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家と兎と私

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 フルージを発ってから約半日、特に何事もなく旅は順調に進み、日が暮れだした頃には野営の準備へと入った。

 通常、この規模の商隊では、街道を少し外れた場所に馬車の荷台を円状に並べ、それを壁として中央に空いたスペースで焚火を用意し、そこで皆で過ごすというのがよくあるスタイルだ。
 ところが今回に限っては、これまでの野営と一線を画すほどに快適な夜を迎えられる要素があった。

 そう、土魔術を小粋に使いこなすこの俺である。

「ぉぉおおっ!?す、すげぇ!」

「親方!地面から家が!」

「これが魔術…?なら俺の見てきたのはなんなんだ…」

 商隊に随行する多くの人間が見守る中、俺が手を着いた地面から次々に土の柱が生えてくる。
 それらが生きているかのようにうねりながら形を変えていき、あっという間に何の変哲もない平原に数軒の家屋が出来上がっていく。

 土魔術で家が作られるところを見るのは初めてなのか、周りにいた人達がテンション高めで騒ぐ中、一仕事終えた俺が一息つくのを見計らって、アッジが声をかけてきた。

「なんとも凄いものだな、魔術師というのは。最初、ここに家を建てると聞いたときは正気を疑ったぞ」

「まぁ普通は旅先で一々家を建てるなんてことはしませんね。気持ちはわかります。けど、土魔術ならこのとおり、人と馬が休める家も作れますから」

 増大した魔力をふんだんに使った結果、出来上がったのはちょっとした屋敷と言っていいレベルの規模の家屋だ。
 そこには商隊の全員が余裕を持って寝られるだけのスペースに加え、馬を収容する小屋まで用意するという気配りも見せている。
 当然、キッチンやトイレも簡易的なものではあるが作った。

 さらに張り出した屋根のすぐ下にはなんとウッド(疑似)デッキ。
 匠の気配りがここでも顔を見せます。

 俺の魔力量ならガチガチに構造を強化して建物をここに固定することもできるが、自分の土地でもないのにさすがにそれはまずいので、明日の朝に解体しやすい程度の強度に収めている。
 おかげで余った魔力で多少凝った内装を設えることができ、利用する人はきっと喜んでくれることだろう。

「まさか旅先での野営がこんなものになろうとはな。しかし、本当に私達も使っていいのか?」」

 感慨深そうに唸るアッジは、この建物を本当に自分達も使えるのかと念押ししてきた。
 自分で用意した寝床は自分だけが使うというのがよくあるため、突然出現した快適な宿を提供してもらえることに懐疑的になるのは仕方がない。

「元々そのつもりでこの大きさに作ってますから。部屋数はそう多くありませんが、広さだけは十分だと思うので、パーティや知り合いで部屋を割り当てて使うといいでしょう」

 作る前にすでに言っているが、これだけの大きさのものを作っておいて俺達だけで使うなどと、無駄が多すぎる。
 それにこういうので配慮をしておくと、長い旅を共にする人達との関係も冷え込まずに済む。

 どうせ元手はタダの土魔術の家だ。
 それで円滑な人間関係を築けるのなら、こんなにも楽なものはない。

 ついでに言えば、これは俺がメアリに頼まれたことでもある。
 パーラがうっかり口を滑らせて、俺が土魔術で家を作れると知ったメアリが、商隊を守ると共に商人達が快適な旅を送れるように配慮してほしいと、こうして寝床の作成も頼まれたわけだ。

「それがいいな。じゃあ有難く使わせてもらおう。おーい、聞いてたな?この建物に寝床―」

『もうやってまーす!』

 アッジが言い切るよりも早く、既に他の人達は野営用の寝具一式を建物内へと運び込んでいく。
 俺とアッジの話が聞こえていた段階で準備に動いていたようで、今日の夜は暖かく安全に過ごせるという期待が、彼らの動きを機敏なものへと変えていた。

 季節的には秋口かという今日この頃は、土地の気候的に昼間はまだまだ暑さはあるが、夜になると寒さの方が目立つようになってきている。
 露天で焚火に当たるより、やはり屋根付きの寝床で寝れる喜びは大きい。

