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二人目の吸血種
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明確な年代を計ることもできない程の昔に人類と敵対した吸血種。
残されている文献・口伝は数多くあれど、種としての最後について伝わるものは、信憑性においてただ一つの文献のみが真実と認められている。
吸血種を代表する二十華族の一つ、イーニルス家を最後に滅ぼしたことで、吸血種が全て根絶されたと断言する文献によれば、それ以降吸血種の生存は一切確認されず、過ぎ去った脅威とまで言われていた。
だがカーチ村へのクロウリーの襲撃から分かるように、吸血種は滅びてなどいなかったのだ。
多くの吸血種と二十華族の内十七家は確かに人類によって滅ぼされたが、ダナンクレアス家を含む三家だけは現在まで残っているという。
今日までその三家が生き延びてこれたのは、自分達の身代わりをそれと悟られずに人類に倒させ、生き残った吸血種は流浪の民として一つ所に留まらず、また偏執的なまでに自分達の痕跡を消してきことで、人類側の手から逃れたおかげだそうだ。
プライドの高い吸血種がそうまでして生き残りをはかったのには、それだけ人類による吸血種狩りが苛烈で執拗だったからだろう。
それから逃れたのだから、件の三家はよくやった方だと言える。
そうして世の中から隠れて生きること幾星霜。
世間にバレないように血を得つつも眷属を作らず、吸血種として長い寿命の中でも何度かの世代交代を繰り返した先に、吸血種はようやく平穏を手にした。
人が決して立ち寄らぬ未開の地に、あらゆる魔術や知識を用いて隠蔽を施した、吸血種だけが住まう隠れ里を、長い年月の果てに作り上げたのだ。
先祖から教えられた人類に対する恨みや憎しみはあれど、しかしこの時には穏やかに暮らす時間は吸血種にとってなによりの宝となっており、以降も人類とは関わらずに生きることを選び、隠れ里で繁栄とは無縁の停滞した時間を送っていく。
こうなると吸血種としての食料である血液はどうしていたのかというと、単純に人間ではなく狩りで得た動物のもので賄っていたらしい。
元々吸血種も普通の食べ物を摂取して生きていくことができるのだが、高い栄養価を誇る人間の血液は彼らにとっては本能的に欲する、いわば嗜好品のようなものだ。
例えるならちょっぴり遅い時間に食べるプリンのような、あるいは定時上がりのサラリーマンが飲むハイボールと言えばわかりやすいだろう。
とはいえ、動物の血液は人間のそれと比べると味は格段に落ちるため、美味い血液を手に入れるためにコッソリと人里に降りる吸血種も稀に存在していた。
それがクロウリーだ。
今の吸血種は長い間隠れ住んでいたせいか性格的に大分穏やかなものになっているそうだが、その中でクロウリーのように好戦的でプライドが高い昔ながらの吸血種らしい者も時折現れるのが知性ある存在の性だろう。
もっとも、そういうタイプは平穏を重んじる閉鎖的な隠れ里では、マイノリティであったのは確かだ。
周囲とはかなり毛色の違う性格に育っていたクロウリーだが、その血筋だけは確かなもので、どういう理由からか早々に親から家督を譲られ、ダナンクレアス家の当主の座に収まっていた。
一家の当主となれば表向きだけでも大人しくなりそうなものだが、クロウリーは生来の性格もあってかますます苛烈な行動を好むようになっていく。
特に問題となったのは、人里に降りては人間を襲い、吸血行為を繰り返したことだ。
一度や二度ならともかく、頻繁に人里で吸血種として動き回れば、いつかはその存在がバレる。
諫めたところで、改めることもない。
ついには隠れ里が人間に突き止められることを危ぶんだ同族達によって、クロウリーは当主の座を追われて幽閉されてしまったという。
「―だがクロウリーはその幽閉元から逃げ出し、このカーチ村へとやってきた、と」
「そう」
腕を組みながら険しい顔のアッジの言葉に、白一色の女は何の感情も籠っていない声を返す。
こちらに一切目を向けることもなく、出されたワインを舐めるようにチビチビと飲むその姿は、いっそ太々しいとまで言っていいほど落ち着いたものだ。
だが、種としての脅威は居合わせる誰もが明確に理解しており、そんな様子を見てもこちら側の緊張は一向に緩むことがない。
村長宅でテーブルを挟んでアッジが対面しているのは、あのクロウリーを倒した吸血種の女だ。
名前はルーシア、なんと現在のダナンクレアス家の当主だと言う。
暗がりの中でランプに照らされるその姿はなんとも妖し気で、吸血種特有の死蝋と見紛う肌に、腰までの長さがある透き通るような銀髪という組み合わせは、化生の美しさを体現しているようである。
出会ってから今まで顔に感情が一切現れていないのもあって、命を持った蝋人形という印象を持ったほどだ。
おまけに身に纏うドレスが白一色というのが、ますます作り物めいた美を際立たせていた。
十分に若いと言えるだけの見た目ではあるが、種族的なところを考えると実際の年齢は相当いってると考える。
外見的特徴がクロウリーとの類似があり、登場からクロウリー殺害までの間に見せた能力は人間の持つものとは明らかにかけ離れており、まさに吸血種固有の強さを示したと言っていいだろう。
あの後、俺達が見ている前でクロウリーを殺害したルーシアは、そのままこちらとの交渉の席を要求してきた。
新たな脅威かと身構えていた俺達だったが、思ったよりも建設的な申し出に面食らいながらも、断る理由もないのでその申し出を受けた。
