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知らないまま後悔はしたくない
しおりを挟む背筋に冷たいものが走り、その場で身震いをしたベルティーナ。持っていた本を危うく落としかけた。本を受け取ろうと動き出そうとしたアルジェントに大丈夫だと首を振り、何だったのかと嫌な予感を抱いた。
「どうしたの」
「よくない前兆かしらね」
「不吉だね」
空気が重すぎる夕食を早く終わらせて部屋に逃げ、息抜きに本を読もうと本棚から引き抜いたらこれだ。
食事中視線を送りつつも、終始気まずげに食事をする両親や泣き腫らした目でチラチラと視線を送るビアンコにうんざりした。意外なのは父だ。終始視線を送って来るだけでいつもの嫌味がなかった。視線だけが鬱陶しかった。母に関しては心配げな瞳を向けていて今更過ぎてこちらもうんざりした。
「アルジェント」
「なあに」
「イナンナ様が話していたマリアの愛し子の他に、他人を魅了する力ってあるのかしら」
「あるよ」
「あるの?」
「とは言え、大神官が話した神聖な力じゃない、俺達悪魔に類する力かな」
人間と何ら変わらないアルジェントは悪魔の中で最高位に属する魔族。その下に吸血鬼、淫魔、夢魔、その他がいる。人間を餌にするその三種族は他者を魅了する術に対し、特に秀でた能力を持つと言う。
「アルジェントって、故郷では高位貴族とかに値するの?」
「ああ、そうかも。でもまあ、俺がいなくても平気さ。上に優秀で俺より強い兄が二人いるから」
「蔑ろにされていたの?」
「いや? ベルティーナに会う前に俺の母親が死んだんだ。兄弟の中で唯一母親に似ている俺を過保護にしだして。あんまりに鬱陶しいから、人間の世界で生活するって言って飛び出したんだ」
ベルティーナと会ったその日が正に魔界から飛び出した日。身形が綺麗なアルジェントが“拾ってください”と書かれた箱に入ったのは、物好きな人間が拾ってくれるかもと期待して。物好きな人間——ベルティーナーーが見つけ、拾った。
「そういえば、あの時私は何時間後にアルジェントを拾ったの?」
「あまり時間は経ってなかったかな。何人もの人間に見られていたけど、実際に俺に近付いて声を掛けたのはベルティーナだけだよ」
普通は気味悪がって近付かないか、好奇心に溢れても近付かないかのどちらか。当時から一人ぼっちなベルティーナが箱に入っているアルジェントに近付いたのは寂しさを紛らわせる為と綺麗な身形をしているのに拾われたい男の子の理由を知りたかった。
帰る家が無いのかと聞いても違い、捨てられたのかと聞いても違う。衣食住を提供してくれる人間を待っていただけだと。
「今からでも貴方を扱き使う私じゃなくて、もっとぐうたらさせてくれる人間を探す?」
「酷いなあ。拾ったなら最後まで面倒を見てよ、飼い主さん」
「ふふ、当然よ」
持ち帰ったアルジェントをペットにすると宣言はしても、彼は大事な友達で唯一の理解者で協力者だ。
「アルジェント、欲しい物はない?」
「突然だな。あまりないかな」
「物欲がないわよね」
「ベルティーナもね」
欲しがらなくてもアンナローロ—家の娘なのだからと定期的に高価な装飾品やドレス、本等が与えられ個人的に欲しいと思う物に出会わない。ソファーに座ったベルティーナは持っていた本を膝に置いた。題名は『兄妹の関係』。叔母アニエスと父クロウの仲の良さは異常だ。今日は出掛ける時間では無くなっているのでまずは書物から知識を得ようと書庫室から見つけた。
ベルティーナが知る令嬢令息で兄弟のいる者は多い。あの二人並みに仲良しなのは心当たりがない。皆、適度な距離感を保っている気がする。
悪魔でも体をベタベタ触る仲良し兄弟がいるのかと問うと苦笑され首を振られた。
「少なくとも俺の知る限りない。あの二人……特にモルディオ公爵夫人が異常なのさ」
「そう言われると、いつもベタベタしているのは叔母様でお父様から触れているのを見たことないわ」
「一つ言えるのは、君の母親はかなり心の広い人間だって事。いくら妹だからって、夫の体に密着する女を微笑ましく見守るなんて、本当は公爵を愛していないか別の理由があるのか」
「別の理由……」
言われて浮かんだのがイナンナの言っていたマリアの愛し子。だが四十年前に産まれて以降は産まれていないと語られ、愛し子なら大神官たるイナンナが気付く。
「お父様と叔母様の仲の良さの理由が解れば、クラリッサ可愛いも少しは分かるのかしらね」
「どうだろうね」
「知って後悔はしても、知らないまま後悔するのは嫌。とことん調べるわよ!」
「はーいはい」
控え目に扉がノックをされるも、調べ物に夢中なベルティーナは気付かず、ベルティーナの集中を邪魔したくないアルジェントは聞こえない振りをした。
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