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ノーラの城にて
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その後、アンティゴノスはノーラの城の周囲に塁壁を築くと、守備隊を残して引き上げていった。
包囲をうけた城内には穀物と水、それに塩だけは豊富にあったが他に食料はなく、パンの副菜さえこと欠く有様だった。にもかかわらずエウメネスは、なんとか工夫をこらして皆の生活を明るいものにしようと努力した。午餐、晩餐のたびに人々を代わる代わる招き、おなじテーブルで食事を分かち合って語らい、親しげで楽しい会話でもって彩りを添えた。
彼の容貌は長年の戦ばたらきで疲れ果てた男のそれとはかけ離れており、歳に比べて若々しく全身と手足の長さがちょうど釣り合い、彫像のようなプロポーションだった。特に雄弁な口調という訳ではなかったが、残された手紙を読むかぎりその内容は興趣に満ち、説得力があったことは疑いない。
だが、篭城中の軍隊が何よりも苦しめられたのは狭すぎる生活空間であった。彼らの行動範囲は小さな家が立ち並ぶ周囲わずか2スタディオンの空間に限られたため、人も馬も無為に喰らうばかりで満足に運動することもかなわなかった。エウメネスは男たちの足腰が萎え無気力が続けば、いざ逃げる機会が訪れたとしてもものに出来ないことを恐れて、何らかの訓練の必要を感じていた。
そのため彼は兵士たちに城で一番大きな全長14ペーキュスの邸宅を貸し与えて競歩の練習場とし、少しでも脚力を鍛えるよう命じた。また軍馬の運動不足には、その首に太い紐を巻いて屋根に吊るし、滑車でなかば空中に持ち上げる方法を編み出した。こうすると馬の後ろ足だけがしっかりと地を踏み、前足のひづめの先はかろうじて土に触れる程度になった。
このやり方で何頭も吊り下げておいて、馬丁が横から叫び声を上げ、鞭を振るってさかんに煽る。すると馬たちは狂奔して後ろ足で跳ね回り、宙に浮いた前足でなんとか地面を叩いて安定を取ろうとする。しぜん全身運動となるからどの馬もたっぷり汗をかき泡を吹いて、速さも持久力も十分に保たれるのである。また良く噛み、より早く消化できるように、あらかじめ脱穀した大麦が与えられた。
さて攻囲が長引くうちに、アンティゴノスはアンティパトロスがマケドニアで病死したこと、そしてカッサンドロスとポリュペルコンの仲違いのために本国の政治が混乱していることを知った。そこで彼は、もう卑小な野心はうち捨てて帝国全体を我がものにしようと思い立ち、この一大事業を完遂するためにはエウメネスを味方につけたほうが利口だと考えた。
さっそく講和の使者としてヒエロニュモスが派遣されたが、彼はエウメネスが述べるべき誓言の原稿を携えていた。エウメネスはその内容に承知せず、文言に修正をくわえて寄せ手のマケドニア兵に見せたうえ、どちらがより正当な形式であるか判断するよう求めた。
アンティゴノスの用意した文章は冒頭で形だけ両王の名をあげているが、残りの部分はすべて自身に対して誓約させるものであった。しかしエウメネスはまず太后オリュンピアスの名を両王とともに記し、たがいに和親して敵も味方も同じくするという誓いをアンティゴノスのみならず二人の王とオリュンピアスにも捧げたのである。
マケドニア人たちはエウメネスの文言のほうがより公正であるとして誓いを受け入れ、包囲を解いてアンティゴノスに使いを送り、彼もまたエウメネスに同様の誓いを立てるべきであると主張した。
そのあいだにエウメネスはノーラで捕えたカッパドキア人の人質をすべて返還することにし、交換条件として迎えにきた者たちから馬と荷役獣、それに天幕を手に入れた。さらに先の敗走いらい散り散りになって国中をさまよっていた仲間を集め1000の騎兵を編成すると、アンティゴノスとの和平に信をおかず、彼らを連れて城を脱出した。
