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夜に川を上る
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古今東西、国同士の揉め事というのはどこにでもあるもので、その予防と解決のために苦心惨憺するのが政治に携わる者の使命といっても過言ではない。
特に、間に阻むものもなく国境を接している国ともなると、地政学の見地からも必ず争うといわれている。
よく『国家に真の友人はいない』などと言われるが、まさしくその通りで、普段から仲良くしている国こそ、互いを知るがゆえに危険視し、友好国でもあり仮想敵国でもあると見立てる姿勢は決して間違ってはいない。
隣り合うからこそ交流し、貿易や経済による相互発展があるのも事実で、またそれによって競争や対立が生まれ、妬みや嫉みがいずれ戦争へと発展するのが、ある意味では国が国として正しく機能している証拠だとするのは少し乱暴だろうか。
スワラッド商国と月下諸氏族連合の二つも例に漏れず、国境を接する国同士、全く問題のない関係とはいかず、大小の衝突と問題が歴史と共に積み重ねられてきた。
それでも直接的な戦争に発展することなく今日までやってこれたのだから、よもや連合側の一部の人間の暴走によって国境地帯で事件が起きるなぞ、今代のワイディワ侯爵は運が悪かったと言う外ない。
処刑は七日に渡って行われ、その間、ひたすらに雨が降り続けた。
その罪人の誰もが死の間際になっても、恐怖や後悔などの感情に泣き喚くことなく死んでいった姿には、これぞ戦士の部族であると思わせる凄味があった。
初日にニリバワが言ったのを聞きつけたのか、罪人の涙雨という言葉がいつの間にか砦内では浸透しており、天すらもジブワ達の所業を嘆いているという声があちこちで囁かれている。
エスティアンの降臨は他に漏れていないはずなのに、天意を口にするあたり、民衆の処刑に対する思い入れの深さが分かるというものだ。
こうしてジブワ達の処刑が終わり、さあ今日から新しい日の始まりだ、とはならないのが世の中というものだったりする。
一般市民ならば、処刑によって気持ちの区切りが付き、まだ完全に吹っ切れるとはいかないまでも、平穏な日々に戻ることは許される。
しかし為政者ともなればそうはいかない。
処刑には間に合わなかったが、連合側からの外交官に相当する集団もようやくやってきて、ここから建設的な話し合いをと、いきなり前向きに行かないのもまた外交というものだったりする。
彼らがやってきてまず最初にしたのが、どういう神経をしているのか侯爵に対する非難なのだから、第一印象としては最悪だと言っていい。
ジブワをむざむざと隣国へと逃がした連合が非難とは一体?と思うだろうが、たとえ非が明らかであろうと、こういう時にすら文句を言わずにいられないのが国という生き物だ。
おまけに、ジブワが連合内では五究剣として名が知られているのも大きい。
連合の有名人を侯爵が勝手に処刑したというのが向こうの言い分で、執行の前に公正な裁判の一つでもやるべきだったと、連合側が侯爵へネチネチと言っている場面は見るに堪えないものだったと言う。
本来なら同族を庇うべきだったグルジェが特に擁護しなかったこともこの使者は責め立てたようで、人伝に聞いた会議の場の空気はそれはもうひどいものだったらしい。
ひょっとしたらその使者は、連合に帰る道すがら、グルジェに斬り殺されるのではないかというのが、同席していたディースラの感想だった。
唯一、向こうからもたらされた情報で前向きになれるものがあったとすれば、ラーノ族の聖地とされていた丘の水が再び湧き出したということか。
ここ数日の雨により、どうやら源流の水量が回復したようで、元々水不足から来る湧水の不足だったものを枯れたと判断したラーノ族の早とちりだったと、この時に明らかとされた。
これにより、一応聖地についての問題は解決したと言えるだろう。
とはいえ、それはあくまでも連合側の、それもラーノ族の問題が一つ解決したに過ぎない。
ジブワ達が起こした事件は連合側にとっても頭が痛いようで、侯爵から告げられた損害賠償をどうにか軽減しようと、この二日ほどはずっと話し合いが行われている。
災難だったのは、本来侯爵領の人間ではないはずの、ニリバワが率いてきた面々もこの交渉事に付き合わされていることか。
元々ニリバワは侯爵領での情報収集と支援の任務で来ていたのだが、そのまま連合との話し合いに引きずり込まれてしまい、この分だと暫くは首都へ帰ることはできないだろう。
ディースラも、その存在の強大さゆえに連合側への脅しにと暫くは手元に置いておきたい侯爵に縋られ、渋々留まってはいるため、世話役の俺とパーラも自然とここを離れることができないでいる。
もっとも、人間同士の損害賠償請求とその回避という、明らかに面白くもないやりとりが続く会議にディースラはすっかり飽きており、そろそろキレるのではないかと、秘かに俺は心配になっていた。
鶴の一声ならぬ、ドラゴンの一吠えで会議をぶった切るレベルで終わらせるか、あるいは侯爵を脅してさっさとこの地を去るか、どちらにせよ、そう遠くないうちに行動を起こすだろうと予想したその日の晩、俺とパーラは砦の外壁へとディースラに連れてこられた。
散歩であるとディースラが歩哨へ言って出掛けた先がこんなところとなれば、この後の行動は分かりやすい。
おまけに俺とパーラには、コッソリと出立の用意をしろと告げていたのだから猶更だ。
案の定、外壁にいた見張りの兵士を一発で昏倒させたディースラは、すぐさまその身を壁の外へと飛び出させ、常人なら落下死確実な高さから音もなく地面に着地すると、壁の端から顔をのぞかせてそれを見ていた俺とパーラへ、声を潜めて呼びかけてきた。
「何をしておる、さっさと来んか。ほれ飛べ、飛べぇ!」
