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飛竜舞う

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皇都から北へ進み、日が落ちた頃には小さな水場の近くへと飛空艇を降ろして、そこで一晩を明かすこととした。
他の旅人もいないので、この日は飛空艇を降りて久々にテントを張ってのキャンプ気分を味わう。

テントを張って焚火を囲むというのもずいぶん久しぶりで、この部分だけを切り取ると異世界を旅しているというのを感じる。
背後にある飛空艇のおかげで、あまりにも近代的な生活を送って忘れていたが、本来旅とはこういうものなのだ。
今の環境が恵まれていることを忘れないためにも、時々はこういう普通の旅っぽいこともしていこうと思う。

夕食を済ませ、あとは寝るだけとなった頃に、パーラと今後のことを話す。
「さて今後の旅程だが、俺はアシャドルに向かおうと思う。具体的にはへスニルに」
「いいと思うよ。ソーマルガには結構長いこといたから、久しぶりにミルタ達と会いたいし。あ、でもさ、それだとアイリーンさんの領地を訪ねたり、観光地を巡るっていう話はどうなるの?」

「あぁ、そういえばそんなのがあったな。…うん、観光地巡りは飛空艇があるからいつでもいいし、アイリーンさんは領主に就任したばっかりで忙しいだろうから、そのうち落ち着いたころを見計らって訪ねればいいだろ」
アイリーンからもらったソーマルガでおすすめの観光地が記された地図はまだ持っているし、飛空艇なら移動も寝泊まりも気にせず旅ができるので、いまさら急いで行くこともない。

男爵として領地を与えらえたアイリーンだが、元々公爵家の令嬢として育てられてきたため、領主としての教育はほとんど受けていないはず。
一から勉強しつつ領地の運営も同時に行うことになるだろうから、今頃は悲鳴を上げているのではないだろうか。

パーラの同意も得たことで、次に向かうのはアシャドル王国のへスニルに決まった。
なんやかんやで半年近くソーマルガにいたせいで、今へスニルがどうなっているのかわからない。
手紙は何度かパーラがもらっていたのだが、風紋船や飛空艇であちこち移動していたせいで、最近の手紙は受け取っておらず、ローキス達からの近況報告は最後に受け取った手紙の時点で止まっている。
ローキス達に託した店がどうなっているのか実際に見てみたいと思えるようになったのも、飛空艇が手に入ったおかげだろう。

バイクでの旅だとへスニルまで気軽に足を運ぶことは難しいが、飛空艇があればそれも容易になる。
ローキス達には1・2年は帰れないといったのは、まさか空を飛んで帰ってこれるとは思っていなかったからだ。
いきなりローキス達を訪ねることになるので、驚かせることになるだろうが、今から手紙で来訪を告げたとして、どう考えても飛空艇がへスニルに着く方が速い。
それもサプライズとして喜んでくれると思いたい。

一夜明け、朝早く起きた俺達はキャンプの撤収を行う。
焚火を消してテントをたたみ、余った薪を水場に立つ木の根元に目立つように置く。
こうすれば後に来る旅人が薪を見つけやすく、焚火を作るのに役立つというわけだ。

俺達が残した薪で旅人が焚火をし、その旅人が余った薪をまた残して次に訪れる旅人が助かるという、善意のスパイラルが起こるわけだ。
これはソーマルガという国の気風のようなもので、砂漠地帯を抱えるお国柄、互助精神が強いこの国では、こういう旅人達の休憩場所には余った薪や使わなくなった道具などを残していくようになっている。

余分な物は誰かのためにというこの精神に触れた時、深い感動を覚えた。
心無い人間が残された物資を丸ごと持っていくとか、盗賊辺りに利用されるんじゃないかとか考えてはいけない。
この精神をソーマルガの誰もが持っていると思うからこそ、また来ようという気持ちになるというものだ。

片付けが終わる頃には、太陽も大分昇って暑さを増している時間になった。
その暑さから急いで逃れるように飛空艇へと駆け込み、空調のきいた快適な空間で一息ついてから俺達はへスニルへと向かった。

今回も操縦はパーラがしており、俺は向かう方角の確認と周囲の警戒を行う。
パーラが座る操縦席の右側に手作りの椅子を置き、それに腰かけながらあちこちへと視線を動かす。

