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ひどい世界だろう?ここは

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「あったよ!みんな、こっち来て!」

 日が傾き始め、暗さを増していく山中にパーラの声が響き渡る。
 それを聞いた俺達は、声の発生源へと急いで向かう。

 人の手が全く入っていない土地だけに、足元が草やら泥やらで歩きにくい中を進み、岩肌にぽっかりと口を開けている洞窟へとたどり着く。

「こっちこっち!」

 その入り口で獣人形態のパーラが大きな身振りでこちらへ声をかけており、リーオスを先頭に俺達はパーラの下へと急ぐ。
 昨夜とは一転してはつらつとしているパーラだが、これは今朝方、無事普人種の姿に戻れたことで悩みから解放されたせいだ。

 今獣人の姿になっているのも、ある場所を探すのに優れた嗅覚が必要となっているためで、その状態でも不安な様子を見せないのは、やはりちゃんと元の姿に戻れると分かっているおかげだろう。

「かなりでかい洞窟だな。中は見たか?」

 チラリと洞窟を見たリーオスは、パーラが洞窟内へ侵入したかを尋ねた。
 聴覚と嗅覚を活用した探索能力の高さから、パーラは俺達から先行して動いていたため、その行動をすべて正確には把握していないからだ。

「ううん。一人で突っ込んでって何かあったら嫌だし、皆の到着を待ってた」

「正しい判断だ。ここから内部の様子は分かるか?」

「一応、音で中の探査はしてみたけど、動いているのはいないね。けど、匂いで判別するなら、中に死体が結構あるみたい」

 俺達にはわからないが、パーラの嗅覚では洞窟の中から漂ってくる死臭を捉えているようで、顰めた顔からして洞窟内部はかなりの惨状のようだ。

「…そいつは村の連中のだな。ここがクロウリーの塒なら、犠牲になった人もここにいたんだろう。よし、早速中に入って、遺体を回収するぞ。パーラは外で待機、周辺の警戒だ。二人ほど残すから、何かあれば伝令なり魔術なりで知らせろ。それと待機してる馬車にも連絡だ。こっちまで呼び寄せとけ。後の全員は洞窟の探索だ。行くぞ」

 ―おう!

 手早く指示を出すリーオスに呼応し、パーラと二人の男を洞窟の入り口に残して、十人弱の屈強な男達は暗く開けられた岩の口へと吸いこまれていく。
 勿論、この集団には俺も含まれるので、簡単に装備を確認してから列を追う。

「アンディ、気を付けてね」

 洞窟へ踏み入れようとした俺の背中に、パーラから声が投げかけられた。
 このタイミングでの呼びかけに思わず足を止め、声の主へと怪訝な顔を向けてしまう。

「別に油断はするつもりはないが…なんだ?気を付けなきゃならん何かがあんのか?リーオスさんにはなんも言ってなかったろ」

「そういうわけじゃないけど、多分奥の方はひどい臭いだからさ。気分が悪くなったら戻ってきたほうがいいよ」

「そんなにか?ここからじゃ俺にはわからんが」

 スンスンと鼻を鳴らしてみるが、漂ってくるのは湿っぽい土の臭いぐらいだ。

「一人二人の死体じゃないからね、中は。腐敗臭とかはそんなでもないけど、なんていうかこう…死の匂いってやつ?言葉で言うのが難しいんだけど、とにかく死んで何かが残っているってのをビンビンに感じちゃうのよ」

 言葉を濁した曖昧な表現だが、パーラが感じ取る臭いは何も現実にあるものだけじゃない。
 狼としての感覚からか、俺のような普通の人間では感じられない、死を体現するなにかを嗅ぎ取るようで、説明こそ分かりにくいものの、言いたいことはなんとなくは伝わる。

