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吸血鬼を迎撃せよ

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 小さな村を舞台に、吸血鬼を敵に回して戦う。
 ゲームや映画なら使い古されたシチュエーションだが、現実に自分の身に起きることになるとは、なんとひどい世界だろうか。

 クロウリーと戦うことをアッジをはじめとして村長らに説明すると、最初は難色を示したが、置かれている状況が好転する材料の乏しさを指摘され、渋々とだが了承してくれた。

 村人達にもそのことは伝えたが、やはり敵が吸血種であることと、こちらの戦力の不足も相まって、皆一様に不安は大きい。

 しかしカーチ村の住民の多くは戦う力を持たず、避難こそすれ完全に逃げることは出来ない、袋の鼠と言っていい状況に置かれている。
 迎え撃つこちらの戦力は数に乏しく、一部の者の質だけは吸血種に対抗できるが、それでも勝てるとは言えないほどに敵は強大だ。

 そんな状況で吸血種といつまでも付き合って生きるのは苦痛にしかならず、村人も最終的にはクロウリーとの対決を支持する結果となる。
 勿論、これは非戦闘員である村人が直接戦わないという条件付きでの支持なのだが、一方でクロウリーによって家族や身内を殺された、あるいは攫われたという村人もおり、そういった人間の復讐心から来る後押しもあったのは確かだ。

 こうしてカーチ村の協力を取り付け、猶予として残っていた二日をフルに使って、クロウリーとの戦いの準備を整えた。

 戦えない人達は俺が村の外すぐ近くに作った避難用の洞穴に避難してもらい、戦う人間は村の中央広場で迎え撃つ。
 商隊が連れてきた傭兵に加え、村人から有志で戦闘に加わる数人を含めた二十人が全戦力だ。

 数としては心もとないが、孤立した俺達にはこれ以上の戦力を用意するのは不可能。
 おまけに戦いとなれば、周囲にある家屋を壊さないように配慮する必要もあり、敵に比してこちらは無遠慮に全力を振るいにくい。
 敵は自由に戦えて、こっちは周囲に気を使って戦うというのがなんともやりづらい。

 まぁいざとなれば建物に対する被害は目を瞑ってもらわなければならないが、仮に村の財産に損害が出た場合、メアリ商会が補填を行うという言葉をアッジからもらっている。
 多少の被害は織り込み済みだ。

 商会に連絡できない現状、現場の独断で決めていいのかとも思うが、それを気にして全滅しましたでは笑えないとのこと。
 壊れた建物は直せるが、命は失われればそれまでだからな。

 敵は手を抜いて勝てるほど弱くはなく、魔術師三人が全力を出す戦いで村に被害なしなどあり得ないため、アッジのこの決断は俺達にとっては実にありがたい。
 用意できる最大限の戦力に加え、前日までにじっくりコトコト仕込んだ策が上手くはまることを祈って、戦いに臨むのみだ。

「そろそろか」

 陽が沈み、空に太陽が赤い残光を引くだけとなった時間、村の中央広場で戦いに備えていた俺達の耳に、ヤエルカの呟きが妙に大きく響いた。
 有志として募った戦力の内の一人がヤエルカだ。
 本人の戦闘能力はそうでもないが、今残っている村人の中ではクロウリーと最も多く接していたという経験から、アドバイザー的な立ち位置で俺達の後方に控えていた。

 その声に反応して、俺達はそれぞれ武器を手に密集隊形へと移る。
 暗くなってからの戦闘に備え、周囲に篝火も用意されていく。
 吸血種は種族特性として、日中よりは夜の方を好んで活動するため、クロウリーが来るのも陽が落ちてからだと想定している。

「リーオス、どうだい?どこから来る?」

 経験と適正からこの集団の指揮を任されているエランドが、リーオスに敵のやってくる方向を尋ねる。

 あれだけ俺の魔術で手酷くやられたクロウリーだ。
 微塵も敵意を持たずに村へやって来ることなどあり得ず、リーオスの敵意を察知する能力に必ず反応があるはず。
 事実、村の東側を睨んで弓に矢を番える姿から、どっちの方角からやってくるかは言葉などなくともその場の全員が理解していた。

 ダナンクレアスに名を連ねるレベルの吸血種ともなれば日光は克服しているはずだが、それでも嫌なものは嫌なそうで、なるべく日光を避けた夕方以降、さらに陽が沈む方角から最初に日光が届かなくなる東より来るのが最も有力な予想だった。

