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ドラゴンは置いていく、怖いからな

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 島での一日はあっという間に過ぎていき、夜の帳が落ちてからは砂浜で派手に焚かれたキャンプファイヤーを囲んで、ちょっとした宴が開かれることとなった。

 水や食料の補給は滞りなく行われ、陽が沈む頃には全ての作業が終わり、また明日からの船上生活に備えて、今日ぐらいは騒ごうという船乗り達の魂胆は実に分かりやすいものだ。

 航海中は水代わりに酒がよく飲まれていたが、陸地で飲む酒はまた一味違うのか、船の上では見ることがまずなかった、ベロンベロンに酔っぱらった船乗りの姿もちらほらと…。

 島では山菜や果物が大量に自生しており、それらを使った料理も用意された。
 船の上では煮炊きの火も制限されていた鬱憤を晴らすように、陸地では自由に腕を振るえる料理人によって、夕飯から酒のつまみまで揃う、キャンプとしてはかなり豪華な食事が並べられている。

 その中でも一際目立つ料理は、ワンボックスカーほどもありそうなサイズの巨大な肉の塊を丸焼きにしたものだろう。
 人間の手には負えそうもないサイズのトカゲに、島で採れたハープと塩を擦り込んで焼いたシンプルな料理だが、その味わいは最高級のステーキにも引けを取らない。

 この巨大トカゲだが、実はパーラが日のある内に獲ってきたものだ。
 探索に出かけた先で襲われたそうで、空を飛ぶパーラに食いついてきたところを逆に魔術で倒したそうだ。
 本人は肉が向こうから来たと喜んでいたが、でかいトカゲを担いで歩いてきた姿は船乗り達を絶句させるのに十分な迫力があった。

 やはりこの島は危険な生物もそれなりに生息しているようで、水の調達に赴いた船員達も軒並み魔物に襲われている。
 襲ってきたのは全長五メートルほどの蛇型の魔物で、船員側が人数も揃っていたことで何とか倒せたが、それでも怪我人が出たあたり、この島の危険性を自覚させられた。

 同時に、そんな危険な場所で自分達以上の大物に襲われたパーラが、単身で返り討ちにしたことに対して船員達からは驚きと称賛が寄せられている。
 腕っぷしに自信のある船乗りが怪我をしたというのに、荷物以上客以下の扱いの少女が自分達を襲った魔物よりもよっぽど凶悪そうなトカゲを倒したことがかなりショッキングだったようだ。

 元々荒くれ者共が集まっているだけに、分かりやすく強さを示したパーラは宴の席でも主役となっており、いい酒の肴として宴に彩を添えている。

「しかし大したものだな。そんななりして、あんなデカブツを一発で倒したってんだからよ」

 そう言って、俺とパーラのカップへと酒をなみなみと注いでくる船長。
 するとその言葉に同意する声があちこちから上がる。

 ―まったくだ!あんなのより小せぇ魔物でも、俺らは死にかけながら倒したってのによ!

 ―流石は魔術師ってな!

 カップを掲げながら武勇を称える周りからの声に、パーラは顔を赤くして手を振っている。
 こいつの顔が赤いのは照れているとかではなく単に酒のせいで、そもそも振舞われている酒の度数が高いがために、宴会が始まってから速攻でかなり酔いが進んでいた。

「や、どもども。やや、どーもども」

 それでも楽しい酔い方をしているようで、バラバラに上がる乾杯の声に楽しそうに応える姿は、まるで集金パーティにいる政治家のようだ。
 少し冷めた目で見ていると、視線に気づいたパーラが困ったような笑みを浮かべて俺の方へと身を近づけてきた。

「いやぁ、私としては襲われたから返り討ちにしただけなんだけど、こうまで喜ばれるとなんだかこそばゆいもんだね」

「まぁ怪我人も出て、この島も安全じゃないってはっきりしたからこそ、お前のしたことで盛り上がってんだろ。ついでに夕食も少し豪華になったしな」

 この島の安全を過信していたわけではないが、それでも怪我人が出たことで、船乗り達も大分不安は増していたらしい。
 それがパーラが大物を倒したというニュースで幾分か不安は和らぎ、しかもその獲物が美味い飯として出されたのが彼らにとっては痛快な出来事となっているのだろう。

