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あの日、天から持ちだした物

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 人間は性別を持って生まれる。
 男性女性、精神のあり方ははともかくとして肉体はこのどちらかであることは確かだ。

 しかし時として、このどちらでもなく、またどちらでもあるという状態で生まれてくるケースが存在する。
 両性具有、あるいは半陰陽、あるいはアンドロギュヌスとも呼ばれるものだ。

 遺伝子のいたずらか、本来の性別であれば備えることのない物を持って生まれてくるこれらはファンタジーだけの存在ではない。
 発生の確率も決して低くはなく、はっきりとした外見的な特徴を持つこともあれば、骨格や筋肉の付き方レベルでしかわからないものまで様々だ。

 過去、地球ではこれら両性具有者は神の使いとして崇められもすれば、魔女の証として迫害されたこともあるほど、普通とは違う姿として見られていた。
 普通とは明らかに異なる肉体は、時として畏怖と崇拝の対象となってもおかしくはないが、当事者達にとっては奇異の目を向けられることに変わりはなく、決して平穏な一生を送れたとは言い難い。

 近代の地球では性別に寄せる外科的手術の選択肢もあるが、それが難しいこちらの世界では一生付き合う印となることだろう。

 今回両性具有者と判明したリエットだが、彼女の場合は女性の体で生まれてきた上で、男性の特徴である陰茎を備えるという、実にわかりやすいケースになる。
 神聖さを売りにする聖女であれば、そういった点を押し出せば信仰はさらに補強されそうではあるが、公表されていない以上、聖女の両性具有者という情報は表に出せない扱いのようだ。

 そのあたりをリエットに尋ねてみると、意外とあっさりと教えてくれた。
 てっきり部外者には言えない類のものだと思いこんでいたが、そうでもないようだ。

「確かに私がその…こういう体だというのは大っぴらに明かされてはいません。ただ、教会内で高い地位にいるか、長く身を置いて深いところまで伝手を持つ者であれば、知っている人間はそれなりにいるはずです」

「公然の秘密というやつですか?」

「そこまでのものではありません。怪しんで知ろうとすれば辿り着けなくもない情報といった程度で、そもそもの切っ掛けすら持てなければ調べようとも思わないでしょうね」

 俺はまだそれほど長く付き合いがあるわけではないが、それでも立ち居振る舞いを見る限りではリエットが女性であることは疑いようがない。
 あくまでも今回俺達がリエットの体のことを知ったのも偶然である以上、男子禁制のベールで守られている限りは誰も探りを入れるのも躊躇うだろう。

「もしかして、聖女の条件には両性具有者というのがあったりしますか?」

 一つ俺が気になったのは、リエット以前の聖女がどうだったのかという点だ。
 人体としては神秘性を十分に語れるだけに、両性具有者を聖女として祀り上げてきたというストーリーは想像しやすい。
 ヤゼス教もそうしていたとすれば、歴代の聖女が両性具有者という条件のもとに選ばれていても不思議はない。

 しかし、リエットは俺のその問いに首を横へ振って答える。

「いえ、これまでの聖女には私のような特徴を備えた方はいなかったそうです。当代が初めて、両性具有者での聖女だと教えられています」

 確率は決して低くはないとはいえ、両性具有者が生まれてくるのを完全にコントロールできるわけがなく、もしもそれを聖女の条件にしてしまえば、どこかの世代交代で空白が生まれてしまいかねない。
 どのようにして次代の聖女が選ばれるかはわからないが、宗教としての存続を考えれば、不確定要素を選定に組み込むのは流石に危険すぎる。

 現在までヤゼス教が影響力を強く残しているのは、そういうところにも慎重だった成果だろう。

「あのさ、ちょっといい?」

 ここまで大人しく話を聞いていたパーラが、遠慮がちに声を上げる。
 その顔には不安そうな色があり、これから何を話そうというのか。

「なんでしょう?」

「私ら結構ここまで色々知っちゃったけど、結構まずくない?これぐらい知られたら、ヤゼス教が口封じに動きそうなもんだけど」

 なるほど、パーラの懸念はもっともだ。
 ヤゼス教の黒い面を知っている俺達としては、それだけの秘密を知っている人間にどう対処するかなど
 想像しやすい。
 前のように監獄へぶち込まれるならまだいい方で、手っ取り早く殺しにかかってきても不思議はない。

