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儀式の果てに現れるもの

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 剣道三倍段という言葉がある。
 この言葉には諸説あるが、大雑把に言って、槍に対して剣は三倍の段位でもって同じスタートラインに着ける、というものだ。
 逆に言うと、相手の三倍の段位があれば、剣でも槍に対抗できるということだが、それはあくまでも原則の話であり、妄信していいものではない。

 条件によってはこの原則も役に立たないと聞くが、それでも槍というのはそれだけ強い武器ということになる。

 槍はそのリーチが一番の強みであるが、一方で穂先以外にも柄から石突までほぼ全てを使った幅広い戦術が望める万能さも売りだといっていい。
 反面、そのリーチゆえに懐へ入られると弱いという弱点もあるが、達人ともなればむしろその懐に敵を誘い込んで殺す技術も備えているものだ。

 今俺の目の前で繰り広げられているラーノ族の二人による剣と槍の戦いは、まさに達人の域にいる者同士の互角のぶつかり合いだ。

 先程から槍の間合いの内に入り込んでくるジブワに対し、グルジェは平然と槍の持ち手を変則的に変えて、至近距離で対抗するという、見ている側にとっては信じられない戦いが繰り広げられている。

 この時点で、剣道三倍段の法則に則ればジブワはグルジェの三倍強いということになるのだが、どちらも強さの底が見えないほどの戦いをしている以上、その法則に当てはめていい存在なのかは疑問だ。

 俺は槍の名手と言える人間と戦った経験があるが、その時と比べてもグルジェの槍捌きは異質と言っていいレベルだ。
 かつてやりあった槍の達人の槍捌きは、まるで蛇のように変幻自在に迫ってきたが、グルジェの方はそれを超えた、一本の槍がまるで煙のように揺らめいて振るわれる動きは、とても実体のある武器とは思えない不気味さがある。

 また攻撃の流れの中で空中に身を躍らせることのあるグルジェだが、その着地点を狙われそうになると、瞬時に地面へ突き降ろした槍を支点にして動きを変化させるほど、槍自体を己の肉体の延長として扱っている。

 さらに突きと払い、この二つがまるで同時に行われるような動きの先で、気が付くと槍の穂先はジブワの剣に纏わりつくようにして近付いており、さらにはそこから一瞬で三撃が叩き込まれているのは、人知を超えた現象といってもいいぐらいだ。

 初めてグルジェと出会った時、暴走したスワラッドの兵士が一瞬で倒されたのも、この辺りにからくりがあるのかもしれない。

 しかしさらに驚くべきは、その槍に対して剣一本で互角以上に戦っているジブワだろう。
 こちらも達人だとは思っていたが、こうまで強さを見せつけられては、俺との戦いは随分と手を抜いていたのかと思ってしまう。

 グルジェとジブワの異常な強さの源を、何か特別な技術、あるいはチート気味な能力でも使っていると予想していたが、こうして離れた所から見ると何のことはない、ただ単純に化け物染みた戦士だったというだけの話だ。

 一際大きい金属音が二度重なり、それまであまりの速さで霞むようだったグルジェ達は、互いに仕切りなおすように距離を離して動きを止めた。

「はぁ…はぁ…流石、は…五究剣か。こうまで…僕の槍が通じないとは、ね」

 荒く息を吐きながら、険しい顔をするグルジェがジブワにそう声をかける。
 一方のジブワの方も、多少呼吸を乱してはいるが、グルジェと比べれば疲労の色は濃くない。
 むしろ、目をギラギラさせているほどにはやる気が溢れている。

「なぁに、お前も大したもんだ。正直、さっきの打ち合いで何度か本気で首を狙ったってのに、見事に空かされたのには驚いた。あの洟垂れがこうまで成長したかって、こんな時でも嬉しくなるねぇ」

「余裕ぶりやがって…。そういうあんたは腕が落ちたな。懐に入られた時の攻め手に迫力がなかったぞ。五究剣最強と謳われたあのジブワといえど、寄る年波には勝てないか?」

「へっ、確かに、俺ももういい年だ。お前の親父…ダルジとそう変わらん。もう十年若ければ、さっきの打ち合いのような無様は晒さなかったな」

 挑発するようなグルジェの言葉にも特に感情を高ぶらせることもなく、ただ淡々と答えるジブワは、その年齢を考えると、戦士としては遥か高みにいると思えた。
 これで加齢による弱体化もあるのならば、過去のジブワはどれだけ人間を辞めていたのかと、背筋に走るものがある。

