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カーチ村

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「左に見える丘の向こう、十九人の集団、多分賊だ」

 リーオスの警告で足を止めた車列の先頭で、この先に潜む脅威がアッジに伝えられる。
 馬車と護衛の数が十分に揃った集団を昼間から襲撃しようというのだから、よっぽどの大盗賊団かと思いきや、十九人とはまた半端な数だ。

 敵意を感知する能力ゆえに、たとえ相手がどれだけ身を隠そうともリーオスはたちどころに突き止めてしまう。
 特に襲撃直前の殺気を高めている集団なら、正確な位置が手に取るようにわかるらしい。

「よし、各員戦闘に備えろ。武器を持てる奴は馬車の周りに集まれ。護衛隊はその外側で防衛線を作ってくれ」

 その配置と敵意の向きからも、馬車を襲おうとしているのは明白で、それに備えてアッジが護衛と馬車の操り手に指示を飛ばしていく。
 護衛要員は想定通り、馬車の一番外側に配置され、非戦闘員が武器を手にして馬車の傍へ身を寄せる。

「エランド、準備はいいか?」

「大丈夫、いつでもいけるよ」

 それらとは別に動いているのが、エランドだ。
 アッジの呼びかけに答えつつ、鋭い気配を纏って敵のいる方向を睨んでいる。
 そして一度大きく呼吸をすると、すぐそばにいた俺達に向き直って口を開く。

「クプル、アンディ、パーラ。やることは前と同じだよ。僕達でまず敵に突っ込む。念のため、向こうの敵対の意思と攻撃行動を確認してから攻撃する。この流れは一昨日と同じだ」

 エランドが丁寧に説明した、これから向かう先での行動の内容に対し、俺達は頷きを返す。

 先日、今と同じく商隊を狙った賊を撃退した時のように、これから襲撃を仕掛けようと目論む賊に対し、俺達が逆に先手を打って襲撃するという手はずだ。

 これはリーオスの探知能力を生かしての逆撃の戦法だが、エランド達がこの商隊で護衛をする際には基本となるやり口であるため、アッジ達を含めて全員が慣れたように動いている。

「分かってます。俺とパーラは一番離れたところの敵を魔術で撃つ」

「エランドさんは、クプルさんが動きやすいように援護する、でいいんだよね?」

「そうだ。二人の魔術の腕は知っているが、まだ僕の方がクプルに合わせられるからね」

 一昨日の賊が襲撃してきた時には、俺とパーラはエランドの指揮の下、こちら側に被害を出さずに撃退に成功している。
 その際、大盤振る舞いで見せた俺達の魔術はエランド達に大いに評価されたわけだが、しかしそれはそれとして、この商隊での賊撃退における定石にすぐさま組み込めるわけではない。

 基本的に俺とパーラはクプルの邪魔をしないよう、彼女から遠い位置にいる敵を魔術で攻撃する役目を任されていた。

 今まではリーオスが敵を見つけ、そこに前衛のクプルと後衛のエランドら二人が主体となって襲撃していたため、彼女の支援はエランドに一日の長がある。
 主役はこの二人に任せて、俺とパーラは脇役に徹するのがいいだろう。

「前とおんなじ、私が暴れて、魔術師のあなた達で私が手の届かない奴を叩くってね。さ、行くわよ、三人共」

 装備の点検を終ええたクプルが歩き出し、それに俺達も続く。
 なお、リーオスは周辺への警戒のために馬車に残る。
 前方の敵だけに集中している隙に、別の所から電撃的に攻められる可能性もあるからだ。

 実質四人だけで十九人の盗賊を相手にするわけだが、普段ならここに護衛隊から選抜した者も加わって動くらしい。
 しかし今回に限ると、この場にいる護衛の中では俺達が頭一つも二つも抜けて強いため、最小にして最強の構成で素早く叩く戦法が採用された。
 奇襲のために人数は少なく、しかし攻撃力は最大にというコンセプトのために、魔術師を三人も揃えたのはやりすぎかもしれないが、それだけ安全が重視されているということだ。