暗闇の向こうで身振りで俺とパーラを呼ぶディースラの姿に、揃って溜息を吐いた俺達は、壁の縁を飛び越えてその先の地面へと降り立つ。
身体強化で着地時の衝撃は殺せたが、音の方まではどうにもできず、思ったよりも大きい音を立ててしまったが、周囲の様子を探るにこちらを気にする見張りの気配もないことにまずは一安心する。
「よし、では行くぞ。砦の連中に気付かれる前に、近くの川へ向かう。丁度良くここしばらくの雨で増水しておるし、そこを遡って運河を目指す。よいな?」
「よいなと言われても……いいんですかね?侯爵様は怒りますよ、きっと。話し合いの場にはディースラ様を欠かしたくないってんでしょうに」
こちらの答えを待つこともせずに歩きだしたディースラの背中に、俺は胸の内に抱えている心配を言葉にして投げかける。
ここまではディースラの有無を言わせぬ迫力に黙って付き従ってきたが、ほとんど脱走同然に抜け出して問題がないわけがない。
「ばかもん、あの下らん話し合いにいつまで付き合えというのだ。我はもう飽きたわ」
「飽きたって、ディースラ様はただ座ってるだけだって言ってたじゃん」
「だからこそだ、パーラよ。人間同士、前向きな話をしておればまだ聞けたものだったが、賠償についてあーだこーだ言うだけなのは見ていてなんともつまらぬ。あんなところで黙って座っておるぐらいなら、塒に戻って寝ておる方がましであろうよ」
侯爵達の話し合いは、賠償を吊り上げたい側と抑えたい側のぶつかり合いがほとんどで、この手の交渉とはいかに妥協点を自分の有利な側に引っ張ってこれるかに尽きるため、ディースラには人間同士の醜い争いとしか思えず、嫌気がさしたのかもしれない。
元々話し合いに同席していたのも請われてのことで、見たくもないものを見せられ続けては、全てを放り出したくなるのも分からなくはない。
「でも、せめてニリバワさんには一言ぐらいあってもよかったんじゃないですか?この様子だと、何も言わずに出てきたんでしょう?」
「確かにあれには何も言ってはおらぬが、一応書置きは残してきた。我らがいなくなったとて、心配することはなかろう」
「あぁ、一応そういう配慮はしたんですね。少し安心しましたよ。で、その書置きにはなんと?」
ディースラにドラゴンとして人を思いやる心があるか疑問だったが、一応ニリバワに対する配慮ができる程度には気が回ったことに、俺は少し安心を覚えた。
とはいえ、どんなメッセージを残したかによってまた話は変わってくるので、念のために内容を尋ねておく。
「飽きたから帰る、と」
「…それだけ?」
「それだけだが?」
キョトンとした顔でそう返され、思わず俺は頭を抱えてしまう。
一瞬前までに覚えた安心はやはり幻想だったようだ。
俺達が無断で砦を抜けだしたことで、残っているニリバワに対して侯爵は説明を求めるはずなのだが、そこにディースラの残したメッセージがあればさぞや役立ったことだろう。
だがその内容があまりにも端的かつ身勝手さに溢れたものとなれば、ニリバワへの追及は自然と厳しくなりかねず、このことでかなりの苦労をかけることになる。
どうせメッセージを残すなら、侯爵へ向けた説教の一つでも含めておけばよかったのに、とも思ったが、そういうのをディースラに期待するのは無理があるか。
「なんだ、おかしな顔をしおって。それよりも、さっさと行くぞ。夜の内に川に着かねば、追手がかかるかもしれんのだ」
「追手って言われても、私ら別に犯罪者じゃないんだし…」
「たわけ。イブラヒムは連合との話し合いにどうしても我を同席させると考えておるのだぞ。行方が知れなくなれば、連れ戻すための手ぐらいは回す。まぁパーラの言う通り、我らは罪人でもないし手荒な真似はせぬだろうが、何をしてくるかわからんのが面倒だ。だから、さっさとここを離れるのだ」
そこまで言って話は終わりだと、ディースラは足早に歩き始めてしった。
俺とパーラもそれに続いて動き出す。
別に追手がこようが後ろ暗いことのない俺達なら、何とでもなりそうな気もするが、侯爵が本気でディースラを逃がさないように手を回せば、確かに面倒なことになりそうだというディースラの言も一理ある。
俺達と追手、双方に被害も遺恨も出さないよう、ここはさっさと立ち去ってしまう方がよさそうだ。
ディースラが目指す川は、砦の西側にあったと記憶している。
普通に歩いて約一時間という、意外と近いところにある川を使って、俺達は運河から首都までさかのぼって戻る予定だ。
これは俺達が予定していた首都へ帰る道とはかなり違うものとなる。
スワラッドの首都からは運河であちこちの土地が繋がっているが、これによる移動はあくまでも一方通行。
エンジンの着いていない船は、川の流れをさかのぼって進むことは出来ないからだ。
そのため、俺達が首都へ帰るルートとして本来予定されていたのは、ワイディワ侯爵領から馬で西へ進み、他の貴族の領地をいくつか経由しての陸路での帰還となっていた。
当然、船よりも時間はかかるが、こればかりは仕方がない。
ところが、ディースラがいれば話は違う。
水の亜精霊を動かし、川の流れを遡るという裏技が使えるディースラにかかれば、船は運河を逆走し、侯爵領まで来た時とほぼ同じ時間で辿り着けてしまうという寸法だ。
馬でチマチマと陸路を行くよりも、圧倒的に移動時間の短縮ができてしまう。
煌々とした月明かりの下暫く歩き続けていると、遠くの方から川の音が聞こえてきた。
音の方へと歩みを進めると、そこはここ数日の間に降った雨によって増水した、濁った水が激しく流れる激流と言っていい川だった。
月の光だけではわかりにくいが、恐らく川幅は二十メートルほどといったところか。
激しい水の流れは、一歩足を踏み入れたらそのまま飲み込まれてどこかへ連れ去られそうな恐ろしさがある。
「…うむ、想像していたのよりも、少し川の勢いが激しいな」
「え、少し?これが?私には氾濫一歩手前の川って感じに見えるんだけど」
