4 / 5
荷車押します
【四】
しおりを挟む
川のほとりに男があった。ぽつんと釣り糸を垂れている。ちょうど走るのに飽きた助六は、
「なにが釣れる?」
と傍に寄った。
「性にあわん」
男はぶあいそうにいった。
恰好が紺の袴に大小の拵えを手元に置いてあるから武家さんだと助六はおもった。
「わしの顔になんかついちょるか」
と、土佐訛りのあるこの男は今度はめんどくさそうにいった。頭の後ろで結った曲毛が適当にほつれ肩に垂れている。
「釣りをしたのはこれで三度目じゃ」
ひとり言のように男はいった。
一度目は幼なじみらと行ってみたものの、自分だけが釣れず泣いて家に帰ったところ父上と兄上に叱られまた泣かされたらしい。二度目は乙女姉やんと行ったときで、このときもまったく釣れずそれ以来きょうが三度目なのだとこれまたひとり言のようにいった。
どことなく食えぬ雰囲気のある男である。背中がおおきい。助六はおもった。
「お武家さん。おなごに騒がれるだろう」
ここまで丁寧にいったのは豪農や御用商人が力をつけてきた幕末ただよう天下の江戸にあって、いまだ権威は武士にあったことへの助六の皮肉であった。
「はあ?」
と、男のぶあいそうは変わらない。
「おなごじゃ。おなごいるのか」
地方の武士は色恋に厳しいことを知っての助六のこの言い草であった。男は助六をちらりと上目で見て、
「ひい、ふう、みい、よお、いつ……」
と、これまたでかい掌の指をひとつずつ折って数えだした。
物の勘定ができないのか、はたまたよほどおなごがいるのか、数えた指をいったりきたりして十を過ぎたあたりから言葉がでなくなってきた。
「で、何人でェ」
しびれをきらして助六がたずねる。
「やめた! おなごは苦手じゃあ!」
と、男は頭の後ろで腕を組んで寝そべった。空をただ茫洋と見つめ、
「父上からの訓戒がある」
と閉口しながらいった。
「なんでェ」
と助六はおおげさにずっこけてみせたが、この男はずうっと空を見つめたままであった。
(……変わった奴だなあ)
お互いがそうおもった。
「なにを考えてる」
助六はもろ手を両膝に突いて男をのぞき込んでいった。
「考えているように見えるか?」
「ああ、黙っているとそりゃあ思慮深そうだ」
「乙女姉やんにもおなじこといわれた」
男から乙女姉やんの話がでてきたのはこれで二度目である。よほど慕っているのであろう。その言葉を口にするときだけ男はどこか嬉しそうであった。
「なんちゃあわからんがぜよ」
「なにがだ?」
「わからんことがわからん」
「そうかあ」
と助六はこれ以上のことをいうのをやめた。
垂らした釣り糸にはいっこうに魚がかからない。
助六も男を真似て寝そべってみた。寝太郎の異名を持つ助六である。寝そべったこのときから荷押しのことなどとうに忘れてしまっていた。
男は空を見たまま微笑してみせ、どことなく柔らかくなってこういった。
「ペルリ、って知っちゅうか」
「なんだそれ」
「黒船じゃあ」
「はあ」
と今度は助六がぶすいに返事をしたが、いまや江戸中子どもでも知っていることであった。気にせず男はつづけた。
「けんど、こんげな刀なんぞ持っちょってても異人には勝てんがぜよ」
「土佐も異国みたいなもんだろ」
男は空を見るのをやめ、右足を袴にいれてからもう一方を膝立てて起き上がった。
「いや、勝てるだろ」
「なしてそげなことがいえる」
「だって、おっかねェもんよ。そんなもん腰に差されて」
男の傍に置かれた大小をみて助六はいった。
「これかえ」
「ああ」
「刀が怖いがか?」
「ああ」
「あっはっは」
男は大笑いをして、なんぜえ? と助六の目をはっきりみてたずねた。助六はむっとしたのか、
「俺ァ刀持ってねェもんよ」
と声を低くしていい、
「あれだ、苗字帯刀じゃねェだろ」
とつづけていった。
「そうじゃ」
と男が相づちをうつ。
「持ってるモン同士だったら喧嘩にならねェだろ」
といった途端、あっ、と男の顔つきが急に険しくなった。
「……持ってるモン同士だったら……」
などと何度も繰り返しつぶやくものだから、そのうち助六は気味悪がってとうとうほったらかしにした。
「――そういうことか!」
突然、男はパッと顔つきが明るくなって人懐っこい笑顔をみせた。
「おまん、名はなんちゅう」
と勝手に興奮していわれても、こんな薄気味悪い奴になんぞ名など名乗れぬといった感じで助六は仏頂面のまま男を見遣った。
「わかったんじゃあ!」
「なにがじゃ」
やっと助六がこたえた。
「俺なりの尊王攘夷がぜよ!」
「……それは食えるんか」
「はあ? あっはっは。食えんかったけんど、おまんの話で食えるようになるかもしれんぜよ!」
「なんじゃそら」
「釣りなどしちゃおれんき」
と慌てて立ち上がれば、これが背丈が五尺八寸、目方が十九貫もあろうかという大男であった。大小を腰に差し直し、
「桂さんにききにいくがぜよ」
といろいろ忙しくした。
(……やっぱり変な奴じゃ)
とおもいつつ、
「おまえ名はなんていう」
と、今度は助六がたずねた。
「坂本じゃあ」
「はあ?」
「土佐の坂本竜馬っちゅう」
背中ごしでそう名乗り、そのまま行こうとするこの竜馬に、
「ンなあ! 釣竿俺にくれんかァ」
と助六がいった。竜馬は一度だけ振り返って、
