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変わらない物の中にある光明
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ソーマルガ皇国を地図で見た時、皇都は北西部にあるのに対し、アイリーンの領地であるマルステル男爵領は中央部からずっと下った南端に存在している。
基本的に領地が首都に近い貴族ほどその国では重用され、相応に地位も高くなると言われているが、では首都から遠ざけられた貴族は扱いが低いかと言われると、一概にそうとも言えない。
確かに新興の貴族などに与えられる領地はどうしても首都から離れたものになりがちだが、一方で辺境伯として、首都の目が行き届かない遠方の地域の行政を代行する、重要な立場を与えられる貴族もいる。
ソーマルガ皇国でも各地に辺境伯と呼べる大物貴族が据えられており、特に王家と血が直接つながるマルステル公爵家などは、南部の広い地域の守護と監督を任されるほどの信頼を得ている。
その観点で言えば、ごく最近男爵になったアイリーンの領地が南部に与えられたのも、やはり血縁の繋がりがあってのことだ。
決して国の政治から遠ざけられたわけではなく、むしろ女性の貴族家当首という貴重な人材を、政治のアレコレで潰させまいとするお偉いさんによる配慮もあったのだろう。
とはいえ、結局は皇都からアイリーンの領地は物理的に遠いのは事実で、特権的に飛空艇を使えない限りは、今でも風紋船でゆっくり時間をかけてマルステル男爵領へ向かうしか方法はない。
現在のソーマルガ国内での飛空艇事情からすれば、その特権も使える人間はさらに限られており、おかげで風紋船は相変わらずの大忙しで動き回っているという。
飛空艇の普及で風紋船は無用となるとどこかの人は言ったらしいが、実際は何か一事あればこんな具合に風紋船はまだまだ頼りになるのだから、この先もソーマルガの動脈として隅々まで活力を届けてくれることだろう。
そんな風紋船に揺られ、俺とパーラはアイリーンに会うためにマルステル男爵領までやって来た。
皇都からマルステル男爵領までは、まだ直通の風紋船など通っていないので、途中で乗り継ぎをしてようやくといった感じだ。
風紋船から降りた俺達はバイクを駆って、まずは最寄りにある三の村を目指す。
なお、今回俺達には特別にソーマルガ製のバイクが正式に貸与されており、旅の足として心置きなくつかっていた。
ダリアの家で一泊した後、再びハリムと面会した俺達を待っていたのは、飛空艇の組み立てが終わるまでの代わりの移動手段として、例のトライクを使う許可をもらえた。
無論、正規のルートを使った正式な国からの許可だ。
どうせ死蔵しておくしかないバイクだからと、飛空艇が修復されるまでの期間限定での貸与という条件だが、バイクでの旅に慣れている俺達には実にありがたい。
三の村までの道は街道と呼べるほど整備はされていないが、それでも人の往来はそれなりにあるため、ある程度道と呼べる形にはなっているそこを、二台のバイクで走る。
途中、パーラの載る二輪の方のバイクが一度だけタイヤをスタックさせてしまったが、元々の車体の軽さのおかげですぐにリカバリーは出来た。
これがやはり砂漠はバイクには不向きな環境だと分かる出来事だったが、一方でソーマルガ製のトライクはタイヤの太さもあってスタックしそうな砂地でも踏破性の高さを見せつけてくれる。
その国ではその土地にあったものが作られるというのを、実際に体験できたのは面白かった。
少々のトラブルに見舞われつつ、真昼の灼熱の暑さの中をしばらく進むと、ほどなく三の村へと到着した。
バイクでやってくる旅人が珍しかったのか、村の入り口では若干の警戒の色を見せる見張りの男がいたが、乗っていたのが俺達だと知った途端、一転して笑顔で村に招き入れてくれた。
今日は三の村に宿を借りる予定だったので、勧められるままに村へと入る。
以前、三の村で起きた人質立てこもり事件の解決に尽力したこともあって、俺とパーラは身内に近い迎え入れ方をされるほどの好感度があり、顔を合わせる村人達は悉く笑顔を向けて挨拶をしてくれた。
そのまま村長宅へ向かい、一晩の宿をお願いするとこちらも快く応じてくれて、この日は村長宅で世話になることが決まった。
この日は久しぶりに訪れた俺達を歓迎して、ちょっとした宴会も開かれた。
村長の孫であるパラックは相変わらず一農民のような暮らしをしているが、いずれやってくる世代交代に備え、妻のサリーナの助けを受けて日々村長となるべく勉強を続けているそうだ。
翌日、上手い料理と酒ですっかり英気を養った俺達は、早朝にもかかわらず見送りに来てくれたパラック達村長一家に別れを告げ、三の村を後にして一路ジンナ村へと向かう。
別れの際に新鮮な野菜を譲ってもらったため、来た時よりも荷物が増えた出発となったが、それでも旅の足にはさして影響はない。
流石トライクだ、なんともない。
とはいえ、やはり飛空艇と比べると速度は大きく劣るため、三の村を離れてからも途中で一泊野営を挟んで、次の日の昼にはジンナ村へとたどり着けた。
「んー、ここも久しぶりだねぇ。なんだかんだ、一年ぶりぐらい?」
「いやもっとだろ」
村から少し離れた所にバイクで乗り付け、遠景に見えている変わった様子のない村に嬉しそうな声を出すパーラだが、俺の記憶だとジンナ村から離れてもう二年は経つんじゃなかろうか。
色々あって時間の感覚がおかしいところはあるが、それぐらいは計算できる。
「そうだっけ?でもまぁ、大事なのはどれだけ時間が経ってるかじゃなくて、こうして戻ってこれたことを喜べるかどうかだからね」
「そうだな。でも別にちょっといい感じに言うほどのことでもないな」
ゆっくりとバイクを進ませ、村の入り口へと近付いていくと、見張りの若い男がこちらに気付いて声をかけてくる。
「アンちゃんにパーラじゃないか!久しぶりだなぁ。今日は飛空艇じゃないのか?」
こちらへ親し気に話しかけてくる男は、村の自警団の一人としてマルザンに扱かれていたのを見た記憶のある顔だ。
当然向こうも俺達の顔は知っていて、今日は空からではなくバイクに乗って現れたのを珍しく感じたようだ。
「まぁちょっとありまして、今はバイクでの旅をしてるんですよ。一応聞きますけど、村の中に入ってもいいですよね?」
よもや不審者として立ち入りを禁止されるなどとは思っていないが、一応見張りという仕事をしているのだから村へ入る許可を男に求めておく。
「おお、勿論だ。お前らならいつでも歓迎さ」
そう言ってその場から横にずれ、バイクが通りやすいようにスペースを開けてくれた。
三の村でもそうだったが、ジンナ村でも俺達は信用されているため、やはり問題なく村へ入ることができそうだ。