「奇遇だな。俺もだ」
近付くことすら躊躇うほどの激流に対し、ドラゴンと人間では思う所は大分違うらしい。
どう見ても災害級の荒れようにしか見えない川の様子は、これから川を使っての移動に向くとは、到底思えない有様だ。
「心配するな。この程度、我にとっては穏やかな川と変わらん。それよりも、船になりそうなものを探さねば。我は身一つでいいが、お主らはそうもいかぬだろう?」
「それはそうだけど、なんならディースラ様の背に私らを乗せてくれてもいいけど?」
「断る。パーラよ、お主はドラゴンがその背に人を乗せることがいかに稀有な事か知っておろう。ドラゴンがその背に乗せるのは、資格ありと認めた者のみ。たとえお主らとて、我の背に乗るなど千年早いわ」
人間がドラゴンに乗るのは、飼いならされた翼竜がせいぜいで、ディースラのような上位種に当たるドラゴンの背中は色々とハードルが高いようだ。
こっちの御伽噺にあるドラゴンに乗った英雄というのも、恐らく相当厳しい条件をクリアして資格を得たのだと思えば、今ディースラを乗り物にするのは難しいだろう。
「千年後なんて私、死んでるじゃん。どうにか一刻ぐらいにまからない?」
「まからん。どうしてもというのなら千年くらい、気合で何とかせい」
気合で千年て。
ドラゴンはいつも非常識なことを言う。
益体もない話をしながら、俺達は船を探す。
この川は砦の近くにあるが、防衛の観点から渡河のための設備は整っておらず、ここらの人間も船を使う仕事についている者はいなかったため、付近に船は一艘もない。
「当然といえば当然ですが、船はないですね」
「少し南に行けば、橋が架かっておるからな。街道を使えば、自然と橋が使われる。船の出番はない」
「漁師の人達は?魚を獲るのに船は使うでしょ」
「いや、ここらに漁師はおらん。この川にいる魚はほとんどが食用に向かぬそうだ」
当たり前の話だが、食える魚がいなければ漁師の仕事は成り立たない。
漁師が仕事をできないのなら船も必要とならず、俺達には優しくない展開となっている。
とはいえ、ないのなら作るしかないというのがこの世界の法則だ。
幸いにしてこの辺りはアホみたいに木が生えている。
これを使って筏を作れば、片道だけの遡行でも十分な足になるはずだ。
「ってことで、早速筏作りに入ります。できればディースラ様にも手伝っていただきたいんですが」
「うむ、構わんぞ。何をすればいいのだ?」
「これは当たり前ですが、筏を作るのには木が必要です。そこでディースラ様には、ここらにある木を何本か切り倒してほしいんですよ」
今俺達が立っている辺りの木は、どれも幹回りが三・四メートルほどはあるため、人の手で切り倒すとなればそれなりに時間がかかる。
魔術や可変籠手を使えばその限りではないが、せっかくここには力が余っているドラゴンがいるのだし、この仕事は彼女に任せるとしよう。
「ほう、木とな。容易いことだ」
「では…そうですね、とりあえず四本切ってもらえますか?なるべく姿勢が真っすぐで、幹の太さも同じぐらいの木で選んでください」
ある程度は仕方ないにしても、サイズがあまりにもかけ離れた木ではまともな筏は完成しない。
切った後に加工するのも手だが、なるべくなら手間をかけずにそのまま使いたいので、大体同じフォルムの木で揃えてほしい。
「よかろう」
「私は?何をすればいいの?」
「俺とパーラは、ディースラ様が切った木をロープで縛っていく。川に浮かべても分解しないよう、多少丸太に手を加える必要はあるが、可変籠手でどうにかなるだろ」
あらゆることに使えるロープは、この世界での万能ツールとしての地位を確立している。
冒険をする者の必需品として、当然俺達の荷物にも常備してある。
勿論、丸太にそのままロープを結わいても水に揺られてすっぽ抜ける可能性はゼロではないため、木側に溝を掘るなどの工夫は必要だ。
「筏ねぇ…私作ったことないんだけど、簡単に出来るもんなの?」
「極論、丸太を並べてロープで結ぶだけだから、そう難しいもんじゃない。それに、なにもちゃんとしたものを作る必要はないさ。首都までの道のりで壊れなきゃそれでいいんだよ」
「まぁ、そうだね」
話しながら可変籠手を装着し、ノミや鋸といった形態を試す。
可変籠手を構成する細かいパーツを組み合わせていく都合上、ある程度は大雑把な形態変化になるが、それでも目的としている用途には十分な出来だ。
武器以外にも、こういった大工道具の機能もこなせる可変籠手は実に使い勝手がいい。
ホームセンターで売られていれば大ヒット間違いなしだ。
そうしていると、地面を揺らす振動が何度か起き、暗がりの向こうから丸太を四本、まるでパンでも抱えるような気軽さで担いできたディースラの姿が見えた。
実は軽いのか?と思わされたが、地面に降ろされた丸太が立てる音に、ディースラの異常な腕力が見せた錯覚だと改めて思い知る。
「良さそうなのを見繕ってきたぞ。いらぬ節介とも思ったが、上下の長さも切り揃えておいたわ」
「助かります。…うん、いい感じですね。パーラ、早速始めるぞ。まずは丸太の両端にロープをひっかける溝をつける。こことここ、これぐらいの間隔で削ればいい」
「分かった」
丸太に加工のための目印に傷をつけ、パーラと共に早速作業へと入る。
可変籠手をノミ状に作り替え、それを木肌へと突き込んでいく。
いきなり深く削っていくが、こういうのは勢いが大事だ。
失敗を恐れず、しかし丁寧な作業を心掛ける。
「ほう、それが可変籠手か。ここまで形状を自在に変えられるのは、我の知る限りでもなかなかないぞ。見たところ、ルバンティス期の代物か」
俺の手元を覗き込んできたディースラが感心したような声を出す。
可変籠手自体は初めて見るようだが、その造りからどの文明期のものかにアタリを付けたらしい。
「分かるんですか?」