 全ての視線が注がれる東の空に、羽ばたく大きな影が見える。
 陽が落ちてかすかに残る光の中でも肉眼で捉えられるほどの大きさのそれは、鳥のようでもあるがその正体がクロウリーだとするならばコウモリと断定していい。

 クロウリーがその身を細かい虫に変えたように、身体を他の動物に変化させる能力を身に着けているのは吸血種として何ら矛盾していない。
 個人によって得意とする変化は異なるが、どういうわけかコウモリに変わる能力だけは種族に共通して持っているらしい。

 そのコウモリ目がけて、一筋の光が走る。
 弦が弾かれる音と風切り音が混ざった独特な音によって力を与えられた、一本の矢だ。
 篝火をかすめ取ったような鋭い光は、さながら曳光弾のようで美しい。

 あれを撃ったのはリーオスで、これは予定通りの行動でもある。

 クロウリーを敵と定めた以上、先手必勝、見敵必殺の心構えを共有したリーオスは、言葉を交わす必要のない奇襲にも躊躇いがない。
 一秒にも満たない時間で目標へと迫った矢は、遠く離れた俺達にも聞こえるほどの破裂音に似た轟音を立ててクロウリーへと突き刺さった。

 矢というのは漫画やアニメの描写だと鋭く軽い攻撃という印象だが、実際は拳銃にも劣らないほどの衝撃力も備えている。
 膂力に優れた者による矢の一撃は、時にライフル弾すら凌駕するとか。
 俺達の見つめる先のコウモリの影が激しくその姿をブレさせたことから、今の矢も衝撃力は銃撃に相当するものだと思われる。

 命中したことで普通なら喜ぶところだが、ここにいる連中はどいつもそんな様子はなく、依然険しい顔で警戒を維持していた。
 何せ相手は吸血種という人外の存在だ。
 強烈な矢だと認めるリーオスの今の一撃であっても、仕留めたと思う気が一ミリとて湧かない。

 事実、コウモリの影は再びこちらへと近付いてきているのが、まるっきり想定通りなので本番はこれからと言っていい。

「リーオス、いい。どうせ無駄だ」

「…チッ」

 緊張感を増したエランドの声が、二射目を放とうとするリーオスを止める。
 弓というのもあれで意外と疲れるもので、特に番えの指にかかる負担はどんなに訓練してもゼロにはできない。
 先程の結果からして、次を撃ってもクロウリーを倒せないと判断し、リーオスの体力温存を優先させたようだ。

『ひどい挨拶もあったものだ。ただやってくるだけの者に牙を剥くなど、君達は獣と変わらんな』

 村へ辿り着いたコウモリは一直線に俺達の目の前に舞い降りる。
 黒一色だった巨体は、まるで靄のように蠢くと人の形にまとまり、クロウリーの姿がそこに現れた。

 前の時はローブのような黒づくめの服に、顔にまで影がかかっていて表情すらうかがうことも出来なかったが、今回はその顔がはっきりと見えており、意外にも整った顔立ちをしていると分かる。

 無造作に伸ばしたままの髪は何百年も経って白化した枯れ木のようで、それと同じくらい生気の感じられない白い肌の中、血のように赤い目だけは爛々と輝いており、見る者によってはその妖しさに囚われそうな相貌は、人間とは違う生き物であることを裏付ける材料にもなりえるほどだ。

「僕達が獣だというのなら、あんたはなんだろうな?吸血種も元は人間だったはず。それが今は人間を食い物にしているなど、こんなにも醜く滑稽な生き物はないと思わないか?」

 俺達を代表して、一歩前に出たエランドが先程の嫌味に答える。
 総じてプライドの高いとされる吸血種に対し、その存在を貶める発言をすることで、向こうの冷静さを失わせる狙いだろう。

 本当ならすぐにでも戦闘開始といきたいところだが、実を言うと今もある仕込みが進められている最中であり、それが完了するまでもう少しだけ時間を稼ぎたいというのが俺達の総意だ。

『ははははは!これはこれは!なんとも見識の浅いことだ。いいかね?私達は既に完成された種、君達人間とはもはや別の生き物だ。超越しているといっていい!君は獣の肉を食べることを躊躇うか?私からすれば、君達はただの栄養豊富な食料に過ぎんのだよ!』

 エランドの言葉を受けて楽し気な、そして狂ったような笑みをその顔に浮かべ、両手を広げて天に向かって歌うようにして紡がれたその言葉たるや、なんと残忍さと悍ましさの詰まったものだろうか。

