。アマビリスがリンダを嫌いになれない理由の一つがリンダの笑顔。幸いにもリンダは姉としてアマビリスを慕っており、勉強は苦手で淑女教育も苦手としているが努力家で何度も泣いている姿を見るが一度も諦めた姿を見ていない。家庭教師と習った部分で分からない箇所があるとアマビリスに時間を確認してから質問に来る。継母の教育が行き届ているお陰でもある。父とは再婚以来最低限にしか言葉を交わしていない。父なりにアマビリスを思っているのだろうがリンダに比べると雲泥の差がある。それが寂しいとは思っていない、と言ったら嘘になるが心を蝕む程ではない。



「アマビリス」


 外に出て正門を抜けたら転移魔法であっという間に目的地へ行きたかったのに、追い掛けて来たアルマンに腕を掴まれ止まるしかなかった。姿だけではなく声も冷たい。リンダにはきっとこんな声聞かせてはいない。

 仕方なく立ち止まり、振り向いたアマビリスは冷気を纏った瞳で見下ろされ泣きそうになりながらも強気な態度を保ち続けた。


「何処へ急ぐ」
「殿下には関係御座いません。手を離してください」
「今日はお前に大事な話があって来た。話が終わってから行けばいい」
「なら、此処で話してください。屋敷に戻って聞くより、此処で聞いた方が時間の節約にもなります」
「……」


 冷たい相貌に鋭さと微かな苛立ちが増した。もっとリンダのように可愛らしい言葉を使えないのかと自分が嫌になる。

 初めて出会った時、挨拶をする番になりアルマンの目の前に立つと言われた。

『ピンク頭だと花と勘違いした虫に好かれるみたいだな。お前の頭に虫がとまっているぞ』

 声を抑える訳でもなく、遠回しに言うでもなく、まだ挨拶を控えている令嬢は多くいたのにアルマンの最初の開口はそれだった。実際にアマビリスの頭には虫が乗っていたが蝶々であった。蝶々なら大体の令嬢なら騒がず、気持ち悪がず、見ていられる虫だがくすくすと馬鹿にされた挙句、わざとらしく悲鳴をあげアマビリスから逃げる令嬢もいた。

 皇后が青い顔をしてアルマンを叱る姿を目にしながら、少し顔を青くしているアルマンにこう告げた。


『虫に好かれる令嬢等男性である殿下もお嫌でしょう。失礼します』
『あ……』


 更に顔を青褪めるアルマンと絶対に仲良くなってたまるかと蝶々を頭からそっと離し、空へ飛ばしたアマビリスはさっさと自分の席に座った。お茶会が終わるまでずっと座ったままでいた。後から皇后が飛んできて謝られるが表面上だけ受け入れたふりをした。
 その一週間後、何故かアルマンがアマビリスを訪ねに来た。庭で席を設け、話を聞くとお茶会での発言を謝らせてほしいというものだった。無表情で感情が一切籠っていない言葉で一切気にしていないと発したら、表情を強張らせ俯かれてしまった。

 確かその時は、まだまだ淑女教育から逃げていたリンダがやって来て、丁度良いとばかりにアマビリスは異母妹だとアルマンに紹介した。

 二人の出会いはある意味ではアマビリスのお陰。


「……今日は私とアマビリスの婚約が正式に決まったと伝えに来たんだ」
「え……」
「どうしても、私の口から言いたいと公爵や父には黙っていてもらった」


 アルマンと自分が婚約? リンダを愛しているのに? リンダだってアルマンをとても慕っている。


「……すか」
「アマビリス?」
「どうして私が殿下と婚約しなければならないのですか!」
「っ」

 私の馬鹿! と内心絶叫したアマビリスだが後には引けない。
 どう聞いても婚約が嫌だと言わんばかりの言葉にショックを隠せないアルマン。胸の痛みが増す。とても、痛い。


「私ではなくてもリンダがいるではありませんか。リンダが無理でも殿下の婿入りに相応しい貴族家はまだあります。なのに、何故私なんですか!」
「っ……アマビリスは、私との婚約がそんなに嫌か……?」


 傷付き、泣きそうな表情に違う意味で胸が抉られる。嫌な訳がない。
 最初は嫌いだった。初対面の時の指摘のせいで。だが、何度も詫びに来るアルマンに次第に心を許し、正式に謝罪を受け入れた頃には既に好きになっていた。あのお茶会で婚約者か候補を決めるものだと思っていたのに、成人を迎えてもまだアルマンに婚約者はいなかった。それを言うならアマビリスも同じ。婿養子を取ると父は何度か話しており、婚約させるのはどちらにするか検討中だとか。
 まさか、自分がアルマンの婚約者に選ばれるとは考えもしなかった。


「答えてくれっ、アマビリス」


 答えるまで掴んでいる腕を離してはくれないようで何も言いたくないアマビリスの瞳にリンダが此方に来ている姿を認識した。慌てて此方に到着する前にアルマンから逃げ出したい。


「アマビリスっ」
「私に殿下は勿体のう御座います!」
「そんな話を聞いているんじゃない!」
「会う度に睨んでくる殿下と婚約なんてしたら、私はずっと、一生、殿下に睨まれて生きていく羽目になるんです! そんなの絶対嫌です!」
「っ!!」


 ぶんっ、と腕を振り払うと今度はあっさりと離してもらえた。呆然とするアルマンは「ち、ちがっ」「それ、は」と言葉にならない声を続ける。リンダ到着までもう少し。今がチャンスだとアマビリスは走り出し、正門を出て転移魔法を使った。消える間際、門番が叫んでいたが気にしない。


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