 距離があるとはいえ、殺気立っている集団に接近するとあって、隠密行動を心掛けて静かに、かつ急ぎ足で丘のてっぺんまで登る。
 すると、眼下にもれなく全員が武器を手にしている集団を見つけた。

 身なりは奇麗とは言えず、武器を手に下卑た笑いを浮かべながら殺気も放つという、まさに賊以外の何者でもない連中だ。
 年齢はどいつも随分と若いようだが、若さゆえの過ちとして賊に身をやつしたとも考えられる。

「…十九人、確かにいるわね。じゃあエランド、連中に降伏勧告してちょうだい。私はこいつらの背後に回り込むから。合図はいつも通りに」

 そう言ってクプルは腰に提げていた剣を抜きながら、賊に見つからないような位置を選んで滑るようにして斜面を降りていく。
 ここに来るまでもそうだったが、剣士というよりは忍者と言ってもいいぐらい、クプルは身のこなしが軽い。

 あっという間にクプルの姿が見えなくなったところで、エランドが立ち上がり、賊達へ向けて大声で呼びかける。

「そこの者達!賊だというのは既に露見している!ただちに武器を捨てて大人しく投降するなら、命だけは助けよう!」

 リーオスの能力は信頼と実績があるため、本来なら盗賊相手にこんなことをする必要はないのだが、万が一にも間違いだとしたらとんでもないことになるので、形ばかりとは言え降伏勧告はするらしい。

 よく通る声で出された簡潔なエランドの口上に、盗賊達は一瞬呆気にとられたが、声の主がたった一人というのが分かると、堰を切ったように笑い出す。

 ―くくっ…ぎゃはははは!なんだあいつ!たった一人で何言ってやがる!

 ―おいおい!随分と威勢がいいおっさんじゃあねぇか!こっちの人数見えてねぇのか!?

 分かっていたことだが、盗賊達はエランドの言葉にビビることなど一切なく、むしろ煽る様に笑いながら剣を振りかざしている。
 同時に、降伏勧告は完全に無視された形となり、投降の意思はまるでないということも分かった。

 その証拠に、目立つ場所にいるエランド目がけて矢が射られる。
 賊の中にも数は少ないながら弓を使う人間がいたようだ。
 勢いと狙い、共に目標を捉えるのに十分な威力を持った矢だったが、エランドが腰に提げていた水筒から飛び出した水によってそれは絡めとられ、力を失くして地面にポトリと落ちた。

 突然の魔術の発生に、賊達がどよめく。
 エランドは今も杖を持っておらず、最初は魔術師とは気付かなかったのだろう。

 それもそのはず、エランドの発動体は両腕に着いているガントレットだ。
 杖以外の発動体はいくつかあるが、その中でも身体に装着するタイプはコンパクトで秘匿性に優れた希少な品だ。
 一方で使用にも癖があるそうなので、これを持っているということは希少な発動体を扱いきることのできる、優れた魔術師だという証拠になる。

「…二人とも、やるよ。準備はいいかい?」

 誤解のしようもない明確な敵対行動とあって、エランドの顔から表情が消え去り、冷酷な攻撃者としての顔に変わる。

「ええ」

「いつでも」

 俺とパーラの返事を合図に、矢を防いでからも滞空を続けていたエランドの水が高く上昇すると、甲高い破裂音と共に弾け飛んだ。
 細かい水飛沫が霧となり、太陽の光を浴びて輝く光景はなんとも美しいもので、盗賊達も音で視線が上に釘付けとなって感嘆の息を吐いている。

 気持ちはわかるが、果たしてそうしていていいものだろうか。
 なぜならこれは合図であるのだから。

 ―ぎゃあっ!

