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地の底にあるのは果たして地獄か

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いつの間にやら始まった第二の人生は、驚きと共に新しい世界への探求心を俺に与えてくれた。
与えられた二度目の人生、やりたいことをとことんまでやってやろうという思いを抱いたのは果たして俺の魂か、それとも誰とも知れないこの体に宿っていた意思か。

いずれにせよ、誰かのために己の身を餌にしてまで敵を倒すなんてことは少し前の俺には考えられなかったことだろう。
自分と誰かの命を天秤にかけるとしたら、尻尾を巻いて逃げるのも厭わない…、俺はそういう人間だ。

だが多くの出会いが俺を変えたのか、パーラやコンウェル達を守るためにこの身を投げうった結果、ドレイクモドキを道連れにこうして命を失うことになったわけだ。
確かに目を見開いてはいるが、何も見えないこの暗闇こそが紛うことなき生の終焉なのだろう。

確実に前世というのを覚えている俺にしてみれば、この暗黒に彩られた死後の世界というのは二度目ということになるはずなのだが、どういうわけかそんな気がせず、何も見えない闇への根源的な恐怖だけが今の俺の心に巣くっていた。

地獄の閻魔か、はたまた審判の門か、死んだ俺を出迎えてくれるのは一体何者なのかという少しの好奇心を抱きながら、揺蕩う意識のままに長い時間が過ぎた。
いやあるいはごく短い時間だったか。
時間の感覚がどうもはっきりしない。

ふと気が付くと、完全な闇そのものであるこの空間にも時折微かな音が響いてくる。
サラサラとした、まるで砂が流れるような音だ。

先程までは全く体が動かなかったのだが、時間の経過とともに徐々に体に自由が戻り始めていた。
というか、実はこの時点で俺は自分が死んでいないことに気付いているわけだが。

どうやらつい先程まで気を失っていたようだ。
体の感覚が戻るとともに、怪我を負っている体のあちこちの痛みに気付かされたため、痛みがあるということは生きているという結論に至ったわけだ。

死後の世界だと思っていたこの空間は、単純に光源のない洞窟のような場所だと推測する。
横たわっている俺の背中にあたるのはゴツゴツした岩で、大の字に足を広げていても地面以外に触れる感触がないことから、広さもそこそこありそうだ。




ようやく体の自由がいくらかきくようになり、魔力も多少回復したおかげで立ち上がるだけの元気が出てきた。
ゆっくりと立ち上がっても俺の頭が洞窟の天井にあたることがないことから、この空間は高さもそこそこありそうだ。
「スゥー……あっ!」
おもむろに声を短く強く発してみると、声が反響しながら遠ざかっていくのが分かる。
反響音が聞こえなくなるまで耳を澄まし、今いる洞窟がかなり奥へと続くぐらいに深さがあるものだということも分かった。

さて、まずはこの不便な暗闇からの解放を願い、腰回りに付けていたベルトポーチから明かりになりそうなものを探す。
理想とするのは松明だが、正直砂漠を移動するのにそんなものは持ち合わせておらず、案の定見つかることは無かった。
実際、記憶の中では松明などの明かりになるものはラクダに荷物として取り付けたことを覚えているので、この行動ももしかしたらという程度の希望しか持っていなかった。

流砂に飲み込まれる際に俺が身に着けていたものしかここには持ち込めておらず、武器も剣はラクダに積んだままだったため、鉈と採取用のナイフ程度しかない。
食料に至っては全く持っていなかった。
せいぜい水筒に水が少しばかり入っているぐらいで、これも無くなったらまずい。

ゴソゴソと荷物を漁っていると、不意に指先にベトっとしたものを感じた。
(こんな手応えの物を持っていた記憶はないが…)
そう思いながら取り出したその瞬間、手の中の物体の正体が分かった。

暗闇の中で視覚を封じられたことで、他の五感が研ぎ澄まされ、そのおかげで俺の手から感じる甘い匂いにも気付けた。
これはパーラに強請られて買った、ヌガーの包み紙だ。
ヌガーは全部パーラにくれてやったから、その包み紙が俺の荷物入れから出てくることに妙だと思ったが、その謎もすぐに解消された。