 俺達が今目の前にしている洞窟は、クロウリーがカーチ村を襲う際に塒としていた場所だ。
 クロウリーがやってくる方角から逆にたどり、パーラの嗅覚を頼って見つけたこの洞窟には、当然攫われたカーチ村の人間もいたはずだ。
 血を吸われて死んだ村人が一人や二人ではないのは明らかで、そうなると洞窟の中にもそれだけの数の死体が間違いなくある。

「まぁそう言うなら、一応気を付けるわ」

「そうして。じゃ、行ってらっしゃい」

「おーう」

 パーラとの話を切り上げ、今の時間分先を行ったリーオス達を若干早足で追う。
 洞窟内は灯りなどないため、松明を持った数人がいい目印となってくれていた。
 最後尾へと追いついた俺も、自前の松明に雷魔術で火をつけてから後に続く。

 パーラの探査によって内部には動く者がいないとわかっているが、それでも吸血種が塒としていただけあって警戒は怠らず、誰もが緊張感を纏いながらゆっくりとした足取りで奥を目指す。

 大人三人が横に広がっても十分に歩ける広さのある洞窟は脇道もない一本道で、三十メートルも進むと行き止まりに辿り着いた。
 最奥はそれまで通って来た道よりも若干広くなっており、そこには洞窟内に本来存在するべき物とは確実に違うものがいくつか見られる。

 何に使ったのか分からない、細切れにされた汚れた布に、ベッドとも言えなくもない木製の台など、ここを野生動物の巣と見做すには人工物が多い。
 クロウリーがここで暮らしていたとすれば、この残された品々は奴が使っていた日用品とでもいうべきか。

 所々にあるウサギの毛皮の成れの果ては、ロズのものだ。
 この洞窟を巣にでもしていたが、突然やって来たクロウリーによって掃除されたのだろう。
 ここから逃げてきたのが、フルージの近くで遭遇したロズだったのかもしれない。

 それらが散乱する中、この空間で最も凄惨な痕跡と言えるのが、一番奥にある死体の山だ。

 無造作に折り重なるようにして放置されているのは、クロウリーによって作られた犠牲者達の遺体だ。いずれも恐怖に歪んだ顔を浮かべており、その肌からも水気が失せているように見えるのは、クロウリーが最後の一滴まで血を吸いつくしたからだろうか。
 通路を歩いてきた少し前から、俺の鼻にもはっきりと分かるほどに漂ってきていた死臭は、この死体からのものでまず間違いない。

 惨状を前に眉を顰める一方、目当てのものへとたどり着いたことに安堵も覚える。

 実は俺達がここに来たのは、クロウリーの塒にいるであろう犠牲者達の遺体を回収するためだ。
 ザっと見ただけだが、クロウリーがカーチ村から攫って行った住人と遺体の数にそう矛盾はなく、ここにある遺体を全てカーチ村へ持ち帰ることが、今の俺達に課せられた使命となる。

 ルーシアとの話し合いがあった日、夜遅くまで続いた村長の説得によって、カーチ村の住人達も吸血種の秘匿については承諾をしたのだが、同時にクロウリーに攫われた村人の遺体に関しても話された。

 クロウリーが襲来してからは少なくない数の村人が攫われ、その全員が死んだとされている以上、せめて遺体だけは連れ帰って家族の手で弔ってやりたいという願いがあり、それにアッジが答えて俺達が派遣された。

 村の片付けや防衛などに必要な戦力を除いた、商隊の護衛要員から抽出した十人ほどがこうして送りこまれたというわけだ。

「ひでぇなこりゃ…」

「おい、こっちのはジューバんとこの娘だぞ。かわいそうに、まだ若かったってのによ」

 連れてきた人間は主に商隊でも荒事に向いた奴ばかりなのだが、この惨状を前に様々な反応を見せている。
 犠牲者の中に知り合いの顔を見つけると、怒りと悲しみが籠った声を吐き出す様はなんとも悲痛なものだ。

