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海よ、異世界の海よ

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 帆船と言えば、誰もが大体同じイメージを浮かべるのではないだろうか。
 この世界の帆船も、地球の歴史と似た進歩を辿っており、近海からより遠くへと版図を広げるために生み出される船の形は凡そ似通ったものとなっている。

 物語や図鑑、テレビや映画などでもよく見かける、甲板から延びた複数の帆柱が並ぶフォルムは、船に詳しくない人間でも思わず吐息をこぼしてしまうほど美しい。

 こういった帆船を見ると、大砲がないところが地球での大航海時代の船と比べて物足りなさを感じるが、魔術が発達しているこの世界では火砲の発展がほぼ無いので仕方ない。

 外洋を走れる能力を持つ大型の帆船ともなれば、保有する国は限られてくるものの、技術の模倣や供与によって船型のトレンドというのは自然と出来上がってくる。
 現在のトレンドは、横帆と縦帆を組み合わせた複雑な形を採用した、地球で言う所のバーケンティンと似た造りが人気なのだとか。

 俺達が乗る船がまさにそれで、船名は『イングラウド』。
 全長約八十メートル、幅二十メートル弱と、基本的な外洋船に比べると大型の部類に入る船だ。

 あえてバーケンティン型と呼ぶが、この船は従来よりも少ない船員で動かせ、積載量と船足に優れていることで、大陸間を渡る船としては最適なものだと言える。
 魔道具を動力にして自走する船もあるにはあるが、このクラスの船を動かすには効率を考えるとまだまだ帆船が主流だ。

 対船舶との戦いでは白兵戦が基本となるこの世界では、戦力となる船員の数が少ないのは戦闘向きとは言えないが、他と比べて十分に高速船と呼べるバーケンティンは、それを保有するだけで他国に対してスワラッドの存在感をしっかりと示していることだろう。

 一方で製造コストはアホみたいに高く、金満なスワラッド商国をして一隻作るのに二年がかりで予算組みが行われるほどだ。
 現在スワラッドで就航しているバーケンティン船は、片手にも満たない数だと言えば、どれほどのものか想像しやすい。

 それだけの金をかけて作り、危険な大陸の行き来に使われるのだから、もしも沈みでもしたらスワラッド商国が被る経済的影響は計り知れない。

 とはいえ、二つの大陸に別れて国土が存在するという難儀な形態をとるスワラッドにとっては、この船が海を渡ることの意義は決して小さくなく、たとえ危険があろうと荒れる海を行く船は、商魂たくましいスワラッドを象徴するものだと思える。




 丞相の執務室でシャスティナから話を聞き、モンドンの街へと向かった俺達は、早速スワラッド商国から預かった乗船許可証を出港準備に動いていた船の責任者へと突きつけ、大陸行きの船へと乗り込めた。
 急な客となった俺とパーラに対し、船長はかなり渋ってはいたが、ディースラの同行を知ると態度は一変する。

 危険な魔物が跋扈する荒れた海は、ただ船が行くだけでも命懸けだ。
 船と近いサイズの魔物にでも襲われれば、まともな火器のない船など簡単に沈む。
 嵐で沈むか魔物に襲われるか、一種のギャンブルにも近い大陸行きの船だが、そこにドラゴンが同行するとなれば事情は大きく変わる。

 海竜のディースラがいるだけで大抵の魔物を恐怖から近付かず、魔物の襲撃に関しては安全な航行が約束されたも同然だ。
 例えるなら、タンカーを護衛するイージス艦のような存在と言えば分かりやすいだろう。

 また、ディースラは船の航行も助けると明言しており、風便りの船に対して海流による補助も行い、船足も早くなる。
 航海日数も大幅に短縮が見込め、船長はじめ、船乗り達は諸手を上げて歓迎したほどだ。

 こうして航海に大きな安心を得た船は無事出航したのだが、いざ大海原へと飛び出した俺達を待ち受けていたのは、台風の海と見紛うほどの強烈な荒波だった。
 空は晴れ渡り、汗ばむほどの陽気だというのに、吹く風は殴りつけてくるような強さがある。

