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神は言った、もう帰ると

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 人は自分とは明らかに違う存在を恐れる生き物だ。
 外見は言うに及ばず、思考に大きな違いがあれば、安心のために遠ざけるか、敵と見定めて攻撃する。
 知恵と理性を備えるがゆえに愚かさもまた持ち合わせている。

 多くの種族が暮らすこの世界では、身近にある危険へ立ち向かうために、異なる種同士であっても協力して生きていかねばならない。
 ほとんどの人間は種族の違いを過剰に意識することはないが、しかし能力や生態の違いで無視できないものというのはどうしても存在する。

 それらを個性として見るのがある種のマナーとして、この世界の人間には常識として染みついているのだが、中には自分の種族以外を亜人として見下す者もいるのが現実だ。
 決して声は多くないが、歴史上の良識人が正そうとしても今日まで根絶することのできなかったそれは、恐らく人が人である限りは決して乗り越えることのできない業なのかもしれない。

 だがそれも、今目の前で肩を組んで笑っている二人を見れば、ちっぽけな問題かもしれないと、そう思わされる。

「もー!びっくりしちゃったよ、私。あのわけわかんない膜が消えたと思ったら、まさかエスティアンが出てくるなんてさぁ」

「いやぁ、てっきりアンディから聞いているもんだと思っとったが、まさか顔を見ていきなり飛びついてくるとは、パーラは相変わらずお転婆やな」

「ちょっとぉ!誰がお転婆よ!おしとやかでいい女じゃないのさ!」

「ほれ、そういうとこやが!」

『あはははははは!』

 笑ってはるで。
 焚火の明りに照らされる二人の姿は、まるで何年も会えなかった親友同士が再会したかのようになんとも楽し気だ。
 エスティアンの手には、なみなみと酒の入った器があった。
 行軍時に士気を保つため、少量ながら携行する酒が、神のためにと先程献上されたものだ。

 ある程度狙ったとは言え、再会のタイミングが秀逸だったおかげでパーラは上機嫌でエスティアンと言葉を交わし、エスティアンもパーラのそんな態度が心地いいと、顔は見えずとも態度でありありと分かる。

 片や天界からやってきた神、片や何の変哲もない…とは言わないが、人として生まれ人として生きた少女という組み合わせは、本来なら交わることのない者同士だと言っても過言ではない。
 そんな二人がこうも楽しそうに笑うのだから、周りにいる者もついつられて笑みを浮かべてしまう。

 今この時に限っては、神と人間という大きな違いも関係ないと、尊い世界のありようが見えた気がしていた。

「…何といったらいいか、色々と予想外の事態が重なったみたいね」

「ええ、俺もそう思ってます。まぁエスティアンが来てくれて、助かった部分はありますがね」

 騒ぐエスティアン達から少し離れ、俺はニリバワに求められるままに色々と説明をしている。
 エスティアンがどういった存在なのか、どうしてここにいるのか、今後どうするつもりなのかという、ジブワへの尋問だけでは足りなかった部分を話した。

 ニリバワは儀式について俺よりもよく知っているようで、エスティアンが悪神の代わりに降臨したという話には驚きはしたものの、理解はできていた。
 儀式が行われたと感覚的に察知したディースラが、エスティアンを悪神と早とちりして襲い掛かったのだと、ディースラ自身からの弁解もあり、ここで発生した謎の多くは順調に明かされていく。

「しかし、まさかこんなところに神とはねぇ。いるとは言われてるけど、私自身、信心深いわけじゃないから今一つ信じられないってところはあったのよ。けど、こうして実際に目にすると……神ってあんな賊みたいな感じだったのね」

 人間が生きている中で、実際に神をその目で見るという機会はまずなく、こうして焚火を前にして酒を乱暴に飲む姿はさながら山賊のようで、それがニリバワにはショッキングに映っているようだ。
 パーラには酒など入っていないはずなのだが、エスティアンと揃ってハイテンションで騒ぐ様子は、破落戸の宴のようだ言われても否定はできない。