「確かにこのトカゲの肉、なんかすごく美味しいよね。こういう肉って結構癖がありそうな気もするけど、料理した人の腕がよかったのかな?あぅぐ」

 木皿に分けられている薄切りにされたトカゲの肉を一つ摘み上げ、しげしげと眺めるとパーラは一気に口へ放り込む。
 たった一枚で口の中を一杯にする肉は、その味わいもあって食べた人間を笑顔にさせる威力があった。

「皆、やっておるな」

 それほど大きくはないはずだが、妙に辺りへよく響いた声により、それまで騒いでいた音がピタリと止む。
 木々の間からゆっくりと姿を現したのは、この島の支配者であるディースラだった。

「これはディースラ様!お待ちしておりました!席をご用意しております。どうぞこちらへ」

「うむ」

 すぐに船長が近付いていき、ディースラのために用意していた、一際豪華な椅子の置かれたテーブルへと案内する。
 鷹揚に頷いて船長の後に続いたディースラだったが、その足が途中でピタリと止まった。
 そこはちょうど料理が並んでいるテーブルで、何か気になる料理でも見つけたのだろうか。

 今日の趣向は大皿に盛られた料理をめいめいが好きなものを取っていく、所謂バイキングスタイルとなっている。
 船乗りがバイキングスタイルというのは、ピッタリな形だと秘かに俺は思う。

「船長、これはなんだ?」

 テーブルの上にある様々な料理の中でも、一際目立つのはパーラが倒したトカゲの肉の塊で、やはりディ―スラの目にもそれは留まったようだ。
 もう既に何人かが巨大な肉を削いで持っていったというのに、まだまだ減ることのない、正に肉の壁と言った凄味がある。

「は?…あぁ、それは今日、パーラが獲って来た―」

 尋ねられたことへ何の気なしに応えた船長だったが、全てを言い終わる前に言葉が詰まった。
 それを何故と思ったのは一瞬で、この場にいるディースラ以外の誰もが船長のその態度の理由に気付く。

 トカゲはかなり遠くはなるがドラゴンと似た種族と言ってもよく、ディースラがその肉の正体を知った時のリアクションに不安を覚える。

 ここはディースラの島だ。
 そこに生息しているトカゲを倒し、さらに食っているという事実に、ディースラがどういう感情を抱くのかを想像してしまったがゆえに、誰もが狼狽の気配を見せていた。

 例えは少し大雑把だが、人間の肉を食っている最中の魔物を前にして、果たして穏やかでいられる人間がどれほどいるか。

 勿論あのトカゲとディースラは生物としては別物といっていいのだが、遠い祖先が同じだというリズルド達に対して親身になったあのディースラだ。
 もしもこのトカゲに強く感情を揺さぶられたとしたら、ここにいる人間は誰一人として生きて島を出られないかもしれない。

「ん?どうした?パーラが獲った、何の肉なのだ?」

 ディースラは純粋に疑問を覚えているといった態度だが、答えによっては次の瞬間に辺り一帯をブレスで焼き尽くすというのも有り得る。

「いえ、その、それは…」

「その肉は、私が倒したトカゲの肉だよ。ほら、あの時私って船を飛び出したでしょ?それで少し探索してたところで、急に襲ってきたのを返り討ちにしたの。もうこーんなおっきいトカゲでさー」

 いつの間にか移動したのか、もごもごと言う船長から立ち位置を奪うようにしてパーラはディースラへ相対する。
 酒が入って機が大きくなっているのか、腕を思いっきり広げて自分が倒した獲物の大きさを誇るパーラだが、俺達が危惧しているディースラの心情については気が回っていないらしい。