「へーいお待ちぃ!今戻ったよ!見てこれ!かなりの大物!」

 着々と建物に荷物が運び込まれていくのをただ眺めていると、どたどたと騒がしい音を立てながら俺の隣にパーラが駆け込んできた。
 穏やかなひと時は本当に一瞬で終わってしまい、俺の目の前にはたった今パーラが狩ってきたであろう獲物がドサリと置かれる。

「別に待ってないが…なんだこれ?」

「何って、私が獲って来たウサギだけど?これ使ってなんかおいしいの作ってよ、アンディ」

「俺がかよ、まぁいいけど。しかしウサギにしちゃあ大きすぎないか?それに恐ろしい死に顔してるぞ」

 野営地に到着してから、周辺の安全確認にとパーラはクプルと共に真っ先に飛び出していったのだが、この巨大なウサギの死体は周囲の危険を排除した成果だろうか。
 ざっと見て体長は一メートル半はありそうで、灰色の毛皮の下から筋肉が盛り上がっているのが見えるほど、生前の力強さは伝わってくる。

 最早命が失われた肉の塊に過ぎないのだが、それにしても死してなお威嚇するような形相は温厚な草食動物の代表たるウサギには似つかわしくない。
 まぁこの世界のウサギは大抵温厚ではないのだが、とはいえ、少なくとも俺が今日まで見てきたこの世界のウサギは、ここまで恐ろしい存在ではない。

「それね。なんかこの辺りだとたまに見つかる珍しいやつらしいよ。肉は美味しいし、そのうえ毛皮も上等だから、うまく処理すればアッジさんあたりが高く買い取ってくれるかもって、クプルさんが言ってた」

 毛並を確かめるように触ってみると、絹のような滑らかさの中にまだ残る微かな暖かさが感じられ、その触り心地の良さに思わず唸ってしまう。

「へぇ、確かに良い毛皮だな。大きさも十分だし、これならいい外套が作れそうだ」

「でしょ?私が苦労した分、いい外套になってくれるのを祈るよ。こいつ、とにかく動きが素早くてさ、そのくせ蹴りと引っ掻く力はバカみたいに強かったんだよ」

「でかい体にウサギの敏捷性か。厄介だな。…ん?首を折って倒したのか?」

 死体の様子をよく見てみると、小さな傷はいくつかあるがどれも致命傷とは言えない中で、首の向きが明らかにおかしいことに気付く。
 この状態で首が折れているのなら、それはパーラがやったということだろう。

「うん、風魔術でね。いい具合にこっちに突っ込んできた時にこう、グッっと」

 その時を再現するように体全体で何かを殴る動きを見せるパーラ。
 正直、どう倒したのかは全く伝わってこないが、出力が増大した風魔術ならこの程度の生物の首ぐらい簡単にねじってしまえる。

「なるほど、それで毛皮に大きな傷もなく倒せたわけか。血抜きとか内臓の処理はちゃんとしたのか?」

「それがさ、クプルさんが血抜きはするなって言うんだよ。内臓はいいけど、血だけは抜くなってもーしつこくって」

「なんだ、このウサギはそうするのが美味いのか?」

 普通、獲物を獲ったらまず血抜きと冷却をする。
 あの独特な肉の臭みは死体に入り込んだ微生物によるもので、血液を介してそれが行われるため、早急に微生物の活動が鈍る温度まで、死体の体温を下げなくてはならない。

 しかし中には血液が美味いというのもいるにはいるので、血が腐らないうちに肉と共に調理するという場合もある。
 出血を抑えて内臓を取り出すのは手間と技術がかなりいるのだが、冒険者として多くの獲物を解体してきた経験があるパーラなら、やろうと思えばやれないことはない。

「クプルさんが言うにはそうみたい。なんかこのウサギ、死ぬと血に塩気が増して肉を美味しくするらしいよ。私も初めて聞いたから、後の詳しいことは本人に聞いてよ」

 動物によっては血液の塩分が多いのもいるらしいが、このウサギもそのタイプだろうか。
 いや、だからと言って血抜きをしない方がいいというのは何か違う気もするし、ここはクプルから少し話を聞いたほうがよさそうだ。