 ―なんだこのアマがふっ

 盗賊達の後方へ回り込んでいたクプルが、エランドの水魔術を切っ掛けにして、剣を振るいながら敵陣へと斬り込んでいく。
 意識が上へ向いていた盗賊達にとって、背後からの奇襲は効果も抜群だったようで、次々と敵を切り捨てていくクプルの手により、対処が遅れた賊達はあっさりと死体に化ける。

 クプルが敵の只中に踏み込み、その身を力強く動かすたびに血と臓物が宙を舞う。
 手にしているのはたった一本の剣だが、拳や蹴り、果ては死体が握る武器すらも拾い上げて敵に攻撃する様は、密集戦闘における理想を体現している。

 とはいえ、それでも敵の数は多く、七人ほど倒した時点で賊の方もクプルへと対処しだし、残る内の一人が繰り出す袈裟斬りがクプルを捉える。
 上手く間隙を突いた、正に必殺の一撃だったと言えるそれは、しかし実際にはクプルの肩から生えた水の手によって勢いを殺され、鎧に軽く当たっただけに終わる。

 そして剣の主は、クプルが反撃に放った剣で顎から脳天にかけてをパックリとにされて絶命した。

 いま彼女を守った水の手の正体は言わずもがな、エランドの水魔術だ。
 常にクプルを守り、しかし動きを阻害しないように薄いベールの状態で彼女の鎧に纏わりつき、危機の時にはああして形を成して敵の攻撃を防ぐ。

 魔術を発動状態で維持し、敵の動きを見極めて水の形状を変化させて攻撃を防ぐ。
 言葉にすればこんなものだが、実際にやるとなればかなり魔術の使い方に相当慣れていなくては難しい。
 同じく水魔術を使う者として、エランドの魔術師としての技量は、今まで見てきた同属性の魔術師と比べても隔絶していると言えよう。

 自分の守りをエランドに任せ、ただひたすらに剣を振るうクプルによって着実に賊の数は減り、さらに俺とパーラも魔術で遠距離から賊を削っていき、開戦から体感で十分も経たずに敵は全滅した。
 クプルの剣士としての技量に加え、魔術師が三人という過剰戦力を前に、ろくに統率も取れない盗賊などひとたまりもなかった。

 途中、勝てないと判断して降伏を申し出た者もいたが、取り合わずに斬り殺されている。
 最後の警告はもう終わっており、俺達は決して人道と友愛に尻を捧げて生きてはいないので、今更命乞いをされても困るのだ。
 まぁ現実の問題として、捕虜を連れて歩くほど暢気な旅ではないというのが大きいが。





 パーラをメッセンジャーとして送りだし、敵の壊滅が伝えられたアッジ達がこちらに来るまでの間に、街道の掃除をしておく。
 散らばる死体を一か所に集め、身ぐるみ剥いで使えるものを集めた後、アンデッド対策の火葬を行う。
 人の焼ける臭いはいつまで経っても慣れないものだが、後に危険を回さないためにはやらないわけにはいかない。

「しかしこいつら、私らをメアリ商会のもんだって分かった上で襲う気だったのかしらねぇ。この時期にここを通る商隊となれば、どこの息がかかってるかなんて分かりそうなもんだけど」

 炎に薪を足しながら、クプルが賊達のことを呟く。
 アッジ達メアリ商会の商隊は、毎年決まったルートで商隊を走らせる。
 バックが大手の商会であるとともに、精強な護衛を引き連れていることも知られており、小規模の盗賊ならばまず手出しはしない。

 だが今回、この賊達はしっかりと待ち伏せをしてまで襲うつもりだったとなれば、その手のことを知らない連中だったのだろうか。

「知らなかったんだろうね、そんなことは。見たところ、どいつも若かった。そのくせ装備はお粗末となれば、最近賊なんかを始めた口だろう。僕らを知らないってことは、どこぞから流れてきたか。まだ若いなら地道に働けばいいものを、安易に悪事に走るなんて…まったく、ひどい時代だ」