じっさいアンティゴノスはまもなく軍勢に命じて再び城塁を巡らせようとしたし、エウメネスに味方して誓約の修正をせまったマケドニア兵らに厳しい弾劾状を送りつけたのである。
包囲をうけた城内には穀物と水、それに塩だけは豊富にあったが他に食料はなく、パンの副菜さえこと欠く有様だった。にもかかわらずエウメネスは、なんとか工夫をこらして皆の生活を明るいものにしようと努力した。午餐、晩餐のたびに人々を代わる代わる招き、おなじテーブルで食事を分かち合って語らい、親しげで楽しい会話でもって彩りを添えた。
彼の容貌は長年の戦ばたらきで疲れ果てた男のそれとはかけ離れており、歳に比べて若々しく全身と手足の長さがちょうど釣り合い、彫像のようなプロポーションだった。特に雄弁な口調という訳ではなかったが、残された手紙を読むかぎりその内容は興趣に満ち、説得力があったことは疑いない。
だが、篭城中の軍隊が何よりも苦しめられたのは狭すぎる生活空間であった。彼らの行動範囲は小さな家が立ち並ぶ周囲わずか2スタディオンの空間に限られたため、人も馬も無為に喰らうばかりで満足に運動することもかなわなかった。エウメネスは男たちの足腰が萎え無気力が続けば、いざ逃げる機会が訪れたとしてもものに出来ないことを恐れて、何らかの訓練の必要を感じていた。
そのため彼は兵士たちに城で一番大きな全長14ペーキュスの邸宅を貸し与えて競歩の練習場とし、少しでも脚力を鍛えるよう命じた。また軍馬の運動不足には、その首に太い紐を巻いて屋根に吊るし、滑車でなかば空中に持ち上げる方法を編み出した。こうすると馬の後ろ足だけがしっかりと地を踏み、前足のひづめの先はかろうじて土に触れる程度になった。
このやり方で何頭も吊り下げておいて、馬丁が横から叫び声を上げ、鞭を振るってさかんに煽る。すると馬たちは狂奔して後ろ足で跳ね回り、宙に浮いた前足でなんとか地面を叩いて安定を取ろうとする。しぜん全身運動となるからどの馬もたっぷり汗をかき泡を吹いて、速さも持久力も十分に保たれるのである。また良く噛み、より早く消化できるように、あらかじめ脱穀した大麦が与えられた。
さて攻囲が長引くうちに、アンティゴノスはアンティパトロスがマケドニアで病死したこと、そしてカッサンドロスとポリュペルコンの仲違いのために本国の政治が混乱していることを知った。そこで彼は、もう卑小な野心はうち捨てて帝国全体を我がものにしようと思い立ち、この一大事業を完遂するためにはエウメネスを味方につけたほうが利口だと考えた。
さっそく講和の使者としてヒエロニュモスが派遣されたが、彼はエウメネスが述べるべき誓言の原稿を携えていた。エウメネスはその内容に承知せず、文言に修正をくわえて寄せ手のマケドニア兵に見せたうえ、どちらがより正当な形式であるか判断するよう求めた。
アンティゴノスの用意した文章は冒頭で形だけ両王の名をあげているが、残りの部分はすべて自身に対して誓約させるものであった。しかしエウメネスはまず太后オリュンピアスの名を両王とともに記し、たがいに和親して敵も味方も同じくするという誓いをアンティゴノスのみならず二人の王とオリュンピアスにも捧げたのである。
マケドニア人たちはエウメネスの文言のほうがより公正であるとして誓いを受け入れ、包囲を解いてアンティゴノスに使いを送り、彼もまたエウメネスに同様の誓いを立てるべきであると主張した。
そのあいだにエウメネスはノーラで捕えたカッパドキア人の人質をすべて返還することにし、交換条件として迎えにきた者たちから馬と荷役獣、それに天幕を手に入れた。さらに先の敗走いらい散り散りになって国中をさまよっていた仲間を集め1000の騎兵を編成すると、アンティゴノスとの和平に信をおかず、彼らを連れて城を脱出した。
じっさいアンティゴノスはまもなく軍勢に命じて再び城塁を巡らせようとしたし、エウメネスに味方して誓約の修正をせまったマケドニア兵らに厳しい弾劾状を送りつけたのである。
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