恐らくパーラはラクダで移動してる最中にヌガーを食べ、食べ終わった後の包み紙の処分に困り丁度目の前に座って手綱を操っていた俺の荷物入れにそれを放り込んだ…、そういうことだろう。
人のポーチをゴミ箱代わりにしたことは今度説教するとして、今はこの紙があることで明かりは確保出来そうだ。

ベトつく手に不快感を覚えながら、その包み紙を細く捩っていく。
この包み紙はヌガーが触れない表側を薄く蝋でコーティングしてあり、蝋が塗られていない部分が内側に来るように捩っていくと、簡易的な蝋燭になる。
旨い具合に普通の紙部分が芯になりそうで、手元が見えないながらも感触だけでそれを完成させた。

早速蝋燭に火をつけるべく、指先に雷魔術でスパークを発生させる。
普段火をつけるときの手順なので問題なくやれると思ったのだが、指先に発生させたスパークがどうも弱弱しい。
どうやらまだ魔力が十分に回復しきっていないようだ。
俺の使用する魔術の中で、最も便利ではあるが消費もでかいのが雷魔術であり、まだ魔力が少ない今の状況ではガス欠の百円ライター程度の効果しか出せない。

心許ない火花ではあるが、それでも暗闇の中に一瞬とはいえ光が現れるというのは有難いものだ。
弱い火種と不完全な蝋燭の組み合わせはなかなか火も着き辛く、何度も着火を試みる。
ようやく蝋燭に火が灯り、漆黒の中にポツリと明かりが現れることで今いる場所の様子が大凡ながら分かり始めてきた。

地面の感じと音の反響具合から洞窟という予想を立てていたわけだが、こうして明かりを得てみた限りではその予想はほぼ的中していたらしい。
天井部分は荒い岩肌といった様子にもかかわらず、足元の岩肌は凸凹してはいるが表面には滑らかさがある。
これはかつてここを水が流れていたという証拠だ。
岩肌が上に比べて下の方が滑らかなのは、天井一杯までに水が満ちていたわけではなく、半分もいかない高さまでしか水面が達していなかったからだと推測する。

今は水の一滴も無いこの場所だが、洞窟という環境のせいか、えらく涼しい。
というよりも、むしろ肌寒さを覚える。
洞窟というのは四季に左右されず、常に内部が一定の温度に保たれる性質があるため、砂漠地帯にあっても暑さを忘れるぐらいに冷たい空気があるものだ。

周囲へと明かりを動かして見た結果、俺が今立つ場所からは奥へと続く道以外には特に通路らしきものは存在していない。
昔水が流れていたであろう穴もあったが、そっちは人が通れる大きさではなく、ただの穴でしかないため、進むべき道は一つだけだ。

時折聞こえる砂の流れる音は、天井に開いたいくつかの穴から砂が落ちてくる音で、恐らくあの穴のどれかを通って俺はここに落ちてきたらしい。
砂漠のど真ん中にある流砂がこんなところに繋がっているとは、これは大発見だといえる。
うまく整備すれば観光資源にもなるし、もしかしたら鉱物資源も発見できるかもしれない。
ギルドと国に報告すればかなりの報酬が期待できそうだ。
もっとも、無事に帰れたらの話だが。

ただ一つ気になるのは、俺と一緒に流砂に飲み込まれたドレイクモドキの姿が見えないことだ。
天上に見える穴はどれも大きさ的にはさほどでもないため、ドレイクモドキがここに落ちて来れないのは十分にあり得る。
それはつまり、この天井の向こうにはドレイクモドキの巨体が穴を塞いでいるということになる。
流石に生きてはいないと思うが、もしこの洞窟に再び訪れるとしたら、流砂に飲み込まれるルートは恐らく当分は使えないだろう。
ドレイクモドキの死体が自然に分解されるのを待つしかない。

もっとも、あの流砂に飲み込まれてここに確実にやって来れるという保証もない。
もしかしたらたまたま俺の運がよかったおかげでこうして辿り着いたという可能性もある。
あるいは運が悪いせいで苦しまずに死ねないでこんなところに放り込まれたという考え方も出来るな。