「…いつまでもこんな暗がりに置いておくのは忍びない。さっさと村に連れてってやろう」

 落ち着いた口調ではあるが、リーオスもまた深く悲しんでいることは声から伝わってくる。
 遺体となっても村の一員であることに変わりはなく、暗闇に放置することを良しとしせず、せめて最後に、家族や親類が待つ所へと連れ帰ろうという思いはこの場の誰もが共有できている。

「ああ、そうだな」

「俺は担架を作る。一人手を貸してくれ」

「誰か、通路の途中に松明を立てとけ。こう暗くちゃ担架も危ねぇ」

 遺体を洞窟に置いておくことの不憫さを改めて思い、俺達はそれぞれに遺体を運び出すための準備に取り掛かる。
 持ってきていた荷物から担架を作る者、外へと続く通路の明かりを確保するために松明を途中途中に設置する者、無造作に一塊とされている遺体を搬送に耐えられるように一つ一つ丁寧に布で包んでいく者と、各々が自分の判断で動いていく。

 俺はというと、高く積みあがった遺体を下へと降ろす役目を買って出た。
 丁度遺体があるのが壁際ということもあり、土魔術で岩肌を変形させて足場を作れる俺はこの役にはうってつけで、おまけに今いる人間の中では一番腕力もあるため、俺はクレーンのように遺体をただ下す機械となる。

「よし、そっち持て…いいぞ、アンディ」

「じゃあ離しますよ」

 何体目かの遺体をロープで支えながらゆっくりと降ろしていき、下で待ち構えていた人へと渡す。
 今回は足を下にして下ろしたため、俺の目の前を通過していく遺体の恐怖に歪んだ断末魔の顔とモロに目が合ってしまった。

 クロウリーに殺された遺体はどれもが恐怖を張り付けた死に顔ばかりで、血を吸われて死ぬというのが一体どれほどの恐怖と苦痛を与えていたのか、この表情を見てしまうと胃が冷たくなってくるほどにつらい。

「アンディ、いったんここまでだ。まずは今下ろした遺体までを外に運ぶってよ」

「分かりました」

 次の遺体に手をかけたタイミングで、下から作業休止の指示が来た。

 チラリと下を見てみれば、俺が先程下した遺体が布を巻かれたミイラ状態となって担架へ乗せられるところで、既にこの空間では、遺体の乗った担架が五つも場所をとっている。
 洞窟の中も決して広さが十分とは言い難く、遺体もまだまだあるため、梱包済みの遺体をここらで外へと出して作業スペースを確保しようというのだろう。

 運び出しの準備が出来ていた担架から順に、早速洞窟の外を目指して移動を開始した。

 それを見送り、俺はなんとなく近くにいたリーオスに声をかける。
 彼は全体の指揮を執るのと、遺体を数えつつ顔恰好からの身元の照合という作業を担当しており、ここにいる人間の中では一番仕事の数が多い。
 とはいえ、担架が出払うまでは全体の作業は止まっているので、俺の暇つぶしに付き合ってもらうとしよう。

「クロウリーの奴、男女の区別なく村の人を攫ってたようですね。てっきり見目麗しい女性の血を好むと思ってたんですが」

 地球での吸血鬼は大体処女の血を好んでいたし、むさくるしい男の血は嫌うといった描写の映画や小説も多かった気がする。
 それに対してクロウリーは若干女性は多いものの、多少歳がいった男でも血は吸っていたようなので、こっちの吸血鬼は選り好みをしないと思っていいのだろうか。

「なんだそりゃ。吸血種にしたら、人間の血なら男も女も関係ねぇんだろうよ」

 作業中に感じていた疑問をリーオスに言ってみれば、呆れを含んだ目を向けられた上に鼻で笑われてしまった。
 なにせ俺にとって吸血種は地球でのイメージに大分引きずられているところがあり、異なる存在だとは分かっていても、どうしても向こうの基準を当てはめてしまう。
 なまじ似ている部分が多いのも悪い。

