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でかい悪事の証拠ほど残しておきたい

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 SIDE:聖女(リエット)



 夏ももう随分と過ぎ、秋の気配も日ごとに増して来ているこの頃。
 朝目覚めてすぐ、日課となっている花の手入れのために中庭へと向かう。
 草花の呼吸が感じられそうなほどに青い匂いの満ちた中庭は、まだ眠気の残る体でも一歩踏み入れた途端に目が覚めるほど清々しくて心地いい。

 石畳をゆっくりと歩きながら、周囲の草花へと水をやっていく。
 今朝の空気は微かに肌寒さを感じるため、与える水にはほんの少しだけお湯を混ぜて、急な冷水で植物をびっくりさせないようにしている。

 そうして歩いていると、自然と足は庭の中心で止まってしまう。
 そこには先日完成した、ガラス張りで設えた小さな小屋が朝日を受けて輝くようにして建っていた。

 人一人が潜るのが精一杯の扉を開けて小屋の中に入ると、私の顔をモワリとした温かい空気が撫でる。
 小屋の中には室内を温める魔道具が置かれており、昨夜動かした時の熱がまだ残っていたようで、まるでこの中だけは外と世界が違うように感じてしまう。

 そんな小さな別世界の中心には、私が開花を待ちわびている植物達がいる。
 未だ蕾のままの砂糖人参だ。

 一時は花と思いこんでいたものがまさかの野菜という事実に驚きはしたものの、今は蕾が花開く時がただ待ち遠しく、こうして朝に様子を見るのも楽しみとなりつつある。

 本来植物の成長はゆっくりとしたものだが、心なしか昨日見た時よりも蕾に張りが増しているように思え、今まさに花開かんと力を蓄えているかのような強さが伝わってきそうだ。
 もっとも、砂糖人参が花を咲かすにはまだ先のことになるだろう。
 アンディが言うには、ペルケティアの夏がぬるいとすら思えるほどの暑さを越えることで、ようやく砂糖人参は花が咲くとのこと。

 時間が経てば太陽の光も小屋の中をさらに温めていき、じきに真夏を超えるような暑さがここを満たす。
 それでもソーマルガの夏には及ばず、時間をかけてゆっくりと蕾が成長するのを待つしかないらしい。

 アンディとはあの日以来会っていないが、砂糖人参の成長に関する助言を書き留めた紙片を貰っているため、今後はそれを頼りにこの蕾の成長を見守っていくしかない。

「おはようございます、リエット様。やはりこちらでしたか」

 花の世話も一通り終わり、使っていた水桶を片付けていると庭にケリーがやってきて声をかけてきた。
 そういえば、今日はケリーが私の側に付く日だった。
 ドリーの双子の妹であるケリーは姉とそっくりの顔ではあるが、若干こちらの方が柔らかい雰囲気とおっとりした仕草で見分けられる。

「おはよう、ケリー。今日の予定に変更はある?」

「いえ、ございません。朝食の後、天与聖堂にて託宣へ臨んでいただき、昼にはシェイド司教と会食の予定となっております」

「そう、わかりました」

 昨日寝る前に聞いた予定から一切変更はない。
 会食は別にいいのだが、今日は託宣の儀があるのかと思うと気が重い。

「託宣などと、やる意味はあるのかしら。何度やっても神の声など降りてこないでしょうに」

「リエット様、そのようなことは仰いませぬように。今まではそうであっても、いずれ天より与えられる言葉もありましょう。それを聞き漏らさぬためにも、託宣の儀は絶やすことなく行わねばならないのです」

 思わず漏らした本音に、ケリーが困った顔で諫めてきた。
 初代の聖女が神の声を聞いたという託宣の儀は、以降の代々の聖女が定期的に行うことが義務付けられているが、初代聖女以外で神の声を聞いたという話はこれまで一度もない。