「へぇ、そりゃ変わってるな。で、それを言ってたクプルさんはどこにいるんだ?」

「そっちに。アンディがこんなところに家作ったから、それ見て驚いちゃって固まってる」

 パーラの指さす先を見ると、俺が作った建物の傍で目を見開いて硬直しているクプルの姿があった。
 制作過程を見ていないクプルにとって、ちょっと離れている隙に野営地に現れた土の家というのがよほどショッキングだったようだ。

「土魔術で出来た家は珍しいでしょう、クプルさん」

 近くまで行って驚いているクプルの背中に声をかける。
 他の人達もそうだが、魔術師の仕業と分かった上で、土の家の存在は驚かれる。
 並の土魔術では壁を作るのが精々という常識の中、それを覆す現象を目の当たりにした人間の姿というのは、正直見ていて面白い。

「…珍しいなんてもんじゃないわよ。ちょっと離れてる間にこんなしっかりした家が出来てるんだもの。下手したらそこらのあばら屋よりちゃんとしてるじゃないの?十分住めるわよ、これ」

「いえ、作る際にそれなりに魔力をつぎ込みましたが、そう何日も使うようには作ってませんよ。今夜を明かしたら、明日には土に戻しますし。ただ、内部は結構細かく作り込んであるんで、不便はそうそうないはずです」

 寝床に加えてキッチンとトイレまで作ってあるため、一応住むには問題ないのだが、解体のしやすさを優先しているため、耐久性を保証できるのは精々一週間ほどだ。
 旅をしている俺達には、一日の宿に使えればそれでいい。

「アンディってさ、こういうのにも細かいんだよ。私も初めの頃は雨さえ凌げれば十分って思ってたけど、これに慣れちゃうともう、ね」

 土魔術の家での寝泊まりに慣れているパーラだが、それでも今回作った規模のものは珍しさがあるようで、その声はどこか楽し気だ。

「はー、私も魔術師はあんまり知らないけど、こんなのが出来るなんて聞いたこともないわ。あなた、結構凄かったのね」

「いえ、それほどでも。この手の魔術の便利な使い方は、常に研究してますから。まぁ土魔術で家自体を作ろうって考え自体、他の人はしないみたいですが」

「そりゃあそうでしょ。普通魔術って、戦うためにあるもんだし。こういう使い方するのってアンディぐらいだよ、きっと」

「お前だって、風魔術で音を拾うって使い方は普通じゃねぇからな」

 まるで俺を異常者のようにいうが、パーラにしても風魔術がもうすでに音魔術と化しているほどで、通常の魔術師の範疇からの逸脱具合ではあまり変わらないはずだ。

「それを教えたのはアンディだけどね」

 …そうだったか?
 もう随分昔のことで記憶はないが、そう言うのならきっとそうなのだろう。

「私からしてみれば、二人とも普通じゃないってことね。でもこういうのって、エランドが喜びそう。あの人、変わった魔術の使い方ってのにすごい食いつくわよ」

「エランドさんが?」

「あの人って水系統の魔術師だよね?そんなに食いつくもんなの?」

 道中、エランドと交換した情報で、彼の使う魔術は水属性だと分かっている。
 同じ魔術師という視点から、土魔術の変わった運用というのに興味は持つだろうが、クプルがそこまで言うほどのものだというのか。

「ええ。今でこそ傭兵なんてやってるけど、昔はどっかで研究者やってたらしいからね。だから今でも珍しい魔術とかに出会うとうずくみたいよ。…そういえば、エランドはどこ?」

「エランドさんなら、さっきまでアッジさんの傍に…あ、いますね、今も」

 クプルにエランドの過去を語りながらその居場所を尋ねられ、最後に目撃した場所へ顔を向けて見ると、先程と変わらない場所にその姿があった。
 アッジは全体の様子を見るためにかもう姿はなかったが、エランドの方は神妙な顔で土の家を眺めていった。