 神全員がこうではないと言おうとしたが、よくよく考えると無窮の座で見た神は大体こんな感じだったので、ニリバワの言葉を訂正する必要は全くないな。

「それで、あのエスティアン様はいつまでこっちにいるの?今回の騒動はもう終息が見えてるけど、神が降臨したとなると国も騒ぐわよ。」

 ニリバワと俺達がここに派遣されたのは、ジブワを発端とした騒動の支援が目的だったのだが、その終わりに神が現れたということは決して影響の小さい出来事とは言えない。
 国に仕えるニリバワからすれば、扱いが慎重にならざるを得ない神だけに、個人での対応に迷うレベルだ。

「まぁ長くはいないんじゃないですかね。元々パーラと会ってくのを俺が勧めて引き止めただけですし。ああしてパーラと再会を喜んで、もう満足したから帰るって今にも言いだしそうではありますが」

 エスティアンが地上に来たのは、あくまでも俺へ荷物を届けるためだ。
 それが済んで、帰ろうとしたところを俺が引き止めただけなので、今こうしてパーラと騒いでいる様子からは、楽しい時間の終わりを見据えたはしゃぎっぷりのように思える。
 無窮の座へと帰るタイミングは、エスティアンの中ではもう決まっているのだろう。

「そう…。スワラッドとしては派手に歓待して、神の降臨を内外に知らしめたいところだけど、無理そうね」

「今日明日にでも、国の偉い人がここまで来るのなら、出迎えたという体裁だけは整いそうですが?」

「首都に連絡が届いて、対応する人員を選んで送り出す。どう見積もっても十日はかかるでしょうね」

『神が降臨した国』と言う言葉の強さを考えれば、スワラッドとしては何もせずにいるわけにはいかず、国を挙げてエスティアンの歓待をしたいところだろう。
 歓待と言うのだから、相応の地位の人間が立ち会うのが必要になる。
 例えば、宗教関係の偉い人など。

 しかし、そういった人間は大抵首都にいるため、そこから呼んでやってくる距離と時間、どちらもエスティアンが帰るまでの猶予で解消するには無理がある。

 一応この地方で一番偉いワイディワ侯爵をつなぎに使うのも手だが、呼び出したとしてここに着くまでかかる時間は早くて二日。
 それまでエスティアンが滞在するかどうかが問題だ。
 だがそれも、当の神が知ったことかと動いてしえばどうにもならない。

「…さぁて、パーラとも十分話したし、そろそろワイは戻りよらぁわ」

 エスティアンは手にしていた器の中身を一息に飲み干すと、俺とパーラへ視線を寄越してから帰還を口にした。
 パーラと会うという目的も果たし、もうやることはないとばかりに早速立ち上がるエスティアンに、真っ先に反応したのはパーラとニリバワだった。

「えー?もう帰っちゃうの?もうちょっといてもよくない?」

「そ、そうそう!もう少しいらっしゃってはいかがでしょう!?今、我が国の者がエスティアン様を歓待すべくこちらへ…」

「いやいや、あんまり長居するとガルジャパタ殿の小言が増えそうだ。それと、ワイはちくっと寄っただけだで、歓待などいらんよ。気遣いはせんでぇ」

 純粋に別れを惜しむパーラに対し、何とかエスティアンを持て成した実績を残したいとするニリバワ。
 今この場にいるスワラッドの人間では一番偉いのがニリバワである以上、神を引き留めるのに彼女が一番必死にもなろうというもの。

