抄編 水滸伝

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第31回 宋江、九天玄女に会ってみずからの宿命を知ること

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城からは追手、背後の川からはしぶきを蹴たてて早舟が近づいてきます。
南無三なむさん!いよいよわれらの命運もきわまったか……」
ところが舳先へさきの男たちはこっちに向かって手を振っています。
「あッ違うぞ、こりゃ味方だ!」宋江の声がはずみました。
船をいでいたのは張横、張順の兄弟に李俊とその手下たち。張順は宋江が捕まったと聞いていてもたってもいられませんでしたが、男いっぴきでは出来ることが限られます。そこで向こう岸を縄張りにしている兄や李俊に助けを求め、若い衆をかき集めて江州へ殴りこみに行く最中だったのです。
「あっしら、もう命はいらねえから宋あにきだけはお救いしようと、牢でも何でも破ってやるつもりで来たんでさ。そうしたらひと足さきに豪傑がたに助けられていなさる。いやほんと良かった、良かったよ」
はりつめた覚悟から解放されたのか、張順はなみだを浮かべています。
「今のいままでは一刻も早く逃げたかったが、迎えの船があるなら話しは別だ。北と南の男だてがいちどう勢ぞろいしておきながら、何もせず尻尾をまくのは面白くない。さいわい船には武器、矢弾が満載されておる。どうです兄弟、もういっぺん敵を驚かしてから悠々かえるというのは」
花栄に勇気づけられた豪傑たち、ふたたび打って出るや鬼神のように斬りまくり、矢を放ちます。ここでも李逵はおお暴れ。無邪気に敵中に飛び込んでゆく姿はいくさの恐ろしさなど知らぬ幼な子のようで、矢にあたりはせぬか、馬にぶつからぬかと仲間のほうがヒヤヒヤするほど。さきの大殺戮を目にしている城の兵士たち、すくみ上がって力の半分も出せません。官兵はまったく出鼻をくじかれて、みな蜘蛛の子を散らすように敗走しました。

その日の夕刻、勝利をえた梁山泊の面々は三つの船に分乗して長江をわたり、ひとまず上流にある網元あみもと屋敷にかくまわれていました。さあ梁山泊に引き上げよう、と誰かが言ったそのとき、宋江は居住まいをただしてガバと平伏いたします。
「命を救ってもらったうえ厚かましいが、晁天王に三つお願いがあります。どうかお聞きとどけくださいまし。ひとつ、戴院長や李逵、それに張兄弟たちはわしを助けんと奮闘したせいでもうこの地に居場所がない。一緒にお山へ連れて行ってください。ふたつ、わしが大罪人になってしまった以上、故郷の宋家にもいつか手が回りましょう。父と家族をとりでに移り住ませたいのです。みっつ、これは私怨しえんにすぎないが、こたびの災難はすべて黄文炳の悪だくみが火種。是が非にも奴を血祭りにあげないでは腹の虫がおさまりません」
「なるほど一々もっともだ。江州の好漢がたはもちろん山で頭目になっていただく。お父上も引き取って世話しよう。さてみっつめの黄判事のことだが、わしにひとつ考えがある。今晩にでも無為軍の街を奇襲してしまうというのはどうかな。敵もよもや昨日の今日にこっちから攻めてくるとは思うまい」

作戦は晁蓋の読みどおりに運びました。さきに地理に詳しいやつを忍び入れますと、はたして無為の連中はまったくの無警戒。内応者うらぎりものを数人つのって、準備万端ととのえます。
夜更けになると宋江たち本隊は大川から上陸し、土嚢どのうを積んで田舎町のひくい城壁をらくらくと越えてしまいました。
さあ後は火付けと略奪をはたらくばかり。今回は宋江の願いにより庶民に一切手をかけない決まりです。普段いばり散らしている黄判事がよっぽど憎いのか、燃えさかる屋敷を前にして町人たちは火を消そうともしません。
梁山泊の面々、判事がせっせとため込んだ家財道具に金銀財宝を残らずうばったあげく、「黄はどこだ!?」とそこいらじゅうを捜し回ります。