 ビシュマから来た時には陸伝いだったおかげか、それほど波の高さを感じることはなかったのだが、今回はモンドンの港から少し沖へ出ただけで、船体が上下するほどの波に揺られている。
 以前、ディ―スラと初めて遭遇した時の海もすごかったが、今回のはそれに匹敵する規模だ。

 風を受けて膨らむ帆が押す船体には、ディースラの能力で作られた海流がその周りを囲んでいる。
 そうして二つの推力を得て、通常の三倍近い速さで走る船は、まるで弾丸のように荒れ狂う海を駆け抜けていく。

 そんな状況でも甲板では船乗り達が動き回っており、なんてことはない様子で帆を操作している姿から、この荒波は決して特別なものではなく、彼らにとっては通常通りの出航なのだと戦慄を覚えた。
 出航からしばらく甲板で景色を楽しもうとしていた俺とパーラは、急な波の変化に翻弄され、咄嗟にしがみついた船縁から離れられないでいる。

「だらしがないのぅ、二人とも」

 甲板上で船縁と仲良くしている者など俺達以外にはおらず、その様子をディースラはニヤけた顔で見てくる。
 彼女の頭の上には俺から強奪した麦わら帽子が鎮座しており、それが余計に腹立たしい。

 ディースラは不安定な甲板にまるで足が吸い付くようにして立っており、心なしか、海に出てからは生き生きとしている様は、流石海竜と唸ってしまう。

「仕方ないじゃん。私らこんな激しい揺れの船なんて初めてなんだからっ…とぉっと」

 小バカにされたと分かって、唇を尖らせてディースラに反論するパーラだが、また大きく船が揺れると、船縁へとその身をさらに寄せる。

「そんなへっぴり腰では船の上で動くのも不便であろう。どれ、少し我が船上での動き方を教えてやるわ」

 俺達の姿がよっぽど情けなかったのか、やれやれといった感じでディースラによる船上での体の使い方講座が急遽行われることとなった。
 これを断る理由がない俺とパーラは、素直にディースラのアドバイスに耳を傾ける。

「一番手っ取り早いのは、足の裏に粘着力のある液体を纏わせることだ。我がやっているのがそうだな」

 徐にディースラが片足を持ち上げると、靴と床との間に一瞬肌が張り付くような動きがあり、次いでベリリというテープのはがれるような音が微かに聞こえた。
 そんなはずはないが、木板と靴の間が面ファスナーで繋がっていたような印象を受ける。

「いや、そんなの俺達出来ませんから」

 さも当然のように口にするが、水を操るだけならともかく、極端に性質を変化させた水をゼロから生み出すような技は、水魔術が使える俺でもまず無理で、当然パーラには絶対できないだろう。
 このレベルとなると、水属性のドラゴンであるディースラにしかできない芸当だ。

「わかっておるわ。あくまでも我ならばという話よ。他には足の使い方で甲板での揺れに対応する方法もある。ほれ、あそこにいる者を見てみろ」

 そう言ってディースラの指す方を見てみれば、忙しく甲板上を動き回る船員の一人の姿があった。
 張った帆から延びるロープを船体に結び付ける作業をしているその男は、大きく揺れる中であっても体勢を崩すことはなく、まるで根を張るようにしてしっかりとした安定感の中にある。

「あれの足の置き方が一つの肝でな。よく見れば、踵に対してつま先が内向きにあるのが分からんか?」

「つま先…確かに。加えて内股気味でもありますね」

 ディースラに言われて男の立ち姿を観察してみると、確かに普通に立つ時の足の置き方とは若干の違いがある。

「それと少し前傾姿勢っぽくない?」

 パーラの言葉で俺も気付いたが、確かに男の体は僅かにだが前に傾いているように見える。
 多少なら動きの中の変化とも言えなくはないが、見たところあの姿勢は常に取っているようだ。

「うむ。あの立ち方こそが、揺れる船の上でも立っていられる秘訣よ。つま先を内に向けて立つことで左右の動きに耐え、体の軸をやや前にずらすことで重心を調整し、前後の揺れにも対応できる。船乗りならばよく使う技術だ」

 船乗りには一般的な技能ということは、漁師のルディも使っていたのかもしれない。
 生憎俺はそれに気付かなかったが、思えば揺れの激しい船でもルディ達は平然と立っていた気がする。