 私も聖女となってからは何度か儀式を行っているが、未だ神の声どころかそれらしき存在の気配を感じることすらできていない。
 恐らく今日も神の声は聞こえてこないと思い、無駄な時間をひたすらに過ごすことが苦痛に思えてしまう。

 とはいえ、義務というものを果たさずに生きれるほど今の私の身分は軽くない。
 信仰のためにも、形として儀式をこなすのが聖女としての私の役割なのだ。




 儀式のために訪れた天与聖堂は、当然ながら以前来た時と変わったところはない。
 普段は教会の上位者だけが使うこの聖堂は、一般の信徒が通う教会の礼拝堂に比べれば規模こそ小さいものの、壁や窓から照明に至るまで豪華絢爛という言葉も生ぬるいほど見事な造りだ。

 初代の聖女の恰好を模し、同じ作法と動きで当時の託宣があったとされる状況を再現して執り行われた儀式は、やはり予想通りになんの成果もなく終わってしまった。
 いつも通りに儀式が執り行われたことで、帯同していた礼典官も残念そうにはしているがさほど落ち込んではおらず、ある種の諦めの感情は私とも共有できるものだ。

「次はシェイド司教との会食でしたね。場所はパワランの塔でいいのかしら」

 役目を終えて聖堂を後にし、いつもの服に着替えた私はケリーと共に廊下を足早に進む。
 シェイド司教との何度かあった会食の機会では、そのいずれも聖堂の西側に建つ塔の一室で席が設けられていた。
 今回もそこだろうと推測する。

「そう伺っています。リエット様の本日のお役目は承知しているとのことで、先に待つとも」

「では少し急ぎましょうか。あまり待たせてはお叱りを受けてしまいます」

 シェイド司教は私が聖女となった際に教育を施してくださった方であり、未だにその時の関係性のまま小言を頂くことがある。
 役目で遅くなるのならば何か言われることはないとは思うが、それでもあまり長く待たせるのは気がひけるというもの。

 歩く速さをさらに増し、目的地へと急ぐ私達だったが、その時、廊下の角から飛び出して来た人影によって足が止まる。
 向こうも出会い頭で人が現れたことに驚いた様子だったが、私達の姿を見てすぐに笑みを湛えて慇懃な態度で口を開いた。

「おや、これはこれは。聖女様ではありませんか。お急ぎの御様子で、いかがされましたかな?」

「…ボルド司教、ごきげんよう。これから会食の約束があるものでしたから、少々急いでおりました」

「そうでしたか。しかし廊下でそのように騒がしく歩くのは感心しませんな。小心な人間に見られれば、大事あるやと驚かせてしまいますぞ」

 五人ほどの若い修道士を引き連れた老人、ボルド司教は聖女としての振舞いについてを指摘してきた。
 ボルド司教が通りがかったように、教会の中でもここが特に位の高い人間が通りがかることが多い。
 そんな人達に慌てた様子で走る聖女の姿を見られたら、何事か起きたのかと不安や疑念を抱かれかねない。

「これは…随分とお見苦しい所を」

 言っていることは実に正しい。
 しかし一方で、その為人を知っている身としては、ボルド司教の言葉というだけでなんの警戒もせずにはいられない。

 人のよさそうな笑みを浮かべているこのボルド司教だが、油断のならない御仁でもある。
 枢機卿団に次ぐ権勢を誇る派閥の代表であり、ペルケティア国内では最大規模となる司教区を任されるほど、教会内に限らず国政においてもその存在感を示す大物として知られていて、次期教皇の座に近い一人として数えられて随分と長い。

 だが六十を過ぎても未だに司教の座に留まっているのは、いくつもの黒い噂が絶えないせいだとも耳にする。
 身分が高くなればそういった噂の一つや二つはついて回るものだが、ボルド司教の場合はそれが特に多い。

 若くして司教に任ぜられてから今日まで、ペルケティアで起きた重大な犯罪の陰には必ずボルド司教がいるとまで言われるほどで、先年に起きたサニエリ元司教の失脚も彼が一枚噛んでいたとまことしやかかに囁かれている。