「でも男としては、どうせ噛みつくなら美女のほうがよくないですか?」

 見た目の良さで血の味は変わるわけはないが、もし俺が吸血種だったなら、やはり美女の首筋から血を吸いたい。
 あくまでも仮にの話だが。

「まぁ分からんではないが、そうなると美女が吸血種に狩られ尽くしちまう世の中になっちまうな」

「たしかに、それは困りますね」

 リーオスの言葉に納得してしまったが、これはルッキズムに迎合も対抗もするつもりはなく、美醜の偏りで多様性に欠ける世界のことを危惧したリアクションに過ぎない。
 決して美人にだけ生き残ってほしいというわけではない。
 いやほんと、マジで。

 俺とリーオスが遺体を前にかなり不謹慎なことを言っている間に、そう数もない担架は次々に外へと運び出され、洞窟内はあっという間に元の広さを取り戻していた。

「外に運び出した遺体は、そのまま担架ごと馬車に載せるんですよね?」

「ああ、そのために馬車を余分に持ってきたからな」

 今頃は外で待機していたパーラ達が上げた狼煙で、馬車が洞窟の近くまで来ているはずだ。
 それなりの数の遺体を運ぶということもあって、村の馬車も加えた複数台でやってきている。
 本来はワインを他の街へ運ぶための馬車が、今は遺体を運ぶ霊きゅう車替わりなのだからなんとも悲しい。

 リーオスと他愛ない話をしつつ、時間を潰していると先程外に出ていった男達が戻って来た。
 ほとんどは手ぶらだが、中には空になった担架を担いでいる者も見られる。

 はて、担架に遺体を乗せたまま荷台に収まるはずだが、何故今担架を持っているのだろうか。
 もしかしたら外で新しく作ってきた分とも考えられるが、そうじゃないかもしれない。
 その疑問はリーオスも抱いたようで、戻ってきた人間に担架のことを尋ねる。

「おい、その担架はなんだ?遺体ごと馬車に積んだんじゃないのか?」

「いや最初はそのつもりだったんだが、遺体が思ったよりも軽いもんだから、逆に担架のまま載せるのは危なそうでな」

「そういや血が抜けてるせいで大分軽いんだったか」

「おう。おかげで遺体も腐敗がそう進んでねぇし、だったらそのまま荷台に置いちまおうってな」

 そういえば、荷台には担架を固定する器具がなかった。
 普通の怪我人や遺体ならそれ自体の重さで床板に体が押し付けられるが、今回はクロウリーによって全身の血液を抜かれて干物に近い状態だ。
 あまりにも軽く、移動の際に荷台で担架ごと動いてしまって逆に危ないのだとか。

 現場での判断というやつにリーオスも納得を示す。
 担架から降ろして積めるなら、荷台のスペースも多少は余裕が出来るし、新しく担架を作る手間も減って楽になる。
 いい意味での想定外だ。

「なら、次からはそう積んでいくか。この分だと、後二往復ぐらいで終わるか?」

 チラリと残りの遺体を見て、作業の終わりを予想するリーオスだが、それに否を返す声が上がる。

「いや三…四往復ぐらいはかかるんじゃねぇか?」

 実際に遺体を運んだ者の見立てだ。
 恐らくそれは正確な数なのだろう。

「そうか、急げば夜が来る前には終わりそうだな」

 このペースだと、遺体を全て馬車に載せたあたりで陽が沈むことだろう。

「よし、じゃあさっさと全員運び出して、弔いの酒でも飲むとしようや」

 元々の予定では、探索に長い時間がかかることも考え、野営の用意も十分にしてある。
 一日どころか二日三日とかかる想定のもと、食料品の中には少なくない量の酒が同梱されており、死を悼むためにも一日の終わりに一杯をと考えたのだろう。
 リーオスの言葉に同意が次々と返され、再び遺体の運び出し作業が始まった。





 最後の担架と共に洞窟の外に出てみると、辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。
 洞窟を出てすぐの位置には、遺体が積み込まれた馬車と俺達が乗る馬車が焚火を囲むように配置されていて、今日は洞窟の傍で野営となる。