 そういうとこやぞ。

「トカゲ、だと?それはどんなやつだ?見た目は?」

 パーラの言葉に何か思う所があるのか、ディースラの表情が変わる。

「どんなって、すごく大きいってこと以外の特徴ってことだよね。見た目は…全体的に赤黒いってぐらいかな。あ、背中に黄色い斑点が頭から尻尾までポツポツとあったよ。それと尻尾が凄く長かったね」

 既にトカゲは料理に加工されており、生前の姿を窺える部品は料理人が処分してしまっている。
 特徴的な長い尻尾も、スープの具材に姿を変えていた。

「なんとお主ら!あれを食っておるのか!?」

『ひっ』

 パーラの言葉にトカゲの正体を知ったのか、ディースラが目を剥いて周囲を竦ませるほどの大声を上げた。
 腕自慢の船乗り達が揃ってこのリアクションだ。
 ディースラがそれほどの迫力を示すとなれば、やはりあのトカゲは食べたらダメなやつだったか。

「え、なに?なんかまずかった?ひょっとしてあのトカゲ、ディースラ様が飼ってた…とか?」

 パーラはビビってこそいないが、何か叱られる寸前の子供のような反応を見せており、しかも中々面白い推理をしている。
 ドラゴンがトカゲをペットにするのも、全くないとは言えないな。
 ただ、今回はその推理も外れてはいた。

「別に飼ってはおらぬわ、あんなもの。ただ、まずかったというのなら、味という意味で不味いと言えような。お主らようもあんな不味いものを食えたわ。我が以前食うた時は、地面を転げまわったほどの不味さだったぞ」

 その時のことを思い出してか、目を瞑って舌を出すディースラの顔は、よっぽどの不味さに悶絶した時のものだろう。

「あ、まずいってそっちの不味いね。ていうかディースラ様、前に食べた時に不味かったってどういうこと?私ら今食べてるけど、普通に美味しいよ?」

 もう大分手が付けられた料理であるため、同意を求めるように周囲へ視線をやれば、周りの人間も頷きを返す。
 俺もその一人で、このトカゲの肉は決して不味いということはなく、むしろ美食のレベルにあると言っていい。

「ほら、皆も美味しいってさ。ディースラ様、騙されたと思ってちょっと食べてみてよ」

「はっはっはっは、そんなはずはない。そのトカゲ、ストルキンと呼ぶそうだが、以前に食うた時は臭くてたまらん味だったわ。まぁそこまで言うなら食らってみるが、あれが多少手を加えた程度で美味くなるわけが―ホンマや…」

 滑稽そうに笑うディースラが、皿からストルキンの肉を一切れ摘みあげ、やれやれと呆れたように首を振りながら口へと放り込むと、芸人かと見紛うほどに分かりやすい反応を見せた。
 おまけに何故か関西弁だ。

「…どういうことだ?あの臭くてかなわなかった肉がまるで別物ではないか!ええい!これを作ったのは誰だ!」

「は、はい!じ、自分であります!オイラが作りました!申し訳ありません!」

 某美食家ばりに吠えるディースラの前に、船乗りの一人が慌てて飛び出してきた。
 彼が今日の料理を作ったらしい。
 恐怖からか、全身を震わせている上に顔も真っ青で、今にも倒れそうだ。

