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潜伏は楽だがバレることもある

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「ではジブワ達は、儀式のために村一つを皆殺しにしたわけですか。潜んでいるのも、儀式に適した日を待っている、と。奴らの行動の謎が一つは分かったような気もしますが、そもそもなんなんですか?その儀式って」

『それは言えぬ。本来は根絶されるべき、恐ろしくも忌まわしい儀式なのだ。これでもかなりのことをお主らに明かしておる。これ以上儀式については話せぬわ』

「そうですか。まぁディースラ様がそうまで言うなら、俺も別に知りたくないんで構いませんが」

 どうもヤバい儀式のようだし、細かく聞いてしまうと面倒ごとが増えそうなので、ここは深く踏み込まないほうがいいだろう。
 俺はクールに引き下がるぜ。

『それがいい。世の中には知らずともよいことの方が多いものだ。特に、唯人の身ならばな。それより、水の流れが弱いぞ。もっと強くせい』

「へいへい」

 不満げに言われて、俺は展開している水球の中の流れを強める。
 魔術の制御に未だ難のある俺だが、人一人が余裕で入る大きさの水球を作り、それを宙に浮かばせながら球体内部の水流を操作するという、かなり難易度の高い水魔術を行使できるようになったのは、今日までの地道な修行の賜だ。

『おっふぅ~…これこれ、これでいいのよ、こういうので』

 布一枚で隔てられた向こうからは、その水球に身を収めているであろうディースラの気持ちよさそうな声が聞こえてくる。
 なんか、ちょっとエロい。

 砦内に用意されたこの部屋は、ディースラが最上級のVIPであるためか、俺やパーラに割り振られたものよりも広さと内装が数段上だ。
 水浴び用のスペースは室内に設けられているのだが、浴槽などと気の利いたものがないため、こうして俺が呼び出されて魔術式のジャグジーをやらされている。

『水加減はどうですかーディ―スラ様』

『うむ、良きかな。水浴びなどとたかをくくっていたが、アンディの魔術も存外使えるものだな。どうだ?パーラも一緒に入るか?』

『私は済ませてるんで』

『で、あるか』

 そのディースラの傍にはパーラが世話のためについており、時折聞こえてくる会話は主従のそれよりは気安さが感じられるものの、粗相はないようなので俺は魔術の維持に集中できる。
 遅い時間にも拘らず、水浴びを所望した我が儘ドラゴンのために動く俺達は、まさに従者の鑑と言っていいのではないだろうか。




「ふー…さっぱりしたわ」

 水浴びを終え、リフレッシュした顔でソファに身を投げ出したディースラ。
 俺とパーラも勧められるままにソファの体面に座り、その様子を窺うが、会議を終えた直後の不機嫌さも大分和らいだように見える。

「それでだ、さっきも少し話したが、ジブワ達が危険な儀式を行おうとしている以上、早々に居所を突き止めて、捕縛するなり殺すなりせねばならん。明日からは我らも、ここの兵に混ざって方々を駆けずり回ることになるだろう」

「まぁそうでしょうね。ただ、大まかな位置も分からないで探すってのはどうかと思うんですが。そのあたり、お偉方はなんか考えてるんですか?」

 ワイディワ侯爵領では、今日まで兵員をフル稼働させてジブワ達の行方を捜していたが、尻尾すらつかめていない。
 勿論手を抜いていたわけがないのだが、ジブワ達による儀式の危険性を自覚し、これまで以上に捜索に力を入れることになる。

 とはいえ、広い領土で潜伏している百騎程度を、何の手がかりもなく探すのは効率が悪い。
 会議で明確な方針を決められたことを期待して、一体どう動くのかを示してもらいたい。

「無論、考えておる。元々いるこの地の兵に、我らが連れてきた兵士も加わったことで多少手は増えた。人の数だけ捜索の範囲は広げられるというのがまず一つ。そして、イブラヒムが今日まで集めてきた情報にグルジェの見解を合わせ、確実に場所を割り出す」

「…ん?いないところを?先に捜索の選択肢から外す場所を選ぶってこと?」

 ディースラの言葉に引っかかりを覚えたのか、パーラが悩まし気な唸り声を上げて尋ねる。
 人を探すと言っておいて、いない場所を割り出す…確かに妙な感じだ。

「そうではない。グルジェからジブワの性格を少し聞いたが、奴は相当狡猾な人間だ。潜伏すると決めたなら、必ずこちらの裏をかきよるはず。つまり、我らが探そうとする場所に潜むことはしない。逆に探そうともしない場所に隠れていると考えられる」

「なるほど……え、それって当たり前じゃないの?探さない場所に隠れるって、私らも普通に考えるけど」

「どうかの?探さない場所と探そうと思わない場所というのは随分違うものよ。奴らが捜索する者の心理を逆手に取っているのならば、こちらもさらに逆を張る。ジブワという人間を知るグルジェに、この地で今日まで探索を続けてきたイブラヒム、この二人の思考を縒り合わせて、ニリバワが場所の特定を行う。そして、潜んでいないと断定できる場所へ兵を送り探す。当然、お主らもこれに加わる」

 隠れている人間を探すのに、隠れそうにない場所を探すというのは妙に思えるが、やろうとしていることは理解できる。
 それが果たしてうまくいくかは未知数だが、異議を挟むだけの材料を持たない俺は、お偉いさん達が決めたことと従うだけだ。

「ねぇディースラ様、私ちょっと考えたんだけど、水の亜精霊に手伝ってもらうのってどう?前に聞いた感じだと、結構いろんなところにいるんでしょ?」

「へぇ、パーラにしてはいい案だな。ディースラ様、川や湖なんかどこにでもいる水の亜精霊なら、ジブワ達も見かけているかもしれません」

「ちょっと、私にしてはってどういう意味よ、もぅ」

 スワラッドに居ながらにして連合の一部族が抱えた問題を知っていたように、水の亜精霊によるネットワークを使えば、ジブワ達がどこに潜んでいるのかも突き止められそうだ。
 なにせ馬と人を大勢抱えている以上、水を全く補給しないでいられるわけがなく、どこぞの水場でそれらしい人間がいたと亜精霊から聞き出せれば話は早い。

「それは無理だ。確かに水の亜精霊は水場ならばどこにでもいるが、残念ながらあれらは人の顔を見分けられぬのだ。我のような力ある者ならばともかく、人種程度のちっぽけな存在ともなれば、各人を個体として判別できん。ジブワの姿形を伝えたとして、そこらを歩く旅人とジブワの違いなど分からぬだろうよ」

「えー、何それ…あ、じゃあさ!百人ぐらいの人間と同数の馬の集団なら探せない?」

 個体を見分けられないなら、集団という条件を付けて探させるわけか。
 名案だと目を輝かせているパーラだが、俺が気付いた問題点を教えるよりも早く、ディースラが指摘してしまう。

「ふむ、個人を探させるよりは期待できそうだが、今この領内では侯爵麾下の兵士が捜索と警戒で何人動き回っている?全体の兵の数だけならば百人は優に超えておろう。どこまでを一つの部隊と見做すか、亜精霊の判断にもよるが、正確に見分けてくれるなどと思わぬ方がよい」

「あ」

 どうやらパーラも気付いたようだ。
 仮に百人の騎兵を水の亜精霊が見つけたとして、それがジブワか侯爵麾下の部隊かを亜精霊は判別できない。

「か、隠れてる騎馬が百って条件でなら…」

「隠れるというのが何を指すかによろうな。人目を避けて森にいるのか、涼を求めて木陰で休んでいるだけなのか。果たして水の亜精霊は見分けられるか、我には疑問だのぅ。お主が思うほど、あれらは融通が利かんぞ」

 さらに細かい条件を付けて探すというのを口にしたパーラだが、それもディースラによって否定される。

 どうも聞いている限りでは、水の亜精霊はあまり頭のいい存在ではないようで、普人種程度の力ならばどいつも同じに見え、しかも隠れているか休んでいるかも見分けられないという。
 なんとも使い勝手が悪そうではあるが、そもそも精霊に対する信頼が低い俺からすれば、亜が着くとはいえそんなものだと思わせる妙な説得力もある。

