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路地裏の死闘

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 SIDE:パーラ




『剣士を相手にするなら、大事なのはまず第一に間合いだ。どこまで剣が届くか、また肉薄しても相手どれだけ対応できるかを見極めれば、負けることはない』

 私が知る中で最強と呼んで間違いない剣士である、チャスリウス公国筆頭騎士ルネイ・アロ・ユーイから以前に受けた助言がこれだ。
 自分よりも強い剣士を相手取る際、技術以前の心得として教えられたものではあるが、今日まで私より強い剣士というのはネイさん以外には出会ったこともないので、正直、記憶としては完全に薄れて消えかけていた。

 だがそれが今、ファルダイフの路地裏で出会った男を前にして記憶は鮮明に蘇り、戦いに備えて私の体は目の前のあらゆる情報を得るべく感覚が研ぎ澄まされていく。

 構えと気配だけでも手練れと分かる男と対峙しながら、背後には腰が引け切ってへたり込んでいる女を一人を庇うという状況はあまりよろしくない。
 敵の手の内も強さも明らかではない場合、逃げるという選択肢が最善なのだが、まず無理だろう。

 今も震えながら私の足を掴んで離さない女性は、逃げるどころか立ち上がることも当分は無理そうだし、彼女を抱えて走るにも私の足の怪我が問題になる。
 この場に駆け込んできた際、少し無理をしたせいでまた痛みが出てきていて、瞬間的な動きならともかく、持続して足に負担をかけるのは今は避けたい。

 なにより、この男に背中を見せた瞬間に斬りかかられる未来が容易に想像できる以上、やはり正面から戦って勝つか、せめて行動不能にしてからこの場を後にするのが妥当だ。
 足の動きを使わずに戦うのも難しい話だが、魔術師である私なら剣士相手でもやりようもある。

 理想を言えば、もう少し距離があれば魔術で圧倒できるのだが、互いの距離が二メートルもない現状は剣士にとって必殺の間合いと言っていい。
 一息で踏み込んで剣が届く距離に、背後には人を抱えて、しかも狭い路地裏という場所は、近接戦闘を得意とする人間にあまりにも天秤が傾きすぎていて嫌になる。

 獣人化すればもう少しましになるかもしれないが、それでも足に負った怪我は治らないので、結局動きは制限されたままでの戦いを強いられるだろう。

 これだけ向こうに好条件が揃って、慢心してくれればそこに付け入る隙も作りやすいのだが、先程の一瞬の交差で剣を防いだ私を男は警戒しており、こちらを向く剣の先は常に私の喉元を狙うような位置を保ち続けていた。
 侮りはせず、しかし余裕は崩さないその様子に、間違いなくただではすまない戦いがこの後に待っていると予感させられる。

 とはいえ、向こうは剣を使う以上、構える・狙う・振るという動作が必要であるのに対して、私は魔術を詠唱なしで発動させられる。
 攻撃の起こりに関しては私が先制できる余地はあると、早速掌に風を集めようと魔力を高めたその瞬間、男の手にしていた剣が一瞬ブレた。

「ふっ!」

「きゃぁあぅっ!?」

 突如訪れた変化に、私は何が起きたかを理解するよりも早く、本能で体を動かしていた。
 強く息を吐き、両手を交差させた可変籠手で胸の前を守りつつ、足にしがみついている女ごともつれるようにして背後へと倒れ込む。
 突然の体勢の変化で女は悲鳴を上げるが、守られているのならそれぐらいは我慢してほしい。

(この男、速い!)

 私の数少ない経験でも、これまで戦った剣士と比べて動作の起こりに無駄も予兆もほとんど見られない。
 躱すことが出来たのは、目と耳での察知に加えて、勘によるところが大きい。
 狼の加護の影響か、私の勘所は中々の冴えがあると自負している。

 攻撃の始点こそ見逃したが、しかし全てを見逃すほど私も間抜けではない。
 男が放ったのが、私の喉を狙った突きだというのは一瞬遅れてではあるが気付く。
 戦いにおいて一瞬とはいえ攻撃を見逃すのは致命的ではあるが、こちらとて一度の失敗で命をくれてやるほど潔くもない。

 ギャリっという金属同士がこすれる音と共に、私の可変籠手の上を滑るようにして通り過ぎていく切っ先が見えた。
 少し遅れて舞う私の髪の毛の房が、その剣によっていくらか斬られていき、可変籠手で逸らすのと私が体を後ろに倒していなければ、その剣は間違いなく私の喉を裂いていたころだろう。

