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超常の激突

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 ジブワ達が潜んでいた場所に俺達が襲撃をかけ、生き残っていた敵を全員縄で縛り上げた頃には、辺りはすっかり夜の顔を見せていた。
 あちこちに用意された篝火に照らされながら未だ眠り続ける老人達は、ともすればこのまま息を引き取ってしまわないかと、見ている側が不安になるほどの熟睡っぷりだ。

 エスティアンが言うには、無理やりにでも起こそうと働きかけない限り、朝までは眠り続けるそうだ。
 捕虜の管理の手間を考えれば、大人しく眠っている状態がこちらにとっては楽でいいのだが、数十人の老人が一か所に集められて横たわっている光景は、死体が打ち捨てられているようにも見えて少し怖い。

 ただし、今回の騒動の首魁であり、集団を率いていたジブワだけは色々と聞きたいことがあるため、一人だけ先に起こされて、ニリバワとグルジェによる尋問が先程まで行われていた。

 俺はジブワが起きた直後以外は尋問に加わっていないのでその内容までは分からないが、淡々とした様子のニリバワに対し、歯を剥いて睨みあうグルジェとジブワの間では相応のやり取りがあったに違いない。

「―で、俺とパーラは魔術の使い方を一から身に着けるぐらいの手間がかかってるってわけだ」

 戦場の片付けや整理に忙しく動く人達を横目に、俺はエスティアンに今日までの出来事や、今この身に起きて異常などについて語っていた。

 別にサボっているというわけではなく、ニリバワ達も今はやることも山積みであるため、エスティアンが神だということを知ったうえで、唯一面識のある俺に応対を丸投げされただけの話だ。
 ニリバワ達も神を信じていないわけではないが、いきなり神と言う存在が目の前に現れては、どう対応したものかと戸惑いがあるのだろう。

「それは災難だったとしか言えん。お前さんらの肉体を作ったのはガルジャパタ殿だが、あの方がそういう風に手を加えてしまったのなら、もうどうもできにゃあが。意外と大雑把な方だし、魔術を不足なく使えるようにと考えたせいで、そういう細かいところには気が回らんかったんだのぅ。あっちに戻ったら、ワイから言っておくわ」

「言ったら俺達の体の異常も治るか?」

「無理だ。見たところ、幽星体と肉体はもうしっかり結びついておる。今から手を加えるのは危険だで」

「やっぱりか」

 大地の精霊もそんなことを言っていたので、もう諦めてはいたが、それでももしかしたらという思いで口にした希望も砕けてしまった。
 やはりこの体はもうずっとこのままになるか。

 もっとも、最近は練習と研究の賜で魔術の暴走も大分抑えられるようになっており、一時のような極端に魔術の使用を恐れていた俺はもういない。
 肉体を以前のものに戻すというのも、叶うのならという程度で、あまり期待はしていなかったため、それならそれで構わないという程度だ。

「それにしても、よく下界に降りられたな。確か、力のある神はそうそう下界に来れないって聞いてたが」

「いや、本当ならワイではなく、こっちに来る機会のある誰かに荷物を託すつもりはずだったでな。ところがたまたま門が開いたもんで、そこにワイが無理矢理飛び込んだっちゅうわけだ」

「ってことは、あんたが来るのは予定外ってことか?それっていいのか?」

「よくはない。多分、座に戻ればガルジャパタ殿から小言を貰うことになりゃあが」

 遠くを見つめるエスティアンの目は、見覚えのあるものだ。
 家を出掛けに悪戯をして、家に帰れば母親に叱られるのが分かっている悪ガキのような、と言えばわかりやすいか。

 どうも今回の下界への降臨は、正規のルートとは違う上にエスティアンの独断とも言え、寛容さを持ち合わせているガルジャパタといえど、何も言わないで済ますということはしないようだ。
 考えてみれば、あの短い期間と言えど滞在していた無窮の座には、ガルジャパタという大きな存在の下で確かな秩序があった。