 ジブワ達の侵攻という、スワラッドにとってマイナスしかなかった事件の中、突如降ってわいた神の降臨。
 これを奇貨としたい気持ちがよく伝わってきた。

 どうにかもう少し引き留めたいニリバワは狼狽しながら俺へ何かを求めるような目を向けてくるが、それに対して俺は首を横に振るしかできない。

 エスティアンには人間側のそう言った目論見など関係なく、ああ言った以上、彼女は自分の事情で天界へ戻るだけだ。

「ほいじゃあアンディにパーラ、二人とも達者でやりぃや。次があるかは分からんが、また会えるとええな」

「ああ、そうだな」

「そっちも元気でね…って言うのも変か」

「別に変でもなか。神だろうと元気にやるのが一番だがや。じゃあの」

 預かりものの返却という機会がなければ再び会うことはなかった相手ではあるが、別れの挨拶は特に特別なものではなく軽いものだ。
 湿っぽさとは程遠い別れの挨拶を交わすと、エスティアンの足元に濃く黒い影が生まれていく。

 夜の中にあってもはっきりと見える影は、エスティアンが無窮の座でも使っていた、空間を飛び越える際に発生していた現象と酷似している。
 神同士が持つ領域間を行き来するのに使われていた移動手段であるのなら、あれで天界へと戻れるのだろう。

「あ、待っ―あぁ…」

 何の音もなく足元へ沈み込むようにしてエスティアンの姿が消えると、最後までどうにか引き留めようと悩んでいたニリバワが切ない声で手を伸ばす。
 最早影もない地面へ向けて名残惜しそうに眼と手を向けるニリバワの姿には、願いが欠片も叶わなかった無念さがよく表れている。

 ニリバワの落ち込みっぷりは見るに忍びなく、これはしばらくそっとしておこう。

「…ふぅ、やっと去ったか」

 そんな中、今まで妙に静かにしていたディースラが、疲労の感じられる声を吐いた。
 流石にドラゴンと言えど神を前にしては大人しくもなるのか、何やらエスティアンと二人で話をしてからは借りてきた猫状態だったが、そのエスティアンが去ったことで、今は清々しさと苦々しさが半々といった顔をしている。

「そう言えばディースラ様、なんだかエスティアンがいたら居心地悪そうだったけど、なんかあったの?」

 思ったことをズバっと聞けるのはパーラの言いところであり、怖いところだ。
 それはドラゴン相手でもお構いなしで、不機嫌になりそうな理由を吐かせようという度胸は大したものだろう。

「何もなかったとは言わんが、大したことではない。ただ、あれを前にしていつも通りに振舞えるほど、我も気が大きくはなかっただけのこと」

 ドラゴンを委縮させるとは、一体ディースラにとってエスティアンはどんな存在だというのか。
 ただ神というだけで、プライドの高いディースラがこうなるのは少し意外だ。

「それに、お主らと話す時間を楽しんでいるところに、我が割って入る理由もない。大人しく見えてたというのなら、気を使っていたと思えばよかろう」

「なぁんだ。私、ひょっとしてドラゴンと神って仲が悪いのかなって思ってたけど、そんなことはなさそうで安心したよ」

「ほう?パーラよ、なぜ我らの仲が悪いと思ったのだ?」

「え?だってどっちも私らよりもずっと高い位階にいる存在だし、そういうのって顔を合わせたら戦わずにはいられないんじゃないの?実際、衝突したみたいだし」

「なんだ、その物騒な論理は。あの衝突はあくまでも誤解から生じたもので、我もあの神もそこまで戦闘狂ではないわ」

 パーラの理論を押すわけではないが、共に強大な力を持つ者同士、全く無視するということは難しく、近しいところにいれば争いになっていてもおかしくはない。
 幸い、神は基本的に無窮の座におり、下界にはめったに降臨しないため、ドラゴンから積極的に喧嘩を売ることもなかったのだろう。
 なにせ、人よりも強大で賢い生き物なのだから、人間のような訳のわからない理由で戦いを引き起こすなどまずありえないしな。

「あれのことはもうよかろう。それより、ジブワらがこうして捕まった以上、此度の騒動もそろそろ集結となる。今後のことについて少し話しをしようではないか」

「それは構いませんが、ニリバワさんがあの通りでは…」

 一応、俺達はニリバワをトップとしているため、この後のことで話をするなら彼女を外すことは出来ない。
 チラリと視線が向くのは、未だに肩を落としているニリバワで、俺達が揃って見つめてもリアクションがない程度には、立ち直るにはもう少し時間がかかりそうだ。