相手が相手だけに交渉するのは非戦闘員では村長とアッジの二人だけに限定し、後は実力のある人間として俺とエランドが護衛として同席し、今に至るというわけだ。
他の面子については、パーラは吸血種への対抗手段として、万が一に備えて家の外でこちらを見張っており、ルーシアへの攻撃の判断はリーオスによって行われる。
本来なら交渉は村長がメインとなって行うべきなのだが、吸血種に対する恐怖がしみ込んでしまっているため、アッジが村長に変わって交渉のメインを務める。
それだけの信頼がアッジにはあるということだ。
なお、クロウリーが死んだことは他の村人にも伝えられているが、ルーシアという別の吸血種が現れたことについてはまだ明かしていない。
吸血種という脅威が去ったと思ったら、新たな吸血種がやってきたという情報は混乱を招きそうなので、ひとまずルーシアの存在を知る者は限定するというのがアッジの判断だ。
交渉の初めにまずルーシアが語ったのは、自分がなぜここに来たのかという理由だ。
発端はやはり幽閉先からクロウリーが脱走したことにある。
逃げださないように監視と牢を整えていたにもかかわらず、あっさりと見張りを殺して逃げ出せたのは、クロウリーが吸血種の中で強さという点で抜きんでていた証拠だという。
ひっそりと暮らすことを目的としている吸血種にとって、その存在をひけらかすかのように動くクロウリーが外に解き放たれたのは、隠れ里存続の危機でしかない。
前当主という肩書から躊躇われていた殺害も、ここにいたって選択肢として許され、クロウリーの後釜としてダナンクレアス家の当主に就いていたルーシアが、その実行役として自ら名乗り出てここまできたというわけだった。
実のところ、本来の彼我の実力差なら、クロウリーとは遭遇先で死闘を繰り広げることも覚悟していたらしい。
だが蓋を開けてみれば、人間相手に戦って極端に弱体化したクロウリーという相手に、一瞬で片が付いたことは僥倖と言う外ない。
ちなみに、クロウリーが頭を突かれて一発で死んだのは、高出力の魔力を精密操作で纏わせた手により、頭部にある吸血種固有の弱点をピンポイントで破壊したからだそうだ。
ごく短時間というタイミングと直接接触するという条件の上で、吸血種の中でも特に多くの保有魔力と魔力の扱いが優れた者だけが使える特殊な技らしい。
吸血種固有の器官の位置を正確に把握し、またそれに有効な魔力パターンともいうべき手法が使える、同族ならではの処刑法なのだとか。
なお、その弱点の正確な位置は流石に教えてはくれなかった。
敵対した過去のある人間という種を相手に、それは教えられないのも当然だろう。
「…なるほど、そちらの目的は分かった。しかし、クロウリーを倒してからも私達と交渉をしようとしたのは何故だ?用が済んだのなら早々に立ち去ってもよかっただろうに」
クロウリーによって直に吸血種というものを知ったアッジにとっては、目の前にいるのは女の形をした化け物だ。
それとテーブル一つだけ隔てた距離で話すのはかなりのストレスのようで、自然と声は棘を含んで強張ってしまっている。
幾分かオブラートに包んでいるが、目的を果たしたのならとっとと立ち去れと、そういう意図は誰にでも伝わる。
ルーシアは問いの答えを吟味するように、手にしていたカップの中身を飲み干すと、それを脇にどけて白い顔の中で一際赤く目立つ口をゆっくりと開いた。
「初めはそのつもりだった。クロウリーを処分したら、私達の存在を知ったあなた達も消し、それから逃げようと決めていたけど、事情が変わった」
サラっと怖いことを言われたが、納得も出来る。
その生き方からして人類に生存がバレるのはまずいルーシア達にしてみれば、居合わせた俺達を生かしておくのはリスクが大きい。
下手に目撃者を残して、大昔の吸血種狩りが再燃するのは彼女達も望まないはずだ。
一番確実で手っ取り早いのは、目撃者を始末することなので、ルーシアの思考は実に理に適っている。
だが、それを改めさせた何かが今の彼女にはあるらしい。
「事情とは?」
「今はここにはいないようだけど、あの時…クロウリーを倒した時に見た人狼の少女。あの子がいたから、私は交渉を選択した」
なるほど、パーラの存在に俺達の口封じを躊躇う理由があったようだ。
「クロウリーの力を封じたのはあの人狼の少女だったと、それぐらいは私も分かる。あれは間違いなく、吸血種の天敵。だからこそ、あの場で戦うことの愚はすぐに思い至った」
言われてみれば、吸血種にとっての天敵である人狼は、ただそこにいるだけでどうしても気になってしまうのかもしれない。
正面切って戦うという選択肢が選び難くもなるのだろう。
「口封じは無理だが、自分達の存在は隠したい、ならば交渉で吸血種生存の情報を秘匿させよう、というところか?」
途中でルーシアの要求に気付き、言葉を継ぐ形で交渉の目的をアッジが語れば、同意を示す頷きが向こうから返される。
戦闘はからっきしだが、この手の交渉で相手の要求を察せるのは商人らしさがあり、その辺りはアッジも十分にそれだけの能力は持ちあわせていた。
「その通り。話が早くて助かる。私達吸血種は人間と係わることを良しとしない。互いに口を噤めるなら、血が流れないで全て納められる。だからこそ、今回のクロウリーの件の始末は、あくまでも特例と考えてほしい。おかわり、もらえる?」
アッジの言葉に心なしか満足げに頷くと、ルーシアが空になったカップを指先で撫でながら、俺をジッと見つめてきた。
その仕草と目でワインを注げと要求しているのは分かるが、それで何故俺を見る?