いっぽうその黄文炳。運のつよい奴でこのときまだ江州のお役所におりました。蔡知事とふたり、取り逃した囚人をどうしてくれようかと善後策ぜんごさくを練っていると対岸の街が火事との報告。たしかに闇色に横たう長江のむこうから煙が立ち昇っています。
「これはいかん」と舟に飛びのり、わが家めざして帰りを急ぎます。ようやく無為の近くまで来たところで街をでる小舟とすれ違いました。
「おうい!火もとはどこかいね?」
「黄の野郎のおうちだとさ!」
「なんだって!」
あわてた黄判事が青い顔して立ち上がったのを、小舟のぬしは見逃しませんでした。パッとかぎつきロープが投げられて、ふたつの舟はぐんぐん近づいていきます。
ところが黄もさるもの、するどく危険を察知するや上着を脱いでみずから大川に飛び入ります。犬っかきで岸辺をめざそうとしますが、行く手にはあの張順が先まわり。ようやく悪運の尽きた黄文炳、ついに水中にて御用となりました。
引っ立てられて来たすぶ濡れの黄判事、泣いて命ごいするかと思いきや、せせら笑いに「わしもお前さん等もおんなじ悪党。さっさと殺せ」とあんがい堂々としています。お望みどおり一寸きざみに切り殺し、ここに宋江の復讐戦はおわりを告げました。


州郡を二ヶ所も騒がせてしまったからには、もう後もどりはできません。ぐずぐすしていては体制を立て直した官軍に襲われます。豪傑たちは分捕り品を荷駄に積むと、五組にわかれて北をめざします。
みちみち幾人かの山賊ややくざ者を仲間に加えながら、二十日ほどの旅路をへて梁山泊にたどり着きました。

留守居るすいの呉用、公孫勝、林冲などとひと通りの挨拶を終えたのちは、新参たちの席次を決めねばなりません。晁蓋、ここで中央の椅子を指差し、
「諸君、こんにち我らはようやく宋三郎どのを得た。わしは首領の座を彼に譲りたい。どうかこの椅子に座って、全山を指揮して欲しい」
おどろいたのは宋江、
「何をおっしゃるかと思ったら。いけません、私はむしろご迷惑をかけて助け出された身。晁あにきに仕えこそすれ、上に立つなど死んでもできません」
「いや君が東渓村まで危険を知らせに来なかったら、きょうの梁山泊はない。恩人が主席につくのは自然の成り行きだ」
「勘弁してください、あなたは私より十近くも年かさ、これでは道徳が廃れます」
さんざ譲り合いのすえ、今までどおり晁蓋が大首領、宋江は第二席の副首領という配置に落ち着きました。宋江の連れてきた江州組があらたに参入し、親分衆のかずは約四十人。とりでの顔ぶれも一層多彩なものとなりました。
「すげえぞ!右を向いても左を見ても豪傑ばかり、噂にゃ聞いてたがなんて痛快な面子なんだ!」李逵は楽しくって仕方ない様子、
「兵隊だって食糧だってたんとある。あにきがた、こんな水ッたまりに引きこもるこたないよ。今すぐ全軍火の玉になって東京のみやこを攻め取りに行こう。そしたら国がまるごとおいらたちのもんだ、晁の旦那がでっかい皇帝、宋あにきは中くらいの皇帝、呉先生は宰相、公孫師匠は国師さまになってさ、毎日気ままに過ごそうぜ」
「こら鉄牛!」保護者がわりの戴宗はあたまを掻きます。「ここは江州じゃねえんだ、馬鹿も休み休みにせにゃならん。これ以上大あにきふたりを困らせてみろ、その首まっ先にちょんぎるからな!」
「うへッ、首がなくなるのはつまらん、またいつ生えてくるか分からんもんな。わかった、おいら酒でも飲んどくよ」
頭領たちドッと大笑いいたしました。