 それを聞いた俺の周りにいる人間もたじろぐ様子を見せ、クロウリーのその狂気に充てられて若干だが士気は下がってきているように思える。

 数人を除いては吸血種レベルの敵を相手に戦うのに十分な実力があるとは言えず、半ば頭数を揃えるためだけにここに立っている人間にとって、あんな言葉とプレッシャーを浴びせられては無理もない。
 時間稼ぎはしたいが、戦う前に委縮してしまうのもよくないので、早いところ合図が来てほしいものだ。

『それだけに、腹立たしいことだ。食料に過ぎない者が私に刃向かおうなどとはね。…見たところ、先日この村に来た商隊の者達が中心となって戦うようだが、それはこの村の総意ということでいいのかね?』

 クロウリーの声の質が変わった。

 食料にしか過ぎない人間が自分に刃を向けているこの状況は、プライドの高い彼にとっては屈辱的なのかもしれない。
 それはあたかも、牛タンを食べていたら、間違って自分の舌も噛んでしまうのに似た、予期せぬ食材からの裏切りのようなもの。

 こちらを見る目にともる光が、赤く強く光ったように見えたのは錯覚だろうか。
 だが、俺達に向けられた威圧感は錯覚などではなく、明らかに戦闘を意識した気配を発したクロウリーは、今すぐにでも襲い掛かってきてもおかしくはない。

 こうなったらやるしかないかと、エランドに視線で尋ねるが、首を横に振られる。
 もう少し時間を稼ぎたいということか。
 …仕方ない。

「ちょっといいか?」

『なにかな?…君はあの時の』

 一歩前に出た俺を見て、クロウリーの顔が歪む。
 どうやら虫に変化した奴を魔術で撃退した時のことを思い出したようで、俺に向けられる殺気が他に比べて数割増しで強くなった。

「あんたは笑い話が欲しくてここに来たんだって?だったら一つ、俺のも聞いてってくれよ。それで満足したら、戦いはなし。ついでにこの村を解放する、ってことでいいよな?」

『さて、それは私とこの村で交わした約束だ。君とはそんな話は微塵もしていないがね。正直、あの時に私の肉体の多くを焼いた奇妙な魔術を使った君は、今すぐにでも殺したい気分だよ』

「だがそうは言っても襲い掛かってこないってことは、一応聞く気はあるってことだよな?」

『そうだな。確約はしないが、話してみるといい。それによっては、君の今言ったものも前向きに考えよう』

 そう言って腕を組んだクロウリーは、俺の話に耳を傾けようという姿勢を見せた。
 政治家の約束ぐらい怪しい言葉だが、これでもう少し時間は稼げる。

「よし、んっんん……ある朝、寝ている男に女が言った―」

 地面に剣を刺し、咳払いで喉の調子を整えて話し始める。





『起きて、そろそろ会議の時間よ』

『いやだ、会議になんて出たくない』

『どうして?あなたの仕事なんだから、会議に出なくちゃだめじゃないの。なんで嫌なの?』

『だって誰も俺に話題を振ってくれないし、逆に俺が何か言うと急に静まり返るんだ。嫌われてるんだよ』

『そんなことないわよ。みんなにはあなたが必要よ。さあ、準備をして行きましょう』

『どうしてそんなに行かせようとする?俺が行かなきゃいけない理由なんてないだろ』

『理由ならあるわよ、だってあなたは―』





「―あなたは王様でしょう、ってね」

 決まった、な。

 会心の小話に、少しだけ誇らしい気持ちになる。
 なるほど、この感覚を知れば、エランドが漫談で見せたあのドヤ顔も分からなくはない。

 俺が話し終えたタイミングで、大笑いの声が上がった。
 それは今の小話がクロウリーにウケた……のではなく、この場で一番ゲラな男の笑い声だった。

「たっっっはーっはっはっ!傑作、プックック!最高!いーやっはっはっはっは!」

 確かに今の俺の話は地上最高に面白いものだったが、俺のすぐ後ろで腹を抱えて膝を着くヤエルカ以外、誰も笑う姿を見せていない。
 くそ、ヤエルカがこういうタイプなのが恨めしい。

 人間、スベらない話を聞いたときに、自分以外が過剰なほどに笑っていると逆に冷静になるもので、それはクロウリーも同様らしい。

 病的なほどに笑い転げるヤエルカの声が辺りに響く中、なんとも言えない空気が場を支配していると、どこからか鳥のさえずりのような音が聞こえてきた。
 これこそが、待ちに待っていた合図だ。