俺はアッジの護衛と、いざとなった時に戦うためにここにいるのであって、給仕のつもりはないのだが。
そもそもルーシアにワインを提供したのは村長なので、お代わりを要求するならそっちに言えばいいのに。
そんな不満を覚え、他に視線を向ければ、アッジとエランドの二人から妙な圧力が籠った視線をぶつけられ、仕方なくテーブルへと近付いてワインボトルを掴む。
渋々といった態度を隠すことなくカップを満たしていくと、ルーシアの突き刺さるような視線を感じた。
発生源を見れば、相変わらず感情の感じられないルーシアの目と視線がかち合う。
ガンを飛ばすでもなく、どちらかというと観察するような目に少し構えてしまう。
正直なところ、今この場では俺に意識を向けられるのはあまりよろしくない。
何かあった時、意識外から攻撃できることのアドバンテージは捨てがたく、そういう意味ではあまり注目されたくないのだが、こうも見つめられては黙っているのも癪だ。
「…なにか?」
「あなた、変わった魔力を纏ってる。ただの人間とは違う…精霊か神の肉?不思議」
ボソリと呟くような言葉は、恐らく室内にいる誰もの耳に届いただろうが、多くの者が首を傾げる中、俺は心臓が十倍に膨れ上がるような勢いで跳ねた。
不意の言葉に、飛び出かけた驚愕の声を抑え込めたのは奇跡だ。
「なん、のことやら。俺はただの人間だが?」
向こうの揺さぶりに動揺を隠して給仕を終えると、元居た壁際の立ち位置へと戻る。
この女、俺の今の肉体が神が再構成したものだと気付いたのか。
吸血種は独自の魔術を使うのは知っているが、魔力感知能力も意外と高そうだ。
いや、もしかすれば感知能力とは別な、もっと何か違うものを感じ取っているかもしれないが、それを追求すると藪蛇になりかねないのでここは黙っておこう。
「…?そう、なのかしら?ならいい。なんだか変な感じがあったから、気になっただけ」
俺が否定するとあっさりと引き下がったことから、ルーシアにとっては本当にただのちょいとした疑問に過ぎなかったようだ。
ルーシアの発言を戯言の類と判断したのか、エランド達も追及してくることはなく、その場は交渉が続けられていく。
「それで、私達に吸血種の存在を黙ってほしいということだったな?率直に言って、応じがたい。なにせ、こちらはクロウリーによって少なくない被害を被っている。その危険性を国やら領主やら、そのあたりに報告しない理由がない」
被害者であるカーチ村としては、今回の件を領主に言わないという選択肢は取れない。
人が減った分だけ村の生活にも影響はあるし、現実的な話をすれば次回の納税にも影響がある。
領主へその理由を説明するためにも、吸血種についてをからめて陳情しなくてはならない。
アッジの言葉に、隣にいる村長も申し訳なさそうな顔で頷く。
たとえルーシアの機嫌を損ねようとも、村の代表としての判断は間違えられないと、そんな思いが読み取れる。
「あなた達人間が、庇護者との繋がりを大事にするのはよく分かっているつもり。でも、その上で頼みたい。再び吸血種と人間が争う世界にならないように、どうか私達の存在は忘れてほしい」
「…それはつまり、申し出を断れば吸血種は再び人類に牙を剥くと?」
「そんなつもりはない。これは可能性の話の一つ。そうなった場合、私達はまた身を隠してどこかへ逃げるだけ。でも、それは避けたいからこうして頼んでいる」
てっきり交渉の決裂と共に敵対するというのも考えていだけに、こうも逃げるとはっきり言われるとは驚きだ。
これがクロウリーなら是非もなしと戦争へ移行していただろうが、ルーシアはあくまでも交渉を続ける意思を示している。
それだけルーシア達も、今の隠れ住む土地からは離れがたいのだろう。
なにせ次の放浪の旅で安住の地が見つかる保証もない以上、やはり俺達に口を噤ませるのが手っ取り早い。
穏便に片を付けたいというのは、生き残っている吸血種達がいかに平穏を得難いものかと理解している証拠だ。
とはいえ、吸血種を相手にどこまで信用してもいいのかという思いはあるようで、アッジは村長と目配せをしながら悩んでいる。
「頼みを聞いてもらえるのなら、今回クロウリーが出した被害に対し、こちらからは十分な補償をする。それともう一つ、ダナンクレアス家からある物を進呈する」
そんなアッジの態度に感触の悪さを感じたのか、ルーシアは交渉の条件に対価の上乗せをしてきた。
感情の薄い顔からは分からないが、元々用意していた対価を出すタイミングとしては満足のいくものだったのか、若干だが吐く息に熱がこもっている気もする。
「補償は勿論要求するつもりだったが…ある物とは?」
被害を受けたカーチ村としては、賠償金などの請求は当然の権利ではあるが、吸血種がその辺りをどこまで考えているのか今一つ読み切れなかった。
だがこうしてルーシア自身の口から聞けたのなら芽のない話ではなく、おまけに何やらダナンクレアス家から珍品でももらえそうだというところに、アッジも商人として興味を抱かずにはいられないらしい。
長い年月を生きる吸血種の中でも名の知れているダナンクレアス家だ。
わざわざ対価として進呈するのならば、それなりの品のはず。
「『不凍の石』、と言うのは知ってる?」
こちらの様子を窺うように見まわしながら言うルーシアに、ほとんどは首を傾げるのみだったが、唯一エランドだけが反応を示した。
「確か、『冬を呑む蛇』という寓話に出てきたものだね。液体が注がれている器に入れれば、どんなに寒くなろうともその液体は凍ることがないっていう。けど、あらゆる年代、あらゆる土地の遺物や遺跡からも見つかっていないことから、架空の物質だというのが定説だ」
「それはそう。何故なら不凍の石は私達吸血種のみが作り出せるものだから。不凍の石は、使っていればいずれ消えて無くなる。吸血種がいなくなれば、以降は手に入る方法もなくなる」
なるほど、その存在を執拗に隠していた吸血種のみが作れるからこそ、現代の人間が手にする機会は限りなくゼロに近い。
消耗品だとすれば、過去にあった分も長い年月をかけて消費され尽くし、今では架空の物質とまで言われるレア素材になったとしても不思議ではない。
なんとも異世界らしい不思議物質だが、特定種族だけが生み出せる貴重さは、色々と問題も恩恵も絡んで面倒くさそうだ。