「このまままっすぐ飛んで、徐々に高度を上げていって山を越えるぞ」
「…あれ、アンディ?私達ってソーマルガに来た時、関所を通ったよね?帰りは関所を通らなくても大丈夫なの?」
「ああ、別に通らなくていい。俺達は飛空艇っつーただでさえ目立つ乗り物に乗ってるんだから、関所に寄ってたら騒ぎになっちまうよ。そういうのは面倒だから勝手に国境を越えさせてもらう」

関所というのは交通の便がいい道に作られるもので、旅をする人達は自然と使いやすい道を行くため、関所も自動的に通るだけだ。
別に国境を超えるだけなら険しい山だろうが深い森だろうが好きなルートを使ってもいい。
もちろん全く問題がないわけではないが、国境線全てを監視することなど到底できないため、森や山などを通っての越境まで一々目を光らせていられないので、ある種の黙認がされているわけだ。
ただし、そういうルートを使うということはそれだけ危険も多く、大抵は安全で移動時間も少ない正規のルートを使うことになる。

そもそもこの世界の関所というのは街道を封鎖するということ自体滅多にしない。
戦争にでもなれば多少は防衛設備を構築して国境を守るぐらいはするだろうが、魔術師という単体で戦術兵器となり得る存在がいる以上、生半可な防備は意味がない。

なので、あくまでも関所は不測の事態が起きた際に、最初に情報を収集するための設備でしかなく、よっぽどの不審者か変わった乗り物でも来ない限りは通行を妨げられることはない。

今回俺達が危険なルートである山越えをするのも空を飛ぶ手段があるからであって、決して後ろ暗いものがあって関所を通りづらいわけではない。
単純に手間と時間の節約を考えてのことだ。

ソーマルガとアシャドルを隔てている山脈の正確な標高は分からないが、低いところでも恐らく5000メートルはあろうかという峻険な山並みだ。
これまで犯罪者として山越えを企んだ者、冒険心から山の頂を目指した者、生物の生息分布の調査に挑んだ者等様々な人間がいたが、いずれも無事に帰還した者はいないらしい。

地球人と比べて圧倒的に身体能力に優れ、魔術という破格のツールを持っているはずのこの世界の人間ですらこの山を踏破できないのには一つの大きな原因がある。
それは標高や自然環境などというチャチな問題ではなく、地球とは異なるこの世界だからこそ存在する明確な障害だ。

「アンディ、左側からなんかくるよ」
山肌に沿って上昇を続け、頂上まで残り3分の1ほどとなった頃、パーラがこちらに接近する何かに気付いた。
周囲の警戒は俺の役目なのだが、たまたまその時の俺は右側と下方向を見ていて発見が遅れただけであって、パーラが先にそれを見つけたのは目の良さからだと言い訳をさせてもらおう。

椅子から立ち上がり、左側の窓へと駆け寄ると、遠くにポツンと見える黒い点へと意識を集中させる。
明らかにこちらを目指して飛んでくるそれは、ただの黒い点から少しずつ輪郭がはっきりとし始め、十秒ほども見続けるとその正体ははっきりとしてきた。

「…飛竜だ。移動方向からこの飛空艇を目指して飛んでると見ていい。速度もかなり出てるから、もうすぐ接敵するな」
「ええ!?やばいじゃん!私ら二人だけじゃ、飛竜なんか相手にできないよ!」
「まあ内一人は飛空艇の操縦するから実質一人で相手しなきゃならんけどな」
接近しているのが飛竜と聞き、焦るパーラ。

この山が踏破者の誕生を許さない理由が、この飛竜にある。
山脈の広い範囲にわたって生息する飛竜が、山に足を踏み入れた人間をことごとく葬ってきたせいで、未だ人跡未踏の地となっているのだ。

この世界に存在する飛竜というのは、いわゆる俺が知るワイバーンというやつとほぼ同じ姿だ。
腕の位置に翼がある以外はトカゲのそれとほぼ同じで、体長は頭から尾までで8メートルほど。
尾の長さが2メートルを超えるので、実際の体は6メートルと少しほどの大きさだ。

翼を広げた幅が10メートルほどあり、その巨体を浮かすのに羽ばたくのと合わせて魔術を併用しているという説があり、そのせいか知能は意外と高い。
竜種の中で戦闘能力自体は下級に位置するが、飛行速度は全生物の中でもトップクラスだ。
調教次第では人に懐くため、飛竜を騎乗動物として所有する国も多い。