「うむ。大分昔になるが、我はルバンティス期の文明の道具を見たことがある。お主らのそれは、形こそ違えど、かつて見た文明の匂いがかなり似通っておるわ」
人間よりもはるかに長く生きているドラゴンであれば、過去に存在した文明についても知っていてもおかしくはない。
以前俺達が海の底に沈んでいた船を引き揚げ、そこに宿っていたAIから教えられた情報には、確かにルバンティス暦というのがあったことから、ディースラの推測は見事に的を射ていると言える。
とはいえ、可変籠手自体を見るのは初めてのようで、興味深そうに俺の手元を見つめるディースラの目は好奇心で輝いている。
じっくりと見られながらの作業に少しやり辛さを感じながら、黙々と手を進め、パーラと共に四本の丸太を加工し終え、さらにロープで結んで筏らしい筏が完成した。
長さ四メートル、幅三メートルほどのそこそこのサイズの筏は、三十分程度で作ったにしては中々の出来だ。
しっかりとした造りに不安は感じられず、このまま激流に乗り出しても大丈夫だと思える。
「良い出来ではないか?これならば、首都まで十分持つであろうよ」
「ですかね。じゃあ早速進水式を…」
ディースラのお墨付きを貰えたことで、早速筏を川に出そうとするが、未だ川の荒れようは危険域にあると言っていい。
「…なんかこれ、浮かべたら即流されちゃわない?」
「だな」
パーラの言う通り、このまま筏を浮かべたら、一気に下流まで流されてしまいかねない。
せっかく作った筏を流されてはたまらず、躊躇っていると、ディースラが俺の肩をたたく。
「一先ずはロープで陸と結び付けておけ。すぐに我が亜精霊に命じて動かしてやるわ。お主らも先に乗っておけよ」
そう言って水辺に近付いていき、何かを囁くディースラの姿は、前にモンドンの港から首都サーティカへ向かう時の運河で見せた、水の亜精霊へ頼むものだ。
俺とパーラは言われた通りに筏から延びたロープを適当な岩に結び付け、筏を激流の上へと慎重に乗せる。
一瞬流れに暴れる気配を見せた筏だが、すぐさまロープを引いて岸へと押し付けると、何とか抑えることは出来た。
しかし、このままだとロープを切り離してしまえば、急な流れにのまれて一気に下流へと流されてしまう。
早いところ出発したほうがいいと、筏に乗り移りながらディースラの様子を窺ってみると、まだ水に向けて囁くのを続けている。
妙だな、前に船を流れで押した時はもっとあっさりと終わっていたはずだが。
「…ちぃっ、足元を見おってからに。アンディ、パーラ!出発だ!ロープを外せ!」
何故か若干不機嫌になるディースラだが、筏に乗り移ってきたことで出航となった。
筏と陸を繋ぐロープをナイフで切ると、すぐさま筏は流れに巻かれるような動きを見せたが、すぐに周りの水が泡立つような動きをすると、筏は激流などないものとするかのようにスムーズに川を遡っていった。
ここからは水の亜精霊が運んでくれるため、俺達が操縦する余地はなく、筏の上で運ばれる荷物となるのみだ。
川面の荒れようとは対極に、筏の上はおかしなくらいに安定しており、このまま揺られていれば眠気が襲ってきそうなぐらいに居心地がいい。
そうなってから、先程ディースラの言った言葉が気になってくる。
「ディースラ様、さっきの足元を見るというのは一体?」
「ぬ?あぁ、あれか。なに、大したことではない。こうして我らを運ぶのに、対価をもっと寄越せとほざきよったのだ、亜精霊の阿呆共めが」
「俺達を運ぶ対価って、亜精霊ってそういう要求を普通にするもんですか?」
唇を尖らせるディースラに、ふと疑問になったことを尋ねる。
基本的に精霊というのは物欲がほぼないはずなのだが、亜精霊は違うのだろうか?
「いや、普通なら大抵のことは渋ることなく聞く。亜精霊よりも、我の位階の方が高いがゆえにな。だが今回、この川の荒れようが酷いからと、手間賃代わりに我の魔力を寄越せと言うてきおったのだ」
「魔力を?そんなのもらってなんかあるの?」
「我ほどの魔力ともなれば、亜精霊にとっては上等な酒のようなものだ。面倒ごとの対価にまず欲しがるのも、そのせいよ。たっぷりくれてやったから、今は満足もしておろうな」
食事を必要としない亜精霊にとっては、ディースラの魔力は嗜好品のようなものなのかもしれない。
荒れた川を遡るのは亜精霊にとっても手間なようで、その交渉が先程の水辺での妙な時間だったわけだ。
「それはまた…何と言ったらいいか、俺達の魔力で代われればよかったんですが」
「ドラゴンの魔力がいいってんじゃあねぇ」
「よいわ。あれらに要求された魔力はそれなりの量だが、我には大した負担にもならん。もめて時間を使うよりはましよ」
実際、ドラゴンが保有する魔力は膨大で、亜精霊が欲しがるだけ魔力を与えたところで何ら痛むものはないのだろう。
ディースラも魔力がどうのというより、急いでいるところに要求されたタイミングの悪さに苛立ったのが大きいようだ。
とはいえ、いらぬ出費と言える魔力の譲渡にまだ不機嫌ではあるようなので、これ以上ディースラにこの話をするのはやめよう。
それよりも今気にするべきは、筏が運河を目指していくとして、どれくらいかかるかということだ。
運河からヤブー砦までは馬で二日弱かかったが、かなりの速度で川を遡っている現状、運河の端までなら恐らく夜明けまでに行けてしまうだろう。
それほどに速さと経路に恵まれているわけだ。
運河に着いたとして、そこからさらに首都を目指して移動するとなれば、今の速度を保てるなら一日で首都まで行けるかもしれない。
本筋の目的がある俺達としては、早々に戻れるならそれに越したことはない。
ただ、少し気になるのは、リズルド達のことについてだ。
雨不足からくる生贄騒動もあったあのリズルド達が、雨の降った今はどうなっているのか、道中で立ち寄って少し探るぐらいはしてもいいだろう。
ディースラも、ドラゴンとしてリズルドには親近感を持っていたようなので、その後の顛末というやつは気になっていそうだ。