「…国益のためにというのは、なんとも面倒なものだな。まぁよい、そういうことなら今はそっとしておけ。グルジェはどうしておる?」

 項垂れる姿が見るに堪えないのか、頭を振ってニリバワから目をそらしたディースラが、グルジェの行方を尋ねてきた。

「グルジェさんなら、ジブワ達のところです。最後の最後に、少しだけ話をしたいそうなので、今は一人で見張ってもらってます」

「最後か。まぁジブワ達はどうせ全員が処刑だ。その前に同族同士だけで話の一つでもあってもよかろう」

 今回ジブワ達のしでかしたことを考えれば、捕縛された後の処遇としては速やかな処刑が行われるはずだ。
 それも恐らく、ワイディワ侯爵が直々に取り仕切る形でだ。

 本来なら隣国の人間、それも五究剣という地位にある者を処刑しては外交問題にもなりそうだが、幸いにしてジブワは連合を出奔しているため、その辺りの名目はどうにでもなる。

 むしろ、ここで国同士の関係を考慮してジブワ達を犯罪者として他国へ処断を委ねれば、スワラッドの民は自国への不信を大きくしかねない。
 ワイディワ侯爵としても、ジブワを手早く処刑して領民に事件の終着を知らしめることこそが、領主として、また国境の安全を守る貴族としての正しい姿だ。

 その中でも、主犯格と言っていいジブワの処刑ともなれば、大々的に行われるはずだ。
 それが個人の名誉を傷つけるものになるかは侯爵次第だが、その前に同じ部族の者としてグルジェはジブワに言っておくべきことでもあるのかもしれない。

 一応、グルジェがジブワに情を抱いて逃がすという可能性もゼロではないが、戦いの際に見せた激情を思えば、まずないと考えていいだろう。
 余人を挟まずと希望した以上、下手に聞き耳を立てるのは気が引けるため、パーラに頼んでその会話の内容を拾うこともしたくない。

 とはいえ、一体何を話すのか気にはなるのを抑えきれないため、万一に備えるという名目でグルジェ達の方へと気を配るぐらいは許してもらおう。
 あわよくば、風に乗って会話の一部でも聞こえてきたら御の字だが、まぁ期待はするべきではないな。






 SIDE:グルジェ


 許可をもらい、こうして面と向かってジブワの前に座り込んでどれだけ経ったか。
 二人きりになってから、お互いに言葉もなく見つめ合うだけだが、それでも間にある空気は悪いものではない。

 ついさっきまでは本気の命の取り合いをしていた身でありながら、戦いを離れればその時の感情を収めることができるくらいには、僕もジブワも戦士としての心構えは出来ている。

 現実として、もうジブワ達の死は覆せない所まできている。
 流れを同じくする家の者として、このジブワのしたことは、もし何かの巡りが違っていれば、僕が辿っていた道なのかもしれない。
 運命の悪戯とやらがあったとすれば、ひょっとしたら今こうしている立場も逆転していたのだろうか。

 終わったことをもしもと語るのは無駄なこととはいえ、同族のこの姿を見て何も思わないほど、僕自身、達観してはいない。

 ふいに、篝火にしている薪が、パチンと音を立てて爆ぜた。
 まるで沈黙を嫌ったかのように響いたその音をきっかけに、僕の口から言葉が出ていく。

「今更言うまでもないかもしれんが、数日後にはあんたは首だけになる。しでかしたことがことだけに、当然だとは理解しているか?」

「当たり前だ。目的があったとはいえ、村一つ、戦えない人間も含めて全て殺したんだ。処刑しない理由があるかよ。誰だってそうする、俺だってそうする」

 手足は縛られながらも、こちらを見る目には些かの曇りもないジブワは、この後に自分の身に起きることを正しく理解し、そして運命と受け入れることに不満もないようだ。

 他の連中は未だ夢の中だが、もしもあの老人達が起きていたとしても、恐らくジブワと同じ態度を見せていたはずだ。
 長年尽くした国を捨てたのは、相応の覚悟があってのこと。
 負ければ名誉無き処刑が待っていることも、当然理解していたに違いない。