「そのようなこともないとは言えませんね。秘密を知った人間、加えて聖女を攫った罪も考えれば、ただでは済むはずもないでしょう。かわいそうに…」

 チクリと刺すようなリエットの言葉は、まだ今回の件を根に持っているからか。
 やむを得ない事情があったとは一応理解してもらったが、それはそれとしてひどい目にはあったことは忘れないという強い意志を感じる。

「ただ現状、私の秘密を知られたというのは、ここだけの話となっています。私が教会の人間にそのことを明かさなければ、あなた達の命は狙われませんよ。ですから、そろそろ私を解放してはどうですか?罪がまだ軽いうちに」

「…俺としてはそうしてもいいとは思いますが、まだリエット様を狙った賊があの後どうなったか分かっていませんので、安全を確認するまではしばらくこうしていて欲しいのですが。後で館の状況を探りますので、それまでは辛抱を」

 リエットを攫ってから後、館の状況はほとんどわかっていないため、誘拐犯がどうなったのかは未だ不明だ。
 館の兵士に倒されるなり捕まるなりしていればいいが、もし逃げおおせていればリエットの命を再び狙ってくる可能性はゼロではない。

 安全だと判断できた上で、屋敷まで送り届けてやるのが攫った人間の流儀なのだ。

「まぁ今はそれでいいでしょう。ですが、せめて館に私の安全を伝えるぐらいはしてもらいたいものですね」

「それは勿論。ただ、伝えるのはリエット様が信頼できる人間に限らせていただきます」

「…内通者の恐れからですか。いいでしょう、ではドリーかケリーへ私の無事は伝えておいてください」

「分かりました。ケリーというのは?」

 信頼できる人間ということで挙がった二人分の名前だったが、ドリーの方はともかくケリーに関しては恐らく俺が知らない人物だ。

「ケリーはドリーの妹です。共に私の身の回りの世話をしています。双子なので顔を見ればわかりますよ」

 側仕えとして最も近くにいるドリーの双子となれば、恐らくケリーも同じ程度には重用されているに違いない。
 ドリーのリエットへの傾倒ぶりは一目見て分かったほどなので、信頼できる人間としては、今のところこの二人に絞った方がよさそうだ。

「ところでリエット様、今回誘拐犯の魔の手からお助けしたお礼と言うほどでもないのですが、一つ俺達の頼みを聞いてはもらえませんか?」

 ここらで話しを一区切りとして、そろそろ本題へと入る。
 リエットも善意だけで俺が介入したとは思っていないようで、この申し出は予想していたと言わんばかりに反応は薄い。

「その頼みというのは、パーラの怪我を治せというのでしょう?大方、今回の件もそれが目的で介入したと予想は付きます」

「いえ、そのようなことは……まぁあるんですが」

 もともと俺が女装してまでリエットと接触した目的が知られているだけに、今更何を頼むかなどお見通しのようだ。
 バレているのならとぼけるのも無駄なので、話が早くて助かる。

「お察しの通り、今度こそリエット様のお力でパーラの治療をしていただきたい。司教の許可がいるというのはわかっています。ただ、今回の件を多少なりとも恩に感じてくださったのなら、そこを曲げてお願いしたいのです。教会の人間の目がないのは今だけなのですから、俺達だけの秘密ということでどうか」

 以前パーラの治療を断られたのは、司教の許可がないからという理由だった。
 しかし今なら教会の目も耳もないため、誰憚ることなく治療もできる。
 それが狙いでリエットの誘拐に介入し、ここまで連れてきたのだから。

 パーラも俺の話を聞いて、期待に目を輝かせている。

「…確かに今なら司教らの許しになど縛られず治療をしてもなんら脅かされることはないでしょうね」

「では?」

「ですが、それでもやはり難しいでしょう。治療の許可が降りること以前に、私の力を十全に発揮するには、やはり教会のあるものが必要なのです」

「あるものというのは?まさか大掛かりな場所が必要だとか?」

 本人は自分の意志で力をふるいたいと思っているようだが、それでも相変わらず司教の許可がついて回るのは、なにか重要なものを教会に握られているのだろうか。
 法術と魔術は根っこは同じだというが、聖女の法術に限っては儀式レベルで複雑なものだとすれば面倒なことになる。