提案すれば、多少の道草ぐらいはできるに違いない。
ディースラの同意も得て、リビの桟橋に着いたのは、次の日の昼を大分過ぎたあたりだった。
特に、間に阻むものもなく国境を接している国ともなると、地政学の見地からも必ず争うといわれている。
よく『国家に真の友人はいない』などと言われるが、まさしくその通りで、普段から仲良くしている国こそ、互いを知るがゆえに危険視し、友好国でもあり仮想敵国でもあると見立てる姿勢は決して間違ってはいない。
隣り合うからこそ交流し、貿易や経済による相互発展があるのも事実で、またそれによって競争や対立が生まれ、妬みや嫉みがいずれ戦争へと発展するのが、ある意味では国が国として正しく機能している証拠だとするのは少し乱暴だろうか。
スワラッド商国と月下諸氏族連合の二つも例に漏れず、国境を接する国同士、全く問題のない関係とはいかず、大小の衝突と問題が歴史と共に積み重ねられてきた。
それでも直接的な戦争に発展することなく今日までやってこれたのだから、よもや連合側の一部の人間の暴走によって国境地帯で事件が起きるなぞ、今代のワイディワ侯爵は運が悪かったと言う外ない。
処刑は七日に渡って行われ、その間、ひたすらに雨が降り続けた。
その罪人の誰もが死の間際になっても、恐怖や後悔などの感情に泣き喚くことなく死んでいった姿には、これぞ戦士の部族であると思わせる凄味があった。
初日にニリバワが言ったのを聞きつけたのか、罪人の涙雨という言葉がいつの間にか砦内では浸透しており、天すらもジブワ達の所業を嘆いているという声があちこちで囁かれている。
エスティアンの降臨は他に漏れていないはずなのに、天意を口にするあたり、民衆の処刑に対する思い入れの深さが分かるというものだ。
こうしてジブワ達の処刑が終わり、さあ今日から新しい日の始まりだ、とはならないのが世の中というものだったりする。
一般市民ならば、処刑によって気持ちの区切りが付き、まだ完全に吹っ切れるとはいかないまでも、平穏な日々に戻ることは許される。
しかし為政者ともなればそうはいかない。
処刑には間に合わなかったが、連合側からの外交官に相当する集団もようやくやってきて、ここから建設的な話し合いをと、いきなり前向きに行かないのもまた外交というものだったりする。
彼らがやってきてまず最初にしたのが、どういう神経をしているのか侯爵に対する非難なのだから、第一印象としては最悪だと言っていい。
ジブワをむざむざと隣国へと逃がした連合が非難とは一体?と思うだろうが、たとえ非が明らかであろうと、こういう時にすら文句を言わずにいられないのが国という生き物だ。
おまけに、ジブワが連合内では五究剣として名が知られているのも大きい。
連合の有名人を侯爵が勝手に処刑したというのが向こうの言い分で、執行の前に公正な裁判の一つでもやるべきだったと、連合側が侯爵へネチネチと言っている場面は見るに堪えないものだったと言う。
本来なら同族を庇うべきだったグルジェが特に擁護しなかったこともこの使者は責め立てたようで、人伝に聞いた会議の場の空気はそれはもうひどいものだったらしい。
ひょっとしたらその使者は、連合に帰る道すがら、グルジェに斬り殺されるのではないかというのが、同席していたディースラの感想だった。
唯一、向こうからもたらされた情報で前向きになれるものがあったとすれば、ラーノ族の聖地とされていた丘の水が再び湧き出したということか。
ここ数日の雨により、どうやら源流の水量が回復したようで、元々水不足から来る湧水の不足だったものを枯れたと判断したラーノ族の早とちりだったと、この時に明らかとされた。
これにより、一応聖地についての問題は解決したと言えるだろう。
とはいえ、それはあくまでも連合側の、それもラーノ族の問題が一つ解決したに過ぎない。
ジブワ達が起こした事件は連合側にとっても頭が痛いようで、侯爵から告げられた損害賠償をどうにか軽減しようと、この二日ほどはずっと話し合いが行われている。
災難だったのは、本来侯爵領の人間ではないはずの、ニリバワが率いてきた面々もこの交渉事に付き合わされていることか。
元々ニリバワは侯爵領での情報収集と支援の任務で来ていたのだが、そのまま連合との話し合いに引きずり込まれてしまい、この分だと暫くは首都へ帰ることはできないだろう。
ディースラも、その存在の強大さゆえに連合側への脅しにと暫くは手元に置いておきたい侯爵に縋られ、渋々留まってはいるため、世話役の俺とパーラも自然とここを離れることができないでいる。
もっとも、人間同士の損害賠償請求とその回避という、明らかに面白くもないやりとりが続く会議にディースラはすっかり飽きており、そろそろキレるのではないかと、秘かに俺は心配になっていた。
鶴の一声ならぬ、ドラゴンの一吠えで会議をぶった切るレベルで終わらせるか、あるいは侯爵を脅してさっさとこの地を去るか、どちらにせよ、そう遠くないうちに行動を起こすだろうと予想したその日の晩、俺とパーラは砦の外壁へとディースラに連れてこられた。
散歩であるとディースラが歩哨へ言って出掛けた先がこんなところとなれば、この後の行動は分かりやすい。
おまけに俺とパーラには、コッソリと出立の用意をしろと告げていたのだから猶更だ。
案の定、外壁にいた見張りの兵士を一発で昏倒させたディースラは、すぐさまその身を壁の外へと飛び出させ、常人なら落下死確実な高さから音もなく地面に着地すると、壁の端から顔をのぞかせてそれを見ていた俺とパーラへ、声を潜めて呼びかけてきた。
「何をしておる、さっさと来んか。ほれ飛べ、飛べぇ!」
暗闇の向こうで身振りで俺とパーラを呼ぶディースラの姿に、揃って溜息を吐いた俺達は、壁の縁を飛び越えてその先の地面へと降り立つ。
身体強化で着地時の衝撃は殺せたが、音の方まではどうにもできず、思ったよりも大きい音を立ててしまったが、周囲の様子を探るにこちらを気にする見張りの気配もないことにまずは一安心する。
