世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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それぞれの交差点

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 盗んだバイクで走り出して四日。
 頻発するガス欠のせいで度々足止めを食らいながらの移動だったが、その割には想定をさほど逸脱しない日程で俺達はアシャドルへと入ることができた。

 正直、ハリムあたりが手を回して国境を封鎖するぐらいは可能性として考えていたが、普通に関所を通過できた時点で、俺達のバイク盗難はとりあえず大きな事件とはなっていないようだ。
 国境を越えたことで更に安心でき、一路ヘスニルを目指す俺達の足を止めるのは、もうガス欠以外では存在しない。

 アシャドル王国へと入ってからもガス欠で足止めをされ、バイクを使っている割には長い日数をかけて、俺達はようやくヘスニルの街へと到着した。
 随分久しぶりにやってきたヘスニルの街だが、それなりに過ごした時間も多く、またこの街の危機を救った過去もあって、それなりに愛着は大きい。
 街に入ってからは、俺を見つけた住民達から声を掛けられつつ、ローキス達が働く店へと向かう。

 表通りから少し外れた店という立地ながら、元祖ハンバーグの店というネームバリューが強烈なおかげか、昼前という時間にも拘らず、店内はテーブルが埋まるほどの客の入りを見せていた。

「あ!いらっしゃいませ!」

 店に入った俺達を出迎えた元気のいい声は、忙しい中でも客を歓迎しようという心意気のある明るいものだ。

「やぁやぁ、久しぶりーミル…タ?」

 以前そうだったように、ミルタが出迎えてくれたものだと思い込んだパーラだったが、片手を上げた状態でフリーズしてしまった。
 なぜなら、今ホールで給仕しながら俺達に声をかけてきたのは、よく似てはいるが明らかにミルタよりも幼い少女だったからだ。

「…あなた、誰?ミルタじゃないわよね?」

「はい?あ、もしかしてお姉ちゃんの知り合い?私、妹です!リリィって言います!」

 ニッコリと屈託のない笑顔でそう言われ、思わず眩しさに目がやられそうになる。
 これが若さか。

「妹ぉ!?え、ミルタって妹いたっけ?」

「いたと聞いたような、聞いてないような…どうだったかな?」

 突然叩きつけられたミルタの妹という情報に、俺もパーラも若干混乱しながら顔を見合わせるが、聞いたことがあるよう気もすると言った程度の認識しかない。

 このリリィという少女だが、年齢はまだ一桁台かそこらといった感じで、顔付なんかはまさにミルタをそのまま幼くしたような感じだ。
 特に光輝くようなデコがまたミルタにそっくりだ。
 なるほど、妹と言われればそう思えてくる。

「あのー、リリィ、ちゃん?私達ミルタ…あなたのお姉さんに会いに来たんだけど、今店にいる?」

 ここに来た目的である知人との再会のため、目の前で汚れのない笑顔を見せる少女にミルタのことを尋ねる。
 エプロンを身に着けて給仕をしているのだから、リリィは今この店で働いているのだろう。
 となれば、同じ給仕として働くミルタのことはこの子に聞くの手っ取り早い。

「お姉ちゃんなら、今日は商人ギルドに行くって言ってました」

「ギルドに?なんかあったのかな…いつ頃帰ってきそう?」

「昼前には帰ってくるって…もうそろそろかなぁ?」

 リリィはこの歳にしてはしっかりとしているようだが、パーラの質問に視線をあちこちに動かしながら答える様子は年相応の幼さがあって微笑ましい。
 ただ、肝心のミルタとの再会はまだ先になりそうだな。
 俺達が商人ギルドに行けば会えるかもしれないが、冒険者ギルドに属する者が用もないのに行くのは少し躊躇われる。

「仕方ない、どうせなら飯でも食って待たせてもらおうぜ。リリィ、テーブルに案内してくれるか?」

「分かっ…畏まりました!こちらへどうぞ!」

 客商売として咄嗟の言葉遣いにまだ難はありそうだが、年齢を考えればよくやっている方だ。
 妹ということからミルタが仕込んだとは思うが、客への対応としては大きな問題もない、この店でも立派な戦力と言っていいだろう。