「じゃあお邪魔しまーす。あ、そうだ。私らアイリーンさんに挨拶したいんだけど、あの人って今ここにいるよね?」
早速バイクで見張りの横を通過しようとしたパーラだったが、その際にアイリーンの所在についてを男に尋ねる。
普通なら今ぐらいの時間なら領主の館にいるはずだが、まだまだ領主としては新人のアイリーンはあちこちに動き回っていても不思議ではない。
「おう、今日は特に用事もなかったはずだし、館にいると思うぞ」
「分かった。ありがとうね」
見張りに礼を言ってバイクを走らせたパーラの後に俺も続き、村の大通りと言える道を徐行で走っていく。
そのままアイリーンの暮らす領主の館へと向かおうとしたのだが、不意にパーラがバイクを停めてしまった。
スピードを落としての走行だったからいいものの、下手をすれば追突事故も起きかねない止まり方だ。
「おい急に止まるなよ。危ないだろ。…どうした、なんかあったか?」
「アンディ、あれ見て」
「あん?」
浜の方をジッと見つめて呟いたいたパーラの言葉に、俺もそちらの方を見てみるが、そこにあるのは以前の見たものと変わらない光景だ。
湾状になった入り江に、漁師が使う船を繋いでいる桟橋、この時間帯だと網の修繕をしている人達が集まっているであろう小屋と、浜から沖へ伸びる細長い砂地に身を寄せて停泊しているテルテアド号。
それらが見える中、湾内を一艘の舟がかなりのスピードで横切っていくのが見えた。
帆を立てずに白波を引いて走る姿は、この辺りで一般的なカタマランとはまるで違う動き方で、さがらモーターボートと呼んでも差し支えはない。
遠くに見えるシルエットから、舟の後方に取り付けられた船外機が確認できた。
「あれって前に俺とロニが作った舟だろ。あれがどうかしたか?」
あの舟は漁師達にレンタルされているため、別にあそこで動いているのはなにもおかしいものじゃない。
だというのに、あれを見てパーラの様子が変わったのは何故なのか、俺にはさっぱりわからん。
「あれさ、変じゃない?」
「変って何がだよ。ちゃんと動いてるぞ。ロニもちゃんとメンテナンスして―」
「そうじゃなくて。…あのさ、前に聞いたときにアンディ言ったよね。あれって飛空艇の動力を使ってるって」
「おう、言ったな。正確には、新製の飛空艇に搭載されてる二つの動力の内、低出力のやつだけど」
「うん、だよね。で、今ソーマルガが作った新製の飛空艇に問題が起きてる中で、同じ動力を使ってるあの舟が問題なく動いてるってのは当たり前だと思っていいの?」
「あ……なるほど、そういうことか」
ここまで聞いて、やっとパーラの言いたいことが理解できた。
今ソーマルガで起きている飛空艇の不具合は、新製の飛空艇に限って発生している。
その中には、低出力の動力が原因での墜落という事例もあった。
完全に事故原因がそれとは断定していないが、しかし確かに一つの要因として挙げられるものと同じ機器が使われている舟が、特に不具合もない様子で走り回っているのには少し妙なものを覚える。
「低出力の動力でも不具合が起きてたってのは、ダリアさんも言ってたな。舟につけたあれだけが例外ってのは考えにくい。まぁたまたま不具合を起こさなかったって可能性もあるが、これだけ騒がれてる問題だ。不具合の起きていない動力ってだけで貴重な資料になる。これは少し調べた方がいいかもな」
「アイリーンさんに相談する?」
「ああ。どうせ今から行くんだし、このことも話してみた方がよさそうだ」
俺は飛空艇の技術者というわけじゃないし、この国で起きている問題にも全力で取り組む立場の人間でもない。
だが飛空艇を操る者として、今のソーマルガの状況がよくないというのは肌で感じている。
俺達の飛空艇が原因究明のための犠牲になっていることもあり、解決の糸口が目の前に転がっているのなら無視はできない。
新興とは言え貴族家の当主であり、また公爵家の生まれでもあるアイリーンなら、今の飛空艇の問題も耳に入っているはず。
あの舟のことも絡めてまずは話をするべきだろう。
停まっていたバイクを再び走らせ、先程よりも若干速度を上げてアイリーンの館へと向かう。
よもやこんなところで飛空艇問題の進展の可能性が見つかるとは思いもしなかったが、しかしこれは好機でもある。
ソーマルガの飛空艇問題に解決の糸口がみえれば、その分だけ俺達の飛空艇の修復に回される人員も増えて引き渡しの時間が多少は早まるかもしれない。
ロニにも話を聞く必要もありそうだし、できればあいつもアイリーンとの話し合いに同席させたいものだ。
あの舟のメンテナンスは今もロニがやっているはずなので、あれに関することならそっちにも話は聞ける。
偏ってはいるが、ロニも一端の技術者並みの知識はある。
子供とはいえ、使える人材は使わせてもらうとしよう。
「お久しぶりです。アンディさん、パーラさん」
「どうも、レジルさん。ご無沙汰しています」
アイリーンの館へやってきた俺達は門番に応対を頼むと、暫くしてやってきたレジルと再会の挨拶を交わす。
レジルは相変わらず背筋が伸びた立ち姿をしており、見た目の歳よりも若々しい印象を覚える。
そのままアイリーンへと取り次いでもらおうと思ったが、レジルは俺達ならばとそのまま執務室へと案内してくれた。
いくら知り合いとはいえ、領主に会いに来て即執務室へと行けてしまうのはセキュリティ上どうなのかとも思ったが、それだけ信頼されていると思えば悪い気はしない。
レジルについて歩きながら館の中を何気なく見ていると、最後にここを離れた時には見なかった顔が増えており、かつての人手不足が解消されつつあると感じる。
「新しい人が随分と増えたみたいですね」
そんな館の様子に、先を歩いていたレジルの背中へとそう声をかける。
館の管理を仕切っているレジルからすれば普段の光景だろうが、俺達にとってはガラリと変わったこの館の様子は新鮮に感じてしまう。
「ええ、見習いがようやく育ったものですから、最近ようやく十分な人手が揃いました」
そう言ってレジルが視線を向ける先には、数人の若い女性の使用人の姿が見え、恐らく彼女達がその見習いから成長した者達なのだろう。
「アンディ、あっちの部屋見てよ」
「ん?お、あの人達って…」
新人使用人を見ていた俺の肩をパーラが叩き、進行方向にあった一室を指さす。
扉が開放されて室内が見えているそこには、技術者達が集まって何やら作業をしていた。
その中に、以前テルテアド号の修復と解析のために来た、何人かの見覚えがある顔を見つける。
「レジルさん、あそこにいる人達って前に遺物船の修復研究で来た人達ですよね?」
「ええ、そうですね。何度か人員の入れ替わりはありましたが、あの時に来た人もまだ何人かいますよ。船の方はおおよその修復も終わり、今は技術の分析を行っていると聞いています」