明かりをあちらこちらへと動かしていると、壁の一か所になにやら自然物とは違う、人工物と思われる影が見えた。
そちらへと近付いていくと、そこにあったのは何やら破損した木箱の山らしき物体だった。
どうやら俺よりも以前にここに落ちてきたもののようで、荷車の一部と思われる車輪も一緒に置かれている。
全体的な大きさを推測するに、動物が牽くものではなく、人力で動かすリヤカーのようなものだろう。
こうして一か所に纏められているということは、一緒に落ちてきた人間が壁際へと運んだということだ。

一体どれほど前のものなのかは分からないが、こうして捨て置かれているということは俺が利用しても問題ないはず。
正直、有り難かった。
なにせ物資が乏しい今の状況ではどんな物でも利用しなければ、先の見えない脱出を完遂するのは厳しい。

差し当たって、まずは何が残されているのかを漁ることから始めたいが、それにはまず明かりを強いものに変えよう。
先程までは急造の蝋燭しかなかったが、今は目の前に木材が豊富に存在している。
これで松明を作れる。

握りやすく、かつ長めの木材を見繕い、その先端に鉈で切れ目を入れ、そこに丸めた布切れを挟み込む。
布は今に身につけているマントの端を千切って流用した。
布を丸める際に、中心となる部分に少しだけ水を含ませる。
気を付けるのはあまり水を含ませ過ぎないこと。
布が多少の水分を含んでいることで完全に燃え尽きるまでの時間を稼げて、松明としての使用時間が長くなる。
暗い洞窟を調べるなら明かりは長持ちした方がいい。

蝋燭から布へと火を移し、ゆっくりと火が布に回り始めると、蝋燭とは比べ物にならない明かりが岩肌を照らす。
その明かりを頼りに、目の前にある木箱の山を漁ってみるが、使えそうなものは何も残っていない。
もしかしたら俺よりも先にここに落ちた人が何人かいて、その人らが役立ちそうな物を次々持っていったのだろうか。
残されたのが空の木箱だけというのもそのせいなのかもしれない。

薪代わりにいくつか手頃な大きさの木材を、壊れていない適当な木箱に放り込み、それを持っていくことにする。
洞窟を抜けるまでにどれくらいかかるか分からない。
野営することも考えればこういうのは確保しておいた方がいい。

木箱もそのままだと持ちにくいので、ベルトを木箱の縁に空けた穴に通し、手提げ持ちがしやすいようにしておく。
結構な量の木材を入れたので重さもそれなりにあるが、こうすると持ちやすいので移動の負担も軽減できる。
左手に持った松明の明かりを前に掲げ、手提げ箱を右手に持って奥に広がる暗がりへと歩みを進める。
この先に出口があるかどうかは分からないが、行くだけ行ってみよう。
こんな場所ではどうせ待っていても救助は来ないだろうからな。

よく遭難したらその場を動くなという話があるが、あれはすぐに救助が来ることを前提とした場合のものであって、今の状況では救助は期待できないため、ただ待っているだけでは事態は解決しない。
行動あるのみだ。
体力的には少しきついが、強化魔術を使うにもまだそこまで潤沢に魔力は回復しておらず、所々で休みながらでの移動となった。

そんな中、ゆっくりと歩きながらふと周りを見てみる。
こんな状況ではあるが、こうして目に映る自然の造形というのは実に美しいものだ。
正直、ただの観光として見るのなら、これは極上の景観ではないだろうか。

人の手が加えられず、長い年月をかけて作られたこの景色は、悠久の時の流れが生み出した芸術品と言っても過言ではない。
全体的にごつごつとしていながら、上の粗い岩肌が下に向かうにつれて滑らかになっていくグラデーションはいっそ艶やかさすら感じさせる。
本当に、こんな状況じゃなければもっと楽しめたのに、勿体ない事だ。

俺がこうして周りの景色に意識を向けるぐらいに余裕があるのも、出口のあてがあるからだ。
そもそも俺が目覚めた時からここの空気は澱んでいなかったため、どこかから空気が流れ込んでいるということは予想がついていた。