 安全を考えれば洞窟内で寝るべきなのだが、遺体を無残に放置されていた場所だけに、心情的に躊躇われたようだ。

 馬車に最後の遺体を収容し終え、俺達は焚火を囲んで夜を明かすための準備に入ったが、その際にリーオスが先に言った約束を果たすように、全員にカップ一杯のワインが振舞われた。
 無論、俺とパーラにもだ。

 見張りなどもあるためあまり深酒は出来ないが、死んだ村人のためにこの夜に一杯だけは弔いに杯を傾けたいと、全員が静かに酒を飲む様子は、こんな場所でありながら十分に死を悼む者達の思いが感じられる荘厳なものだった。




 一夜明け、洞窟を離れた俺達はカーチ村へと戻って来た。
 遺体のある場所を探しながらだった行きとは違い、荷物は増えたが一直線に村を目指せたおかげで、太陽が高いうちに村まで来れたのはよかった。

 俺達へのねぎらいの言葉もそこそこに、遺体を出迎えた村人達は変わり果てた家族や知人の姿に泣き崩れ、村の中には一気に悲しみが溢れ出す。
 あちこちから上がる嗚咽と怒号は、いかにこの村の平穏が不条理に奪われたのかを物語っており、見ているとこちらまで辛くなってくる。

 そんな中、遺体を一人一人確認していた村長が、俺達の方へと近付いてきた。
 神妙な顔の村長を見て、リーオスが一歩前へと踏み出す。

「リーオス、それに他の方達も。村の者を連れ帰ってくれたこと、あらためて礼を言わせてくれ。本当に、ありがとう」

「いや、いいさ。命を助けることは出来なかったが、せめてこれぐらいはな。…葬いはいつするんだ?」

「まだ考えておらんよ。他の者とも相談して決めるさ。せっかく帰って来たんだし、しばらくは家族で顔を見る時間を持ちたい」

「そうだな、それぐらいの猶予はあるか。遺体に血が無いおかげでアンデッド化を防げる点だけが救いだ」

 この後遺体は村の流儀で葬られることになるが、リーオスが言うように血を失っている遺体はアンデッド化することがないのがどデカい不幸中でのほんの一欠けらの幸いだ。

 全部の死体がアンデッド化するとは限らないが、それでも可能性がゼロではない以上、本当なら早々に焼いて灰にするのがこの世界では常識だ。
 だが今回に限っては、エランドにより遺体のアンデッド化はほぼ無いと断言されており、おかげで若干だが埋葬までの時間に余裕が持てると村人の心は僅かではあるが安らいでいる。

 一つの仮説として、死んだ人間がアンデッド化する条件に、強い恨みや高濃度の残留魔力に加え、死体に血液が十分残っていることが挙げられる。
 血液の魔力を十分に蓄えるという性質により、死後の遺体がアンデッド化するというこの説は、研究者の間ではそこそこ有名なのだとか。

 そのため、クロウリーによって血を吸われて死んだ人間は、体内に血液がほぼ無い状態のため、アンデッド化するための大きな条件が一つ欠けていると言え、最悪の中でたった一つだけ齎された救いだとするのは少し言い過ぎだろうか。

「そうなると、俺達が埋葬の場に立ち会うのは難しいか」

 村長から葬儀の未定を知らされたリーオスは難しい顔を見せる。
 アッジをはじめとしたカーチ村と縁の深い者には、葬儀を見届けたいという思いはあるだろうが、この商隊はソーマルガを目指す旅の最中だ。

 時間によって商機が大きく動きかねない長距離での輸送では、あまり長いこと足止めされるのは好ましいものではない。

「分かっておるよ。アッジもそう思っているからこそ、商会の方に援助を要請してくれたしの」

 聞けば、クロウリーが死んだ翌日、俺達が遺体の捜索に出たのとほぼ同じタイミングで、アッジはフルージへ事情をしたためた手紙を託した人間を送っていたそうだ。
 吸血種のことはなるべく秘匿しつつ、メアリ商会にカーチ村の惨状を伝え、出来る限りの援助を行おうというわけだ。