「しかし意外だったな。よもや送られてきたのがお前とは。他にはどいつが来てんだ?ん?五究剣だと誰だ?」

「ちっ、知ってて言ってるんだろ?来てるのは僕と少数の供だけだ。あんたがいきなり出奔したせいで、他の五究剣の方々は他所の部族への警戒と内の抑えで忙しいんだ」

 忌々しさを隠すことなく、舌打ちと共に吐き出された言葉に、ずっと抱えていた些細な疑問が解けた気がした。
 グルジェ達がその若さにしては優秀な戦士だとは分かってはいても、ジブワを討つのなら同じ五究剣の誰かを差し向けるのが妥当だ。

 だがジブワ達がもたらした混乱にゆれるラーノ族にとって、内外への影響に備えるために五究剣を外に出せない事情から、グルジェ達が追跡者に選ばれたと、今の言葉で推測できる。

「それが今のラーノ族なのさ。新しい長は何をするにも腰が重い。前の長なら、俺達が国境を超える前に全部終わらせてただろうに。俺がこんなところに立ってるのは、新しい長が臆病で間抜けだったおかげだ。そのせいでこんなところに送り込まれて、たまったもんじゃないよなぁ、グルジェ」

「…今の長はよくやっている。何より、代替わりの隙を狙ったように混乱をもたらしたあんたに、非難する資格はない」

「どうかな?聖地が枯れて、何も対策に動かない愚鈍さは罪にしかならんだろうに。こうして俺達がスワラッドにやってきたのも、偏に聖地を求める声に応えてのもの。分かるか?同道してた百名余りの者達はほんの一部だ。お前達はまだ広めていないようだが、ラーノ族の多くが知れば、俺達の行動はきっと支持される。そうなったとき、偽りの族長は信を失い、その座から引きずり降ろされることになる」

 そして、次の族長にはもっと相応しい人物が付くと、そう語るジブワの目には狂気の光があるように思えた。
 ジブワ達が攻め込んできた理由は、聖地を求めてのものだと仮定していたが、ここに至って目的はもっと単純なものだったことだと知れた。

 今のラーノ族の族長の失脚という、ジブワが国許で最初に同族とで揉めた問題が根底にあるようだ。

「やはりそうか…などと僕が納得すると思ったか?あんたがそんなことを動機にする人間じゃないのはよく知っている」

 納得できる理由だと思っていたジブワの言葉を、グルジェが切って捨てるようにして否定する。

 なんだ?違うのか?
 俺が聞いた感じだと、それっぽさは十分あった気もするが。

「確かに族長の交代では派手に揉めた。それは僕を含めたラーノ族の誰もが知っている。だが、あんたをよく知る人間なら、終わったことをいつまでも根に持つ奴じゃないということぐらいわかる。今更族長交代をどうのというわけがない。本当の狙いはなんだ?」

 そう言って二人が少しの時間視線を交わらせると、諦めたようにジブワが息を吐く。
 まるで企みが露見した小悪党のような、苦々しさと太々しさが同居した顔だ。

「…こっちのことを知ってる奴ってのはどうにもやりづらくていけねぇや。本当はわざわざ語る義理はねぇんだが、どうせ殺すんだしなぁ。実のところ、俺の狙いは聖地なんかじゃあないのさ。俺はな、儀式そのものがしたくてここにいるんだよ」

「なんだと?」

 ジブワが気安い調子で口にした言葉の意味を測りかね、俺とグルジェは揃って首を傾げる。
 同時に、曲がりなりにも納得できる理由で動いていたという前提だったジブワが、急に得体のしれない何かに見えてきた。

「なぁグルジェ、お前は考えたことはなかったか?俺達の家には大昔から儀式のことは伝えられても、それを実際に行った者は一人としていない。何が起きるのかも明確には知らない、そんなものを次の世代に伝えるだけの俺達は一体何なんだ?とな」

