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ーサラゴサの情景ー
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2.
その日、サラゴサ城のひろい庭園の一角に青大理石の階が据えられた。美しい石壇は、幕営における玉座の代わりである。木蔭に腰を下ろしたマルシル王を取り囲むのは、総勢二万余の軍兵ども。とくに身辺近き公爵、伯爵に王は問う。
「皆の衆、なんたる厄災の降って沸いたことか!猛き国フランスより帝王シャルルが攻め来たり寄せ、われらを討ち滅ぼさんとしている。持ちこたえるには兵も備えも不十分、かといって迎え撃つべき力もない。さて思慮ある者たちよ、どうか教えて欲しい。わが身を恥辱と死から遠ざける手だてはないものか?」
満座は静まりかえって音もない――と、ひとり“深しの谷”の領主ブランカンドランが進みいで、おもむろに口をひらいたではないか……
3.
このブランカンドランなる男、マルシルの帷幕のなかでも屈指の賢哲と知られ、また異教徒にあって智勇ふたつながらに備えた将でもある。彼が答えて言うには、
「なんのわが君、ご心配には及びませぬ。ここは傲慢なるシャルルに貢ぎされ、深く和睦を請われるがよろしい。ライオンも熊も猟犬も、七百頭のラクダも贈ってしまいなされ。羽替わりしたばかりの千の鷹と、金銀を積んだ四百頭のラバと、ラバの引く五十輌の荷車もいっしょに。
これでシャルルの引き連れてきた兵たちも満足することでしょう。さすれば奴ばらもわがスペインでの長年の狼藉を止め、フランスへ、都エックスへと引き上げてゆくに違いない。
王よ、あなたも約定を結ばれてはいかがでしょう。ゆくゆくはつき従って聖ミカエルの祭典に参集する、その時はキリストの教えに改宗して臣下の義務を果たす、と。むろん出まかせ、形だけのものでござる。
それでもシャルルの疑念が晴れぬならば、人質を遣らねばなりますまい。十人でも、二十人でも。むろん我ら家臣とて同様、進んでわが子を送りましょう。殺されるのは元より覚悟のうえ、このわしからまず息子を捨てる所存。
たとえ首をはねられようとも、ほかに良い手がありましょうや。封土をすべて失い、不名誉のなか物乞い同然の末路をさらす事とくらべれば!」
たちまち周囲より歓声があがる「よくぞ言ってくれた、異存はない!」と。
4.
ブランカンドランは侍臣たちに向き直り言葉をつなぐ。
「見よ、わが右手に、また風にたなびくこの髭に誓おう!断じて言う、和睦がなればフランク軍は立ちどころに兵をまとめ、故郷をさして引き上げるだろう。男たちは住みかへ、シャルルはエックスの宮殿に帰りつき、しばしの憩いを得るだろう。
ほどなく彼は聖ミカエルの日に祝祭を執り行うが、もちろんそこにわが王の姿はなく、期日を過ぎても音沙汰はない。そうなれば、みな存じおるだろうがシャルルは残忍な男、人質の首を残らずはねてしまうに相違ない。
だが仕方がないのだ、どれほど首が落ちようと、この清きスペインを失い、屈辱と苦痛のうちに生きるよりは幾分かましではないか!」
異教徒たちも口をそろえて言う「事ここに至っては、それしかあるまい」と――。
5.
衆議は一決した。マルシルは指令を授けるべく十人の強壮なる家臣をさし招く。その顔ぶれは――
バラグエのクレラン、エスタマリンとその僚友ユードロパン、髭うるわしいガルロンとプリアモン、マシネールとその叔父マヒュー、ジョウネール、そしてマルビアンは外様の領主であった。
さらにブランカンドランを加え、ここに王の大命はくだった。
「シャルルマーニュの下へゆけ!彼奴はいまコルドル市を囲んでおるはずだ。銘々その手にオリーブの枝を手折ってゆけ、それは平和と臣従のよき証となるであろう。首尾よく和議をとり結んでわが許に帰り来たならば、金銀財貨は言うにおよばず、広大な封土をくれてやろう!」
異教徒たちは声をあわせて「もったいなや、かならず仰せのままに!」
6.
評定は終わった。マルシル王はなおも念を押す。
「諸侯よ!いざわが使いとして走れ!手にはオリーブの小枝を持って行け、行ってシャルルに伝えてまいれ、なんじらの神に誓って、赦しを請うものであると。そしてひと月ののちには一千人の忠実なる民を引き連れ、われ自らシャルル王の来た道をたどって上京し、キリストの教に服するだろうと。そのときには信愛をもって、こなたの足下にひれ伏すつもりだと。人質が要りようならば、いくらでも連れ帰るがよいと!」
ブランカンドラン答えていう、「わが君のため、和議はかならず果たして御覧にいれまする」
7.