俺としてはサンプル的に多少は手元に欲しいところだが、独占しようという気はまるで起きない物質だな。
「ということは、過去には吸血種は人間にその不凍の石を供給していた?」
「厳密には、略奪されていたというのが正しい。当時、吸血種と人類の対立は激化していて、殺された吸血種が保有していた石が人類側の手に渡って利用されていたと聞く」
「ほう、それは初めて聞いた事実だね。いやそう考えると、具象大戦の末に始まった吸血種との闘争も、少し見え方が変わってきそうだ。もしかしたら、その不凍の石を狙って人間側が戦いを仕掛けたという可能性も…」
具象大戦からの対吸血種戦という流れは、確かに俺もエランドから聞いて腑に落ちない部分がいくつかあった。
それがもしも、吸血種だけが作れる物質を狙っての戦いだとすれば、伝承にはない戦争の姿が見えてきそうな気もする。
「それは私にも分からない。そこまでの話はこちらにも伝わっていないから」
歴史の真実が分かりそうな気もしたが、流石にそううまい話はないようで、ルーシアの方も争いの根本部分は分からないそうだ。
とはいえ、歴史の新しい解釈の可能性に触れたエランドは、研究者の血が騒いだのかさらにルーシアに言い募ろうとしたが、そこはアッジが宥めた。
「待てエランド、そう興奮するな。今はその話は置いておけ。それで、その不凍の石をこちらにくれるというが、もらったところでなんだというのだ?水が凍らない石というだけで、使い道も思い浮かばんぞ、そんなもの」
「あなたにはそうかもしれない。けど、この村のワイン造りには有用。村長、このワインはいつの仕込み?」
アッジの不満そうな声を無視するように、ルーシアは手にしていたカップを持ち上げ、それまで添え物同然だった村長へ話しかけた。
突然矛先が向いたことで一瞬驚いたが、自分達が供したワインについて聞かれたと分かれば、その口は躊躇いがちにだが動き出す。
「は、はあ。それは去年の夏に作ったものですな」
「去年の夏は、いつもよりも寒かった。このワインも、そのせいで熟成が今一つね」
「…お恥ずかしい。仰る通り、去年は春頃がとにかく暑く、ブドウの成長もよかったものですから、早めにワインを仕込んだところ、その後が夏とは思えないほど冷え込んでしまい…。久しぶりに出来の悪いワインを作ってしまったと、村中で頭を抱えてしまって」
「そのワインの熟成の失敗も、不凍の石があればもう少しなんとかなっていたかもしれない。そういう意味で、あなた達には石が必要」
「は?それはどういう…」
「さっきそっちのが言った、不凍の石を入れた器の液体は凍らないというのはある意味では正しいけど間違いでもある。不凍の石は、液体の温度の変化を限りなく小さく、弱くするという特性を備えている」
「ワインを熟成させる樽にその石を入れておけば、極端な温度変化に品質を左右されることなく、いいワインが作れるということだね?おもしろい!村長、これは是非とも手に入れるべき物だよ!」
アッジに窘められたのもどこ吹く風と、エランドは興奮した声で村長に詰め寄る。
その言い様はカーチ村の利益は勿論考えてのことだろうが、同時に不凍の石を研究してやろうという意図はあからさまだ。
一ミリも隠せていない。
「…石がどうのと正直ワシにはよく分からんが、去年のようなことがなくなるというのなら、確かに悪い話ではないな。ワシはルーシア殿の申し出を受けようと思うが、アッジよ、そちらはどうする?」
鼻息を荒くするエランドに若干引きながら、村長はルーシアの提案に一定の利を見出したようで、アッジに意味ありげな視線を向けた。
吸血種のことを内緒にするというのなら、たまたまカーチ村に居合わせた俺達も口裏を合わせる必要がある。
村の人間ではないアッジに同調を強いることはできないが、それでも意志を同じくすることを確かめようとする村長の言葉に、アッジもしばし目を瞑って考え込んだ後、静かに頷いた。
「村長がそうと決めたのならそれでいいと思う。一応メアリ会長には報告させてもらうが、あの方もこの話は受けるべきと判断するだろう。ただ、念のため商隊の者には話しておきたい。全員が吸血種の秘匿に同意してくれるかは確約できんがな」
「確かに。ワシの方も、ルーシア殿を目撃した村の者と話しておくべきか」
今回の件がある以上、上から言うだけで吸血種に対する反感というのを抑え込むのは、中々難しいものだ。
とはいえ、この世界では吸血種以外に、人類では到底太刀打ちできない存在というのは数多くいるため、そういうのと敵対する愚は誰でも理解できる。
ならば吸血種側が平穏を望んでいるのなら、それを尊重するはずだ。
全員を納得させるかはアッジと村長の説得次第だが、これでルーシアの話を突っぱねたところで、こちらが得るものは何もないのもまた事実。
交渉を決裂させて終えれば、ルーシア達はただ姿を消すのみで、賠償請求の先は失われるし、そもそも隠れ里の場所を知らないのなら、国に脅威を訴えたところでまともに取り合ってくれるかも怪しい。
唯一証拠となりそうなクロウリーの死体も、死後あっという間に灰に変わってしまっているため、下手をすれば治安の騒乱なんかで逆に罰せられかねない。
最悪、村総がかりのペテンと思われる可能性もなくはない。
このあたりの危うさを含めて上手く説明できれば、ルーシアの要求に否を唱える声はそうそうないと思える。
「ルーシアさん、この件については身内で少し話をしたい。私と村長は少し席を外させてもらう。悪いが、しばらくここで待ってくれるか?」
少し小声で話し合ったアッジと村長は、他の人間の説明と説得のために席を外すことを決めたようだ。
最終的な決定はリーダーの仕事だが、意見をまとめるのまた彼らの役目だ。
「構わない。いい返事を聞けることを期待する」
「すまんな。アンディとエランド、お前達はルーシアさんの相手をしててくれ」
相手とは言うが、実際は監視の側面が大きく、アッジもそれを期待した上での言葉だろう。
村長と共に外への扉をくぐるアッジの背中を見送り、室内には俺とエランドとルーシアだけが残った。
それにしても、俺とエランドにはルーシアの要求についての同意を得ることはしないんだな。
まぁ今の彼らの話を聞いていれば、反対する気などないので別にいいが。