それは今こうして歩いている内に確信に変わりつつある。
掲げている松明の炎が明らかに風に反応して揺らめいているのだ。

前方に吸い込まれるようにして炎が動くことから、まず間違いなく今向かっている先には外へと通じる道があるはずだ。
出口があるということを思うと自然と早足になり、体にのしかかっていた疲労にも耐えられるような気がする。

辿り着いた先はこれまで通って来たのが通路だということがわかるぐらいに広大な広間となっており、松明の明かりが届く範囲に向かいの壁がないほどの広さがあった。
それに比例して天井もとんでもなく高いと予想するが、明かりが届かない以上はどれほどの広さかははっきりとしない。

とてつもなく広い空間に一瞬呆気にとられるが、顔に感じた微かな空気の流れからその方向を割り出し、落ち込んでしまった。
風が吹き込んでいるのは上からで、そのことが分かった段階で脱出は容易でないことが明らかとなった。
見える範囲の岩の壁はどれもほぼ垂直で、何の補助も無しに上るのは至難の業。
もしかしたら壁伝いに探せば上りやすい箇所もあるかもしれないが、そんな希望的観測を持つほど、この洞窟は人に優しい造りとは思えない。

何より、今松明が照らした壁際に横たわる白骨死体の存在が脱出不可能をさらに強く印象付けてきた。
流砂に飲み込まれてここに辿り着いた先達とだろうか。
5体ある白骨死体は綺麗に壁際に並べられている。
きっとこの中の最後に死んだ人間がせめてもの供養にとこうして並べたに違いない。
そして最後に死んだ人間もせめて孤独には死ねぬと一緒に並んで息を引き取ったというのも予想できた。

こうして並んだ死体を見るに、脱出できた人間は恐らく一人もいないのだろう。
もし脱出している人間がいたら、この流砂の底にある洞窟の噂が欠片でも流れていたはずだ。

白骨死体はどれも見事に衣服や装備は身に着けておらず、端にある比較的新しめな骸骨だけが一番充実した装備だった。
これは恐らく、元々白骨死体が身に着けていた装備を後から来た人間が剥ぎ取り、それを身に着けた人間が死ぬとまた後から来た人間が剥ぎ取りと、何度かにわたって装備の移譲が成された結果だと思われる。
つまり、この装備が充実している死体こそが一番最近死んだ人間だということになる。
まぁ、その一番新しい死体も白骨化している以上は死んでから結構経っているわけだが。

とはいえ、この死体が持つ装備は今の俺にしてみると非常に魅力的だ。
道具というのは使う人間がいてこそ価値を発揮する。
なのでこれらは俺がありがたく活用しよう。

遺体を漁るというのに多少の抵抗感はあるが、今は非常時だ。
軽く手を合わせてから検めさせてもらおう。

経年劣化で錆びたり破損したりで使えないものは弾き、有用な道具だけを選り分けていく。
その結果、集まったのは―

・やや錆びたナイフ2本
・厚手のマント2枚
・約5メートル程の長さのロープ
・油の切れたランプ1個
・肩掛けの鞄1つ

以上だ。

これら以外はどれも古くなりすぎていて使い物にならなかったり、使い道のないものばかりだ。
特に貨幣の類は今の状況では何の役にも立たない。
一応助かった時のためにと持っていたのだろうが、結局死出の手向けにしかならなかったようだ。

最後に、こうして装備を提供してくれた骸達にもう一度手を合わせて感謝の念を捧げる。
「…ありがとう。これは大事に使わせてもらう。あんた達の分も生き抜いて見せるから、どうか安らかに眠ってくれ」
ボソリと呟く声は、洞窟という環境のせいか意外と辺りに響き、俺の言葉は願いから誓いへと昇華されたような気がした。
合わせていた手を下ろすと、死者を残して俺は生きるために歩き出す。

まずはここの地形を把握することから始めよう。
とりあえずこの広間と言える空間を端から端まで歩いてみる。
出口自体は上にあると予想しているが、そこへ至る道を探すことから始めたい。
差し当たって今立っている場所に目印として松明を置き、もう一つ作った松明を手に壁に沿って歩いていくと、数分ではきかない時間をかけて元いた場所に戻って来れた。