 物言わぬ姿となった賊達を、冷めた目で見つめながら嘆くエランドは、世の無常を感じ取って寂し気な空気を纏っている。
 誰だって好き好んで悪に染まりたがらないが、それを楽な道だと思い込んで悪事へ手を出すのもまた人間の弱く愚かしい部分だ。

 この賊達もその若さゆえに道を誤ったと思えば、死んだ後でまで責めるのはいっそ哀れか。

「ん?これは…手紙か」

 賊の遺品を仕分けしていると、その中に粗末な紙を巻いただけの手紙があった。
 この手の人種が手紙を持っていることに違和感を覚えるが、盗賊とはいえ人の子。
 手紙ぐらいは出したり受け取ったりしてもおかしくはないかと、何とはなしに差出人を確認しようと少しだけ巻物を解いてみる。

「…エランドさん、これ見てください」

 そこに書かれていた文字から、エランドに尋ねるべきだと判断して声をかける。

「どうした?」

「賊が持っていた荷物にあった手紙なんですが、ここに宛名が」

「ふむ、どうやらアッジに宛てた手紙のようだが、何故こいつらが…」

「同名の他人宛てという可能性は?」

「いや、間違いなくメアリ商会のアッジ宛だよ、これは。手紙にもそう書かれている」

 メアリ商会のアッジとなれば、商人としても名が知られた存在だ。
 手紙なぞ一通や二通で効かない数がやり取りされていてもおかしくないのだが、問題はそんな人物に送られた手紙を、盗賊が何故持っていたのかだ。

 普通に考えれば、手紙を輸送していた人間がこの盗賊に襲われ、荷物を丸ごと奪われたせいで手紙も紛れ込んでいたというのが妥当だろう。

「どういった経緯でこれがここにあるのかは想像するしかないが、とりあえず持つべき者に渡すとしよう。丁度いい具合に、本来の受取人が来てくれたようだしね」

 パーラの連絡を受けてすぐに行動したようで、馬車の列が街道をゆっくりとした速度でこちらへと向かってくるのが見えた。
 先頭の馬車の屋根には、こちらへと手を振るパーラの姿もある。

 脅威は去ったと知りながらも、未だ警戒を解かずに移動する集団の中でのなんとも暢気な姿に、思わずため息が漏れた。





「私宛の手紙?」

 車列の合流を待ち、賊から回収した手紙をアッジに渡すと、訝し気な顔をしながら手紙を広げて読み始める。

「ああ、賊の荷物の中にあったものでね。誰宛かを見るために始めを少し読んだけど、本題に当たる部分は読んでいないから安心してくれ」

 礼儀として人の手紙を読むということが憚られるが、とはいえ見つけた状況が状況だけに、全くの未開封とはいかなかったことをエランドが釘を刺す。
 アッジも特にそれを咎めることはせず、ただ黙って手紙を読んでいたのだが、段々とその表情が険しくなっていくのが分かる。

「…どうかしたのか?アッジ」

 その様子を見て、エランドが気遣うような声をかけると、アッジは一度天を仰ぐと深い溜息を吐いた。

「手紙の差出人はヤエルカだった」

「ということは、カーチ村から出された手紙か。なるほど、手紙を持った誰かがこの街道で賊に襲われて、奪われた荷物を僕らが見つけたと」

 俺達が今向かっているのがカーチと言う村であり、この街道もそこへと向かっていることから、アッジに宛てた手紙もこの街道を通ってフルージへ届けられるのが最短ルートとなる。
 それを盗賊が持っていたということは、配達人の人間はまず間違いなく賊に殺されたと見ていい。