 チョコチョコと案内に歩くリリィに続きながら、厨房をチラリと覗いてみれば、そこでは料理をするローキスともう一人、リリィと同じくらいの年齢の男の子の姿が見えた。
 何やら調理の指導でもしているのか、鉄板を指さして話すローキスに真剣な顔で頷きを返しているその少年は、さながら料理人に対する弟子のようにも思える。

「リリィ、厨房にいる子は誰だ?」

 先を歩くリリィに、ローキスの弟子かのような少年のことを尋ねる。
 別にローキスに聞いてもいいのだが、調理中で忙しそうなので少し躊躇われた。

「ニウ君のことですか?ニウ君はローキス君の弟で、料理人見習いで働いてます」

 どうやら少年はニウというらしく、なんとこちらはローキスの弟だそうだ。
 ということは、リリィとニウは共にビカード村の出身ということでもあるわけか。

 元々この店は俺とパーラにローキスとミルタを含めた四人で回していた店だ。
 俺とパーラがいなくなった後に新しく人手を求めてこの二人を雇ったというのは、別におかしいことではない。

 リリィとは歳も近いようだし、雇われたタイミングもほぼ同じと見ていい。
 新しく人を雇ったのを俺達が知らないということは、ローキス達からの手紙を俺達が受け取ることができなかった、この半年の内に迎え入れたか。

 そのあたりのことを尋ねたいところだが、仕事のあるリリィやローキスより、ギルドから戻ってくるミルタに話を聞いたほうがよさそうだ。
 店の繁盛具合からして、昼前の少しの時間ならミルタと話すこともできるだろう。

 テーブルへ着いて適当に料理を頼んで、ミルタが帰ってくるのを待つことにした。
 それにしても、ローキスの料理は久しぶりだな。
 あれからどれぐらい料理の腕を上げたのか、確かめさせてもらうとしよう。




「あの子達を雇ったのは、春先ぐらいよ。とりあえず私らだけで何とかやれてたけど、流石にいっぱいいっぱいのままじゃちょっとね。で、人手をもうちょっと増やそうかとローキスと相談してさ。んあーっぐむ」

 ミルタはそう言って、両手で持っていたハンバーガーにソグリと齧りつく。

 商人ギルドから戻ってきて、再会の挨拶を交わした俺達はテーブルの一つに彼女を招き、色々と近況などを聞き出しているところだ。
 ちなみにこのハンバーガーは賄いとして用意されたもので、これを食べたらリリィと交代でミルタが給仕に入る。
 それまでの間が、ミルタとゆっくりと話せる時間となるわけだ。

「リリィとニウはどっちも十歳なんだけど、このぐらいの歳ってそろそろ仕事のことを考える歳でしょ?そしたら、村よりもヘスニルで働きたいって言いだしてさ」

 この世界の感覚で言えば、十二歳から一応大人として扱われる傾向にある。
 勿論、まだまだ子供であるには変わりないが、将来の進路などの意思を確認するのは大体このぐらいの年齢からが一般的だ。
 リリィ達も十二歳の成人を迎える前に進路を考えたところ、街の方で働くという思いを見せたようだ。

 この辺り、都会に憧れる地方の子供と思われがちだが、実際の所リリィ達の出身地であるビカード村はヘスニルからさほど遠くもないため、村の中以外での働き口としては割りとポピュラーな選択肢ではある。

「でもこっちで働くにしても、まだ幼いのには変わりないじゃない?だから、血縁もある私達で雇ってくれないかって、ビカード村の村長から頼まれてね。うちも人手は欲しかったから丁度よかったし」

「で、可愛い妹と弟を受け入れたってわけ?ミルタもローキスも、ちゃんとお姉ちゃんお兄ちゃんやってんじゃん。うぇーい、うりぃ」

 ミルタとローキスとの付き合いは長いが、あまり見ることのなかった兄弟に対する思いやりに何かを感じたのか、パーラはニヤニヤと笑いながらミルタの脇腹を肘で突く。

「当たり前でしょ。私もローキスも、家族のことはいつだって大事に思ってるんだから。で、リリィは私が給仕として、ニウは料理人見習いとしてローキスが仕事を教えてるってわけ。まぁ子供の体力を考えて、働かせるのは午前の間って決めてるけどね」