 誰もが老いず死なず、飢えず餓えずの永遠の安らぎの中にあるからこそ、ルールというのは尊重される。
 下界に降りるのにも制限があるのを、エスティアンはたまたま門が出来たからというだけで、それらをすっ飛ばしてやってきてしまった。
 罪だとは言わないまでも、他の神や精霊達に示しがつかないといった感じに、ガルジャパタからの苦言はあるに違いない。

 神同士のことなので、俺からは大した助言は出来ないが、せめてもの手向けに地上で最も美しい土下座の作法でも伝授してやろうかと思ったその時、夜の闇を割くような轟音が響き渡った。

 雪崩や雷雲が目の前まで迫るがごとき圧を伴ったそれは、この場にいる誰もの耳に届き、ちょっとした恐慌を作り出す。
 ある者は新たな敵かと武器を手にして身構え、またある者は想像力が齎す恐怖からその場で蹲りと、誰一人として平然としている者はいない。

 勿論俺もその一人で、むしろ最近聞いたことのあるその音の正体に気付いているがゆえに、混乱は他の誰よりも大きいと言える。
 唯一の例外としてエスティアンは何事もない様子だが、こいつは神なのでそんなもんだろう。

 あらゆる動物の咆哮が混ざったかのような、聞く者の精神を削るような恐怖が籠ったその音から少し遅れ、暗闇の向こうで巨大な何かが動いているのが分かった。
 視力を強化してみるも、辺りにある篝火と今日の弱い月明かりでは全容を照らすには足りず、しかしぼんやりと判別できる巨大さは流石と言うしかない。

「ほう、こんなところに海竜とは珍しい」

 暢気な口調でいうエスティアンには、どうやら暗さなどないかのように見えているようで、その言葉から俺の推測は当たっていたと確信する。

 確かな姿は見えずとも、こちらに向けて放たれるプレッシャーは間違えようもない。
 あそこにいるのはドラゴンの姿になったディースラだ。

 先程の轟音もドラゴンの咆哮であると、一度聞いたことのある俺の耳が判別している。
 しかし、彼女はなぜドラゴンの姿になり、さらには怒りに染まったかのような威圧感を全方位へ巻き散らしているのか。

「…ふむ、もしやワイを狙っているか?」

 突然現れたディースラにどう対処するべきか迷う中、エスティアンが不思議そうにつぶやく。
 ディースラの視線が向く先から、狙う矛先が自分だと気付いたようだ。

「狙われるってあんた、ディースラ様となんかあったのか?」

 ディースラは恐るべきドラゴンだが、常に四方八方に敵意を振りまくような奴ではない。
 だが今のディースラは、恐怖の象徴のドラゴンに相応しい威圧感を放っている。
 今日までの付き合いで知ったディースラの為人からすれば、その威圧感がエスティアンに対するものだとしても、何でもない相手にそうするのは考えにくい。
 神と知っての何かからとすれば、また話は違うのだろうが。

「あのドラゴンはディースラという名か。さて、ワイは初対面のはずだが、向こうがどうだかまでは分からん。少なくとも、下界でドラゴンに喧嘩を売られるいわれなどないと思うとるが…いかんな、来るぞ。アンディ、少し下がっとれ」

「え」

 ディースラに何かの動きがあったのか、エスティアンが纏う空気が緊迫感を孕んだものへ変わる。
 それと同時に、先程響き渡った轟音と同じような、しかし明らかに攻撃の意思が籠っていると分かる咆哮を上げながら、ドラゴンの形をした影がこちらへ急速に接近してきた。
 すぐに篝火の範囲に入ったことで、ほんの一瞬、明りに照らされたドラゴンの咢が、エスティアンを食い殺そうと迫っているのが見えた。

 神とドラゴン、二つの超常がぶつかる音はなんとも例えがたいものだ。
 まるでこの星が崩壊する悲鳴のような、とてつもない音と衝撃が近くにいた俺の体を叩く。

 あまりにも一瞬のことで、下がれというエスティアンの警告に従う暇もなかったが、足元の土を盛り上げて何とか自分の体だけを守るのは間に合ったと、そう思っていた。
 ところが俺の土の壁など二人の激突の余波であっけなく崩れ、突破してきた衝撃波で俺は優に五メートルは後方へと吹っ飛んでしまう。