「内容としてはいつももらう手紙とそう変わらないが、ただ一点だけ、商人の間だけで通じる言い回しで『村の危機』と書かれてある」

「村の危機とはまた、穏やかじゃないね。他には何が?」

「それだけだ。文字にはかなりの乱れが見られるし、よほどの緊急事態があって書く暇がなかったのか、或いは…」

「誰かに手紙を検閲されることを恐れて、あえて情報を少なく記した、という考えも出来るか。しかし、危機とは一体どういうことだ?村で何か起きたのか?」

「さてな。そもそもこの手紙がいつ出されたものかも分からん。賊が持っていたというのなら、いつ奪ったのかを聞けばそれも分かりそうだが…これではな」

 そう言って、強い炎に包まれた賊の死体を見るアッジ。
 この手紙がいつ頃カーチを出発したのか、街道で配達人を襲った時機を賊から聞き出すのが一番手っ取り早いのだが、生憎賊は一人残らず俺達が殺してしまった。
 俺達もまさか尋問の必要があるとは夢にも思わなかったので、こればかりはタイミングが悪かったと言う外ない。

「これは、一人ぐらいは生かしておけばよかったかな?」

「いや、お前達の仕事に間違いはない。賊は全て殺すと、基本として決めたのは私なんだ。しかしこうなると、カーチ村に行くべきか悩むな」

 メアリ商会としてソーマルガを目指す商隊なら、選べるのはカーチ村を経由するルートのみだ。
 それ以外は遠回りだし、かけた時間だけ経費と危険も増す。
 一応、陸がダメなら船を使うという手もあるにはあるが、船は船で沈めば商品も人も全て一瞬で失う。

 ただメアリ商会は船を所有していないので、大型の船をチャーターして商品を運ぶと、コストが利益を上回りかねない。
 よってアッジ達には、他の道を選ぶ選択肢がそもそもなかったわけだ。

「僕達の旅程はどの道カーチ村を経由するんだ。行かないという選択肢はないだろう」

「まぁそうなんだが、せめて、村の危機が何を指してのものなのかぐらいは分かればな…」

「どうする?一度フルージに戻って、メアリ会長の指示を仰ぐかい?もしくは、ギルドに情報を渡して対処してもらうか。君が決めてくれ、アッジ」

 俺達はカーチ村を避けて進むことは出来ず、しかし不気味な危機が潜んでいる可能性もある以上、進むか戻るかの決断はアッジに全て任されることになる。
 商隊にはメアリ商会に所属していない商人もいるが、彼らもフルージに戻るならともかく、先に進むなら安全のためにもアッジ達と別行動はしないだろう。

「……進むしかない。ここにある商品のほとんどは、ソーマルガで売るのが決まってるんだ。ここで引き返したところで、結局はまたカーチまで行かなきゃならん。予定通り、先に進むべきだろう。それに、もしかしたら私達が行くことで、何かの助けになるかもしれないしな」

「そうだね、僕もそうしたほうがいいと思う。その判断を支持するよ」

 退かず、前に進むことを選択したのは、やはり分からないことが多いからだろう。
 何かとんでもない事態が起きているのだとしたら国の力を借りるべきだが、少なくともフルージを発つまでは、カーチで何かが起きているなどといった情報はまったくなかった。

 ここ最近に何かが起きたか、あるいは情報が外に漏れないように何者かが手を回しているかという可能性もあるが、どちらにせよ、恐らく最初にSOSの手紙に触れた者として、俺達がカーチに直接赴くのは意義があるはずだ。

 早速アッジは商隊の主だった者達を集め、手紙のことからカーチの状況まで、そして自分達がとる行動を話す。
 危険がある可能性も十分明かし、もしここで離脱したい者がいれば、護衛を分けてでもフルージへの帰還も認めた。

 俺とパーラにもそれは告げられたが、元々ソーマルガに向かうために同行しているので、目的を優先するためには多少の危険などの覚悟の上だ。
 もっとも、本当にヤバそうだったらとっとと逃げるつもりなので、個人的な最終判断はカーチ村に行ってからになるだろう。