「なぜ謝る?」

「ディースラ様が凄い剣幕で呼んだからでしょ。ただでさえ怖がられてるのに、あんな風に言ったら誰だって委縮しちゃうよ」

 パーラの言う通り、ただでさえ怖がられているディースラがあんな呼び出しをしたら、誰だってこの料理人のようになる。

「ぬ、我はそんなにも怖がらせたか?」

「そりゃあもう。気の弱い人間なら、漏らしてたぐらいの声だったよ、さっきのは」

「そのようなつもりではなかったのだがな。まぁよい。それでお主、このストルキンの肉はどういうことだ?なぜこんなにも美味くなっておる?どんな魔術を使った?」

「あ、いえ、魔術とかそういうのは特には…ただ、オイラの故郷では臭みのある肉にはよく使う方法があって―」

 幾分か穏やかさを取り戻したディースラが尋ねると、少しだけ緊張から解放された料理人がたどたどしくではあるが、ストルキンをどう調理したのかを説明していく。

「ほー、そんなことで臭みが消えるのか。特別な素材は使っておらぬのだろう?」

「はい、大事なのは香草の擦り込み方で、香草自体はこの島で手に入れたものを使いました」

 この料理人の青年は、ストルキンの肉がそのままでは癖が凄くて食べにくいと判断し、故郷で使っていた手法に頼って調理を行ったそうだ。
 元々食べるものに乏しい土地の生まれらしく、食用に向かない食材でも食べられるようにする工夫は色々と知っていたのが、今回は役にたったようだ。

 ドラゴンが顔をしかめるほどの食材を、特段変わった手法も素材も使わず、見事な料理を作り上げた手腕は大したもので、この料理人が船に乗っている幸運を船乗り達は噛みしめるべきだろう。

 一通り話を聞き、ディースラが感嘆の溜息を吐いた。

「まったく、人間の知恵というのは侮れんな。とても食えたものではない肉をこうまで美味なるものに変えてしまう。見事と言う外ないな」

「は、あ、ありがとうございます」

 面と向かってそう言われた料理人は礼の言葉を口にするが、恐れ多いと言わんばかりにまだ硬さの残る態度のままだ。
 滅多に人間を称賛することがない(と俺は思っている)ディースラが、こうまで言うのは中々貴重ではあるが、同時にそれだけの存在から関心を向けられる一般人の緊張感たるやいかほどのものか。

「どうだ、お主。このままこの島に留まって、我の専属料理人をやってみぬか?欲しいだけの報酬をくれてやる。金や銀ならば腐るほどあるのでな」

 よっぽど気分がいいのか、なんとディースラが料理人を勧誘し始めた。
 生きるのに食事が必ずしも必要ではないドラゴンだが、美食を楽しむ感覚は人並みにあるようで、自分専用の料理人として手元に置いておこうと考えたようだ。

「え!?い、いや、オイラは…」

「ディースラ様、お戯れはそこまでに。そう目の前で勧誘されては、私も船長としてはいい気はしませんな」

 急なことに動揺する料理人の肩に手を置き、船長が苦言を呈する。
 船の要員として雇用している人間を、航海の途中で引き抜かれるのは流石に見過ごせないのだろう。
 それも船の上での数少ない娯楽である、食を提供する人間ともなればなおさらだ。

「むはははは!わかっておる。冗談だ、冗談」

 本気の勧誘ではなかったのか、ディ―スラも船長の言葉に笑ってそう返すと、料理人も安堵に胸を撫で下ろしていた。
 仮に勧誘を受けたとしたら、他に人間のいないこの島で、ドラゴンを相手に鍋を振るって暮らすことになる。
 碌な娯楽もない土地では、金銀財宝を報酬にもらっても使い道はなく、しかも危険な動物や魔物が生息する場所での生活ともなれば、並みの人間の感覚からしたら魅力はあまりない。

 この料理人の反応からして、誘われはしたが端から乗るつもりはなかったということだろう。

「…さて、冗談ついでに少し話しておこう。船長、お主らは明日ここを離れるが、我がいない航海に不安があるそうだな?」

 一転して真面目な表情に変わったディースラが、船長の目を見つめながらそう尋ねる。
 すると船長の方も、それまで纏っていた空気を一変させ、居住まいを正して答えた。

「は、左様にございます。何しろここまで魔物に襲われることなく来れたのは、ディースラ様の御威光があったからこそと言えるでしょう。しかしこの先の海でそれがないまま進むことに、些かの不安は否めないのも事実です」

 船長の言う通り、ディースラが同乗していたことによって、魔物達をその気配だけで威嚇して安全な航海が出来ていた。
 所謂ドラゴンの威を借る船というやつだ。

 しかしこの島でディースラと別れると、ドラゴンの威を失った俺達は魔物の襲撃にあう確率の高い航海に臨むこととなる。
 些かの不安とはまた控えめに言ったが、実際はいつ海中から襲われるかわからない敵に怯えながらの航海となり、今日までのものとは全く違う、ひどい緊張感に包まれながらの旅が待っていることだろう。