吸血種のヤバさは身をもって知っている以上、敵対しない可能性があるならそれにかけたくなるのは当然だろう。
「…さて、ただ待っているのも退屈だし、ルーシアさん、よければ君達のことについてもう少し聞いてもいいかな?」
「それは吸血種のことを?それとも私達の里について?」
「両方、と言いたいところだけど、僕としては吸血種という種族に関することを知りたい。なにせ、文献やら伝承にあるものからの推測が少なからず混ざった知識しかないのでね」
「そう。なら先に言っておくけど、私にも知らないことと言えないことがある。それを分かった上での質問なら答えてもいい」
好奇心からの質問タイムを企んだエランドの言葉に、ルーシアはその求めるところを正しく図ろうとする。
ルーシアも自分達の事情を全てこちらに明かしているはずがないので、その線引きは当然のものだ。
「ああ、それでいいとも。ならまず何から聞こうか…例えば、君達吸血種はどう産まれるのかということなんかはどうだろう」
「なんでそんなことを?」
「いや、過去にベナトは人間を眷属化して同族を増やしたというのは知っているがね、となれば、今生き残っている吸血種もそうして産まれてきたのかなと」
「なるほど…まず、私達はあなた達と同じ方法で生まれてくる。男と女が愛し合い、妊娠と出産の過程を経て、赤子として産まれてくるという感じ。ただ、私達は子供ができにくい種族だから、あなた達ほどの数の増え方はしないわ」
研究者肌のエランドだけに、結構ナイーブな話に踏み込むかと思って聞き流す気だった俺だが、中々そそられる話になりそうだ。
これは一つ、しっかりと聞いてみるのも悪くなさそうだ。
残されている文献・口伝は数多くあれど、種としての最後について伝わるものは、信憑性においてただ一つの文献のみが真実と認められている。
吸血種を代表する二十華族の一つ、イーニルス家を最後に滅ぼしたことで、吸血種が全て根絶されたと断言する文献によれば、それ以降吸血種の生存は一切確認されず、過ぎ去った脅威とまで言われていた。
だがカーチ村へのクロウリーの襲撃から分かるように、吸血種は滅びてなどいなかったのだ。
多くの吸血種と二十華族の内十七家は確かに人類によって滅ぼされたが、ダナンクレアス家を含む三家だけは現在まで残っているという。
今日までその三家が生き延びてこれたのは、自分達の身代わりをそれと悟られずに人類に倒させ、生き残った吸血種は流浪の民として一つ所に留まらず、また偏執的なまでに自分達の痕跡を消してきことで、人類側の手から逃れたおかげだそうだ。
プライドの高い吸血種がそうまでして生き残りをはかったのには、それだけ人類による吸血種狩りが苛烈で執拗だったからだろう。
それから逃れたのだから、件の三家はよくやった方だと言える。
そうして世の中から隠れて生きること幾星霜。
世間にバレないように血を得つつも眷属を作らず、吸血種として長い寿命の中でも何度かの世代交代を繰り返した先に、吸血種はようやく平穏を手にした。
人が決して立ち寄らぬ未開の地に、あらゆる魔術や知識を用いて隠蔽を施した、吸血種だけが住まう隠れ里を、長い年月の果てに作り上げたのだ。
先祖から教えられた人類に対する恨みや憎しみはあれど、しかしこの時には穏やかに暮らす時間は吸血種にとってなによりの宝となっており、以降も人類とは関わらずに生きることを選び、隠れ里で繁栄とは無縁の停滞した時間を送っていく。
こうなると吸血種としての食料である血液はどうしていたのかというと、単純に人間ではなく狩りで得た動物のもので賄っていたらしい。
元々吸血種も普通の食べ物を摂取して生きていくことができるのだが、高い栄養価を誇る人間の血液は彼らにとっては本能的に欲する、いわば嗜好品のようなものだ。
例えるならちょっぴり遅い時間に食べるプリンのような、あるいは定時上がりのサラリーマンが飲むハイボールと言えばわかりやすいだろう。
とはいえ、動物の血液は人間のそれと比べると味は格段に落ちるため、美味い血液を手に入れるためにコッソリと人里に降りる吸血種も稀に存在していた。
それがクロウリーだ。
今の吸血種は長い間隠れ住んでいたせいか性格的に大分穏やかなものになっているそうだが、その中でクロウリーのように好戦的でプライドが高い昔ながらの吸血種らしい者も時折現れるのが知性ある存在の性だろう。
もっとも、そういうタイプは平穏を重んじる閉鎖的な隠れ里では、マイノリティであったのは確かだ。
周囲とはかなり毛色の違う性格に育っていたクロウリーだが、その血筋だけは確かなもので、どういう理由からか早々に親から家督を譲られ、ダナンクレアス家の当主の座に収まっていた。
一家の当主となれば表向きだけでも大人しくなりそうなものだが、クロウリーは生来の性格もあってかますます苛烈な行動を好むようになっていく。
特に問題となったのは、人里に降りては人間を襲い、吸血行為を繰り返したことだ。
一度や二度ならともかく、頻繁に人里で吸血種として動き回れば、いつかはその存在がバレる。
諫めたところで、改めることもない。
ついには隠れ里が人間に突き止められることを危ぶんだ同族達によって、クロウリーは当主の座を追われて幽閉されてしまったという。
「―だがクロウリーはその幽閉元から逃げ出し、このカーチ村へとやってきた、と」
「そう」
腕を組みながら険しい顔のアッジの言葉に、白一色の女は何の感情も籠っていない声を返す。
こちらに一切目を向けることもなく、出されたワインを舐めるようにチビチビと飲むその姿は、いっそ太々しいとまで言っていいほど落ち着いたものだ。
だが、種としての脅威は居合わせる誰もが明確に理解しており、そんな様子を見てもこちら側の緊張は一向に緩むことがない。
村長宅でテーブルを挟んでアッジが対面しているのは、あのクロウリーを倒した吸血種の女だ。
名前はルーシア、なんと現在のダナンクレアス家の当主だと言う。
暗がりの中でランプに照らされるその姿はなんとも妖し気で、吸血種特有の死蝋と見紛う肌に、腰までの長さがある透き通るような銀髪という組み合わせは、化生の美しさを体現しているようである。
出会ってから今まで顔に感情が一切現れていないのもあって、命を持った蝋人形という印象を持ったほどだ。