「騙して悪いがっ!」

 俺はすぐさま目の前にあった剣をつかみ取り、クロウリーへと斬りかかる。
 吸血種は埒外のしぶとさを持ち、普通に斬られた程度では死ぬことはないが、首を落とされれば当分は動けなくなるそうだ。

 だから、こいつがまた体を羽虫にして細かく分ける前に、その首を斬り落とす!……つもりだったが、俺の剣はあっさりと受け止められてしまった。

『まったく、人間というのは卑怯極まりない。話をしようといったその口を一瞬で忘れ、こうして斬りかかってくるのだからな』

 見下すような目で俺を見て、呆れた声を吐くクロウリーの指先からは、五指の爪がまるで刃のように鋭く長く伸びており、それで俺の剣を受け止めていた。

 俺が今手にしているのは振動剣だが、まだその機能を起動していないため、剣としての性能は並のものと今のところ大差はない。
 とはいえ、純然たる剣と拮抗している時点で、クロウリーの爪は少なくとも鉄と同じかそれ以上の硬度があると予想できる。

 このまま剣に超振動を纏わせたら、ひょっとすればこの爪を砕いて奴の体に刃が届くかもしれないが、吸血種のスペックを考えると回避される可能性は決して低くなく、確実に倒すためにはせめてもう半歩、踏み込んでから振動剣を起動したい。

 そう思いながら押し込もうとする俺の力に、顔色一つ変えずに押し返してくるクロウリーは、その細身の体に見合わないほど強い膂力を見せている。
 魔力による身体強化ですら押し勝てないこの膂力もまた、吸血種が人間という生物を上回っているスペックの一つだろう。

「そう言うなって!こっちは騙し討ち上等な生き方しかしてないんだよ!」

『それもまた、人間の醜いところか。まぁあの程度の笑い話では、先の条件を到底受け入れられなかったし、これはこれでいいが…ね!』

 クロウリーは鬱陶しそうに腕を振り抜き、剣を合わせていた俺はその勢いに逆らわず後ろへ飛んで距離をとる。
 そのタイミングでクロウリーの左側から矢が襲い掛かった。

 俺が飛び出すより早く、大きく回り込んでいたリーオスの放った矢だったが、目標に傷を与えることなく弾かれて地面に転がってしまう。
 特に何かした様子もないのに矢を弾いてしまうあたり、クロウリーの皮膚は少なくとも鋼鉄の鎧と同じ程度の防御力を備えると仮定できる。

 間髪いれずに飛来した二の矢も、やはりあっさりと弾かれてしまう。
 その様子から、矢での攻撃はクロウリーにさしてダメージを与えるものではないようだ。

「非常識な体してんな。何で出来てんだ?」

 距離が出来たことで十分な呼吸をする隙も生まれ、息を整えるついでに目の前の吸血種へと尋ねる。

『生まれながらの強者である吸血鬼は、生半可な刃では傷をつけられるほど軟ではないだけだ』

「ちっ、化け物め。…最初にあった時のように、細かい虫に変化しないのか?こっちとしてはありがたいがな」

 あまりいい答えとは言えない答えに若干失望しつつ、事態を進めるために挑発染みた問いかけをした。
 あの細かい虫に変化すれば、また俺の雷魔術でダメージを与えられるので、あえてそれを使うように誘導してみる。

 今回は羽虫を焼くための油も薪も十分に用意してある。
 実のところ後ろにいる連中も、ほとんどは火の着いた棒を振り回して飛び回る虫を焼き払うためにいるようなものだ。

 俺の言葉の真意に気付き、広場の隅に積んである燃料へ何人かの視線が行く。
 クロウリーが虫に変化したら急いで燃料を取りに行き、火をつけるという手はずは確認済みだ。
 その時が来るかと、身構えている気の早い奴もいる。
 あんまり早くからそういう反応を見せると、向こうに警戒されるだけなのだが、今はクロウリーの注意は主に俺へ向いているのが幸いだった。

『そんな言い方をしても無駄だ。あの時は君の妙な魔術で手痛い目にあったからね。おかげで欠損した体を癒すのに、時間と栄養を過剰に使わされてしまったよ』

「栄養…それはもしや」

 吸血種が言う栄養とは、先程交わした言葉の中によって何を指すのかは明らかだ。
 思わず歯ぎしりをする俺とは対照的に、まるで朝食を思い出すような気軽さでクロウリーが言葉を続ける。