 後ろへ倒れ込みつつ、攻撃を回避されたことに驚愕しているであろうフードに隠れた男の顔目がけ、お返しにと身体強化で加速させた足を振るう。
 片足は未だ女の抱擁に独占されてはいるが、もう片方は十分に使えるため、顔面を陥没させるつもりで蹴り抜く。

 骨を砕く手応え…いや足応えを期待していたが、蹴りは男のフードを微かにはためかせるだけに終わる。
 蹴りが放たれる一瞬前、男はまるでそれを予想していたように体の向きを変えることで、私の蹴りをほんの少しの動きだけで躱したようだ。

 なんとなく、フードの中の顔に笑みが見えた気がした。
 勿論、顔なんて見えないのだから気のせいに違いないのだが、しかしなぜか実際にそんな印象を受ける。

 こちらの反撃が不発に終わったことを嘲笑いでもしたか、直後、突き手で伸ばされていた腕を地面に倒れ込もうとしている私目がけて振るう。

 剣術なのか単純な身体能力なのかは分からないが、攻撃直後の体勢から回避、そしてまた次の攻撃へと移った男の技量は見事の一言に尽きる。
 並の人間なら迫りくる死の運命に抗うことは出来なかっただろう。

 そう、並の人間ならね、と敢えて言わせてもらおう。

 生憎こういう体勢からでも攻撃する手段を持っているのが、魔術師という生き物なのだ。
 蹴りの姿勢のまま伸ばされていた私の足には、とっくに風が纏わりついている。
 瞬間的に練り上げたために威力こそ心許ないが、発動速度だけは他のどの魔術にも負けない。

 その風を纏め上げ、槌のようにして男の顔の真横へと撃ちだす。
 フードで正確な位置は分からないが、凡その狙いをつけて男の顎先を狙う。
 脳震盪の一つでも起こせれば、この戦いは私の勝ちだが…そう上手くはいかないのが世の常。

「っちぃ!?」

 風は本来目には見えないが、しかし予兆は隠しようがない現象である。
 滞空する塵の動きや肌で感じる空気の流れなど、人によって方法は様々だが、風魔術の発生を察知することは全く不可能というわけではない。

 突然顔の横に発生した風に気付いた男は、舌打ちと共に自らの攻撃を中断すると、跳ね上がるようにしてその場から飛び退った。
 判断が早い。
 反応の速さから、魔術の発生を察知

 直後、強烈な風の槌が一瞬前まであった男の顔の位置を通り過ぎ、そのまま少し離れた所にあった壁に掌大の円痕を刻む。
 当たればあの通り、石造りの壁に傷をつける程度の威力はあっただけに、躱されてしまうと次からは警戒されて同じ手は通じなくなる。

 相手の力量が想定以上だったとはいえ、今ので仕留めきれなかったのが悔やまれる。
 こっちは今ので結構足に無理させたせいで、また痛みが増してきたというのに。

 戦いはまだ続くと判断し、半ば仰向け状態だった体勢を強引に戻し、背後に転がる女を一瞥だけして、すぐ前へと意識を集中させる。
 男が後退したことで若干距離は離れたが、まだまだ向こうの間合いの内と見做して警戒すべきだ。

「なんて足癖の悪い女だ。おまけに魔術師だったとはな」

 忌々しそうでありながらどこか楽し気な声を上げる男は、私が魔術師だと知っても戦闘を止める様子もなく、剣を握り直すとすぐにまたこちらへ飛び掛かって来た。
 魔術師相手に距離を詰めることは剣士の最善手であり、男もそれを理解して決して距離を空けようとはしない。

 先程の速度だけが優る突きと違い、今度は全身を捻るようにして繰り出す横薙ぎの一撃が私に迫る。
 何もしなければ私の腹がパックリと裂けてしまうわけだが、当然それをよしとはせずに可変籠手で剣を迎え撃つ。

 刃状に展開した両手の可変籠手を、迫る剣と打ち合わせるようにして振るう。
 ぶつかり合う金属が悲鳴のような音を鳴り響かせながら、男の剣は速度を上げて連撃となって私に襲い掛かって来た。
 一撃一撃が重く、的確にこちらを仕留めようとあらゆる方向から迫る剣をいなすべく、魔力を腕と目に集中させての強化でようやく防げているのだが、これはかなりまずい状況だ。