遺物船は今のところ、ヘイムダル号が実働する大型船としてソーマルガ皇国が持っていったが、テルテアド号に関しては所有権は俺達にあるため、こうしてアイリーンの預かりにしてジンナ村へ置かせてもらっている。
「では、テルテアド号はもう出航できそうですか?」
「いえ、それはまだ難しいそうです。完全に修復できたのは、内装と動力周りだったかと。以前、試しに一度試運転を試みましたが、例の…人工知能でしたか?あれがまだ本来の機能を取り戻せていないそうです。ただ、一部機能は復元されているので、あとは時間の問題だとか」
人工知能としての中枢機能を一部喪失していたテルテアド号は、無事だったヘイムダル号の人工知能が欠損部分を補う形で修復が進められていた。
俺達がここを離れる時にはある程度の修復は終わっていたので、てっきりもう完全に直っているかとも思ったが、やはり古代文明の技術の結晶を今の時代の技術者だけで弄るのも一筋縄ではいかないようだ。
飛空艇が使えない今、テルテアド号も貴重な移動手段になり得るかとも思ったが、そう甘くはなかったか。
とはいえ、動力周りや内装が完全修復されたのなら、半ば村の公民館と化していたあの船も、内部の快適な居住空間は今まで通り利用できるのだろう。
そんなことを考えつつ、アイリーンの執務室の前までやってきた俺達は、その場で簡単に身だしなみを整える。
いくら知った仲とはいえ、相手は貴族家の当主なのだから、多少は恰好を気にしたというスタンスを見せるのが大事だ。
こちらの意図を汲んで待っていてくれたレジルに目で合図をし、彼女が執務室の扉をノックするのを見届ける。
「お仕事中失礼いたします、アイリーン様。アンディさん達がいらっしゃいました。入ってもよろしいでしょうか?…アイリーン様?」
部屋の主から入室の許可をもらうため、ノックと共に声をかけるレジルだが、しかし中から返ってくる声はない。
決して小さくない音で呼びかけているため、返事がないということはよっぽど仕事に集中しているのかと思い、一旦出直すことも頭をよぎったが、レジルは呼びかけから一呼吸時間を置いてから徐に扉を開いてしまった。
アイリーンの許しもなくいいのかと少し焦るが、チラリと見えたレジルの横顔にはそれを問いただすのを躊躇わせる何かがあった。
そして、扉が開かれて部屋の中が露になると、そこには領主が使うのに見劣りのしない立派な執務机と、その上に置かれた書類の束に突っ伏している女性の姿があった。
今いる部屋を考えれば女性が誰かなど考える間でもないが、問題なのはまるで死んだように見える様子の方だ。
トラブルの発生という可能性も思い浮かび、頭の中が冷えていくのを覚えて若干の警戒を抱いた俺だったが、レジルはツカツカと机の近くに移動すると、アイリーンの耳をつまんで一気に引っ張り上げる。
「いだだだだだだだ!え、なに!?なんですの!?」
すると一瞬前の静寂を粉砕するように、アイリーンが悲鳴を上げながらその身を机からガバッと起こし、寝ぼけ眼で辺りを見回す。
どうやらアイリーンは仕事中に居眠りをしていたようで、それに気付いたレジルが眠っている彼女の耳を引っ張り上げて起こしたというわけだった。
「あ、あら?レジル?まさかさっきのあなたが…!い、いえ、それよりなぜここに?私、入室の許可を出しましたか?」
アイリーンの忙しなく動いていた目がレジルを捕えると、一気に怯えと白々しさの混ざった態度で不意の入室の責を問うようなことを口にする。
その際、耳を庇いながらレジルから少し離れたのは、先程の一撃がよほどの恐怖と痛みを与えたからか。
居眠り姿を見ている以上、その態度に呆れてしまうのは、恐らくこの場で居合わせているアイリーン以外の全員が共有している感情だろう。
「いいえ、許可は頂いておりません。入室の際のお声がけに返事がなかったものですから、何かあってはと危惧して入室をいたしました。申し訳ございません」
確かにアイリーンの言う通り、主の許可なく仕事中の部屋に入るのはマナー違反だ。
アイリーンとレジルの仲であってもそれは変わらないため、謝るのは当然のことだ。
だがそれはそれとして、アイリーンはレジルに対して失態を犯している。
「ですが、その上で私の判断は間違っていなかったと自信を持てました」
「え」
一瞬、レジルの殊勝な態度に何か逆転の目を期待したようなアイリーンだったが、その後のレジルの言葉と身に纏う空気を敏感に察知すると、その身を小さく跳ねさせた。
「アイリーン様、昼食の後に私が申し上げた言葉を覚えておられますか?ここにある書類は今日の夜までの決裁を厳守する案件だと、確かにそう言った覚えが私にはございます。よもや、私の記憶違いでございましょうか?このレジルは、言ったことを勘違いする程、耄碌していると、そうお思いなのでは?」
「そ、そんなことはない…と、思い…ますわよ?」
「あぁ、それはようございました。では老いたとはいえ、まだ私はアイリーンにお仕えできるということですね。ならば、忠臣として言わせて頂きましょう……マルステル男爵家の当主たるあなた様が!仕事を除けて惰眠をむさぼるとは!一体どういう了見ですか!この案件が滞ることでお家にどれほどの影響があるのか今、お考えなさいませ!」
「ひぃい!ごめんなさぁい!」
仕事を残したまま居眠りしていたアイリーンに、レジルは色々と言いたいことがあるようで、穏やかな口調から一転、館が震えるのではないかという怒号を繰り出した途端、アイリーンは頭を抱えるようにして体を縮こまらせてしまった。
この光景は以前にも見たことがある。
俺達がアイリーンと共にエーオシャンに行ったとき、そこの宿でレジルに説教されたときのやつだ。
あの時はまだアイリーンも公爵家令嬢という身分であったため、レジルも正面から苦言を呈していたが、今は男爵家の当主となったはずの彼女に対して以前と同じような怒り方をするとは、もしやこの居眠りは今回が初めてじゃないのかもしれない。
新しく爵位を貰って家を興したアイリーンは、その激務で疲れもたまっているというのはあるだろう。
だがレジルも家令として当主の体調管理には気を配っているはずなので、今回の居眠りは単純に怠けから来るものだと思われる。
その証拠に、執務机の上に置かれている紙の一つには落書きの跡が見られ、政務に励んでいたというには些か絵面が弱い。
「レジルさん、そろそろ…」
これも以前エーオシャンであったように、俺達の存在を思い出させるべく、ガミガミとしているレジルをやんわりと止める。
このまま放っておくと、いつまでも説教が続きそうな勢いがある。
「…いいでしょう。今回はアンディさん達に免じてこれぐらいとしておきます。命拾いしましたね、アイリーン様」
とても貴族家当首に家令が言う言葉とは思えんな。
「ひぃぃ…た、助かりましたわ、アンディ。あなた達がいなければ……アンディ!?あなた達、いつからいましたの!?」