「場所というか、正確にはある法具が必要なのです。法具は教会が厳重に管理しているため、決まった場所でしか使うことができないという意味では、たしかに大掛かりな場所が必要だと言えますが」

 長く続いているヤゼス教であれば、なにか特別な力を秘めた法具の一つや2つは所有していてもおかしくはない。
 それが聖女の力を増幅させ、癒やしの奇跡へと昇華させていたとすればかなりの品のようだ。

「その法具というのは一体どのような?」

「一応法具は教会の秘匿なのですが…まぁ今更ですか。法具は『天衣』と呼ばれる、純白のローブです。かつて最初の聖女が神から授けられたと言われる品で、奇跡の癒やしはこれを纏わなければ発動しないのです」

 予想したとおり、聖女の力を補強するタイプのものか。
 神から授かったという点の真贋はともかく、それだけの効果を秘めているのなら並の由来ではなさそうだ。

「魔術の威力を底上げするとすれば、あちこちで引く手数多になりそうですね」

「いえ、天衣は聖女の力にのみ応えるという性質を秘めた品です。どういうわけか、普通の魔術や法術にはなんら恩恵がないと聞きます」

 魔術のブースト装置なら戦争の火種にもなり得るかと思ったが、聖女専用となれば教会が保有するのにどこからも異存は出ないだろう。
 しかし、神から授かる純白のローブか……ここで一つ、似ている品に俺は心当たりができた。

「パーラ、ちょっと」

「ん、なに?」

 リエットから少し隠れるようにしてパーラを呼び、声を潜めて話す。

「俺達が無窮の座から戻ってきた時に着てた服あるだろ。あれっていまどこにあったっけ?」

「あぁ、あれね。確か着替えの中に紛れてるはずだから…宿に置いてある荷物の中にあると思うよ。なんで?」

 そういえば、今日まで特に大事に保管するということもなく、他の服と同じように着替えとして持ち歩いていたな。
 一時は飛空艇の倉庫に大事に押し込むか悩んでいたが、今回は持ってきていて正解だった。

「今リエット様が話した天衣だが、ひょっとしたら俺達があっちから持ってきたあれと同じじゃないかと思ってな」

「えぇ?そんなことある?あっちで私らが着てたけど、なんもなかったやつでしょ?」

 少し飛躍したような俺の予想に、パーラは胡散臭そうな顔をする。
 俺だって確証があるわけでもなく、なんとなくの直感で話しているだけだ。
 ただ、神が関わっている品という点は、他にない大きな共通点だと思える。

「聖女にだけ効果があるなら、俺らになんの影響もなかったんだろ。それにあくまでも可能性の話だ。違ったら違ったで構わん。リエット様!」

 内緒話を切り上げ、リエットへと向き直る。

「話は終わりましたか?」

「ええ、まぁ。お尋ねしますが、その天衣というやつがあればパーラの治療はできるという認識であっていますか?」

「そうですけど…まさか!天衣を盗み出そうというのですか!?」

 念押しをするような俺の言葉に早とちりしたのか、まるで盗人とでも言わんばかりの剣幕だ。

「人聞きの悪い…そんな犯罪行為を俺がやるとでも思ってるんですか?」

「まさに今、私がここにいるのは犯罪の証拠になると思いますが?」

 それを言われたら何も返せないな。
 誘拐は紛れもなく犯罪なので、たしかに俺はもう前科持ちではある。
 ただ、天衣を盗むということだけは絶対にしないので、そこは否定させてもらう。

「…天衣を盗むということはしませんので、ご心配なく。ただ、もう一度確認しますが、その天衣があればここでパーラの治療ができるんですね?」

「ええ、天衣さえあれば、ここでも十分治療は施せますが…しかし、一体どういう―」

「それに関してはもう少しお待ちを。とりあえず、準備をしてきますので。パーラ、しばらくここは頼む」

 怪訝そうなリエットの問いかけを振り払い、宿泊している宿へ単身で向かう。
 街中が聖女誘拐で騒がしい可能性も考慮して、噴射装置で空を駆ける。
 安全に最短で目的を果たすとしよう。





「こ、れは…一体どこで手に入れたのですか!?こんな、こんなものが実在するわけがっ!」

 一飛びして荷物を持って戻ってくると、早速リエットへ例の服を見せる。
 一瞬訝しそうな顔を見せた後、驚愕に声を震わせている。
 例の服を持つ手もまた震えており、よっぽどショッキングな物を目にしているようだ。
 この反応を見るに、やはりこれは天衣と同等の品だと言えそうだ。