 こちらが両手で手数は勝っているはずなのに、一本であるはずの男の剣が何本にも感じてしまうほどの密度の連撃。
 おまけに男の方はまだ余裕のありそうな気配を見せており、このままだとこちらの体力が尽きてやられる未来が薄っすらと見え始めている。

「その籠手!変わった武器だな!剣へと形を変えるのは面白い!どこで手に入れた!?」

「くっ!答える義理は!ない…ね!」

 打ち合いの中、可変籠手に興味を示した男がそんなことを聞いてくるが、馬鹿正直に可変籠手のことを教えてやるつもりはない。
 そもそも、まともに答える余裕がないのだが。

「そうかい!なら殺してでも奪い取る!」

「やれるもん、なら…やってみ、な!」

 男がそう言うのと同時に、剣の速度が一段上がった。
 こちらは着いていくのに精一杯だったのが、これによって徐々に押されてきた。
 今はまだギリギリ防げているが、恐らくあと十合…いや、六合も剣を合わせれば打ち負ける。

 どうにか向こうの隙を作って一息つくか、せめて背後を気遣いながらの状態をどうにかしたいが…仕方ない。
 ちょっと手荒になるが、背後に庇う女にはここらで退場してもらうとしよう。

 ほんの一瞬、普通なら隙ともなりえないほどに短く男が息を整えるのに合わせ、私は強引に体ごと剣を押し込んで距離を詰める。
 呼吸の隙をついたおかげで、男と剣で競り合うように体がぶつかり、その状態でわずかに膠着状態が生まれた。

「はははっ!思い切った行動だ!悪くない!」

「それはどうも!後ろの人!」

 渾身の力で押しているというのに、笑みすら浮かべて余裕を見せる男に苛立ちを覚えるが、これで男の動きは制限できた。
 意識は男の方に残したまま、視線を後ろに向けてそこにいる女性の声をかける。

 本当なら名前を聞き出してからゆっくり諭してこの場から遠ざけたいところだが、今はそんな暇が一ミリもない。
 やや大雑把な口調になるのも分かってほしい。

「……え、あ、わ、私!?」

「そうあんた!今のうちにさっさと逃げて!とにかくここから離れるの!」

 突然戦闘中の人間から声を駆けられて焦っているようだが、そんな反応にどうこう応える暇も惜しみ、とにかく声で彼女の尻を叩いてせっつく。
 なんでもいいからどっかに行って欲しいと、そう願って賭けた言葉だったが、彼女の方はそれを受けても狼狽えるばかりで、一向に動こうとしない。

 恐らく、目の前で突然発生した命の取り合いと、その切っ掛けとなった自分へ迫る刃の恐怖が未だに彼女の足を縛っているのだろう。

「早く立って!いつまでもここにいたら、こいつにまた斬りかかられるよ!それでもいいの!?」

 少し酷だが、殺されかけた記憶を刺激してみる。
 いつまでも動かないのなら、恐怖心を煽るのも一つの手だ。

「ひっ…ぃ、やぁああー!」

 すると効果は覿面だったのか、女の体が大きく跳ねるようにして震えを見せると、そのまま地を這うようにして路地の奥の方へと逃げていく。
 その姿と声は無様なものだが、死が背後から追ってくるかもしれないと考える一般人の反応としては当然のものだろう。

 できれば彼女には衛兵でも連れてきてもらえればありがたいが、あの様子だとそこまで考えが回るかどうか。

「…意外だね。あの人を見逃すんだ?」

 女の姿が路地の向こうに消えたところで、競り合った状態のままで男にそう尋ねてみる。
 私自身、男を完璧に抑え込めているとは思っていないため、少し無理をしてでもあの女の背中に斬りかかる可能性も考えていた。
 だが実際はあの女のことなどもう眼中にないとばかりに、私との押し合いに興じている。

「まぁな。あの女に用があったのはさっきまでの話だ。今はもう、あれが逃げようが死のうがどうでもいい。こっちで遊ぶ方が面白いからな」

 そんな男の楽し気な声の後、ギリッという音と共に、私の方へとさらに剣が押し込まれてくる。
 どうやら男にとっての興味は既に私へと移っているようで、この殺し合いを心底楽しもうとしている狂的なものを感じてしまう。