『お察しの通り、君達人間の血だ。実はこの村から攫った人間だがね、私の塒に生かしたまま保管していたんだよ。当分は生かしておいて、ゆっくりと血を頂くつもりだったんだが…すぐに使い切ってしまった。まったく、勿体ないことだ』

 クロウリーに攫われたカーチ村の人間は、意外なことに暫くは生きていたようだ。
 勿論、吸血種の餌としてストックしていただけだろうが、それでも死んでいなかったという情報に、戦闘へ加わっていた数人の村人の様子が変わる。
 動揺から武器を持つ手が震え、立つことも難しいといった者まで現われ、この後の戦闘には耐えられないだろうと、急遽後退させる指示をエランドが秘かに出したほどだ。

 無理もない。
 俺達と共に戦うと名乗り出てくれた村人は、いずれもクロウリーに身内を攫われていたため、復讐の気配が強かった。
 攫われた人間も、もう生きてはいないと諦めていたところに、実は少し前まで生きていたが結局死んだと聞かされては、その感情の揺さぶりから戦うのは難しくもなる。

 普段戦いに身を置いていれば別だが、彼らは元はただの農民に過ぎない。
 ひょっとしたら改めて怒りから戦意を燃え上がらせる可能性もあるが、そんな状態の人間と並んで戦うことの危うさは十分に理解できるため、エランドの指示は俺としても諸手を上げて賛成しよう。

 もっとも、後退した村人の護衛に戦力の内の何人かが回されてしまうが、こればかりは諦めるしかない。

 ここで思うのは、俺がクロウリーに傷を負わせたから掴まっていた村人が殺されたのかという悪い想像だが、結局あの時はなし崩し的に戦うしかなかったtまえ、避けられなかった結末だと思うしかない。
 俺とて万能で冷血な人間ではない。
 あれこれと後悔するにしても時と場合は弁えるし、全てを背負い込めるほど背中は広くないつもりだ。
 今は目の前の敵に集中しよう。

「ってことは、カーチ村の人が攫われてなきゃ、今頃あんたは腹がペコちゃんでくたばってたってことか?そりゃ確かに惜しいことをした。高貴な生き物のあんたは下等な人間にやられた傷を、下等な人間の血で命を繋ぐしかなかったんだな!」

 ちょっとした意趣返しも込めて、相手の軽口に乗ってやると案の定、不機嫌そうな表情を見せてきた。
 このクロウリー、尊大な態度の割には煽りには意外と弱いのは分かっており、俺を見る目に剣呑さがさらに増す。

『下等な存在が、今日は随分喋るじゃあないか。どうした?何を待っている?』

「…さあ、なんのことやら」

 こちらの煽りに乗ってきはしたが、同時に俺が仕掛けを意識しすぎていたのも察知されたようで、警戒感を抱かせたようだ。
 もう少し引っ張りたかったが、潮時か?

『そういえば、前に私と戦った時にいた女二人がいないな。どこかに隠れているのかな?例えば……私の背後とか』

 グルリを周囲を見渡し、そして背後へと視線を止めたクロウリーの言葉に、そこに何があるかを知っている俺達は特大の焦りを覚えた。

「っちぃ!!」

 クロウリーを囲むようにして地面からドーム状に土の壁が生える。
 これは俺の土魔術によるもので、覆いつくそうと動く土の壁には、ただ一点だけ欠けがあった。
 それはクロウリーの背後、すなわち彼の見つめていた方向だが、本来ならこの土の壁で視界を妨害し、壁の空いている所からの奇襲と繋げたかった。

 だが狙いを看破されているような動きをされては仕方ない。
 プランBでいこう。

「エランドさん!」

「分かっている!クプル!やれ!」

 エランドの声に反応し、地面の一部が爆発する。
 立ち上る土煙の中から、剣を構えた影が飛び出してきた。
 影の正体は、地面に掘った穴の中に隠れていたクプルで、先程聞こえた鳥の囀りのような音はそことは別の所にいるパーラが出したもので、クプルが飛び出すのに適した位置へクロウリーが立ったのを伝えていた。

 弾丸のような勢いのクプルは、一瞬で土のドームへと突っ込んでいく。
 俺からはもうその姿は見えないが、突入したドームの中から硬質なもの同士が激しくぶつかる轟音が聞こえてきた。

 そして二度目の轟音と共に土のドームが崩れると、そこに剣と爪をぶつけ合う二人の姿が現れる。

『はっはっはっは!やはりいたか!君ほどの実力者、よもや温存などするまいと思っていた!』

「ちぃっ!あんたどんな体してんのよ!?」

『何よりも完成された生物である私が、今更剣で傷など負うものか!』

 素早く繰り出される剣は、多くがクロウリーの爪によって防がれるが、それでもいくらかは防御をかいくぐって敵の体へと届くものの、クロウリーの皮膚には致命傷を与えられず、表面を滑るようにして逸らされていく。