体感ではあるが、円周を回るのにかかったのは2・30分ほど。
結構時間がかかったが、これはゆっくり歩いていたのに加え、途中で見つけた横穴なども軽く見ていたせいだ。
横穴は人が屈んでギリギリ通れる程度の大きさの物で、これも元は水が通っていた形跡が見受けられた。
いくつかあった横穴はどれもすぐに行き止まりとなっていて、出口へと通じる気配は微塵もない。

やはり目指すのは上だろう。
残念なことに、上に上がるのに適した経路は見つからなかった。
最悪の場合、ロッククライミングを行う必要もありそうだ。

ざっと見て回っただけだが、広間の大きさはちょっとした野球場ぐらいはありそうな空間のため、次は中心部分へと足を運んでみたい。
あそこまでは松明の明かりも届かないので、もしかしたら何かしら発見もありそうだ。

しかしそれにしても―腹が…減った…

無理もない。
どれだけ気絶していたか分からないが、ドレイクモドキの討伐前に食べた昼食以降、麦一粒すら口にしていないのだから、気絶していた時間の経過も考えると流石に腹も減っているだろう。

生憎食料の類は持ち合わせておらず、先ほどの死体たちも当然食べ物は持っていなかった。
こんな場所なので植物もせいぜいコケ程度しか期待できないがそれすらも見当たらない。
いよいよもって俺は決断を迫られている。
とはいえ、結論はとっくに出ている。
生きるためには仕方ない。
先程歩き回った時に見つけた虫を食べるとしよう。

空腹を訴える腹を押さえ、再び松明を手に壁際を歩き回る。
するとすぐにカサカサと動き回る虫の音を俺の耳は捕らえた。
音の方へと松明を向けると、壁を這い回る細長い影を見つけた。

いくつもの節といくつもの脚、頭にはハサミのような牙がある虫、ムカデだ。
俺の知るムカデと比べると意外と大きく、胴の太さは10センチほど、全体の長さも50センチはありそうだ。

見た目は人間の嫌悪感を掻き立てるものだが、今の状況ではこれも貴重な食料としての選択肢に入ってしまう。
虫を食べるということに忌避感はないのかと問われれば、もちろんあると答えよう。
しかしながら他に食料になりそうなものがない以上、生きるためには虫すらも食べて生きなくてはならない。
イナゴの佃煮や蜂の子などというのは食べたことがあるので、その延長だと思えばこのムカデだって食える…はず。

近付いて来た俺を威嚇するかのようにギチギチとハサミを鳴らすムカデだが、そんなものは無視して頭にナイフを突き立てる。
流石は虫だけあって中々の生命力で、頭をナイフで貫かれても暫くは動いていたが、やがて徐々に力が抜けたように大人しくなっていき、遂には完全にその動きが止まった。

ナイフを一度抜いてもう一度頭に突き刺すことで完全に死んだことを確認し、早速調理に取り掛かる。
そこそこ大きいので食いではありそうだ。
まずは解体可食部位とそれ以外を分けることから始める。
頭部は相当硬いうえに毒もここに集中しているらしいので食べられそうになく、ここは切り離して捨てよう。

次に無数にある脚も取り除くと節を一つ一つ切り離し、ナイフを使って殻を剥いでいくと、中からは柔らかく弾力のある身が姿を現した。
例えるなら海老と蟹を足して3で割ったぐらいの柔らかい感触のそれを、まずはじっくりと焼いてみる。
聞いた話だとムカデの毒は熱で無害化されるため、念のために身に毒があることも想定してしっかりと熱を通す。

地面に置いていた松明を手に取り、ナイフの先に刺したムカデの身を炙っていくと何とも言えない食欲をそそる香ばしい匂いが漂いだした。
程よい所で火から遠ざけ、俺が幸運にも持ち合わせていた塩を振ると一気に齧り付く。