「てことは、あの立ち方を私らも真似すればいいのかな?」

「そういうことなんだろうな」

 わざわざ手本となる人間を示した以上、俺達にもあれを身に付けろという意図は容易に汲み取れる。
 見たところ、特別な身体操作も必要としないようだし、やれないことはなさそうだ。

 先程見た船員をお手本にし、俺達は甲板で早速実践してみる。
 足首の向きが少し不自然になるせいで、姿勢に感じる違和感は大きいが、それでもなんとか形にしてみれば、なるほど、揺れる足場ではこの上ない安定感を誇る形だと実感できた。

 電車でヤンキーに絡まれたときにでも使ってみるといいかもしれない。

「へぇ、これは凄いや。確かに揺れがあんまり気にならないね」

 恐る恐るといった様子で船縁から離れて立ったパーラは、新しい立ち方が齎した安定感に感嘆の声を上げる。
 この分なら、船の中で転げまわる心配もなく、人らしく二足歩行で暮らすことも出来そうだ。

「それにしても、ちょっと陸から離れただけでこんなに揺れるなんて、こっちの海って大変なんだね」

 パーラにとって海に浮かぶ船に乗った経験は、あの深海から引き上げた古代船での船旅ぐらいだが、あの時と比べてこの海は大分ひどい。
 この船もスワラッドにとっては最新式なのだろうが、それでもあの快適な船を知っている身からすれば、雲泥の差といってもよく、それも含めてパーラにとってはショッキングだったようだ。

「いかにも、外海が穏やかなことはまずないが、この船の場合は出航に風の強い日を選んでいるせいであろうな。見ての通り、船は風を受けて走る。凪の海より、多少荒れても帆で風を掴める時にこそ船を出すものよ」

 帆船の性質上、弱い風の中では満足に進むことは出来ない。
 となれば、多少危険はあろうと風の強い日を選んで出航するのは正しい判断だろう。
 この船もモンドンの港にいたのは、あえて暴風に近い強さの風が吹くのを待っていたからだ。

「危険も織り込んでこの天候を選んだってわけね。…私ちょっと思ったんだけど、ディースラ様の力で風は強いままで、波だけ大人しくさせることってできないの?ディースラ様って天候にも干渉できるんでしょ?」

「無茶を言うな。風と波の関係性を知らんのか?風があるから波が強くなるのだ。どちらかだけを消すなどできぬわ。それにこれほどの風と波に干渉するとなると、どこまで手を延ばすかも考えねばならん。あまり広範囲の天候をいじると、余計なところまで影響が出かねん」

 パーラの提案に渋い顔をするディースラは、なにやら俺達には分からない危惧があるようで、広範囲の天候に影響を与えるのを避けたいようだ。

「しかしディースラ様、以前俺と初めて遭遇した時は嵐を消してましたが?」

「あれはよいのだ。あの時の嵐は、どうせ放っておいてもすぐ収まった程度よ。少し我の力で消失を後押ししたに過ぎず、天の巡りにさして影響はない」

 以前、ロディの船での初遭遇で周辺の嵐を消し去った時のことを尋ねると、あれはあれ、これはこれといった感じで言われてしまった。
 ディースラの力が天候にどこまで干渉でき、またその影響がどのように世界へと及ぶのかは分からないが、彼女の中では明確な線引きがあるようだ。

「風も波も自然の営みよ。これに縋って船を動かしているのなら、我があまり手を出すのはよくない。せいぜい、船の動きを助ける海流を作ってやる程度でよいのだ」

 超常の存在であるドラゴンは、その生き方からして自然と共に歩んでいる。
 こればかりは俺達の感覚の及ぶ自称ではないため、ディースラにそう言いきられたらそれ以上反論することはできない。

 ―左前方に影!でかいぞ!