 結局、商隊についてきていた商人の二人が離脱を決め、馬車一台に護衛四人を付けてフルージに戻っっていった以外、残りは全てカーチ村へと向かうことに賛同した。
 いずれもここで引き返すより、先に進むことに利益を感じた者ばかりだ。
 勿論カーチ村で何かあったとするなら安否は気にするが、利益もまた追求する姿は商人らしいと言える。

 俺達が今いる地点からカーチ村までは、馬車の速度でおよそ三日ほどらしく、今から出発して多少速度を上げて移動すれば、明後日の夕方には村が臨める場所までは行けるとのこと。
 手紙にあった不穏な言葉が何を指すのか、行った先で判断するしかない。




 道中、一度だけ魔物が襲ってきたのを撃退した以外、特に足を止めることなく馬車はカーチ村を対岸に見る川の傍までやって来た。
 馬車の窓から見える街道と村の周りにはブドウ畑が広がっており、所々で収穫した痕はあるが、まだまだ瑞々しい果実を実らせたまま残るブドウの木に、流石はワインの名産地だと感心してしまう。

「…妙だな」

 馬車の窓から顔を出す俺とパーラの横で、同じく窓から外を眺めていたエランドが訝し気な声を上げた。

「妙とは?」

「見てごらん、まだ未収穫のブドウが多く残っているだろう?カーチ村ではこの時期、ブドウはもう収穫し終わって、来年分のワインの仕込みが始まっているはずなんだ」

 なるほど、それは確かに妙だ。
 農業において収穫というのは、毎年のタイミングにそう大きな狂いは出ない。
 特に果物ともなれば、収穫に適した時期は一定だ。

 異常気象などがあれば話は別だが、見たところあのブドウは収穫に適したサイズになっている。
 特別な理由でもないのなら、さっさと収穫してしまいたいと思うのが農民という生き物だ。
 それが放置されているとなれば、いよいよもって何かあったと思えてくる。

 川にかかる橋を渡り、カーチ村に大分近付いたところで、アッジから停車の合図がでた。
 アッジも畑の様子に違和感を覚えていたようで、村に入る前にまずは様子を窺おうというのだろう。
 すぐに戦闘要員が集められ、アッジが徒歩で村へ入る際の護衛が抽出される。

 不測の事態に備え、戦闘能力の高い順に選ばれたため、自然とリーオスにエランド、そしてクプルと俺とパーラという、なんとも変わり映えのしない面子になった。
 俺達五人を護衛に引き連れたアッジを先頭にして村へ入るが、まだ日の落ちていない時間だというのに、村人の姿が見あたらない。

 見張りの人間が村の入り口にいなかった時点で予想していたが、村の中は人影どころか物音一つもない、奇妙な静けさにあった。

「どうなってる…今ぐらいだとワインの仕込みで賑わってるはずだが、静かすぎるぞ」

 まるでゴーストタウンのような光景に、アッジも戸惑っているようだ。

「今頃に調理の煙も上がってないってのもおかしい。リーオス、君の方で村人の気配は感じ取れないか?」

「分かって言ってんだろ。俺のは敵意を察知するだけだ。村の連中がそういう意図を持たない限り、気配は探れるかよ。ついでに言うと、この村に俺達へ敵意を向けてる奴はいねぇ」

 とりあえずは言ってみたというエランドの言葉に、不機嫌そうに返すリーオスだが、敵意を持った存在が村にいないという情報は一先ず安心材料となる。

「仕方ない、こうなったらそこらの家にでも押しかけて話を聞くしか…」

 あまりにも人の姿がないので、適当な家の扉を叩いてでも情報を得ようと言い出しかけたアッジだったが、唐突に一点を見つめてそのまま言葉が途切れた。
 その視線の先を追ってみると、正に今、そこらの家の一つから男が現れたところだった。

 歳はアッジと大体同じぐらいで、身なりは農民相応のものだが、がっしりとした体格は長年の農業によって鍛え上げられたものだろうか。
 少し気になるのは、こちらを見たその顔が驚愕に染まっていることか。