「であろうな。しからば面白いものを食わせてもらった礼に、我から一つ餞別を送ろう。船長よ、鉄か鋼か、なんぞ金属の塊は用意できるか?」

「金属の塊、ですか。いかほどの大きさをご所望でしょうか?」

「大きければ大きいほどいいが、贅沢は言わん。そうさのぅ…これぐらいあればよいが」

 そう言ってディースラが左右一杯に広げた手は、大体一メートルと三十センチほどはあり、この世界での標準的なロングソードと大体同じ長さだ。

「ふぅむ…その大きさであれば、長柄の斧がよろしいかと。本来は綱を切るのに使うものですが、数は余ってもおりますゆえ。すぐにお持ちしましょう」

「いや、あるのならば急がずともよい。この通り、今日はもう暗いのだ。明日の朝にやるとしよう」

「はあ、そう仰られるのなら。しかし、やるとは一体どのような?」

「それは明日のお楽しみにしておけ。なに、お主らの船の安全のためにやることゆえ、決して悪いようにはせぬ」

「は…」

 なにやらしようというディースラが、その詳細を明かさないことに船長は不安そうにするものの、相手が相手だけにそれ以上尋ねることができない。
 この先の航海の安全にかかわる何かをしようというのだから、下手に突っ込んで不機嫌になられても困るのだろう。

 その後、宴は夜遅くまで続き、酔わない体のディースラにつられるようにして船員達は浴びるように酒を飲み、酔い潰れた船員が一人、また一人と増えていって、遂にはディースラを除く全員が意識を失ったところで宴はお開きとなった。

 俺とパーラもこの船員達と同様、酒に飲まれていつの間にか眠っていた口だが、それでもディースラとの最後の別れの夜とあって、中々楽しい時間だったことは確かだ。






 次の日、船員の多くが二日酔いに苦しみながら朝を迎え、顔色の悪い人間がマーライオンと化して海辺に並んでいた。
 俺とパーラもこの例に漏れず、ひどい頭痛とだるさに苛まれつつ、海の生き物に餌を与えている状況だ。

 何とも見苦しい姿をさらしたが、水分と朝食を十分に取って多少回復したところで、船長が全員を砂浜に集める。
 昨夜ディースラが言っていた餞別云々がこれから始まるらしく、その邪魔だけはしないようにとの注意を受けた。

 ディースラが何をするのか誰もが気になるようで、出航に向けて色々と動いている中、ほとんどの人間がそれを見届けようとしていた。
 指示された通り、遠目に彼女を半円で囲むように集まる人達の視線を受けながら、ディースラは刃先を下にして砂浜に刺さる斧を前にしてジッと立つ。

 船長が用意した斧は、刃から柄までが全て鉄でできた無骨なもので、装飾の欠片もないそれは実用一辺倒の道具と分かる。

 果たしてそれに対して何をするのか、また航海の安全にどう関わってくるのか好奇心全開で注目していると、ふいにディースラの姿がぼやけるようにして解けていく。
 俺は何度か見ている、人の姿からドラゴンへの変身だ。

 ちっぽけな少女としか言えない姿が、一瞬にしてドラゴンへと変化する様は、見ている者に感嘆と恐怖の息を吐かせるのに十分な光景だろう。
 スワラッドの人間と言えどディースラのドラゴン形態を見たことのない者もいるため、昨日甲板でドラゴン姿を見送った者以外の船員は、初めてその姿を見て腰を抜かしているのも幾人かいた。

 そんな人間側の事情など知ったことではないドラゴンは、その巨体を砂浜の上でくねらせながら首を眼下の斧へ向ける。
 次の瞬間、ガパリと開かれた口から荒れ狂うような風と水が飛び出す。
 紛うことなきドラゴンのブレスと言えるそれは、十分な距離を取っていた俺達にすら猛烈な威力で襲い掛かり、直撃ではなかったおかげで怪我こそはしなかったものの、その場から大きく吹き飛ばされるほどだった。