おまけに身に纏うドレスが白一色というのが、ますます作り物めいた美を際立たせていた。
十分に若いと言えるだけの見た目ではあるが、種族的なところを考えると実際の年齢は相当いってると考える。
外見的特徴がクロウリーとの類似があり、登場からクロウリー殺害までの間に見せた能力は人間の持つものとは明らかにかけ離れており、まさに吸血種固有の強さを示したと言っていいだろう。
あの後、俺達が見ている前でクロウリーを殺害したルーシアは、そのままこちらとの交渉の席を要求してきた。
新たな脅威かと身構えていた俺達だったが、思ったよりも建設的な申し出に面食らいながらも、断る理由もないのでその申し出を受けた。
相手が相手だけに交渉するのは非戦闘員では村長とアッジの二人だけに限定し、後は実力のある人間として俺とエランドが護衛として同席し、今に至るというわけだ。
他の面子については、パーラは吸血種への対抗手段として、万が一に備えて家の外でこちらを見張っており、ルーシアへの攻撃の判断はリーオスによって行われる。
本来なら交渉は村長がメインとなって行うべきなのだが、吸血種に対する恐怖がしみ込んでしまっているため、アッジが村長に変わって交渉のメインを務める。
それだけの信頼がアッジにはあるということだ。
なお、クロウリーが死んだことは他の村人にも伝えられているが、ルーシアという別の吸血種が現れたことについてはまだ明かしていない。
吸血種という脅威が去ったと思ったら、新たな吸血種がやってきたという情報は混乱を招きそうなので、ひとまずルーシアの存在を知る者は限定するというのがアッジの判断だ。
交渉の初めにまずルーシアが語ったのは、自分がなぜここに来たのかという理由だ。
発端はやはり幽閉先からクロウリーが脱走したことにある。
逃げださないように監視と牢を整えていたにもかかわらず、あっさりと見張りを殺して逃げ出せたのは、クロウリーが吸血種の中で強さという点で抜きんでていた証拠だという。
ひっそりと暮らすことを目的としている吸血種にとって、その存在をひけらかすかのように動くクロウリーが外に解き放たれたのは、隠れ里存続の危機でしかない。
前当主という肩書から躊躇われていた殺害も、ここにいたって選択肢として許され、クロウリーの後釜としてダナンクレアス家の当主に就いていたルーシアが、その実行役として自ら名乗り出てここまできたというわけだった。
実のところ、本来の彼我の実力差なら、クロウリーとは遭遇先で死闘を繰り広げることも覚悟していたらしい。
だが蓋を開けてみれば、人間相手に戦って極端に弱体化したクロウリーという相手に、一瞬で片が付いたことは僥倖と言う外ない。
ちなみに、クロウリーが頭を突かれて一発で死んだのは、高出力の魔力を精密操作で纏わせた手により、頭部にある吸血種固有の弱点をピンポイントで破壊したからだそうだ。
ごく短時間というタイミングと直接接触するという条件の上で、吸血種の中でも特に多くの保有魔力と魔力の扱いが優れた者だけが使える特殊な技らしい。
吸血種固有の器官の位置を正確に把握し、またそれに有効な魔力パターンともいうべき手法が使える、同族ならではの処刑法なのだとか。
なお、その弱点の正確な位置は流石に教えてはくれなかった。
敵対した過去のある人間という種を相手に、それは教えられないのも当然だろう。
「…なるほど、そちらの目的は分かった。しかし、クロウリーを倒してからも私達と交渉をしようとしたのは何故だ?用が済んだのなら早々に立ち去ってもよかっただろうに」
クロウリーによって直に吸血種というものを知ったアッジにとっては、目の前にいるのは女の形をした化け物だ。
それとテーブル一つだけ隔てた距離で話すのはかなりのストレスのようで、自然と声は棘を含んで強張ってしまっている。
幾分かオブラートに包んでいるが、目的を果たしたのならとっとと立ち去れと、そういう意図は誰にでも伝わる。
ルーシアは問いの答えを吟味するように、手にしていたカップの中身を飲み干すと、それを脇にどけて白い顔の中で一際赤く目立つ口をゆっくりと開いた。
「初めはそのつもりだった。クロウリーを処分したら、私達の存在を知ったあなた達も消し、それから逃げようと決めていたけど、事情が変わった」
サラっと怖いことを言われたが、納得も出来る。
その生き方からして人類に生存がバレるのはまずいルーシア達にしてみれば、居合わせた俺達を生かしておくのはリスクが大きい。
下手に目撃者を残して、大昔の吸血種狩りが再燃するのは彼女達も望まないはずだ。
一番確実で手っ取り早いのは、目撃者を始末することなので、ルーシアの思考は実に理に適っている。
だが、それを改めさせた何かが今の彼女にはあるらしい。
「事情とは?」
「今はここにはいないようだけど、あの時…クロウリーを倒した時に見た人狼の少女。あの子がいたから、私は交渉を選択した」
なるほど、パーラの存在に俺達の口封じを躊躇う理由があったようだ。
「クロウリーの力を封じたのはあの人狼の少女だったと、それぐらいは私も分かる。あれは間違いなく、吸血種の天敵。だからこそ、あの場で戦うことの愚はすぐに思い至った」
言われてみれば、吸血種にとっての天敵である人狼は、ただそこにいるだけでどうしても気になってしまうのかもしれない。
正面切って戦うという選択肢が選び難くもなるのだろう。
「口封じは無理だが、自分達の存在は隠したい、ならば交渉で吸血種生存の情報を秘匿させよう、というところか?」
途中でルーシアの要求に気付き、言葉を継ぐ形で交渉の目的をアッジが語れば、同意を示す頷きが向こうから返される。
戦闘はからっきしだが、この手の交渉で相手の要求を察せるのは商人らしさがあり、その辺りはアッジも十分にそれだけの能力は持ちあわせていた。
「その通り。話が早くて助かる。私達吸血種は人間と係わることを良しとしない。互いに口を噤めるなら、血が流れないで全て納められる。だからこそ、今回のクロウリーの件の始末は、あくまでも特例と考えてほしい。おかわり、もらえる?」
アッジの言葉に心なしか満足げに頷くと、ルーシアが空になったカップを指先で撫でながら、俺をジッと見つめてきた。
その仕草と目でワインを注げと要求しているのは分かるが、それで何故俺を見る?