「あっはは。いいぞ、持ってけ」
といって走っていった。
「なにが釣れる?」
と傍に寄った。
「性にあわん」
男はぶあいそうにいった。
恰好が紺の袴に大小の拵えを手元に置いてあるから武家さんだと助六はおもった。
「わしの顔になんかついちょるか」
と、土佐訛りのあるこの男は今度はめんどくさそうにいった。頭の後ろで結った曲毛が適当にほつれ肩に垂れている。
「釣りをしたのはこれで三度目じゃ」
ひとり言のように男はいった。
一度目は幼なじみらと行ってみたものの、自分だけが釣れず泣いて家に帰ったところ父上と兄上に叱られまた泣かされたらしい。二度目は乙女姉やんと行ったときで、このときもまったく釣れずそれ以来きょうが三度目なのだとこれまたひとり言のようにいった。
どことなく食えぬ雰囲気のある男である。背中がおおきい。助六はおもった。
「お武家さん。おなごに騒がれるだろう」
ここまで丁寧にいったのは豪農や御用商人が力をつけてきた幕末ただよう天下の江戸にあって、いまだ権威は武士にあったことへの助六の皮肉であった。
「はあ?」
と、男のぶあいそうは変わらない。
「おなごじゃ。おなごいるのか」
地方の武士は色恋に厳しいことを知っての助六のこの言い草であった。男は助六をちらりと上目で見て、
「ひい、ふう、みい、よお、いつ……」
と、これまたでかい掌の指をひとつずつ折って数えだした。
物の勘定ができないのか、はたまたよほどおなごがいるのか、数えた指をいったりきたりして十を過ぎたあたりから言葉がでなくなってきた。
「で、何人でェ」
しびれをきらして助六がたずねる。
「やめた! おなごは苦手じゃあ!」
と、男は頭の後ろで腕を組んで寝そべった。空をただ茫洋と見つめ、
「父上からの訓戒がある」
と閉口しながらいった。
「なんでェ」
と助六はおおげさにずっこけてみせたが、この男はずうっと空を見つめたままであった。
(……変わった奴だなあ)
お互いがそうおもった。
「なにを考えてる」
助六はもろ手を両膝に突いて男をのぞき込んでいった。
「考えているように見えるか?」
「ああ、黙っているとそりゃあ思慮深そうだ」
「乙女姉やんにもおなじこといわれた」
男から乙女姉やんの話がでてきたのはこれで二度目である。よほど慕っているのであろう。その言葉を口にするときだけ男はどこか嬉しそうであった。
「なんちゃあわからんがぜよ」
「なにがだ?」
「わからんことがわからん」
「そうかあ」
と助六はこれ以上のことをいうのをやめた。
垂らした釣り糸にはいっこうに魚がかからない。
助六も男を真似て寝そべってみた。寝太郎の異名を持つ助六である。寝そべったこのときから荷押しのことなどとうに忘れてしまっていた。
男は空を見たまま微笑してみせ、どことなく柔らかくなってこういった。
「ペルリ、って知っちゅうか」
「なんだそれ」
「黒船じゃあ」
「はあ」
と今度は助六がぶすいに返事をしたが、いまや江戸中子どもでも知っていることであった。気にせず男はつづけた。
「けんど、こんげな刀なんぞ持っちょってても異人には勝てんがぜよ」
「土佐も異国みたいなもんだろ」
男は空を見るのをやめ、右足を袴にいれてからもう一方を膝立てて起き上がった。
「いや、勝てるだろ」
「なしてそげなことがいえる」
「だって、おっかねェもんよ。そんなもん腰に差されて」
男の傍に置かれた大小をみて助六はいった。
「これかえ」
「ああ」
「刀が怖いがか?」
「ああ」
「あっはっは」
男は大笑いをして、なんぜえ? と助六の目をはっきりみてたずねた。助六はむっとしたのか、
「俺ァ刀持ってねェもんよ」
と声を低くしていい、
「あれだ、苗字帯刀じゃねェだろ」
とつづけていった。
「そうじゃ」
と男が相づちをうつ。
「持ってるモン同士だったら喧嘩にならねェだろ」
といった途端、あっ、と男の顔つきが急に険しくなった。
「……持ってるモン同士だったら……」
などと何度も繰り返しつぶやくものだから、そのうち助六は気味悪がってとうとうほったらかしにした。
「――そういうことか!」
突然、男はパッと顔つきが明るくなって人懐っこい笑顔をみせた。
「おまん、名はなんちゅう」
と勝手に興奮していわれても、こんな薄気味悪い奴になんぞ名など名乗れぬといった感じで助六は仏頂面のまま男を見遣った。
「わかったんじゃあ!」
「なにがじゃ」
やっと助六がこたえた。
「俺なりの尊王攘夷がぜよ!」
「……それは食えるんか」
「はあ? あっはっは。食えんかったけんど、おまんの話で食えるようになるかもしれんぜよ!」
「なんじゃそら」
「釣りなどしちゃおれんき」
と慌てて立ち上がれば、これが背丈が五尺八寸、目方が十九貫もあろうかという大男であった。大小を腰に差し直し、
「桂さんにききにいくがぜよ」
といろいろ忙しくした。
(……やっぱり変な奴じゃ)
とおもいつつ、
「おまえ名はなんていう」
と、今度は助六がたずねた。
「坂本じゃあ」
「はあ?」
「土佐の坂本竜馬っちゅう」
背中ごしでそう名乗り、そのまま行こうとするこの竜馬に、
「ンなあ! 釣竿俺にくれんかァ」
と助六がいった。竜馬は一度だけ振り返って、
「あっはは。いいぞ、持ってけ」
