抄編 水滸伝

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第33回 時遷、にわとりを盗んで追われること

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李逵、お袋さまを失った悲しみに心くたびれてフラフラと街道すじまで下りてきたものですから、ふもとの村は大さわぎ。
「なに?血だるまの大男が迷い込んで、峠で虎を何匹も殺してきたと言うとると?本当なら人間わざではない。山のうぶすな神さまじゃなかろうか」
村長の曹太公そうたいこうが引見してみますが、やはり常の者とは思えません。李逵は李逵でまともに名乗れば手が後ろに回ります。そこでひと思案、
「わしはここらのものではありません。名は生来もたず、人からはただ張大胆ちょうだいたんと呼ばれております」
と偽名で押し通そうとします。
「名前どおりのじつに大胆不敵なお方。若いやつに調べに行かせたが、たしかに虎が四匹ばかり死んでいる。あれを全部ひとりでおやんなすったとは、信じられん」
村では人食い虎退治の英雄が突如ふってわいた訳ですから、急にお祭りさわぎの大混乱。李逵は綺麗に体を洗ってもらい、下へもおかぬ歓待です。宋江の言いつけもすっかり忘れて、へべれけに酔っ払ってしまいました。ところが見物客から女の声が投げかかります。
「みんな騙されちゃダメだよ。こいつめ、梁山泊の黒旋風!あたしのひとを殺しときながらぬけぬけと戻ってきやがって!」
「あッ、てめえ追い剥ぎの女房!」
見ればそれはニセ李逵の嫁さんではないですか!こりゃいかんと逃げ出そうとするも足腰たたぬほど酩酊しています。たちまち捕らえられた李逵、一瞬にして英雄から大罪人に転落とあいなりました。

さてこちらは城下の朱貴、おとうとの朱富しゅふが経営する居酒屋に厄介になっていましたが、待てど暮らせど鉄牛が帰ってきません。小さな街ですから「お尋ねもんの黒旋風をとっ捕まえたらしい」なんて噂はすぐに広まってまいります。
「あン野郎、やっぱりヘマしやがった!正直ほって帰りたいがあいつは宋あにきのお気に入り、このまま見捨てるわけにもいかん」
朱貴は弟とかたらって策を練ります。さすがに在地のひと、土地勘はありますので囚人の護送部隊を先まわりして待ち構え、ごちそう攻めにして足止めします。
腹ごしらえも終わり県城に向かっていざ出立、という段になって、兵士も士官たちもみな口から泡をふいて倒れました。お馴染み、しびれ薬をもちいたはかりごとです。
李逵、満身にグッと力を込めると縄はプツプツ切れてあっという間に自由の身、よくもやってくれたなと仕返しを始めます。曹太公にニセ李逵の女房はじめ、見物の村人に兵隊たちまで手当たりしだいに殺してまわると、
「せいせいしたぜ。さ、帰ろう帰ろう」
呆れかえる朱貴、朱富の兄弟をつれて、梁山泊に帰っていきました。


李逵が戻って来たのとはうらはらに、公孫勝はまだお山に姿を見せません。
「なんだい、おいらの方が後に出て帰りが早いってのは!?」
「そういぶかしむな。一清先生は義理がたい男。とりでの修築でもすすめながら、気長に待っておればよい」
鷹揚おうようにかまえていた晁蓋でしたが、百日あまりが過ぎても便りのひとつも届きません。
「何か厄介ごとに巻き込まれたのかも知れませんな。あるいは道術修行にうち込んで俗世間にもどる気が失せてしまったか。いずれにせよ、戴宗に探らせてみてはいかが?」
宋江の提案はもっともです。さっさく戴宗は郵便夫に化け、例の神行法をとばして薊州けいしゅうまでひとっ走り。しかし公孫一清の足どりは容易に追えません。
やはりお師匠の“羅真人らしんじん”なる仙人のところにいるらしいのですが、肝心の修行場がどこにあるのやら。やむなくもどって来た戴宗、かわりに頼もしげな二人の侠客きょうかくをスカウトしてまいりました。
「まあお聞きください、両名いずれも奇妙な運命に翻弄ほんろうされたおとこ達でして」
戴宗の語るところによると……

好漢のひとり楊雄ようゆう河南かなんのひと。武芸の腕は達者なもんのなかなか仕事にありつけず、薊州まで流れて首斬り役人をやっていました。立派な風采の持ち主で、関羽の三男坊にあやかり“病関索びょうかんさく”と呼ばれます。
もうひとりは金陵きんりょう(現在の南京ナンキン)のひとで名前は石秀せきしゅう。羊肉商をやったりまき売りをやったり、こちらも苦労人ではありますが、一本気を絵に描いたような男でとにかく曲がったことが大嫌い。虐げられたひとを見ればかならず助太刀に入る気性から、ついたあだ名は“拚命へんめい(命がけの)三郎ざぶろう”。

