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第十七話

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 ツクミ・スズリードという少女にとって、人生とはほぼ灰色である。

 五歳の時に、母が死去した。原因は父との喧嘩。腕っ節の強い父が、力加減を間違えたせいだった。
 だが、そんなろくでなしな父は罪には問われなかった。ツクミの母はある特殊な事情を抱えており、それを理由に不問とされたのだ。

 以来、ツクミは父と二人で生きてきた。まともに働かず、家事もしない父に代わり、ツクミがその役目を担った。
 母の残したお金がなくならないようにと、近くの商店などを手伝い、日銭を稼ぐ日々。だがそれも、徐々に徐々に限界を迎えていった。
 当然である。子供が稼げる賃金など高が知れている。十歳の今まで持たせられただけでも、彼女は賞賛されるべきだろう。

 兎にも角にも、スズリード家の貯蓄は遂に底を突き。金がなくなった父は、最期の手段に出たのである。

「もう直ぐ此処に奴隷商人が来る。そいつにお前を引き渡し、代わりに金を受け取って取引は終了だ。簡単だろ?」
「…………」

 父の確認の言葉に、ツクミは無言で頷いた。

 時は夜。月が天高く輝き、日付が変わって間もない頃である。

 人気の無い王都の一角、路地裏にぽっかりと開いた小さな広場に、二人は立っていた。
 スラムではなく敢えてこの場所を選んだのは、余計な横槍を避ける為である。スラムは国の目が届き辛い場所ではあるが、同時に多くの無法者がハイエナ行為に精を出している。そんな場所での取引は面倒なのだ。

「それにしても遅いな。まさか騙されたって事は無いと思うが……」

 ツクミとは別の意味で不安を抱く父――ガズ・スズリードという――だが、間も無く聞こえて来た足音に、俄かに口元を綻ばせる。

「おお、やっと来たか。こっちだ!」

 声を潜めながら手を振り、ガズは来訪者達を呼ぶ。
 闇から這い出るように、ローブで身を隠した人影が多数、現れた。ざっと見て十人ちょっと。
 その全てから感じる陰湿な空気にツクミは思わず息を呑む。明らかに日向に生きる者達とは違う、独特な空気が辺りに広がった。

「やあやあガズさん。すまないね、ちょっと他の商談がこじれてね」

 彼等を代表するように小柄な影が前に出てくる。
 大柄なガズとは真逆に、ツクミより少し大きい程度の身長だ。声は老獪な翁のようにしわがれている。だが、僅かに覗く手は若者のように瑞々しい。
 差し出されたその手を、ガズはがっしりと掴み取る。

「おおそうか。まぁ、大した遅れでもない。さっさと商談を進めよう、モシュル」

 互いに握手を交わし、ガズと、モシュルと呼ばれた男は一歩下がった。
 代わりにツクミが前に出される。

「これが俺の娘だ。身内の俺が言うのもなんだが、容姿は悪く無い。それに母がアレだからな、これからの成長にも期待出来るだろう」
「ふぅむ。品定めに行った部下の報告通りですね。これなら予定通りの金額で良さそうです。じゃ、ちゃちゃっと終わらせましょう。大丈夫だとは思いますが、誰かに気付かれると面倒ですしね」

 この世界には奴隷制度が存在するが、同時に全ての国家でその売買が認められている訳では無い。
 此処、スルト王国もまたその一つで、所持こそ認められているものの国内における奴隷の売買は硬く法で禁じられていた。
 かといって認められている国でしようとすると、国の認可がいる。おまけに奴隷とする条件、扱いなど、細かく定められており、彼等のような世間の裏で生きる者達には難しいのだ。
 だから彼等はこうして、闇に乗じて取引をしているのである。

「では、此方が約束の金です。確かめてくださいね」
「ああ。ちょっと待ってくれ」

 ガズが、渡されたバッグの中身を確かめる。
 代わりに差し出された少女をモシュルは静かに見下ろした。
 ツクミの総身が震える。

「中々優秀そうです。しかし貴方も悪い人ですね、実の娘を奴隷として売るなんて」
「んん? 良いんだよ、子供なんて親の所有物だ。売ろうが殺そうが親の自由なんだよ。まして、これの母親はアレだからな」
「サキュバス、ですか。そちらも売れば高くなったでしょうに」
「はっ、ちょっと殴っただけでぽっくり死んじまったよ。本当に使えん奴だった」

 彼等の言葉に、ツクミは無言で拳を握り締める。

 彼女の母――マール・スズリードという――は、人間ではなくサキュバスという種族であった。

 淫魔とも呼ばれる、人間の精気を吸って生きる種族だ。必ずしも害ばかりの種族では無いが、異種族という事もあり、彼女等を良く思わない人間は存外多い。
 ガズもまた、そんな人間の一人である。

「ある日俺のところに来たからよ。精気を提供する代わりに生活費を稼がせてたんだが、子供が出来ちまってな。挙句にあいつ、俺に『父親』をしろって煩いもんだからよ。つい、殺しちまった」

 気軽に語るガズに、罪悪感はまるで無い。
 情が無いのもそうだが、実際に罪に問われていないせいでもあるのだろう。彼はマールを殺した事を、正当防衛だと主張していた。

 曰く、精気を吸い取られ殺されかけたので仕方なくやった、だそうだ。普通ならば詳しく調査される所だが、この主張を異種族を嫌悪する高官が聞いた事で風向きが変わった。
 鶴の一声でガズの主張は認められ、不問となったのだ。母を慕っていたツクミからすれば信じられない事だったが、同時にまだ幼かった彼女には、父に逆らう勇気も無かった。

(ううん、今も同じ。私はただ、お父さんに従ってるだけ……)

 ツクミの脳裏に今までの日々が過ぎる。
 母を殺した男に従う義理などないはずなのだ。だが習慣というのは恐ろしいもので、そう刻み込まれた身体は勝手に動いてしまう。
 それが、ツクミには一番悔しかった。

(でも、これでお父さんの下を離れられるのなら……それも良いのかな)

 現実逃避気味にそう考える。
 今行われているのは真っ当な奴隷取引では無い。故に、売られる先もきっと真っ当な所では無いだろう。
 普通の奴隷としての扱いは望めない。だが、母を殺し、暴力を振るうばかりの横暴な父の下とは、大差がないとも思えた。

(心残りがあるとすれば……)

 ツクミの脳裏に浮かぶのは、親友の少女。
 そして最近知り合い友人となった、王子である少年だ。

(出来ればもっと、二人と居たかった。けど、仕方が無い、よね)

 諦め。少女の習慣である。

「確かに金は受け取った。良い取引だったよ、ありがとさん」

 確認を終えたガズが快活に笑う。
 モシュルがひらひらと手を振った。

「いやいや、此方にとっても良い取引だったね。それじゃあ、この少女は貰っていくよ」

 商人の手がツクミの肩に掛かる。

「それは駄目だよ」

 その手を、止める声があった。

 一同が弾けたように空を見上げる。
 声の主は、近くの家の屋根に居た。

「餓鬼……?」

 ガズが呟く。
 月光に照らされたその少年に、ツクミが息を呑む。

「どうして……」
「その子は僕が貰うんだ。君達なんかには上げないよ」

 月を背に立つ彼の名は、シオンと言った――。
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