 背中が地面を削りながら、なんとか視線だけはエスティアンの方へと向けている俺の目には信じがたいものが映った。
 ナイフのような牙で今にも相手に噛みつこうとするドラゴンと、それに片手を向けて目に見えないバリアでも張っているかのように押し留めているミノムシのような神という、化け物同士の膠着状態と言っていい状態だ。

 そんな神話のような光景を前に、ただでさえドラゴンと神の衝突に怯えていた人間側には、腰を抜かす者が続出している。

 辛うじてまともに立てているのは、ニリバワやグルジェを筆頭とした、精神的にも肉体的にも確固たる強さを持つ者だけだ。
 もっとも、そのニリバワ達もただ立つだけで動くことができないのは、目の前で起きている衝突が自分達と桁違いのレベルでのものだと理解できてしまっているからだ。

 その証拠に、武器こそ手にしているがその切っ先は地面へ向けて垂れており、それはディ―スラとエスティアンのどちからに万が一にも敵対行動と悟られないようにと考えてしまっているからだろう。

『なんたる力…っ!よもやあの程度の量の血で出てきよるとは!それほどまでに大地を怨嗟で満たしたいか!qpfgm&wよ!』

 初めて聞く憎悪に染まったディースラの声は、エスティアンに向けられているにもかかわらず、離れた場所にいる俺すらも漏らしそうなほどに凄味がある。
 最後のは何かの名前を口にしたようだが、共通語に混ざっていたそれは人間の耳では聞き取れない発音と言うやつなのだろう。

「こらこら、待て。ちくっと落ち着かんか、海竜の娘。ワイはqpfgm&wじゃなか。エスティアンち言う神だ。儀式で呼び出されたのはそうだが、お前さんが思っているのとは違うで」

『我を謀るか!その姿はエスティアンとやらの神より奪ったのであろう!?なんともおぞましきその性たるや!』

 薄々そうではないかと思っていたが、やはりディースラはエスティアンを儀式で呼び出される悪神と勘違いしているようだ。
 よっぽど頭に血が上っているのか、エスティアンの言葉すら頭から疑ってかかっている様子から、この分だと説得は難しそうだ。

 ギシギシという音が聞こえてきそうなほど、咢を閉じんとさらに力を込めながらも、追い詰められているのはディースラのように思えるのはなぜだろうか。
 まるで、今ここで仕留めなければ全てが終わると、そう己に言い聞かせているからこその迫力かもしれない。

「いや、だからワイは……こらあかん、面倒だ。おい海流の娘、今から気付けをするで、一先ず死なんように気張りぃや」

『なにを―』

 この世の全てを諦めたような、聞く者の耳すらも地に着きそうなほど重いため気を吐いたエスティアンは、徐に空いている左手を大きく振りかぶる。
 拳を握って背後へ回された手には、次の瞬間、どこからか湧いて出てきた霧が纏わりつきだし、あっという間にボクシングのグローブを象るかのように左手は完全に白い靄に覆われた。

 それは巨大な拳だった。
 霧を集めて形を作っただけと思うなかれ、魔術師としての俺はその集まった霧が莫大な魔力を帯びていることを感じ取れた。
 あえて形容するなら噴火寸前の火山のような、決して太刀打ちしようなどと考えることすら起きないほどに、途轍もない魔力があの左手には込められている。

「気をしっかり持てよ、海竜の娘。ワイの拳は天すらも衝くぞ」

 大きく後ろに引かれた左手に纏われた霧が、弾丸のような速さでディースラへと放たれた。
 そのままドラゴンの鼻先へとぶつかった霧の塊は、そこを起点にしてディースラの巨体を包むようにして広がり、さながら白い極太なレーザービームがドラゴンを飲み込んでいるようでもある。