飛竜をはじめとした竜種は体内に魔石を持たないのがほとんどだ。
そのため、魔物ではなく普通の動物のカテゴリーに分類されるのだが、そもそもの生物としての強さが地上のいかなる生き物とは格が違うため、竜の中では下級種である飛竜でさえ、群を抜いた危険性を認識されている。

当然ながら、人間側から進んで討伐をしようという動きはまず起こらず、稀に国主導の元、騎乗用として飛竜を捕獲することがあるぐらいで、普通の人間なら関わることはない。

その飛竜が今、俺達を獲物として認識してか、襲い掛かろうとしているのだから、俺達は人生で最大のピンチを迎えているのではないだろうか。

「縄張りに入っちゃったかな?」
野生の飛竜は高い山や渓谷などに生息し、基本的に縄張りを出ることはないが、その縄張りに侵入した生き物は全て捕食対象となる。
積極的に人を襲うことはないが、縄張り内で遭遇したらまず確実に襲われる。

「俺達を狙うってことはそうなんだろう。逃げ切れると思うか?」
「無理だと思うよ。さっきから飛空艇が色んな方向に引っ張られてる感じがしてる。山頂付近から麓にかけて空気の乱れが起きてるみたい」
確かに先程から微かな船体の揺れを感じている。

「乱気流みたいなもんか」
「らんきりゅう?」
飛行機のないこの世界では耳なじみのない言葉の様で、小首を傾げたパーラが俺の言葉を繰り返していた。
「気流ってのは空気の流れって意味だ。乱れた気流で乱気流っていうんだ」

山の上の方は気流の乱れが激しいというのは何となく聞いたことがあり、飛空艇に自動で姿勢制御を補助してくれる機能が無かったら、今頃もっとひどい揺れの中で迫る飛竜を見ていたことだろう。
窓から見える飛竜も気流の流れに翻弄されているようで、フラフラとした動きと鋭敏な動きを繰り返しながらこちらへ近付いてきている。

「…とりあえず飛竜から距離を取りつつ山を飛び越えるぞ。なるべく気流が安定しないところを選んで飛べ」
「なんで?乱気流の中じゃあ飛空艇が変に動いて危ないよ?」
「そうだな、確かに危険だ。けどそれは飛竜も同じだろ?向こうも翼を使ってるなら気流が乱れてる中じゃ飛びづらいはずだ」

空を飛ぶ生き物というのは気流に逆らうことはせず、むしろその流れに乗るように利用して移動する。
それは飛竜といえども同じようで、ここで生きているのだから多少は気流を本能的に読むことはできるだろうが、あの飛び方を見るにわざわざ空気が乱れる中を突っ切ることは普通しないのだろう。

例え魔術の補助があったとして、あの巨体で乱気流を無視して飛ぶことなどできはしない。
飛竜は縄張りから遠く離れないという習性もあり、飛空艇の速度なら全速力で飛ばせば逃げ切れる…とは希望を持ち過ぎか?

「とにかく、飛竜が俺達を追い辛いように飛んでいけ。乱気流だろうが地形だろうが何でも利用してむこうがまともに飛べない状況を作るんだ」
「やっては見るけど、操縦を覚えたての私によくこんな注文するよ」
「信頼してると受け取ってほしいね。」
パーラの操縦センスを信頼しているし、今一々操縦を代わる手間も惜しい。

飛空艇はパーラの操縦の元、グネグネと向きと高度をランダムに変えつつも山頂を目指して飛び続ける。
「いい感じだ。このまま山越えを目指して飛び続けろ」
そう言って俺はパーラのそばを離れ、扉の方へと壁伝いに移動する。
「アンディ?どこに?」
「貨物室だ。あそこの扉を開いて飛竜を攻撃してみる」

「正気!?乱気流の中でそんなことしたらアンディが吹っ飛ぶよ!」
「あそこは固定してる荷物があるから、それに体を結べば大丈夫だろ。んじゃ行ってくる」
「ちょっと!逃げ切ればいいって言ったのアンディ―」

呼び止めようとするパーラの声を背中で受け流しつつ俺は操縦席を後にし、飛空艇の貨物室へと向かう。
揺れの激しい飛空艇はただ走るだけでも苦労したが、何とか貨物室へと着くと、後部ハッチを一気に開放する。

バグンという音と共に、勢いよく開け放たれたハッチの向こうでは、鋭い牙をむき出しにして飛空艇を追いかける飛竜の姿があった。
こちらとの距離はもう20メートルほどしかなく、竜種独特の凶悪な面構えがはっきりと見え、ちょっとちびりそうになる。