 策謀を好むと言えば聞こえはいいが、実際は保身と利益のためなら他者を蹴落とすことも厭わない質なのかもしれない。

 そんな人間だけに、私自身、隙を見せれば何をされるか分からない恐怖が常にあり、なるべく深くかかわらないようにしてきた。
 だが、今の私はボルド司教にも頼るらねばならない事情がある。
 少し深く息を吸い、意を決して話しかける。

「ボルド司教、不躾ながら今お話しをよろしいでしょうか?あまりお時間は頂きませんので」

「ほう?私に?ええ、ええ、構いませんとも。聖女様たってのお願いとあらば。して、どのようなお話を?」

 普段接する機会があまりないだけに、突然対話を願っても渋られるかと思ったが、意外と手応えはいい。

「実は私の知人が一人、大怪我をしてしまったのです。それが一般の法術士には手に負えないもので、しかし私ならばと頼られてしまいました」

 私がこうしてボルド司教に訴えているのは、以前アンディに頼まれた件についてだ。
 彼の仲間のパーラという女性の怪我を治すために聖女の力を必要としており、多生の縁と恩のために今は根回しに動いている。

「その者には随分と世話になったこともあり、どうにか力になってやりたいのです。ですが、私が力を振るうのにも司教方の許しがいる。他の司教方にもお願いはしていますが、その者を治療する機会を設けることに、ボルド司教からも賛意を頂きたいのです」

 聖女と言っても…いや、聖女だからこそしがらみも多く、力を振るうことにも一々ヤゼス教の上層部から許しを得なくてはならない。
 人一人を治療するのにも自由に出来ない身分に歯がゆさを覚えるが、これも組織に身を置く以上仕方なしと諦めてはいる。

「ふぅむ、これはまた難しいことを申される。聖女様のお力はまさに奇跡の御業。使えば死の淵にある命も呼び戻せるほど。ヤゼス教における救いの象徴として、施す相手は慎重に選ばねばならぬのはご存じかと」

「勿論、承知しています。それでも―」

 私の力で誰を癒すかを決めるのは、司教らヤゼス教の意思決定を司る者達だ。
 どういう基準でか施すに相応しい人間を選び、司教らの話し合いを経た上で治療が行われる。
 どんな経緯で選ばれ、なぜ助けるのかを知らないままの私の前に、そうして連れられてくる人間をただ癒すことだけが聖女に与えられた仕事となる。

「ならばおわかりですな?誰を癒し、救うかは司教・枢機卿らの合議で決めるもの。私の一存では決めかねます。ご期待には沿えかねましょう」

 司教という地位にいながら、影響力は枢機卿団に勝るとすら言われるボルド司教ならばと一縷の望みにかけてはみたものの、やはり色よい返事とはいかない。
 それもそのはず、今の私は頼むだけで向こうに対してなんの利益も示せずにいるからだ。

 シェイド司教のように信頼関係のある人間ならともかく、今日までまともに接する機会もなかったボルド司教に対し、こちらから提示できる利益や譲歩など持ち合わせているはずがない。
 神に仕える者といえど、大掛かりな組織では何の打算もなく人は動いてはくれないのだ。

「しかし、こうして縁も薄い私などに聖女様自ら頼まれたとあらば、無碍には出来ますまい。せめて次の会議の際には、この件を議題に上げるよう働きかけてみましょう」

「…よろしいのですか?頼んだのはこちらですが、何の対価も示さぬ内にそのような」

「なんの。聖女様の献身はよく知っております故。対価など無粋なこと」

 僅かな時間にどんな心変わりがあったのか、ボルド司教は先程の渋りようから一転、あっさりと助力を約束してくれた。
 ただし、あくまでも司教らに働きかけるだけで、そこから先への確約がないのは教会における聖女の扱いの複雑さのせいだろう。

 ボルド司教にしてみれば定例の会議で議題に出すぐらいの労など大したものではないはずで、これを恩にしていずれ何かの機会で返せと迫ってもおかしくはない。
 いっそこの場で対価を求めてくれた方が気が楽なのだが、恩は先に貸し付ける方が後々便利に使えるものだ。

「猊下、そろそろお時間が…」

「うむ。…私もこの後は予定がありましてな。もう少しお話をしたかったところですが、残念です」

 後ろに控えていた修道士に耳打ちされ、ボルド司祭は申し訳なさそうな顔で頭を下げてきた。
 司教というのも決して暇な身分ではなく、私が今日会食を予定しているシェイド司教もそうであるように、彼もまた誰かと会う予定でもあるのだろう。

 引き連れている修道士がせっつくようなことを言ったあたり、ここで遭遇したのも実はかなり急いでいたのかもしれない。

「いえ、こちらこそ急なお願いを聞いていただき感謝します。私も待たせている方がいるので、これで失礼いたします」

「ええ、またいずれの機会があれば、ゆっくりお話ししたいものですな。では」

 社交辞令的に別れを惜しむ言葉を交わし、互いに元々向かっていた方向へと歩き出す。
 偶然出会っただけではあるが、教会でも有数の権勢を誇る司教にここで協力を要請できたのは僥倖だった。

 私は司教らが取り仕切る会議に参加することはないのだが、権を握る司教の賛同者は一人でも多いほうがいい。
 少なくとも五人以上はこちらに引き入れて、パーラの治療を認めさせたいところだ。

 これから会食をするシェイド司教にも協力を要請するが、そちらは私とは親交も深いため、それなりに期待はできる。
 とはいえ、それでも確実に司教らの会議で通るとも限らないため、ダメならダメでアンディにはそう報告するしかない。

 いい結果になるよう努力はするが、全てを擲つほどではないことも事実で、砂糖人参の恩をこれでいくらか返せるのならそれでよしとするしかないだろう。
 助けを求める声に一つ応えることすら己の意思のままにならないとは、聖女という不自由な身分を嘆きたくなる。

 もっとも、これも信仰を守るための仕組みというのは理解しているため、聖職者の一人としてはあまり大っぴらに異を唱えることはできない。
 神に仕える者であっても、組織の中ではただ祈りの日々を過ごすだけとはいかない世知辛さに涙が出そうだ。



 SIDE:END









 すっかり人が寝静まった深夜、とある司教の屋敷に俺達は忍び込んだ。
 司教位ともなれば館の門に不寝番を置いてもおかしくはない身分だが、聖職者として人の善性を信じているのか、あるいは背の高い柵で十分だと慢心しているのか、門扉こそ閉じられているが見回り等の人の気配は館の周囲には感じられない。

 ただし、あからさまに不自然な配置がされた門柱などから防犯装置の存在が窺えるあたり、最低限の備えはしてあるようだ。
 もっとも、それらはあくまでもコソ泥への対策程度でしかなく、大都市の中では空からの侵入者など想定していないため、噴射装置を使える俺達は誰にも見咎められることなく屋根へと降り立つことが出来た。

 日頃のリハビリの賜だろう。
 片腕ながら噴射装置を上手く扱い、パーラも危なげなく俺についてきている。

 人の気配のない部屋の窓にあたりをつけ、パーラの風魔術で音を遮断しつつ、可変籠手を工具に変えて鍵付きのまま窓枠を外してしまえば、恐ろしく簡単に室内へと潜入できてしまった。
 こうして見ると、景観としては優れていても、警報装置すらない窓ガラスは外部からの侵入者に対してはひどく脆い。

 この世界の権力者達は窓ガラスに魅せられているが、防犯とのトレードオフは自覚しているのだろうか?
 今回の俺達に限っては、手間が省けて助かってはいるが。

「…うん、潜入は気付かれてないね。それで、どこを探す?」

 周囲の様子を音で探っていたパーラから、潜入の発覚がないお墨付きが出た。
 こういう時、目に見えないところまでの広範囲を探れるパーラは頼りになる。
 冒険者を辞めても、怪盗として食っていけそうなレベルだ。

「普通に考えれば、前に見た商人と怪しいやり取りしてた執務室だろ。そこにならなんかありそうだ」

 廊下へと続く扉を開け、暗闇の先にある執務室の方へと意識を向ける。
 丁度今俺達がいる部屋からは、廊下を進んで十メートルもない所に目当ての扉があったはず。

「後ろ暗そうな取引の証拠だっけ?帳簿とか?」

 俺の頭越しに廊下を覗き込むパーラは、声を潜めながらここに来た目的を口にする。

「そういうのでもいい。献上品を裏取引した帳簿なら一番いいが、例の特権商人とのやり取りの手紙とかも狙い目だな」

「気持ちはわかるけどさ、商人ならともかく、司教が帳簿なんかとっとくのかな?」

「少なくとも、俺なら保管するぞ。この手の悪事ってのは、バレた時のために減刑の取引材料を常に確保しとくもんだ。もし商人が下手うって捕まったとして、司教なら関与した範囲で誤魔化せる部分を把握しときたいだろうしな」

 悪事を行う際にはバレないように手を打つものだが、そこからさらに一歩踏み込んで、司法取引の材料にも使えるように証拠を残しておくのも一つの正解だ。
 小心者なら証拠など一ミリも残したくないところだが、ここの司教は一応、リスクを許容して手札を隠し持つだけの度胸はあったらしい。

「ここだな…む、施錠されてないな」

「中に人はいないみたいだけど、不用心だね」

 コソコソと廊下を進んで目的の扉へと辿り着き、ドアノブを捻って見ると呆気なく動いてしまう。
 外から屋敷へ入り込むのには警戒している分だけ、建物内の部屋の施錠には無頓着にもなるのだろう。
 悪事を働いている割に、リスク管理が甘いのはいかがなものか。

 とはいえ、鍵をこじ開ける手間が省けたのはありがたいので、さっさと執務室へと入り込む。
 当たり前だがここも明りが付いていないので暗く、窓から差し込む微かな月の光で辛うじて室内の調度品の位置を把握できているぐらい見辛い。

「さて、どこから探すか。普通なら机の引き出しからが常道ではあるが」

 大事なものをしまうなら金庫が一番だが、この部屋にはそれらしいものは見当たらない。
 隠し金庫が設置されている可能性もあるが、それでもまず探るとするなら執務机が有力候補ではある。

「私としては、周りの棚から調べたいね」

 パーラの方は、壁際に置かれている重厚な書類棚が気になるらしい。
 裏帳簿という見つけられては困る書類を保管するには堂々とし過ぎている場所だが、その他の書類に紛れ込ませている可能性を考慮すれば着眼点は悪くない。

「なら別々に探すぞ。お前はそっち、俺は執務机だ」

「了解。うるさくしちゃだめだからね」

「お前もな」

 互いに目を付けた場所をそれぞれの分担と決め、俺は執務机の引き出しを上から順番に開けていく。
 文房具や書きかけの書類、多少の貨幣に使用用途の分からない道具と、バラエティに富んだ机の中身は探っていて飽きないが、求めているものが見つからない点には若干の焦りも覚える。

 暗闇という不便さと格闘しつつざっと調べてみたが、裏帳簿と呼べる書類は見つからない。
 パーラの方はどうかというと、そちらも肩をすくめる程度の収穫だ。

 こうなるとそもそも裏帳簿など残していないというパターンも考えられるが……いや、ここは発想をズラそう。
 悪事の証拠ではなく、エロ本を隠すならどこかと考えてみる。

 手が届く場所、かつ隠匿に向いた隠し場所となれば―

「……あった」

 予想した場所へ手を潜り込ませ、指先の感覚だけで探ると見事にそれらしいスペースを見つけることが出来た。

「お、見つけたの?」

「ああ、引き出しを取りだした奥にそれっぽい空間がある。丁度、大振りの本なら二冊はいけるぐらいのな」

 思春期の男子なら一度は試みる、『机の引き出しを取り外したさらにその奥へ隠す』という定石は、この世界の司教にも見事に適用されているようだ。
 そこに隠されていたブツを、指先で摘んで引っ張り出す。

「…なんだこりゃ?」

「帳簿、にしては少し薄手だね。手紙の束って言ったほうがいいんじゃない?」

 裏帳簿だと思い込んでいたものは、実際目にしてみるととてもそうとは言えない代物だった。
 大判の茶封筒をいくつかまとめて紐でくくってあるそれは、恐らく手紙の類だと推測する。
 いずれも封緘がなく、既に中身を検めたものを敢えて保管していたと思われるが、読めば役目を終える手紙をああして隠していたのだから、その内容はよっぽどのものに違いない。

 束の中から一枚を抜き取り、淡い月明かりを頼りにしてその中身を読んでいく。
 まず出だしからして時候の挨拶もなく、差出人の名前は記されていない怪文書染みた雰囲気があるが、ここの司教に宛てたものであることは間違いない。

「いーけないんだ、人の手紙を勝手に見るなんて。で、どんな内容?」

 いつの間にか俺と肩が触れ合うぐらいに近付いていたパーラが手紙を覗き込んでくる。

「どの口が言ってんだ。……これはまた、随分と怪しいな」

「なにが書いてあるの?」

「前回出した手紙の続きっつーか、何かを再確認するような内容っぽいんだが…ここ、読んでみろ」

「どれどれ」

 いくつか読んでいく内に気になる手紙を見つけ、それをパーラに渡すと、乏しい光の中で静かに読み上げていく。

「『主より授けられた聖女の力、恩恵は遍く人々へ与えるのが道理。然るに、一握りの人間が使い道を握るのは道理に合わず。腐敗した者達より聖女を救いだし、力の振るわれる理をあるべき姿に戻すべく、貴卿の助力を願いたし』……なにこれ?」

「かいつまむと、聖女の力を独占してる教会上層部を諫めるのに手助けしてくれってとこだな」

 半分ほどまでを読み進めたところで、噛み砕くには今一つ硬すぎる内容にパーラは首を傾げてしまっているが、要するに聖女の力を一部の権力者が恣にしているのが許せないから是正するために協力して欲しいと、ここの司教に要請したものだった。

「そんなの、手紙で頼むぐらいなら別に悪くないでしょ?何も暴力で反乱しようってんじゃないんだし」

「まぁ普通ならな。とにかく、最後の方を読んでみろ」

 それだけなら何の問題もないのだが、気掛かりな点が手紙の最後の部分に書かれていた。

「えー『来たる次の新月の夜、聖女を屋敷より極秘に連れ出す機を―』……極秘に連れ出すってこれ、誘拐ってこと!?」

 この世界の月の巡りは地球のものとはズレはあるものの、月日ごとの大まかな規則性に則った計算はとっくに確立されている。
 数日前に俺は聖女と話をしているので、次の新月というのは、この手紙の執筆時点ではまだ先のことになるはず。

 聖女と会うより何日か前が満月だったのは確かで、現在はまだ誘拐されたという騒ぎは一ミリも聞こえてこないことから、手紙に書かれた次の新月の日というのは今の俺達の時間感覚でも同じ頃と見ていい。

「恐らくな。これを読んだ上でお前がそう感じたってことは、そういうことだろう。俺だってそう思うぐらいだ」

 手紙にはあくまでも誘拐という言葉は使っていないが、全体の文から汲み取る限りでは、真っ当な企てで聖女を救い出すとは思えない。
 言い回しこそ丁寧だが、狂信者がテロの実行を予告するような気持ち悪さが全体から感じられる。

 まさか献上品の横流しの証拠を探しに来て、聖女の誘拐を示唆する手紙を隠し持つという、はたから見れば限りなくクロに近いネタが見つかるとは。
 パーラの治療のための足掛かりとして、本来なら裏帳簿に匹敵、あるいはそれ以上の強請りのネタの発見は喜ぶところではあるが、しかしこれは少々刺激が強い。