 水の亜精霊を使った捜索は効果が望めないため、やはり兵の足を使った数での捜索となる。
 恐らく明日の朝一番にでも、捜索範囲の設定とそれに伴う部隊の編成が行われるはずだ。
 領内の主だった場所はとっくに調べ尽くされたはずなので、探すのは怪しくないが怪しい場所という、どうにも難しい仕事になりそうだが、それがジブワ達へと至る道となることを期待しよう。





「これで三か所、収穫無しと」

 つい先ほどまで調査していた洞窟の入り口を睨みながら、馬に吊り下げていた木版に書かれた文字に斜線を引いて抹消する。
 捜索予定の場所を記した木版には、同様の斜線が引かれた箇所がこれで三つとなった。
 残りの六か所、それも今いる場所から近くとなると、今日の内に回れるのはあと一つといったところか。

 ヤブー砦での侯爵達が会議をしてから、今日で二日が経つ。
 ジブワ達の捜索のために部隊が再編された俺達は、支援として駆け付けた兵と砦にいた予備兵を合わせた三百名強を、五十名ほどに分けて捜索隊を六つ作り、それらの部隊でワイディワ領内に散らばって捜索を続けている。

 流石に侯爵は前線に出ないが、ニリバワやグルジェ、ディースラまでもが捜索に加わるとあって、兵達の士気と緊張はかなり高まっていた。

 いくつかに分けられた部隊には、戦力を均等化するという目的のために、戦闘能力の高い人間はバラけさせて配置されることとなり、特に数の少ない魔術師である俺とパーラは別の部隊に配置される。
 その際、ディースラが自分の世話役は自分の部隊に随伴させると駄々をこねのだが、ただでさえディースラ一人で火力が過剰なのに、さらに魔術師二人を付けるのは全体のバランスとしてまずいと、当然ながら却下された。

 ディースラとしては、ここまでの旅ですっかり舌が慣れた俺の食事に期待してのことだが、結局諸々の世話も考えられてパーラが付くことで落ち着く。
 美味い食事から遠ざけられたとディースラは不満たらたらだが、おかげでこの部隊だけはドラゴンの戦闘能力に、探知能力の高いパーラが加わったある種最強の部隊が出来上がってしまったと、俺は秘かに頼もしさと羨望を覚えてしまう。

 そして俺はというと、魔術師であることの希少性は認められはしても、戦闘能力に関してはさほど示してもいないため、ニリバワが率いる部隊へ置かれた。
 この決定では、配属先をグルジェの部隊と迷ったそうだが、短いとはいえ首都からの旅の付き合いがあるニリバワに軍配が上がったようだ。
 俺としては別にどちらでもよかったので、特に異議を唱えたりはせず、そのままの配置で今に至る。

 探す場所は侯爵達が選定した五十か所ほどで、それを各部隊が手分けして探すことになるのだが、土地勘のある人間からすれば、そのどれもが首を傾げる程度には潜伏に向かない場所らしい。
 もっとも、そういう場所だから探す意義があると、ディ―スラから話を聞いていた俺とパーラは分かっていたため、特に疑問や不満はなく臨めている。

 隊の目標は勿論ジブワらの捕捉だが、発見しても交戦せずに友軍の到着まで監視に留めるということは厳命されており、それはディースラが率いる部隊も同様だ。
 これは恐らく、侯爵としてはなるべくジブワを生かして捕らえるつもりだからだろう。
 村一つ分の領民を殺し、国境守護の大任を任された侯爵の面子も潰したも同然の人間を、ただ殺して終わらせる気はないというのは当然の考えだ。

 きっと捕まれば、見せしめの処刑か連合との後ろ暗い取引にでも使われるかの辛い未来が待っていることだろう。

「よし、次の捜索予定地へ向けて出発するぞ。各小隊、異常がないか報告せよ」

 少し前のことを思い出している俺の横にニリバワが馬で寄せてきて、周りへ向けてそう声をかける。
 部隊では五十人の兵士を十人ずつに分けた五つの小隊が組まれており、ニリバワもその一つを率いる小隊長ではあるが、全体の指揮を執る彼女以外の四人の小隊長がそれぞれ声を上げた。

 ジブワどころか魔物すらいなかった洞窟の調査で兵士に被害など出るわけもなく、当然返ってきたのは問題なしの報告ばかりだ。
 それを受けて、俺達の部隊は準備が出来次第出発となり、次の場所へ向けて動くことになる。

「アンディ、今日は恐らく次の場所で調査は一旦終わりとなるわよ。野営用の物資は問題ない?」

「ええ、昨日使った分を差し引いても、今日の野営に不足はありませんよ」

 部隊の物資の管理は何故か俺に一任されているため、部隊内で抱えている物資の量を思い浮かべ、そう答えておく。
 ニリバワがそうだからなのか、この部隊の人間も全体的にこの手の管理を苦手としている者が多く、慣れてはいないが特に苦とはしない俺にお鉢が回ってきたというわけだ。

「そう。一応捜索はするけど、恐らく何も見つからないでしょうね。あの辺りには水場はないから、道すがら野営にいい場所も探すとしましょう」

 今はまだ昼過ぎぐらいだが、次の捜索場所までは少し距離があるため、移動時間と現地での捜索時間を考えると、野営場所を選びながらの移動となりそうだ。

「隊を率いる人が、向かう前からそう言ってしまっていいんですかね?士気に関わりませんか?」

「そうは言っても、昨日に続いて今日も手掛かりすらなかったのよ。これから行く場所にも、ジブワ達がいる可能性は低いと考えてもおかしくないでしょ?」

「まぁそれはそうかもしれませんがね。ただ、ジブワ達がいそうにない場所を探しているなら、ニリバワさんがそう考える先にはジブワ達がいるかもしれませんよ?」

 ジブワ達が潜んでいないであろう場所にこそ探す意義があるとして始まったこの捜索で、ニリバワが望みが薄いと思ったのなら、そここそが本命ではないかという、逆説なのか順当なのかなんだかよくわからない理論だ。
 俺自身、何を言っているんだと少し混乱しそうなぐらいだ。

「ん?……なるほど、確かにそうだわ。となると、私達が行く先が本命ということになるかもしれないわね。お手柄かしら?私達。ふふっ」

 俺の言ったことが面白かったようで、楽し気に笑う姿を周りにいる兵士達が訝し気に見てくるが、ニリバワは気にもせずに馬首を巡らしてどこかへ歩いていった。

 今この場で一番偉い人がそういう態度なものだから、出発までの少しの間、部隊内は和やかな空気になったのだが、まさかこの俺の言葉があんな結果になるとは、この時は誰も思っていなかっただろう。




 亜熱帯の地では、夕方辺りの時間が一番熱くなる。
 湿気を含んだ空気は高い気温を息苦しいまま肺へと伝えてきて、普通に立っているだけでも汗が絶え間なく皮膚を伝っていくほどだ。

 そんな暑さの中、多少ましとはいえ日陰に身を潜めた俺達は、目の前に広がるすり鉢状の土地の中心にいる不審な集団へ、緊張を含んだ視線を向けていた。
 周囲を高い木に囲まれているせいで薄暗いが、まだ太陽の光は衰えておらず、おかげで向こうの様子がよく見える。

「…確認しました。ラーノ族の紋章です」

 息を呑むようにして呟かれた兵士の言葉に、それを受けてニリバワが深い溜息を吐く。

「そうか。アンディ、君の予想が当たってしまったな。ここはおめでとうと言っておこう」

「今この時に限れば、これほど嬉しくない賛辞はないですね」

 昼頃に冗談めかして言った、一番可能性の低い潜伏場所だからこそいる可能性が高いという言葉が、こうして目の前で現実となると、流石に笑って喜ぶことは出来ない。
 何せ向こうは手練れの騎兵が百人、こっちは素人同然の兵士が混ざった五十人という、数でも質でも劣っている状況だ。
 できれば近場に友軍がいる状況で見つけたかった。