先ほどまで飛空艇の左側から迫っていた飛竜は、ついに俺達の背後に回り込むまでに接近したようで、逃げの一手を打つ飛空艇の尻に食らいつこうとしている。
外側から貨物室へと吹き込んでくる強風に体を持っていかれないように足を踏ん張りつつ、近くに固定してあった荷物のロープに腕を通して態勢を保持する。

俺の姿に気づいたのかどうかわからないが、目が合ったような気がした次の瞬間、大きく開けられたその口から巨大な火球が飛び出した。
それはまっすぐ進んでいれば確実に俺のいる貨物室に飛び込んできて、全てを燃やし尽くすのではないかと思わせるほどに勢いのある炎だったが、気流の乱れている中で放ったせいで、途中まで直進した後に下へと逸れていった。

火球を放ったせいなのか、グンと速度を落として後方へと流されていく飛竜を見て、仕掛けるならここだと判断した。
掴んでいたロープから手を放し、少し離れた場所に置いてあった槍に手を伸ばす。
柄に指先が引っ掛かったのを切っ掛けにこちらへと手繰り寄せ、穂先の根元を握って飛竜がいる方向へと向き直る。
ギルナテア族の村に提供した武具の余りだったが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。

再び飛空艇に迫る飛竜を狙い、雷魔術で槍の穂先の根元をプラズマ膨張させて撃ちだした。
穂先の一部がプラズマ化と共に流体化を引き起こし、後ろへと噴出される空気に押された槍は光の尾を引きながら飛竜へと迫るが、乱気流の中を突き進んだせいでこちらの狙いもズレ、頭を狙った槍は飛竜の足に当たった。
気流の影響の他に、発射時に槍の柄が思ったよりもたわんでしまったせいで、その分の力もあって命中精度を下げてしまったようだ。

普通の生き物なら当たった部位が吹き飛ぶ威力だったのだが、飛竜の並外れた耐久力の前では槍の方が粉々に弾けてしまい、見た感じでは外傷を与えられたようには思えない。
それでもダメージだけは与えられたようで、こちらにまで響く激しい悲鳴を上げた飛竜はその飛行速度を一気に落とし、高速で飛び続ける飛空艇に置いて行かれる形で距離をとることに成功した。

遠ざかる影がこちらを追う動きに見えないのを確認し、貨物室のハッチを閉じると同時に、俺は膝の力が抜けてしまってその場に座り込んでしまった。
いつ外へ放り出されてもおかしくない状況での魔術の行使と飛竜を間近で見た恐怖とで精神的な疲労を覚える。

だがそれ以上に、まさか必殺と思っていた雷魔術のレールガンもどきが防がれるとはあまりにも予想外で、そのことが精神的な疲労の大半を生み出していた。

別に自分を最強だと思ってはいないが、それでも雷魔術という破格の攻撃力を持つ魔術を現代科学の知識で補強したレールガンもどきが、当たり所が悪かったとはいえ碌な傷を与えることができなかったことに驚いている。
と同時に、世の中には自分の想像をはるかに超える生き物が存在することに、若干の恐怖が交じった感動を覚えていた。

これまで対峙してきた強力な魔物といえば、ザラスバードに始まりアプロルダ、ドレイクモドキとどれも一筋縄では倒せない敵だったが、それらと比べても飛竜はやはり次元が違う。
竜種とはいえ、下級に分類される飛竜ですらこれなのだから、ドレイクモドキとはやはりもどきだったのだと改めて感じた。

今回の飛竜との遭遇戦によって、竜種という生物がいかに恐ろしいものなのかを知り、世界の広さと厳しさが身に染みて分かった。
あの時、目が合っただけで死を明確にイメージできてしまうプレッシャーに襲われ、生物としての根源的な恐怖を引き起こされてしまい、自分がいかに矮小で脆弱な生き物なのか思い知らされた。

しばらくぼんやりと床の一点をただ見つめていたが、飛空艇を襲っていた揺れが無くなっていることにふと気付く。
どうやら乱気流の影響がない位置まで来たようで、それはつまり山を越えたということになる。

あの飛竜は山脈のソーマルガ側を住処としているので、アシャドル側に抜けた俺達を追いかけることはしないはずだ。
飛竜は縄張り意識が強いせいで縄張りを捨ててまで獲物を追うこともないため、このまま山脈から距離を取り続ければ安全になっていくと思う。