 音が消えるという表現が、これほどまでに正しい光景というのは一生にあと何度見れるだろうか。
 夜にあっても篝火を受けてほの白く輝くような霧は幻想的ではあるが、そこから発生した爆風と轟音はとても穏やかとは言えず、地面に倒れたままだった俺の体をさらに後ろへと転がした。

 余波でこれほどの影響があるとは、やはり神の力と言うのは伊達ではなく、俺が持つ最強の威力を誇るレールガンもどきですら霞むほどの威力の攻撃だったと言える。

 霧のビームは数秒ほどディースラの体を包むと、すぐに晴れるようにして消えていき、あとに残っていたのはぐったりとして横たわるドラゴン形態のディースラだった。
 手足がピクリピクリと動いていることから、とりあえず生きてはいるようだが、起き上がる気配はない。

 一見するとダメージなどないようにも見えるが、ところどころに鱗が砕けたと思われる痕が見られ、そのことからあのディースラが傷を負ったという事実に俺は衝撃を隠せない。

 この世界でも破壊の難しい物質の最たる物に数えられるドラゴンの鱗が、よもや傷がつくどころか砕けるとは、まず恐ろしさを覚える。
 先程のエスティアンの攻撃は、特別な準備や長い溜めなども必要としていなかった。
 ということは、エスティアンにとってディースラは簡単に傷をつけられる相手、つまり格下の存在ということになるのではなかろうか。

 神なのだから地上の生物よりも格上はおかしくはないが、まさかあののほほんと茶を啜る方言丸出しのミノムシ女がここまでの力を持つとは、二重に驚いてしまう。
 侮っていたつもりはないが、ここまで力を見せつけられると、この後の接し方にも影響しそうだ。
 アレが自分にも向けられるかもと想像すると、背筋どころか全身が震えてくる。

「おーう、どうやら生きとるようだで。どうだ、ちぃとは頭は冷えたったかいの?」

 こちらの驚きなど意に介すこともなく、どこか楽し気にも思えるエスティアンの声がディースラへ掛けられる。
 そこには先程の攻撃では死なないという信頼があるのか、怪我の心配をするような色は一切含まれてない。

『…あぁ、すっかり……と、な。これは確かに、彼奴めの力では…ない』

 その顔からは、少し前まで漲っていた戦意が失せており、あの怒りに支配されていた荒々しさはもうない。
 どうやら、エスティアンはしっかりとディースラの目を覚まさせてくれたようだ。
 やはりあの攻撃はディースラにとって身体・精神両面で衝撃的だったのだろう。

『しかし、貴方が…おいでになる、とは。霧の…』

「おっと、それ以上は言わんでぇや。アンディ、すまんが外してくれるか?ちくっとこれと二人きりで話がしとぅてな」

 何かを言いかけたディースラを、慌てたように遮ったエスティアンからそう頼まれるが、こちらに向けられる視線の強さから、頼みと言うよりも命令のようにも感じる。
 何故と聞くこともできるが、なんとなくそれを許さない迫力もまたある。

 とはいえ、あれだけの強さを見せた存在から面と向かって頼まれては断りづらく、俺は諾を返す以外にない。
 所詮非力な人間の身では仕方のないことだ。

「あ、あぁ、構わないが。しかし二人きりといっても、こんなところじゃ…」

「そこはワイが上手くやるで、お前さんはとにかく離れててくれりゃあええ」

 建物などないこの場所では、内緒話など難しいとは思うが、確かに距離を取ればある程度の秘匿性は担保される。
 二人で話すことというのもその程度の秘め事かと思い、エスティアン達から離れたその時、不意にディースラの巨体をどこからか現れた巨大なシャボン玉が包む。

 何事かとエスティアンを見てみれば、同じくそちらもシャボン玉に包まれており、それが何かを説明されることもなく、二つのシャボン玉がゆっくりと大きくなって一塊になっていく。
 それと同時にシャボン玉の表面も徐々に白濁していき、ディースラの姿が人間のものへと変わったのが見えたのを最後に、シャボン玉の内部は完全に見えなくなる。