「考えるまでもない。あれは禁忌の儀式だ。実際に知らずとも、ただ危険だということだけを伝えていけばいい。今までもそうしてきた、これからもそうするのが僕達の役割だ」

「はっはっは!お行儀のいいこった。俺はなぁ…それが耐えられないんだよ!家督を継いでも、ただ後に残すだけの繋ぎに過ぎねぇ人生ってのはくだらなすぎんだろ。そこにきて、儀式によって得られる力は、あらゆる願いを叶えることを可能とするってんだ。そそるじゃねぇか!力があれば何でもできる!枯れた聖地だって復活させられるかもな!なんでもいい!この手ででかいことをしでかす!そして、時代の中に確かに俺が存在したと、その証明を打ち立てるのさ!」

 声に段々と力がこもっていくのは、男の思いの強さの表れだろう。
 それは子供染みた夢のようで、その歳まで夢を失わなかったと考えればジブワに多少の感心を覚えたところだが、生憎今日までの所業と具体性のない展望には、一人の男の醜い我が儘が溢れ出ていた。

 到底褒められたものではなく、聞いている側としては不快なものを覚える。
 そこから漂う狂気性も、こうして相対していて気分が悪くなるほどだ。

 それはグルジェも同様で、先程よりも眉間に寄る皺が深くなっていく。

「それが本当の目的か。他の連中はそれを知っているのか?」

「いいや、知らねぇだろうな。俺以外の爺さんたちは、本気で聖地を手にしようと動いてはいる。元々そういう名目で集めたからな」

「なら、それを僕が彼らに伝えれば、あんたは孤立することになるな」

 ラーノ族にとって聖地がどれだけ大事なのか、俺には正確に知ることは出来ない。
 だがこれだけの人数、それも本来なら生まれた土地から離れるのを嫌う老人が他国へやってきているのも、聖地奪取という一つの目標があるからだ。

 五究剣の名声は勿論として、同志だからこそジブワを旗頭にしていると言っても過言ではないこの集団に、ジブワの狙いが聖地にないと明かしてしまえば、疑心と混乱で一団を瓦解させるのも期待できる。
 まるっと全てとは言わないが、ジブワを見限ってこちらにつく者も出てくるかもしれない。

「どうかな?爺さん達にとってはお前は敵だ。そんな奴の言葉に耳を傾けると思うか?何かの策略だと思うかもしれないし、俺が罠だと言えば…どっちの言葉を信じるかね?」

 確かにグルジェとジブワ、敵と味方どちらを信じるかなど悩むまでもない。
 ましてや相手は聖地のためにと、大義名分を手にしていると思い込んだ老人だ。
 柔軟な思考は期待できないし、疑ってかかるのが正しいという人生経験も積んでいることだろう。

 なるほど、ジブワが自分の本当の目的を話した理由を、単に俺達など楽に殺せるという驕りだと思っていたが、俺達がそれを材料にして離反を狙うのが無駄だという自信があってのことか。

「まったく、度し難いな、ジブワ…っ!」

 狙いが外れたことによる苛立ちからか、グルジェはジブワを睨みつけ、二人の間に漂う空気が鋭さを増していく。

 一瞬の沈黙の後、唐突にどちらの姿もその場から掻き消え、次の瞬間には互いの武器をぶつけあう。
 休憩は終わりだとばかりに再び戦闘を開始した二人は、先程の焼き直しのように目で追えない速度で動き回り、轟音だけが衝突を伝えてくる。

「語り合いの時間は終わりってか!もうちょっと説得に時間を使ってみたらどうなんだグルジェ!」

「あんたが相手じゃなかったらそうするがね!あんたがそんなにも儀式にこだわるなら、説得は無意味だと悟っただけだ!いつからそんな人間になっちまったんだ!」

「いつから?おかしなことを聞くなぁ!最初からさ!俺が祖父から儀式のことを聞かされてから、ずっとこういう人間だ!」

 武器が鳴らされる合間に、グルジェがジブワを責めるような言葉を投げつけるが、それを受けてもジブワは堪えることもなく、むしろ己の揺るぎなき正しさをこちらへ示すような太い芯のある声で返していく。

 同じラーノ族であると共に、遠い親戚でもあり、恐らくこのやり取りから面識もあったと思われる二人の戦いは、徐々に激しさと共に感情も増していき、ついにはどちらともが絶叫を上げながら一際激しくぶつかりあった。
 そしてその衝撃で、二つの影が地面へと転がり落ちる。

「はぁっ…はぁっ…くそっ、腐っても五究剣か」

 手にしている槍の先をジブワの方へと向けたまま荒く息を吐きながら、グルジェはそう毒づく。
 体のあちこちには剣で付けられたと思われる切り傷があり、対するジブワも同様に傷は負っているが、その数は明らかにグルジェよりも少ない。

「ふぅ…お前も大したもんだ。流石はダルジの息子、血のなせる業か、槍を使わせたらラーノ族でも並ぶ者はいないだろうよ。だが、五究剣の名は虚飾ではない。じわじわとなぶるのは趣味じゃないんだが、どうやらお前が死ぬ時は近いようだぞ、グルジェ」

 グルジェは今にも地面に倒れ込みそうなほどに消耗しているのに、ジブワの方は多少息を乱しはしてもすぐに平然と立ち上がったあたり、地力の差というのを見た気がした。

 槍の有利をもってしてもこの差がある相手に、このまま戦ってはグルジェの方が負ける未来も十分にあり得る。
 殺気を緩めることはせず、しかし地面に跪くグルジェを見る目には幾分か穏やかさが感じられ、もうすでに実質の決着はついていると、態度で語っていた。

 確かに今の二人の姿を見れば、地に膝を着く者と十分な余力を残して立つ者という歴然とした差がある。
 どちらも化け物と呼べる猛者だけに、その差は決して侮っていいものではなく、いざこの時に再び火蓋が切られれば、グルジェの死は容易に想像できるだろう。

 ただ、一つだけ俺から言わせてほしい。
 ジブワよ、敵は目の前にいる奴だけではないのだが?

「そろそろいいかい、グルジェさんよぉ!」

「ああ!やってくれ!」

 グルジェとジブワが戦い始めてからここまで、俺は体力の回復を図りつつも、ずっと準備をしていたものがある。
 使いどころを悟った俺がグルジェへかけた大声に、意地の悪い笑みと共に答えが返された。

「っなんだ…水っ!?」

 ゴポリという重い音と共に、地面から染み出すようにして現れた大量の水が、意志を持ってジブワの体へと纏わりついていく。
 最初は地面に切っ先を埋めている剣を、そしてそこから手繰るようにしてジブワの手から全体へと水のベールは浸食を始める。

 この辺りは元々水場だったおかげで、さほど深くはない地下にもそこそこの量の水がまだあった。
 それを俺は秘かに魔術で操り、ジブワを捕まえるために今こうして使ったわけだ。

 意識をグルジェだけに向けていたせいで、一拍だけ反応が遅れたジブワだったが、今はそれだけの隙で十分だった。
 有り余る魔力を注ぎ込み、最低限の精度以外は拘束を特に意識した水魔術は、あっさりとジブワの体を覆いつくし、顔を除く全身、特に剣とそれを持つ右手を重点的に束縛してしまう。

 俺の制御下にある水はまるでスライムのようにグニョグニョと蠢きつつ、あっという間に一人の人間を飲み込んだ水のダルマを作り上げる。

「くそっ、たかが水ごとき…ッッ重ってぇ!なんだこりゃ!?」

「俺の魔力をたっぷり使った水の拘束具だ。ただ水で覆われてるだけだと思うなよ?」

 たかが水と侮って、力づくで拘束を解こうとするジブワだったが、生憎この水は俺が魔術でじっくりことこと圧縮した高圧の水塊で、同量の鋼鉄で体を固められているのと同等だと自負する。
 おまけに水ならではの柔軟性も備えているため、多少手足を動かせたところで水が追従して逃すことはしない。

「ちっ、扱える属性が三つもあったのかよ……やられたな」

 身動きが出来なくなったことで抵抗を諦め、俺を睨むだけとなったジブワに注意を払いつつ、グルジェの様子を窺う。
 まだ疲労の極みにはあるが、最大の脅威が身動きできないことで、落ち着きは見せている。

「狙い通り、ジブワは拘束できたようだな。よくやった、アンディ」

「いえ、グルジェさんが上手く引き付けてくれてたおかげですよ」

 お互いの仕事を認め、労いの言葉をかけあう。

 今ジブワを拘束しているのは俺の魔術だが、ここに至るまでのグルジェの功績は決して小さくない。
 大量に魔力を動かせば、ジブワほどの猛者にはその準備段階でも察知されてもおかしくはなかった。
 そもそも木っ端同然に無視されていたとはいえ、ジブワに魔術の発動を察知されなかったのはグルジェが全力を示して注意を引き付けていたからだ。

 大量にあった地下の水を掌握するのにも、そこそこの時間がかかったことから、グルジェが稼いだ隙は値千金だったと称えたい。

「…俺はまんまと踊らされたってわけか。いつからだ?」

 そんな俺達に、地の底から響くような声で、ジブワが尋ねてきた。
 主語が欠けているようだが、何となく何を聞きたいのかは分かる。
 だがここはあえて尋ね返すべきだろう。

「何がだ?」

「グルジェがここに来てからお前らは言葉を交わしていなかった。だが、こうして連携して俺を捕えている。ここまでの流れはいつから考えてた?」

「いつから?おかしなことを聞くな…最初からだ」

 先程グルジェとの戦いで吐いたジブワの台詞をそのまま返してやると、苦々しい顔で舌打ちをされてしまった。
 意趣返しのつもりだったが、思いのほかイラつかせてしまったようで、ジブワは親の仇のようにこちらを睨み、黙り込んだ。

 ああは言ったが、種を明かすと何のことはない。
 実はここまでの流れについて、先程ジブワとの打ち合いが一旦途切れた時に、グルジェとは内緒話を済ませていただけだ。

 グルジェは俺に魔術の援護を、俺はグルジェにジブワを引き付けて時間稼ぎと動きを止めるタイミングを作ることをそれぞれが求め、そして応えたのがこの結果となった。

 ジブワを前に感情を高ぶらせていながら、その実グルジェは冷静でもあり、短時間で連携を組み立てられたのは完全に頭に血が上っていなかったおかげでもある。

「…やっと来てくれたか」

 ふいに遠くの方を見たグルジェがそう呟くのと同時に、多くの馬の嘶きと馬蹄の音、そして武器と怒声がぶつかる音が聞こえてきた。
 俺達のいる場所からは離れた場所で、ジブワ達の一党が何かと戦っているようだ。

「来た、とは?」

「うちの連中さ。途中までは一緒だったが、僕だけが一足先にここに来たからね。遅れてようやく今、到着したというわけだ」

 姿は見えずともかなり激しくぶつかっているようで、聞こえてくる音からは果敢に攻めているように思える。

 グルジェが率いていた部隊は、彼自身が連れてきたラーノ族十人にスワラッド側の兵士が加わった四十人強の編成だが、それに対してジブワ達は百人ほどと、数の不利は明確だ。
 ただ、ジブワ達はここを離れるべく動いていたはずなので、奇襲に近い形でなだれこめば、戦いを拮抗状態とすることは可能だろう。

 さらに今はここにいないニリバワ達が加われば数の上では五分だが、一度撤退の方針を示して散った兵をまとめるには時間もかかるのを考えれば、今はまだ五十人の兵で攻めていると考えていい。

「ジブワも捕まえた、援軍にニリバワ殿がやってくれば数の上では差がなくなる、全員は無理でもかなりの数を捕縛できる。どうやら戦いは決着したと見ていいな」

「油断は禁物、と言いたいところですが、この状況ならそう考えてもいいでしょう」

 決して楽ではなかったが、終わり方はあっさりとしたもので、旗頭を抑えたことで他の連中もそのうち大人しくなることだろう。

 全員を生きたまま捕えられないとは思うが、罪を償わせるためにもなるべく多くは命あるまま、捕虜としたいところだ。

「…こっちは全員が年寄りばかり。体力的な観点から、長時間の戦闘が続けばいずれボロがでる。こりゃあいかんな。どうにもならん」

 俺とグルジェが話すのに割り込むようにして、諦観の念が籠った声色でジブワがそう呟く。
 まるで自分達の状況が詰んでいることを嘆いているようだが、こちらを見るその目にはまだ力があり、そして何より、狂気的な光が増しているようにも感じられる。

「そう思うなら、すぐにでもあんたの口から戦闘の停止を呼びかけろ。これ以上無駄な戦闘は―」

「あー、待て待て。そうじゃない」

「なに?」

 無益な殺生を減らそうと説得の言葉を口にしたグルジェに、ジブワは嘲笑うような調子の言葉を被せてきた。

「俺が言うのはそういうことじゃない。はっきりいって、爺さん連中がどうなろうと俺は知ったこっちゃないんだよ。死のうが生きようがどうでもいい。ま、本当ならちゃんとした日を選びたかったんだが……こうなっちまったら贅沢は言ってられんか」

「貴様っ!この期に及んでまだ何かを!」

 俺達を見ているようで見ていない、不気味な目をしたジブワは、どうやらまだなにかをしようというらしい。
 グルジェはまだ膝が地面を離れられないながらも、手にしている槍をジブワに向け、今にも突きを繰り出しそうなほどに険しい顔に変わる。

「満月の夜こそ儀式は最も力を発揮する。それはお前も知ってるな?だが、逆を言えば、満月じゃなくともある程度の力を発揮するってことになる。つまりだ!」

 突然、ジブワが狂的な笑みを浮かべるとともに、剣を持つ手を振り上げる。
 体を覆う水によって動きが制限されていながら、多少鈍くとも普通に動く姿には驚愕を覚えるが、それ以上に、次にとった行動がさらに俺を驚かせた。

 何とジブワは、重さを増したままの剣を自分の腹部へと激しく打ち付けたのだ。
 水と水をぶつけて弾き飛ばす目論見でもあったのか、しかし俺の魔術はそうしたところで剥がせない。
 多少勢いを付けようとも、水が表面張力で互いに結合するようにして合体、衝撃を吸収するはずだった。

 ところが、強い破裂音と共にジブワの体表にあった水が、霧となって辺りへ飛び散っていった。
 魔力によって増した水による衝撃吸収は、ジブワの振るった剣の勢いでは到底突破できるものではないのだが、現実として目の前で起きてしまっては否定のしようもない。

「なんだ今のは?剣をぶつけただけでは俺の水魔術はあんなことには…」

「バカな…なぜ奴があれを!?」

 信じられないものを見たと、見開いた眼と呆けたように開けられた口が物語る。
 同じく驚いてはいるが、疑問の方が多い俺と違い、グルジェは今起きた現象については心当たりがあるようだ。

「知ってるのか、グルジェさん!」

「打震撃だ。ファウシ殿…他の五究剣の方が使う唯一無二の剣技!ジブワめ、技を盗んだか!」

 なるほど、ただの剣打で俺の水魔術は潰されないとは思っていたが、打震撃と呼ばれる未知の技術によって成されたとするなら、理解はできなくとも納得するしかない。
 しかしラーノ族ってのは化け物揃いか?

「具体的にはどういう技ですか?」

「僕も術理は詳しく知らない。ただ、どうやってか一呼吸の間に剣を八度撓ませることで、とてつもない衝撃波を生み出すとしか。過去には天から降って来た燃える岩を砕いたという逸話もある、強力な剣技だ」

 天から降る燃える岩となると、隕石か。
 大きさにもよるが、小石程度であっても恐ろしい威力を秘めている隕石を迎撃したとなれば、とんでもない技だ。

 それを個人が使えるのも怖いが、それを学んだか盗んだかして使うジブワはもっと怖い。
 グルジェの口ぶりからすると、容易に習得できる技ではないようで、その点でもジブワの高い能力が窺い知れる。
 とはいえ、楽に使ったとは言えず、それなりの無茶をしたようだが。

「グルジェさん、ジブワの右腕が…」

「ああ、グシャグシャだ。平然と使ったように見えて、相当な負荷がかかったらしい」

 俺の水魔術を消し飛ばした威力の代償に、ジブワの右腕は指の先から二の腕に至るまでの範囲であらゆる部分に傷が出来ていた。
 切り傷はむしろ軽い方で、指や肘のあたりからは折れた骨が飛び出しているほどだ。

「ぜぇ…ひゅぅ…ぐぅっ、はぁ…流石に、ファウシほどには、使いこなせんか」

 オリジナルであるファウシとやらが使えば、恐らく怪我もないのだろうが、ジブワが使ったことで受けた反動があの怪我なのだろう。
 傷の痛みは尋常なものではなく、ジブワほどの戦士であっても、荒い息と脂汗から今にも倒れ伏してもおかしくはない。
 ただ、あの様子だと剣を握ることは出来ず、五体満足の状態に比べれば脅威度は依然下がったままだ。

 足搔くなら剣を左手に持ち直してこちらへ飛び掛かってくるかと身構えた俺達だったが、その予想をあっさりと裏切ったジブワは背中を向けて走り去っていく。

「ちっ、あの怪我でよく…追うぞアンディ!」

「あ、はい」

 恐ろしいほどの強さを見せたジブワが平然を逃げ出したことに一瞬呆気にとられたが、グルジェの声に急かされてすぐに後を追う。
 何やら儀式を強行するようなことを口にしていた以上、阻止するためには狙撃するべきなのだろうが、生憎こちらも消費した魔力は決して軽くないため、一拍遅れて出来た距離は走って追いかける以外の手段を難しくした。

 使えなくなったのは右腕で足の方は両方健在とはいえ、それでも負ったダメージで足取りは重いはずのジブワだったが、一目散に駆けていくスピードはとても怪我人のそれではなく、追いつけたのはあの謎の樽が積まれていた場所へ辿り着いてからだった。

 周りではジブワ達の一党とグルジェのつれてきた兵士達の戦いが続いているのだが、この広場のようになっている場所では戦闘はないようで、そこには樽を運び出そうと手配されたと思われる馬車があるだけだ。

 その樽の一つにジブワは激しい息を吐きながら無事な方の手を付き、倒れ込むようにして身を預けている。
 そうしながら、遅れて到着した俺とグルジェを見る目には、狂気の色が濃くなっているように思えた。

「…これでいい。場所と時間は不満だが、まあよしとするか」

 そう言いながら、もどかしそうに懐から何かを取りだすと、樽の側面へと叩きつけた。
 なにやら赤黒い布のようなそれは、樽に不自然な張り付き方で固定されている。
 奇妙なほどに強く存在感を放つそれは、俺の視線を惹きつけてやまない。

「よせジブワ!そこから先は取り返しのつかないことになる!オクタレッカはお前が思うようなものじゃっ…」

「腐れた血!月光で咲く花が染めた紋様!さあ、舞台は整った!」

 何かを伝えようと焦るグルジェを、嘲笑うようにジブワは天を仰いで呪文のようなものを口ずさむ。
 魔術の詠唱に似てはいるようで、しかし根本的に何かが違うと思わせるそれは、まるで世界に向けた呪いの言葉と思えるのは何故だろうか。

 あれが儀式を執り行っているというのなら、今すぐにジブワを張り倒して中断させるべきだが、どういうわけか足を動かす気が起きず、それはグルジェも同様らしい。
 ただジブワを黙って見ているだけしかできず、そうするのが正しいという思いと止めるべきだという二つの思いがせめぎ合っている。

 突如、辺りに生暖かい風が吹き始めた。
 どこから来ているのかは分からないが、しいて言うならばジブワのいる場所からと言うべきか。

 また、風と共にやって来たのか、強烈な異臭が鼻を突く。

 まるで鉄錆と生臭さを煮詰め、死体から放たれる腐敗臭を混せこんだような強烈な臭い。

 あまりにもひどい臭いに、これ以上例える言葉は見つからないが、あえて言うのならおぞましい死が臭いとなって表れたとも言えなくもない。

 顔をしかめながら原因であろうジブワの方を見ると、樽のいくつかに黒い靄がまとわりついているのに気付く。
 一見すると煤に見えなくはないが、何故か俺の勘があれはこの世ならざるものだと囁く。