まるでたった今俺達の存在に気付いたような反応を見せるアイリーンだが、これはレジルの存在感が俺達をかき消すほどに強烈だったからかもしれない。
本気で説教をしているレジルは、独特の迫力があるからな。
「いつからもなにも、最初からですが。レジルさんと一緒に来たんですよ」
「そ、そうでしたの?だったらもっと早く声をかけてくださいまし。そうすれば無駄に説教される時間も…」
「だって私らが部屋に入った時点で、アイリーンさんは居眠りしてたじゃん。そしたらすぐにレジルさんが説教を始めちゃったんだから。止める暇なんてなかったよ」
「あら、そうでしたのね。まったく、恥ずかしいところを見せてしまいましたわ。おほほほほ。それにしても、久しぶりですわね、二人とも」
この雑な話題の切り替え方、アイリーンも変わっていないな。
久しぶりに会ったが、こういった変わっていない部分を見るとなんだか安心する。
「ええ、一・二年ぶりぐらいですかね。早速ですが、アイリーンさんにご相談したいことが一つ、いや二つ…あるいは三つ」
モーターボートの動力だけに限れば聞くのは一つだと思ったが、ひょっとしたらそこから派生していくつか聞くことが増えそうな気もしてきた。
「はっきりしませんし、また急ですわね。もう少し再会を喜ぶ時間を味わうのも悪くありませんのに」
「すみません、何せついさっき気付いた問題なものですから」
ここでようやくアイリーンとも再会の挨拶を交わし、また俺達がここに来た目的も話すことができた。
かくかくしかじかと、今ソーマルガが抱える飛空艇の問題と、先程海で見たモーターボートの動力の関連性をアイリーンに語って聞かせる。
なお、アイリーンは件の飛空艇の問題は知っているが、詳しいことまでは分からないため、ボートの動力がどう解決に繋がるのかも説明するのに少し時間がかかってしまった。
「…では、魔道具船の動力が今ソーマルガで起きている飛空艇の問題の解決に繋がると言うわけですのね?」
俺達がいない間のモーターボート、こちらの人間がいう所の魔道具船の魔力補充はアイリーンが行っていた。
この村の中であれに十分な魔力を供給できるほどの魔力量を持っているのはアイリーンだけだし、なにより貴重な魔道具の管理の側面もあって、領主が直々に行っていたという。
そのため、触れる機会も多かった舟に例の問題の解決法があるかもしれないと聞いて、唸りながらも期待の込もった目で俺を見てくる。
「そこは断定できるものではなく、あくまでも可能性の話でして」
「あら、こういうのは異なる視点から切り込むことも大事だと、私は聞いたことがありますわよ。そう言う意味では、そこからのもしやがあれば、私の領地から飛空艇の問題が一気に解決する切っ掛けが生まれるやもしれませんわね」
アイリーンは技術畑の人間ではないが、しかし身分的に高度な教育を受けてきたこともあり、物事の本質を嗅ぎ分ける能力は高く、国を騒がせている問題がいかに解決されるかに考えを巡らせることができる。
そして自分の領地に端を発した何かによって、飛空艇の問題が解決されるのを想像すると、前のめりにもなろう。
「そうは仰いましても…いえ、ともかく今はロニも交えた話をしましょう。あいつは今どこに?」
「レジル?ロニの今の居場所は知っていて?」
「恐らく、テルテアド号の方ではないかと。最近はあちらにいることも多いようですから」
「ではあちらに誰か人を遣わせましょうか。ロニもアンディ達が帰ってきてると知ったら、急いで戻ってきますわね」
「畏まりました。ただちに」
一礼して去っていくレジルを見送り、室内に残った俺達はロニが来るまでのわずかな時間に、近況を報告しあう。
といっても、アイリーンの方は大した事件もなく、近況報告と呼べるほどの話もなかった。
「あぁそうそう、アンディとパーラ、あなた達に教えておかなければならないことがありますの。ロニの養子受け入れ先の件なのですけど…その様子だと、私が出した手紙は届いていないのでしょう?」
「ええ、まぁ俺達も色々ありまして、所在が定かではない期間が長かったものですから。受け取れなかった手紙も多いので、恐らくアイリーンさんの手紙もその中にあったかと」
巨人との戦いの後、俺達は知り合いからの手紙を受け取れる状況にはなかった。
勿論、こちらの大陸に戻ってきた時に冒険者ギルドで留められていた手紙で受け取れたものもあるが、それでもロストしたものは多いはず。
「そう言うってことは、ロニの養子先が決まったってこと?それって大丈夫なとこ?ちゃんとしてる人達なんだよね?」
ロニのこととなると、姉貴風を吹かせるパーラとしては、養子の受け入れ先も心配の種ではあった。
下手な所に引き取られるなら容赦はせんと、鼻息も荒かったくらいだ。
信頼できるアイリーン達だからこそ、選定を任せていたのだが、それが決まったとなると嬉しさと寂しさの混ざった複雑な顔を見せている。
「ええ、勿論ですわ。なにせ、レジルの所で養子として引き受けたのですから、これ以上信頼できる親代わりはいませんわよ。…まぁ正しくはレジルの末の娘の養子という形をとりましたけど。こちらで暮らす以上はレジルが親代わりで間違いありませんわね」
レジルが絡むと怯えることも多いが、しかし最も信頼している相手でもあるためか、アイリーンは胸を張ってロニの養子先としてその名を口にした。
ただ、やはりレジルも年齢的なものを考えれば、万が一を考えて末娘の養子という体を選ぶのは分からんでもない。
それに、アイリーンのこの口ぶりだと、ロニは養子に入ったとしても引き続きジンナ村で暮らし続けられそうなので、そこはよかったと思える。
すっかりこの村に馴染んだロニにとって、いきなりここから別の土地に行かされるのは辛いものがあるだろう。
既に一度、生まれた村を追放同然に離れているのだから尚更だ。
「へぇ、レジルさんの…うん、まぁいいんじゃない?私もあの人なら安心できるよ」
多少驚いてはいるが、パーラも納得しているようなので、これに関してはどうこう言うまい。
レジルのことだし、ロニの意思も確認した上で決めたと思うし、アイリーンを見れば真っ当な人間には育ててくれると期待できる。
まぁ今日のアイリーンの姿を見れば、若干不安がないこともないが、少なくとも領主をやれているぐらいには教育してくれるはずだ。
ここに来るまで気掛かりの一つであったロニのことが解消され、俺もパーラも顔を見合わせて安堵の笑みを浮かべた。
今日まで飛空艇の喪失や改造人間になり損ねた絶望など、悪いことが相応にあった中で、これは唯一といっていい喜びとなる。
俺達はあいつの、腹を痛めて産んだ親にはなれないが、それでも心を痛めて見守るぐらいの決意はあった。
だがそれも、職業柄満足に出来るかという疑問もあった中、レジルという信頼できる人間に託せるのなら、こんなにも安心できることはない。
―ロニです!失礼します!