緊張感からの疲れが多少癒えたところで、俺は貨物室の扉がしっかりと閉まっているのを確認してから操縦室に戻った。
「あ、おかえりアンディ。無事アシャドルに抜けたよ」
俺を出迎えたパーラの声は、少しばかり疲れの滲む声色だった。
パーラにしてみれば操縦にようやく慣れたところに、飛竜との追いかけっこで山越えというハードな経験をしてしまったせいで、どっと疲れが出たらしく、こうして見える顔色もよくない。

「おう、ご苦労さん。疲れたろ。操縦代わるから少し休め」
「ん、お願い」
ノロノロと操縦席からどくパーラと入れ替わりで操縦桿を握り、地図を確認しながらヘスニルの方角へと飛空艇を飛ばす。

アシャドルからソーマルガに入ったときは、若干ペルケティア寄りのルートを通ったが、飛空艇が山を越えた先はアシャドルの大分東側だった。
こっち方面はあまり来たことがなかったが、かなり広い森林地帯となっているここは、このまま北東に進むとマクイルーパ王国へと出る。
あそこの国にはあまりいい感情を抱いていないので、別にそちらへと向かうこともない。

北北西を目指して飛空艇を飛ばし、この日は疲労もあって少し早めに飛空艇を適当な場所に降ろして一泊し、翌日の昼前にはヘスニルの街門へとたどり着いた。
約半年ぶりに見るヘスニルだが、懐かしいと思うよりもぞの街の姿の変化に一瞬戸惑う。

「ねぇアンディ。なんか街壁、広がってない?」
操縦する俺の隣に来たパーラが、前方の一点を指さしてそう言った。

「ああ、確かに。…多分だが、前に俺達が作った避難所の辺りまで壁を伸ばして街に取り込んだのかも」
ヘスニルの街を上空から見るのは初めてだが、俺の記憶にある街の形は多角形に壁で囲まれたものだったはずだ。
しかし、こうして見えるのは南西側に少し膨らんだ形に歪んでいる感じだ。

外壁に隣接して存在していた避難所は、今やヘスニルの外壁から延長する形で延ばされた壁で囲われており、そのせいでヘスニルの街は少しだけ拡大したように見える。
「避難所がヘスニルに組み込まれたってこと?」
「だろうな。前々から避難所の風呂場を街の住民に開放してたし、利便性を考えて外壁で囲んで街の一部にするってのはルドラマ様から聞いたことがあったな」

ビカード村の住民が帰還できる時期は村の復興が始まるのに合わせてということだったが、早ければ夏頃になるとも聞いていたため、恐らく今も村人は順次帰還していることだろう。

少しばかり姿は変われども、変わらないままの場所もあるヘスニルを見ていると、次第に懐かしさが胸の内を占め始める。
それはパーラも同じようで、先ほどから口元が笑みを作っているのは、久しぶりに会える友人のことを思っているからかもしれない。

とりあえず飛空艇を降ろせそうな場所を探して、門の近くへと船体を近づけていく。
当初の予定では避難所の隅に飛空艇を降ろしてバイクで動くというのを考えていた。
しかし街の形が変わってしまった以上、その手は使えないので代わりに適当な空き地を探したいのだが、ヘスニルの周囲は意外と畑や貯水池などが多く、無暗に飛空艇を降ろすわけにはいかない。

どうしたものかと悩んでいると、門の向こうから大勢の武装した兵士達がこちらを目指して駆け寄ってくる。
丁度、飛空艇の影を半円に囲むような形の兵士達は、いずれも緊張した様子でこちらを見上げていた。
「…なんか警戒されてない?」
「そりゃ警戒ぐらいするだろ。こんなデカい物体が空を飛んで街に近付いたんだからな」

「まぁそうだね。…アンディ、あそこ。あの人セドさんだよ」
「お、本当だ。ってもあの人は守備隊の隊長だからな。こういう状況なら真っ先に出てくるか」
パーラの指さした先では、他の兵士たちと比べて体格のいいその人、ヘスニルの守備隊隊長セドが鋭い目つきでこちらを睨んでいた。

「とにかく、まずは事情を説明した方がいいだろうな。俺が下りて話をするから、パーラは操縦を頼む。いったん高度を下げて、俺が下りたらすぐに上昇して待機で」
「了解。なるべく早く済ましてね」
パーラと操縦を代わり、俺は船の横腹にある出入り口へと向かう。

