抄編 水滸伝

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第16回 朱仝、宋江を持仏堂に見つけること

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それから数ヶ月。済州知事はさらなる追討兵一千を梁山泊に送りましたが、これも林冲たち豪傑の武勇と呉学究ごがっきゅう、公孫勝の奇策のまえにさんざんに敗れ去り、かえって馬に舟に分捕ぶんどり品まで提供してとりでを富ませる結果となりました。

しかし鄆城県はのどかなものです。宋江は今日も県庁まえの例の茶店ですずんでおりましたが、ふと気がつけば、おもて通りを風呂敷かかえた妙な男がひょこひょこと行ったり来たりしております。
「ううむ、どこかで会ったはずなんだが……だれだったか?」
気になって相手のあとをつけてみると、男は路地うらに入ったところで突然がばと平伏するではないですか。宋江、もうあらゆる人に恩を売っていますから、結局だれに感謝されているやら分かりません。
「すまん、あんたの名前を思い出せないんだよ」
「大恩人、そっちがお忘れでもこっちはよくよく覚えています。あっしは晁屋敷の赤髪鬼です」
宋江びっくりして「あっ、劉唐くんか!いかんよ君こんなところへ来ては!捕まったらどうする」
「死をかくごで参りました。あの日急を告げてもらったおかげで生き延び、いまはみなと梁山泊で楽しくやっとります」
「そいつは良かった、しかし官兵を二度も敗ったとなれば天下の大賊だ。目明かしどもにはよくよく気をつけなされ」
「へい。そんでこのたびは晁旦那や頭領衆のご命令で、宋押司の恩にむくいようと贈り物をもって参りやした」
みれば風呂敷づつみのなかは黄金の延棒のべぼうでいっぱいです。
「いや、こんなには頂けない。どうしてもと言うなら延棒一本と手紙だけはもらって、恩義の貸し借りはチャラにしよう。あとはとりでに預けておくよ。お山はいまが肝心、今夜はよい月だからあんたも早く戻って晁兄貴を助けてやってくれ」
劉唐、「さらばでござんす、宋の兄貴もおたっしゃで」と梁山泊に帰ってゆきます。


むかしから親切の押し売りほど高くつくものはないと申します。この余計な感謝の手紙のおかげで、三日あとには県のさして大きくもない役場は、もうおお騒がしとなっておりました。押司宋江が、なんと女人を殺して逃亡中だというのです。

顛末てんまつはこうです。宋江は世話ずき、武芸ずきでかえって女性は苦手でした。それでも浮世のさだめ、えんおばさんに金を工面してあげた縁で娘さんとしぶしぶ付き合っておりましたが、これが不幸にも腹巻きの中に隠してあった晁蓋からの手紙を読んでしまったのです。
さあ娘からしてみれば普段は聖人君子みたいな顔した男のたいへんな弱み、金づるですから離さない。手紙を返して欲しい宋江、ぜったい返すもんかと娘。もみ合っているうちにカッと頭に血がのぼった宋江は、そこにあった匕首あいくちでグサリとやってしまったのでした。

こうなりゃさっそく家宅捜索となるのはどこの国でもかわりません。派遣されるのは毎度おなじみ、あの朱仝しゅどうと雷横です。
ふたりの隊長、宋家村までおもむいて名主屋敷の門をたたきます。
出てきた宋の大旦那、つまり宋江のお父上は涙ながらに語ります。
「あいつは若い時分から田畑でんばたも見んとはみ出し者ばかりと付き合っとりました。あまりに家産を食いつぶすもんで、三年前に勘当かんどうしてやりましたわい。もう当家とは縁もゆかりもござっしゃらん」
さて皆さま、だまされちゃいけません。“官はかんたん、吏はりふじん”と申します。それというのも官(中央官僚)になってしまえば地位は安泰、賄賂はもらい放題なのに対して、吏(地方役人)の人生というのはまことに難儀ばかり。ちょっとでもヘマをやればすぐ流刑ですから、連座をおそれあらかじめ義絶ぎぜつして書類上だけ縁を切っておく、なんてことは田舎の旧家じゃ茶飯事さはんじでありました。
朱仝も雷横も役所づとめは長いうえに海千山千、これが小芝居、嘘っぱちなことぐらいすぐ見抜きます。しかし晁蓋の時とおんなじで、やっぱり彼らは宋江をお縄にしたくないのです。
朱仝、「なるほど、もう父でも子でもないと。ようわかりました。ではいちおう念のため、お宅をあらためさしてもらいますぞ」

屋敷のなかへ入っていきますが、いちいち部屋など調べません。そんな分かりやすい場所に隠れる道理がないからです。
まっすぐ母屋おもやを突っ切ると、裏庭の持仏堂じぶつどうへと向かいます。
「ここが怪しいな……」と勘が働いた朱仝、ギィと扉を押しあけて、かねをならしてみせます。それが合図だったのでしょう、床板の下に隠し階段がひらき、宋江がひょっこり姿をあらわしました。
「げっ、朱隊長!」顔面蒼白、まるで地獄で閻魔えんまサマにあったような狼狽ぶりです。
「ご心配は無用、お役目ゆえやってきたが、捕えるつもりはありません。ここもしばらくなら良いが、いつまでも頑張れる場所じゃあない。なるだけ早く、どこか遠くへ落ちたほうが利口ですぞ」
「かたじけない。じつは候補が三つほどあって、どこへ行くべきか悩んでいる。ひとつは滄州そうしゅうは小旋風柴旦那のところ、ふたつは青州せいしゅう清風寨せいふうさいという地方軍のとりで、みっつは白虎山びゃっこざんにあるこうご隠居のお屋敷だ。いずれにせよ今晩にでも出立するよ、あとは万事よろしく頼む」

何くわぬ顔でおもてへ戻った朱仝、「くまなく探してまわったが、賊宋江はおらなんだぞ」とうそぶきます。
雷横、「こりゃあかばっておるな」と気づきましたが嘘にのってやります。「そんなら仕方ない。離籍の証明書だけもらい、帰って知事に復命しよう」

県庁のほうでは閻ばあさんが訴状を出して騒いでいましたが、元より知事は宋江の味方。おまけに街にはかつて宋押司に助けられた貧民や年寄りたちが沢山おります。「今生こんじょうではご恩をかえせぬが、来世は馬かロバになってでも」という庶民の声が有形無形ゆうけいむけいの力となって、けっきょく裁判沙汰をうやむやにしてしまいました。


追捕ついぶの手がゆるんだ隙に、宋江はふるさとの村を抜け出して滄州へと向かいます。
柴進は下へもおかぬ歓迎で、たいへん良くしてくれました。
「天下に名高い山東の宋公明どのに会えるとは、こんなにありがたいことはない。自慢ではないが当家はみかどのお墨付きをいただく家がら、この屋敷のなかはいわば治外法権ちがいほうけんでござる。たとえ大臣を殺し、官財を奪ったとて、生命にかえてかくまいましょう」と、罪のなかみさえ詮索せんさくせぬ潔さ。

宴は深夜までつづき、安心したのも手伝って宋江はすっかり酔っぱらいました。
退出していざ寝所しんじょにもどろうとしても、ふらふらフワフワ、危なかしい足どりです。夜風に吹かれて縁がわを歩くうち、火鉢を蹴ってひっくり返してしまいました。パッと火の粉が散って、そばで休んでいた大男の頭にかかります。
「おう、なんだこのチビ!喧嘩売ろうってのか!?」
飛び起きた男は真っ赤な顔して怒ってきます。まだ九月ごろというのに火に当たっていたこの人物、はてさて一体何ものでしょうか?
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