そんなことを考えている間にロニが帰って来たようで、扉の向こうから元気な声が聞こえてきた。
いくらか興奮した気配もあり、どうやら俺達に会うために走って来たのかもしれない。
あいつとも久しぶりの再会だ。
先程アイリーンから養子先が決まったことも聞いたし、そのお祝いも兼ねてまずは出会い頭に抱擁でもしてやるか。
執務室の主が入室の許可を出すのと同時に、勢いよく飛び込んでくる小さな影を受け止めるべく、俺とパーラは笑みの混じった溜息を零して身構えた。
基本的に領地が首都に近い貴族ほどその国では重用され、相応に地位も高くなると言われているが、では首都から遠ざけられた貴族は扱いが低いかと言われると、一概にそうとも言えない。
確かに新興の貴族などに与えられる領地はどうしても首都から離れたものになりがちだが、一方で辺境伯として、首都の目が行き届かない遠方の地域の行政を代行する、重要な立場を与えられる貴族もいる。
ソーマルガ皇国でも各地に辺境伯と呼べる大物貴族が据えられており、特に王家と血が直接つながるマルステル公爵家などは、南部の広い地域の守護と監督を任されるほどの信頼を得ている。
その観点で言えば、ごく最近男爵になったアイリーンの領地が南部に与えられたのも、やはり血縁の繋がりがあってのことだ。
決して国の政治から遠ざけられたわけではなく、むしろ女性の貴族家当首という貴重な人材を、政治のアレコレで潰させまいとするお偉いさんによる配慮もあったのだろう。
とはいえ、結局は皇都からアイリーンの領地は物理的に遠いのは事実で、特権的に飛空艇を使えない限りは、今でも風紋船でゆっくり時間をかけてマルステル男爵領へ向かうしか方法はない。
現在のソーマルガ国内での飛空艇事情からすれば、その特権も使える人間はさらに限られており、おかげで風紋船は相変わらずの大忙しで動き回っているという。
飛空艇の普及で風紋船は無用となるとどこかの人は言ったらしいが、実際は何か一事あればこんな具合に風紋船はまだまだ頼りになるのだから、この先もソーマルガの動脈として隅々まで活力を届けてくれることだろう。
そんな風紋船に揺られ、俺とパーラはアイリーンに会うためにマルステル男爵領までやって来た。
皇都からマルステル男爵領までは、まだ直通の風紋船など通っていないので、途中で乗り継ぎをしてようやくといった感じだ。
風紋船から降りた俺達はバイクを駆って、まずは最寄りにある三の村を目指す。
なお、今回俺達には特別にソーマルガ製のバイクが正式に貸与されており、旅の足として心置きなくつかっていた。
ダリアの家で一泊した後、再びハリムと面会した俺達を待っていたのは、飛空艇の組み立てが終わるまでの代わりの移動手段として、例のトライクを使う許可をもらえた。
無論、正規のルートを使った正式な国からの許可だ。
どうせ死蔵しておくしかないバイクだからと、飛空艇が修復されるまでの期間限定での貸与という条件だが、バイクでの旅に慣れている俺達には実にありがたい。
三の村までの道は街道と呼べるほど整備はされていないが、それでも人の往来はそれなりにあるため、ある程度道と呼べる形にはなっているそこを、二台のバイクで走る。
途中、パーラの載る二輪の方のバイクが一度だけタイヤをスタックさせてしまったが、元々の車体の軽さのおかげですぐにリカバリーは出来た。
これがやはり砂漠はバイクには不向きな環境だと分かる出来事だったが、一方でソーマルガ製のトライクはタイヤの太さもあってスタックしそうな砂地でも踏破性の高さを見せつけてくれる。
その国ではその土地にあったものが作られるというのを、実際に体験できたのは面白かった。
少々のトラブルに見舞われつつ、真昼の灼熱の暑さの中をしばらく進むと、ほどなく三の村へと到着した。
バイクでやってくる旅人が珍しかったのか、村の入り口では若干の警戒の色を見せる見張りの男がいたが、乗っていたのが俺達だと知った途端、一転して笑顔で村に招き入れてくれた。
今日は三の村に宿を借りる予定だったので、勧められるままに村へと入る。
以前、三の村で起きた人質立てこもり事件の解決に尽力したこともあって、俺とパーラは身内に近い迎え入れ方をされるほどの好感度があり、顔を合わせる村人達は悉く笑顔を向けて挨拶をしてくれた。
そのまま村長宅へ向かい、一晩の宿をお願いするとこちらも快く応じてくれて、この日は村長宅で世話になることが決まった。
この日は久しぶりに訪れた俺達を歓迎して、ちょっとした宴会も開かれた。
村長の孫であるパラックは相変わらず一農民のような暮らしをしているが、いずれやってくる世代交代に備え、妻のサリーナの助けを受けて日々村長となるべく勉強を続けているそうだ。
翌日、上手い料理と酒ですっかり英気を養った俺達は、早朝にもかかわらず見送りに来てくれたパラック達村長一家に別れを告げ、三の村を後にして一路ジンナ村へと向かう。
別れの際に新鮮な野菜を譲ってもらったため、来た時よりも荷物が増えた出発となったが、それでも旅の足にはさして影響はない。
流石トライクだ、なんともない。
とはいえ、やはり飛空艇と比べると速度は大きく劣るため、三の村を離れてからも途中で一泊野営を挟んで、次の日の昼にはジンナ村へとたどり着けた。
「んー、ここも久しぶりだねぇ。なんだかんだ、一年ぶりぐらい?」
「いやもっとだろ」
村から少し離れた所にバイクで乗り付け、遠景に見えている変わった様子のない村に嬉しそうな声を出すパーラだが、俺の記憶だとジンナ村から離れてもう二年は経つんじゃなかろうか。
色々あって時間の感覚がおかしいところはあるが、それぐらいは計算できる。
「そうだっけ?でもまぁ、大事なのはどれだけ時間が経ってるかじゃなくて、こうして戻ってこれたことを喜べるかどうかだからね」
「そうだな。でも別にちょっといい感じに言うほどのことでもないな」
ゆっくりとバイクを進ませ、村の入り口へと近付いていくと、見張りの若い男がこちらに気付いて声をかけてくる。
「アンちゃんにパーラじゃないか!久しぶりだなぁ。今日は飛空艇じゃないのか?」
こちらへ親し気に話しかけてくる男は、村の自警団の一人としてマルザンに扱かれていたのを見た記憶のある顔だ。
当然向こうも俺達の顔は知っていて、今日は空からではなくバイクに乗って現れたのを珍しく感じたようだ。
「まぁちょっとありまして、今はバイクでの旅をしてるんですよ。一応聞きますけど、村の中に入ってもいいですよね?」
よもや不審者として立ち入りを禁止されるなどとは思っていないが、一応見張りという仕事をしているのだから村へ入る許可を男に求めておく。
「おお、勿論だ。お前らならいつでも歓迎さ」
そう言ってその場から横にずれ、バイクが通りやすいようにスペースを開けてくれた。
三の村でもそうだったが、ジンナ村でも俺達は信用されているため、やはり問題なく村へ入ることができそうだ。
「じゃあお邪魔しまーす。あ、そうだ。私らアイリーンさんに挨拶したいんだけど、あの人って今ここにいるよね?」