 当初、俺は日本のような劣悪な職場にしないよう気を付けたおかげか、その基準でローキス達もリリィ達にはホワイトな職場環境を整えたようだ。
 体力の少なさも鑑みて、実働時間を午前に限ったのはこの世界の基準としてはかなり優しい。
 可愛い兄弟のためにという思いもあるだろうが。

「お姉ちゃん、そろそろ交代だよ」

 この世界の子供に対する労働環境を考えていると、いつの間にかリリィがテーブルの傍に来てミルタの服の裾を引っ張って交代を告げていた。

「あら、もうそんな時間か。二人とごめん、私この後店があるから。リリィ、あんたはもういいわ。お昼食べたら、後は好きにしなさい。どこか遊びに行くなら、ちゃんと行き先言ってからね」

「うんわかった!」

 ミルタが初めて見せる姉としての姿に新鮮なものを覚えつつ、エプロンを身に着けて立ち去ろうとするその背中に俺が声をかける。

「あ、そうだ。おいミルタ、お前らなんか俺達に報告あるんだろ?手紙じゃなくて直接会って話したいっていうぐらい、大事な何かがさ」

「え?……あぁ、あれね。うん、まぁあると言えばあるけど…とりあえず店が終わってからでいい?どうせ二人ともうちに泊まるでしょ?その時に話すわ」

 勿体ぶるというわけでもないが、ミルタにしても今は店の方が優先でもあるし、俺達の本来の目的は夜までお預けとなった。
 まぁ大事な話だとすれば、確かに客が大勢いる店の中ですることでもないしな。

 そんなことを考えていた俺の隣の椅子が突然音を立てて動いた。
 何事かと見てみれば、そこにはハンバーガーのセットが載ったトレイを手にしたリリィが座っており、どうやら昼食を俺達のテーブルで食べようとしているようだ。

「えへへー」

 その動きを見ていた俺と目が合うと、屈託のない笑顔を向けてくるリリィはなんともかわいらしい。
 先程までミルタと仲良く話していた俺達を見て、年相応の無邪気さと姉への親愛からこちらに興味を持ったのか、一緒に昼食を食べて仲良くなろうとしているようだ。

「あら~、この子可愛いじゃないの。リリィ、そんなのよりも私の隣においで」

 リリィの笑みに胸を撃ち抜かれたのか、だらしない顔に変わったパーラが自分の隣の椅子を引いて手招きをする。

「そんなのとはなんだ、そんなのとは」

 かなり俺に対して無礼なことを言うパーラだが、リリィのかわいらしさは俺も感じたものなので、パーラと俺の間でチラチラと視線を彷徨わせているリリィをパーラの方へと行かせてやる。
 パーラがリリィを構いたくてたまらないようだし、なにより幼い少女に気を使わせるのも嫌なので、ここは俺が身を引こう。

「んーよしよし、ミルタの妹ってことは私にとっても妹と言っていいわね。あ、お代わりしたかったら言いなよ?お姉ちゃんがいっくらでも買ったげるから」

「ありがとう!でもいいの。私、これだけあればお腹いっぱいになるから」

 ミルタほどの絆のないパーラとしては、美味しいものをたくさん食べさせてあげたいという気持ちは隠せないようだが、当のリリィからはやんわりと断られている。
 育ち盛りではあるが、この店のハンバーガーは少女の胃を満足させるのに十分な量があるからな。

 嬉しそうにハンバーグへ齧り付くリリィの様子から、味の方もお気に召しているようで、頬にパン屑が付くのも気付かずに一心不乱で食べる姿は、見ているだけで幸せな気分になる。

「パーラ、この後はどうする?ミルタにああ言われたことだし、どっかで時間を潰すか?まぁ店を手伝うってのも選択肢ではあるが、昼の時間でこの混みようならあんまりいらんだろうけど」

 リリィから一旦視線を外し、パーラとこの後のことについてを話す。
 ミルタが大事な話は夜にと言った以上、それまで俺達は暇になる。
 店の方は混んでいると言えば混んでいるが、ミルタ一人でも十分捌ける程度の混み具合だ。
 あって困ることはないが人手がどうしても必要というレベルではない。
 だからこそ、見習いとはいえリリィをこのタイミングで上がらせたのだろう。