「いかがですか?これでパーラの治療―」

「どういうことですか!これは明らかに天衣…いえ、それ以上の力を秘めているのが私にはわかります!」

 一介の魔術師に過ぎない俺にはわからないが、親和性の高い聖女にはこの物体に秘められた力が感じ取れるらしい。
 俺の声など聞こえていないかのように慄くリエットの姿は、今手にしているものを扱いかねているかのようでもある。

「…アンディ、これをどこで手に入れたのですか?これはまるで、天界から降臨した方が最近まで身につけていたと言われても疑わないほど、神々しさに満ちています。これに比べれば、私が知る天衣は数段劣ると言わざるを得ません」

 思わずギクリと肩が跳ねる。
 よもや俺とパーラが天界から持ち帰ったなどとは気付いていないはずだが、鋭い指摘は意外と的を得ていて驚く。

 しかし教会が所有する天衣がこちらよりも劣るとは。
 時間の経過で劣化でもしたか?

「入手経路は秘密とさせてください。これは多くの奇跡が積み重なった末に見つけた品で、二度とは手にできないでしょう。とにかく、これがあればパーラの治療はできると、そう思ってもよろしいでしょうか?」

「ええ、ええ!勿論です!これほどの品となれば、どれほどの力を出せるか!治療どころか、もう一本腕を生やして見せますよ!」

「やめて。私、腕は二本で十分だから。余計なことしないで」

 興奮でとんでもないことを口走るリエットに、パーラは動かない方の腕を庇うようにして背後に回すと一歩下がってしまった。
 流石に生来ない腕を生やすのは無茶なので、これはテンションが上がり切ったせいでの暴走的発言だろう。

「リエット様、普通に治してやってください。普通に」

 とはいえ、聖女の癒しは奇跡と呼ばれるぐらいだ。
 下手をすればテンション次第でクリーチャーを生み出しかねない怖さはある。
 釘を刺してパーラの治療へと移ってもらう。

 この服は元々トーガに近い形だったおかげで、ローブというほどではないが羽織に似た着方が出来るタイプだ。
 特に俺達の手を借りることなく、すぐに陣羽織を纏った戦国武将風の聖女が完成した。

 そして自分の姿を見下ろすように首を巡らしたかと思うと、突然リエットが小さく笑いだした。

「ふふっ、これは素晴らしい。馴染む!馴染みますよ!ふはっふははははっぱぐ」

「ちょリエット様!?お静かに!」

 まるで今纏っている天衣こそが本来の自分の姿なのだと言わんばかりに、声高らかに笑いだしたリエットの口を急いで塞ぐ。
 この辺りは人があまり寄り付かないとはいえ、それでも完全に誰も来ないという保証はない。
 パーラの治療が終わるまでは、まだ人目は避けたいので少し力づくで黙らせる。

 しかし天衣を身に着けた途端にこの変わりようは、どうやら肌ではっきりと分かるほどにこの天衣はリエットに馴染んでいるらしい。
 本人が大声でそう叫んでいるしな。

 リエットの目が俺を見つめ、何かを言いたげなのを確認したところで口を覆っていた手をどかす。
 流石に今度はいきなり叫びだすことはなく、幾分か落ち着いたように見える。

「…失礼、少しはしゃぎすぎましたか。ですが、それほどのことだというのだけはわかってください。聖女として、これほどの力に身を包まれてはこうなるのも致し方ないのです」

「そうですか、それはわかったので、そろそろ治療の方をお願いします」

 もう大丈夫かと思ったが、まだ少し目の奥に怪しい光が見えたので、やるべきことを促す。

「わかっています。ではパーラ、私の前へ」

「よ、よろしくおねがいします」

 手招きされ、若干怯えを見せたままにパーラがリエットの前に立つ。
 腕が治ることに期待は抱いているが、同時にトリップした先程のリエットの姿に不安をおぼえてもいるのだろう。
 正しく医者を前にした子供といった様子だ。