 今俺達がいるのは、この時期だと本来は川の水が溜まって沼となる場所なのだが、最近は川の水量が少ないため、ああして騎馬集団が居座れるだけの土地に変わっていた。
 例年ならば沼となっている土地だけに、ワイディワ侯爵領の人間もまさか何者かが潜む場所とは考えなかったようで、そういう意味ではまさに探そうとも考えない場所という条件にはぴったりとはまっていたといえる。

 そして、そんな場所に潜むラーノ族となれば、心当たりはひとつのみ。

「これより、あの集団をジブワとその一味と断定する。第二小隊はただちにこの場を離脱し、発見の報告を近隣の友軍…確かグルジェ殿達がすぐそばにいたな?そことヤブー砦へ届けろ。残りはここより百メートル後退し、以後連中への警戒監視体制を敷く。あくまでも監視だ。こちらからは手を出すなよ?いいな?」

 決して大きくはないがよく通る声で伝えられたニリバワの指示に、静かに答えた兵士達はそれぞれの役割のために動き出す。
 ニリバワが隊長を務める第一小隊に次ぐ練度の第二小隊が、各方面へこの事態を伝えに走り、残る四十名の兵士でジブワ達の監視任務を行う。

 ここからだと休みなく馬を走らせれば、真夜中にはヤブー砦まで行ける。
 捜索に赴いている友軍の方は、捜索予定地は分かっても、現在地までは分からないため、合流できるかは運次第だが、うまくいけば一時間もせずに俺達の部隊の救援には駆け付けてくれるだろう。

 ただ、グルジェの方は俺達の隊と合流して物資の融通をする手はずとなっていたので、連絡だけなら馬を飛ばせばすぐに届くはずだ。
 それこそ、十分か二十分でといったところか。

 ニリバワの傍にいるせいで順番が最後になるのが決まっている俺は、他の者が静かにその場を離れる中、ジブワ達の様子をジッと窺う。

 大勢の人間と馬がいるそこは、野営用のテントと武器がおかれた野戦陣地といった趣で、居座る連中はやはりかなりの年齢だと分かる。
 ざっと見た限りでは、下は精々五十代、上ともなれば七十歳は余裕で超えていそうな老人すらもちらほらといる。

 しかし、ここまでジブワに付き従ってきただけあって、どいつも顔付きは精強さを十分に感じさせるもので、立ち居振る舞いからしてこちらが抱える新兵とは練度の違いが明らかだ。

 そんな中で、集団の中央にいくつかの樽が置かれているのに気付く。
 さも厳重ですと言わんばかりに、その周囲には完全武装した人間が配置されている程度には、よほど重要なもののようだ。

「…ニリバワさん、なんですかね、あれ」

「ん?どうした?」

「あそこに樽があるのが分かりますか?妙にしっかりとした見張りが付いているんですよ。ただの水にしては大袈裟だし、そもそも水は別の所にあるようなので、中身は別のものだと思いますが…。まさか酒でも入ってるとか?」

 部下に指示を出していたニリバワに、俺が見て気になったものを伝える。
 戦場に酒を持ってくることなど珍しくはないが、それにしては随分と物々しい警備だ。
 まさかあそこにいる老人達が酒を求めて暴れるタイプとかでもなかろうに。

「……なるほど、そういうこと。あれの中身は大体見当がつくわ。恐らく儀式に使うものよ。中が何かは聞かないでちょうだい。儀式についての情報はあまり広めるなと、ディースラ様に言われているからね」

 ニリバワは会議の際にディースラから聞いたのか、俺と違って儀式についての情報を多く手にしているようで、あの樽の中身に見当がついているようだ。
 あのタイプの樽は液体を詰めるものなので、何か特殊な液体が儀式には用いられるのだろうか。

「わかってますよ。俺だってディースラ様がああも不機嫌になる儀式なんて、知りたくもありませんから。しかしそうなると、あの樽をどうにかした方がいいんですかね。陽が落ちたら、コッソリ忍び込んで樽を壊すとかしてみませんか?」