 実際、魔術師としての俺はあそこに強い魔力の奔流を感じ、そこから俺などの手に負えない、災害級の魔術がいつ発生してもおかしくはないと、感覚が警鐘を鳴らし続けている。

「大いなる力、大いなる存在!さあ、俺に力を寄越せ!」

 詠唱が終わったのか、満足げな様子で高らかにジブワが天へと叫ぶ。
 大いなる存在とやらに呼び掛けたその声に、ようやく体が自由を取り戻した俺とグルジェは、これから起こる何かに備えて一先ずは身構える。

 ジブワが儀式によって強大な力を手にするのなら、果たして俺達の手に負えるのか。
 あるいは、儀式が失敗したとして、今もジブワの周囲に滞留している莫大な魔力がどう働くのかという不安もある。
 どちらにしても、好転するとは思えず、分かりたくもない結果を知る時が来るのを、ただ待つしかない。

 だが、そうして少しの時間を過ごすも、特にジブワにも変化が起きない。
 こちら側にも何かが起きるということはなく、次第に俺達は同じ困惑の顔を浮かべる。

「…なんだ?なんで何にも起きねぇ!?力は!大いなる存在がもたらす力ってのはどうした!?」

 特に起死回生を狙ったジブワは焦りが強く、辺りの様子と樽を何度も確かめる姿は滑稽を通り越して哀れにも見える。

「失敗、ですかね?」

「何も起きないということは、そう…なのか?」

 現象らしい現象が生み出されず、そうなると儀式は失敗したと判断すべきかとグルジェに尋ねると、向こうも首を傾げながら同意を示す。
 かなり危険な儀式だと思っていたが、失敗に終わったということで安堵の息が漏れそうになったその時、辺りに漂う魔力が急激に動きを見せた。

 同時に、まるで押しつぶされそうな重圧が俺の体を襲う。
 立つことすらできず、俺もグルジェも、そしてジブワすらも地面に膝を着く。
 物理的な何かかと思いきや、辺りの地面や木といったものに変化がないことから、どうやら俺達だけが感じるプレッシャーのようなものだと分かる。

「ぐっ…ははっ……はっはっはっはっはっは!儀式は成っていた!これが大いなる力!この力を俺は手にできれば!」

「バカ野郎、が…こんな状況で何言ってやがるっ!」

 決して人の手には負えないと、誰もが肌で感じ取れるだろうに、狂ったように笑うジブワは完全にイカれているとしか思えない。
 グルジェもそんなジブワに悪態をつくも、立ち上がることすらできない状況では、他に出来ることはないとあきらめているようだ。

 プレッシャーは徐々に高まり、今にも俺達は握りつぶされそうな力に呼吸すらままならず、いっそ死を選びたくなる中、周囲の様子に変化が訪れる。
 木々や岩の影にあった暗闇という暗闇が、吸い寄せられるようにして一か所に集まりだしたのだ。

 音もなく集まる暗闇は、徐々に大きさと立体感を増していき、ついには人の形をとると、滲むようだった輪郭がはっきりとしていく。

 そして、影が光を浴びて薄くなるようにして黒以外の色が生まれていくと、ついにそれは完全に姿を現した。

「なん…だと…」

 表れた人影を見て、驚愕から思わずつぶやく。

 感じたのは、圧倒的な力。

 俺などとは比べるべくもなく、下手をすればディースラも及ばないとも思える圧倒的な力を隠すこともなく巻き散らしながら立つ姿は、正しく神と、そう呼んでもいいものだった。

 見た目は細かい木の枝で全身を覆われ、さながら人間大のミノムシといった感じだが、隙間から覗く目と飛び出す手足から、その内に人の姿を持っているというのは分かる。

 俺はその存在に覚えがあった。
 それは向こうも同じようで、姿を見せてから周囲を見渡した時に、俺を見つけると楽し気な様子で手を振って声をかけてきた。

「やあ、アンディ!久しぶりやね。いやぁ、いい具合にお前さんの近くへ門が開いて助かったち。手間が省けた。それで、預かってた荷物を届けに来たんやが…もしかして取り込み中?」

 手に持っていた包みを持ち上げこちらへ親し気に話しかけてきたのは誰あろう、無窮の座で知り合ってそれなりに世話になったエスティアンだった。
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