 ―…発動から構造を組み上げるまでを術式として纏めているのか?積層型の発動式?それに魔力を増やして硬化…ふぅむ、わからないな

「…なんかブツブツ言ってますね」

 少なくとも家を作るまでは普通だったエランドだが、知らぬ間に様子が変わっていることが少し怖い。

「やっぱりね。土魔術の家ってのに反応しちゃったのよ。ああなるとしばらく自分の世界に入っちゃうから、今は放っておきなさい」

 どうもあの状態のエランドは放っておくのが正解のようで、その様子を確認しただけでクプルは興味をウサギの方へと移してしまう。

「それよりも、肉と毛皮の処理をしちゃいましょ。こいつのおかげで今夜は豪勢になるわよぉー。さ、あなた達も手伝って」

「クプルさん、こいつ倒したの私なんだから、約束通りさっき言ってた一番美味しいとこは私んだからね!」

 パーラの奴、クプルとそんな約束をしていたのか。
 まぁ倒したのはこいつだし、一番美味いところを食う権利はある。

「はいはい、分かってるわよ。その代わり、他の肉は私らにもおすそ分けしてもらうからね。でもロズなんていつぶりだろ」

 解体用の道具を取りだしながら、ウキウキとした様子のクプルが口にした名称について、俺は尋ねずにはいられない。

「ロズ?このウサギの名前ですか?」

「あぁ、二人は知らないんだっけ。そうよ、このウサギはロズっていうの。そう頻繁に姿を見せるやつじゃないけど、とんでもなく美味しいわよ。美味しすぎて漏らしても知らないんだから。下着の替えを用意しときなさい」

「そこまで言いますか。パーラが仕留めた時、血抜きをさせなかったのも美味しさの秘訣ですか?」

「ええ、こいつは血が美味しいのよ。特に肉と香草を一緒に煮込むと、なんとも言えない味わいになるんだから。勿論、血がなくても十分美味しいんだけど、あるとないとじゃ大違いだからね」

 ウサギの腹に開けられた傷口にナイフを入れ、手慣れた様子で肉と毛皮を切り離していくクプルは、その味わいを想像して顔が蕩けている。
 どこかサバサバとしたクプルがこうまで顔色を変えるとなれば、果たしてロズはどんな味わいなのか、今から楽しみで仕方ない。

「どふわぁ…あー、ダルぅ。お?なんだクプル、ロズを獲って来たのか?」

 クプルの指揮のもとにテキパキと解体作業をしていると、たった今まで馬車で眠っていたリーオスが現れた。
 盛大に欠伸をかましながらの登場は、今日一日のほとんどの監視を一手に引き受けていた疲労などないかのようだ。

「あら、起きたみたいね。ロズなら倒したのは私じゃなくてパーラよ」

「…あぁん?ほんとかよ?ロズってなぁ、一端の戦士でも倒すのに苦労…おいおい!なんだこりゃ!?こんなとこに家なんてあったか!?」

 クプルの言葉に、パーラへ疑いの視線と言葉を向けたリーオスだったが、平原に現れた土の家という、すぐにそれを上回る衝撃に襲われて面白いほどのリアクションを見せた。

「うるさいわねぇ。その家ならアンディが作ったのよ。土魔術でね」

「土魔術ぅ~?あれってこんなのもできるもんか?」

「実際できてるんだから、そうなんでしょ」

 驚きに染まった目で土の建物を見た後、俺へ向けてきたリーオスの視線には、出発前にあった侮るような色は完全に消え失せ、今はこちらの底を探るような目をしている。
 魔術師と知った上でその実力を疑っていたが、パーラはロズを倒し、そして俺は土魔術で家を作ったことで改めて実力を測りなおそうとしているのかもしれない。