「…それだけの覚悟があるなら、もっと他の道は選べなかったのか?」

 既に死を約束されているからこそ、僕の頭の中にはジブワが違う運命を辿っていればという可能性を悔いてしまう。

 五究剣となるには腕っぷしだけではなく、為人もまた選考の基準となる。
 僕達戦士には、正しい心にこそ真の強さは芽生えるという考えがあり、その点からすれば五究剣にまで選ばれたジブワが今回の事件を引き起こしたことは、ラーノ族でも決して少なくない人間に衝撃を与えていた。

「儀式こそが俺の目的だったと言ったろ。他の道など、あり得ないね」

 何の逡巡もなくそう言ってのけるジブワは、既に済んだことに後悔などなく、今の姿をも否定しない潔さがあった。
 しかし、どうやらジブワは儀式への深いところでの認識が僕とは大きく違うらしい。
 まあこれに関しては、僕もディースラ様から明かされた事実があってのことなので、仕方がないことではあるが。

「その儀式だが、僕達の家に伝わっていた伝承が不完全だったということはもう分かっているか?」

「まぁな。あのエスティアンとかいう神がご丁寧にも説明してくれたからな」

 そもそも失敗していた儀式だと、神の口から保証されては疑う理由もなく、ジブワも渋い顔で僕の言葉に同意を示す。

「呼び出されるべき悪神がもう既にいないというのはともかく、必要な血液が足りていないまま儀式を行えば、ここいら一帯は消し飛んでいたんだ。そうなれば、連合とスワラッドに恨みの種を残すことになっていたぞ。まさかそれを望んでいたわけでもないだろう?」

 ワイディワ侯爵領に攻め込んできたラーノ族が、広範囲に破壊をまき散らしたとなれば、連合に対するスワラッドの関係性は最悪となり、下手をすれば本格的な戦争の切っ掛けにもなっていたかもしれない。
 聖地を求めての騒動などとは比較にならない、深刻な事態へと発展するのも十分考えられる。

「俺は確かに国を捨てた身だが、だからといって古巣が戦争になるってのを聞いてなんとも思わないほど薄情でもねぇ。失敗が確実だったとしたら、儀式はやらなかったさ。…そういえば、お前は儀式が失敗するってのをあの神から聞いても、あまり驚いてなかったな?」

「ああ、僕はディースラ様から事前に失敗すると教えられていたからな」

 神の口から改めて聞いて驚きはあったが、それでも先に知っていた僕の受けた衝撃は、初めて知らされたジブワよりも小さかったはずだ。

「ちっ、じゃあ俺はとんだ間抜けだったのかよ。失敗する儀式に突っ走って、さぞかし滑稽だったろうな」

「さて、滑稽かどうかはともかく、今回の騒動は愚かな判断だったとは僕は思うがね。あんた、国に残してきた弟の立場を考えたのか?」

「…あれはもう家を継いだ立派な大人だ。国を離れる際、俺の方から縁は切った、今では赤の他人だ。今回の件での支援も黙認もしないと、お前らも話ぐらいは聞き出してんじゃねぇのか?」

「確かに、一度は疑われたが、話を聞いてそれも晴れた。だが、かなり落ち込んでいたみたいだぞ。まぁこれは聞いた話だがな」

 ジブワには年の離れた弟がいる。
 元々、家を継ぐのはジブワだったのだが、五究剣に選ばれてからはそちらに注力すべく、家督は弟へと譲っていた。
 兄弟仲は悪くなく、ジブワも弟を随分可愛がっているというのは少し見れば十分に分かった。
 もう随分前になるが、ジブワが妻と娘を流行り病で亡くしたことで、一層弟への愛情が深まったと聞く。