 幸いにしてブレスはそう長く続かず、すぐに強風は収まったおかげで、砂浜を多少転がされながらも全員が問題なく元の場所に戻ってみれば、いつの間にかドラゴンから人間の姿に戻っているディースラと、ブレスに晒されたことによる損傷はあれど、意外にも原形を保っている斧が揃って立っていた。

「…ディースラ様、今のは一体?」

 俺達の中から歩み出た船長がディースラにかけた声には、先程の通告もなくいきなり使われたブレスに対する説明を求める色が込められている。
 この島でディースラの行動を縛る権利は人間にはないが、それにしてもわざわざ朝に人を集めてブレスで砂まみれにされたのには何も思わないわけがない。
 船長の言葉はこの場の人間の気持ちを代表したものと言っていい。

「おぉ、いきなりやってすまぬな。説明をするのを忘れておったわ。だが、こうして無事に物は完成したのだ、許せ」

「完成というのは、この傷だらけの斧のことでしょうか?」

 斧が思いのほか頑丈だったのか、あるいはディースラが手加減したのかは分からないが、ブレスを受けて傷付きはしても原形を保っているこの斧こそが、ディースラから俺達に送る餞別なのだろうか。
 なぜこんなものをという困惑が船長の顔には滲み出ており、それを察したのかディースラが説明をする。

「うむ、今のでこの斧に我の気配が刻みつけられた。これを船首にでも吊るしておけば、この航海の間ぐらいは魔物避けにも用は足りる」

「は?この斧が、ですか?」

 砂に突き立つ斧を見て、怪訝な顔を浮かべる船長。

 ディースラの言う通りなら、ブレスに晒されたことでこの斧はドラゴンの気配を纏い、期限付きで海でのお守りとして効果が見込める品となる。
 だが目の前にあっても普人種である船長には特に何も感じないのか、疑わし気な視線は斧から外せないようだ。

 ただ、魔術師である俺には斧から発せられるプレッシャーのようなものが感じとれていた。
 魔力と似て非なる何か、ドラゴンが持つ特殊な力の残滓とでも表現するしかない何かがそこにはあり、ドラゴンの気配に敏感な生物や魔物なら、それを感じ取って近付くことはしないという確信染みた予感を覚える。

「左様。お主らにやる餞別とはまさにこれよ。この先の航海に我が同行できぬ以上、せめてこれぐらいはしてやろうと思ったまで。とはいえ、そう長く効果のあるものではない。お主らが次の港に着くころには、魔物避けの効果もほとんどなくなっておろうな」

「それはまた…いえ、それでも安全に海を行けるのなら心強い限りです。ありがとうございます」

 思ったよりも効果が持続する時間が短いと思ったのか、一瞬残念そうな顔をする船長だったが、すぐに思い直してディースラへ感謝を伝える。
 片道だけとはいえ安全な航海ができるのが、この船にとって幸運だったと、そう思うことにしたのだろう。

 斧はディースラの助言通りに船首へ縄で括られ、これで当分は安全な航海ができると船長はじめ、船乗り達の表情は明るい。

 そうして出航の準備が進められる中、俺とパーラは忙しく動き回る船乗り達から離れ、ディ―スラと別れの挨拶を交わしていた。

「ではディースラ様、これでお別れとなります。お世話になったともしたとも、どう言うべきか迷いますが、とりあえずお達者にということで」

 出会いから今日まで、ディ―スラと俺達は意外と付き合いも長く色々とあったため、別れの挨拶も簡単に済ますのも躊躇われる。
 しかし長々と言うのもガラではないので、当たり障りのない言葉になった。

「なんだ、その言いようは。まぁ言わんとしていることはわかるがな。しかし、お主らと過ごした時間、中々面白いものであったわ。よもや我が人間との別れをこうも惜しむとはな」