「…やるじゃねぇか」

 仏頂面でジッとこちらを見つめていたリーオスが、その顔に不敵な笑みを浮かべて俺とパーラへ向けた賛辞の言葉をつぶやいた。
 ツンデレか。

 このリーオスは結構単純なのか、つい先ほどまでは俺とパーラに対してどこか壁のある態度だったものが、ロズと土の家を知ったことで多少は心の距離が近付いた気がした。




「別に全部を察知するってわけじゃねぇ。俺が感じ取るのは敵意だ。大抵、よからぬことを企む連中がまず最初に意識を向けるのは、列の先頭を進む馬車だからな。俺がそれに乗ってれば、そこから敵対する存在、その規模、そういうのを大雑把にだが把握できるってわけだ。おまけにこいつは浅く眠ってりゃ頭の隅で警戒は効くんでな、常にあっちこっちと見張るよりも楽なんだよ」

 日が落ち、俺の作った土の家の中で食事を摂りながら、リーオスが昼間に行っていた眠りながらの監視について教えてもらっている。
 ある程度俺に対して心を開いたのか、思い切って尋ねてみると意外にあっさりと手札を開示したのには驚きだ。

「敵意を感じ取る有効範囲、射程距離とかそういうのは?」

「大体俺自身を基点して半径二百メートルってところか。目を閉じればさらに感覚が研ぎ澄まされて、半径五百メートルまで伸びる」

 人間の五感も、視界からの情報を遮断すれば、嗅覚や聴覚といったものが鋭くなるため、リーオスのそれも似たような感じだろうか。

「条件付きとはいえ、五百メートル先の敵意を感じ取れるってのはとんでもない能力ですよ、それは。もう固有魔術と呼んでいいのでは?」

 聞いた限りだとかなり特殊な能力のように思え、こういうものにはまず固有魔術を当てはめて考えるのが普通だ。
 個人が持つ能力としては破格なもので、固有魔術ではないほうがおかしいとすら思える。

「アンディ、君も魔術師なら魔術の定義についてはわかるね?」

 ロズの肉を煮込んでいる鍋をかき混ぜながらエランドが言う。
 その口調は生徒に答えを求める教師のようであり、こう言うとなればリーオスの能力は固有魔術ではないのだろう。

「勿論。『魔術とは、個人あるいは周囲にある魔力を用いた事象の発動、またはその結果を指す』、でしょう?」

 これでも某学園の蔵書は読み漁って来たので、この手の問いに答える材料は持ちあわせている。

「その通り。魔力の存在があるからこそ、魔術は様々な現象を生み出す。これは固有魔術も同じだ。つまり魔力を用いないで発現される能力は、そもそも魔術ではないということになる。そしてその基準で言うと、リーオスの探知能力には魔力が一切介在していない。つまり、完全に魔術ではないんだよ」

 エランドのなんとも研究者らしいもの言いだが、先程俺の土魔術について鬼気迫る様子で尋ねてきた姿から一転して冷静なのは、リーオスのこの能力が魔術に由来しないからか。

「リーオスはこの能力で赤級にのし上がったと言っても過言じゃない。商隊の護衛としては、これ以上ないほどの適性を発揮するからね」

 純粋な戦闘能力ならともかく、人間レーダーとして使えるリーオスなら、赤級に据えてでもキープしておこうという商人ギルドの思惑は分かりやすく、また当然のものだろう。

「へっ、その代わり警戒要員以外の仕事は回ってこないがな」

「他に出来る人間がいないんだ。頼られてる証拠だよ」

「ものは言い様だな」

 自虐的に言うリーオスに、エランドは宥めるように声をかけるが、赤級という立場なら敢えて仕事を限定して割り振るのも、能力を有効に生かすやり方ではなかろうか。

「…しかし、魔術以外でそういう芸当ができるってのは、素直に驚きますね。もしかして、俺も習得できたりしますか?」

「無理だな。正確には、どう習得するのか、教え方を俺も知らねぇんだ。敵意を感知するこの力は、俺もガキの時から使えてはいた。血縁の中では、曾祖母が使ってたらしいが、他に家族で使える奴はいなかった」