「よし、では行くぞ。砦の連中に気付かれる前に、近くの川へ向かう。丁度良くここしばらくの雨で増水しておるし、そこを遡って運河を目指す。よいな?」
「よいなと言われても……いいんですかね?侯爵様は怒りますよ、きっと。話し合いの場にはディースラ様を欠かしたくないってんでしょうに」
こちらの答えを待つこともせずに歩きだしたディースラの背中に、俺は胸の内に抱えている心配を言葉にして投げかける。
ここまではディースラの有無を言わせぬ迫力に黙って付き従ってきたが、ほとんど脱走同然に抜け出して問題がないわけがない。
「ばかもん、あの下らん話し合いにいつまで付き合えというのだ。我はもう飽きたわ」
「飽きたって、ディースラ様はただ座ってるだけだって言ってたじゃん」
「だからこそだ、パーラよ。人間同士、前向きな話をしておればまだ聞けたものだったが、賠償についてあーだこーだ言うだけなのは見ていてなんともつまらぬ。あんなところで黙って座っておるぐらいなら、塒に戻って寝ておる方がましであろうよ」
侯爵達の話し合いは、賠償を吊り上げたい側と抑えたい側のぶつかり合いがほとんどで、この手の交渉とはいかに妥協点を自分の有利な側に引っ張ってこれるかに尽きるため、ディースラには人間同士の醜い争いとしか思えず、嫌気がさしたのかもしれない。
元々話し合いに同席していたのも請われてのことで、見たくもないものを見せられ続けては、全てを放り出したくなるのも分からなくはない。
「でも、せめてニリバワさんには一言ぐらいあってもよかったんじゃないですか?この様子だと、何も言わずに出てきたんでしょう?」
「確かにあれには何も言ってはおらぬが、一応書置きは残してきた。我らがいなくなったとて、心配することはなかろう」
「あぁ、一応そういう配慮はしたんですね。少し安心しましたよ。で、その書置きにはなんと?」
ディースラにドラゴンとして人を思いやる心があるか疑問だったが、一応ニリバワに対する配慮ができる程度には気が回ったことに、俺は少し安心を覚えた。
とはいえ、どんなメッセージを残したかによってまた話は変わってくるので、念のために内容を尋ねておく。
「飽きたから帰る、と」
「…それだけ?」
「それだけだが?」
キョトンとした顔でそう返され、思わず俺は頭を抱えてしまう。
一瞬前までに覚えた安心はやはり幻想だったようだ。
俺達が無断で砦を抜けだしたことで、残っているニリバワに対して侯爵は説明を求めるはずなのだが、そこにディースラの残したメッセージがあればさぞや役立ったことだろう。
だがその内容があまりにも端的かつ身勝手さに溢れたものとなれば、ニリバワへの追及は自然と厳しくなりかねず、このことでかなりの苦労をかけることになる。
どうせメッセージを残すなら、侯爵へ向けた説教の一つでも含めておけばよかったのに、とも思ったが、そういうのをディースラに期待するのは無理があるか。
「なんだ、おかしな顔をしおって。それよりも、さっさと行くぞ。夜の内に川に着かねば、追手がかかるかもしれんのだ」
「追手って言われても、私ら別に犯罪者じゃないんだし…」
「たわけ。イブラヒムは連合との話し合いにどうしても我を同席させると考えておるのだぞ。行方が知れなくなれば、連れ戻すための手ぐらいは回す。まぁパーラの言う通り、我らは罪人でもないし手荒な真似はせぬだろうが、何をしてくるかわからんのが面倒だ。だから、さっさとここを離れるのだ」
そこまで言って話は終わりだと、ディースラは足早に歩き始めてしった。
俺とパーラもそれに続いて動き出す。
別に追手がこようが後ろ暗いことのない俺達なら、何とでもなりそうな気もするが、侯爵が本気でディースラを逃がさないように手を回せば、確かに面倒なことになりそうだというディースラの言も一理ある。
俺達と追手、双方に被害も遺恨も出さないよう、ここはさっさと立ち去ってしまう方がよさそうだ。
ディースラが目指す川は、砦の西側にあったと記憶している。
普通に歩いて約一時間という、意外と近いところにある川を使って、俺達は運河から首都までさかのぼって戻る予定だ。
これは俺達が予定していた首都へ帰る道とはかなり違うものとなる。
スワラッドの首都からは運河であちこちの土地が繋がっているが、これによる移動はあくまでも一方通行。
エンジンの着いていない船は、川の流れをさかのぼって進むことは出来ないからだ。
そのため、俺達が首都へ帰るルートとして本来予定されていたのは、ワイディワ侯爵領から馬で西へ進み、他の貴族の領地をいくつか経由しての陸路での帰還となっていた。
当然、船よりも時間はかかるが、こればかりは仕方がない。
ところが、ディースラがいれば話は違う。
水の亜精霊を動かし、川の流れを遡るという裏技が使えるディースラにかかれば、船は運河を逆走し、侯爵領まで来た時とほぼ同じ時間で辿り着けてしまうという寸法だ。
馬でチマチマと陸路を行くよりも、圧倒的に移動時間の短縮ができてしまう。
煌々とした月明かりの下暫く歩き続けていると、遠くの方から川の音が聞こえてきた。
音の方へと歩みを進めると、そこはここ数日の間に降った雨によって増水した、濁った水が激しく流れる激流と言っていい川だった。
月の光だけではわかりにくいが、恐らく川幅は二十メートルほどといったところか。
激しい水の流れは、一歩足を踏み入れたらそのまま飲み込まれてどこかへ連れ去られそうな恐ろしさがある。
「…うむ、想像していたのよりも、少し川の勢いが激しいな」
「え、少し?これが?私には氾濫一歩手前の川って感じに見えるんだけど」
「奇遇だな。俺もだ」
近付くことすら躊躇うほどの激流に対し、ドラゴンと人間では思う所は大分違うらしい。
どう見ても災害級の荒れようにしか見えない川の様子は、これから川を使っての移動に向くとは、到底思えない有様だ。