「私はちっとも面白くないけどねっ。…あんた、今まで何人の娼婦を殺してきた?」

「さて、何人だったか。覚えてないな。日々食べるパンを一々数えるか?」

「殺人と食事は別でしょ。イカれてるよ、あんた」

 食事をするような当たり前の感覚で人を殺してきた人間を相手に、問答を続けるのすら気持ち悪くなってくる。
 こういう手合いは同じ人間などと思わず、さっさと殺すか二度と会わないのを祈って立ち去るかの二択が正しい。

「まぁ聞け。今のは聞かれたからパンに例えたが、実際はもうちょっと違う。俺は所謂暗殺ってのを生業にしてるんだが、この街にもその仕事で来ててな。で、仕事の前に俺は剣を試し切りするってのを自分に課してるんだ。特に女の肌を切り裂く手応えを覚えたまま仕事に臨むと気分が段違いよ。今じゃこれなしで仕事なんざやる気にもならねぇってぐらいさ」

 聞いてもいないことをよくもまぁべらべらと。
 だがなるほど、わざわざ娼婦を買って路地裏で殺そうとしたのはそういうわけか。
 それになんの意味があるのかは分からないが、本人が今までそうしてきた仕事の前の流儀を欠かせないがために、こうして今私と命の取り合いをしているわけだ。

「へぇ、あんたっ、暗殺者だったんだ。初めて見た…よっ」

 話しをしながらも男の力は弱まることはなく、私は会話に応じるふりをして体勢を崩そうとしかけて見るも、一向に効果はない。
 体格的にとても釣り合うと思えないその膂力は、確実に身体強化かそれに類する技術が使われているとしか思えない。

「そりゃそうだろ。暗殺者をその目で見るってのは、依頼する時か殺される時のどっちかだ。機会なんてそうそうないもんさ」

 男の言う通りだ。
 暗殺というのは表に出てはいけない殺人であり、簡単に繋ぎが付けられるようでは暗殺者を名乗るもんじゃない。
 もし仮に最強の暗殺者と呼ばれる者がいたとしたら、そいつはもう一流ではなく、暗殺の実行犯と知れ渡っている間抜けだ。

 そう言う意味では、殺し合いの間でも顔を隠すフードを、視界が悪いと分かった上で被り続けている目の前の男は暗殺者として正しい姿を見せている。

「あんた、仕事で来たって言ったけどっ、誰を暗殺するつもりなの?」

「はっはっは!そいつは言えんよ。これから死ぬ人間とはいえ、暗殺対象を明かすのは信義に背く。これでも仕事は真面目に取り組む質なんでな!」

「くっ!」

 笑ったかと思えば、急に強烈な殺気を噴き出してくる男の精神はどうなっているのか。
 もっとも、あっさりと自分の正体を語った時点で、まともな人間としての期待はとうに失せている。
 これから殺す人間には何を知られてもいいというわけだ。

 会話はこれで終わりだと、競り合う体勢から無理矢理に私を引き剥がし、僅かに空いた距離を見逃さずに剣が再び私へと迫る。

 多少息を付けた私はその剣を弾くことは出来たが、続けざまに第二、第三の攻撃が襲い掛かってくる。
 ここまでのやりあいで分かってきたこととして、男の強さを支えているのが剣術は勿論として、とにかく剣の引き手が異常に早いことがある。

 突きや払いを繰り出した後、次の攻撃に備えるために一度剣を引き戻す動作が、目で追うのが難しいほどの高速で行われているのだ。
 一つ一つの動作の中で特に抜きんでて早い引き手のおかげで、私が瞬きする間に二発の剣撃が繰り出され、攻撃に絶え間がない。

 可変籠手が変形した刃が両手に二本、それでようやく防げている状態は、決して余裕があるとは言い難いが、しかし先程と違って気持ちとしては多少ゆとりを持てている。
 なにせ、あの娼婦の女性がいなくなったおかげで、背後を庇う必要がなくなったのだから。

 枷となるものが減り、この戦いも最早続ける意義が薄れた以上、さっさと終わらせるべく動くとしよう。

 まだ完璧に対処できているとは言い難いが、それでも剣を弾くか逸らし、時には武器破壊を試みるまで出来るようになったことで、男の方からは驚いているような気配が漏れ出ていた。