 ぬぅ、あわよくばこの能力を手に入れ、パーラに水をあけられている探知能力の差を埋めたかったところだが、魔術張りにランダム要素があるのなら仕方ないか。

「っと、こんなもんかな?アッジさん、こんな感じだけど」

 秘かな目論見の当てが外れたと唸っていると、少し離れた所にいるパーラが声を上げた。
 周囲に集まっていたクプルやアッジに、手にしていたものを突き出している。

 夕食が出来上がるまでの間、パーラはロズの毛皮の処理を行っていて、今は皮についていた肉や油を、アッジから借りた専用のナイフで削り取る作業をしていた。
 商人だけあって、こういう道具も売り物として揃えているのは流石だ。

「どれ……よしよし、奇麗に肉と脂が削り取れてるな。じゃあ後は専用の薬液に着けて洗って干すという作業だが、まぁ後はこっちの人間でやろう。ご苦労だったなパーラ、ほれ、毛皮の買い取り代金だ。手間賃込みの」

 本来なら剥がした毛皮をそのままアッジに売り、後の処理は丸投げしてもよかったのだが、暇つぶしも兼ねて、鞣しに必要な初期の手間をパーラが請け負った。
 皮の鞣し自体は初めてではないが、ロズの毛皮は初めて触るので、どうなるかと思ったものの、アッジのあの反応なら大丈夫そうだ。

「へぇ、結構くれるんだね」

 アッジから渡された金を掌で数えたパーラが、意外そうな顔をする。
 作業事態は大したものではないはずなので、あの反応から毛皮自体の金額がかなりのものだったということが想像できる。

「ロズの毛皮は人気だからな。ちゃんと処理したものなら、いい値で売れる。妥当な額だよ、それは」

「そうよねぇ、どうせ金持ちにはバカみたいに高く売れるんだから、銀貨八枚程度、惜しくもないんでしょう?アッジの旦那?」

 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、パーラに払った以上の利益があることを暴露するクプルを、アッジは不機嫌そうな顔で睨む。
 そりゃあ商人なら安く仕入れて高く売るのは当たり前だが、だからといって今このタイミングでそれを明かされて気持ちのいい人間はいない。

 とはいえ、それを言ったクプルもアッジとはそれなりに気安い仲なので、軽口程度に収めると、舌を出してそっぽを向いてしまう。

「お三方、作業が終わったなら食事にしませんか。こっちも丁度出来上がったところですよ」

 こちらの料理が出来上がるタイミングを計ったようにパーラ達の作業も終わったので、パーラ達を鍋の前へと呼ぶ。
 ロズの肉を使った一品だけあって、いい匂いを上げるそれに誘われた三人が鍋を囲んで座る。

「待ってました!いやぁ、あのウサギがアンディの腕によってどんな美味しいのに化けるんだろうね。楽しみ」

「パーラがそこまで言うなんて、こりゃ期待しちゃうわねぇ」

 いそいそと食器の用意をするパーラとクプルは、鍋から立ち上る食欲をそそる匂いに、今にも涎を垂らしそうなだらしない顔をしている。

「悪いな、俺までご馳走になっちまって」

「いえ、一人増えたところで、手間はそう変わりませんから」

 急遽俺達の食卓に加わったアッジは申し訳なさそうにしているが、それでもロズというのはご馳走には変わりなく、緩む顔からは期待の大きさが隠し切れていない。

 人数分の食器が用意されたところで、塩と香草で味を調え、適当な野菜と共に煮込んだロズの肉を全員に配る。
 煮込みの入った深皿と、毎食時に商隊の人間全員に支給される保存性重視のカチカチのパンという、俺としては満足のいかない献立が目の前に用意された。

 土で作った建物にある小部屋には、それぞれの簡易キッチンで料理が作られており、今頃はその多くで俺達がおすそ分けしたロズの肉を使った料理が作られている。
 恐らくほとんどは今俺の目の前にあるのとそう変わらない料理となるはずなので、贅沢は言うべきではない。

「ではいただくとしよう。…うむ!これは美味いな!アンディ、いい腕だ」

 最初に口に運んだのはやはり商隊のトップであるアッジだった。
 端から毒など盛ってはいないが、だからといって会って一日も経っていない人間が作った料理を平然と口に運ぶとは、この男、大した度胸である。