 先程の戦いで儀式にこだわっていた理由をジブワは話したが、弟に家督を継がせたことで、儀式を次代へ伝えるためだけの役割を負わせた負い目のようなものがあったのかもしれない。

 ジブワ達がラーノ族を離れる際、残される親しかった者達には当然疑いの目が向けられる。
 直接部族に被害があったわけではないが、ワイディワ侯爵領へ向かった以上、騒動は避けられないと判断したお偉方は、出奔した者達の肉親から友人までに余さず尋問を行った。

 結果として、ジブワ達は同行した者以外には協力を求めていなかったことが分かって疑いは晴れたが、それでも部族内で反目の芽を残したことには怒りと困惑を抱く者も少なくない。
 ジブワの弟もその一人だが、彼の場合は何の相談もなく行動に出た兄に対して、裏切られたという思いで半ば自失気味のようだった。

 弟が落ち込んでいたと聞き、これまで比較的穏やかだったジブワの顔が明確に歪む。
 儀式こそが全てだと、他はどうでもいいという態度を見せていながら、こうして弟の話を聞いて表情を変えるあたり、ラーノ族に対する思いはまだ強そうに思える。

「そういう顔を見せるってことは、色々とまだ未練はありそうだな」

「なにをバカな…」

 図星を付けたかどうかはわからないが、歪んだ顔のままのジブワを見るに、後悔や無念といったものがようやく見えた気がした。
 二国を巻き込んだ騒動を起こしながら、全てが終わって死を待つだけになった途端に達観した態度を見せたジブワを、僕はどうにも気に入らなかった。

「未練が抱けるってのは幸運だな。それだけ死までの猶予があるんだから。だが、あんたらが殺した村人達は、そんな暇もなかったんじゃないか?その無慈悲な行いの報いが、ようやく来たようだぞ、ジブワ」

 多くの命を奪い、不幸を生み出したジブワ達は、穏やかな死を迎えるなど許されるはずがない。
 正しく戦士としてあり続けたジブワならば、自責の念の中での処刑こそが相応しいのだ。
 本当なら僕のこの手で殺したいところだが、ここは侯爵の領地であり、その侯爵が民の眼前での処刑を望むとなれば、勝手に殺すのはまずい。

 今回の騒動で、僕達連合はワイディワ侯爵をはじめとして、スワラッドにかなりの迷惑をかけた。
 今後のことを考え、処刑を向こうに任せることで、幾分なりとも関係の改善に繋がることを期待しよう。

「報い、ね。そんなのがあるとすれば、ちっと遅かったんじゃないか?俺はまだ生きてるぜ」

 俯き気味だったジブワが、絞り出すようにつぶやく。
 弟のことを引き合いに出されたことへの意趣返しか、中々の憎まれ口だ。
 どうせ先が長くない以上、殊勝な態度に出る必要もないとはいえ、流石は五究剣にまでなった男だけあり、この状況で吐く言葉にしては威勢もいい。

「だがもうじき死ぬ。あんたも、率いてきた仲間も全てな」

「…ふんっ」

「でだ、その前に聞いておかないといけないんだが、あんたの後の五究剣に誰か推す者はいるか?」

「あん?俺の後にって、今更なんでそんなこと……あぁ、なるほど、お前がここに来た目的の一つがそれか」

「察しがいいのは楽で助かるよ。その通り、爺様達はあんたの五究剣としての地位剥奪を決めたはいいが、次に誰を据えるかで何もかもが止まってるのさ」

 僕がニリバワに頼み込んで、こうして二人だけで話をさせてもらっているのは、ジブワが死んだ後に空く五究剣の席について聞くべきことがあったからだ。

 実を言うと、僕らがはるばる他国までジブワを追ってきたのも、討伐が目的なのは勿論として、それ以外にも五究剣の後任を決めるという任も帯びていた。

 五究剣はラーノ族でも武芸に秀でた者の中から五人が選ばれる、非常に名誉な身分であり、その影響力は連合内の他の部族も無視できないほどの存在だ。
 その五究剣も、人である以上永遠に生き続けられるわけもなく、代替わりをする時が必ずくする。