 恐らくこれはエスティアンの仕業だとは分かるが、内緒話をするために外を隔離する空間を作ったとすれば、こちらから内部への干渉は無理だと思っていいだろう。
 一体中で何が起きているのか、無理だと分かっていてもその中を見ようと目を凝らしていると、遠くの方から馬蹄と人の声が聞こえてきた。

 見ると、そこには松明を掲げた集団がおり、顔ぶれからディースラが率いていた部隊が遅れてやってきたようだ。

「あ、いた!おーい、アンディ!」

 集団の中からパーラが抜け出してこちらへやってくる。
 その顔には焦りと安どの両方が浮かんでおり、それが何によるものかは今この場にいる俺には何となく予想できた。

「大変だよ!ディースラ様が!」

 馬から身を翻して着地したパーラが口にしたのは、やはりディースラの名前だ。

「いきなりドラゴンに変身してどっかに行ったってんだろ?」

 やはりかと、そう思いながらパーラが言おうとした言葉を先回りして口にする。

「へ?あ、うん、そうだけど…なんで知ってんの?」

「ついさっきまでここで暴れてたからな」

 行動を共にしていたはずの部隊がこうして遅れてきたのは、単独行動をしたディースラを追いかけてきたということになる。
 部隊の誰もが慌てている様子からも、ディースラの行動は突発的なものだったと分かる。

 ドラゴンの鋭敏な感覚で儀式の発動でも感じ取ったのか、先程見たディースラのあの怒りようでは他を置き去りにしてでも駆け付けたかったのだろう。

「そうなの?ならそのディースラ様はどこ……なにこれ?」

 ディースラの姿を探して周囲を見渡したパーラは、俺の背後に聳える、エスティアン達が籠っているシャボン玉のドームに気が付き、疑問を口にする。
 それなりの大きさのシャボン玉に気付くのが遅かったようだが、それだけディースラのことで動転していたのかもしれない。

「俺もよく知らんが、それ自体はある人物が生み出した現象だ。そのディースラ様もそこに入ってる」

「入ってるって…なんで?」

「多分、お説教でも喰らってんじゃねぇかな」

 あくまでも俺の予想だが、いきなり攻撃されてエスティアンは困惑とともに怒りも多少は覚えていたように思える。
 超常の存在同士、二人きりで何を話すかはともかく、文句を言う権利があるエスティアンから説教の一つでも喰らっていると想像する。

「お説教って誰から?」

「そこらに関しては、中の連中が出てきてから説明するわ。お前も知らない人じゃないからな」

「え、私も知ってる人?」

 エスティアンが地上に来たとここで明かしてもいいのだが、どうせならサプライズの一つでも用意してやるのが、ディースラを追いかけてきた疲労が隠せないパーラへの癒しになるはずだ。
 再会の喜びは不意打ちの方がでかいと、故事で言ったとか言わなかったとか。

 ともかく、まずは目の前のシャボン玉が消えるのを待つしかない。
 どうせ待っている間、ニリバワもエスティアンとディースラの衝突について話を聞きに来る。
 ニリバワも混乱している場を収めるために動いてはいるが、チラチラとこちらに視線を向けてきているのでわかりやすい。
 エスティアンの応対を任せされたのが俺で、ディ―スラとの戦いも一番近くで見ていたのが俺というのもあり、知りたいことは俺に聞くよう考えるわけだ。

 ただ、ニリバワに詰問されるよりも早く、エスティアンが戻ってきてくれるのならそれにこしたことはない。
 願わくば、面倒なところを丸投げできるタイミングが訪れることを切に願う。





 SIDE:ディースラ


 先程受けた攻撃により、傷ついた体を癒すために今は人の姿を取ってどれくらい経ったのか。
 まだ思考は朧になっていたが、徐々にそれも解消され、今はもう意識もはっきりしている。

 そうなってようやくわかったが、いつの間にやら奇妙な世界にこの身があった。
 七色の光が周囲に張り巡らされ、それが壁となっているこの場所は、明らかに神か上位の精霊が作り出した固有の空間だ。

 これほどのものを作り出せる存在など、考えるまでもない。
 あの時あの場にいる者の中で、このような所業を成せるのはただ一人。
 そして、その人物は我の目の前に泰然とした様子で立っている。

「ふむ、どうやら怪我の方は大分回復したようだの。ディースラ、と呼んでええがいな?」

 言葉だけならば気遣わし気ではあるが、発せられた声からは憤りに似た感情がある。
 先程一戦交えた相手であるのならおかしくはないが、それにしても我に対して何か思うところがあるようだ。
 さしずめ、勘違いをして攻撃したことを非難したいのだろう。

「ああ、構わん。お互い、真名を名乗りあうにはまだ浅い仲であるしな。そちらはなんと呼べば?」

「ワイはエスティアンちいう」

 人間には発音が難しい我らの本当の名も、今この時に限っては二人きりということもあって名乗ってもよさそうだが、人間の世界にいるのならそれに倣った名を名乗るのも一興だ。
 向こうもそれは分かっているようで、そういう名を返してきた。

「ほう、それが今の名か。原初の精霊の一人、霧の精霊である貴方の」

 太古の昔に一つの文明を滅ぼしてから姿をくらましたと言われているが、よもやこんなところに現れるとは。
 オクタレッカによって呼び出されたということは、彼の悪神と同じところから来たということだろうか。

 しかし、霧の精霊は輝く白と称されるほどに美しい女性体だとも聞いていたが、真実がまさかこんな木片塗れの姿だったとは思いもしなかった。
 まぁ所詮外見は主観によるもので、伝聞などはそもそも頼りにならない情報ということだろう。

「…あれを食らったら気付くわな。ワイもちくっと考えが足りんかったか」

「無論だ。先程食らったあれは『鱗祓いの霧』であろう?我らドラゴンを殺すだけの技だと聞く」

 エスティアンと名乗ったこの者は、まず間違いなく霧の精霊だ。
 霧を力とする精霊や神はそれなりにいるが、あそこまでの凶悪な威力を持った霧を操るとなれば、原初の精霊ぐらいだ。

 かつてドラゴンがまだ理性を持たなかった時代、今よりもずっと凶暴で力もあったドラゴンが霧の精霊と争ったことがある。
 何体もの強大なドラゴンが同時に霧の精霊に襲い掛かったその時に、霧の精霊はたった一度腕を振るっただけで、ドラゴンが全身から血を拭きだしてほとんどが絶命したという逸話が、鱗祓いの霧という言葉と共に残っている。

「よう知っとるな。その通り、かつてドラゴンを殺すためだけにワイが作ったものやぁが。使うのはもういつぶりになるか…記憶に薄いほど久しぶりだ。殺すつもりはなかったで一応手加減はしたが、上手く扱えて一安心よ」

 そう言って笑うエスティアンが、今はただ恐ろしい。

 我もドラゴンとしては上位種に当たるが、鱗を砕かれ、皮膚まで切り裂かれるなどいつ以来であろうか。
 武器や魔術では傷一つつきようもない我が鱗を容易く砕く力など、並みの精霊や神などではありえず、エスティアンは確実に我よりも格上の存在だと認めよう。
 そんな相手に襲い掛かったとは、我も正気を失っていたとしか言えない。

 それにしても、そんな霧の精霊がなぜ今ここに、しかもオクタレッカが発動した後の場所にいたのかという謎は未だ残っており、その辺りを尋ねてみる。

 するとかくかくしかじかと語ってくれた内容に、思わず我も唸ってしまう。

「では、あの悪神はもう既に滅んでいると?」

 教えられたのは、多くの同胞が命を懸けて封じるのが精いっぱいだった悪神が、今はもう魂の欠片すら残っておらず、完全なオクタレッカが正しく行われたとしても、地上に顕現することはなかったという事実だ。

「そうやの。あれも下界から追い出されたのが癪だったらしくてな、無窮の座で派手に暴れての。あろうことか神の多くを食い殺しよったもんだから、流石のガルジャパタ殿も怒ってその存在を塵も残さず消滅させたっちゅうわけやがな」