 突然、甲板上に緊迫した声が響き渡る。
 同時に木を叩く音が鳴らされたのは、船の上での警鐘代わりだろう。

 それを受けて、船員達も手の空いている者は左舷側へと集まりだす。
 俺達も行って見てみると、遠くの激しい波間に黒く丸い巨大な物体が見えた。

 比較対象がないため分かりにくいが、見えているだけで幅は二十メートルもありそうだ。
 海中にある体を含めればもっと大きいだろうが、そこを込みで全体図を想像するなら、あれは鯨のような生き物かもしれない。

「ほう、アグロドロンか。こんなところにいるとは珍しい」

「知ってるんですか、ディースラ様」

 同じものを見ている以上、ディースラの言葉が何を指しているのかは明白で、あの波間を揺蕩う巨大な物には心当たりがあるようだ。

「海のことで我の知らぬことなどないわ。あれはアグロドロンという巨大な魚だ。見たところ、大きさはこの船ほどはあろうな」

「アグロドロン!?なんでこんなところに…面舵!」

 ディースラがアグロドロンという言葉を口にした瞬間、甲板上の空気が一気に変わる。
 初めて聞く名前の生物に、リアクションが薄いのは俺とパーラだけで、船員達は顔を強張らせ、船の後方にいた船長も慌てて指示を飛ばし始める。

「あのアグロドロンというのはそんなに危険なんですか?」

 先程とは毛色の変わった慌ただしさに包まれる甲板上で、俺達は邪魔にならないよう船縁へ身を寄せながら、ディースラにアグロドロンのことを尋ねる。

「危険かどうかを言えば、海にいる生物はお主ら人間にとってはどいつも危険よ。まぁアグロドロンは比較的温厚だがな」

「温厚なら、船長達はなんであんなに慌ててんの?」

「あくまでも、他と比べて温厚なだけだ。不用意に近付けば、攻撃されないとも限らん。この船と同程度の大きさとなると、ぶつかりでもすればひとたまりもなかろう」

 片や木材を組み合わせて作られた風任せに浮かぶしかない船、片や危険な生物と食い合いながら海中を自在に動き回る巨大生物、これでサイズが近いという条件が加わった双方がぶつかれば、木造の帆船の方の被害が大きくなるのは想像に難くない。

「あれも本来ならもっと北の方におってな、こんなところで遭遇するやつではないのだ。まぁ産卵期でもなければ、そうそう襲ってくることもなかろう」

「なるほど。ちなみにその産卵期はいつに?」

「ちょうど今頃だな」

「今!?じゃあだめじゃん!」

 さも今は安全だと言わんばかりだったのに、実際はまさに危険な状態真っ最中のアグロドロンとの遭遇が間近に迫っているという事実に、パーラは突っ込みも切れよく決まる。

「心配はいらん。ここには我がいるのだぞ?アグロドロンならばとっくに我の存在に気付いて、あの場から動かぬようにしておるわ」

 言われてみると、確かにアグロドロンは水面に体の一部を浮かべているだけで、一向に動きを見せない。
 死んでいるのかとも思ったが、時折体が波に逆らうように動いているため、とりあえず死体ではなさそうだ。

「もっと近付けばまた話は違ったが、とりあえずこれほどの距離を取っておけば問題はない。どれ、念のために我が一つ声をかけておこう」

 何かを思いついたような顔をしたディースラは、ヒラリと軽やかに船縁へと立つと、大きく息を吸い込みだした。
 この行動の後にどうなるのかを察知した俺は、素早く自分の耳を塞ぐ。

 ―ドォォオァアーーーッッ!!

 聴覚の安全を確保したのと同時に、耳を塞いでいる手を貫通する勢いの轟音が鳴り響いた。
 聞く者の生存本能を挫いてくるその音は、ご存じ、ディースラの口から放たれた咆哮だ。

 あれだけ強く吹いていた風が一瞬やむほどのその声は、アグロドロンへと向けたものだったようで、遠くに見えていた巨体が大きく身震いすると同時に海中へと消えていった。

 それを見送った俺が塞いでいた耳を解放すると、愉快そうに笑うディースラの声が聞こえてきた。

「はっはっはっは!まったく、恥ずかしがり屋さんめ。ちょっと声を駆けたらどこかに行ってしまったわ」

「いや、ビビって逃げてったようにしか見えませんが」

 先程のアグロドロンの動きは、どう見てもディースラの咆哮に怯えて去っていっただけで、決して恥ずかしがり屋というディースラの言葉は的を射てはいない。
 むしろ、ただ大人しく浮かんでいただけの所を追っ払われたともとれ、アグロドロンは被害者だと言ってもいいだろう。