 通常であれば、現役の人間が後継を指名するため、大抵は事前に周囲へ次は誰を推薦すると話したりしているのだが、過去には急死や失踪などでもそういった準備がないままに五究剣の席が空いて、部族内で大きな争いに発展しかけたこともあったらしい。

 そのため、五究剣の選出は厳格な定めを外れることは許されず、意思を確認できない場合を除き、現役の五究剣からの指名が絶対に必要だというのが、ラーノ族の中では掟となって残された。
 つまり、現役の人間が生きているのなら、何をおいてもまずは後継を決めさせるべく話をするのが筋であり、そして欠かせない手順なのだ。

 今の五究剣はいずれも壮健で、まだまだ代替わりなど先の話だったのだが、ここでジブワが国を出て他国で事件を起こしたため、ジブワの五究剣の地位を剥奪することが部族内で決定していた。
 そうなると、ジブワの抜けた穴を誰に任せるかという話になるのだが、ここで問題となったのが五究剣の選出方だった。

 しでかしたことを考えれば、ジブワを死んだものとして扱って次の五究剣を選べばいいのだが、なまじ長く続けられてきた選出方だけに、長老格の老人達はそれを変えたという前例を作るのを嫌っている。
 変化を恐れる老人の小心、あるいは脈々と続いてきたものを途切れさせる恐怖からか…。

 視野が狭くなっているくせに立場だけは無駄に高いせいで、柔軟さを欠いた対応のもどかしさに泣くのはいつだって若者なのだ。

 そんな老人達だから、『ジブワが生きているのならば説得なり張り倒すなりして、五究剣の後継を吐かせたらいい』と、僕達が送り出された。
 なんとも大雑把な話だが、長老格から命令が下って断れるほど僕は偉くないせいで、こうしてここにいるわけだ。

 ジブワの口から後継を引き出すもよし、殺して意志を確認できない状態とみなし、次の五究剣を指名する場を開く契機とするもよしと、そう考えたらしい。
 このあたり、僕達が殺されるということをまったく気にしていない判断だが、老人達にとっては僕達の命などその程度だということだ。

 老人の我が儘に若者が走らされる。
 酷い世界だろう?

 結果として、ジブワは生きたまま捕縛したので、これで後継を彼の口から言わせれば、僕達の目的は全て達成したことになる。
 もっとも、ここでジブワが後継を指名しないとなれば面倒な話になるのだが、この状況にあって無駄に嫌がらせをすることはしないと思いたい。

 こんな結末になったが、ジブワも今回の事件を起こす前までは五究剣としては恥ずかしくない振る舞いをしてきた男なので、潔く口を割ってくれることを期待しよう。

「俺の後継ねぇ。特に誰ってのは考えてなかったし、こんなことになったからとっくに俺の次の奴は選ばれてるもんだと思ってたが…。相変わらず、長老連中は融通が利かねぇな」

「融通云々は同意するが、そもそもあんたが事件を起こさなければ上がってこなかった話だ」

「どの道いつかは起きる話だろ、次の五究剣は誰だってのはよ。ま、俺がこうなったからそれが早まったってのは確かだし、それで派遣されたお前はたまったもんじゃないな」

「そう思うなら、さっさと後継について話してくれ。処刑される前に、あんたの口から聞く僕の気遣いぐらい、分かってくれると思うが」

「…そこんところを黙ったまま死ぬのも面白いが、まぁいいだろう。とはいっても、俺も別にこれと言える奴は知らねぇしな。強いて言えば…くっくっく」

 考えも苦仕草を見せたジブワが、すぐさま悪巧みでも思いついたようないやらしい笑い声をあげる。
 その様子から、きっとろくでもないことを口にするのだろうと警戒してしまう。

「何を笑っている?」

「いやなに、ちょっとおもしろいことを思いついてな。俺の後継だが…さっき俺と戦ったあいつ、アンディだったか?あれを次の五究剣に推すね」

 心底愉快だという具合に吐かれた言葉に、僕は一瞬言葉を失くしてしまう。
 こいつ、正気か?