「心配するな。この程度、我にとっては穏やかな川と変わらん。それよりも、船になりそうなものを探さねば。我は身一つでいいが、お主らはそうもいかぬだろう?」
「それはそうだけど、なんならディースラ様の背に私らを乗せてくれてもいいけど?」
「断る。パーラよ、お主はドラゴンがその背に人を乗せることがいかに稀有な事か知っておろう。ドラゴンがその背に乗せるのは、資格ありと認めた者のみ。たとえお主らとて、我の背に乗るなど千年早いわ」
人間がドラゴンに乗るのは、飼いならされた翼竜がせいぜいで、ディースラのような上位種に当たるドラゴンの背中は色々とハードルが高いようだ。
こっちの御伽噺にあるドラゴンに乗った英雄というのも、恐らく相当厳しい条件をクリアして資格を得たのだと思えば、今ディースラを乗り物にするのは難しいだろう。
「千年後なんて私、死んでるじゃん。どうにか一刻ぐらいにまからない?」
「まからん。どうしてもというのなら千年くらい、気合で何とかせい」
気合で千年て。
ドラゴンはいつも非常識なことを言う。
益体もない話をしながら、俺達は船を探す。
この川は砦の近くにあるが、防衛の観点から渡河のための設備は整っておらず、ここらの人間も船を使う仕事についている者はいなかったため、付近に船は一艘もない。
「当然といえば当然ですが、船はないですね」
「少し南に行けば、橋が架かっておるからな。街道を使えば、自然と橋が使われる。船の出番はない」
「漁師の人達は?魚を獲るのに船は使うでしょ」
「いや、ここらに漁師はおらん。この川にいる魚はほとんどが食用に向かぬそうだ」
当たり前の話だが、食える魚がいなければ漁師の仕事は成り立たない。
漁師が仕事をできないのなら船も必要とならず、俺達には優しくない展開となっている。
とはいえ、ないのなら作るしかないというのがこの世界の法則だ。
幸いにしてこの辺りはアホみたいに木が生えている。
これを使って筏を作れば、片道だけの遡行でも十分な足になるはずだ。
「ってことで、早速筏作りに入ります。できればディースラ様にも手伝っていただきたいんですが」
「うむ、構わんぞ。何をすればいいのだ?」
「これは当たり前ですが、筏を作るのには木が必要です。そこでディースラ様には、ここらにある木を何本か切り倒してほしいんですよ」
今俺達が立っている辺りの木は、どれも幹回りが三・四メートルほどはあるため、人の手で切り倒すとなればそれなりに時間がかかる。
魔術や可変籠手を使えばその限りではないが、せっかくここには力が余っているドラゴンがいるのだし、この仕事は彼女に任せるとしよう。
「ほう、木とな。容易いことだ」
「では…そうですね、とりあえず四本切ってもらえますか?なるべく姿勢が真っすぐで、幹の太さも同じぐらいの木で選んでください」
ある程度は仕方ないにしても、サイズがあまりにもかけ離れた木ではまともな筏は完成しない。
切った後に加工するのも手だが、なるべくなら手間をかけずにそのまま使いたいので、大体同じフォルムの木で揃えてほしい。
「よかろう」
「私は?何をすればいいの?」
「俺とパーラは、ディースラ様が切った木をロープで縛っていく。川に浮かべても分解しないよう、多少丸太に手を加える必要はあるが、可変籠手でどうにかなるだろ」
あらゆることに使えるロープは、この世界での万能ツールとしての地位を確立している。
冒険をする者の必需品として、当然俺達の荷物にも常備してある。
勿論、丸太にそのままロープを結わいても水に揺られてすっぽ抜ける可能性はゼロではないため、木側に溝を掘るなどの工夫は必要だ。
「筏ねぇ…私作ったことないんだけど、簡単に出来るもんなの?」
「極論、丸太を並べてロープで結ぶだけだから、そう難しいもんじゃない。それに、なにもちゃんとしたものを作る必要はないさ。首都までの道のりで壊れなきゃそれでいいんだよ」
「まぁ、そうだね」
話しながら可変籠手を装着し、ノミや鋸といった形態を試す。
可変籠手を構成する細かいパーツを組み合わせていく都合上、ある程度は大雑把な形態変化になるが、それでも目的としている用途には十分な出来だ。
武器以外にも、こういった大工道具の機能もこなせる可変籠手は実に使い勝手がいい。
ホームセンターで売られていれば大ヒット間違いなしだ。
そうしていると、地面を揺らす振動が何度か起き、暗がりの向こうから丸太を四本、まるでパンでも抱えるような気軽さで担いできたディースラの姿が見えた。
実は軽いのか?と思わされたが、地面に降ろされた丸太が立てる音に、ディースラの異常な腕力が見せた錯覚だと改めて思い知る。
「良さそうなのを見繕ってきたぞ。いらぬ節介とも思ったが、上下の長さも切り揃えておいたわ」
「助かります。…うん、いい感じですね。パーラ、早速始めるぞ。まずは丸太の両端にロープをひっかける溝をつける。こことここ、これぐらいの間隔で削ればいい」
「分かった」
丸太に加工のための目印に傷をつけ、パーラと共に早速作業へと入る。
可変籠手をノミ状に作り替え、それを木肌へと突き込んでいく。
いきなり深く削っていくが、こういうのは勢いが大事だ。
失敗を恐れず、しかし丁寧な作業を心掛ける。
「ほう、それが可変籠手か。ここまで形状を自在に変えられるのは、我の知る限りでもなかなかないぞ。見たところ、ルバンティス期の代物か」
俺の手元を覗き込んできたディースラが感心したような声を出す。
可変籠手自体は初めて見るようだが、その造りからどの文明期のものかにアタリを付けたらしい。
「分かるんですか?」
「うむ。大分昔になるが、我はルバンティス期の文明の道具を見たことがある。お主らのそれは、形こそ違えど、かつて見た文明の匂いがかなり似通っておるわ」
人間よりもはるかに長く生きているドラゴンであれば、過去に存在した文明についても知っていてもおかしくはない。