「まずは気持ちを落ち着けなさい。私の力を恐れず、心を開くのです」

「開く?心を…ってどういう風に?」

「…深く考えず、あるがまま受け入れるのです。今から患部に触りますよ。何があっても騒がず、冷静でいることを心がけなさい」

 聖女然とした顔をしたリエットが、パーラにそう助言して、左肩へ両手を重ねて触れる。
 今から聖女の癒やしの奇跡を目のあたりにできるのかと、密かに興奮を覚える頭の中で、一つの疑問が浮かぶ。

「リエット様、一つお聞きしても?」

「…なんですか。今から術を行うので、質問は手短にしてください」

 集中しようとしていたところを横合いから声をかけられ、ムッとした顔を見せるリエットだが、俺の疑問に答えるだけの余裕はまだあるらしい。

「ええ、その術なんですが、俺達が見てしまっても大丈夫なのでしょうか?教会が秘匿ようとしていたものなのでは?」

 聖女による治療は教会が頑として外に公開していないものだ。
 神秘性を保つためか、部外者を排除しているのに俺が見てしまってもいいものだろうか。

「問題ないでしょう。教会が秘匿したいのは私の力というより、聖衣の方です。しかし今私が身につけているのはアンディ達のものですから、立会を拒むのは筋違いです」

 なるほど、教会としては聖衣の方を外部の人間に見られるのを嫌っているわけか。
 聖女が力を使うのに欠かせない貴重な品だけに、盗難や偽造のリスクを抑えるためには秘匿したほうが都合がいいのだろう。

 だが今に限っては、聖衣の所有権が俺達にあるため、教会側の思惑に縛られる必要もない。
 リエットには存分に力を振るってもらおう。

「そういうことなら、俺は見学させてもらいましょう」

「構いませんよ。ただし、パーラの心を乱すようなことは慎むように。これから行うのは私とパーラの双方で精神に影響がされる繊細な作業ですから。ではパーラ、怪我のある腕を私の方へ」

「あ、はい。どぞ」

 それだけをピシャリと言い放ち、リエットがパーラの左腕に触れる。
 天衣を纏ってからは雰囲気が厳粛なものに変わっており、まるで一切の感情を廃したような表情のリエットは、何かを探るようにパーラの腕を撫でていくと、ある一点に掌が辿り着くとその動きが止まった。

「…ここですか。傷は塞がっても、魔力の流れが不自然に歪んでいます」

 リエットが目を細めて指摘した場所は、間違いなくパーラの腕を不随にした傷の位置同じだ。
 服の上から触っただけでも患部の位置を正確に探り出すとは、聖女の力は伊達ではないと言うことか。
 魔力の流れも見抜き、本当に治療がされるのだと実感がわく。

「今から腕の機能を復元させます。その過程で不快感や痛みなどが発生することもありますが、異常ではないので騒がないこと。いいですね?」

 何度かあった機会で言い慣れているのだろう。
 淀みも力みもなくそう告げるリエットは実に落ち着いている。
 そのおかげか、パーラも言われた言葉に動揺することなく、大人しく頷きを返した。

 少し間を置き、大きく息をする音が聞こえる。
 リエットとパーラ、どちらの口から出たのかは分からないが、それを気にする暇もない。
 なぜなら、目の前では正に聖女の奇跡が齎す、尋常とは言えない光景に気を取られてしまったからだ。

 恐らく詠唱とは思うが、リエットが耳馴染みのない言語を口ずさむと同時に、パーラの肩に添えられたリエットの手に淡い光が灯る。
 ぼんやりとしたそれは、はじめはランプの灯りよりも弱かったのが徐々に強さを増していき、あっという間に薄暗いこの場所を昼間に染め上げるほどとなっていた。

 その時、リエットの纏う聖衣も淡い光を放ち、風もないのに微かにたなびいているのに気付く。
 他の光を反射しているだけかと思いきや、よく見るとしっかりと自ら光を放っている。
 神という存在をこの目で見たことがあるからこそわかる、神々しさとはかくあるべしというものの体現がまさにこれだ。

 それにしても、俺達が着ていた時には微塵も起こらなかったその現象が、リエットに使われることで発生するあたり、やはり天衣と聖女の組み合わせが特別なものだと思い知らされた。

 そうして光がパーラの体に浴びせられることしばし。
 神妙な顔をしていたパーラの顔に歪みが走る。

「あの…リエット様、なんか私、肩がかゆ…うま…」

 かゆうま?