「あー、どうしよっか…私としてはマースちゃんの所に顔を出したいところだね。それと、ルドラマ様…セレン様の所にもね」

「確かに、ルドラマ様の所には挨拶に行ったほうがいいか。あっちとも随分久しぶりだしな」

 アシャドル王国の伯爵の地位にあり、ヘスニルを拠点とする領主のルドラマには友誼はあるし世話になったこともある。
 お膝元に来ておいてスルーしたのでは、なんだか失礼な気もする。

「もっちゃもっちゃんぐっ…領主様なら今この街にはいないよ」

「…なに?それ、ほんとか?リリィ」

「うん。なんか、知り合いの貴族の人が結婚するとかのお祝いで、結構前に街を離れてったのを見たよ」

 伯爵ともなれば、国のあちこちで知り合いや縁戚が繋がっている。
 結婚のお祝いにルドラマが直接赴くとなれば、相手も相応に地位が高いか、あるいは血縁が深い相手なのかもしれない。

 わざわざ結婚式に参加するために街を離れたぐらいだから、行き先にはそれなりに長く滞在することだろう。

「いないならしょうがないか。となると、この後どうするかだが…」

「ルドラマ様のとこに行かないなら、私マースちゃんの所に行って来ていい?」

「ああ、そうだな。だったら夜まで別行動にするか。俺も色々顔出してくるわ」

 俺はヘスニルで暮らしていた時期も長かったため、付き合いのある人間もそれなりに多い。
 この街にも久しぶりに来たことだし、会いに行く人には会っておきたい。

「うん、じゃあ夜にまたここでね。あ、そうだリリィはどうするの?」

「ムぶん?どうするって?」

「昼を食べたら後は自由にしていいんでしょ?よかったら私と一緒にマースちゃんのとこに行かない?あ、マースって子は知ってる?」

 パーラはよっぽどリリィのことが気に入ったのか、この後の行動に連れて行こうと誘うようだ。
 午後から自由時間ではあるが、街中とはいえ危険なこともあるため、パーラと一緒ならミルタも安心だろう。

「うん、知ってるよ。お姉ちゃんの友達の人でしょ。たまにここに食べにくるよ」

「そう、なら顔は知ってるのね。で、どう?一緒に行くなら甘い物でも買ってあげるわよ?」

「ほんと!?じゃあ行く!」

 なにがなんでも連れ歩きたいのか、甘いもので誘導するとあっさりとリリィは食いついた。
 まだまだ子供だし、甘味が貴重である以上この反応は仕方のないことだが、飴玉一つで変な人間に憑いていかないか心配になる。
 これはパーラが言ったからだと思いたい。

「よしよし、可愛い奴め。ってことだからミルター、リリィは私が預かったから」

「まるで誘拐犯の言い草だな」

 リリィが食べ終わるのを待って、俺達は店を後にする。
 それぞれの目的で動くため、店先で別れたのだが、遠ざかるパーラとリリィは仲良く手をつないで歩いており、その様子は姉妹だと言われても違和感がない。

 なんとも微笑ましい光景だが、いつまでも幼女の背中を見つめていては不審者扱いされかねないので俺も歩き出す。
 まず行くのは、この街の薬師であるバスヌの所にしよう。
 ここから一番近いしな。

 医者の不養生という言葉はあるが、果たしてバスヌは元気にしているだろうか。




 夜、びっくりアンディの営業が終わり、ローキスと共に店舗の二階にある居住スペースで寛ぐ。
 今夜の宿として世話になることもあり、夕食と風呂は俺の方で用意しておいたが、家人の反応としては上々だったと言える。

 ローキス達も忙しい毎日の中で風呂に入る頻度はそう多くなく、夕食も店での売れ残りで済ますことも珍しくないのだとか。
 だがこの日は俺が腕を振るった料理に舌鼓を打ち、さらには水汲みから湯沸かしまで魔術で一気に俺がこなしたため、上げ膳からのバスタイムという久しぶりにリラックスできる時間を送れて、ローキスは蕩け切ってしまっていた。