さて数日ののち、宋江は約束どおり一旦お山を降りて、親きょうだいを迎えに故郷へ旅立ちます。
ながい流刑の道のりを考えれば鄆城宋家村など近所のようなもの……かと思いきや、ふるさとの入り口にはおおぜいの土兵がたむろし、急づくりの検問所をしつらえています。
「しまった、もう官憲の手が回っていたか。無念だがひっかえそう。ああ、それにつけても情けない!わしは自分の家の門前にすら立てぬ男になってしまった!」

夜陰にまぎれて梁山泊へ戻ろうとした宋江ですが、警戒網は予想をうらぎる厳しさでどこへ行っても松明もった警邏けいらのものにでくわします。
「まてまて、怪しいやつ。お手配中の賊にちがいない。それ捕まえろ!」
わらわらと捕吏どもに追ったてられて、逃れ込んだのは古ぼけた廃墟、どうやら何がしかの神をまつる廟堂びょうどうのよう。もはや身動きとれぬ宋江、わらにもすがる思いで拝殿のお厨子ずしをこじあけてもぐり入り、
「お山を降りたのは軽率だった、いつでもわしは間違いばかりやらかす。おお神さま、お名前も存じませんがどうかお助けください」
と一心に願います。するとどうでしょう、堂の裏手から突然として黒々としたつむじ風がわき起こり、つぶてやら砂やらを吹きとばして広前につどった捕り手どもに襲いかかります。
「あッ、これはいかん。神さまのお怒りに違いねえ!」
あわてた一同、祟りを恐れこけつまろびつ退散いたしました。

宋江、「なんとあらたかなご霊験。生きて梁山に帰ったのちはかならず寄進いたします」とお礼を述べたそのとき。拝殿の向こうから、不思議な声がひびきました。
星主せいしゅさま、もうご安心。さあこちらへおいでください」
宋江、まさか自分を呼ぶものと思えずしばし呆然としておりましたが、いよいよはっきりとこだまする声にみちびかれ厨子からいでてみますと、なんたる不思議!さきほどまでのボロ屋はどこへ行ったか、かわりに天上世界のような御殿が広がっているではありませんか。甘いかおりに誘われるまま、睡蓮のきざはしを渡って九竜七宝くりゅうしっぽう高御座たかみくらにたどりつきますと、そこに鎮座ましますのは絶世の佳人。
「おお、ようやくお会いできました。星主さま、お懐かしゅうございます」
「星主とは聞き慣れぬことば、いったいなんのことでしょう?わたしは地方の小役人でそんな立派な肩書きなど縁もございませぬ」
壇上の貴人はほほえんで、
「お可哀そうに、すっかり記憶をなくされておいでじゃ。よいですか、貴方は天魔てんまの星の生まれかわり。いまはひとの姿をしておられるが、それはあくまで仮のうつわ。大願成就のあかつきには、やがてまた星界に還るさだめの身です」
「にわかには信じられません。大願とは?わたしに何をせよと」
「貴方のおもうままに。さ、ここに天書をお渡しします。危難にいき当たったときにお読みなさい。ただし、天機星てんきせい以外のものに見せてはなりませんよ」
はてその天書とは?と宋江、キョロキョロとあたりをうかがううちに目がまわり、ハッと気づいたときにはまた元どおりの廃屋はいおくに寝っ転がっておりました。
「……なんだ夢か」と懐をさぐれば、果たして五寸ばかりの知らぬ巻物が三つたもとに入っているではないですか。
「いや、やはり現実の出来事だったのだ。この社のご祭神が、わしの宿命を教えてくれたに違いない」
拝殿の奥を仰ぎみれば扁額には『玄女げんじょノ廟』、その下のなかば朽ちた女神像の口元は、先ほどの女性にそっくりです。
「どうやらわしはこの世でなすべきことがあるらしい。幾たび危うい目にあっても命があったのはこのためか。……よし、もうビクついて生きるのはよそう。大業が満たされるまでは神女さまのご加護もあるだろう」
お堂の外に出ると、すっかり朝になっています。宋江、意を決して歩きはじめましたが、その足どりは少しだけ軽やかなものに変わっておりました。
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