「おいおいおいおいおい!どうしたよ!?さっきより歯ごたえがあるじゃないか!なんだお前!守るのがない方が強いって口か!?」

 刃同士がぶつかってあげる金属音に交じって投げかけられる声は、どこか歓喜が混ざっており、人を殺すことに喜びや楽しみを感じる人間特有の不気味さがあった。

「さあ!どうっ、かな!?」

 実際背後を気にしないで戦えるのは楽なのは確かだが、向こうの言い分をそのまま肯定するのは癪なので軽くとぼけておく。

「はっはぁーっ!まぁ気持ちはわかるがね!剣とは命を刈り取る刃!何かを守りながら振るってはその切れ味も鈍る!目の前の敵を殺すことだけを考えて振るわれる剣こそが最も美しい!」

「そりゃ人殺しの言い分だね!守るための剣の方が奇麗でしょ!」

「言うじゃあないか!ふぅっ!」

 ふざけたことを言いながらも、男の剣は鋭さを保ったままに速度が上がる。
 まだ底がなかったことに驚きと恐怖を抱きつつ、その変化に一瞬対応が遅れた私の刃は、男の剣を一撃だけ見逃してしまった。

 まるで吸い込まれるようにして、私の左肩へと剣が突き刺さる。
 私の体内から聞こえてきた、硬い肉が断ち切られるようなブツリブツリという嫌な音と共に、剣がめり込んでいく感覚に少し遅れ、広がる激痛と熱が私の口から絶叫を引きずり出した。

「ッッ…ぁぁぁああああ!ぐっぅうう!」(くそ痛っ…やば、死―血…噴き)

 予想はしていたけど、その倍―いや百倍、千倍ぐらい痛い!
 怪我をするのは初めてじゃないにしても、こうもズッポシと剣が肩を貫通するのは初めてで、辛うじて痛いという言葉を口にしなかったのは意地みたいなものだ。

「うはっ!」

 そんな私の叫び声に満足したような、男の楽し気な笑い声が短く聞こえてきた。
 言動に窺えた人を斬ることに快楽を覚えている節があったことから、私に剣を突き立てたのがよほど嬉しいようだ。

 そのままさらに剣を捻りながら押し込もうとしてくるが、それをただ許すほど私も間抜けじゃない。
 剣が私の肩に刺さっているということは、今この瞬間、目の前にある男の体は無防備と言える。

 ようやく訪れた好機を生かすべく、右の可変籠手を砲形態に変形させて男の胴へと向ける。
 本当に僅かな時間だが、衝撃砲に力を溜める時間が出来て助かった。

 刃状から筒型に形を変えた籠手に怪訝そうな気配を見せる男だったが、そこになにかを感じ取ったのか、剣を押し込むために力を込めていたのを反転させて引き抜く動作へと変える。
 ゾプリという音と激痛だけを残して剣が私の肩から去ったが、それを決断するのはほんのちょっぴり遅かった。

 既に発射寸前へと至っていた可変籠手は、私の操作で蓄えた力を一気に解き放つ。
 だが恐るべきことに、男はその脅威的な引手で剣を自分の体の前へと持っていくのに間に合わせるが、それでは衝撃波を防ぎきれない。

 路地裏を揺るがすような轟音と共に、男の体に不可視の衝撃波が襲い掛かった。

 男は辛うじて急所をどうにか庇いつつ、後方の壁目がけて勢いよく吹っ飛んでいく様は、普通ならそこで勝負ありだわ。
 これが並の敵なら、暗がりの中に立ち上る土煙の向こうでは、きっと倒れ伏している姿があるのだろう。

 けど、刃を合わせたからこそ分かる。
 あれで奴が終わるわけがない。
 すぐにまた立ち上がって、戦いが再開されるのは確実だ。

 だからこそ、この機に私は逃げる。
 剣でやりあっても勝てる見込みはないし、魔術を使う隙も与えてもらえないとなれば、いつまでも付き合ってなどいられない。

 土煙で男の視界が妨害できている間に、さっさとここを離れよう。
 そんなわけで、先程発射した方とは反対の手を砲形態に変え、それを足元に向けて発射する。
 強烈な衝撃と共に、私の体が上へと吹き飛ばされていく。
 無茶な方法だが、噴射装置がない以上、これが一番高速で離脱できる手段となる。