ブリッっとした強烈な歯応えに一瞬驚くが、次に舌に感じた旨味を噛み締めるように咀嚼が始まる。
若干のゴム臭さと微かな苦みが気にはなるが、許容範囲だ。
微かな酸味もこれはこれで悪くない。

あっと言う間に食べ終わってしまったが、最初に会った虫を食べるという忌避感はすでに消え失せ、また次が食べたいという思いを抱くまでになっていた。
試しに辺りを探してみるが、たまにアリのような小さな虫がいるぐらいで、見つかりそうにない。

恐らくあのムカデはこの洞窟内では食物連鎖の頂点に位置するのかもしれない。
小さな虫を食べて成長したのがあの巨大なムカデだとするなら、今の洞窟での食物連鎖は俺が頂点に君臨する形になっている。

しかしそうするとまた問題が出てくる。
ムカデがあの巨体を維持するのに必要な食料を考えると、洞窟内に生息する数はそれほど多くない。
つまりあれを当面の食料として期待することは出来ないため、他に食料を見つけるか、とっとと脱出する必要がある。
俺としては脱出を急ぐという選択を選びたいものだ。

満腹とはいかずとも空腹感は紛れたので、少し休んでから広間の中央の調査へとくり出した。
先程の遺体から手に入れたボロボロの布でいくつか松明を量産していたので、まず一本を壁際に置くことで目印とし、それを背にする形で中央へと向かう。

正直何かあるとは期待していないが、意外とこういう広間の中心地というのは水が溜まっていることが多いので、それを当てにしている部分はある。
水もあるだけあった方がいい。

暫く歩いて行くと、松明の明かりが薄らと遠くにあるシルエットを浮かび上がらせてきた。
よもや岩でもあるのかと思っていると、松明が照らし出したのは思いもかけないものだった。

正に威容という言葉が似合いそうなぐらい、巨大な人工物が俺の目の前には鎮座している。
近付いて触れてみると岩とは違うその手触りが金属だと主張していた。
炎に照らされた金属はほぼ白一色と言っていい色で構成されており、太陽の下で見たらさぞ見栄えがいいことだろう。
これだけ巨大な金属の塊となると、生半可な技術と資金では作ることは出来ないため、恐らくは古代文明に関わる遺物だと思われる。

まさか流砂に飲み込まれた先でこんな遺物との出会いが待っているとは。
カーリピオ団地遺跡に続き、またしても未知の遺跡を発見したことに少々の興奮はあるが、それ以上に落胆の思いの方が大きい。
どうせなら水の方がよかったと思うのは今の俺が置かれている状況なら当然の事だろう。

水こそ見つけられなかったが、もしかしたらこの遺物に今の状況を何とかする機能があるかもしれないので、とりあえず調べるだけ調べてみることにした。
まずは周囲をぐるりと回ってみて全容を掴んでみる。

全体的に細長いシルエットをしており、全長は30メートル程、幅は一番大きい所で15メートル程、高さは5メートルをいくらか超えているぐらいか。
丁度細長い矢じりのようなフォルムだが、見た感じでは風紋船との共通点もいくつかある。
恐らくだが、これは風紋船のオリジナルなのではないだろうか。

今砂漠を走っている風紋船も、元々は遺跡から発掘された船を基にして作られたと聞いていたため、これはその風紋船の原型なのかもしれない。
しかしそうなると、この遺物は使い物にならないな。

砂が無いこの場所では走らせることは出来ないし、そもそも出口ははるか上にあるのだから脱出には役立たない。
なぜこんなものがここにあるのか理解は出来ないが、あえて予想するなら砂漠のどこかに埋まっていたこれが流砂に乗ってこの洞窟まで運ばれ、昔はあっただろう水に流されて今の広間に辿り着いて、水が枯れると同時に取り残された、無理やり推理を重ねて考えると多分そんなところだろう。

脱出の役には立たないが、それでもこいつには利用価値はある。
今すぐに脱出できない現状では、これを宿代わりにすることで体力の回復に努めることが出来そうだ。
なにせ洞窟内は寒いぐらいに冷えているため、休息に使える密閉空間というのは非常に貴重だ。
焚火で体を温めようと思っていたが、この遺物は見た所密閉性に優れている。
内部に入り込めば体をマントで包んで寝るだけで十分暖をとれるだろう。