「いやぁ悪いね、アンディ。家のことを色々やってもらっちゃって」

 風呂から上がり、冷えた麦茶で一息ついたローキスはソファに身を預けると虚空を見つめてそんなことを口にした。
 家長的立場のローキスは一番風呂を貰う権利があるため、誰よりも先に風呂上がりの穏やかな時間を過ごしている。

「いいって。世話になる宿代替わりだ。気にすんな」

「宿代って言うけど、元々ここは君の家だよ。泊りに来るのにお金なんて取れないよ」

「何言ってんだよ。もう店の借金も返済してるんだから、お前らのもんだろう」

「あはは、返済って言っても、完全に返し終えたのは少し前だからね。どうしてもアンディの家を借りてるって気がまだあるんだ」

 この家を建てたのは俺だが、店をローキス達に譲渡した際に負わせていたローンは既に完済がなされているため、名実ともにこの家はもうこいつらのものになっている。
 今更元の家主面して居座るなんてできんわ。
 金は払わなくてもいいにしても、せめて家事の一つぐらいはやってやるのが人の情ってものだ。

「…それにしても、驚いたな。まさかマースの奴が結婚してたなんてよ」

 この街に来て一番驚いたことは、やはりマースが結婚していたことだろう。
 俺も店に戻ってきてから知ったのだが、その衝撃は決して小さくはなかった。
 とはいえ、この世界の平均的な結婚年齢としては別におかしいものではなく、マースの歳を考えれば妥当だと納得もした。

 その結婚相手だが、以前借金取りのゴタゴタで俺もかかわりを持ったあのディルバだった。
 マースが彼に好意を持っていたのは俺からしても丸わかりだったし、収まるところに収まったと言えなくもない。

 今はディルバの家に嫁入りする形であっちの家族と共に暮らしているが、実家同士が近いこともあって、暇があれば宿の手伝いに出てもいるため、ミルタ達からしてみるとあまり大きな変化はないようだ。

「あぁ、それね。いや、僕も手紙で知らせようかと思ったんだけど、なんかミルタに止められてね。どうせなら、アンディ達がここに来た時にビックリさせてやろうって」

「ビックリしたってんなら目論見は上手くいったな。パーラの奴が驚きすぎて変な具合になってたけど」

 いきなり知ったのがよっぽどショックだったようで、マースの所から戻ってきたパーラはリリィに支えられるほどの抜け殻状態だった。
 知り合いの大きく変わった近況を突然知らされればそうもなろう。

「うん、そこはミルタもちょっと反省してたよ。パーラも、お風呂に入って少しは気を持ち直すといいけど」

「ま、大丈夫だろ。あいつもいきなりすぎて驚いただけで、人の結婚を祝う気持ちはちゃんと持ち合わせてる奴だ」

 そう言って、パーラがいる風呂の方を見る。
 向こうからは、一緒に入ったミルタがパーラを介助するような声も聞こえてきて、未だショックから大きな赤ん坊状態になっているパーラに手を焼いている状況が伝わってくる。
 なんかここ最近のあいつは赤ん坊になりやすくなってる気がするな。

「うーん、それはそうだろうけど…なんかあの状態のパーラを見たら、僕達のことを言うのもちょっと怖くなってくるよ」

「僕達のこと?それってあれか、俺達には手紙じゃ言えないから直接ってやつのことか?」

「うん、そうなんだけど…マースのことでパーラがああなったとなると、どう言ったものか…まぁアンディならいいか」

 腕を組んで唸るローキスは、言葉を選んでいるというよりはその内容自体に問題があるような感じだ。
 しかし、今この場にパーラがいないことが逆にローキスにとっては追い風になったのか、こちらを見る目は何かを決意したような力が籠った。

「実はさ、僕とミルタ結婚してるんだよね、とっくに」

 結婚の報告が気恥ずかしいのか、顔を少し赤らめて言うローキスのその仕草に、思わず俺は呆けて空きっぱなしになりそうな口を何とか動かす。

「……マースのことじゃなくて?」

 念のため、ついさっきの話の流れからを確認するべく、誰が結婚したのかを明らかにしなくてはならない。
 もっとも、これはあくまでも念のためであり、実際俺の頭の中ではもう分かり切っていることだ。