「ガルジャパタ?」

「あぁ、こっちの連中はその名は知らねんや。星の意思か、楽園の王と言えばわかるがか?」

「楽園の王か!…そんな大物が動いたとは、よっぽどの怒りを買ったのか」

「そりゃあもう、魂の循環すら許さんって魂ごと消すほどよ」

 神や精霊、我らドラゴンなどの一部の存在は不滅ではあるが、死が全くないわけではない。
 正しい手順と膨大な時間をかければ、生物としての死を成立させる手段は存在する。

 我らも死んだあとは普通の生物と同様、魂は星の意思に吸収され、新しい生を待つとされているが、彼の悪神はそれすらも許されず魂を消滅させられるとは、考えただけでも背筋が冷える。
 寿命がないだけに、次の生へつながることの重要性を分かっている我には、その可能性を潰される魂の消滅は死よりも恐ろしい。
 あの悪神がそんな目にあったとなれば、溜飲が降りるどころか同情すら覚えてしまうほどだ。

 しかしそうなると、オクタレッカの存在も意義も完全に失われたことになる。
 悪神を呼び出す儀式であるオクタレッカだが、その呼び出す対象がもういないのならば、この儀式はもう意味のないものに成り下がっている。
 エスティアンが今回下界に来たのも、あくまでも本来の手段ではない無理矢理な手だと言っていたほどだ。

 執拗に儀式そのものを葬ろうと力を尽くし、しかしラーノ族によって現代に残っていたことに激しい怒りを覚えたものだが、こうなってはラーノ族を処理する必要もない。
 むしろ正しい情報を教えて、人間の愚かさを次の世代に伝える材料にするべきかもしれぬ。
 我が言えば、そのあたりはグルジェがうまくやってくれそうだ。
 あ奴も人間にしては分別が効く、賢しい男ではあるしな。

 色々とエスティアンとも話をして、オクタレッカのことも口を噤んでもらうよう頼み、そろそろこの空間を解除することにした。
 ここは内緒話をするにはこの上なく便利だが、いつまでもいるのは退屈なのだ。

 虹色の壁がゆっくりと解けるようにして消えていく中、ふと気になっていたことを尋ねてみる。

「そう言えばエスティアンよ、貴方はアンディと知り合いのようだが、どこで会ったのだ?おまけに随分と気やすい仲にも見える」

「アンディ達とは天界で茶を飲んだ仲よ。そん時に堅苦しい態度はいらんと言うた。あんまり詳しいことは言わんが、ついこの前まであの二人は無窮の座におったでな」

 ただの人間が無窮の座に?
 にわかには信じがたいが、しかしその目には嘘はないようだ。
 只者ではないと思っていたが、まさか無窮の座に行って帰って来たとは、中々大した道を歩んでいるものだ。

「茶、か。そのアンディ達は貴方が霧の精霊だというのは知っとるのか?」

「多分知らん。ワイの口からも言っておらんでな」

「言わぬのか?」

「んー…言ったところで何か変わるわけでもなし。ならば言う必要はにゃあで」

「そんなものか」

 人間嫌いと有名な霧の精霊だが、その語る口からはアンディ達に対して親愛の情があるように思える。
 茶を飲んだ仲と言っているが、それだけではない何かがあるような気がするものの、強く聞き出す必要も理由もない以上、その奇妙な関係性はそうあるものと思うしかない。

 内と外を隔てていた障壁が消え、その向こうに見知った顔を見つけたが、その中の一人であるパーラの、目玉が飛び出しそうなほどに驚いている顔に気付く。
 その意識の先はエスティアンに向いているようで、そういえば久しぶりに会うとさっき言っていたし、その驚きが顔に出ているのだろう。

 我とは短い付き合いだが、それなりに濃い時間を過ごした仲だと思っていただけに、初めて見せるそのパーラの面白い顔は中々興味深いものがある。
 果たして再会の第一声が何になるのか、また霧の精霊と知らずにどう向き合っているのかも見せてもらおう。


 SIDE;END
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