といって走っていった。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
水野勝成 居候報恩記
尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。
⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。
⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。
⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/
備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。
→本編は完結、関連の話題を適宜更新。
よあけまえのキミへ
三咲ゆま
歴史・時代
時は幕末。二月前に父を亡くした少女、天野美湖(あまのみこ)は、ある日川辺で一枚の写真を拾った。
落とし主を探すべく奔走するうちに、拾い物が次々と縁をつなぎ、彼女の前にはやがて導かれるように六人の志士が集う。
広がる人脈に胸を弾ませていた美湖だったが、そんな日常は、やがてゆるやかに崩れ始めるのだった。
京の町を揺るがす不穏な連続放火事件を軸に、幕末に生きる人々の日常と非日常を描いた物語。

夕映え~武田勝頼の妻~
橘 ゆず
歴史・時代
天正十年(1582年)。
甲斐の国、天目山。
織田・徳川連合軍による甲州征伐によって新府を追われた武田勝頼は、起死回生をはかってわずかな家臣とともに岩殿城を目指していた。
そのかたわらには、五年前に相模の北条家から嫁いできた継室、十九歳の佐奈姫の姿があった。
武田勝頼公と、18歳年下の正室、北条夫人の最期の数日を描いたお話です。
コバルトの短編小説大賞「もう一歩」の作品です。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
拾われ子だって、姫なのです!
田古みゆう
歴史・時代
南蛮人、南蛮人って。わたくしはれっきとした倭人よ!
お江戸の町で与力をしている井上正道と、部下の高山小十郎は、二人の赤子をそれぞれ引き取り、千代と太郎と名付け育てることに。
月日は流れ、二人の赤子はすくすくと成長した。見目麗しい姿と珍しい青眼を持つため、周囲からは奇異の眼で見られる。こそこそと噂をされるたび、千代は自分は一体何者なのだろうかと、自身の出自について悩んでいた。唯一同じ青眼を持つ太郎と悩みを分かち合おうにも、何かを知っていそうな太郎はあまり多くを語らない。それがまた千代を悶々とさせていた。
そんな千代を周囲の者は遠巻きに見ながらも、その麗しさに心奪われる者は多く、やがて年頃の千代にも縁談話が持ち上がる。
しかし、当の千代はそんなことには興味がなく。寄ってくる男を、口八丁手八丁で退けてばかり。
果たして勝気な姫様の心を射止める者が、このお江戸にいるのかっ!?
痛快求婚譚、これよりはじまりはじまり〜♪
空蝉
横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。
二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。
【完結】女神は推考する
仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。
直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。
強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。
まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。
今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。
これは、大王となる私の守る為の物語。
額田部姫(ヌカタベヒメ)
主人公。母が蘇我一族。皇女。
穴穂部皇子(アナホベノミコ)
主人公の従弟。
他田皇子(オサダノオオジ)
皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。
広姫(ヒロヒメ)
他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。
彦人皇子(ヒコヒトノミコ)
他田大王と広姫の嫡子。
大兄皇子(オオエノミコ)
主人公の同母兄。
厩戸皇子(ウマヤドノミコ)
大兄皇子の嫡子。主人公の甥。
※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。
※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。
※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。)
※史実や事実と異なる表現があります。
※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる