世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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灰爪

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 この世界において、神とは絶対の存在であるのは間違いなく、地球のいるかどうかも分からないのに比べればその存在は確かに信じられていて、また確実にいるという痕跡は各地に残されている。
 過去には邪神ではあるが地上に降り立ったという信ぴょう性の高い伝承も残っており、また長命種の間では比較的最近の口伝として神に関する逸話が残っているのも珍しくない。

 現在では最大勢力を誇っているヤゼス教も、崇める対象は人の身から神に昇神したヤゼスそのものではあると同時に、その他の神々を公には否定することもなく認めているほど、神の存在は確かなものとして根付いている。

 様々な神話や伝承に出てくる神ではあるが、人類や世界が滅ぶ危機を回避するべく地上に降臨するというパターンがほとんどで、その際に選ばれた個人へ特別な力や武具を授けるというのが大抵の流れだ。
 ただ、一説によるとこの手の話に出てくるのは、神を定義する位階では下位に相当する存在だと言われている。

 神や精霊といったものを研究をしている学者によれば、高位階の神ともなればそこにいるだけで世界を揺るがすほどのエネルギーを内包しているはずなので、もしそんなのが地上に現れていたら、今頃人類は滅亡しているかもっと文明が後退して原始的な生活を送っているだろうとのこと。
 流石にそれは悲観的過ぎるという声もあるが、無窮の座へ言った経験のある俺からすればあながち間違いとも言えない。

 確かにあそこにいた神々はどいつも次元の違う力を放っていたため、それをそのまま地上に降りてくれば天変地異の一つでもおまけ感覚で付いてきても不思議ではない。
 もっとも、今でも地上へ食料の調達に向かう際に、神の力が及ぼす影響を意識して人選をしていたのを思えば、降臨時には力を抑えるぐらいの配慮位はしそうではある。

 常識では測れない力を持っているのが神であり、そして下位ではあっても神は神。
 人間から見て遥かに上位の存在に認められれば、その個人が他の人間からどういう扱いをされるかは容易に想像がつく。
 力を授かった人間は正しく神の使徒として扱われ、使命を果たした後にはその偉業を称えられて国を興したり、上手くやれば信仰の対象になったりすることも有り得る。

 ここまでなら神に選ばれた人間の英雄譚で終わるだけなのだが、実は近年、この神の使徒というのが新興宗教にはおいしいネタとなって使われてしまっている。
 ヤゼス教が一強となっているこの世界で、新しく宗教を興すというのは簡単なことではなく、比較されると胡散臭さで不利となる新興宗教は、初頭の信者を獲得するための起爆剤として、教祖が神の使途であると騙るのが横行していた。

 ヒリガシニもまた、この神の使徒と名乗って信者を獲得しようと企んではいたのだが、あくまでも騙りであるため、ろくに神の奇跡を示すことも出来ないせいで、組織の規模を拡大するのは想定より上手くいっていないらしい。
 それもそのはず、このヒリガシニは古からいる神ではなく、ある男が作り上げた架空の神だというのだから、知名度もなにもあったものではない。

 前に襲撃したアジトにいた、そこそこ偉い人間から聞き出したところによれば、教祖であるアルメンはある時、ヒリガシニと名乗る神の声を聞いて、人々を幸福へ導くためにヒリガシニの名を冠した組織を立ち上げたらしい。

 勿論、神の声を聞いて云々は完全に嘘で、実態は宗教を利用した詐欺だというのはもう分かっている。
 これはこの二日の間に襲撃したヒリガシニのアジトにいたそこそこ偉い人間を尋問して得た情報だ。
 どいつもはじめは口も硬かったが、少し尻の穴を異物でほじくってやったらあっさりと話してくれた。
 やはり男相手なら後ろの口に聞くべきだという教訓を得た日だった。

 新興宗教というのはまず信者集めに苦労するのだが、そこはさすが詐欺師だけあって、アルメンは言葉巧みに人心を誑かし、ファルダイフの街のマフィアと争えるレベルまで規模を大きくしていた。
 もっとも、構成員の多くが破落戸ばかりであるため、組織運営のための資金集めは芳しくないようだ。
 ファルダイフに来たのも、信者集めもそうだが、同時にカジノで潤う街の裏側のドル箱をかっさらおうという、なんとも浅はかな動機もあってのことだった。

 普通に考えれば、カジノを仕切っているマフィアを潰したところで、その稼ぎがそっくりそのまま懐に入ってくるなどとは思わないものだが、随分とヒリガシニの連中はアホだったらしい。
 とりあえず最大勢力に喧嘩を売ってみようと、特に深く考えずに手を出してみたようだが、あまりにも浅はかだと言わざるを得ない。

 なにせヒリガシニは、数こそ揃っているがどいつも腕っぷしはイマイチなのを、末端とやり合った俺はよく分かっている。
 あれが全てとは言わずとも、あそこから推測できる組織の兵力を考えれば、正直、あの兵隊の質でなぜ格上の組織とやり合おうと思ったのか不思議でならない。
 相手は曲がりなりにも、縄張りをしっかりと持つ暴力団だというのに。

 そのせいか、相手の縄張りだというだけの堅気に嫌がらせをするぐらいしか出来ておらず、それが今のヒリガシニの窮状を表してもいるようだ。

 ここまでヒリガシニは抗争で優位を得ることが出来ず、いずれは地盤の差で自らが破滅する未来がじわりと見えてきていたのだろう。
 まともな神経をしているなら、抗争などから手を引いて街を離れるのが賢いところだが、アルメンら組織のトップはそうはせず、一発逆転の目を夢想して、暗殺者の投入を決断した。

 どこにコネがあったのか、本当に暗殺者を雇った点に関しては大したものだと唸ってしまう。
 暗殺という最も卑劣で強力な手段を生業とする人間は、金を積んでどこかの掲示板に依頼を出せばすぐに見つかるというものではない。

 特に本物の一流ともなれば、連絡を取るだけで命の危険を覚悟する必要があるほどだ。
 どうにか自称暗殺者と繋ぎが取れたとして、依頼料だけ騙し取られるだけならまだいい方で、下手をすれば公権力の待ち伏せで逮捕されて処刑ルートまっしぐらも有り得るほどだ。

 それほど、暗殺者との連絡手段を手にするということは、ツチノコを見つけるようなレベルの幸運に恵まれる必要がある。
 そして、ヒリガシニはそのツチノコを見事探し当てたというわけだ。
 このあたりのことも、昨日ヒリガシニのアジトを襲撃した際に捕縛した、そこそこ偉い人から聞き出した。

 ではこのヒリガシニが雇った暗殺者だが、ターゲットとするのは誰かと言えば、普通なら敵対しているマフィアのボスとするところだが、それに関しては尋問した人間も知らなかった。
 とはいえ、ヒリガシニの連中はアホなりに考えがあるため、最優先ターゲットが天地会の会頭だというのは、組織内でそこそこの地位にいる人間で頭の悪くない奴なら予想は出来ているという。

 仮にそれが本当だとしたら、ヒリガシニも大胆というか考え無しというか…恐らく後者ではあるが。

 現状でも天地会はヒリガシニを最大限に警戒している中、会頭へ暗殺者を差し向けたとなれば、未だ街の裏でひっそりと起きている抗争の火は、一気に街全体へと燃え広がりかねない。
 天地会とヒリガシニ、両者の地力には大きな差があるため、その時が来ればヒリガシニの構成員は残らず狩られていくだろう。

 その時点で最早小競り合いと言えるレベルではなくなるため、ファルダイフの治安維持のために行政も重い腰を上げ、大規模な摘発が行われるに違いない。

 そしてそうなった時、件の暗殺者が果たしてそのままヒリガシニと共に大人しくお縄に着くのかという疑問はある。
 俺の予想だと、まず間違いなく仕事を終えればさっさと姿を晦ますはず。
 暗殺者というのは、仕事はきっちりとやった上で自身の身の安全を最大限に守る生き物なのだから。

 一応、意表をついて全く別のターゲットを狙うというパターンも有り得るが、そうなるとこちらの狙いと動きが違ってしまい、色々と面倒なことになる。
 そうなる前にさっさと暗殺者を討ち取ってしまうのが最善だ。
 俺にとっては、パーラをやった人間と遭遇さえできれば望みは果たされるのだ。

 正直なところ、天地会もヒリガシニも、今の抗争の行方すら俺はどうでもいいと思っている。
 なにせ天地会との繋がりはチコニアを通したものぐらいで、俺自身が向こうに肩入れするほどの縁もない。
 勿論、知り合いが肉親を失って悲しむ姿を見ないに越したことはないが、それはそれとして俺は自らの目的のために動く利己的な人間だ。

 そのために今日、俺はヒリガシニのトップが身を隠す場所へ向かう。
 ヒリガシニの切り札とも言える暗殺者がいるとしたら、アルメンを始めとした組織のトップと同じところだと推測したからだ。
 仮に一緒の場所にいなくとも、トップを押さえればそこから暗殺者への連絡手段を使って呼び出すなり乗り込むなりすればいいので、まず向かう先は決まっている。

 ではそのアルメンらがいる場所はどこかというと、てっきり他の奴ら同様、薄暗い倉庫やら廃屋に細んでいるかと思いきや、なんと街の東西に分かれて建つ塔のような建物の片割れである、西側にある方の建物の一角を奴らは塒としていた。
 尋問した人間の中に、トップとの連絡役としてたまたま来ていたのが混ざっていたおかげで知れた情報だ。

 この街で最も目立つ建物と言っていいそれらは、正式名称を東の方のは『ジュリアス・ファルダイフ』、西の方のは『ドニー・ファルダイフ』と付けられていた。
 しかしその呼称とは別に、街の人間はそれぞれの建つ位置から、単に西塔・東塔と呼ぶことが多いそうだ。

 東塔の方はファルダイフの行政が詰め込まれた役所として機能しているのに対し、西塔の方は超高級ホテルとして、セレブ御用達の宿となっている。
 高級を謳っているだけあって、他の宿に比べて一泊がとんでもなく高額になるのだが、それに見合うだけの充実した設備と確かなセキュリティで、利用者が満足する滞在を約束してくれるという。

 そんな宿だけあって、チェックイン時には宿泊客にも確かな身元確認が求められ、当然ながら脛に傷のある人間などは門前払いどころか即座に衛兵へと突き出される。
 そこへアルメンらは問題なく、もう何日も宿泊しているという。

 そもそもギルドカードという仕組みがあるおかげで、明確な犯罪者が街中に入ることがまず無理なのだから、ここに潜り込んでいるヒリガシニの人間は、少なくとも記録に残るような犯罪は犯していないということになる。
 あるいは詐欺師に相応しい何らかのズルでもしてるのか。

 いずれにしても、外から無理矢理押し入ることが難しい場所だけに、アルメンらも安心して塒に出来るのだろう。
 たとえそこに潜んでいるのが悪辣な新興宗教のトップ達であっても、客であるならホテル側は守ろうとする。
 正面から殴り込みなどしたら、即刻俺はお尋ね者だ。

 普通ならホテルのフロントで取り次ぎを頼むのが正攻法だが、いきなり訪ねてきた見知らぬ人間に会おうとするほど、連中も無警戒ではない。

 なにより、俺がのこのこと訪ねていくことで連中に警戒されるのがまずい。
 迎え撃たれるならまだしも、一時退却で行方を晦まされると面倒だ。
 ヒリガシニの人間はどうでもいいが、パーラをやった暗殺者は絶対に逃がしたくない。
 やるなら相手が無防備な所を突き、一気に襲うべきだろう。





 陽が落ちる前、俺は噴射装置を使って西塔の屋上へと辿り着き、適当な物陰に身を潜めた。
 セキュリティがしっかりしていると言っても、流石に人間が生身で空を駆けて屋上へ来ることなどホテル側も想定していないようで、辺りには特に警戒装置の類は設置されていない。

 ただ、唯一の防犯対策なのか、この屋上からはホテル内へと通じる扉らしきものは無く、目的の人物を見つけるには地道に一部屋ずつ外から探していくしかない。
 高級ホテルだけあって、ここの客室はどこも窓にはガラスが使われており、少し像はぼやけるが室内の様子は十分うかがえる。

 覗きがバレないよう慎重に噴射装置やラペリングなどであちこち見てみたところ、一つだけそれらしい部屋を見つけることが出来た。
 西塔のやや下寄りの中層階の部屋の一つに、明らかにツインかそれよりもわずかに広い程度の部屋に、不自然に多い数の人間の気配があったのだ。

 宿代を節約したい大家族が泊まっていると言われればそうかと思ってしまいそうだが、このレベルのホテルに泊まっている時点でそれはまずないだろう。
 それに室内は人がいるというのにあまりにも静かで、おまけに微かに剣呑な気配も感じられたこともあり、まず間違いないと確信している。

 明るい内は静かなものだったが、陽が落ちてからは酒でも飲み始めたようで、騒ぐとまではいかずともそこそこ賑やかな雰囲気が、窓の外から様子を窺っていた俺にまで伝わってきていた。
 室内の会話までは聞き取れなかったが、時折笑い声が起きていたこともあって、今まさに襲撃されようとしているとは思えない暢気さだ。
 もっとも、このホテルの警備からすれば、奇襲されることなど普通はあり得ないのでわからんでもない。

 その酒盛りもしばらくするとお開きになったようで、室内の明かりが落とされると宿泊客は眠りに着いたのか、すっかり静かになっている。
 今は深夜を回っていて、あと四・五時間もすれば朝日が昇るという暗闇が濃い時間帯だ。
 闇に紛れて目標とするバルコニーへとワイヤーを垂らし、それを伝って静かに降りる。

 静粛性を重視したのと、これから突入する先では噴射装置がかさばるため、ラペリングでの移動となった。
 ほぼ無音で降着をし、すぐに窓へとくっついて開閉を調べてみるが、しっかりと戸締りはされていて、穏やかに中へ入るのは難しい。

 そうとなれば、ここはこの窓ガラスにちょっとした穴を空けて、そこから腕を差し込んで内鍵を開けるしかなさそうだ。

 この世界では貴重なガラス窓も、強化ガラスなどとは程遠いもので、ちょっとした衝撃でも壊せるぐらいの固さしかない。
 そのため、雑に扱うとすぐに大きな音共に砕けてしまうため、室内で寝こけている連中を起こさないためにも慎重に窓を破るべく、可変籠手を錐に変化させた次の瞬間、目の前のガラスが唐突に砕け散る。
 そして、その破片となったガラスが俺へと襲い掛かって来た。

「ちぃっ!?」

 突然のことに驚くと共に、とっさにガラス片から守るために顔を腕で覆うと、バルコニーの端まで一気に飛び退る。
 そして、その俺に動きに合わせるようにして、室内から人影が飛び出してきた。
 その人影こそがガラスを破った犯人で、ガラスのシャワーを味方にしながら、俺へと剣閃を繰り出してくる。

 微かな星明りを受けて煌めく剣が迫るが、それに打ち合わせるようにして可変籠手を刃に変えて受け止めた。
 一撃目は不意を突かれて僅かに肌を掠めたが、二撃目は対応を意識して辛うじて凌ぎ、三撃目以降は多少生まれた余裕で危なげなく防いでいく。

 視界は相変わらず夜の闇で悪いが、時折金属同士が火花が生みだす明るさで打ち合っていると、相手の姿が薄っすらと見えてきた。
 俺を攻撃している目の前の人物は全身をローブで覆っており、たとえ明るい中でも確とした容姿は分からないだろうが、しかし剣の腕だけを見れば俺が目当てとしていた人物の可能性は大きい。

「はっはっはっは!なんだ!コソコソとこちらを覗く陰気な奴かと思ったら、なかなかどうして!大した剣士だな!面白い!」

 完全に防がれている現状に、向こうは何か面白いものを感じたのか、随分と楽しそうな声を上げる。
 もうこいつは暗殺者と断定しているが、だとしたら性格的に向いているとは思えないほど、その言い様は戦闘狂の気を感じさせるものがあった。
 どこか戦いを楽しんでいる様子は、今までも何人か見てきたバトルジャンキーそのものだ。
 暗殺者というのはもっとこう、陰気で孤独なものだという俺の考えはもう古いのだろうか。

「生憎、俺は剣士じゃない!にしてもあんた、俺が監視してたのに気付いてたみたいだな!?」

「最初は気のせいかとも思っていた!だが時間が経つにつれて、ああも向けられている視線が強まっていくのを感じてはな!」

 目の前の敵が吐いたその言葉に、つい舌打ちが出る。
 気配を消して監視していたつもりだったが、連中に向ける視線にはつい色々と感情が乗せてしまっていたのかもしれない。
 こちらから奇襲をかけるつもりが逆に奇襲された以上、勘の良さでは向こうが上だったということだ。

 今日までにヒリガシニのアジトをいくつか襲撃していたため、そこから俺のことが伝わっていたというのも考えていたが、この様子だとそれはなさそうだ。

「…その手甲の剣!前に同じのを使っていた女がいたな!あいつの仲間か!?」

 剣を防いでいる俺の可変籠手を見た男のその言葉に、目の前の人物がパーラをやった奴とこれで確定した。
 パーラが俺の所に運び込まれた時には可変籠手を身に着けていたし、戦闘があったと分かる程度に汚れもあったため、こいつと戦った時には可変籠手が武器として活躍したというのは想像に難くない。
 その時に見た可変籠手が、こいつにはかなり印象に残っていたと見える。

「ああそうだ。あんたがやった奴の敵、ここで討たせてもらう!」

「はっはー!なんだ、あの女!死んだか!?そいつは残念だ。どうせ死ぬなら、俺の剣に血を吸わせてやれればよかった!勿体ない!」

 実際はパーラは生きているのだが、俺の物言いでそう誤解させてしまったらしい。
 別に否定する義理もないので、ここは勘違いさせたままにしておこう。

 ガリーから聞いていた話だと、この暗殺者は仕事前に女を斬殺するのをルーティンとしているタイプのようで、その人間性はクソではあるがなるほど、確かに剣の腕は中々のものだ。
 微かに感じる剣術を習った者特有の整った剣は、暗殺者などに身をやつさず真っ当に剣術を治めていればどれほどの剣士となっていたかを惜しんでしまいそうだ。

 こうして打ち合っていても、致命的とは言えないまでも鋭い剣の冴えには肝を冷やす場面もいくらかあった。
 だが初撃以降は危なげなく俺が捌けている以上、最強のレベルには未だ程遠いと言った程度だ。

 向こうも、こちらを殺そうと繰り出している攻撃が悉く防がれていることにそろそろ飽きてきたのか、楽し気だった気配はもうすっかり引っ込んでいる。
 もはや語る口すら惜しいと、黙ったままで振るう剣は突きを主体としたものへと変わっており、恐ろしく速い突き手と引き手の交互の動きは、とても一本の剣のみで行われているとは思えないような密度でこちらを攻め立ててきた。

 並みの人間なら、この速度の突きに晒されれば数秒も経たずに細切れになりそうだが、こっちは左右の可変籠手を刃にした二刀流で手数を補っていく。
 攻め手と受け手、体力の消耗を考えればどちらに分があるかは言うまでもないが、こうしていても向こうの勢いが弱まる気配がないため、ここらで流れを変えようと打ち合う剣戟の合間に雷魔術を発動させる。

 バチリという音と共に、金属同士がぶつかって起きる火花以外の光を生みながら、目の前の男へ電撃の枝が襲い掛かった。
 発動時間の短さを優先したため、命中したところで命を奪うとまではいかないが、それでも気絶する程度の威力を持った電撃だ。
 感電し、倒れ伏す男の姿を確信していた俺だったが、実際はそうはならなかった。

「おっと!」

 突然、俺の視界を遮る様に布の壁が生み出され、それに阻害されて電撃は敵にまでは届かなかったのだ。
 どうやら纏っていたマントを盾代わりに使ったようで、貫通力のない電撃は男の体まで届くことなく散ってしまった。
 そして、男はその場から下がると、距離を十分とった位置で剣を構えて調えるように息を吐いた。

「…やっぱり魔術師だったか。あの女の仲間だってんなら、そうかもと思ったがな。なんだ?今のは。火でもなければ風でもないが…」

 忌々しそうに、しかしどこか納得尽くのような声の調子は、こうなることなど予想出来ていたという余裕が込められている。

「さて、なんだろうな。正直に教えてやるほど、俺も素直じゃないんでね。でもあんた、今のはいい動きしてたよ。暗殺者なんてやってるのが勿体ないくらいだ。今からでも罪を償って真っ当な剣士を目指したらどうだ?」

 これに関しては、嘘偽りない俺の本心だ。
 たった今の動きを見ただけでも、この男の強さはそこらの剣士よりも確実に高いレベルにあると言っていい。
 それだけに、暗殺者などに身をやつしているのが惜しい。

 この世界ではある一定の強さに届く者は、大抵が魔術の発動を敏感に察知でき、今も硬直することなくああして動けたのは、この男がそのレベルへと手が届いている証拠だ。
 雷に限らず、火や水であっても厚手のマントなら多少威力を弱めることは期待でき、そしてあの身のこなしなら一瞬でも防御が出来れば、退避は可能だという自信もあったのだろう。

 これほどやれるとなれば、次からは下手に魔術を使えば、その隙を突かれてこっちがやられる可能性もある。

 できればさっさと魔術で片づけたかったが、こうなると肉弾戦でいくか、どこかで隙を作って強力な魔術を叩き込むしかなさそうだ。
 どちらにせよ、一筋縄ではいかない相手ではある。

「はっ、誰が。好きに人を斬って金を稼ぐ今に、俺は十分満足してるんだ。他の生き方なんざできんし、するつもりもない」

「だろうな。あんたはそういう人間だとなんとなくわかってたよ」

 一応、ここで暗殺業から足を洗うというのなら、ボコボコにした上で衛兵に突き出すという選択肢もなくはなかったが、それも無駄な気遣いだったようだ。

 ―ひ、ひぃい!?なんだあいつは!?

 ―アルメン様!落ち着いて!私らがいますから!

 ―とにかく俺達の後ろへ!

 睨みあう俺達とは別に、窓が破られてしまって丸見えとなった室内では、アルメンとその取り巻きと思しきに数人の人間が何やら騒いでいる。
 いつの間にか点けたのか、魔道具のランプの微かな明かりに照らされ、金髪の若い男とそれを背後に庇いながらこちらを睨む鬼人族の男女という光景があった。
 護衛役と思しき鬼人族に守られていることから、あの金髪の優男がアルメンで間違いないだろう。

 急なこととはいえあそこまでの情けない慌てようでは、一組織のトップとしての器も知れる。
 しかしあの様子だと、俺の襲撃を察知していたはずの暗殺者の男は、直前までアルメンらには伝えていなかったように思える。
 もし知っていれば、とっくに他所へ避難しているはずだからな。

 ―おい灰爪はいづめ!大丈夫なんだろうな!?そいつをやれるんだろ!?さっさとやっちまえよ!