「うん、今のはマースの話じゃなくて、僕とミルタが結婚したって話」

「おぉ…それはまた、なんというか…おめでとう」

 こちらの結婚報告もまた急なものであるため、お祝いの言葉もどこか戸惑い気味になるのも止むを得ないだろう。

「ひょっとして、それが手紙じゃ言えなかったことってやつか?」

「うん、まぁね。ほら、こういうのってやっぱり直接言うべきだと思ってね。アンディ達には特にお世話になったからさ」

「気持ちは分からんでもないが、手紙で伝えてもいい話だろ、これは。いきなり知らされるこっちの身にもなってみろ。祝いの品もろくに用意してないんだぞ」

 サプライズのつもりなのか、手紙で結婚のことに一ミリも触れなかったのは正直不親切極まりないものの、確かに直接会って伝えたいレベルの大事な話というのも分かる。
 とはいえ、こちらとしてはちゃんと知った上で結婚祝いぐらいは送りたかったものだ。

「いいさ、そういうのが欲しくて報告したんじゃないから」

「そういうわけにはいかないって。今はちょっと思いつかないが、今度相応しいのを送らせてくれよ。それぐらいはさせてくれ」

「そうかい?なら楽しみにさせてもらうけど、無理はしないでくれよ?苦労して祝いの品を用意されるなんて、忍びないからさ」

「分かってるって」

 まだまだ懐事情は寂しい身だが、知り合いの慶事となればなるべく無理のない範囲でいいものを贈りたい。
 生憎、今回バイクに積んできた荷物には相応しいものがないので、ここはヘスニルで何か探すとしよう。
 せっかくだし、マース達への結婚祝いもこの機会に一緒に贈るか。

「あぁ、そうだローキス、ちょっと前に俺が教えて味噌作ってたよな?あれって今どうなってる?」

 何を贈るべきか考えつつ、今やここに来た最大の目的となっている味噌と醤油のことをローキスに尋ねてみる。

「どうって、ちゃんと作ってるよ。今だって下の食糧庫に樽で置いてあるし。あれがどうかした?」

「うん、実はちょっと分けてほしいんだ。俺が作ってたのはダメになっちまったんだよ。で、どうしたもんかと思ってたら、前にお前に作り方教えてたのを思い出してな」

 正直、あれがあるだけでこの先の旅の食糧事情は劇的に変わりかねない。
 無いなら無いで血を飲む思いで諦めるが、可能性があるのならそれにかけてみたいと思えるほど、俺には大事なものだ。

「それは大変だったね。でも、今年のもまだアンディが作ったのには及ばないけど、それでもいいなら喜んで」

「ああ、構わん。ちゃんと作り方を守ってるならそうそう変な出来はにはならんさ。ちゃんと味見はしたんだろ?」

「勿論。一応味噌と醤油を名乗れるぐらいにはなってると思うよ」

「ならいい。お前の腕は信頼してるからな。そうだな…味噌と醤油、それぞれ中皿一杯ずつもらえれば助かる」

 ここで言う中皿とは、びっくりアンディの店内で使われているもので、大体一皿分で八百グラムの味噌醤油それぞれを要求した形になる。

「分かった、明日にでも分けておくよ。入れ物はあるかい?ないならこっちで用意するけど」

「じゃあ容器も頼むわ。持ち運べるよう、なるべく密閉できるやつでな」

 味噌の方はともかく醤油は液体なので、持ち運ぶのに使う容器に関してはちゃんとしたものを使わなくてはならない。
 そのあたり、飲食店を営むローキスなら用意できるはずなので頼むことにした。

 ―キャーハハハハ!

 ―こら!待ちなさいリリィ!ちゃんと体拭きな!