早速バイクで見張りの横を通過しようとしたパーラだったが、その際にアイリーンの所在についてを男に尋ねる。
普通なら今ぐらいの時間なら領主の館にいるはずだが、まだまだ領主としては新人のアイリーンはあちこちに動き回っていても不思議ではない。
「おう、今日は特に用事もなかったはずだし、館にいると思うぞ」
「分かった。ありがとうね」
見張りに礼を言ってバイクを走らせたパーラの後に俺も続き、村の大通りと言える道を徐行で走っていく。
そのままアイリーンの暮らす領主の館へと向かおうとしたのだが、不意にパーラがバイクを停めてしまった。
スピードを落としての走行だったからいいものの、下手をすれば追突事故も起きかねない止まり方だ。
「おい急に止まるなよ。危ないだろ。…どうした、なんかあったか?」
「アンディ、あれ見て」
「あん?」
浜の方をジッと見つめて呟いたいたパーラの言葉に、俺もそちらの方を見てみるが、そこにあるのは以前の見たものと変わらない光景だ。
湾状になった入り江に、漁師が使う船を繋いでいる桟橋、この時間帯だと網の修繕をしている人達が集まっているであろう小屋と、浜から沖へ伸びる細長い砂地に身を寄せて停泊しているテルテアド号。
それらが見える中、湾内を一艘の舟がかなりのスピードで横切っていくのが見えた。
帆を立てずに白波を引いて走る姿は、この辺りで一般的なカタマランとはまるで違う動き方で、さがらモーターボートと呼んでも差し支えはない。
遠くに見えるシルエットから、舟の後方に取り付けられた船外機が確認できた。
「あれって前に俺とロニが作った舟だろ。あれがどうかしたか?」
あの舟は漁師達にレンタルされているため、別にあそこで動いているのはなにもおかしいものじゃない。
だというのに、あれを見てパーラの様子が変わったのは何故なのか、俺にはさっぱりわからん。
「あれさ、変じゃない?」
「変って何がだよ。ちゃんと動いてるぞ。ロニもちゃんとメンテナンスして―」
「そうじゃなくて。…あのさ、前に聞いたときにアンディ言ったよね。あれって飛空艇の動力を使ってるって」
「おう、言ったな。正確には、新製の飛空艇に搭載されてる二つの動力の内、低出力のやつだけど」
「うん、だよね。で、今ソーマルガが作った新製の飛空艇に問題が起きてる中で、同じ動力を使ってるあの舟が問題なく動いてるってのは当たり前だと思っていいの?」
「あ……なるほど、そういうことか」
ここまで聞いて、やっとパーラの言いたいことが理解できた。
今ソーマルガで起きている飛空艇の不具合は、新製の飛空艇に限って発生している。
その中には、低出力の動力が原因での墜落という事例もあった。
完全に事故原因がそれとは断定していないが、しかし確かに一つの要因として挙げられるものと同じ機器が使われている舟が、特に不具合もない様子で走り回っているのには少し妙なものを覚える。
「低出力の動力でも不具合が起きてたってのは、ダリアさんも言ってたな。舟につけたあれだけが例外ってのは考えにくい。まぁたまたま不具合を起こさなかったって可能性もあるが、これだけ騒がれてる問題だ。不具合の起きていない動力ってだけで貴重な資料になる。これは少し調べた方がいいかもな」
「アイリーンさんに相談する?」
「ああ。どうせ今から行くんだし、このことも話してみた方がよさそうだ」
俺は飛空艇の技術者というわけじゃないし、この国で起きている問題にも全力で取り組む立場の人間でもない。
だが飛空艇を操る者として、今のソーマルガの状況がよくないというのは肌で感じている。
俺達の飛空艇が原因究明のための犠牲になっていることもあり、解決の糸口が目の前に転がっているのなら無視はできない。
新興とは言え貴族家の当主であり、また公爵家の生まれでもあるアイリーンなら、今の飛空艇の問題も耳に入っているはず。
あの舟のことも絡めてまずは話をするべきだろう。
停まっていたバイクを再び走らせ、先程よりも若干速度を上げてアイリーンの館へと向かう。
よもやこんなところで飛空艇問題の進展の可能性が見つかるとは思いもしなかったが、しかしこれは好機でもある。
ソーマルガの飛空艇問題に解決の糸口がみえれば、その分だけ俺達の飛空艇の修復に回される人員も増えて引き渡しの時間が多少は早まるかもしれない。
ロニにも話を聞く必要もありそうだし、できればあいつもアイリーンとの話し合いに同席させたいものだ。
あの舟のメンテナンスは今もロニがやっているはずなので、あれに関することならそっちにも話は聞ける。
偏ってはいるが、ロニも一端の技術者並みの知識はある。
子供とはいえ、使える人材は使わせてもらうとしよう。
「お久しぶりです。アンディさん、パーラさん」
「どうも、レジルさん。ご無沙汰しています」
アイリーンの館へやってきた俺達は門番に応対を頼むと、暫くしてやってきたレジルと再会の挨拶を交わす。
レジルは相変わらず背筋が伸びた立ち姿をしており、見た目の歳よりも若々しい印象を覚える。
そのままアイリーンへと取り次いでもらおうと思ったが、レジルは俺達ならばとそのまま執務室へと案内してくれた。
いくら知り合いとはいえ、領主に会いに来て即執務室へと行けてしまうのはセキュリティ上どうなのかとも思ったが、それだけ信頼されていると思えば悪い気はしない。
レジルについて歩きながら館の中を何気なく見ていると、最後にここを離れた時には見なかった顔が増えており、かつての人手不足が解消されつつあると感じる。
「新しい人が随分と増えたみたいですね」
そんな館の様子に、先を歩いていたレジルの背中へとそう声をかける。
館の管理を仕切っているレジルからすれば普段の光景だろうが、俺達にとってはガラリと変わったこの館の様子は新鮮に感じてしまう。
「ええ、見習いがようやく育ったものですから、最近ようやく十分な人手が揃いました」
そう言ってレジルが視線を向ける先には、数人の若い女性の使用人の姿が見え、恐らく彼女達がその見習いから成長した者達なのだろう。
「アンディ、あっちの部屋見てよ」
「ん?お、あの人達って…」
新人使用人を見ていた俺の肩をパーラが叩き、進行方向にあった一室を指さす。
扉が開放されて室内が見えているそこには、技術者達が集まって何やら作業をしていた。
その中に、以前テルテアド号の修復と解析のために来た、何人かの見覚えがある顔を見つける。
「レジルさん、あそこにいる人達って前に遺物船の修復研究で来た人達ですよね?」
「ええ、そうですね。何度か人員の入れ替わりはありましたが、あの時に来た人もまだ何人かいますよ。船の方はおおよその修復も終わり、今は技術の分析を行っていると聞いています」
遺物船は今のところ、ヘイムダル号が実働する大型船としてソーマルガ皇国が持っていったが、テルテアド号に関しては所有権は俺達にあるため、こうしてアイリーンの預かりにしてジンナ村へ置かせてもらっている。
「では、テルテアド号はもう出航できそうですか?」