「かゆいのは深部で傷が急速に治っている証拠です。我慢なさい」

 なるほど、パーラのあのなんともいえない顔の理由は、切断されていた神経あたりが癒合して痒さが発生しているからか。
 手で掻きむしれない深さに発生しているだけに、リエットの言う通り我慢するしかないだろう。

「我慢ったって……ぅ痛、え痛っ!あいたたたたたた!?肩がっ痛い!いた…いでぇぇええよぉおお!」

 痒さに眉をしかめていたパーラが突如、痛みによる絶叫を上げた。
 先程のもどかしそうな様子から一転、激痛に苛まれたような表情は、明らかに普段見ることのできないものだ。
 顔だけ見ると今にも人を殺しそうな凄味があるが、それでも暴れることがないのはリエットの治療を中断させたくないという理性が残っているおかげだろう。

「あなたの場合、腕の感覚を戻すのに激痛が伴うのは避けられません。ここまで来たもうすぐです。騒がず、大人しくしてください」

「~~ぃッッッだぁーい!?」

 歯を食いしばるパーラを淡々と諭すリエットの手が、まるで終わりを告げるように一際強く光ると同時に、今日一番の絶叫がパーラの口から飛び出した。
 その声を境に、リエットの纏っていた天衣から光が失われ、辺りを染めていた光も徐々に消えていった。

「…もう大丈夫です。パーラ、あなたの肩にあった魔力の歪みは整えられました。もうこれで、今まで通りに動かせるようになるでしょう」

 そう言いながら深く息を吐くリエットは、かなり疲労しているように見える。
 先程の光景を見るに、術者の消耗も決して小さくないらしい。

「はぁー……治ったの?本当に?」

 激痛から解放されたことで安堵していたパーラは、治療が終わったことに疑わしそうな反応をする。
 自分の体のことなのに、何故疑うのか。

「まずは指先からゆっくりと動かしてみなさい」

「うん…」

 リハビリを指導する医師のように、手を取って補助するリエットに従い、パーラが掌をじっと見つめる。
 すると今までは外部から力を加えなければ変化することのなかったパーラの手がゆるやかに、しかし確実な動きで握り込まれていくではないか。
 これはつまり、指の位置まで到達する神経が回復したという証になる。

「おおっ!やったな、パーラ!動いてるぞ!」

 思わず俺も興奮した声が出てしまったが、それも仕方がない。
 なにせここまでの旅は、目の前の光景こそが目的だったからだ。

「わっ…あぁ、ほんとに、動く」

 まださほど力は入らないようだが、確かに自分の意思で動く手を見た感動からか、パーラの目には僅かに涙が浮かんでいる。
 気丈には振る舞っていたが、一生治らないと思われた障害に何も思わないわけもなく、それを今日、克服できた喜びは当人には一入だろう。

 言葉は少ないが、そこに込められた喜びは十分に伝わってくる。

 何度か手を握っては開きを繰り返し、次に腕から肩も動かすと、これもまた問題なく動いた。
 ここでようやく、パーラはついに感動が頂点に到達したようで、顔を俯かせて肩を震わせる。
 伏せて見えていない顔には涙が溢れているのだろうか。

 その姿に俺も目頭が熱くなりそうになった次の瞬間、パーラがガバリと顔を上げて口を開いた。

「私!復ッ!活ッッ!私!復ッ!活ッッ!私!復ッ!活ッッ!」

「バっ!うるせぇよ!」

 突然叫び出したパーラに、俺は焦りながら急いでその口を塞ぐ。
 さっきも言ったが、まだ衛兵に目をつけられるのは困るのにこんな騒ぎ方をする奴があるか。
 それだけ嬉しいということは理解するが、だとしても時と場合を考えられんものかね。

 口をふさがれながらも、体を揺らして喜びを露にしているパーラはまだ当分落ち着きそうにない。
 仕方ないので、しばらくは俺がこいつの口を押さえる役で時が過ぎるのを待つとしよう。

 しかし、これでようやく俺達の暗かった未来に光を取り戻せた。
 ここまで実に長く辛い旅だったと改めて思うが、それでもこの結果に辿り着けたのは、ハッピーエンドを掲げるのに申し分ない。

 この後も片づけるべき問題はあるが、今はとにかく、この紛れもない喜びに浸るとしよう。
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