「ロズの肉なんて何年ぶりかしらねぇ…んー、やっぱり美味しいわ」

「あぁ、そう言えばこんな味だった。久しぶりに食べると、この美味さは驚いてしまうな」

 クプルとエランドは久しぶりのロズの肉じっくりと噛みしめ、その味わいにちょっとした懐かしさと感動を感じているようだ。
 リーオスは反応がないのでよくわからないが、黙々と食べ進めているので、口に合わなかったというわけではなさそうだ。

「なにこれ!めちゃうま!マジヤバ!」

「お前の語彙力がヤバいわ。しかし気持ちはわかる。こりゃあ確かにヤバいぐらいに美味いな」

 ロズの肉を初めて食べた俺とパーラは、今まで食べたどの肉とも違う美味さに驚き、パーラなんかは語彙力が崩壊したようなリアクションをしている。
 だがパーラのそれも決して大げさではない。
 簡単に野菜と煮込んだだけだというのに、明らかな存在感で重厚かつ爽やかな後味を放つ肉はとてもウサギのものとは思えず、この世界で食べた肉としては一二を争う美味さだ。

 噛んだ時に感じる独特な風味は、血抜きをしなかったことで肉に味の変化が加わったせいか。
 なるほど、クプルが血抜きを止めさせたのも頷ける。
 悪くない、悪くないぞ、決して。

 単純な味付けの煮込みでこれなのだから、他の調理法では一体どれほどなのかと戦慄を覚える。
 惜しむらくは遭遇が稀な動物であるため、そうそう手に入らない肉だというのが残念でならない。

「しかしこんなところでロズに遭遇するとはなぁ。運がいいのか悪いのか…まぁこうして美味い飯が食えてるんだから、運がよかったってことか」

 鍋からお代わりを掬いながら、アッジが気になることを言う。

「ここらにロズはいないんですか?クプルさんはこの辺りでたまに出るって言ってたみたいですが」

「いや、出ることは出るんだ。しかし、時期がおかしい。ロズが生息するのは、西の山脈の中腹が主で、春から夏の頭ぐらいには稀にこっちまでくることがある。だが今はもうじき秋だろう?秋から冬の間は、自分の縄張りに引きこもっているはずだ。少なくとも、この時期にこっちにまで来たってのは聞いたことがない」

「なるほど、時季外れにやってくる動物、それも遭遇自体が稀なものとなると、確かに妙ではありますね」

 動物である以上、どこに現れるかなどそいつ次第なのだが、縄張りがある動物で、しかも季節で活動が決まっているのなら、その定石から外れて動くとなればどうにも普通ではなさそうだ。

「ああ、こうして美味い肉を食えるってのはいいんだが、何か良からぬことが起きてたらって思うとな。こりゃあカーチ村をさっさと目指すべきかねぇ」

「カーチ?」

「この商隊が最初に目指す村さ。ここからだと西に六日ほどの距離にある山間の村だ。あそこはワインが名産でな、そこで積み荷をいくつか卸してワインの仕入れをする」

 そのカーチという村は、商隊の行程に組み込まれるほど、ワインの仕入れ先としては有名どころなのか。
 ソーマルガまでの長い旅を考えれば、いくつかある休息地の一つなのだろうが、ただ気になることができた。

 そのカーチがある場所は、西の山間と言ったな。

 ロズが本来生息地とするのも西の山脈、そこから恐らく近い土地にあるカーチの村。
 俺達がここでロズと遭遇したこともあってか、これから向かう先との関係性に何かの縁を感じてしまう。
 まさかカーチで何かがあって、ここまでロズがやってきたというのは流石に考えすぎだろうか。
 だとすれば、これから行く先で何かがあると警戒した方がいいかもしれない。

 まぁ物語の主人公でもあるまいし、俺も行った先々で必ずトラブルに巻き込まれると限らないし、杞憂で終わるとは思うがな。




 どこか遠くで、人ならざる何かが上げた笑い声のような音が聞こえた気がした。
 ……風だよね?
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