「魅力的な提案だけど、あれだけ警戒している場所に近付くのはまずいわ。潜入に向く技術を持った者も、こちらにはいないし」

「まぁ普通の兵士はこの手の潜入を想定して訓練はしませんしね。俺がチャチャっと行ってきましょうか?慣れてるってほどじゃありませんが、経験はありますよ」

「そうなの?中々いい経験を積んでるのね。うーん、どうしましょ……アンディを単独潜入させての破壊工作ってことよね?あまり気が進ま―ッッ!?」

 ざくっという鋭い音と共に、俺達が潜む藪から見える目の前の地面に、数本の矢が突き立つ。
 何の前兆もなく飛来した矢に、頭で考えるよりも早く体が動く。

 俺とニリバワは言葉を交わすこともなく、寝そべっていた体勢から跳ねるようにして立ちあがり、全く同じタイミングですぐさま剣を抜くと、切り払うようにして剣を頭上へとかざす。
 すると予想していた通り、俺達の剣に何本もの矢が当たる。

 ニリバワは剣で叩いて矢を逸らすが、俺は高出力の魔力に任せた強い磁力を剣に纏わせ、周囲に振ってくる矢のほとんどを絡めとる。
 矢はそう大量に射られていなかったようで、俺とニリバワが一度防いだだけで第二射がくることはなかった。

 部隊の後退を進めていたおかげで、この周辺にいるのはニリバワが率いる第一小隊の面々だけなのがよかったのか、とりあえず被害らしい被害もなく矢の脅威をしのぐことはできた。
 軽く息を吐き、視線をジブワら一行のいる場所へと向ける。
 今の矢をどこの誰が放ったかなど考えるまでもない。

 先程までどこかのんびりしているように見えていたあの連中は、俺達が潜んでいることにとっくに気付いていたようだ。
 現に今、向こうの兵士達は老体に見合わないほどの俊敏な動きで武器を手にし、馬へと跨って今にもこちらへ突っ込んで来ようとしている。

「気付かれた!総員散開、散開だ!バラバラに木々を縫って逃げろ!それと誰でもいい!部隊の集合地点へ急ぎ戻り、退避勧告!何してる!急げアンディ!」

 ニリバワは自分の馬のいる場所まで駆けつつ、潜伏などする必要もなくなったおかげで、周囲に響くほどの大声で指示を出す。
 第一小隊はそのほとんどが豊富な経験と実力の高い者達で構成されているため、ニリバワの指示に急ぎながらも冷静に従い、それぞれの馬と共にあちこちへ逃げていく。

「足止めします!行ってください!対閃光ーっ!」

 俺は自分の馬に跨りつつ、その場に留まっていることでニリバワから急かされたが、優れた騎兵であるラーノ族をそのままにしていてはすぐに追いつかれてしまう。
 もう誰も周りにはいなかったが、念のために強い光の発生を警告する。

 同時に馬をジブワ達とは反対の方へと走らせながら、有り余る魔力で作った雷の圧縮と解放による光を背後へ向けて放つと、薄暗い景色を閃光で一気に染め上げ、俺達を追おうとしたジブワ達と馬の悲鳴が辺りに木霊する。

 馬の視界は真後ろ以外をほぼすべてカバーするというが、その視界の広さゆえに閃光をもろに受けた馬は、その背に乗せた人間を無視して暴れてくれることだろう。
 こちらの馬は幸いにして前に集中していたことと、瞬間的に俺がマントを広げて光を防いだおかげで、多少驚きはしたものの走る足に問題はなさそうだ。

 目くらましはあくまでも一時的なもので、完全な足止めとはならないが、稼いだ時間は逃げるのに十分役立つ。
 姿は見えずとも混乱する声と嘶きを背に受けながら、足止めの成功を確信して馬の横腹を足で叩いて加速を指示する。