以前俺達が海の底に沈んでいた船を引き揚げ、そこに宿っていたAIから教えられた情報には、確かにルバンティス暦というのがあったことから、ディースラの推測は見事に的を射ていると言える。
とはいえ、可変籠手自体を見るのは初めてのようで、興味深そうに俺の手元を見つめるディースラの目は好奇心で輝いている。
じっくりと見られながらの作業に少しやり辛さを感じながら、黙々と手を進め、パーラと共に四本の丸太を加工し終え、さらにロープで結んで筏らしい筏が完成した。
長さ四メートル、幅三メートルほどのそこそこのサイズの筏は、三十分程度で作ったにしては中々の出来だ。
しっかりとした造りに不安は感じられず、このまま激流に乗り出しても大丈夫だと思える。
「良い出来ではないか?これならば、首都まで十分持つであろうよ」
「ですかね。じゃあ早速進水式を…」
ディースラのお墨付きを貰えたことで、早速筏を川に出そうとするが、未だ川の荒れようは危険域にあると言っていい。
「…なんかこれ、浮かべたら即流されちゃわない?」
「だな」
パーラの言う通り、このまま筏を浮かべたら、一気に下流まで流されてしまいかねない。
せっかく作った筏を流されてはたまらず、躊躇っていると、ディースラが俺の肩をたたく。
「一先ずはロープで陸と結び付けておけ。すぐに我が亜精霊に命じて動かしてやるわ。お主らも先に乗っておけよ」
そう言って水辺に近付いていき、何かを囁くディースラの姿は、前にモンドンの港から首都サーティカへ向かう時の運河で見せた、水の亜精霊へ頼むものだ。
俺とパーラは言われた通りに筏から延びたロープを適当な岩に結び付け、筏を激流の上へと慎重に乗せる。
一瞬流れに暴れる気配を見せた筏だが、すぐさまロープを引いて岸へと押し付けると、何とか抑えることは出来た。
しかし、このままだとロープを切り離してしまえば、急な流れにのまれて一気に下流へと流されてしまう。
早いところ出発したほうがいいと、筏に乗り移りながらディースラの様子を窺ってみると、まだ水に向けて囁くのを続けている。
妙だな、前に船を流れで押した時はもっとあっさりと終わっていたはずだが。
「…ちぃっ、足元を見おってからに。アンディ、パーラ!出発だ!ロープを外せ!」
何故か若干不機嫌になるディースラだが、筏に乗り移ってきたことで出航となった。
筏と陸を繋ぐロープをナイフで切ると、すぐさま筏は流れに巻かれるような動きを見せたが、すぐに周りの水が泡立つような動きをすると、筏は激流などないものとするかのようにスムーズに川を遡っていった。
ここからは水の亜精霊が運んでくれるため、俺達が操縦する余地はなく、筏の上で運ばれる荷物となるのみだ。
川面の荒れようとは対極に、筏の上はおかしなくらいに安定しており、このまま揺られていれば眠気が襲ってきそうなぐらいに居心地がいい。
そうなってから、先程ディースラの言った言葉が気になってくる。
「ディースラ様、さっきの足元を見るというのは一体?」
「ぬ?あぁ、あれか。なに、大したことではない。こうして我らを運ぶのに、対価をもっと寄越せとほざきよったのだ、亜精霊の阿呆共めが」
「俺達を運ぶ対価って、亜精霊ってそういう要求を普通にするもんですか?」
唇を尖らせるディースラに、ふと疑問になったことを尋ねる。
基本的に精霊というのは物欲がほぼないはずなのだが、亜精霊は違うのだろうか?
「いや、普通なら大抵のことは渋ることなく聞く。亜精霊よりも、我の位階の方が高いがゆえにな。だが今回、この川の荒れようが酷いからと、手間賃代わりに我の魔力を寄越せと言うてきおったのだ」
「魔力を?そんなのもらってなんかあるの?」
「我ほどの魔力ともなれば、亜精霊にとっては上等な酒のようなものだ。面倒ごとの対価にまず欲しがるのも、そのせいよ。たっぷりくれてやったから、今は満足もしておろうな」
食事を必要としない亜精霊にとっては、ディースラの魔力は嗜好品のようなものなのかもしれない。
荒れた川を遡るのは亜精霊にとっても手間なようで、その交渉が先程の水辺での妙な時間だったわけだ。
「それはまた…何と言ったらいいか、俺達の魔力で代われればよかったんですが」
「ドラゴンの魔力がいいってんじゃあねぇ」
「よいわ。あれらに要求された魔力はそれなりの量だが、我には大した負担にもならん。もめて時間を使うよりはましよ」
実際、ドラゴンが保有する魔力は膨大で、亜精霊が欲しがるだけ魔力を与えたところで何ら痛むものはないのだろう。
ディースラも魔力がどうのというより、急いでいるところに要求されたタイミングの悪さに苛立ったのが大きいようだ。
とはいえ、いらぬ出費と言える魔力の譲渡にまだ不機嫌ではあるようなので、これ以上ディースラにこの話をするのはやめよう。
それよりも今気にするべきは、筏が運河を目指していくとして、どれくらいかかるかということだ。
運河からヤブー砦までは馬で二日弱かかったが、かなりの速度で川を遡っている現状、運河の端までなら恐らく夜明けまでに行けてしまうだろう。
それほどに速さと経路に恵まれているわけだ。
運河に着いたとして、そこからさらに首都を目指して移動するとなれば、今の速度を保てるなら一日で首都まで行けるかもしれない。
本筋の目的がある俺達としては、早々に戻れるならそれに越したことはない。
ただ、少し気になるのは、リズルド達のことについてだ。
雨不足からくる生贄騒動もあったあのリズルド達が、雨の降った今はどうなっているのか、道中で立ち寄って少し探るぐらいはしてもいいだろう。
ディースラも、ドラゴンとしてリズルドには親近感を持っていたようなので、その後の顛末というやつは気になっていそうだ。
提案すれば、多少の道草ぐらいはできるに違いない。
ディースラの同意も得て、リビの桟橋に着いたのは、次の日の昼を大分過ぎたあたりだった。
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