 先程の轟音でも分かるが、クプルほどの膂力をもってしてもクロウリーの体は剣を通さず、ますますもって普通の手段で倒せる相手ではないと思えてくる。

 人間の限界に挑むかのような高速での撃ち合いに、俺達は手を出しあぐねて見ているしかないが、このままの状況が続くと、種族的な差から先にクプルのスタミナが尽きてやられてしまうのは想像に難くない。

 だがそれでいい。
 クプルも俺達も、これでいつかはクロウリーを剣で倒せるなどとは思っていない。
 本命の狙いは別にあり、クプルはある地点へとバレないように誘導するだけの役割に徹するだけでいいのだ。

 とはいえ、手を抜いていい相手でもないため、全力で剣を振るいながらクロウリーを追い立てていく。
 早く狙いの場所に行けと、秘かに祈りつつ見守っていたその時だ。

『ふむ?どうやら私をどこかへ誘導したいようだね?行き先は…あそこか』

 それは失望とも嘲りともとれるような、冷めた声だった。
 クロウリーがまたしてもこちらの秘密の狙いを見抜き、ある場所を見つめる。
 そこは藁を積み上げている場所で、丁度人が隠れるのにも適した場所で、誰かがその藁の山に潜んでいるとしてもおかしくはない。

「バれっ!?」

『ならば私は、こちらへ行くとしよう』

 必死になって誘導していたクプルの努力を踏みにじる様に、クロウリーは迫る剣を無視してその体を強引に進ませ、藁の山からその身を遠ざけ、ある一軒家の軒先へと歩いて行ってしまった。

『一体何を企んでいたかは知らないが、君達下等な人間の考えなど、この私に―』

 俺達の狙い通りには動かないと、逆を張ったつもりのクロウリーだったが残念、むしろ狙い通りだ。

 ―グゴォオオオオーーゥンッッ!!

 クロウリーの背後にある家の扉が勢いよく開き、そこから衝撃を伴うほどの強烈な咆哮が溢れ出す。
 その剥く先にいたクロウリーの体は、まるでトラックにでも撥ねられたような勢いで吹っ飛び、地面を転がっていく。

 咆哮の主はパーラで、その姿は人狼のそれに変わっている。

 新しい体の影響か、以前見た人狼の姿と似てはいるが、毛並は艶を増し、また顔付きも野性味と神聖さを兼ね備えたような不思議な雰囲気を纏っており、ただの獣人と呼ぶには難しい、別種の神秘的な説得力がある。

 今の今までその身を潜め、クロウリーの姿を確認して咆哮を浴びせかけたのだが、不意打ちなのも相まって見事にクリーンヒットしたと言っていい。

 ここまでの流れは、エランドの作戦通りだ。
 クロウリーと戦う際、クプルが潜んでいた場所を見抜かれるのも想定の一つ。
 バレなければそれはそれでいいが、たとえ見抜かれたとしても構わなかった。

 クロウリーはこちらの狙いを看破したという自信を手にし、次のこちらの企みも警戒しながらもまた見抜こうとしてくる。
 実際、クプルが誘導しようとしていたところには何もなく、あえて分かりやすくすることで意識するのを逆手に取り、自らの足でパーラの潜む家の方へと進ませたわけだ。

 半ば賭けの要素も強かったが、クロウリーの頭の良さと自尊心の高さから成功率は低くないとも考えていたそうだ。
 その結果が、パーラの咆哮によって吹っ飛ばされ、地面に転がされたクロウリーの今の姿というわけだ。
 エランドが即席で考えた作戦にしては、見事と言う外ない。

 だがここで歓声を上げて喜ぶのはまだまだ早い。
 正直、これでクロウリーを倒せたとは誰も思っておらず、油断している者もいない。
 皆一様に武器を構え、倒れたままのクロウリーを警戒して見つめる中、やはり思った通りにゆっくりと奴は起きだした。

 さて、ここまでは順調だったが、この先はどうなるかが問題だ。
 勿論作戦は考えてある。
 だが物事は事態が進めば進むほど、想定を外れていくもので、この後の作戦もアドリブが増えていくことになるかもしれない。

 当然油断などはするつもりは毛頭ないが、一層気を引き締めて臨むとしよう。
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