俺はアッジの護衛と、いざとなった時に戦うためにここにいるのであって、給仕のつもりはないのだが。
そもそもルーシアにワインを提供したのは村長なので、お代わりを要求するならそっちに言えばいいのに。
そんな不満を覚え、他に視線を向ければ、アッジとエランドの二人から妙な圧力が籠った視線をぶつけられ、仕方なくテーブルへと近付いてワインボトルを掴む。
渋々といった態度を隠すことなくカップを満たしていくと、ルーシアの突き刺さるような視線を感じた。
発生源を見れば、相変わらず感情の感じられないルーシアの目と視線がかち合う。
ガンを飛ばすでもなく、どちらかというと観察するような目に少し構えてしまう。
正直なところ、今この場では俺に意識を向けられるのはあまりよろしくない。
何かあった時、意識外から攻撃できることのアドバンテージは捨てがたく、そういう意味ではあまり注目されたくないのだが、こうも見つめられては黙っているのも癪だ。
「…なにか?」
「あなた、変わった魔力を纏ってる。ただの人間とは違う…精霊か神の肉?不思議」
ボソリと呟くような言葉は、恐らく室内にいる誰もの耳に届いただろうが、多くの者が首を傾げる中、俺は心臓が十倍に膨れ上がるような勢いで跳ねた。
不意の言葉に、飛び出かけた驚愕の声を抑え込めたのは奇跡だ。
「なん、のことやら。俺はただの人間だが?」
向こうの揺さぶりに動揺を隠して給仕を終えると、元居た壁際の立ち位置へと戻る。
この女、俺の今の肉体が神が再構成したものだと気付いたのか。
吸血種は独自の魔術を使うのは知っているが、魔力感知能力も意外と高そうだ。
いや、もしかすれば感知能力とは別な、もっと何か違うものを感じ取っているかもしれないが、それを追求すると藪蛇になりかねないのでここは黙っておこう。
「…?そう、なのかしら?ならいい。なんだか変な感じがあったから、気になっただけ」
俺が否定するとあっさりと引き下がったことから、ルーシアにとっては本当にただのちょいとした疑問に過ぎなかったようだ。
ルーシアの発言を戯言の類と判断したのか、エランド達も追及してくることはなく、その場は交渉が続けられていく。
「それで、私達に吸血種の存在を黙ってほしいということだったな?率直に言って、応じがたい。なにせ、こちらはクロウリーによって少なくない被害を被っている。その危険性を国やら領主やら、そのあたりに報告しない理由がない」
被害者であるカーチ村としては、今回の件を領主に言わないという選択肢は取れない。
人が減った分だけ村の生活にも影響はあるし、現実的な話をすれば次回の納税にも影響がある。
領主へその理由を説明するためにも、吸血種についてをからめて陳情しなくてはならない。
アッジの言葉に、隣にいる村長も申し訳なさそうな顔で頷く。
たとえルーシアの機嫌を損ねようとも、村の代表としての判断は間違えられないと、そんな思いが読み取れる。
「あなた達人間が、庇護者との繋がりを大事にするのはよく分かっているつもり。でも、その上で頼みたい。再び吸血種と人間が争う世界にならないように、どうか私達の存在は忘れてほしい」
「…それはつまり、申し出を断れば吸血種は再び人類に牙を剥くと?」
「そんなつもりはない。これは可能性の話の一つ。そうなった場合、私達はまた身を隠してどこかへ逃げるだけ。でも、それは避けたいからこうして頼んでいる」
てっきり交渉の決裂と共に敵対するというのも考えていだけに、こうも逃げるとはっきり言われるとは驚きだ。
これがクロウリーなら是非もなしと戦争へ移行していただろうが、ルーシアはあくまでも交渉を続ける意思を示している。
それだけルーシア達も、今の隠れ住む土地からは離れがたいのだろう。
なにせ次の放浪の旅で安住の地が見つかる保証もない以上、やはり俺達に口を噤ませるのが手っ取り早い。
穏便に片を付けたいというのは、生き残っている吸血種達がいかに平穏を得難いものかと理解している証拠だ。
とはいえ、吸血種を相手にどこまで信用してもいいのかという思いはあるようで、アッジは村長と目配せをしながら悩んでいる。
「頼みを聞いてもらえるのなら、今回クロウリーが出した被害に対し、こちらからは十分な補償をする。それともう一つ、ダナンクレアス家からある物を進呈する」
そんなアッジの態度に感触の悪さを感じたのか、ルーシアは交渉の条件に対価の上乗せをしてきた。
感情の薄い顔からは分からないが、元々用意していた対価を出すタイミングとしては満足のいくものだったのか、若干だが吐く息に熱がこもっている気もする。
「補償は勿論要求するつもりだったが…ある物とは?」
被害を受けたカーチ村としては、賠償金などの請求は当然の権利ではあるが、吸血種がその辺りをどこまで考えているのか今一つ読み切れなかった。
だがこうしてルーシア自身の口から聞けたのなら芽のない話ではなく、おまけに何やらダナンクレアス家から珍品でももらえそうだというところに、アッジも商人として興味を抱かずにはいられないらしい。
長い年月を生きる吸血種の中でも名の知れているダナンクレアス家だ。
わざわざ対価として進呈するのならば、それなりの品のはず。
「『不凍の石』、と言うのは知ってる?」
こちらの様子を窺うように見まわしながら言うルーシアに、ほとんどは首を傾げるのみだったが、唯一エランドだけが反応を示した。
「確か、『冬を呑む蛇』という寓話に出てきたものだね。液体が注がれている器に入れれば、どんなに寒くなろうともその液体は凍ることがないっていう。けど、あらゆる年代、あらゆる土地の遺物や遺跡からも見つかっていないことから、架空の物質だというのが定説だ」
「それはそう。何故なら不凍の石は私達吸血種のみが作り出せるものだから。不凍の石は、使っていればいずれ消えて無くなる。吸血種がいなくなれば、以降は手に入る方法もなくなる」
なるほど、その存在を執拗に隠していた吸血種のみが作れるからこそ、現代の人間が手にする機会は限りなくゼロに近い。
消耗品だとすれば、過去にあった分も長い年月をかけて消費され尽くし、今では架空の物質とまで言われるレア素材になったとしても不思議ではない。
なんとも異世界らしい不思議物質だが、特定種族だけが生み出せる貴重さは、色々と問題も恩恵も絡んで面倒くさそうだ。
俺としてはサンプル的に多少は手元に欲しいところだが、独占しようという気はまるで起きない物質だな。
「ということは、過去には吸血種は人間にその不凍の石を供給していた?」
「厳密には、略奪されていたというのが正しい。当時、吸血種と人類の対立は激化していて、殺された吸血種が保有していた石が人類側の手に渡って利用されていたと聞く」
「ほう、それは初めて聞いた事実だね。いやそう考えると、具象大戦の末に始まった吸血種との闘争も、少し見え方が変わってきそうだ。もしかしたら、その不凍の石を狙って人間側が戦いを仕掛けたという可能性も…」
具象大戦からの対吸血種戦という流れは、確かに俺もエランドから聞いて腑に落ちない部分がいくつかあった。
それがもしも、吸血種だけが作れる物質を狙っての戦いだとすれば、伝承にはない戦争の姿が見えてきそうな気もする。