「おぉヤエルカ!丁度いいところに!この村の有様はなんだ?なんで誰の姿も見えない?」

 アッジが親し気に声をかけるその男が、手紙の差出人にあったヤエルカという人物のようだ。
 普通なら知り合いが訪ねてきたら歓迎の言葉の一つでも口にするものだが、この男は驚愕に染まった顔で緊迫した声を上げる。

「アッジ!?お前ここに…いや!それよりもさっさとここを離れろ!今この村は―」

 転びそうなほどに慌てた様子で駆けよって来たヤエルカは、アッジの腕をつかむと村の外へと引っ張っていこうとする。

「ちょっ、おいなんだよ!何をそんなに焦ってっ…」

「俺が出した手紙は届いたのか!?!にしちゃ人数が…いや、とにかく今はまずい!一先ず逃げろ!」

 何かを極端に恐れているのか、ヤエルカの顔は鬼気迫るものがあり、説明を求めるアッジの言葉も耳に届かないかのように逃げろの一点張りだ。

「いいか!村を出たらとにかく遠くへ行け!振り返るな!それと、可能なら他の街に助けを―」

『んっんー、いけないなぁ。せっかくの客人をもてなさずに追い返すなんて』

 ヤエルカの言葉を遮るように、どこか楽し気な声が頭上からかけられた。
 すると、それまで必死にアッジの腕を引っ張っていたヤエルカの動きが、まるで蛇に睨まれた蛙のように止まってしまった。
 そしてすぐに、壊れた機械のように全身が震えだす。

「く、クロウリー…」

 声の主の名前なのか、ヤエルカは己が発した言葉すらも恐ろしいと言わんばかりで、明らかに恐怖に支配されているその様子は、とても普通とは思えない。
 別段強くもない、いっそ穏やかと言っていいあの声が、ヤエルカには強い恐怖を与える何かだということになる。

 大の男をここまで恐れさせる声の主とは何者なのか、その姿を確認しようと顔を上に向けた俺は、急激に全身が粟立つ感覚に襲われた。

 すっかり日が沈んで昏くなった空に、闇をそのまま形にしたような黒い服を纏った細身のシルエットが浮いていた。
 影となっていて顔は見えないが、声の感じから若い男だろうと予想する。
 羽などもたずに宙に立つ姿はおかしなものではあるが、しかしそんなことなど大した問題ではないという、濃密でおぞましい気配をまき散らしている。

 魔力でもなく、また殺気でもない。
 対峙する者の魂に傷をつけてくるような、ただそこにいるだけで人間を恐慌に陥らせる何かを放つ存在。

 毛色は大分違うが、この感覚に近いものを俺は最近体験している。
 スワラッド商国で遭遇したドラゴン、ディースラのそれだ。

 明らかに人とは異なる気配は、無暗に強烈な不安感を搔き立ててきて、本能的に逃走か先制攻撃かの選択を迫られている気分だ。
 ただ、ディースラから感じたあの理不尽な圧迫感はなく、その点からドラゴンほどの強大な存在ではないと思える。

 ふと隣にいるパーラを見てみれば、緊張と焦燥が混ざった表情を浮かべていた。
 背負っていた銃へ手を添えているあたり、余裕のある状態とは言えない。
 そしてそれはエランド達も同様で、一人の例外もなく全員が武器に手が伸びている。

 戦闘の心得がある人間が揃ってこの反応をしている時点で、頭上にいる者は油断ならず、また戦いは避けられないと判断した。

 相手の余裕そうな態度からして、恐らく仕掛けるとしたらこちらからとなるので、今のうちに全身に魔力を巡らせて、いつでも動けるように備える。
 最悪の場合、他の人間を囮にしてでも俺とパーラだけが逃げる選択肢も潰さないでおく。

 まったく、こんな普通の村でこんなのが現れるとは、日頃の行いの良さというのもあてにならんな。
 戦うか逃げるか、難しい判断の分水嶺の訪れを待つこの時間がつらい。
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