「いえ、それはまだ難しいそうです。完全に修復できたのは、内装と動力周りだったかと。以前、試しに一度試運転を試みましたが、例の…人工知能でしたか?あれがまだ本来の機能を取り戻せていないそうです。ただ、一部機能は復元されているので、あとは時間の問題だとか」
人工知能としての中枢機能を一部喪失していたテルテアド号は、無事だったヘイムダル号の人工知能が欠損部分を補う形で修復が進められていた。
俺達がここを離れる時にはある程度の修復は終わっていたので、てっきりもう完全に直っているかとも思ったが、やはり古代文明の技術の結晶を今の時代の技術者だけで弄るのも一筋縄ではいかないようだ。
飛空艇が使えない今、テルテアド号も貴重な移動手段になり得るかとも思ったが、そう甘くはなかったか。
とはいえ、動力周りや内装が完全修復されたのなら、半ば村の公民館と化していたあの船も、内部の快適な居住空間は今まで通り利用できるのだろう。
そんなことを考えつつ、アイリーンの執務室の前までやってきた俺達は、その場で簡単に身だしなみを整える。
いくら知った仲とはいえ、相手は貴族家の当主なのだから、多少は恰好を気にしたというスタンスを見せるのが大事だ。
こちらの意図を汲んで待っていてくれたレジルに目で合図をし、彼女が執務室の扉をノックするのを見届ける。
「お仕事中失礼いたします、アイリーン様。アンディさん達がいらっしゃいました。入ってもよろしいでしょうか?…アイリーン様?」
部屋の主から入室の許可をもらうため、ノックと共に声をかけるレジルだが、しかし中から返ってくる声はない。
決して小さくない音で呼びかけているため、返事がないということはよっぽど仕事に集中しているのかと思い、一旦出直すことも頭をよぎったが、レジルは呼びかけから一呼吸時間を置いてから徐に扉を開いてしまった。
アイリーンの許しもなくいいのかと少し焦るが、チラリと見えたレジルの横顔にはそれを問いただすのを躊躇わせる何かがあった。
そして、扉が開かれて部屋の中が露になると、そこには領主が使うのに見劣りのしない立派な執務机と、その上に置かれた書類の束に突っ伏している女性の姿があった。
今いる部屋を考えれば女性が誰かなど考える間でもないが、問題なのはまるで死んだように見える様子の方だ。
トラブルの発生という可能性も思い浮かび、頭の中が冷えていくのを覚えて若干の警戒を抱いた俺だったが、レジルはツカツカと机の近くに移動すると、アイリーンの耳をつまんで一気に引っ張り上げる。
「いだだだだだだだ!え、なに!?なんですの!?」
すると一瞬前の静寂を粉砕するように、アイリーンが悲鳴を上げながらその身を机からガバッと起こし、寝ぼけ眼で辺りを見回す。
どうやらアイリーンは仕事中に居眠りをしていたようで、それに気付いたレジルが眠っている彼女の耳を引っ張り上げて起こしたというわけだった。
「あ、あら?レジル?まさかさっきのあなたが…!い、いえ、それよりなぜここに?私、入室の許可を出しましたか?」
アイリーンの忙しなく動いていた目がレジルを捕えると、一気に怯えと白々しさの混ざった態度で不意の入室の責を問うようなことを口にする。
その際、耳を庇いながらレジルから少し離れたのは、先程の一撃がよほどの恐怖と痛みを与えたからか。
居眠り姿を見ている以上、その態度に呆れてしまうのは、恐らくこの場で居合わせているアイリーン以外の全員が共有している感情だろう。
「いいえ、許可は頂いておりません。入室の際のお声がけに返事がなかったものですから、何かあってはと危惧して入室をいたしました。申し訳ございません」
確かにアイリーンの言う通り、主の許可なく仕事中の部屋に入るのはマナー違反だ。
アイリーンとレジルの仲であってもそれは変わらないため、謝るのは当然のことだ。
だがそれはそれとして、アイリーンはレジルに対して失態を犯している。
「ですが、その上で私の判断は間違っていなかったと自信を持てました」
「え」
一瞬、レジルの殊勝な態度に何か逆転の目を期待したようなアイリーンだったが、その後のレジルの言葉と身に纏う空気を敏感に察知すると、その身を小さく跳ねさせた。
「アイリーン様、昼食の後に私が申し上げた言葉を覚えておられますか?ここにある書類は今日の夜までの決裁を厳守する案件だと、確かにそう言った覚えが私にはございます。よもや、私の記憶違いでございましょうか?このレジルは、言ったことを勘違いする程、耄碌していると、そうお思いなのでは?」
「そ、そんなことはない…と、思い…ますわよ?」
「あぁ、それはようございました。では老いたとはいえ、まだ私はアイリーンにお仕えできるということですね。ならば、忠臣として言わせて頂きましょう……マルステル男爵家の当主たるあなた様が!仕事を除けて惰眠をむさぼるとは!一体どういう了見ですか!この案件が滞ることでお家にどれほどの影響があるのか今、お考えなさいませ!」
「ひぃい!ごめんなさぁい!」
仕事を残したまま居眠りしていたアイリーンに、レジルは色々と言いたいことがあるようで、穏やかな口調から一転、館が震えるのではないかという怒号を繰り出した途端、アイリーンは頭を抱えるようにして体を縮こまらせてしまった。
この光景は以前にも見たことがある。
俺達がアイリーンと共にエーオシャンに行ったとき、そこの宿でレジルに説教されたときのやつだ。
あの時はまだアイリーンも公爵家令嬢という身分であったため、レジルも正面から苦言を呈していたが、今は男爵家の当主となったはずの彼女に対して以前と同じような怒り方をするとは、もしやこの居眠りは今回が初めてじゃないのかもしれない。
新しく爵位を貰って家を興したアイリーンは、その激務で疲れもたまっているというのはあるだろう。
だがレジルも家令として当主の体調管理には気を配っているはずなので、今回の居眠りは単純に怠けから来るものだと思われる。
その証拠に、執務机の上に置かれている紙の一つには落書きの跡が見られ、政務に励んでいたというには些か絵面が弱い。
「レジルさん、そろそろ…」
これも以前エーオシャンであったように、俺達の存在を思い出させるべく、ガミガミとしているレジルをやんわりと止める。
このまま放っておくと、いつまでも説教が続きそうな勢いがある。
「…いいでしょう。今回はアンディさん達に免じてこれぐらいとしておきます。命拾いしましたね、アイリーン様」
とても貴族家当首に家令が言う言葉とは思えんな。
「ひぃぃ…た、助かりましたわ、アンディ。あなた達がいなければ……アンディ!?あなた達、いつからいましたの!?」
まるでたった今俺達の存在に気付いたような反応を見せるアイリーンだが、これはレジルの存在感が俺達をかき消すほどに強烈だったからかもしれない。
本気で説教をしているレジルは、独特の迫力があるからな。
「いつからもなにも、最初からですが。レジルさんと一緒に来たんですよ」
「そ、そうでしたの?だったらもっと早く声をかけてくださいまし。そうすれば無駄に説教される時間も…」