「む?そうか?」

「そうですよ。それと、さっきみたいに急に吠えるのはやめてください。びっくりするじゃないですか。なぁパーラ。……パーラ?」

 何の通告もなくドラゴンの咆哮を上げたことを非難し、パーラにも同意を求めてみたがリアクションがない。
 どうしたのかと隣を見てみれば、そこには目を回して床に座り込むパーラの姿があった。

「お、おい!どうした!?しっかりしろ、パーラ!」

 肩を抱いて揺すってみるが、正気に戻る気配はない。
 どうやら先程のディースラの咆哮を至近距離で受けたのがまずかったようだ。

「…ひょっとして、我のせいか?」

「どう考えてもそうでしょうが!…仕方ない、とりあえず俺はパーラを部屋に寝かせてくるんで、ディースラ様は船長達に弁明しといてください」

「弁明とはなににだ?」

「周りを見てください。さっきの咆哮がどういう影響を出したのか分かると思いますよ」

 首を傾げるディースラに甲板の様子を改めて見るように促すと、パーラと同様に床に倒れ込んでいる幾人かの船員の姿がある。
 パーラより離れていたとはいえ、同じ甲板でドラゴンの咆哮をまともに受けたために意識を失っているようだ。

 気絶していない船員がそれらを介抱しているようだが、見た限りでは船の運航に差しさわりがありそうなぐらいの被害に思える。
 船長もしっかりと立っているが、それでも急なディースラの咆哮による混乱は小さくなく、船の上は今ちょっとした恐慌状態だ。

「…なんともひどい船だな」

 他人事のように言うが、そもそもの原因が誰なのか明らかだ。
 恐らく先程の咆哮は必要のない行動で、面白半分にやったことがこの惨状だと分かってほしい。

「あんたのせいですよ。ともかく、ディースラ様は船長の所に行ってください。多分説教を食らうと思うんで、真摯な態度で臨むように」

「うっ、行かねばならんか?どうしても?」

「どうしてもです。俺達はこの船に世話になってるんですから、迷惑をかけたなら謝る。当然の態度でしょうが」

 普段の傍若無人な振舞いからは想像しにくいが、時折暴走したのを正面から嗜められると、ディースラは不思議なくらいに腰が引けた態度になる。
 この辺り、人間との付き合いを大事にしている影響だろうが、だったらもう少し後先考えた行動をしろと言いたい。

 肩を落としながら去っていくディースラをよそに、俺はパーラの体を横抱きにして抱え、船内へと急ぎ足で向かう。
 甲板から一階層降りた先で、たった今使った階段を回り込んで船首側へ向かうと、しっかりとした造りの扉がある。
 そこが俺とパーラ、ディースラの三名が寝起きするために使っている部屋への入り口だ。

 お荷物を抱えたままの不自由な手でどうにか扉を開け、室内に設えてあった簡素なベッドへとパーラを横たわらせる。
 ついでに容体の方も確認してみると、甲板にいた時よりも呼吸は落ち着いており、この分ならそう遠くないうちに目を覚ましそうだ。

 ベッドの傍に椅子を持ってくると腰かけ、ようやく一息つく。
 改めて室内を見回すと、本来客を運ばない船にしては、中々上等な部屋を用意してもらえたものだと感心する。

 俺達は急に滑り込む形で乗り込んだせいで、貨物室に押し込まれるのすら覚悟していたのだが、ディースラと一緒なのが効いたらしく、船長室に次ぐ上等な個室が与えられた。
 室内は二十帖はあろうかという広さで、人数分のベッドにテーブルとイスまで備えるという、揺れ以外は快適に過ごせる条件が整った部屋だ。

 正直、甲板に出ないでここで引きこもっていても問題ないほどの快適さだ。
 まぁこっちは女の形をしたのが二人いるので、他の船員達の精神衛生を考えれば個室に隔離したほうがいいという考えも船長にはあったのだろうが。

 そんな部屋でパーラが目覚めるのを待っていると、部屋全体が大きな揺れに襲われた。
 ギギギという船体のきしむ音と船体に波が当たる音が増えたことから、どうやら気絶した船員達をどうにかして、船は再び全速での移動を開始したようだ。

 元々少ない船員で動かせるバーケンティン船だけに、通常の船よりも船員を減らしたこの船には余剰人員というのはほとんどない。
 今頃、甲板上では少ない人員で必死に船を動かしているかもしれない。

 そう考えると、ディースラに対する船長の説教も相応の厳しさが伴うだろうが、それも仕方のないことだ。

「…知らない天井だ」

 不意にベッドからボソリと呟かれた言葉に、意識がそちらへ向く。
 どうやらパーラが目を覚ましたようだ。
 しかしこいつ、なぜそんなお約束の言葉を口にした?
 偶然か?

