秦宜禄の妻のこと

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秦宜禄の妻のこと

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秦宜禄しんぎろくの妻ですが……」
関羽かんうの声は馬群の足音のなかでもよく聴こえる。
「なんだ、またかい」
曹操そうそう下々しもじものようなくだけた言葉でこたえた。関羽の主人の口真似したものだと、左右みなすぐさとった。じっさい彼と劉備、そして張飛ちょうひはひんぱんに主従を忘れて、村の兄弟のように会話する。

秦宜禄については、元来語るほどのこともない。

呂布りょふの部将のひとりである。并州へいしゅう雲中郡うんちゅうぐんというから、都のものが「ああ、北のあのへんか」といい捨てるような辺地の産だ。張遼ちょうりょうと呂布の出身のちょうどあいだに本貫ほんがんがあったことになる。まず、最古参とみてよい。あるいははじめ丁原ていげんに拾い上げられた際には友将どうしだったかも知れない。
丁原から呂布が離反したときも、太師董卓たいしとうたくを裏切ったときも、ただ彼のそばに侍立していた。いやいや、董卓を刺した戟を投げてよこしたのが秦宜禄とも、傷ついた董卓から佩刀はいとうを取り上げたとも……これらはむろん噂にすぎないが、すると存外、呂布の腹心なのだろうか。

その後呂布が温侯おんこうに封じられるも政権をささえきれず長安を脱したこと、流浪、曹操あいての死闘、また流浪、劉備りゅうび主従との同盟と因縁については、よく知るとおりである。この間秦宜禄にはなんの役割もない。よく戦い、いくたりかの人を殺し、たまさか生きながらえていた。

いま曹、劉は一丸となって東征し呂布が籠る徐州じょしゅう下邳かひの城を抜かんとしている。
関羽はしばしば陣営をでて、曹操とくつわをならべた。「陪臣ばいしんふぜいが」という声は、少なくとも聞こえる範囲においては封じることができた。彼の鉄刀の錆になりたいものは、そういない。
「そんなに欲しいものか」
「私の妻はいっこう子を産みません。それゆえ」
「それゆえ下邳落城のおりには、秦宜禄のしつをあらたにめとることを許して欲しいと」
「はい、勝手自由の掠奪は軍令の特に禁ずるところと聞いておりますので」
こいつ、わがものにするのはもう決まったことのように――曹操は馬上で大きくのびをした。冬のはじめ十月の風が外套マントを通り抜けていった。
「どこで見知った」
「以前ちら、と小沛しょうはいの通りで見かけただけです」
「秦宜禄はどうする。かつての同輩だろうが」
「会ったこともありませんし、やつは関係ないでしょう」
そんなわけあるか――と言ってやりたかったが、無意味に感じて呑みこんだ。
『呂布の偏将へんしょうであって同僚ではない』
『いまは敵味方である』
いくらでもつけそうな言い訳を、関羽は口にしない。言い訳よりも嘘のほうがいっとう格が高いというふうな態度をとった。

彼はけして木石のような男ではない。よく笑い、ときに冗談もとばす。かつて秦宜禄とも、いや腹背ふくはい不定の呂布あいてにさえ談笑する機会があったかも知れぬ。しかしいまは、本当に興味も感慨もうしなって、後ろめたさなど微塵ありはせぬようだった。だが知ったものに対する突発的な冷淡さと、大軍の中へ躍り込んで造作なく大将首をもいで来る勇気とは、確実にどこかでつながっている。乱世にあって勝ちうるのは愛でた花ばたけを平然と踏みぬく者であり、それはたしかに頼もしいことではなかったか――


下邳の街はあっけなく落ちた。
「史上類例ないほどの大土木戦をみせてくれん」との曹操や謀将たちの意気込みもよそに、城市じょうしの半分ほどが水つきになった時点で内応が相次いだという。
市街戦に発展しなかったのは、関羽にしてみれば納得のいかぬ展開だったろう。ひと言通してある以上、「どさくさまぎれ」というのは一番良いわけではないが、楽ではある。ともあれ下邳の管理権は、一朝にして曹操にうつってしまった。

呂布もここで死んだ。
劉備、関羽が斬刑に強く働きかけたことはいうまでもない。呂布は配下の妻女に手を出す悪癖があった。秦宜禄の妻が狙われなかった保証などなく、かつそれは旗揚げ以来の秦宜禄を大事に思っているかどうかとは、やはり関わりない。してみるに関、呂の二者は猛将であるのみならず、同様の心の所作を持つものらしい。邪魔ものがひとり消えた。

秦宜禄だが、なぜか彼は城内にいなかった。戦がはじまる前に淮南わいなんへ使いしたまま、帰ってこないという。
下邳が孤塁こるいにすぎないことは明らかであり、外部からの援軍なしには籠城戦の希望はなりたたない。それで秦宜禄を遣って袁術えんじゅつのところへ兵を借りにいかせたまでは良いが、彼は寿春じゅしゅん城で思わぬ歓待を受け、そのままとどめ置かれて戻らなかった。無理やり新しい妻を目合めあわされ、屋敷まで与えられ――これは穏やかな軟禁といっていい。合力ごうりきするともせぬとも言わない、袁術らしい嫌な拒絶のしかただった。


「秦宜禄の妻のことなのですが」
年のあらたまる前にみたび曹操にいてみた。都へ引き上げるまでいくらも日がない。
「もう秦宜禄のではないだろう」
――わしの妻ということか――
関羽は雀躍じゃくやくして家にもどり、ひとをやって調べさせた。

秦宜禄の妻はもうそこにいなかった。
「降将へのお裁きのあった翌日に、曹司空しくうが召し出して妾にしてしまわれたそうで」
使いの兵は早口に話して目もあわせない。
関羽はおのれのなかの無邪気さを呪った。――考えてみればよくよくの馬鹿だ。有無なくさらってしまえば誰知ることもなかったのを、宝のありかを教えてやったようなものだ。天下に好色は自分ひとりと思ったわけではないが、たとえば子どもが河原でひろった奇麗な石をやたら友ばらに見せびらかして、それでまた同じ場所で採れるはずがあるだろうか――

永遠にうしなわれた。

張飛の意見はちがう。
「まだもうひと勝負あるかも知れないよ」
これが気休めでないのが彼の凄みなのだが、はたして翌年になって機会がめぐって来た。劉備が独立し、徐州にまろび込んでふたたび曹操と敵対したのである。

秦宜禄はといえばまた舞い戻り、小沛のちかくで県長をやっているという。袁術が衰亡してその軍閥ぐんばつが四散したためようやく解放されたらしい。
張飛はずかずか出かけて行き、はっきりと反乱をそそのかした。
「いいのかあんたは、こんな故地ふるさとでもないところで捨て扶持あてがわれて。嫁さん奪った男のしたで小役人として働くなんて面白くないだろ。立て、みやこに乗り込んでひと泡ふかせようや」

張飛も丸腰ではないし、連れてきた兵馬もいくらか物をいったに違いない。関羽の懸想けそうすら知らぬ秦宜禄は、
「取り戻せるものなら」
と同心してふらふら後について出てしまった。そうして城外数里もいかぬうちに、どういうわけか急に激しい後悔に襲われた。
「もう帰りたい」
と訴える彼を、怒り狂った張飛はひと突きに殺してしまったのだという。
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