「バカな!アンディはラーノ族ではない!優れた戦士であったとしても、彼を五究剣になど…部族の者が認めないぞ!」

「おいおい、後継を指名する先が、なにも部族の人間だけとは決まっていないはずだろ?」

「だからと言って…っ」

 確かに、ジブワの言う通り五究剣の選出は必ずラーノ族からとは決まっていない。
 だが、今日まで五究剣はすべてラーノ族のみで構成されてきた。
 普通に考えれば、ラーノ族の誰かを推すべきだろうに。

「お前の言うこともわからんでもない。実際、そうするなら、頭の固い年寄りどもが邪魔してくるのが目に見えてる。だからまぁ、アンディを後継にってのは冗談だ。ただ、そうだな…真面目な話をするなら、俺としてはグルジェ、お前でもいいぞ?」

「…は?僕を?」

 一瞬、何を言われたのか理解するのに間が開いたが、その意味が浸透してくるにつれて、背筋に走るものと肩にのしかかる重さを感じた。

「悪くはないと俺は思うがな。さっき戦った感じだと、槍の腕なら五究剣を名乗るには十分な実力だろうよ。お前、今いくつだ?」

「二十六だが…」

「ふむ、ちっと若いが、なくはない。大丈夫だろう。ってことで、五究剣に相応しいと認め、グルジェを俺は推薦はする。後は長老共の判断次第だが、俺を大罪人として、この推薦を握り潰すのならそれはそれで一興だな」

「まさか。流石にそんなことはしないだろう」

「どうかな?長い歴史の中で、初めて五究剣が国を出奔したんだ。長老連中はそれを汚点として、なんだかんだと文句を付けそうだ。ま、後は俺の知ったことじゃないし、次の五究剣として、お前ががんばれ」

 ジブワの中ではもう僕が次の五究剣として決まっているようで、からかうような口調の中に、こちらを気遣うようなものも感じられる。
 恐らく、国へ戻った後に僕に訪れる騒動を予想してのものだろう。

 他国まで赴いて五究剣という強大な戦士を下し、身内の恥を雪いだ僕達の功績を考えると、称賛されることは間違いない。
 だが、今回の事件を起こしたジブワから直接推薦を受けたという僕への風当たりは、果たして穏やかなものになるかは疑問である。

 罪人となったとはいえ、五究剣は決して軽い存在ではなく、その推薦を受けてしまった僕は、帰国したその時から面倒なことが待っていると決定した。
 できれば推薦されたことを黙ってしまいたいところだが、この件に関して僕達は虚偽・秘匿の禁という掟で縛られている。
 これを破ると死後の世界で永遠に苦しむとされているため、従わないという選択肢はない。

 あれこれと考えたが、長老達による何らかの理由づけで僕の推薦が無効とされる可能性は僅かなりともある以上、全ては国に戻ってからの話だ。

 それにしても、まさか僕が五究剣の候補になるとは、意外だった。
 自分自身、強さには自信はあるが、五究剣にとなると、年齢のこともあってまだまだ先のことだと思っていた。

 よもやこの年で五究剣への道が開かれるなどと、嫁達になんて言うべきか。
 きっと喜んでくれるとは思うが、また一緒に過ごせる時間が減ってしまうことを申し訳なく思ってしまう。
 本音を言えば、五究剣などならずに家族と穏やかに暮らしたいところなのだが、世の中とはままならないものだな。

 あぁ、世の中がこんなに面倒なら、いっそ追放されて辺境の地で農業でもやって静かに暮らしたい…。
 無理だろうけど。



 SIDE:END
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