「でも聖女の誘拐なんて、司教が協力するかな?ヤゼス教に対するあれでしょ、あの…背徳?」

「惜しい、背信だ。普通ならそうだが、ここの司教は随分とワルだからな。聖女を手中にする何者かのおこぼれを期待しているか、あるいはすでに弱みを握られて協力せざるを得ないというのも考えられる。どのみち、こんなあからさまな証拠を処分せずに隠し持ってるってことは、協力する気満々なんだろうよ」

「てことはさ、この手紙を教会の偉い人に持ち込めば、恩を売れるんじゃない?ほら、聖女の誘拐を未遂に防いだ褒美として、私の治療を許すーみたいな」

「ないとは言わんが、難しいところだな。この手紙には、ここの司教の名前が一つも書かれてない。仮に司教が捕まって追及されたとしても、知らぬ存ぜぬで通して終わりだろう。それどころか、逆に司教を陥れようとしたと、俺達が訴追されるかもしれん」

 既に一度、この国の司教とやりあった俺としては、その恨みもあるだろうと教会側にも邪推されそうだ。
 一冒険者と司教、ペルケティアがどっちの肩を持つかは子供でも分かる。

 指紋鑑定や嘘発見器でもあれば話は別だが、この手紙の出所が司教の執務机の中だと断定できなければ、とぼけられたうえで証拠隠滅で真相は闇の中というのが既定路線だろう。

「だったらシペアとかスーリアに頼んで、教会の偉い人に報告してもらったら?身内からの密告なら、教会も無碍には―」

「教会って組織に入ってまだ日が浅い奴らと司教じゃ、どっちが信用されるかわかるだろ。それに俺達と違って、シペア達は司教の圧力をモロに受ける場所にいるんだ。下手をすれば、謎の事故にでもあって死人に口なし、ってのもないとは言えん」

「じゃあどうすんの?聖女が誘拐されるのを見逃す?」

「厄介ごとを避けるならそれもありだが……お前のさっき言った、教会に恩を売るってのは考えてみれば悪い話じゃない。俺達で勝手にどうにかするのもいいかもしれんな」

 聖女の誘拐を衛兵に手紙で明かすのも一つの手だが、怪文書の類として無視されかねない。
 ならば勝手に聖女を守った上で、功績を盾にしてパーラの治療を教会に迫るのが俺達にとってはおいしい展開になる。

 慈愛と寛容を謳うヤゼス教だ。
 面子のためにも、聖女を誘拐犯から助けた人間の頼みを無視はできまい。

「そうなると、その日には聖女の屋敷を見張ることになるね。わざわざ新月って書いてるんだから、決行の時間帯は夜で間違いないよね」

「ああ。流石に白昼堂々と人を攫わんだろ。問題はその新月の日だが」

「えーっと、満月があの日だったから…十日と八日で……明後日あたり?」

 月の満ち欠けを指折り数えていたパーラが新月の日を割り出した。
 満月と新月の周期には多生のズレもあり、自信満々に正確な日付とはいかないが、それでもパーラの見立てに大きな間違いはないだろ。

 まさか新月の日がこうも近いとは、手紙を見つけたタイミングに良し悪しはつけ難いが、誘拐を防ぐにしろ利用するにしろあまり時間に余裕はない。
 このわずかしかない間に、まずは情報を集めて、俺達がどう動くか作戦を立てるとしよう。

 全てが想定通りに行くほど世の中は甘くなく、しかし備えぬまま事に臨む拙さは特に怖いものだ。
 下手をすればヤゼス教の闇にどっぷり浸かりそうな気もするが、叶うことなら大火にならずに事態が収まってくれることを祈りたい。

 まぁこの世界の神はどうしようもない奴らばかりなので、祈りは届かないとは思うが。
 祈りとはなんと無力なものか。
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