旅立つ廷臣たちのため、マルシルが引いて来させたのは、雪のように白いラバがちょうど十頭。これはシチリア島の王が貢いで寄越した品で、その口輪は黄金、鞍は白銀、どれもが星降るような刺繍で彩られている。
降伏の使者はそろってこれにうち跨り、手に手にオリーブを握りしめた。向かうは大帝国の長、シャルルの陣。
――ああ、フランスに賢人、勇士あまたあれど、彼らの偽りの言葉に運命を狂わされぬ者はいなかった……
その日、サラゴサ城のひろい庭園の一角に青大理石の階が据えられた。美しい石壇は、幕営における玉座の代わりである。木蔭に腰を下ろしたマルシル王を取り囲むのは、総勢二万余の軍兵ども。とくに身辺近き公爵、伯爵に王は問う。
「皆の衆、なんたる厄災の降って沸いたことか!猛き国フランスより帝王シャルルが攻め来たり寄せ、われらを討ち滅ぼさんとしている。持ちこたえるには兵も備えも不十分、かといって迎え撃つべき力もない。さて思慮ある者たちよ、どうか教えて欲しい。わが身を恥辱と死から遠ざける手だてはないものか?」
満座は静まりかえって音もない――と、ひとり“深しの谷”の領主ブランカンドランが進みいで、おもむろに口をひらいたではないか……
3.
このブランカンドランなる男、マルシルの帷幕のなかでも屈指の賢哲と知られ、また異教徒にあって智勇ふたつながらに備えた将でもある。彼が答えて言うには、
「なんのわが君、ご心配には及びませぬ。ここは傲慢なるシャルルに貢ぎされ、深く和睦を請われるがよろしい。ライオンも熊も猟犬も、七百頭のラクダも贈ってしまいなされ。羽替わりしたばかりの千の鷹と、金銀を積んだ四百頭のラバと、ラバの引く五十輌の荷車もいっしょに。
これでシャルルの引き連れてきた兵たちも満足することでしょう。さすれば奴ばらもわがスペインでの長年の狼藉を止め、フランスへ、都エックスへと引き上げてゆくに違いない。
王よ、あなたも約定を結ばれてはいかがでしょう。ゆくゆくはつき従って聖ミカエルの祭典に参集する、その時はキリストの教えに改宗して臣下の義務を果たす、と。むろん出まかせ、形だけのものでござる。
それでもシャルルの疑念が晴れぬならば、人質を遣らねばなりますまい。十人でも、二十人でも。むろん我ら家臣とて同様、進んでわが子を送りましょう。殺されるのは元より覚悟のうえ、このわしからまず息子を捨てる所存。
たとえ首をはねられようとも、ほかに良い手がありましょうや。封土をすべて失い、不名誉のなか物乞い同然の末路をさらす事とくらべれば!」
たちまち周囲より歓声があがる「よくぞ言ってくれた、異存はない!」と。
4.
ブランカンドランは侍臣たちに向き直り言葉をつなぐ。
「見よ、わが右手に、また風にたなびくこの髭に誓おう!断じて言う、和睦がなればフランク軍は立ちどころに兵をまとめ、故郷をさして引き上げるだろう。男たちは住みかへ、シャルルはエックスの宮殿に帰りつき、しばしの憩いを得るだろう。
ほどなく彼は聖ミカエルの日に祝祭を執り行うが、もちろんそこにわが王の姿はなく、期日を過ぎても音沙汰はない。そうなれば、みな存じおるだろうがシャルルは残忍な男、人質の首を残らずはねてしまうに相違ない。
だが仕方がないのだ、どれほど首が落ちようと、この清きスペインを失い、屈辱と苦痛のうちに生きるよりは幾分かましではないか!」
異教徒たちも口をそろえて言う「事ここに至っては、それしかあるまい」と――。
5.
衆議は一決した。マルシルは指令を授けるべく十人の強壮なる家臣をさし招く。その顔ぶれは――
バラグエのクレラン、エスタマリンとその僚友ユードロパン、髭うるわしいガルロンとプリアモン、マシネールとその叔父マヒュー、ジョウネール、そしてマルビアンは外様の領主であった。
さらにブランカンドランを加え、ここに王の大命はくだった。
「シャルルマーニュの下へゆけ!彼奴はいまコルドル市を囲んでおるはずだ。銘々その手にオリーブの枝を手折ってゆけ、それは平和と臣従のよき証となるであろう。首尾よく和議をとり結んでわが許に帰り来たならば、金銀財貨は言うにおよばず、広大な封土をくれてやろう!」
異教徒たちは声をあわせて「もったいなや、かならず仰せのままに!」
6.
評定は終わった。マルシル王はなおも念を押す。
「諸侯よ!いざわが使いとして走れ!手にはオリーブの小枝を持って行け、行ってシャルルに伝えてまいれ、なんじらの神に誓って、赦しを請うものであると。そしてひと月ののちには一千人の忠実なる民を引き連れ、われ自らシャルル王の来た道をたどって上京し、キリストの教に服するだろうと。そのときには信愛をもって、こなたの足下にひれ伏すつもりだと。人質が要りようならば、いくらでも連れ帰るがよいと!」
ブランカンドラン答えていう、「わが君のため、和議はかならず果たして御覧にいれまする」
7.
旅立つ廷臣たちのため、マルシルが引いて来させたのは、雪のように白いラバがちょうど十頭。これはシチリア島の王が貢いで寄越した品で、その口輪は黄金、鞍は白銀、どれもが星降るような刺繍で彩られている。
降伏の使者はそろってこれにうち跨り、手に手にオリーブを握りしめた。向かうは大帝国の長、シャルルの陣。
――ああ、フランスに賢人、勇士あまたあれど、彼らの偽りの言葉に運命を狂わされぬ者はいなかった……
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