「よし、早速内部へと入…内部へ…内部……これ、どうやって中に入るんだ?」
思わず独り言が漏れる。
完全に未知の異物には乗り込むための入り口が見当たらないのだ。
あの白骨死体達も生前はこれを見つけたが、入り口がないために放置していたのかもしれない。
もし入り口を見つけていたらもっと人が触れた形跡があるはずだし。

とはいえ、俺はカーリピオ遺跡での経験があるため、どこかに開閉用の機構があるはずだと隈なく手探りで探すが、一向に見当たらない。
もしかしたらカーリピオ遺跡のものとは技術体系が異なるのだろうか?

ただでさえ古代の異物は仕組みが分かりにくいものが多いというのに、複数の異なる技術体系が存在しているのではあまりにも面倒くさすぎる。
いや、古代人とは言え同じ人間が使っていたのだ。
操作方法は使いやすいように、覚えやすいように作られているに違いない。

遺物の周りをグルグルと周りながら時に叩き、時に撫でたりといろいろと試し、それでも入り口が見つからないため、いよいよ破壊も止む無しかと思い始めた頃、ようやく出入り口らしき場所を見つけた。
白一色の壁の中で、僅かに灰色がかったその部分は人が出入りするのに十分な大きさがあり、入り口だと言われればそうだと思える。

ほぼ壁と一体化しているその扉を開けるのには、近くに備え付けられている開閉用の装置を見つける必要がある。
安全の観点から完全に外部からアクセスが出来ない入り口というのは存在しないもので、この古代文明ほどの技術が発展した世界ならば保安上よりも安全を優先して物が作られているはずだ。

必ずあると思って探してみると、やはりそれらしきものが見つかった。
扉の下側に細いスリットが走っており、そこに指先を入れると奥が凹んでいて丁度指をかけて引っ張るのに適した構造をしている。
グッと力を入れてそれを引き出そうとするが、流石に年月が経っているせいか、硬い感触が返ってくるだけで動く気配はない。
もしや引くのではないのかと押してみるが、これも動かず、何度か引く・押すを繰り返すと徐々にだが引く方へと動く手応えが伝わってくる。

ここは壊れるのを覚悟で腕に強化魔術をかけて一気に引っ張ってみる。
今の少ない魔力ではあまり腕力の強化も出来ないが、それでも効果はあったようで、バキンというちょっと不安になる音を立てながら開閉装置を引き出すことに成功した。

引き出された開閉装置は、以前カーリピオ団地遺跡で見たものとは共通する部分はあるが、それでも別の物だということは何となくわかる。
具体的にどう違うか説明するのは難しいが、例えるならカーリピオ団地遺跡の方は洗練された雰囲気だが、こちらの方は頑丈さを優先させた無骨さが感じられる。
乗り物という点でみれば、頑丈さを優先させるこちらの方が信頼性は持てるのは素人考えだろうか?

こちらの開閉装置もやはり補助動力としての魔力を充填させる機構が備わっており、そこへ魔力を注ぎこむ必要がありそうだ。
とはいえ、今の俺は魔力が回復しきっていないので、この補助動力を満足に動かせるだけの魔力を充填できるかは不安だ。
試しに少しだけ魔力を充填してみるが、当然ながら全く足りず、装置は依然沈黙を保っている。

とりあえず今ある魔力を全部注ぎ込むわけにはいかず、まずは魔力の回復を優先しよう。
差し当たっては、この遺物の近くで火を起こし、体を休ませて身体的、精神的な回復を促す。
可能なら水も探して、それからこの遺物の調査を再開する。

遭難している今の状況ではあるが、なんだかんだと未知の物体に触れるということに好奇心が刺激されているのは否めない。
脱出は当然急ぎたいところだが、少しだけ寄り道をしても罰は当たるまい。
僅かに胸が躍るのを覚えながら、まずは目の前に焚火を起こすために薪を組む作業に没頭する。
何よりも今は冷え込み始めたこの体を温めることを考えたい。
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