 十分な高さに来たところで、風魔術で補助を行いながら人通りのある道へと降り立つ。
 なるべく静かに降りたのと、夜の暗がりのおかげで急に空から人が降りてきたというのに騒ぎにはならず、そのまま人混みに紛れるようにして大通りを歩いていく。

 そうしてしばらく歩いていたのだが、不意に足がふらつきはじめ、つい近くの建物の壁に背中を預けて座り込んでしまった。
 肩に空いた穴は依然激痛と熱で存在を主張しており、そこから流れた血も少なくなく、そのせいで意識も大分朦朧としてきている。

 しかも今気づいたが、私の右わき腹にも浅くない傷が走っているではないか。
 恐らく、さっきあの男を吹き飛ばした際、とっさに繰り出された剣に気付かず負った傷だとは思うが、ここからの出血もそれなりにひどく、放っておくとなかなかにまずい。

 できればアンディの所に行きたいところだが、どうもこの状態だと難しそうだ。
 せめて衛兵の詰め所やギルドなどに駆け込めればいいのだが、そのどちらも今いる場所からは少し遠い。
 こうなったらそこらを歩いている人に声をかけて、治療のあてがあるところまで担いでいってもらうべきかと考えていたら、突然私の体が誰かに持ち上げられた。

 まさかさっきの男かと、血の足りていない頭で警戒するが、私に肩を貸しながら歩きだした何者かの横顔は少し意外なものだった。

「あれ…あんた、さっき助けた…」

「喋んないほうがいいわよ。傷に響く」

 覚束ない足取りで私と歩くその人は、さっき路地裏で暗殺者の男の試し斬りから助けたあの女性だった。
 てっきり逃げていってそのままどこか遠くへ行ったのかと思っていたのに、こうして私に肩を貸しているということは、意外と近くにまだいたということになる。

「なんでここに…逃げなかったの?」

「逃げるつもりだったわよ!でも、出来なかった…。あの変な奴が追っかけてくるかもって思うと、何処に逃げたらいいか分かんなくなって」

 突然殺されそうになった恐怖は、彼女の逃走にも決して小さくない迷いを植え付けたようで、ただ遠くへ逃げるというのを躊躇わせた結果が、こうして私の助けになってくれているわけだ。
 さっき逃げだした姿に比べ、今の様子はとても同じ人物とは思えないほど頼もしい。
 こうして服が血で汚れるのも厭わずに肩を貸しているくらい、根っこの部分では面倒見のいい人柄と窺える。

「それでここらにいたんだ…」

「そういうこと。あーもう!その怪我どうしたらいいのよ!私じゃ大した手当なんてできないし…あんた、治療の当てはあるの?」

 教会で法術の世話になれる身分ではない私なんかは、普通なら薬師か医者といった人間を頼るのが普通だが、それよりも信頼できる人間が一人いる。
 ここまでの傷の治療が出来るかはわからないが、赤の他人のよく分からん治療に身を預けるよりも、まずはそっちを頼りたい。
 それに、万が一あのイカれた暗殺者が私を追ってきた場合のことも考えてだ。

「アンディの所に…愛のサークって娼館に向かって。そこに私の知り合いがいるから」

「愛のサークって、天地会の娼館じゃないの?そこの娼婦に医者でもいるっての?…ちょっと、あんた?!しっかりしな!」

 あーまずい、もう何も考えられない。
 血が抜けて全身が寒いし、見える景色も大分ぼやけてきている。
 意識を失いかけてる私を見て、女は必死に呼びかけているようだが、その声もどこか遠い。

 とりあえずアンディの所に行くよう伝えたし、このまま私の意識がなくなっても目的地には勝手に連れて行ってくれるだろう。
 問題は、そこに着くまでに私が死なないかどうかと、あの暗殺者の男がこちらに追いつかないかの二点だが、こればかりは私にはどうしようもない。

 幸い、愛のサークはこの街でも大手の店なので、立地は大通りからそのまま道が繋がるくらいには人の往来も多い。
 暗殺者も人の目が多くある場所では手を出さないと期待して、あとは私の体がもつかどうかだ。

 そこまで考えたところで、全身の力が抜けた。
 いよいよ本格的に気絶するのだと、最後に残った意識の欠片で理解しつつ、不思議と気持ちのいい浮遊感の中で私の視界は完全に暗闇に閉ざされてしまった。

 もう…げんか……ねむ…うま―




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