「だって私らが部屋に入った時点で、アイリーンさんは居眠りしてたじゃん。そしたらすぐにレジルさんが説教を始めちゃったんだから。止める暇なんてなかったよ」
「あら、そうでしたのね。まったく、恥ずかしいところを見せてしまいましたわ。おほほほほ。それにしても、久しぶりですわね、二人とも」
この雑な話題の切り替え方、アイリーンも変わっていないな。
久しぶりに会ったが、こういった変わっていない部分を見るとなんだか安心する。
「ええ、一・二年ぶりぐらいですかね。早速ですが、アイリーンさんにご相談したいことが一つ、いや二つ…あるいは三つ」
モーターボートの動力だけに限れば聞くのは一つだと思ったが、ひょっとしたらそこから派生していくつか聞くことが増えそうな気もしてきた。
「はっきりしませんし、また急ですわね。もう少し再会を喜ぶ時間を味わうのも悪くありませんのに」
「すみません、何せついさっき気付いた問題なものですから」
ここでようやくアイリーンとも再会の挨拶を交わし、また俺達がここに来た目的も話すことができた。
かくかくしかじかと、今ソーマルガが抱える飛空艇の問題と、先程海で見たモーターボートの動力の関連性をアイリーンに語って聞かせる。
なお、アイリーンは件の飛空艇の問題は知っているが、詳しいことまでは分からないため、ボートの動力がどう解決に繋がるのかも説明するのに少し時間がかかってしまった。
「…では、魔道具船の動力が今ソーマルガで起きている飛空艇の問題の解決に繋がると言うわけですのね?」
俺達がいない間のモーターボート、こちらの人間がいう所の魔道具船の魔力補充はアイリーンが行っていた。
この村の中であれに十分な魔力を供給できるほどの魔力量を持っているのはアイリーンだけだし、なにより貴重な魔道具の管理の側面もあって、領主が直々に行っていたという。
そのため、触れる機会も多かった舟に例の問題の解決法があるかもしれないと聞いて、唸りながらも期待の込もった目で俺を見てくる。
「そこは断定できるものではなく、あくまでも可能性の話でして」
「あら、こういうのは異なる視点から切り込むことも大事だと、私は聞いたことがありますわよ。そう言う意味では、そこからのもしやがあれば、私の領地から飛空艇の問題が一気に解決する切っ掛けが生まれるやもしれませんわね」
アイリーンは技術畑の人間ではないが、しかし身分的に高度な教育を受けてきたこともあり、物事の本質を嗅ぎ分ける能力は高く、国を騒がせている問題がいかに解決されるかに考えを巡らせることができる。
そして自分の領地に端を発した何かによって、飛空艇の問題が解決されるのを想像すると、前のめりにもなろう。
「そうは仰いましても…いえ、ともかく今はロニも交えた話をしましょう。あいつは今どこに?」
「レジル?ロニの今の居場所は知っていて?」
「恐らく、テルテアド号の方ではないかと。最近はあちらにいることも多いようですから」
「ではあちらに誰か人を遣わせましょうか。ロニもアンディ達が帰ってきてると知ったら、急いで戻ってきますわね」
「畏まりました。ただちに」
一礼して去っていくレジルを見送り、室内に残った俺達はロニが来るまでのわずかな時間に、近況を報告しあう。
といっても、アイリーンの方は大した事件もなく、近況報告と呼べるほどの話もなかった。
「あぁそうそう、アンディとパーラ、あなた達に教えておかなければならないことがありますの。ロニの養子受け入れ先の件なのですけど…その様子だと、私が出した手紙は届いていないのでしょう?」
「ええ、まぁ俺達も色々ありまして、所在が定かではない期間が長かったものですから。受け取れなかった手紙も多いので、恐らくアイリーンさんの手紙もその中にあったかと」
巨人との戦いの後、俺達は知り合いからの手紙を受け取れる状況にはなかった。
勿論、こちらの大陸に戻ってきた時に冒険者ギルドで留められていた手紙で受け取れたものもあるが、それでもロストしたものは多いはず。
「そう言うってことは、ロニの養子先が決まったってこと?それって大丈夫なとこ?ちゃんとしてる人達なんだよね?」
ロニのこととなると、姉貴風を吹かせるパーラとしては、養子の受け入れ先も心配の種ではあった。
下手な所に引き取られるなら容赦はせんと、鼻息も荒かったくらいだ。
信頼できるアイリーン達だからこそ、選定を任せていたのだが、それが決まったとなると嬉しさと寂しさの混ざった複雑な顔を見せている。
「ええ、勿論ですわ。なにせ、レジルの所で養子として引き受けたのですから、これ以上信頼できる親代わりはいませんわよ。…まぁ正しくはレジルの末の娘の養子という形をとりましたけど。こちらで暮らす以上はレジルが親代わりで間違いありませんわね」
レジルが絡むと怯えることも多いが、しかし最も信頼している相手でもあるためか、アイリーンは胸を張ってロニの養子先としてその名を口にした。
ただ、やはりレジルも年齢的なものを考えれば、万が一を考えて末娘の養子という体を選ぶのは分からんでもない。
それに、アイリーンのこの口ぶりだと、ロニは養子に入ったとしても引き続きジンナ村で暮らし続けられそうなので、そこはよかったと思える。
すっかりこの村に馴染んだロニにとって、いきなりここから別の土地に行かされるのは辛いものがあるだろう。
既に一度、生まれた村を追放同然に離れているのだから尚更だ。
「へぇ、レジルさんの…うん、まぁいいんじゃない?私もあの人なら安心できるよ」
多少驚いてはいるが、パーラも納得しているようなので、これに関してはどうこう言うまい。
レジルのことだし、ロニの意思も確認した上で決めたと思うし、アイリーンを見れば真っ当な人間には育ててくれると期待できる。
まぁ今日のアイリーンの姿を見れば、若干不安がないこともないが、少なくとも領主をやれているぐらいには教育してくれるはずだ。
ここに来るまで気掛かりの一つであったロニのことが解消され、俺もパーラも顔を見合わせて安堵の笑みを浮かべた。
今日まで飛空艇の喪失や改造人間になり損ねた絶望など、悪いことが相応にあった中で、これは唯一といっていい喜びとなる。
俺達はあいつの、腹を痛めて産んだ親にはなれないが、それでも心を痛めて見守るぐらいの決意はあった。
だがそれも、職業柄満足に出来るかという疑問もあった中、レジルという信頼できる人間に託せるのなら、こんなにも安心できることはない。
―ロニです!失礼します!
そんなことを考えている間にロニが帰って来たようで、扉の向こうから元気な声が聞こえてきた。
いくらか興奮した気配もあり、どうやら俺達に会うために走って来たのかもしれない。
あいつとも久しぶりの再会だ。
先程アイリーンから養子先が決まったことも聞いたし、そのお祝いも兼ねてまずは出会い頭に抱擁でもしてやるか。
執務室の主が入室の許可を出すのと同時に、勢いよく飛び込んでくる小さな影を受け止めるべく、俺とパーラは笑みの混じった溜息を零して身構えた。
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