「起きたか。体の調子はどうだ?」

「調子って、私、なんかあったの?」

「大したことじゃないんだが、ちょっとディースラ様がやらかしてな」

 まだ少しぼんやりとした様子のパーラに、気絶した原因とその後のことについてを説明してやる。

「そっかぁ、そんなので気絶するなんて、私も繊細な美少女だったってわけか」

 確かにパーラは少女ではあるが、自分で美と付ける図太い奴はこいつくらいだ。

「お前が繊細かはともかく、ドラゴンの咆哮を間近で受けてピンピンしてる奴の方がどうかしてる。俺は直前で耳を塞いだから何とか堪えたが、あの時甲板にいた船員にも、結構な数の被害者が出たしな」

「結構大事になってたんだね。そのディースラ様は今どうしてんの?」

「多分、船長から説教くらってる。お前も後でディースラ様に文句言ったらいい。その権利はあるぞ」

「あははは、私はいいって。別に大したことなかったし」

 迷惑を被ったパーラにはディースラを怒る権利があるのだが、本人はあまりその気はないようだ。
 まぁディースラも船長にはこってり絞られただろうし、パーラがこう言うのなら俺から何か言うことはない。

「さてと、じゃあ私らも行こうか」

 元より軽く意識を飛ばしていただけのパーラは、目が覚めれば怪我もなく元気なもので、ベッドから飛び出すようにして床へ立つと、ドアの方へと歩いていく。

「行くってどこにだ?」

「ディースラ様の所に決まってるでしょ。あんまり一人にしておくとこっちが不安になるもん」

「…それもそうだな」

 既に一度、咆哮で船の航行に障害を出した前科があるだけに、一人にしておくと次にどんなことをしでかすか分からない。
 船長が説教をしてくれていることは間違いないが、それで行動を完全に改めると期待するほど、俺はディースラを信用していない。

 若干の不安を抱えながらディースラの下へと向かった俺達だったが、甲板に上がったところで船長達が中央の帆柱へ集まっている場面に出くわした。
 そこで、天へ向かって何か言って騒いでいるようだ。

「おやめ下さい!ディースラ様!船楼はそのように使う場所では……あ!ちょっ!唾を吐かないで!」

「やかましゃあ!なんじゃお主らは!我のちょっとした茶目っ気にグチグチと!もう誰の顔も見たくないわ!今日から我はここで寝る!」

 恐らくだが、船長に叱られたことがよっぽど堪えたのか、すっかり拗ねてしまったディースラが突飛な行動に出たようだ。
 マストのトップにある見張り台に陣取るディースラは、足元へ向けて喚きながら唾を吐くという、なんともひどい姿をさらしている。

 どうにか降りてもらおうと説得する船長達は困惑の極みにあるようで、船の航行に関係ないところでの苦労に同情を禁じ得ない。

「…ねぇアンディ、何も見なかったことにして、もう今日は寝ちゃわない?」

 面倒くさいことこの上ない状況と察したようで、パーラが俺にそう提案してくる。
 俺だって足がもう既に来た道を引き返したがっているぐらいだが、そうもいくまい。

「できねぇよ、そんなこと。あれを放っておくのは、流石に船長達がかわいそうだ。ほら、俺らも説得に加わるぞ」

「うぇー…」

 船乗りに畏怖されているディースラに、意見できるのは俺かパーラぐらいなので、説得に俺達が加わるのは妥当なところだ。
 パーラもそれを理解しているからか、足取りは重いものの人の集まっている場所へ近付いていき、俺もそれに続く。

 まったくこのドラゴンときたら、よくもまぁこの短時間でこうも騒動を起こせるものだと、逆に感心してしまう。
 勢いが衰えることなく喚くディースラにどんな言葉をかけるか考えながら、今後の船旅に強い不安を覚えることとなった。
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