窓から外を確認し、安全に降りることができる高さに来た辺りでドアを開け、2メートルほど下にある地面めがけて飛び降りた。
たかが2メートルと侮って衝撃を逃がす行動をとらなかったせいで、地面に着いた足から若干の痺れを感じてしまったが、それを顔に出すことなく頭上の飛空艇に手を振ると、事前の打ち合わせ通り徐々に上昇して10メートルほどの高さで滞空していた。

突然空から飛び降りてきた俺に警戒の色を強めた兵士達だったが、その中の何人かは俺の顔を知っており、セドも俺だと気づくとすぐに警戒を解くように周りに指示を飛ばし、俺の方へと近付いてきた。

「君だったか、アンディ。…またしても、と言いたい私の気持ちは分かってくれるだろうな?」
そう言って溜息を吐くセドは、飛空艇が街への脅威ではないことが分かったことに対する安堵と共に、俺への呆れのようなものを含んだ表情をしている。

「お騒がせして申し訳ありません。本当はもっと手前で降りてこちらに飛空艇―あの空を飛んでいる船のことですが、あれで街に来ることを先に伝えておくべきだったんですが、懐かしい街を見てしまい、失念してしまいまして」
「…まあいい。詳しいことは詰め所で聞かせてもらおう。あの空を飛んでるのも含めてな」
「わかりました。あぁ、それでなんですが、飛空艇は今パーラが動かしてまして、どこかに降ろせる場所はないでしょうか?」

「ふむ…。あれぐらいの大きさとなると、街の近くでは場所が足りんか。以前なら避難所の広場を使ってもらえたんだが、今はああだからな。…仕方ない。あっちの貯水池の傍に荷車が置かれているところがあるだろ?あそこの荷車を今どかすから、そこにあの飛空艇とやらを降ろしてくれ」
セドはキョロキョロと辺りを見回し、門に通じる道から少し逸れた先にある貯水池を指さし、恐らく収穫物を運ぶために使われるであろう荷車が複数台置かれているスペースを飛空艇の停泊場所にと提供してくれた。

すぐさまセドによる号令が辺りに響き渡り、それを受けて兵士達は荷車をあっという間にどこかへと動かしてしまい、空いたスペースへと誘導するために俺は上空で待機している飛空艇へと手振りで移動の指示を出す。
パーラも地上の様子は窺ってはいたようで、俺の簡単な手振りだけで意図を察して、飛空艇を所定の位置へと着陸させた。

「正直、ヘスニルにはこれだけの大きさの物の来訪を想定した設備はなくてね。不便だとは思うが、とりあえずはここを飛空艇の停泊場所として使ってくれ」
「いえ、こうして場所を用意してもらえただけで十分です」

セドから俺達がいない間のヘスニルの情勢を教えてもいつつ、貨物室からバイクと荷物を積んだリヤカーを外へと出す。
パーラも合流してきてリヤカーをバイクへと繋ぐと、セドにお礼を言ってからヘスニルの門へと向かう。

門番にルドラマから貰ったメダルを見せ、順番を待つことなく門を通って街中へとバイクを走らせる。
目見飛び込んできた街並みにはやはり懐かしさを覚え、帰ってきたという気持ちになるのだから、どれだけヘスニルに思い入れがあるかもわかるというものだ。

「アンディ、私はマースちゃんのところに先に顔出したいんだけど、いい?」
サイドカーからそう言うパーラは、チラリと見ただけでも上機嫌さが丸出しといった感じだ。
よっぽどマースと会えるのが楽しみなのだろう。

「んじゃ先にそっちに行くか。俺はギルドに顔出してくるから、パーラはマースのところで降ろすぞ」
「それでいいよ。ミルタ達のところにはその後に行こうね。多分、昼に行くと忙しいだろうからさ」
「そうだな」

この後の予定を簡単に相談し、決まったところでバイクの速度を上げる。
バイクに気付いた人達が俺とパーラを見つけては声をかけてくるし、中にはおかえりと言ってくれる人もいた。
こうして走るバイクのタイヤに感じる石畳の手ごたえすら懐かしく感じ、俺自身も随分ヘスニルに愛着を持っていたことに改めて気付かされ、少しだけゆっくりと走ろうという気持ちになった。
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