「それは私にも分からない。そこまでの話はこちらにも伝わっていないから」
歴史の真実が分かりそうな気もしたが、流石にそううまい話はないようで、ルーシアの方も争いの根本部分は分からないそうだ。
とはいえ、歴史の新しい解釈の可能性に触れたエランドは、研究者の血が騒いだのかさらにルーシアに言い募ろうとしたが、そこはアッジが宥めた。
「待てエランド、そう興奮するな。今はその話は置いておけ。それで、その不凍の石をこちらにくれるというが、もらったところでなんだというのだ?水が凍らない石というだけで、使い道も思い浮かばんぞ、そんなもの」
「あなたにはそうかもしれない。けど、この村のワイン造りには有用。村長、このワインはいつの仕込み?」
アッジの不満そうな声を無視するように、ルーシアは手にしていたカップを持ち上げ、それまで添え物同然だった村長へ話しかけた。
突然矛先が向いたことで一瞬驚いたが、自分達が供したワインについて聞かれたと分かれば、その口は躊躇いがちにだが動き出す。
「は、はあ。それは去年の夏に作ったものですな」
「去年の夏は、いつもよりも寒かった。このワインも、そのせいで熟成が今一つね」
「…お恥ずかしい。仰る通り、去年は春頃がとにかく暑く、ブドウの成長もよかったものですから、早めにワインを仕込んだところ、その後が夏とは思えないほど冷え込んでしまい…。久しぶりに出来の悪いワインを作ってしまったと、村中で頭を抱えてしまって」
「そのワインの熟成の失敗も、不凍の石があればもう少しなんとかなっていたかもしれない。そういう意味で、あなた達には石が必要」
「は?それはどういう…」
「さっきそっちのが言った、不凍の石を入れた器の液体は凍らないというのはある意味では正しいけど間違いでもある。不凍の石は、液体の温度の変化を限りなく小さく、弱くするという特性を備えている」
「ワインを熟成させる樽にその石を入れておけば、極端な温度変化に品質を左右されることなく、いいワインが作れるということだね?おもしろい!村長、これは是非とも手に入れるべき物だよ!」
アッジに窘められたのもどこ吹く風と、エランドは興奮した声で村長に詰め寄る。
その言い様はカーチ村の利益は勿論考えてのことだろうが、同時に不凍の石を研究してやろうという意図はあからさまだ。
一ミリも隠せていない。
「…石がどうのと正直ワシにはよく分からんが、去年のようなことがなくなるというのなら、確かに悪い話ではないな。ワシはルーシア殿の申し出を受けようと思うが、アッジよ、そちらはどうする?」
鼻息を荒くするエランドに若干引きながら、村長はルーシアの提案に一定の利を見出したようで、アッジに意味ありげな視線を向けた。
吸血種のことを内緒にするというのなら、たまたまカーチ村に居合わせた俺達も口裏を合わせる必要がある。
村の人間ではないアッジに同調を強いることはできないが、それでも意志を同じくすることを確かめようとする村長の言葉に、アッジもしばし目を瞑って考え込んだ後、静かに頷いた。
「村長がそうと決めたのならそれでいいと思う。一応メアリ会長には報告させてもらうが、あの方もこの話は受けるべきと判断するだろう。ただ、念のため商隊の者には話しておきたい。全員が吸血種の秘匿に同意してくれるかは確約できんがな」
「確かに。ワシの方も、ルーシア殿を目撃した村の者と話しておくべきか」
今回の件がある以上、上から言うだけで吸血種に対する反感というのを抑え込むのは、中々難しいものだ。
とはいえ、この世界では吸血種以外に、人類では到底太刀打ちできない存在というのは数多くいるため、そういうのと敵対する愚は誰でも理解できる。
ならば吸血種側が平穏を望んでいるのなら、それを尊重するはずだ。
全員を納得させるかはアッジと村長の説得次第だが、これでルーシアの話を突っぱねたところで、こちらが得るものは何もないのもまた事実。
交渉を決裂させて終えれば、ルーシア達はただ姿を消すのみで、賠償請求の先は失われるし、そもそも隠れ里の場所を知らないのなら、国に脅威を訴えたところでまともに取り合ってくれるかも怪しい。
唯一証拠となりそうなクロウリーの死体も、死後あっという間に灰に変わってしまっているため、下手をすれば治安の騒乱なんかで逆に罰せられかねない。
最悪、村総がかりのペテンと思われる可能性もなくはない。
このあたりの危うさを含めて上手く説明できれば、ルーシアの要求に否を唱える声はそうそうないと思える。
「ルーシアさん、この件については身内で少し話をしたい。私と村長は少し席を外させてもらう。悪いが、しばらくここで待ってくれるか?」
少し小声で話し合ったアッジと村長は、他の人間の説明と説得のために席を外すことを決めたようだ。
最終的な決定はリーダーの仕事だが、意見をまとめるのまた彼らの役目だ。
「構わない。いい返事を聞けることを期待する」
「すまんな。アンディとエランド、お前達はルーシアさんの相手をしててくれ」
相手とは言うが、実際は監視の側面が大きく、アッジもそれを期待した上での言葉だろう。
村長と共に外への扉をくぐるアッジの背中を見送り、室内には俺とエランドとルーシアだけが残った。
それにしても、俺とエランドにはルーシアの要求についての同意を得ることはしないんだな。
まぁ今の彼らの話を聞いていれば、反対する気などないので別にいいが。
吸血種のヤバさは身をもって知っている以上、敵対しない可能性があるならそれにかけたくなるのは当然だろう。
「…さて、ただ待っているのも退屈だし、ルーシアさん、よければ君達のことについてもう少し聞いてもいいかな?」
「それは吸血種のことを?それとも私達の里について?」
「両方、と言いたいところだけど、僕としては吸血種という種族に関することを知りたい。なにせ、文献やら伝承にあるものからの推測が少なからず混ざった知識しかないのでね」
「そう。なら先に言っておくけど、私にも知らないことと言えないことがある。それを分かった上での質問なら答えてもいい」
好奇心からの質問タイムを企んだエランドの言葉に、ルーシアはその求めるところを正しく図ろうとする。
ルーシアも自分達の事情を全てこちらに明かしているはずがないので、その線引きは当然のものだ。
「ああ、それでいいとも。ならまず何から聞こうか…例えば、君達吸血種はどう産まれるのかということなんかはどうだろう」
「なんでそんなことを?」
「いや、過去にベナトは人間を眷属化して同族を増やしたというのは知っているがね、となれば、今生き残っている吸血種もそうして産まれてきたのかなと」
「なるほど…まず、私達はあなた達と同じ方法で生まれてくる。男と女が愛し合い、妊娠と出産の過程を経て、赤子として産まれてくるという感じ。ただ、私達は子供ができにくい種族だから、あなた達ほどの数の増え方はしないわ」
研究者肌のエランドだけに、結構ナイーブな話に踏み込むかと思って聞き流す気だった俺だが、中々そそられる話になりそうだ。
これは一つ、しっかりと聞いてみるのも悪くなさそうだ。
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