「…ちっ、やかましいな。貰った金の分は働く。黙って見とけ」

 アルメンは若干恐慌気味にどうにかしろと命令し、それに暗殺者の男は面倒そうな声で答える。
 雇用関係にはあるが、それ以上の仲ではないのは今のやり取りで明らかだ。
 俺の襲撃を直前まで知らせなかったのも、アルメンらと話をするのを面倒くさがったからというのもあり得そうだ。

「灰爪?それがあんたの名前か?」

「ああ、そうだ。この仕事をしてる時はそう名乗ってる」

 ここで初めて、暗殺者の名前らしきものが分かったが、コードネーム的に使われている呼称だろう。
 向こうも特に濁すこともせず、あっさりと肯定する。
 まぁ暗殺者が本名で活動しているわけがないので、知られたところで大して問題もないしな。
 知られたくなかったとしても、殺してしまえば秘密は守られるといったところか。

 相手の名前も知れて、仕切り直しというわけではないが、折角距離が離れたのでこっそり魔術を発動させて仕掛けようと思った次の瞬間、高速の突きが俺の顔目がけて放たれた。

(ちっ、やっぱり魔術の発動を隙と見做すか!)

 攻撃を回避すると共に舌を打ち、的確なタイミングで攻撃に出た灰爪の判断力に感嘆も覚える。
 集中力が求められる魔術の発動には、どんなに練度を高めたとて完全に隙をけすことはできない。
 一流ならその隙を察知して、攻めるきっかけとするのも当たり前だろう。

 迫る剣への防御を優先するために魔術の発動をキャンセルし、集めた魔力をそのまま瞬間的に身体強化へ回す。
 喉を狙った一撃を可変籠手の甲の部分で受け流し、次に右脛を狙ってきた剣を足で蹴り上げて防ぐ。

 俺の腕に鳩尾、額に股間と立て続けに襲い掛かる剣への対処に追われながら、ふと視線が一瞬だけ部屋の隅の方へと吸い寄せられる。
 そこには身を潜めるようにゆっくりとした動きで部屋の奥へと移動を始めていた、アルメン達の姿があった。

 身の安全を考えればなるほど、灰爪と俺が戦っている今のうちにどこかへ避難しようというのは正しい判断だ。
 灰爪と打ち合いながら、アルメンらをどうにか足止めしようかとも考えたが、放っておくことにした。
 あれらが暗殺者を呼び寄せたという点では、間接的にはパーラの仇ではあるが、やはり灰爪を倒す方が優先される。

 俺自身、新興宗教にいいイメージはないが、今目の前の標的を放ってまであれらをどうにかしようと思っちゃいない。
 それに、ここを離れた所であいつらに行く場所があるかどうか。
 なにせ、ヒリガシニのアジトは俺がいくつか潰しているし、天地会に引き渡した構成員が今頃口を割っていれば、残りの潜伏場所が摘発されている可能性は高い。

 それどころか、ひょっとするとアルメン達がここにいることはとっくに天地会側にはバレていて、ホテルの周辺に天地会の私兵の一人や二人、張り込ませていたとしても不思議はない。
 仮にここを切り抜けたとして、大きく勢いを落とすことになるヒリガシニが、ファルダイフで活動を続けるのは厳しくなるため、奴らに明るい未来が待っているとは到底思えない。

「ふん!どうした!俺の後ろが気になるか!?」

 ほんの一瞬視線を外しただけだというのに、正確に俺の意識の向いた先を察した灰爪は、戦士としては大した勘を備えているようだ。
 言いながらさらに強く押しこまれてきた剣を、こちらもより強い力で弾くと、辺りに散る火花の数がさらに増えた。

「ぬ!?ああ、まぁな!いいのか!?雇い主がどっかに行くみたいだぞ!」

「関係ないね!今は貴様を殺すことが先だ!」

 アルメン達を追って背中を見せてくれれば、一気に方が付けられると誘い水を向けてみるが、あまり効果はなかったか。

「はん!そうかい!そりゃこっちも同じだ!」

 戦闘狂らしいもの言いだが、俺だって灰爪を倒すべくここにいるのだ。
 激しくぶつかり合う男二人、奇しくも思いは同じということか。

 そう、今は逃げるアルメンなどどうでもいい。
 こいつを叩きのめす、ただその一心だけで戦うのみ。
 パーラの負った痛み、熨斗つけて返してやるから覚悟しとけ、イカレ暗殺クソ野郎。
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