 メアリ商会からの仕事がある以上、俺達がカーチ村に留まることは許されないが、村の復興や葬儀などでは商会が助けとなってくれるだろう。

「だから、あんたらはあんたらの仕事をしてくれ。商隊を待つ人もたくさんおろう。亡くなった者のために葬儀に加わってくれるのは嬉しいが、生きている人のために働いてくれる方が死んだ者も喜ぶさ」

「そうか。あんたがそう言うってことは、アッジはもうそういう風に動いてんだな?」

「左様。さっきまで出立のための荷物を確認しておったわい。あれもまた、村に残るよりも先を急ぐことの意義をわかっておるよ」

 村長に言われ、商隊の馬車が置かれている広場を見てみる。
 そこには嘆き悲しむ村人達と離れ、淡々と物資の確認と積み込みをしている人達の姿があった。
 遺体に縋りつく村人に対し、馬車を出発させるための準備に動く人の対比はなんともドライにも思えるが、彼らとて悲しんでいないわけではない。

 現に仕事をしつつ、歯を食いしばる者、涙を堪えるように顔を歪めている者など、村の人達と同じ思いを抱いているのは十分に感じられる。
 それでも、彼らは悲しみに暮れるだけでいられるのを許されない立場にある。
 残酷なようだが、生きている者の義務として、涙に暮れるよりも果たすべき仕事があるのだ。

 商隊の歩みを止めていたクロウリーが消えた今、ソーマルガまでの道を妨げるものはなくなったのだ。
 死んだ者を嘆くのが悪いとは言わない。
 だがそれ以上に、この商隊がやってくるのを待つ生きている人間が確かにいるのだ。
 ならば、生きている者のために動くことこそが、死んだ者の手向けになると信じて前に進むしかない。

 早晩、俺達はカーチ村を発つことになる。
 カーチ村ではワインを仕入れる予定だったが、この分だとそれも難しい。
 一応去年仕込んだワインはあるが、今年がこれでは去年分を貯め込む判断というのもありそうだ。
 既にあるワインはそれだけで資産とも言えなくもないからだ。
 深い悲劇にみまわれたカーチ村としては、少しでも手元に換金できる財産を残したいというのも当然の判断だ。

 仕入れも出来なかった以上、先を急いで次の街か村で仕入れる商品を考える必要もあり、そのためにも出発は急いだほうがいい。
 この場合、予定にない仕入れ先は、旅程を切り詰められればそれだけ選択肢も増えるというもの。
 アッジの判断次第だが、先を急ぐのならそれに越したことはないだろう。




 カーチ村へ立ち寄ったことで、クロウリーというイレギュラーな事態に巻き込まれ、仕入れにも影響を及ぼしたこの結果は散々なものだが、それでも俺達が来なければ救えなかった命もあったはずだ。
 もっとも、ルーシアの登場を考えれば、俺達がいなくてもなんとかなったかもしれないが、それでも一人や二人では済まない数が死んでいたかもしれない。

 プラスもなくマイナスもない…いや、どちらかと言えばマイナス気味だが、しかし色々なものが失われるのは防げたというのも確かだ。
 事件が終わった今だからこそ、ちっぽけな思いではあるが、そんな誇りを抱いてカーチ村の事件を締めくくることができる。

 吸血種という未知の存在とここで出会ったことに何の意味があるのか、誰かが始めた物語だとすれば救いのない下の下のストーリーだとしても、これが現実だ。
 助けを求める声に応えるヒーローはいつだって手が足りず、ありふれた悲しみを世界に積み上げていく。

 そんな世界で俺達は生きている。
 悲しみと不幸を乗り越えて、生きていくしかないんだ。

 ひどい世界だろう?ここは。
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