ある日楊雄が不良軍人に絡まれているのを通りがかった石秀が助けてやったのですが、ふたりは初対面から意気投合。義兄弟になっておなじ屋敷で暮らし、石秀は一階を間借りして肉屋を開くことになります。
ふた月ほどたったころ、石秀は偶然、楊雄のつま潘巧雲はんこううんが近所のお寺の和尚と密通していることを知ってしまいます。楊雄は牢番も兼ねていて城に宿直とのいづとめの毎日。巧雲がお屋敷に夜どおし坊さんを引き入れてもバレません。おまけに家の使用人も小遣いをもらって不倫の手引きをしていたというのですから、知らぬは旦那ばかりといったところ。
怒った石秀はまず和尚をおびき出して始末します。帰ってきた楊雄に事実を打ち明けると、こんどはふたりして潘巧雲を斬り殺し、グルになっていた小間使いもグサリとやりました。
胸のつっかえをようやく吹き飛ばした楊雄・石秀でしたが、ひとを三人もあやめたのはまぎれもない事実。ことが露見するまえにどこかへ落ち延びねばなりません。天下の男だてが身を寄せるならやはり梁山泊、と石秀はかつて会ったことのある戴宗にコンタクトを取ってきたのです。

「こっちは神行法で戻ってきましたから四、五日もすりゃあ彼らも追っつけお山に来るでしょう」と戴宗。

ところが事態はそう簡単に運びませんでした。道中のふたりに、どこからともなくかかる声ひとつ、
「ヤア、泰平無事のご時世に人を殺してとんずらとは、お天道様とこのおれはしかと見ていたぞ!」
「だれだ!?」
石秀ギョッとして刀に手をかけますが、それは知り合いの時遷じせんというやくざ者でした。
この男、泥棒稼業ひとすじで生きてきた根っからの盗賊で、物音ひとつ立てずに垣根を飛び越え、塀の上を走ります。おどろくほどの身軽さを活かして潜入スパイに火つけ、金蔵きんぞう破りと何でもいたします。それゆえあだ名は“鼓上蚤こじょうそう(太鼓にのったノミ)”。彼も梁山泊に入りたくて、あとをつけて来たようです。
「なんだ脅かすなよ。いいとも、みなで山賊になろう」
三人して旅をつづけていたのですが、鄆州に入ったところで一風変わった宿屋に泊まることになりました。
「おい番頭さん、こりゃなんだい?部屋ごとに太刀が二、三本は備え付けてある。あちこち流れてきたけれど、こんな物々しい宿ははじめてだ。戦争でもおっぱじまるのかい?」
「ハァ、旦那がたも侠客のはしくれなら、祝家荘しゅくかそうの名を聞いたことはございませんか。この辺は旅籠はたごのみならず、だれの家もこうなんですよ」
「あッ、じゃあここが独竜岡どくりゅうこうなのか」
鄆州独竜岡に三村あり、とはやくざ者のなかでは有名なはなし。この地には祝家荘、李家荘りかそう扈家荘こかそうという村落がありますが、どれも環濠かんごうをめぐらし見張り台を築き、ちょっとした基地のようになっています。それというのも梁山泊からほど近いため、山賊どもがいつ略奪に来ても迎え討てるようにと守りを固めてあるのです。

一同は腹ごしらえにかかります。楊雄が釜をかりて米を炊いておりますと、「あにきたち、おかずが欲しかないかね?」と時遷。
「どこにあるってんだ」
「なぁに、わけないぜ」さっと裏手の方に回ったとみるや、宿屋が飼っているとおぼしきにわとりを一羽くすねて来ました。
「こいつ、あいも変わらずなんて手ぐせの悪さだろ」
「泥棒は三日やるとやめられんのよ」
好漢もとい悪党三人、さっそく鶏を煮込んで美味しくいただいてしまいました。
さあ怒ったのは旅籠屋の番頭、なにせそこいらじゅうに鳥の羽根が散乱するなかで寝ているのですから、誰か犯人かなんて明白です。
「あんたら無茶苦茶だ!あいつは朝いちばんの時を告げる鶏だったんだぞ、どう落としまえつけなさる!?」
「へへ夢でも見たんと違うかね?わしらは自分で買ってきたのを食っただけ。おたくの鶏は、そうさな、おおかたキツネかイタチにでもさらわれたんだろ」時遷はニタニタ笑って取りあいません。
「この野郎!ここは祝家荘だぞ、泣き寝入りすると思ったら大間違いだ!」
わらわらと屈強そうな男たちがつかみかかって来ますが、そこは豪傑ふたり。拳固げんこをかためて殴り回り蹴り回れば、どいつもみな顔を腫らして逃げていきました。
「こりゃいかん。きっと加勢を呼びに行ったんだ。ぼやぼやしてると命がなくなるぞ」
いまさら慌てはじめた石秀たち、退散のしたくにかかりますが、
「ええい、行きがけの駄賃だちんよ!」
とお宿に火をつけて逃げ出しました。折からの風にあおられ炎はあっという間に空いちめんを焦がして、落ちゆく三人の背中を赤々と照らします。
「盗っ人ども待て!」気づけば前からも後からも声がいたします。どうやら不案内な夜道をいくうちに追手にまわり込まれていた模様。ゆらめく松明のかずの多いこと、百人からはおりましょう。楊雄かくごを決めて、
「いよいよやるしかない。おれが露はらいしてやるから石秀おまえ殿しんがりたのむ。狭い間道を逃げながら闘おう。奴等がひとりで来たらそいつを殺す。ふたりで来たらたばにして殺す。それだけのこと」
かくして三人、一列になって敵のただ中へ斬り込んでいきました。
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