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神降臨

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「なんとも運がいいのか悪いのか…。ガルジャパタ殿から返却物を頂戴してすぐ、下界に降りようとした矢先に門が現れてな」

「……門?なんだ、ししょ―アレを使わなかったのか?」

 死色の階段と言いそうになり、寸でのところで留まる。
 どうも神以外には死色の階段は知られるべきではないというのが神達のスタンスなので、グルジェ達がいるこの場では伏せておいたほうがいいだろう。

「ああ、そのつもりだったが、なんやら変わったのが現れたんで、どうせなら使おうと思ってな。まぁワイが通るには少し力が足りんで、強引に干渉して広げてやったがの。で、これ幸いと割り込んで使ってみたはいいが、通り抜ける際の死の気配のまぁひどいことよ。っと、そうだ。これ預かってたやつ」

「あ、こりゃどうも」

 カラっとした口調から一転してげんなりとした様子を見せたエスティアンだったが、本来の目的を思い出したのか、手に持っていた灰色の包みを俺へと差し出してきた。
 思わず受け取ったそれはかなりの重さと大きさで、金属の擦れる音が聞こえてきたことと、彼ら神に預けていたものということから中身の予想はついている。

 包みを少し開けて中を見てみれば、やはり中には噴射装置と可変籠手が入っている。
 どちらも分解調査されたとは聞いていたが、こうして見た限りでは元通りに復元されて返却されたと見ていい。

「本当はもっと早く返したかったんやが、連中から取り上げるのに時間と手ぇがかかったらしいでよ。ガルジャパタ殿から、遅れてすまんち言伝も預かっとっちゃあ」

 連中と言うのは、噴射装置に興味津々だった神のことか。
 この様子だと、ガルジャパタもそいつらを随分急かしたのかもしれない。

「まぁ確かに遅いとは思ってたけど、こうしてちゃんと届いたんだ。気にしないでくれ」

 正直なところ、忘れてはいなかったがこのタイミングで来るのは想像もしていなかった。
 てっきり、サンタクロースのように眠ってる枕元にそっと置いてくれるようなのをイメージしていたので、まさか緊迫した中での神直々の配達とは、あまりにも予想外ではある。

「そう言ってくれりゃあ気が楽だわ。…ところで、こいはどういう状況だ?何やら空気が重いし、そっちの奴は腕にひどい怪我をしとるし。大丈夫かいな?」

 儀式によって現れたというのに、こちらの状況をまるで理解していないエスティアンの興味はジブワに向けられている。

 エスティアンの登場からずっと呆けているジブワとグルジェを見ると、どうやら本来儀式によって呼び出される存在は他の何かだったようだ。
 恐らく儀式によって天界と下界を結ぶ門を開き、そこから現れる何かによって強い力を得るというのが目的だとは分かっている。

 だがそこに割り込んだエスティアンによって、元々呼び出される存在は出てこれなくなり、こうして天界から俺への荷物の配達として使われるだけに終わったというわけだ。
 ジブワが全てをかけて行った儀式の結果としては、なんともひどい話ではある。

「……いや、待て!そうだ、俺が呼び出したんだからあんたは俺に力を授ける義務がある!おい、エスティアンと言ったか!あんたも神なら俺に力を寄越せ!この世の全てを超える、神の力を!」

 それまでの思考停止から回復したのか、ジブワはエスティアンを呼び出した権利の行使として力を代価として求めた。
 辺りを圧迫していたプレッシャーは多少和らいでいるが、それでもエスティアンも神だけあって、普通にいるだけで放つ恐ろしいほどの存在感を前にそう吐けるジブワの胆力には感嘆を覚えそうだ。

「力ぁ?何を勘違いしとるか知らんが、ワイはそういうので来てにゃあで。アンディ、こいつは何を言うとるがや?」

「俺もよくわからないんだが、そういう儀式を行ったんだよ、そいつは」

 困ったように首を傾げるエスティアンは、この場で面識のある俺に説明を求めるように視線を向けてくるが、俺だって儀式について全部知っているわけではない。

「もしやとは思うがアンディ、そいつ…いや、その方とは知り合いか?」

 恐る恐るといった様子でそう声をかけてきたグルジェは、エスティアンと親しげに話す俺が奇妙に思えるようで、畏怖交じりの混乱が見られる顔をしている。

 無理もないか。
 恐ろしい力を持つ存在が突然現れたと思ったら、ただの人間と面識がある様に振舞っているのを見ては、何も思わずにはいられないだろう。

「ええ、まぁ以前にちょっと」

「アンディに茶を馳走になっての。そこからの縁よ」

 いきなり天界で知り合いましたなどとは言っても信じてもらえないだろうし、説明も面倒なので濁しておく。
 エスティアンもそこは分かっているようで、合わせてくれている。
 空気の読める神というのも実は貴重なのでは?
 どこぞのドラゴンも見習ってほしい。

「そう、ですか。さぞかし名のある神とお見受けいたしますが、名前を伺っても?」

「おぉ、言っとらんかったか。ワイはエスティアンち言う。察しよる通り、神ではあるが、別段位階は高いわけでもにゃあで」

 人間の世界でも伝承に残っておらず、無名と言っていいエスティアンでもその力は莫大なもので、その名前を口の中で転がすグルジェは、未知ゆえの恐怖から来る緊張が解けないようだ。

「それで、お前さん…そう言えば名を知らんの?」

「あっ、こ、これは失礼を!僕はグルジェと申します。ラーノ族は大駆けのダルジを父に、風追いのテアを母に持つ者」

「…ラーノ?なんて?」

 慌てたように名乗るグルジェだが、下界のことにあまり興味がないと言っていたエスティアンだけに、ラーノ族という言葉に首を傾げている。
 この親の名前を付けて名乗るというのがグルジェ達ラーノ族にとっては正式な作法なのだろうが、緊張からか、若干早口になっていたのもあって、初めて聞くと首を傾げてしまうのも仕方がない。

「ラーノ族っていう部族なんだよ、この人は」

「ほーん…まぁええがい。それでグルジェよ、あっちの奴と格好が似とるようやき、もしかしたら同族か?そうなら、そいつが行ったちいう儀式について、お前さんはなんか知っておらんか?」

 意外とと言っては失礼だが、エスティアンの推理は鋭いもので、恰好から同郷と推測して、そこから儀式について知っている可能性を思いつくというのは中々鋭い。
 二人を知る者ならともかく、現れてすぐにそこへ考えが至るのは大したものだ。

 あの天界でのほほんと茶を啜っている姿しか知らないだけに、こういう頭の回転の良さを見せられると違和感が凄い。

「は、仰る通りジブワ…そこで膝を突いている者とは同郷でしたが、今は命の取り合いをする中となっております。そして推察の通り、儀式についても僕は知っております」

 そうして言えないこともあると前置いて、グルジェは儀式について語ってみせたが、その内容は俺がディースラから聞いたものとさほど変わりないもので、唯一新しく増えた情報としては儀式の呼称がオクタレッカということぐらいか。

 ここまで聞いておいてなんだが、これは俺が聞いてもいい話なのだろうか?
 どうも秘匿して当然のレベルとも思えるが、まぁこうして儀式が目の前で行われ、それを目撃した上に呼び出された神と交流しているのだから、グルジェも今更かと考えたのかもしれない。

 呼び名を知ったところでなんだと思ったが、エスティアンはそうではないようで、オクタレッカという言葉を耳にしてからは腕を組んで顔を伏せて唸ってしまった。

「なるほど、だからあれほどの死の気配が…で、呼ばれるのはどの悪神だ?」

「恥ずかしながら、死肉の君という名前は知っておりますが、それ以上のことはさほど…」

「死肉の君とはまた、懐かしい名だ。そうか、あれを呼ぶつもりだったのか。確かに、あれを呼ぶならあれほどの汚れた門を用意せにゃあならんか。とはいえ、失敗は確実だっただろうが」

「…それは、血液が足りないからという意味で?」

 しみじみといった風情で呟かれた言葉に、グルジェは分かりやすく反応を示す。

「いや、どの道血液が足りていようが失敗はしていた。その死肉の君というのは、ワイらの中でたった一つの神を指す。恐らくお前さんらでは発音できんだろうから名は言わんが、とにかく悪神としては一等危険な奴だった。で、そんなのだから色々とやらかして、大分前に多くの神の手によって消滅させられちょる」

 さらっと告げられたその内容は、長きにわたって儀式を伝えてきた家の者としてのグルジェやジブワへ、大きなショックを齎したようだ。
 特にジブワはそれが顕著で、エスティアンに食って掛かる勢いを見せた。

「消、滅?消滅だと!?では、儀式が成されていたとしてもっ…!」

「何も来なかったろうな。ついでに言えば、贄が足りとらんで門も小さかった。精々あちらとこちらを無駄に繋いだ門の影響で、この辺りを草木一本生えない死の大地と変えただけで終わりや」

 あれだけの大掛かりな儀式で、神を一人呼び出すという結果を出している以上、消費されたエネルギーは莫大なものだったろう。
 もしそれだけのエネルギーが何の目的も持たずに解放されたとすれば、ちょっとした災害どころか、核爆弾の爆発にも相当する被害があっても俺は不思議には思わない。

 今回はたまたまエスティアンが割り込んでくれたおかげで、エネルギーは正しく使われたようだが、そのたまたまがなければ今頃俺は死んでいたのかもしれない。
 それどころか、今も周りで戦っている人間を含めて、多くの命が失われていた可能性に、改めてエスティアンが来てくれたことに感謝するのみだ。

「バカな……何のために俺は…」

 力を得るという目的があったジブワにとって、結局無駄骨に終わることが約束された儀式にすべてをかけたと言っていいだけに、その喪失感はどれほどのものなのだろう。

 エスティアンの言葉を聞き、睨みつけるようだった目つきは完全に力を失い、ガクリという音が聞こえてきそうなほどの、絵にかいたような肩の落とし方だ。
 ついさっきまでの覇気に満ちていた姿が、この短時間で一気に老け込んだように小さく見える。

「こんなもん、認めるわけに……っなぁ、頼む!俺に力をくれ!あんたも神ならそれぐらいはできるんだろう!?そうだ、生贄だ!俺に力をくれればあんたに生贄をやる!百人でも千人でも、なんだったら国一つを滅ぼしてでも!」

「ジブワ!もはや儀式は失敗に終わった!あんたもラーノ族の男なら、この期に及んでバカなことを言うな!」

 卑屈なほどに言葉を紡ぎながら、命を軽視した物言いをするジブワに、グルジェはその口から怒りの声を吐き出す。
 たった今エスティアンを呼び出すのですら大量の血液を使ったのに、さらに生贄をと言い出すその性根から、剣を振るっていた先程まで僅かではあるが確かにあった高潔さが微塵も感じられない。

「うるせぇ!俺は儀式のために全てを捨てた!そうしてここまできたんだ!目的を果たさずに終われるか!」

 血走った目を浮かべながら、最早言っていることに欠片の道理もないジブワに、哀れみと共に警戒心を抱く。
 気が狂って襲い掛かったとして、ジブワ程度がエスティアンに傷をつけられるとは思えないが、それでも顔見知りが攻撃されるのを黙って見ているわけにはいかない。

 可変籠手を秘かに装着し、万が一に備えてジブワの動向を監視するが、そんな俺の心境など知らないエスティアンは、ジブワへと警戒のけの字すら思わせない様子で近付いてしまう。
 俺もそうだったが、睨みあうグルジェとジブワもその行動には驚いたようで、体を硬直させてすぐそばまでやってきた神をただ見るしかできないでいた。

「さっきも言ったが、ワイは力を授けるために来たわけでにゃあで、お前さんの願いには応えられん。さて、こうなるとお前さんはどうするね?願いが叶わぬのならと、ワイを討つか?見たところ武器はないようだが、素手でもそこそこやれるようだ」

 ジブワが使っていた剣は遠くへ放置されており、身に着けているのは恐らく予備の短剣程度だろう。
 しかし一廉の戦士、それもグルジェとの戦いを見た限りでの実力を鑑みれば、素手であっても侮ることは出来ない戦闘能力は有していてもおかしくはない。

「俺は…」

 エスティアンの言葉に迷いが出来たのか、ジブワが苦しそうに声を出したその時、俺の視界を何かの影が横切る。

 風切り音と共にやってきたそれは、ジブワとエスティアンのちょうど中間の地面へと突き立ち、その正体が短槍だと分かった。
 突き立ち方から飛んできた方向を読んでそちらを見てみれば、投擲後の態勢で馬の背に座る老人がいた。
 注目を集めているその人物は、すぐさま馬を走らせてジブワの傍へとやってくると、エスティアンへ剣を向けて対峙する。

「…これはどういう状況だ、ジブワ!」

 エスティアンを前にして存在の格の違いでも感じ取ったか、悲壮な顔を浮かべた老人だったが、今最も気に掛けるべき人物の右腕が欠けているのに気付くと、困惑気味に周囲へ視線を巡らし、結局ジブワに状況を尋ねることにしたようだ。

「どうもこうもねぇよ、見たまんまだ。グルジェとその仲間に追い詰められてこのざまさ。苦し紛れに儀式を強行したんだが、結果が思ってたのと違った、それだけだ」

「なに?我らに断りなく儀式を行ったのか!?なんということを……では、よもやこの目の前にいるのが…」

 渋さが口いっぱいに詰まったような口調のジブワがそう言うと、老人はエスティアンが儀式で呼び出された存在だと気付いたようで、ただならぬ気配も感じ取っていたこともあり、一歩後ろに下がる。
 断りなく儀式が行われたことに対して怒りは覚えても、こうして人外の力を窺わせる存在感を持つのを目にすると、恐怖が勝つらしい。

「いや、どうも本来儀式で呼び出されるのとは違うらしい。儀式はどこかと繋がる門で、今回はたまたまそこに割り込んてここにやって来たそうだ」

「割り込んだ?なんだそれは、意味が分からんぞ」

「俺だって分からん。そいつがそう言ったんだ。まぁどうであれ、結局この儀式では大いなる力とやらは手に入らず、聖地奪取も望めなかったわけだ」

「なん…だと…」

 俺達を無視して話をしていたジブワ達だったが、聖地を手に入れるための儀式が無駄だったと知ったことで、老人の目が驚愕で見開かれる。

「嘘を言うな!ジブワ!それでは我らは…何のために国を捨てたのだ!儀式が成れば、聖地は我らのものとなり、未来のラーノ族へ希望を残せると!そう思えばこそ!」

 裏切られたという思いが出てしまったのだろう。
 最早剣先がジブワの方へと向くほどに老人の動揺は大きく、下手をすればこの場で新たな戦いが始まりそうだ。

「元々の、儀式で得た力でワイディワ侯爵と交渉するって方針は間違いじゃねぇ。最善だったと今でも思ってる。だが、そもそも力がなきゃ成立しねぇんだ。儀式が失敗した以上、どうにもなんねぇ」

「貴様…っ!」

 今にも切りかかりそうな人間を前にしているからか、逆に冷静になったジブワは諦観の念が籠ったような声で返す。
 目の前の老人との温度差は明らかで、本来一団を引っ張ってきたジブワがこれでは、この先彼らが纏まるのは難しくなる。

 それはこちらとしては嬉しい限りだが、同時に直近の危機として、老人が怒りに任せてジブワを殺しかねないというのがある。
 別にジブワの命を惜しむつもりはないが、折角なら生かして捕らえたい。

 そう思って二人を見ていると、手にしている剣がジブワに触れるかどうかの位置にある老人の方の目つきがいよいよ怪しくなり、さらには呼吸も乱れだしたのが気になる。
 そろそろ割って入るかと思っていると、大きな溜息が聞こえてきた。

 決して大きい音ではないが、この場で一番存在感のあるところが発生源だけに、居合わせた誰もの注目を集めてしまう。

「はぁ~…、人間同士の争いなどどうでもいいが、こうして目の当たりにするとなんとまぁ下らんことか。おいアンディ、ワイはもう帰ってええがや?どうも呼び出した当人も忙しそうだで」

 別段強い口調でもないというのに、目の前で繰り広げられているやり取りをくだらないと評するほどに、エスティアンの機嫌がよくないというのは分かる。
 ジブワ達のやり取りは、傍から見ていた俺も何とも見苦しいものだったのに、下等な人間の醜さを見せつけられれば、神と言えど…いや、神だからこそ耐えられないのかもしれない。

「え?あ、あぁ、まぁ俺は特に用はないし、帰りたいってんなら別に……あ、でもせっかくだし、パーラにも会っていったらどうだ?あいつもあんたのことには世話になったって感謝してるし」

 そう頻度は多くないが、天界での出来事は時折パーラと話すこともあり、そこで一番世話になったこのエスティアンについてがやはり話題になりやすい。
 用事は済んだのだから帰りたいというのなら引き留める理由はないが、後からパーラにどうして引き止めなかったのかと文句を言われる可能性を考えると、もう少しだけ滞在してもらいたいものだ。
 会う機会はもうないと思っていただけに、この再会はパーラも喜ぶことだろう。

「おお、確かにパーラには会っておきたいな。…そう言えば、そのパーラはなんで一緒におらん?なんかあったんか?」

 パーラと会うことを決めたせいか、一瞬前までの威圧感すら与える不機嫌な様子を和らげさせたエスティアンは、改めて俺の近くにパーラがいないことを不思議そうに尋ねてきた。
 よっぽど俺とパーラがセットでいることが、エスティアンにとっては当然のものなのだろうか。

「いや、別に何もないって。パーラは別の部隊で動いてて、離れてるってだけだ。俺の仲間が援軍としてこっちに呼んでるはずだから、しばらくしたら来るだろうよ」

 大分前にここを離れた援軍を求める伝令が、ディースラの部隊にもすぐに合流するはずだから、急いでこっちに向かうことだろう。
 ディースラ達の正確な現在地は分からないが、馬を全力で駆けさせれば一日はかからない距離にいるはずだ。

「そうか。しかしそうなると…この騒々しさは邪魔やな」

 鷹揚に頷き、しかし次の瞬間には底冷えのする声でエスティアンが視線を周囲へと巡らせる。
 今も戦いの声がやまぬのは、ジブワの仲間とグルジェが連れてきた友軍が争いを続けているからで、それが気に入らんといったところか。

 これでもエスティアンは俺とパーラには親切だったが、やはり神だけあって人間の愚かしい行いを前にすれば、少なからぬ怒りや呆れは覚えるのかもしれない。

「アンディ、周りにいる連中でお前の敵はどれだ?ワイが大人しくさせたるわ」

 場を鎮めようと考えているのか、俺に敵対する連中を黙らせようと、敵味方の見分け方を求めてきた。
 既にジブワがこの状態で、儀式も失敗に終わったことにより趨勢は決まったと言ってよく、争いを止めるなら今がいいタイミングではある。
 その役を買って出てくれるのなら是非もない。

「敵というなら、歳食ってる奴はほぼ全てそうだが…あんた、人間の老若を見分けられるか?」

 時間の感覚が違いすぎる神の観点から、果たして人間の年齢を見分けられるのかという疑問はある。
 前に言っていたが、神や精霊からすれば人間の人生など瞬きの間に終わる程度でしかなく、エスティアンにとって二十歳と六十歳などほぼ同じ年齢に感じるのではないか?

「外見で見分けれんこともないが、ワイらにはもっといい見分け方がある。幽星体をしっくと見れば、大体の年齢は分かるでな。で、若いってのは何歳ぐらいだ?」

 人間は外見でおおよその年齢を推測するが、それも種族ごとでバラつきがある。
 対して神は幽星体で年齢を判断できるらいく、なんとも便利な方法を持っているようで、エスティアンはそれで見分けた上で何かをするようだ。

「グルジェさん、あんたの部隊で一番歳がいってる人はいくつになる?」

 この部隊はグルジェと共にやってきたラーノ族に、ワイディワ侯爵から借りた兵が加わった部隊であるため、若くない兵士が混ざっている可能性はゼロではない。
 今この場で年齢で判別するなら、ジブワ達はほぼ全員が六十は超えていると思われるが、味方はどうなのかグルジェに確認しなくては。

「え…あ、あぁ、多分だが三十手前が何人かいるぐらいだと思う。残りはそれより若いはずだ」

「なるほど。エスティアン」

「おう、聞いとったで。ちいーっと霧が出るが、怖がらんでな。じゃあ余裕を見て四十から上の連中を眠らせるわ」

「眠らせ…?」

 何をするのか分からないが、眠らせるという言葉に俺が怪訝なものを覚えはしたものの、特に説明もされることなく突然エスティアンの体から霧が立ち上り始める。
 それは瞬く間に辺りへと広がっていき、俺の体も冷たさのある霧に飲み込まれて視界が霞む。

 思わず口と鼻を覆いはしたが、奇妙なことに少しも防ぐことができずに、肺一杯になるまで霧が体内へと浸透していくのが分かる。
 エスティアンは眠らせると言った以上、この霧を吸うと俺も眠ってしまうのではないかとも思ったが、今のところ体にそういった予兆はない。

 周囲で何が起きているのか分からず、エスティアンに声をかけようとしたが、何故か口から音が出ていかない。
 まるで口の中を満たす霧が音を吸い込んでいるかのように声も出せず、そして今気づいたが辺りの音も聞こえない状況となっている。

 霧で何も見えず聞こえずといった中、徐々に恐怖心が芽生えてきたのは人間の生存本能が刺激されたからだろうか。
 一瞬とも永遠とも思える時間をただジッと耐えていると、霧が徐々に薄れていく。
 辺りが見えるほどにまで霧が薄くなった頃、俺の目には老人達が倒れ伏す光景が映し出されていた。

 先程まで攻撃し合っていた者達の内、年老いている方はまるで糸の切れた人形のように力の抜けた状態で地面に倒れ、対して若い方、俺達の友軍と言える連中は全員が何の問題もなく立ちすくんでいる。
 突如発生した霧と、それが晴れた後に広がっていた光景に混乱を覚えているようで、状況の把握で騒ぐ声が聞こえてきた。

「これは…」

「『いざないのきり』ちいう」

 戦慄と疑問が声に出た俺に、エスティアンが答えた。
 恐らく、何によって引き起こされた現象なのかという謎への答えが、その誘いの霧ということなのだろう。

「魔術か?」

「いや、そういうのじゃなか。ワイは霧を使って色々とやれる権能を持っとってな、今は眠りを誘う霧を、特定の年齢に効くようにして辺りに撒いた。個人差はあるが、見たところ狙った結果は出せたろうよ」

 眠りの霧とは、なんだかエスティアンとはイメージが違うな。
 この見た目のせいか、てっきり植物と親和性のある神だと思っていたのだが、霧を使うとはまるで原初の精霊のようでもある。
 まぁ霧の精霊の特徴にミノムシのようなとは微塵も聞いたことがないから、こいつがそうだとは全く思えないが。

「ジブワ…」

 不意に聞こえてきた声に、そちらの方を見れば、地面に倒れて眠っているジブワを、グルジェは槍を手に見下ろしていた。
 ジブワも例に漏れず眠りの中へと堕ちたようで、この状態ならあとは縄で縛ってワイディワ侯爵の下へ連行するだけだが、しかしグルジェの様子が少し不穏だ。

 まさか眠ったところを槍で一突きなどと考えていまいか、少し警戒してしまう。

「グルジェさん、言うまでもないと思うが」

「ああ、分かっている。アンディ、すまないがこいつを見張っててくれるか?僕はロープを持ってくる」

 ジブワに対して思う所はあるが、殺すより生かして捕えることの意義を分かっているグルジェは、僅かに逡巡したのちにこの場から離れていった。

 その背中を見送っていると、遠くの方から馬蹄の音が聞こえてくる。
 今ここにやってくる馬となれば、俺達の援軍であろう。

 予想通り、木々の間から現れたのはニリバワが率いる騎馬達で、いずれも戦意を剥き出しに剣や槍を振りかざしながらの登場だ。

 ―ぉぉおおお!……おぅ?

 吠えるような声と共に派手に現れたはいいが、今ここでは戦いの空気は完全に霧散しており、その異様な雰囲気に気付いてか、援軍の兵達は揃って間の抜けた声を出す。
 戦闘が始まっていると勇んで駆け付けたはいいが、その戦闘がないという事実に虚を突かれた形になる。

 そんな集団の戦闘にいたニリバワが周囲を見回し、グルジェを見つけるとそちらの方へと近付いていく。
 今ここにいる部隊は二つ、そのトップ同士で状況のすり合わせを行おうというのだろう。

 ニリバワが連れてきて兵達は、完全に遅れた登場ではあるが、人出が増えたことは素直に感謝したい。
 それなりに戦闘の時間は長かったため、双方に犠牲も出ており、怪我人の手当てや眠っている老人の捕縛にとやることは多い。

 指揮官がこの先の方針を決めなければ、俺達は動きようがないので、今はひとまず待機でいいとして、その間にエスティアンをどうするか、考えなくてはならない。

 相対するだけで只者ではないと分かるほどの存在感だ。
 今頃はニリバワをはじめとした勘の鋭い連中は神の存在をジンワリと感じ取っているはずなので、色々と説明が必要になるかもしれない。

 ただ、似たような超常の存在としてディースラが既に知られているので、ここでの混乱はあまりないはず。
 その辺りは儀式についても絡んでくるため、俺の知らない部分はグルジェに任せるとして、俺とエスティアンが顔見知りの理由などは説明が面倒なので、なんとかボカしたいところだ。

 ともかく、ラーノ族の侵攻に端を発した今回の騒動は、これで一区切りとなる。
 現場でのことはもうここまでとして、後は政治の仕事だ。
 難しいことは偉い人達に任せ、今はパーラをエスティアンに会わせるイベントに思いをはせるとしよう。

 まさかもう会うことはないと思っている者、それも本来は気軽に地上に来れない神がここにいるとなれば、きっとあいつも驚くことだろう。
 その時の顔を楽しみにするとしよう。
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