「面白いって言うか、私らにしてみたら騒動の連続って感じだったけどね。でも、ディースラ様と一緒にいたのは割りと楽しかったかな」

 パーラにとってのディースラは線を引いて付き合うべき存在だったようだが、気が付けば意外と仲も深まっていて、友人とまでは言わずとも、親戚の姉ちゃんに対するような親しさは持っていた気がする。

「楽しかった、か。元来ドラゴンというのは人間にとって畏れ敬われる存在なのだが、お主らはそう言うのとは少し違っていたのぅ。まぁそれも悪くはなかったわ。では二人とも、また縁があれば会おうぞ」

 ドラゴンにとっての人間は取るに足らない存在、友情など築けるわけがないと思っていたが、こうして別れを前にするとやはり相応に名残惜しい。
 それはディースラも同じようで、俺達を見る目にはなんとも言えない寂しさがある…ような気がする。

 出会いには別れが付き物で、そうして挨拶を済ませた俺達は、出航の準備が済んだ船へと乗り込む。
 すぐに船は入り江の外へ向けて動きはじめ、外海へ出た後の動きに備え、船員もバタバタと動き回っていた。

 そんな中、俺とパーラは甲板の隅っこで邪魔にならないようにしながら、後にした砂浜へと目を向ける。
 砂浜には両の足でしっかりと立つディースラの姿があり、特に何かするでもなくこちらを見つめていた。

 ああしてわざわざ見送りに立っているのは、それだけこの船のことを気にかけているからだろう。
 俺とパーラがいるからだという自惚れも、先程の別れの挨拶で感じたものからすれば、そう的外れではないと思いたい。

 遠ざかるディースラの姿に、パーラは目立つようにと体を跳ねさせながら大きく手を振る。
 するとそれに対し、ディースラも手を振り返してきた。
 もう顔がはっきりと見える距離ではないが、心なしかディースラも笑っている気がする。

 ドラゴンと人間、本来なら出会うことも稀ながらも確かな縁が結ばれ、こうして遠ざかる姿に手を振りあうだけの友愛は築かれた。
 この縁がまたいつか俺達を引き合わせるのか、あるいは一期一会の教えの通りにこれっきりとなるかは分からないが、再会できる日が来るのならばその時を楽しみにしてしばしのお別れとしよう。

 入り江から出ると、帆が全開になって風を受け、船のスピードが上がった。
 最早ディースラの姿は点ほどにも見えないほど、島から離れていた。

 晴天で風も強く、波も高い海をグングン進む船は西へ向けて進路をとる。
 この船の目的地はディースラの島からは北西にあり、海流と風の関係から一度西を目指した後、海流の変化に合わせて北へ進むという航路が選ばれている。
 例年と比べて風が大分強いらしく、うまくいけば多少は早く陸が見えてきそうだという。

 今日からは一人減り、俺とパーラだけが使うこととなった部屋にはジェンガが……あれ、ないな。

「おいパーラ、こっちのテーブルに俺、ジェンガ置いてたよな?どっかしまったか?」

「あぁ、あれ。なんかディースラ様が持っていったよ。アンディからもらったって言ってたけど…え、違うの?」

「そんなこと、俺は言ってないが」

「あら~、やられたね。まぁディースラ様もジェンガにははまってたしね」

 ドラゴンめ、まんまと盗んでいきおって。
 奴はとんでもないものを盗んでいきました、俺達の暇潰しのおもちゃです。

 どうやらジェンガを痛く気に入ったディースラにより、俺達の旅の間の娯楽が一つ奪われてしまったようだ。
 パーラの言う通り、この船旅でディースラは狂ったようにジェンガをしていたしな。
 あの島で一人暮らす中で、退屈を紛らわすために欲しかったとするのも分からなくもないが、だとしても一言言ってほしかった。
 ジェンガぐらい、言えばくれてやったというのに。

 今頃はあの島で、ジェンガが崩れる音と共に、ドラゴンが悔しがる声が響き割っていることだろう。
 好きなくせに下手糞だったからな、ディースラは。
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