 それを受けてさらに馬は足を早めたのに合わせ、鞍の座る位置を少し直そうと動いた次の瞬間、衝撃と共に俺の体が宙を舞った。

 何が起きたか分からず一瞬混乱したが、すぐに天地が逆さまになる中で状況の把握に努めると、一瞬先まで俺が乗っていた馬が、尻から腹にかけてを斜めに大きく斬られて内臓をぶちまけながら地面を滑っていくのが見えた。

 馬の方はもう手遅れだと分かり、とにかく今は無事に着地することを優先し、このまま落下先となるであろう地面を見定め、土魔術でクッション性のある土へと変える。

 一・二秒ほどの滞空時間の後に、地面との接触でズンという激しい衝撃が体を襲う。
 空中で体勢を何とか整えようと試みたが、それでも肩から落ちるのがせいぜいという無様な着地となった。

 かなり距離のある内から魔術を使ったせいで、中途半端な硬さになった地面で衝撃こそ殺しきれなかったが、動けないほどの怪我はない。
 体が転がる勢いを生かし、バウンドするようにして身を起こして地面へ立つと、俺の馬を攻撃したであろう何者かへ備えるために剣を抜く。

 視線を周囲へと向けて動かすも、近くにそれらしい人影は見えない。
 では誰が馬を斬ったのかという疑問がある。
 いや、やったのはどう考えてもジブワ達に他ならないのだが、奴らは今、目が眩んで動けないはずなので、やはり誰がというのが謎だ。

「ほう、馬ごと斬ったつもりだったが、怪我一つしておらんようだな。あの距離で仕留め損うとは、俺も腕が落ちたか、もしくはこれが相当の手練れか……果たしてどちらだろうな?」

「っ!うらぁっ!!」

 決して油断はしていなかったというのに、突然俺の背後から覚えのない男の声が聞こえ、反射的に剣を後ろへ向けて突き伸ばす。
 金属同士がぶつかる激しい音が響き、俺の剣はあっさりと弾かれたが、それに逆らうことなくその場から飛び退って声の主へと向き直る。

 そこにいたのは、ラーノ族と分かる服装に身を包んだ、身の丈二メートルを超えるほどの大柄の男だった。

 年齢は五十かそこいらだろうか。
 くすんだ金髪と同色の髭が顔を覆っているせいで分かりづらいが、顔付はグルジェ達と似た雰囲気がある。
 口元に覗く鋭い犬歯と頭頂部にある丸型の耳からは、虎やライオンといった獣人種の系統の名残を窺える。

 顔に刻まれたいくつかの傷と深い皺が歴戦の猛者を思わせ、手にしている使い込まれた長剣と相まって、対峙するだけで極度の緊張を強いてくる。

 明らかに只者ではないその様子と、先程剣を弾かれた手応えから、この男が俺の馬を斬ったのだと直感した。
 ただ、見たところ馬に乗っておらず、どうやって走っていた俺の馬を斬ったのかという謎は残る。
 トップスピードでなかったにせよ、走る馬を捉えたこの男はよほど足が速いのか、もしくは何かの魔術をつかったか、あるいは特殊な技術やズル、というのも考えられるな。
 それと、こいつだけが他のラーノ族と違い、閃光で目をやられずに立っているのも気になる。

 いや、獣人種ならばこれだけ木々がある森の中を、木々を蹴りながら加速して追いかけてくるという芸当も考えられなくもない。
 閃光による目くらましも、ずば抜けた危機察知能力でとっさに瞼を閉じ、回避に成功したというのも有り得る。
 この世界の獣人の身体能力はピンキリだが、ピンの方となれば化け物も同然だからな。

 いずれにせよ、逃げる足を失った俺は、馬すらも両断する攻撃を警戒しながらこの男と一戦交えるしかなくなった。
 雷魔術で楽に倒されてくれると楽でいいのだが、俺の経験上、このタイプの剣士はアホみたいに強いはずなので、果たして大人しく倒れてくれるだろうか。

 それに、今はまだ混乱しているが、他のラーノ族もいる。
 時間が経つと俺が不利になることは確かなので、さっさと倒してケツをまくるとしよう。
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