 特に後ろ暗いこともない取引が終わったタイミングで、風呂の方からリリィとミルタの声が聞こえてきた。
 あの広いとは言えない風呂に三人の女がいっぺんに入って、さらにいっぺんに上がってくると途端に姦しくなる。

 声の様子から、風呂上がりの濡れた体をそのままに出ていこうと下リリィをミルタが捕まえたと言ったところか。
 ローキスと見るがが夫婦となった今、この喧噪も家族団欒の一幕と思えば実に和める。

「兄ちゃん、出来たよ」

「お、どれどれ」

 そんな喧噪とは別の方向、具体的には室内に据え付けられていた勉強机についさっきまで向かっていたニウが、ローキスの所にやってきて木の板を手渡す。
 それはノート代わりに使っている木板で、ニウへの課題としてローキスが算数の問題を書いて用意したものだった。

「…うん、正解だ。よくできたね、ニウ」

「へへっ!」

 上手く問題を解けたという自信と、兄に褒められたことでの嬉しさで、得意げな笑みで胸を張るニウは、やはりローキスとは血の繋がりを感じられる。
 子供の頃のローキスがこうだったと言われれば、納得できるほど顔立ちは似たものだ。
 ただ、性格的には活発なタイプのようで、そこが兄とは違っている。

 ローキス達はニウとリリィをただの店員として雇うつもりはなく、ちゃんと商人ギルドに入れるように教育を施しているらしい。
 弟達の将来を考え、やれることで手助けしようという思いは十分に伝わってくる。

「じゃあ今日はこれぐらいで終わりにしよう。ミルタ達が来たら、ニウもお風呂に入りなよ」

「うー…俺、別に風呂なんか入らなくても」

 この年頃の男の子にはありがちで、ニウも例に漏れず風呂が嫌いのようだ。
 俺も子供の頃はそうだったから気持ちは分かってやれるが、折角沸かしたのだから出来れば入ってほしい。

「まったく、ほんとにニウはお風呂が嫌いだねぇ。ダメだよ。食べ物を扱ってる僕らが、清潔さを遠ざけるなんてしちゃ。お風呂だって毎日沸かせるわけじゃないんだから、入れるときに入りなさい」

「はーい…」

 ニウも飲食店の人間として、風呂を避けるというのが色々と不味いと分かっているようで、渋々だが言う子をと聞いて着替えを用意し始める。

 兄弟ではあるが、歳の差もあってかどこか親子のようにも思えるそのやり取りに、将来、ローキスとミルタの間に子供が生まれたらきっとこうなると思えばなんだか感動的だ。

 いずれ家族が増えるであろうこの家に、どんな幸せの形が描かれるのか、今から想像するだけでも面白いものだ。

「うばぁー…マースちゃんが結婚しちゃったよぉ…寂しいよぅ」

「ちょっとー、いい加減自分で歩いてよ、パーラってばぁ」

 まだショックが抜けきらないのか、自分で歩くことすらしないパーラを担いでミルタが居間へとやってくる。
 パーラの奴、マースの結婚ってだけでああなったのに、ミルタとローキスが結婚したって知ったらどうなるんだ?

 一日の内に友達二人が結婚してたって知ったら、今度はあまりの驚きで考えるのをやめた石にでもなりかねんぞ。
 とはいえ、教えないわけにはいかないし、困ったもんだ。
 出来ればミルタとタイミングを計って、なるべく軟着陸出来る報告にしたいところだ。

「まったく、そんなことじゃ私とローキスの結婚を聞いたらどうなるのよ。しっかりしてよね」

「え」

 俺が止める間もなく結婚のことをカミングアウトされ、背中にとり憑いていたパーラは目が零れんばかりに丸くなってしまっている。

 ショックを与えない方向で話を勧めようとした俺の目論見など知らないのだから仕方ないが、今このタイミングでそれを聞いたパーラがどうなるかぐらいわかるだろうに。

 そういうとこだぞ、ミルタ。
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犬社護
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5歳の誕生日、アキトは不思議な夢を見た。舞台は日本、自分は小学生6年生の子供、様々なシーンが走馬灯のように進んでいき、突然の交通事故で終幕となり、そこでの経験と知識の一部を引き継いだまま目を覚ます。それが前世の記憶で、自分が異世界へと転生していることに気付かないまま日常生活を送るある日、父親の職場見学のため、街中にある遺跡へと出かけ、そこで出会った貴族の幼女と話し合っている時に誘拐されてしまい、大ピンチ! 目隠しされ不安の中でどうしようかと思案していると、小さなもふもふ精霊-白虎が救いの手を差し伸べて、アキトの秘めたる力が解放される。 この小さき白虎との出会いにより、アキトの運命が思わぬ方向へと動き出す。 これは、アキトと訳ありモフモフたちの起こす品質開拓物語。

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